>>910
「常に」に妙に反発してるけど…仮定はたった一つだからこそ「a=0」って仮定を置いたらどんな事象が相手でも常にa=0でしょ。
まぁ、↓に気づいた後だと、色々バツが悪いのかもしれないけど♪


   仮定を出している人間が「より多くが〜」の正誤は各国の選択理由が何であるかで変わる」と認知している
    → 「より多くが〜」という仮定は不完全(↑の通り、注釈なく書いた場合、無条件・常に成立するという意味になる)
     → 「選択理由が合理性であるときに限って、より多くが〜」が真。

      → ただし「選択理由が合理性であるか否か」はこれだけでは正とも誤とも判別がつかない。
        (よって、各国の大統領制移行の経緯、独立時の宣言等から推察していくほかはない)


つまり、畢竟君が人それぞれと置くべきだったのは「(注釈なしの)より多くが〜」じゃなく、↓だったのよ。

   ・ 歴史的経緯や民族自決の理念ではなく、合理性で大統領制を選択している国が多いと思うなら「大統領制の国が多いから立憲君主は非合理・無駄遣い」は是
   ・ 合理性ではなく、歴史的経緯や民族自決の理念から大統領制になった国が多いと思うなら「大統領制の国が多いから立憲君主は非合理・無駄遣い」は否。


>>912-914
然るに君の言う通り、「長い間国民に見向きもされなかった廃止論は、その時点で非合理な可能性が高い」
「今や選ぶ者・国のいなくなった共産主義は、理論自体が欠陥品だった可能性が高い」にも《平時、国民の政策選択は合理性を旨に行われるならば》が前提に入る。

まぁ、要は「〇〇ならば△△」という論理構造自体は否定されるもんじゃなく、〇〇部分の真贋こそが大事ってわけだわな。

その上で言うと、例えば「平時、国民は合理性を旨に政策の選択を行うと考えるならば、廃止論・共産主義は非合理」と
「国民にとって、民族自決の理念や歴史上の経緯は時に合理性よりも優先されると考えるならば『大統領制こそが合理的』とは言えない」は矛盾しないと考えるし……そもコレ一度説明済みだよね? 忘れた?