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たとえば「加速度を感知できるはずだ」という論であるが、速度超過をする・しないに関わらず、道路を走れば必ず加速度は生じるのである
よって、速度超過を認識する者が感知するべき加速度や加速時間とは、加速度や加速時間の「丸ごとぜんぶ」ではないのである

たとえば法定速度が60km/hの道路を70km/hで走行していて捕まったという場合

仮に加速係数が0.25Gという固定値であったと仮定すると、
60km/hまでの加速時間は6.8秒、70km/hまでの加速時間は7.9秒であり、その差、1.1秒である
「加速時間」から10km/hの速度超過を疑うべきだとされる者に要求されるのは、「加速係数が0.25G」の正確な推定と「1.1秒」の差の検出である

敢えて時間に意識を向けて「1,2,3・・・」と数えていたのならまだしも、ケータイや本を見ている人間にそれが可能なのか、
そもそも「加速係数が0.25G」の正確な推定など可能なのかという話である

また、仮に加速時間が6.5秒だったと仮定すると、
6.5秒間に60km/hまで加速するのに必要な加速係数は0.26G、70km/hの場合は0.31Gであり、その差は0.5Gである
「加速係数」の体感から10km/hの速度超過を疑うべきだとされる者に要求されるのは、加速時間の正確な測定と「0.5G」の差の検出である
ケータイや本を見ている人間に「6.5秒」の正確な測定と「0.26Gと0.31G」の違いを数値として推定することが可能なのか、という話である

「身体に感じる加速係数は0.25Gで、今、加速時間が6.8秒を超えました、そろそろ速度超過です!」
「今、6.5秒の加速時間だったのに、体感加速度は0.26Gを超えてました、速度超過の疑いありです!」

こ ん な こ と が 生 身 の 人 間 に 可 能 な の か ど う か 、 と い う 話

以上を読んだ上で
「体感の加速度から速度超過を疑うことは可能なはずだ!」にどれだけの信憑性があるか、考え直してみるがよい

繰り返すが、『速度超過をする・しないに関わらず、道路を走れば必ず加速度は生じる』のである