>>930
>仮定はたった一つだからこそ「a=0」って仮定を置いたらどんな事象が相手でも常にa=0でしょ。

その通り、だから「より多くが選択しているものの方が(後略)」は正しいか否か、になるのである

>仮定を出している人間が「より多くが〜」の正誤は各国の選択理由が何であるかで変わる」と認知している

論述の仮定に「結論」である「選択理由」を紛れ込ませるという循環論法をまた長々とおっぱじめたようだ

ど う や ら キ ミ は 「 中 学 2 年 で 習 う 数 学 」 が ま っ た く 理 解 で き て お ら ぬ よ う だ

>《平時、国民の政策選択は合理性を旨に行われるならば》が前提に入る。

キミが勝手に入れているだけである
論述の仮定に「結論」である「選択理由」を紛れ込ませるという循環論法そのものである

キミはどうあっても「選択理由」というものを紛れ込ませたいようだが、残念ながらそんな話には乗らぬ
なぜなら、論述の仮定に「結論」である「選択理由」を紛れ込ませるのは「循環論法」という詭弁だからである

まことに気の毒だが、キミの土俵には乗らん
乗ったら「循環論法」だからである