夕刊を見るとさっき見たような連中が都内のあちこちに多数出現していて、彼らはひたすら沈黙したまま他人(ひと)さまの小便を浴びるだけで、自分たちの行為の理由を弁じることもなく、質問にも答えず、住所氏名も明らかにしないということが判明した。
警察は彼らを放置していて、その理由は非常事態のさなかに出現した一時的な瘋癲性パフォーマンスであろうからということであり、彼らはポスト構造主義の評論家によって何やら難解な論理とともに「能客派」と名づけられていた。