>>622
後半、説明になってませんよ

あと、あなたはずっとそうだけど、まず最初から日本語の作品と海外翻訳を一緒にして考えるをいい加減にやめませんか?
今では普通は使わない言葉や言い回しが翻訳に使われてるのは「時代錯誤」であって「語彙が豊富」ではない(原作者の考えじゃないんだから)
旧訳ファンは好きならそれを読んでればいいが、新規読者を無意味に狭める読みにくい要素はない方が良い
実際に『未来のイヴ』には、齋藤訳を敬遠していたという感想がある(好きな人がいることよりも、そっちが問題)

日本文学を例えに使ってる時点で変なんだけど、補足
漱石が尊大さと滑稽さを意図して使わせてる「吾輩」と、訳者が元の一人称に無いニュアンスを加えた「吾輩」では意味が違う
「I am a cat」の訳だとしたら、「吾輩」の方が訳者が勝負に出たなという感じで、やりすぎの恐れもある
実際に「吾輩」をプレーンな「私」にした改訳の『泰平ヨン』の方が、ユーモアと時にシリアスなSFアイディアのぶつかり合いをしっかりと楽しめる
語り手の立ち位置を考えたら「吾輩」より相応しいのではと、「小生」に変えた『ほら吹き男爵』の新訳では、イメージが変わるので「この人物ならこの場面でこう話しそう」と読者が気にいった方を選べばいい
だけど、どんどん新訳が出されなければ、そもそも選べないのよ