弔辞
2019年8月11日 倉山満

父の倉山幸治が、令和元年八月八日午前十時四十八分、永眠しました。享年、七十六歳でした。
生前、お世話になったすべての方々に、お礼を申し上げたいと思います。
(中略)
父は、最期まで外科医として生きました。医者ですから、自分がどんな治療を受けているかわかっていたでしょうし、自分の胸に聴診器を当ててウンウンと頷いていました。
何より、もはや自分が助かる方法がないことは、誰よりもわかっていました。
(中略)
お別れに、母と三人で「故郷」を歌いました。父が一番好きだった歌です。声も出ないのに、しっかりと「兎追ひし〜」と口は動いていました。
最期の瞬間は、家族や親しい人に囲まれながら看取られました。お別れする直前まで、みんなで語りかけていました。
私が何か言うたびに、微笑みを浮かべてくれたのが何よりです。 少しでも苦しみを和らげられたなら。
してあげたいことを、何もできなかったと言っても、全部できたと言っても嘘になりますが、死に目に会えない親不孝だけはせずに済みました。
今、この文章を父の遺骸の前で、父と話しながら書いています。
https://office-kurayama.co.jp/?p=4212

久しぶりにスレに戻ってきてカリブロチェックしたら、↑だった・・・
カリスマのお父様って昔から言われてた通りお医者様だったんですね
カリスマ、お悔やみ申し上げます。