面白いのは、ID:ekGtq3H1君の中で


   A:「自分は『誰しもが自然には『YESともNOとも言えない』と発想するはず』とは言ってない!」と抗弁する
     =《どこからが具体的な数字や前例、統計がなければ客観的事実ではないとするかは人それぞれ》だということを理解している。

   B:「具体的な数字や前例、統計がないから、100%完全に論者の個人的な主観」を結論にごり押しする
     自分の要求する具体的な数字や前例、統計を出さず?に抗弁したことを、精神障害や個人的憎悪だと結論する
     =《どこからが具体的な数字や前例、統計がなければ客観的事実ではないとするかは人それぞれ》だということを理解していない。



   A:「各国の選択理由が何であるかということが示されておらぬ以上、誤とは言えない!」「仮定はたった一つの仮定を様々な事象に適用するんだ!」と抗弁する
     =《選択理由によって「多くが選択したから合理的」の正誤が分岐する》と理解している

   B:「自分は『より多くが〜』と仮定したんだから選択理由を考えたらジュンカンロンポー!」「自分の仮定はあくまで『より多くが〜』! 選択理由は関係ない!」と主張する
     =《選択理由によって「多くが選択したから合理的」の正誤が分岐する》と理解していない。



この2つの理屈が出たり入ったりすることだ。
まぁ「A:建前として理解/B:本音はこう言いたい」「Aが正しいのは理解しているが、持論を通すにはBを主張しなきゃいけないことも理解してしまっている」だとすれば
ある意味分かりやすいんだが……