さて、ちょっと物真似してみますか。


【三国干渉までの西欧列強の行動】

◯ イギリス
  18世紀頃から清との貿易を始めるが、茶や陶磁器を中心に英側の輸入過多。
  特に銀の流出が問題で、困ったイギリスがやりだしたのがアヘン貿易。
  流石に清も林則徐にこれを取り締まらせるが、逆ギレしたイギリスが仕掛けて1840年アヘン戦争勃発。
  負けた清は南京条約(香港島割譲、上海開港、領事裁判権の承認、関税自主権の喪失、最恵国待遇)を結ばされる。
  続く1857年の第二次アヘン戦争ではフランスと組んで清に派兵。
  最終的に天津と北京を制圧し、北京条約・天津条約で九龍の割譲やアヘン輸入公認、賠償金を勝ち取っている。

◯ 帝政ロシア
  1851年からの太平天国の乱、1856年からのアロー戦争、上記アヘン戦争等の清の混乱に乗じ、
  1858年、東シベリア総督ニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキーは、停泊中のロシア軍艦から銃砲を乱射して、
  アムール川西岸をロシアに献上しなければ武力をもって黒竜江左岸の満洲人を追い払うと脅迫。
  清国にこれを認めさせ、同地帯を獲得する。
  さらに1871年には新疆に派兵、1881年のイリ条約でイリ川西岸を割譲させた。
  (なお、これらの領土は今も返還のへの字すら出てない)

◯ フランス
  インドシナ半島の植民地化を進める中でベトナムを支配下に置こうと行動。
  宗主国である清がこれに派兵し、1884年、清仏戦争が起きるが、1年足らずでやはり清が敗退。
  ベトナムはフランスの植民地となる。