>>989
>議会で承認されながらも実効性を持たなかった

議会で承認されたということは、「フランス人は選択することができた」ということである

>いざ仮定に疑義を挟まれたら「ジュ、ジュジュ、ジュンカンロンポー! ジュンカンロンポー!」連呼で逃亡するわけだ。

仮定A:「より多くが選択しているものの方が、より合理的である蓋然性、より多くの人が合理的であると考えている蓋然性が高い」

仮定Aにどれだけの信頼を置くか、どれだけ正しいと言えるかどうかは各々の個人がその主観によって判断すれば良いというだけのことである

仮定Aと「実際に、多くが選択している、採用している」という事実から
「大統領の方が合理的である蓋然性が高い、より多くの国や人が大東呂制の方が合理的だと考えている蓋然性が高い」を導くとは
仮定Aが正しいという前提のもと、「より多くが採用している」という現実から「大統領制の方が〜〜」を導く論法である

よって、その論述の過程に「合理性を重視して選択しているか」などを紛れ込ませる必要はないし、それをやれば循環論法なのである

仮定Aが正しいと思えるかどうか、そんなことは個人個人が主観的に判断すれば良いというだけのことである

>【国家予算の100分の1のお金がTV社・新聞社の数だけ・毎年かかるのが些事であるという《統計》】がいるんじゃないのぉ〜?

はい、質問に答えずに逆質問

>全部勘案した上で、特に何も矛盾起きてないようだけど?

これから国家を起こす場合の話をしているのに、すでに君主制または大統領制でやっている国の事情を語るという詭弁である