クシティガルバ棟
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エルデネ・ゾーとかサムイェー寺みたいなゴツい寺院を出したい https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b7/ErdeneZuuKhiidTemple.jpg/800px-ErdeneZuuKhiidTemple.jpg > アブタイ・サイン・ハーンは、チベット仏教のダライ・ラマ3世スーナム・ギャツォ(ソナムギャムツォ)と交流し、 >モンゴル高原にチベット仏教を広めるため、エルデニ・ゾーを造営した。 >カラコルムの故地に造営されたため、寺の建物にはカラコルムの宮殿のものであった建築資材が使われているという。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7d/Z%C5%82ota_Stupa_w_klasztorze_Erdene_Dzuu_01.jpg/800px-Z%C5%82ota_Stupa_w_klasztorze_Erdene_Dzuu_01.jpg >ソボルガン塔:境内にある巨大な仏塔はソボルガン塔といい、堕落した僧侶たちを戒めるものといわれる。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/57/A_grand_view_of_Samye.jpg > この寺は、仏典に説かれる世界観をモデルにした、いわば立体曼荼羅となっている。 >承徳外八廟の普寧寺はこの寺をモデルにしている。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ad/Samye_Monastery_cropped.JPG > 本堂は世界の中心にそびえるスメール山(須弥山)を現し、 >四隅にある他の建物と本堂の東西南北は大陸と仏教宇宙の他の造作を現す。 >すなわち、4つの大きな堂は四大部洲(四大大陸)をあらわし、 >南方のインド亜大陸、西方のオアシス世界、北方は北アジアの遊牧世界、東方は東アジアの中国世界を指すと見なされる。 >さらに本堂の両脇にある円形と半月形の2堂は太陽と月をかたどっている。 大怪獣のあとしまつの数万倍勉強になったとか言われてるの草 https://youtu.be/QpDyv9UUghU まぁ架空の災禍に茶化しを入れて何とするって感じだよな... < 肩透かし映画 オマケ 食人族の王カール・エミル・ペターソン https://youtu.be/6J8LvEOFQ9E 農園経営も鉱床も大規模自然破壊のきっかけなんだけど、食人1本よりマシかもしれない... ゴミだらけの草原で放牧されるヤク(チベット) https://youtu.be/sk-SHauUomE 胃の中に人工芝とかありそう... Wiki曰く 寺院に付属した神社→鎮守社 神社に付属した寺院→神宮寺 だそう 自分でも間違えそうなので、ここに記す くぉれは... ロシアは創作物におけるナチスを継ぐつもりかな?() ロシアで古代スキタイ戦士の遺骨からクローンを作り復活させる構想 https://www.excite.co.jp/news/article/Karapaia_52301303/?p=2 >実際、3年前に発掘調査が着手された際には、まずシャーマンが呼ばれ、戦士の魂の怒りを鎮めるための儀式が執り行われたそうだ。 >>227 で取り上げたような少女を使うんじゃねぇぞ... 戦闘BGMで色々と入れてみたい 乱声(らんじょう) https://kotobank.jp/word/%E4%B9%B1%E5%A3%B0-148097 >非拍節的リズムに基づいており,しかも数人の笛奏者によって「退吹 (おめりぶき) 」すなわちカノン風に重奏されるので, >偶発的に複雑なリズムや音響が生れる。まさに「乱声」の名称にふさわしい音楽である。 太平楽 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%A5%BD >この曲が悠長な曲とされたところから、「太平楽」の語はここから転じて、 >好き放題に言うことや、のんきに構えていることなどを言うこともある。 【戦国こぼれ話】とても重要だった法螺貝と陣鐘。戦国時代にはどう用いられていたのか https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20211210-00271872 >もともと法螺貝は、密教儀式の法具だった。修験道では行者が持つ道具の一つで、 >山岳修行の際に猛獣を追い払うために用いたという。時代劇などでは、すっかりおなじみだ。 >ちなみに、法螺貝の音が小さい場合は内部の問題であり、大きい場合は支配領域外の事件を意味していた。 (中略) > 神奈川県藤沢市の遊行寺には、延文元年(1356)に鋳造された銅鐘がある。 > この由緒をたどると、遊行寺は伊勢宗瑞(北条早雲)と三浦道寸との交戦で全山が焼失し、 >銅鐘も北条氏によって小田原に持ち去られたという。 > その後、銅鐘は陣鐘として用いられたが、寛永3年(1626)12月に遊行寺へ戻ってきたのである。 > このように、陣鐘は寺院の鐘を転用した例が少なくない。 【動画あり】ロシア・トゥバ共和国に伝わる喉歌 「ホーメイ」の魅力伝えたい 八幡西区の松尾容子さん 毎年、北九州など各地でライブ https://www.nishinippon.co.jp/sp/item/n/509573/ >帰国後、独学で練習を始めた。 >現在、劇団運営などの仕事の傍ら、毎日の朝5分と夕方に1~2時間、発声練習と楽器の練習に励む。 >15年ごろには東京のホーメイ奏者3人と一緒に音楽ユニット「チャスチャイクスキシュ」(トゥバ語で春夏秋冬)を結成。 >毎年数回、各地でライブを行い、そのうち1回は北九州で披露している。 犬王を見た後だと、この木本祭(このもとさい)も怖い https://xn----626ay6jjqau34am2fhxopn9a.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/category/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E3%81%AB%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E5%AE%AE%E6%AE%BF%E3%80%8C%E5%BE%A1%E7%A5%9E%E4%BD%93%E3%83%BB%E5%BF%83%E5%BE%A1%E6%9F%B1%E3%81%AE%E8%AC%8E 歴代天皇に祟られなきゃいいんだけどね オマケ 木地師 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E5%9C%B0%E5%B8%AB >木地師は惟喬親王の家来、太政大臣小椋秀実の子孫を称し、 >諸国の山に入り山の7合目より上の木材を自由に伐採できる権利を保証するとされる >「朱雀天皇の綸旨」の写しを所持し、山中を移動して生活する集団だった。 >実際にはこの綸旨は偽文書と見られているが、こうした偽文書をもつ職業集団は珍しくなかった。 >綸旨の写しは特に特権を保証するわけでもないが、前例に従って世人や時の支配者に扱われることで時とともに実効性を持ち、 >木地師が定住する場合にも有利に働いた。 >木地師は木地物素材が豊富に取れる場所を転々としながら木地挽きをし、 >里の人や漆掻き、塗師と交易をして生計を立てていた。 >中には移動生活をやめ集落を作り焼畑耕作と木地挽きで生計を立てる人々もいた。 >そうした集落は移動する木地師達の拠点ともなった。 氏子狩 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%8F%E5%AD%90%E7%8B%A9 >当時、木地師は全国各地に散っており、時に朝廷や幕府の許可を受けて、生業を続けていた。 >もし、これら木地師達を氏子として自社の影響下に置くことができれば、大きな収入を得ることに繋がる。 >そこで白川・吉田両家は、自らを正当な惟喬親王の霊社としつつ、 >各地に散った木地師達を探し出し、自社の氏子に強制的に登録していった。 >両社は時に偽造文書も発行し、自社の配下に収めるために争った。 >結果として木地師はどちらかの神社に登録されることとなり、金を納めて一定の義務を背負った。 >また、両社はその権威を振りかざして木地屋の営業認可まで行なった。 >実際に惟喬親王が祖だったかは不明であるが、一連の出来事によって木地師達は惟喬親王が業祖であることを信じていた。 氏子総代→代表世話人、神職と共に神社の維持にあたる 僧侶の業種を整理したい 長吏(ちょうり) : 座主、別当、検校 東寺長者 < 東寺座主 貫主(貫首) : 天台座主、一宗一派の頭領 住持 : 住職、寺を統率する代表者 勧進聖 : 寺院の堂塔,仏像,鐘,あるいは各地の橋梁などの造立・修復のために資財(金品)を募りに回国する僧 御師(おし、おんし) : 特定の社寺に所属して参拝者の世話をする神職 役僧 : お葬式や法事で導師からの指示を受ける僧(手伝いの脇導師も足らない大行事に出てくる) 庄主(しょうす) : 寺領の代官、高利貸資本にもなれる 法師(経典に強い)・律師(戒律に詳しい)・禅師(禅定修行に長けている) 陰涼職(いんりょうしき) : 僧録司と幕府の連絡役 目の保養(冷感的な意味で) 今が見頃の"極楽青土"に地域再生の灯火がみえる https://president.jp/articles/-/58994 > 10年ほどが経過し、ねずみ算式にあじさいが増え始めると、地元紙などが取り上げ始めた。 >すると、少しずつ地元民が訪ねてくるようになった。 > さらに、古仲さんは株分けを続けていく。そして、最初の株分けからおよそ15年が経過。 >境内全域は青のあじさいで埋め尽くされた。お参りの人は年々倍増し、路上駐車問題が発生し始めるほどに。 > 2018年、古仲さんは問題解決のため有料拝観に踏み切る。 >シーズン中は500円(最盛期の土日は800円)、夜間特別拝観(ライトアップ)は1000円(最盛期の週末は1300円)とした。 >同時に「あじさいお守り」「あじさい御朱印」などの物販のほか「フォトウェディング」も始めた。 (中略) > 集落の高台にある立地も幸いした。 >青のあじさい畑の向こうに日本海が見える絶景となった。 >とあるインフルエンサーが運営する「死ぬまでには行きたい! 世界の絶景」の2017年国内ベスト絶景にも選ばれ、 >SNSなどを通じて噂は瞬く間に広まっていった。 (中略) > 雲昌寺境内のあじさいはすでに飽和状態。すでに、古仲さんの目は寺外に向いている。 >たとえば男鹿市内の高齢者施設にあじさいを分け、入居者が株分けを楽しんでいる。 >さらに自治体などとも連携し、秋田空港などへの株分けも検討されている。 >古仲さんはこれからもたくさんの人に喜んでもらえるようにあじさいを増やしていきたいと話している。 龍安寺の石庭 https://kinukake.com/sights-ryoanji.html >室町幕府の有力者であった細川勝元が1450年に創建した禅寺。 今では枯山水の石庭で世界的に知られていますが、ここまで有名になったのは >1975年にエリザベス2世が龍安寺を公式訪問した際に石庭を称賛したのがきっかけ。 >当時の禅ブームの後押しもあって世界的にブレイクしました。 >また石庭の正確な築造時期や作者、意図などが定かでないため、謎深き庭として様々な憶測をよんでいます。 >敷地内の鏡容池(きょうようち)も見どころの一つで、5月〜7月に見頃を迎える睡蓮は有名です。 滝巡り 滝寺と龍頭の滝 https://ykoba84.exblog.jp/20142911/ >龍頭の滝は向かって右に細い滝を従え堂々と威容を誇っている。 >車でも直接行ける親しみのある滝でマイナスイオンたっぷり浴び森林浴も楽しめる身近で行きやすい滝である ついでなので(>>277 に続き)建物の分類など 堂宇(一宇 : 一軒) https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%82%E5%AE%87 塔頭(たっちゅう) https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%94%E9%A0%AD 雲崗石窟(うんこうせっくつ) https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E5%B4%97%E7%9F%B3%E7%AA%9F 井楼(せいろう) https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%BA%95%E6%A5%BC/#: ~:text=%E3%81%9B%E3%81%84%E2%80%90%E3%82%8D%E3%81%86%E3%80%90%E4%BA%95%E6%A5%BC%E3%80%91,%E3%81%BF%E3%81%9B%E3%82%84%E3%81%90%E3%82%89%E3%80%82 山里曲輪(山里郭、金沢城や後楽園が有名) https://www.homemate-research-castle.com/useful/glossary/castle/2139701/ 【戦国こぼれ話】今村翔吾さんの小説『塞王の楯』に登場する石垣職人「穴太衆(あのうしゅう)」とは https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20220227-00283782 Durbar(ダーバー、ダルバール) : 朝廷、インド土侯の宮廷の部屋で会見や謁見が行われる所、~Squareで王宮広場 https://en.m.wikipedia.org/wiki/Durbar_ (court) 四門遊観 https://kotobank.jp/word/%E5%9B%9B%E9%96%80%E9%81%8A%E8%A6%B3-524326#: ~:text=%E6%9D%B1%E9%96%80%E3%82%92%E5%87%BA%E3%81%A6%E6%9D%96,%E3%81%9F%E3%81%A6%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%82 天とは? 天冠とは?幽霊の頭についている三角の白い布の意味・役割って? https://allabout.co.jp/gm/gc/67450/ > 天冠ですが、これは「閻魔大王に失礼ならないように冠をつけて正装をしなければいけない」 >「死者が地獄のタタリから逃れるために」「身分の高さを冠で表現した」と諸説あります。 > 天冠は白い三角布だけのことをさすわけではありません。 >お雛様の頭についている冠も天冠と言いますし、能の装束のひとつにも天冠があります。 >能の場合、高貴な役柄の人がかぶるものとして使用されたり、神様や天女などを表現するために使用されたりしているようです。 >そう考えると、死者に付ける天冠は「最後に高貴な身なりで送ってあげたい」という昔の人の思いが込められているのかもしれません。 天珠とは https://www.ishimonogatari.com/meaning.html >天珠は数千年前の古代からチベットに伝わる聖なるお守りの宝石です。 >チベットでは天珠はこの世の石ではなく、天から降ってきた生命のある霊虫だという伝説があり、 >霊力を持って災厄を逃れ、富財あらゆる幸運を招くと信じられ、代々家宝として受け継がれ大切にされてきました。 >紋様が持つ不思議な力と磁場で、魔を断ち、罪障や厄難を除き、財運を呼ぶと云われています。 「知って得する季語」。あせも予防の「天花粉(てんかふん)」って何のこと? https://dot.asahi.com/tenkijp/suppl/2018071200075.html >天花は中国語で「天から降る花=雪」のこと。 >カラスウリの花は真っ白で高いところに咲くためとも、天瓜粉の転記ミスとも諸説あるそうですよ。 >>251 に合わせて 生体の筋肉より強力で柔軟性のある人工筋肉素材が開発される https://karapaia.com/archives/52314274.html > スイッチのオンオフに合わせて伸縮する様子は、心臓の鼓動を連想させるほど生き物っぽい。 >また自重の20倍もある球を跳ね飛ばしたり、クラゲ型ロボットにジャンプさせたりするような力強さもある。 目が見えなくても「ひとりでランニング」…グーグルが実証実験、路面データ学習中 https://www.yomiuri.co.jp/science/20220610-OYT1T50139/ >トラックに描かれたピンク色のラインをスマホのカメラが認識し、 >そのラインから外れると音を鳴らして知らせるようになっている。 >ラインから左側にずれると、右耳から「ホワンホワン」といった音が聞こえてくる。 >右側にずれると左耳から音が聞こえてきて、音がした方角に体の向きを修正するよう教えてくれる。 >ラインから離れれば離れるほど音は大きくなり、「ガガガ」という壁をこするような音にかわる。 64歳で逝去「人類初サイボーグ」が世界に遺した物 https://toyokeizai.net/articles/-/601582?page=2 >現在の技術が、彼のアイデアに追いつけたのかどうかはわかりません。 >2022年6月末現在、ご本人のTwitterの更新は止まったままです。 >それでも、AIとしてのピーターさんがプライベートに活動している可能性は否定できませんし、 >彼自身のケースが時期尚早だったとしても、AIによる人格の継続という構想は、後進の研究者に必ずや引き継がれていくはずです。 若者の現実認識能力離れ 棚田で迎えた朝がまるで絵画の世界だった 幻想的な棚田の写真に「素晴らしい」「さすがに絵でしょ……?」の声 https://nlab.itmedia.co.jp/nl/spv/2207/16/news068.html 昔から空の色が変だったら凶兆なんて言われてたけどなぁ オマケ 彩雲は吉兆か,それとも凶兆か? http://wr19.osaka-sandai.ac.jp/ce/rt/ByRail/?p=450 >彩雲という色の付いた雲がある. >瑞雲とも呼ばれ,吉兆の印とされる場合もあるが,最近では大地震の前触れではないかということで,凶兆としてとらえられることもある. >お祭り騒ぎの翌朝,東の空に見えたんだが,この先,どうなるのかは神仏のみぞ知るところか? ドキュメンタリー番組 Piano to Zanskar を見る いきなりティンホイル・ハット被ってて草 ピアノは分解して手に持ったり、ヤクの背に乗せれば山道を行けるとのこと→ヤクでは無理(泣) やっぱり鉄フレームは重たい ラダックの街は道路拡張で埃っぽくなった... 225本の弦、120年前に締められたボルト、あぁやだ...(でも浪漫はある) トランス・ヒマラヤン・ハイウェイって50年も建設中なのね、あら大変 よかった、シンギ・ラ峠あたりのヤク放牧地は変なゴミ全然落ちてない() 近道は"タヒの道"、崩れかかった砂のつづら折りェ... ゴンマ村(幹線道路でレーの街と繋がっている)、こんな乾いた大地でも人は生きてるんだ 年寄り曰く必要なものを運ぶのは大変なので開発には賛成、上手く開発すべし いいカメラワークだけど、つづら折り真っ直ぐ降りてて何処が道か分かりにくいw 「如何に大きくて重いものか分からなかったのです」あなた方もヤクがどういう生き物か分かってなかったのでは? 「バイキング!」と叫びながら重荷の輿を運ぶとシェルパもやる気が続く(考案者はスウェーデン人) 辺鄙な場所を抜けて(薔薇の香る)人里に出ると楽園に見えるの分かる、特に飢えてる時はね 「新世界リンシェへようこそ」 リンシェの自然は完璧、環境学者もそう言っている 村の仏教学校は5ヶ月間、雪に閉ざされて入れない ピアノの組立に2日(→3日かかった)、弦は全てダメ(unique sound)になっているかもしれない... →これなら音には影響しない ジュレー : こんにちは 子供たち、英語分かるんだ...→欧米からくるものに憧れている いつも土埃を掃いたり水を飲むことに追われている... 帽子を脱いで立ったままお祈り ここ黄金の日日で佐吉がオルゴールに驚くところ デズモンド・オキーフ(声・宮本充)に捧ぐ 建物探訪っぽく 岐阜最古の寺、日龍峯寺(にちりゅうぶじ) https://youtu.be/SlISIyNp2KU 味のある仁王門 北条政子建立の多宝塔 千本桧(ひのき、霊木) 本堂(美濃清水) 豊臣を滅亡させた鐘のある方広寺 https://youtu.be/6wXPMHVN74w 旧方広寺の石垣 君臣法楽国家安康の鐘 姜維(きょうい)が立てこもった剣門関 https://youtu.be/jaY-bTSmQFc 蜀の桟道(さんどう)は怖い 防衛エリア「剣閣」 連弩(れんど)は逃げ上手にも出てくるかも? 天下第一関(楼閣) 剣門豆腐 花より団子、私の好きな言葉です 【知らなかった】意図せず祇園祭に遭遇した京都初心者が、爆売れしてる「ちまき」を興味本位で買った結果 / 初めての祇園祭 https://rocketnews24.com/2022/07/21/1659804/ > し、知らなかったぜ! >今まで見てきた、中に何かしら詰まった ちまき は、本来のものではなかったもよう。 >祇園祭の「ちまき」はドアの前に飾るなどするためのもので、破魔矢などと同じような用法のアイテムらしい。 オマケ 現代以上に多種多様だった平安時代の酒造り─ 熟成古酒の失われた100年<2> https://jp.sake-times.com/knowledge/culture/sake_g_lost-100years_02 >奈良県の春日大社では、酒造り専用の"酒殿"が建てられ、 >澄み酒・濁酒・粉酒(こさけ)・白酒・辛酒など、それぞれの詳細は不明ですが、 >実に多様な酒が造られていたようです。酒殿で行われる酒造りの様子を詠った歌が残っています。 >本歌「さかどのは ひろしまひろし みかごしに わかてなとりそ しかつげなくに」 >(酒殿は 広し真広し 甕越しに 我がてな取りそ 然告げなくに) >末歌「さかどのは けさはなはきそ とうねりめの もひきすそひき けさははきてき」 >(酒殿は 今朝はな掃きそ 舎人女の 裳引き裾引き 今朝は掃きてき) >現代の言葉に訳すと、本歌は >「酒殿はこんなに広いのよ。わざわざ近寄って来て、甕(かめ)の向こうから私の手なんか握らないでよ。好きだとも言っていないのに」、 >末歌は「今朝は酒殿の掃除をしなくてもいいよ。舎人女たちが着物の裳や裾を引いて、きれいに掃いてくれたから」という内容です。 >これらの歌から、腰ほどの高さの甕が何本も並べられた広い板敷の酒殿で、 >若い男女が仕込み作業に忙しく取り組む姿が目に浮かびます。 きぬかつぎ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8D%E3%81%AC%E3%81%8B%E3%81%A4%E3%81%8E >サトイモの1/3程度の位置に包丁でぐるりと切れ目を入れて蒸し、 >中央で皮をつまむと1/3だけを残して皮がするりと剥け、若いマツタケのような外観になる。 >この一部に皮のついた様子を、平安時代の女性の衣装「衣被ぎ」(きぬかづき)になぞらえて名付けたものである。 >後にきぬかづきが転じて「衣かつぎ」と呼ばれるようになり、「絹かつぎ」と表記される場合もある。 (中略) >千葉県市川市にある中山法華経寺参道の名物である。茹でた状態で販売されており、皮を剥いてから塩を付けて食す。 >中国浙江省寧波市奉化区は「奉化芋艿頭」(フォンホワ・ユーナイトウ)と呼ばれる大型のサトイモの産地であり、 >浙江料理のスープなどにもされるが、子芋を皮のまま茹でたり、蒸したり、焼いたりしてたべることも多い。 >寧波市周辺では「蝦醤」と呼ばれるシュリンプペーストに、醤油を少し加えたり、塩などを付けて食べることも多い。 たで酢と鮎の塩焼き https://japan-word.com/tadesu >蓼にはぴりりとした独特の辛味があり、焼いた鮎を食べる際、鮎の香りをより引き立てる調味料として用いられる 味噌玉で可愛く時短!味噌玉の作り方と保存期間、おすすめ具材 https://tokubai.co.jp/news/articles/1158 >味噌玉を作るメリットは主にこちらの6つ。 ・お湯を注ぐだけで簡単に味噌汁が作れる ・1食分ごとに冷蔵、冷凍保存が可能 ・冷凍すれば約1ヶ月の長期保存ができる ・手軽に持ち歩ける ・手作りなので安心 ・好きな具材で簡単に作れる >などなど。いいことがたくさんなのです。 >余裕があるときに作っておけば、毎日の朝食準備が少し楽になりますよ。 【東北旅行】世界遺産・平泉のレストハウスでグルメ!もち御膳と蕎麦 http://yumepyon.com/resthousegen-hiraizumi-iwate/ >もち御膳の内容は「あずき・あんこ餅」「なめこおろし餅」「ごまあん餅」「しょうゆ・あんかけ餅」 >「ずんだ餅」「お雑煮」と口直しのサラダ、漬物、大根おろしです。 (中略) >もちが6つも入っているので、少食な人なら食べきれないかもしれません。 >なかなかボリューミーなので、大食いな人でもそこそこ満足できると思います。 仏教世界にちなんだ草花って結構あるよね テンジクアオイ属 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f6/Rose_Geranium_-_cluster.jpg/800px-Rose_Geranium_-_cluster.jpg >バラを思わせる芳香を持つPelargonium graveolens は、ゼラニウム、ローズゼラニウム、 >貧乏人のバラ(英語:poor-man's rose)と呼ばれ、和名は「匂い天竺葵」。 >香水や香料の原料として昔から栽培されていた。 フウリンブッソウゲ(風鈴仏桑華) https://www.kagiken.co.jp/new/kojimachi/hana-hibiscus-schizopetalus_large.html >フウリンブッソウゲ(風鈴仏桑花)は、大型の五弁花に細く深い切り込みがあり、 >後ろに反っているハイビスカスの一種の非耐寒性常緑低木です。 >花柄は、下に長く伸びて、先端付近には筒状の雄シベがついています。 >花名は、風に揺れる姿が風鈴に似ていることから命名されました。 >フウリンブッソウゲ(風鈴仏桑華)の学名であるスキゾペタルス(schizopetalus)とは、ラテン語で、切れ込みのある花弁という意味です。 >また、別名である、コーラル・ハイビスカス(Coral Hibiscus)とは、花色や形がサンゴに似ていることからつけられました。 仏手柑/ブッシュカン/ぶっしゅかん:来歴や特徴と産地や旬 https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/Busyukan.htm >この異様な形をした果実はミカン科ミカン属の一種で、 >シトロンの変種とされユズなどと同じ香酸柑橘に分類されています。 >原産はインドの東北部とされ、果実の先端がいくつも分岐しまるで指のように伸びるので >「仏様の手」を思わせるというのが名前の由来だそうです。 >この柑橘は見た目の特異さと香りの良さから観賞用として、 >また、縁起物として活け花や正月の飾りなどにも用いられています。 ガンダムファイトみたいなところで治まらないかね... 土俵上でも「ロシア対ウクライナ」あるか 狼雅と獅司、大相撲春場所で対戦する可能性 https://www-zakzak-co-jp.cdn.ampproject.org/v/s/www.zakzak.co.jp/article/20220228-MEE35KIQIJIDHND2FOJTSKAOQU/?amp_js_v=a6&_gsa=1&outputType=amp&usqp=mq331AQKKAFQArABIIACAw%3D%3D#aoh=16472534161410&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&share=https%3A%2F%2Fwww.zakzak.co.jp%2Farticle%2F20220228-MEE35KIQIJIDHND2FOJTSKAOQU%2F > 狼雅はロシアのトゥヴァ共和国生まれだが、モンゴルのウランバートルで育ち、15歳で鳥取城北高に相撲留学。 >2017年高校総体個人決勝で、日体大柏高の今場所新小結の豊昇龍を破って、外国出身初の高校横綱になっている。 >ここ1年は幕下上位に定着。 >今場所、下の名前を「力」から、鳥取城北高の石浦監督と同じ「外喜義」(ときよし)に改名し十両昇進を目指す。 > 獅司は首都のキエフから南に約550キロ離れたザポリージャ出身。 >一昨年春場所が前相撲で、一気に番付を駆け上がった。 >昨年7、9月場所に対戦があり、いずれも狼雅が勝っているが、今場所も番付が近いのは運命的なものがある。 >取組が組まれれば、大きな注目を集めることになりそうだ。 写真で見る100年前と現代のモンゴル https://jocr.jp/raditopi/2022/03/31/420307/ 活仏皇帝の黄金宮殿、ウランバートルのヒップホップ文化... クリストファー・ハーディ× 寺田亮平 × ファルコン ~ワールドミュージック・スペシャル・セッション https://tuvanikki.exblog.jp/page/3/ >ハンドドラムのスペシャリストとして多くのトップ・アーティストと共演し、ジャンルを超えて幅広く活動しているクリストファー・ハーディ。 >アコースティック・ギターにエフェクターをかけた空間的な音作りによる独自の奏法が話題で注目を集めるギタリストのファルコン。 >トゥバ共和国の民族音楽を長年現地で学び続けている喉歌( のどうた )のスペシャリストである寺田亮平というユニークな3人によるスペシャル・セッション。 >なかなか無い機会なのでお見逃しなく! オマケ 「着物が着たい」盲目のモンゴル人留学生が願い続けた 18 年越しの夢(前後編) https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93866?page=3 >周囲から「着物を着る人」と認知されるようになると、たとえば「母の着物をもらってくれない?」と着物の方からやってくる。 >あるいは、「息子の入学式でこのコーデは大丈夫?」「浴衣選びに付いてきて」など、着物がらみの相談やお誘いを受けることも増える。 >「着物は着物を呼ぶ」。これは着物をたしなむ人なら、多かれ少なかれきっと誰もが実感することだと思う。 >サムライに憧れるモンゴル人留学生ダグワさんとの出会いもまた、着物がたぐり寄せたご縁の一つだったのである。 (中略) >いよいよ当日を迎えて対面だ。 >「はじめまして、ダグワと申します」 >ずっとディスプレイの文字だけで会話していたので、声を聞くのも互いに初。 >ダグワさんは身長 178センチ、すらっとしていて、ずばりかっこいい。 >そして、思った以上に喜ばれたのが、前夜に作っておいたモンゴル語での歓迎ボードだった。 >作り始めてから「あ、これじゃダグワさんが読めないじゃん」と、急遽エチレンボードで文字を立体にしたものだ。 >これを、ダグワさん以外の二人もたいそう喜び感謝してくれたのだった。 >鈴木さん曰く、「出来が良い悪いじゃなくてさ。これを作ってくれたっていうこと自体に『歓迎』の心を感じるんだよ」。 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93890?page=1&imp=0 >――なぜサムライに憧れるように? >「子供のころ、モンゴルの古代の戦士たちが描かれた本に夢中になって、弟としょっちゅうチャンバラごっこのような遊びをしていました。 > 勇敢な剣士に憧れるようになったベースはそこにあると思います。でもやはり影響が大きかったのは、テレビで放送されていた日本のアニメや映画ですね。 > 子供の頃は『ドラゴンボールZ』に夢中でした。特に感銘を受けたのは、10歳のころに観た映画『ラスト・サムライ』。 > まず立ち振る舞いがエレガントであること。そして常に自らを律して、一度これだと決めた意思を貫くところ。 > 勇敢さと優しさが伴ってこそ、人としての美しさがそなわる、それが真の英雄だと感じたのです。 > 現代を生きる私も、そのようにありたいと目指す、お手本になりました。 >――なんだか耳が痛いですが、着物に興味を持ったのもそこから? > はい。まず純粋にフォルムがかっこよかった。 > さらにサムライの動作や精神にも着物が影響しているのかなどの興味も湧いて、いつか着たいと夢見るようになりました。 > 日本には1年半前に来ましたが、あいにくコロナ禍で日本人と知り合う機会も少なく、 > 本物の着物をどうすれば体験できるのか手がかりすらわかりませんでした。だから今日は嬉しくてドキドキです。」 (中略) >―――着物を着てみて、どうでしたか? >「背中がまっすぐに立ち、腰が落ち着いて、それが精神にもつながるような気がしました。 > サムライもそうだったのかなと感じましたよ。それに、着物は私に似合っていたと思います(笑)」 >そして彼は、友人があの日の写真をもとに作ってくれたという音楽付きのスライドショー動画を見せてくれた。 >自分では見られないはずなのに、すごく嬉しそう。 >「あの日は本当に幸せでした。 > 着物を通して日本人の温かい親切心に触れられたこと、私も家族や友人たちもそれを喜んでいるのです」 モチーフにも内から湧き出るオーラみたいなものがあるんだろうな 不動明王の十九の特徴 ~ その⑰ 光背の「迦楼羅炎(かるらえん)」 ~ http://fukagawafudou.jugem.jp/?eid=2913#gsc.tab=0 >迦楼羅とは、インド神話に登場する口から火炎を吐く霊鳥「ガルダ」を意味します。 >仏教では、お釈迦様に教化され、私達の煩悩を喰らい、仏法を守護する天部神として尊ばれています。 >お不動さまの火炎は、迦楼羅の吐く炎そのものの姿であることから、不浄なものを焼き清める炎とされています。 >一説によると、お不動さまが酉歳(とりどし)の守り本尊であるのは、迦楼羅という霊鳥に起因していると云われています。 阿弥陀仏が口から出ている空也上人立像、どうやって運んだ?特別展 「空也上人と六波羅蜜寺」輸送担当者に聞く「展覧会の裏側」第2回 https://artexhibition.jp/topics/features/20220428-AEJ760416/ > —「空也上人立像」は口から出ている6体の阿弥陀仏の部分をどう梱包したのかが気になります。 >徳山 >「空也上人立像は、六波羅蜜寺以外の寺にもこれと似た像があって、他の寺院のものを運んだことがありますが、それらの像は阿弥陀仏の部分が脱着式でした。 > ところが、 より古い六波羅蜜寺の空也上人立像は取り外せないことが難題となりました。 > 針金の部分は見た目では強度が分かりづらいので、いつも以上に振動を抑える必要がありました。 > 梱包材は和紙と綿布団でほかの仏像と変わりませんが、阿弥陀仏の部分についてはとにかく、振動が伝わらないような包み方を心がけました」 (中略) >——仏像はどのように梱包するのですか? >村井 >「基本的に仏像に直接触るところには『薄葉紙』という和紙をあてています。 > 中性紙なので素材に優しく、書道などで使う和紙に比べると腰のある素材で、 > 丸めるとフワフワとしたボールのような形になります。 > これを貼り付けて緩衝材にした上で、周りを綿ぶとんで包みます。 > 天然繊維の綿なら化学反応も起こりませんし、湿気を吸ったり吐いたりしてくれるので管理しやすいという利点があります」 >徳山 >「それから包んだ仏像を木枠に留めます。 > 木枠は木を切るところから運ぶものに合わせて、私たちの支店で一体一体手作りしています。 > 昔の人の言葉に『段取り八分』なんて言葉もありますが、この木枠がうまくできているかどうかで現場での仕事の良し悪しが決まります」 文物の儀 是に備われり 日本国創成のとき ~ 持統女帝編 https://youtu.be/wsdcGfCTsso 立場といい女優さんの顔立ちといい、今年の政子を思い出さなくもない もはや近代史より古代史の方がユーリカ的なモノは得られるような...(個人の感想です) 中国・三星堆、祭器が続々出土 洗練された意匠、古代史の新発見 https://news.yahoo.co.jp/articles/e99d9224781f3d6828bdfec9c1117e448ea0b241 >長江上流にある三星堆は1986年の調査で新たな古代文明として注目を集めた。 >今回さらに1万3千点もの祭器などを発掘、一帯が広大な祭祀施設だったことが浮かび上がった。 ナイロビは直ぐソコかもしれん... 20時に奈良駅にいたのは? 「夜遊びでもしてたのかな」 https://grapee.jp/1140733 >3頭のシカがいたのは、奈良駅前!しかも、20時と遅い時間帯です。 >「これからどうする?」と、この後の行動を話し合っているように見えますね。 >シカを目撃した同ホテルによると、コロナ禍以降、シカたちは食糧である草を求め、奈良駅近辺にも足を運ぶようになったとのこと。 >しかし、普段は早朝や日暮れまでの時間帯にシカを目にしていたため、同ホテルは「この時は少し驚いた」と振り返っています。 動物の集まる日吉神社(米子市) https://youtu.be/lvYthHnOukg 森の中にあって動物の痕跡が付くのを、被害と呼ぶのも何だかなぁ(保全の観点からはそうなるだろうけど) これで埋める様子が記録されでもしたら笑うところだが、多分有ったんだろう 奈良時代の遺跡から九九の木簡 https://youtu.be/P6fN9NH7GPk オマケ 縄文時代から伝わるミシャグジ様 https://youtu.be/UcNSFz6-JOA 木(シム)や石(タシ)に降りてくる神様か 神人供食は逃げ上手にも出てきそう こんなご時世だし、問いかけもするわな 宗教とアニメを考察『輪るピングドラム』『銀河英雄伝説』『機動戦士Vガンダム』が問いかけるもの(藤津亮太) https://qjweb.jp/journal/74023/ 聖なる炎といい、自己犠牲の蠍の炎といい、破壊力がある以上に当事者達を劇的に分断させてるような... (つまり「解放」には至らず新しい箱に入ってしまう) 確かに敬虔な信徒ではなかったような...w ↓ >どうして地球教徒がそのような戦略を取らなかったかを考えるとき、 >地球教におけるNo.2のド・ヴィリエが、信仰への意識が低く、 >むしろ政治力や権謀術数に長けていることで出世した人物だったことが理由として想像できる。 >ド・ヴィリエ自身がかなり世俗的な人間だったがために、自分たちの最大の武器が「思想」であることを見失わせ、 >底の浅い陰謀を巡らす道を進んでしまったのではないか。 >もちろんそれは銀河帝国にとっても、自由惑星同盟にとっても幸運なことではあったのだけれど。 こうやって読むと、終盤のタシロの武闘派ムーヴはカガチの示した父性が過激な形で発露したとも取れるか... 野合って言い方w(そうなんだろうけれど) 神や仏、あるのかねぇ... 江戸時代の物流を支えた主要街道 入り口に建立された“六地蔵”とは https://dot.asahi.com/dot/2022041300091.html?page=1 > もちろんこの他にも主要街道は整備され続け、江戸時代の物流を支えていたのである。 >このような時代背景の中、街道を守護する仏さまを奉納する人物が現れた。 >深川に住む正元というお坊さまが、地蔵菩薩への病気平癒がかなったことから、街道入り口に地蔵菩薩を建立することを発願、 >14年をかけて六体のお地蔵さまを奉納した。 >ちなみにこれは京都六地蔵を模してのことだという。 >京都六地蔵は、平安時代の貴族・小野篁が彫ったとされる地蔵菩薩を、 >疫病対策として平清盛が街道口に建てた六角堂に置いたものと伝わっている。 >こちらは奈良街道、大坂街道、丹波街道、周山街道、鞍馬街道、東海道の守護となる。 >蛇足ではあるが、小野篁は昼は朝廷で働き、夜は地獄で閻魔大王の仕事を手伝っていたという伝説を持つ。 >地獄に落ちた人の魂を救う仏である地蔵菩薩とは、縁の深い人物といえよう。 (中略) >残念ながら、最後に建立された永代寺のお地蔵さまは、明治時代の神仏分離令による廃仏運動の最中に廃寺となり、仏像も取り壊されている。 >現在、江戸六地蔵は5体と1つの跡碑をめぐる旅となってしまった。 川中不動 https://showanomachi.com/spots/detail/156 >天念寺の前を流れる長岩屋川の中にある、巨岩に刻まれた不動三尊の事を川中不動と呼びます。 >1.7mのコンガラ童子とセイタカ童子を両脇に従えた主尊の不動明王は高さ約3.7m。 >大雨の度に氾濫していた長岩屋川の水害除けとして刻まれたものだと伝えられています。 巨大四面仏塔で有名なアンコールトム、何とその数50以上! https://www.travel.co.jp/guide/article/4901/ >巨大な観世音菩薩の四面仏塔は49塔。 >南大門、西大門、北大門、勝利の門、死者の門に5塔。計54塔あります。 >それぞれに表情が微妙に異なり、見る角度によってもまた違ってみえるから不思議。 >たくさんの四面仏の中から、あなたのお気に入りをみつけましょう。 なんだかなぁ ネパールのトラが13年間で約3倍に、ただし住民の犠牲者も増加 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/080200353/?ST=m_news > 中国をはじめとするアジアの国には、伝統的にトラの骨を漬け込んだ酒を飲めば、この動物の強さが得られると信じる人がいる。 >現在、カンボジア、ラオス、ベトナム、中国南部には野生のトラはいない。 (中略) >国立公園の周辺で暮らす人びとの多くは、今も燃料にする木材など日々の生活に必要なものを森林から得ている >と話すのは、世界自然保護基金(WWF)ネパールの野生生物プログラムを統括するカンチャン・タパ氏だ。 >政府や環境保全支援団体は、そのような人びとが生計を得るための代替手段を提供することに、もっと力を入れるべきだと訴える。 オマケ 断崖絶壁に建つ絶景パワースポット!タクツァン僧院の登頂レポート https://www.tabikobo.com/tabi-pocket/asia/bhutan/article2626.html >この国に仏教を広めたと伝えられるパドマサンバヴァが、虎の背中の上に乗って飛んできて、 >ここで瞑想したという伝説から「虎のねぐら」という意味の「タクツァン」という名が付きました。 (中略) >タルチョの中に馬が書かれているものもあるのですが、 >これはこの馬が風に乗ってお釈迦様の教えを遠くまで届けてくれますようにとの願いが込められているそうです。 修行僧も刺激には不自由しないようで... 伊崎の棹飛び https://youtu.be/3DiOw58E9l8 永明寺の金言 https://youtu.be/_jQqxShYUx4 呪術バトル!密教の調伏法 https://youtu.be/QeCQnqvoS1I 中期が日本、後期がチベットってところで双方の外観から変わってしまったのかも? 宿曜 : 占星術のようなもの、病気の治癒にも使えるとか フランクリン・ルーズベルト呪札とは興味深い(紺碧の艦隊では完全に悪役扱いだったね) 近所のスーパーのカバロチーズ売り場が無くなっていた 一時期は乳製品が余ってよろしくない、くらいの状況だったのだが 時勢の移り変わりは激しいように見える オレーシキ(クルミ型クッキー)、ロシア人スパイのコードネームにないだろうか() tps://img2.animatetimes.com/2022/07/62ca6b5bbb7ec_755e217252096b2e2f20b3e0e1fc13a6.jpg ブディストは不良、はっきり分かんだね(ベッケナー) タイ伝統の宗教テイストなタトゥ「サクヤン」 tp://www.zaeega.com/archives/54522776.html > サクヤンはタイ語でサック(入れ墨する)、ヤン(護符)という意味となるそうで、 >まさに体に永遠に消えない護符を得た状態となります。 >アンジェリーナ・ジョリーがサクヤンを左肩甲骨に入れたことから、一躍世界中で注目を集めるようになったとも言われているそうです。 倶利迦羅紋紋/くりからもんもん https://gogen-yurai.jp/kurikaramonmon/#: ~:text=%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%82%E3%82%93%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%8F%E3%82%8A,%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%A7%E8%A1%A8%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82 > くりからもんもんの「くりから(倶利迦羅)」は、サンスクリット語「Kulika(Kulikaraja)」の音写で、 >不動明王の変化身「倶利迦羅竜王」のこと。 >倶利迦羅竜王の形像は、火炎に包まれた竜が岩の上に立った宝剣に巻きつき、呑み込もうとしているさまで表される。 >くりからもんもんの「もんもん(紋紋)」は、模様の意味の「紋」を重ねた語か、 >火炎に包まれた竜から「燃え燃え」の意味といわれるが、前者の「模様」が語源であろう。 >本来、くりからもんもんは倶利迦羅竜王の入れ墨を指す語であるが、 >背中一面に彫られることから「大きな入れ墨」についても言うようになり、そこから、単に「入れ墨」も言うようになった。 >「入れ墨」を指して「もんもん」と言うのも、「くりからもんもん」からである。 草廬三顧(そうろさんこ) : 立場が上の人が礼を尽くして、すぐれた才能のある人を招くこと。 または、立場が上の人が、立場が下の人に礼を尽くして仕事の依頼をすること。 草莽崛起 >吉田松陰が弟子たちに送った書状の中に「草莽崛起」という言葉がある。 >「民衆よ、立ち上がれ!」という意味だ。 >マスコミを賑わす政治家の「言葉の軽さ」を見るにつけても、松下村塾を開き維新の逸材を育てた松陰の「言葉の力」は凄いと思う。 >松陰が29歳で刑死するまで書き送った書状は600通も残されている。 >高杉晋作は193通、坂本龍馬は139通。 >松陰も晋作も龍馬も短い生涯だったが、幕末の動乱期を炎のごとく生き、 >近代日本の扉を開けた“筆まめ”たちの発信力には驚かされる。 >松陰は、久坂玄瑞らに宛てた手紙の中で「一言する時は、必ず温然和気、婦人好女の如し。是れが気魄の源なり」と。 >松陰には過激、蛮勇といったイメージを抱きがちだが、実は温厚で、女性のような優しさと落ち着きを持ってしゃべる人だったという。 >本当の言葉の力、発信力とは何かについて考えさせられる話だ。 草船借箭の計(そうせんしゃくせんのけい) > 孔明は、敷き詰めた藁に相手の矢が刺さるように方向を変え、見事、矢を10万本手に入れたのだ。 >これを、『草船借箭の計』と言う。 >そしてその後も、二人の軍師を中心に、幾多の『罠』や『戦略』を駆使して、同盟を組んだ二国は、『魏』を返り打つことが出来た。 草燃える 今日の3曲 Lavan - The Sayeviour tps://youtu.be/Rf1h3Io3WFE マジカルなハウス曲 Sammy Burdson - News Background tps://youtu.be/Wwcl_1gz7zM 真相に近づいていく感じ(昭和風) Chingon - Malaguena Salerosa tps://youtu.be/YFAi7wMVN94 ハスキーなフラメンコの曲 何だかなぁ 中国の歴史的な木造の橋が焼失 900年前に完成の“宝” tps://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E3%81%AA%E6%9C%A8%E9%80%A0%E3%81%AE%E6%A9%8B%E3%81%8C%E7%84%BC%E5%A4%B1-900%E5%B9%B4%E5%89%8D%E3%81%AB%E5%AE%8C%E6%88%90%E3%81%AE%E2%80%9C%E5%AE%9D%E2%80%9D/ar-AA10qPum > 中国の国営メディアによると、6日夜、福建省に架かる橋が炎上した。 >橋の長さは98メートル。 >中国で最も長い、木で作られたアーチ橋。 >完成したのは、およそ900年前で、日本でいうと平安時代のころ。 >くぎを1本も使わない方法で作られていて、中国の重要文化財に指定されていた。 >300年ほど前にも、火災で焼け落ちたというこの橋。 >地元の宝だったが、無残にも炎に包まれ、出火からおよそ1時間半後に消し止められた。 >地元当局が、火災の原因を調べている。 妙尊寺の本堂ほぼ全焼、線香の不始末か tps://youtu.be/FSOU1W77Z68 コメント欄にあった和光院の火災(2008)も気になるところ 田舎に涼む 日本の絶景10選 https://youtu.be/HZvyOxhrTWQ 天空の茶畑(岐阜) 瀞峡(どろきょう、和歌山) 大王わさび農場(長野) ワルミ大橋(沖縄) 伊吹山(滋賀) 西野放水路(同上) 竹生島(ちくぶじま)法厳寺 あらぎ島(和歌山、田園風景) 白川郷(岐阜) 押戸岩(熊本) 滋賀が多すぎると滋賀県民に言われてら 仏教圏の図形を見る スリランカの遺跡に刻まれた円形図「サクワラチャクラヤ」の謎! 古代スターゲイトか、宇宙の秘密を記述か? tps://tocana.jp/2022/08/post_239150_entry.html > サクワラチャクラヤ(シンハラ語で『宇宙サークル』)は水平線と垂直線を使用して分割された7つの同心円で構成され、 >円の中には、凧・波線・円筒形・弓矢、さらには傘に似た形態の描写がある。 >また、他のサークルには、タツノオトシゴ・カメ・魚の姿も描かれている。 >こうした描写はアヌラーダプラが栄えた時代の彫刻には見られないものであるという。 >サクワラチャクラヤは何を示し、何の目的で描かれたのだろうか。 【探訪】長野・小布施「北斎館」 肉筆で描かれた北斎の「浪」の大迫力! この土地ならではの傑作を楽しむ tps://artexhibition.jp/topics/news/20220720-AEJ881751/ > 中でも注目したいのが、鴻山が私財を投じて制作したといわれる「上町祭屋台」と「東町祭屋台」。 >この屋台の天井を飾るのが、北斎が描いた「男浪」と「女浪」、「龍」と「鳳凰」である。 > 118cm×118.5cmの桐の板を支持体として、二面一対のセットとされているこれらは、実際に間近で見ると驚くほど大きく鮮やかだ。 >この時北斎は80代半ば。全く年齢を感じさせない力強く生々しい筆遣いは、まさに「画狂老人」の名にふさわしい。 > 東町祭屋台は唐子や陰陽思想をモチーフにした中国風、上町祭屋台は当時人気のあった「水滸伝」がモチーフとなっており、 >天井画以外の装飾も北斎のカラーがよく出ている。 >屋台は全体をぐるりと見て回ることができるので、細かいところまでじっくり鑑賞したい。 浮線綾文様について tps://costume.iz2.or.jp/column/474.html > 大根屋さんで織られていた織物の文様は、有職文様の代表的なもののひとつ、「浮線綾(ふせんりょう)」。 >唐花を円形の中に四方八方に割りつけたような図柄です。この文様は「臥蝶丸(ふせちょうのまる)」と呼ばれることもありますが、 >「浮線綾」とするのが一般的。 >モチーフの唐花を桜や菊に変えて「浮線桜」「浮線菊」とするように、数多くのバリエーション展開が後世に生まれています。 >浮線綾文様についてご紹介して参りましょう。 >>152 に続いてトルコのクマ事案 幻覚作用のあるハチミツで酔っ払ったクマを保護 https://youtu.be/OLVd8hMh5Pk Anzer Baliといいマッドハニーといい、ハチミツの世界は奥が深い 中 国 は ケ ン タ ッ キ ー 州 の 1 部 だ https://youtu.be/oy0H9Z2IrB4 もう許してやれよw 壇ノ浦の戦いに「自衛隊のような船」写り込み 大河サイトにまさかのミス...NHKが修正対応 tps://news.yahoo.co.jp/articles/148bd2270441ad7da2193c81aee60fedd757ed90 > NHKの広報局は8月15日、J-CASTニュースの取材に対し、写り込みを認めて次のようにメールで回答した。 >「5月8日放送の『壇ノ浦で舞った男』(第18回)を紹介するホームページの画像に編集ミスがありました。 > その後、修正して公開し直しました」 > 5月8日の放送ではどうだったかについては、 >「放送では船の映り込みはありません」と否定した。 オマケ 仏壇にお供えする花 適さない種類と理由は? 飾り方や本数のマナーをプロが伝授 tps://news.yahoo.co.jp/articles/5370a9c00516bb116c1bab30517ae2fe9533ccde 香りの強いもの、トゲや毒があるもの、蔓を伸ばすものは避けるべし 大した国柄だよ 拘束の理由「浴衣だから」警察が女性を連行...中国 tps://youtu.be/NRMORxBh_KA 5時間拘束され浴衣も没収されたとのこと オマケ ロシア人デザイナーが再解釈して生み出した新たな民族衣装7選 tps://jp.rbth.com/lifestyle/84857-roshia-designer-sai-kaisyaku-shita-minzoku-isyou-7 ドゥシェグレヤ(心を暖めるもの)、ルバーハ(男性用長袖シャツ)、サラファン(女性用ジャンパースカート)以外は大体地味な方に落とし込んでいる模様 ツイフェミ等の拡大解釈が濫用されない限りは、あらゆるバリアフリーの実現を願う 「手術痕を気にせず温泉楽しみたい」 乳がん患者の専用入浴着に理解を tps://news.yahoo.co.jp/articles/3a781b29e3f15c7e3e07071e1e0f0703564f3851 > さまざまな種類の入浴着が売られていると知ったのは、乳房の再建手術後だった。 >デザイン性に富んだものから、使い捨ての安いものまであり「再建前に知っていたら使っていたかも」と思った。 > 藤本さんは現在、がん患者やその家族を支援する市民団体ポポメリー(山口市)の代表を務める。 >アピアランス(外見)ケアの一環で入浴着を広めようと6月、山口県美祢市であったイベントで入浴着を展示、販売した。 >来場した45人に入浴着を知っているかアンケートしたところ「知っている」と答えたのは10人。 >「患者でも知らない人は多い。入浴施設で手軽に購入できるようになれば」と願う。 (中略) > 乳がん経験者でつくる静岡市の任意団体「入浴着普及委員会 bath to ♡(バストラブ)」は、 >入浴着の紹介動画を作ってSNSで発信し、患者と一緒に入浴着で温泉に入る催しを開いている。 >増田郁理(かおり)代表(44)は >「使うかどうかは本人の自由だが、選択肢は多い方がいい。 > 思春期や性的少数者で胸を見せるのに抵抗がある人も気軽に付けられるアイテムになれば」 >と願う。 > ポポメリーの藤本さんは、温泉施設に使い捨ての入浴着を置くよう働きかけている。 >また人工肛門・ぼうこうを付けていたり、乳がん以外の手術痕があったりする人も使える男女兼用の入浴着を作りたいと考えている。 >「行くことを諦めていた人が戻れば、温泉街の活性化にもつながる。 > 理解が広がり、抵抗なく入浴できる社会にしたい」。 オマケ 左足を失った中国人男性 リアル「アイアンマン」に tps://www.afpbb.com/articles/-/3405139 > 市販されている義足の性能に満足できなくなった梁さんは、ライトやサスペンションを改良し、 >充電ポートを取り付けるなど、義足のデザインに着手しました。 >梁さんにとって義足は、歩行するためだけの道具ではなく、格好よくなければなりません。 >「同じことに遭遇した人々が自分の姿を見て、一日も早く不愉快な経験を乗り越えて素晴らしい生活を迎えられるようになれば」 >と梁さんは話しています。 > 梁さんは現在、義足の研究に没頭しています。 >より多くの身障者が安全で安価な義足を使えるようになることが梁さんの願いです。 >梁さんが研究開発した義足はほぼ完成し、現在、試着を行っています。 >梁さんは義足研究室とも連携して、使用中のデータや感想を提供するなどして、義足の研究開発に力添えしています。 TMS治療(経頭蓋磁気刺激)を受けた男の話 tps://youtu.be/HMv-Qq_S3iQ アスペルガーの夫(他人の気持ちが分からない)×うつ病の妻(相手の悪いところがよく見える) こういう絆もあるのか ⇔ We Got Telepathy https://youtu.be/MobpumCR2SE 脳内BGMはGODIEGOのSilk and Spiceで 消えゆく伝説の茶馬古道を歩く、中国の少数民族の村が残る奥地へ https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/041300169/?ST=m_news > 馬と茶以外にも、手漉き紙、絹、翡翠、アヘン、黄金、塩などあらゆる交易品が、 >中国各地から、東南アジア、さらにはインド北部の市場まで、ラバやヤク、人の背に乗せて運ばれた。 >ネパールでは標高4500メートルの雪山を越え、ミャンマーでは熱帯雨林のトンネルをくぐり抜けた。 >先頭を行く動物たちは、鮮やかな赤い房や鏡、鈴で飾り立てられた。 >商人たちは、携帯していたマスケット銃で山賊と戦い、仏教を広め、何週間も、何カ月も、時には何年もかけて旅をした。 とりあえず5chの荒らしやそれ以下にならなきゃ、伸び伸び育っていいよ 1300年の歴史ある古刹「ひさいの観音さん」 三重・津市で千手観世音菩薩立像ご開帳 tps://news.yahoo.co.jp/articles/b0b80f56cb7790a9fba28e84e66afe7834860ec5 > 江戸時代、子どもに恵まれなかった中御門天皇が >寺の住職を京都御所に招いて祈願したところ、翌年正月に皇太子が誕生したという逸話が残っています。 > 境内には茅の輪も設けられ、参拝者らが無病息災を願う光景も見られました。 >賢明寺では、3年ぶりとなる夏祭りが、きょう18日まで開催されています。 オマケ 方広寺鐘銘事件 tps://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=805 > ところが七月十八日に家康から開眼供養と堂供養の分離案が出され、 >ついで同二十六日、鐘銘と棟札の文章に疑義ありとして供養の延期を命ぜられた。 >特に、鐘銘の中の「国家安康」「君臣豊楽」の二句がヤリ玉にあげられ、 >安の一字で家康を分断した上、豊臣を君として楽しむとの底意が隠されていると難詰、 >銘文を草した禅僧文英清韓と且元が弁明のため八月十三日駿府へ赴いたが、全く耳をかさなかった。 (中略) >なお、この事件の原因となった巨大な梵鐘は、明治十七年(一八八四)建立の方広寺鐘楼に納められて現存している。 なんか和むね お寺の掲示板の名言集「仏の顔は何度でも」ほか15選 住職に聞く心に染みる言葉選びの秘訣 tps://news.yahoo.co.jp/articles/f6ee207c8b33790020af4ffcb93d075b7dd1c189 >「前職がサラリーマンだったのですが、当時ある寺で、アントニオ猪木さんの名言 > <人生に花が咲こうと咲くまいと生きていることが花なんだ。生まれてきたことが花なんだ> > を標語にして貼り出している掲示板を見て、心を打たれたんです。 > 仏教の難しい言葉よりも、著名人の言葉の方が誰もがわかりやすいと実感。 > 2012年に親戚の寺を継いで住職になった際、標語を書くときの言葉選びでは、この“わかりやすさ”を意識するようになりました」(和田さん) オマケ ブッダの教え「絶対に付き合ってはいけない4種類の人、付き合うべき4種類の人」 tps://president.jp/articles/amp/49329?page=1 > しかし仏教は、そんな私たちに「孤独」に歩むことの大切さも教えているのです。 >『スッタニパータ』という経典の中に、次のような一節が説かれています。 >「われらは実に朋友を得る幸せを褒め称える。 > 自分よりも勝れ、あるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。 > このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め」 >ここでいう勝れた朋友とは、善友のことです。犀の角とは、孤独のことです。 >お釈迦さまは、修行僧に向かって「善友を求めよ」と説かれました。 >しかし善友が得られないのなら、「孤独に歩め」と鼓舞されたのです。 > 一見矛盾するような教えですが、ここに真理が説かれています。 >修行僧とは、高い志をもって道を成そうと歩む求道者です。 >寂しいからといって、寂しさを埋めたり、暇をつぶすために、他人と交われば、 >振り回されたり、甘えたり、頼ったりして、自立心や集中力を削がれ、目標を見失ってしまいます。 石の記憶、もはや地球の記憶とでも言うべきか? 中国太原の晋陽古城で隋・唐時代の磁器窯遺跡を発見 tps://news.yahoo.co.jp/articles/fc28394364be52387282b2039a2f0e0f09a9fd80 > 中国の山西省(Shanxi)考古研究院はこのほど、太原市(Taiyuan)の晋陽古城で隋の時代(581〜618年)から >唐の時代(618〜907年)の初期のものとみられる磁器窯の遺跡を発見したと発表しました。 >これは、これまでに山西省内で発見された中では最も古いものです。 「謎の石」大量発掘、人工的な切り込み跡 岐阜市の川岸、地元僧侶「武士の弔い用」推測 tps://news.yahoo.co.jp/articles/1593e6ddf2530cab69f9a4865b78bc8905170fb0 > 林さんは、さらに推測する。 >「加納城ができる前の時代、南東方向に川手城と正法寺があった。 > これらが廃虚になり、関ケ原合戦後の1602年、加納城を築城する時にここから石を運んだ。 > でも、供養塔などに使われていた石は忌み嫌われた。 > そのため、荷役に加わった村人たちが、乱闘橋の戦いの死者を弔うために持ち帰ったのではないか」 >と持論を語る。 夏井先生、10年前のキッズにとって彼は魔王に見えるんですよ... (ゆるキャラの全成も良かった) プレバト!!:夏井先生「お坊さんだよね?」 「鎌倉殿の13人」で話題の新納慎也に興奮 tps://mantan--web-jp.cdn.ampproject.org/v/s/mantan-web.jp/amp/article/20220824dog00m200028000c.html?amp_gsa=1&_js_v=a9&usqp=mq331AQKKAFQArABIIACAw%3D%3D#amp_tf=%251%24s%20%E3%82%88%E3%82%8A&aoh=16614170745497&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&share=https%3A%2F%2Fmantan-web.jp%2Farticle%2F20220824dog00m200028000c.html 5殴アだった頃が懐かしい https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_sp_entry/v1/user_image/58/9e/3e2b3a1d8b13d7a8c7ae3ad38e1196c5.jpg 喪われたものも多いようだが、一年戦争後だとどれほど残るのやら... 【探訪】「リアルな歴史」が匂い立つ――大倉集古館で企画展「合縁奇縁」が開幕 10月23日まで tps://artexhibition.jp/topics/features/20220822-AEJ951780/ > ホテルオークラの真ん前にある大倉集古館。 >今回の展覧会でまず目に入るのが、一階受け付けのすぐ前にある《如来立像》である。 >戦前に古物商を通じて入手したという石造りの立像。 >平安時代の仏像から横山大観の絵画まで、国宝3件、重要文化財13件をはじめとする約2500件の美術・工芸品を所蔵する同館だが、 >今回は「他人の集め得ない物をおおたばに、大づかみに集めた」中国伝来の文物、タイの美術品などを中心に展示している。 >「おおたばに、大づかみに」は今回の展覧会のひとつのキーワードなのだろう。 (中略) > 二階への階段を上ると、そこにあるのは中国の陶俑、清朝の染織、タイの仏像……。 >陶俑も関東大震災で被災し、その多くが失われてしまったという。 >戦前の中国では、墓所の副葬品だった陶俑は「少し気味が悪いモノ」としても見られていたようで、古物商などを通じ、容易に手に入ったようだ。 >《加彩駱駝》や《三彩馬》などの展示品を見ていると、その精緻な技術、豊かな造形力に感嘆するのだが。 >《三彩馬》は帝国劇場を大倉喜八郎とともに創立した横河民輔の旧蔵。 >仏像と並んでタイ王室から大倉家に贈られた工芸品も展示されている。 >経済人・文化人、アジアの貴人など、この時代の人のつながりも見えてくるのである。 > 陶俑の収集でも分かるが、大倉喜八郎は中国に対して多くの投資や借款を行っていたそうで、それに伴って収集した多数の文物も展示されている。 >「蒙古の鎧」や清朝の朝廷で使われていた《蟒袍(ピンイン)》などがそうだ。 >どんな人が着ていたのか。それはどんな状況だったのか。 >映画「ラスト・エンペラー」の一場面がアタマの中に浮かんできたりする。 オマケ 古代アートが視覚障がいがある化学者を助ける tps://news.yahoo.co.jp/articles/c5fc1305b903d1d2c11625758b8aa17b74a3d3c0 > 本来のリトフェインの利用法では、光を当てると2次元イメージになる、微細な3次元パターンを彫刻あるいは成形することが最終目的だった。 >しかし新しい研究では、どんな画像も3次元トポグラフに変換して3Dプリントするソフトウェアを使うことで、 >2次元イメージをより触覚的な形態へと変えるためにこの技法が用いられている。 >実験に協力した化学知識のある有志の視覚障害者たちは、こうして作られた触覚的科学イメージを理解することができた。 坊主にカレーを施すと太る(戒め) 施餓鬼でカレーを提供 インド料理店主がお寺に出向いて調理 https://news.yahoo.co.jp/articles/05b21db25d1eff8de56f562dea59b9a43dbccdba > 施餓鬼法要は、飢えと渇きに苦しむ餓鬼たちに飲食を与え、お経を唱えることで、故人や先祖の冥福を祈る仏事。 >長橋寺では以前、参列者に寺で昼食を出していたが、近年は弁当になった。 > 今年は仏教の開祖、釈迦が生まれたインドの代表的な食べ物、カレーを家で味わってもらおうと計画。 >越後住職(78)の友人で、京都市左京区でインド料理店「マーヤ」を経営するインド人のラフル・アグラワールさん(41)に調理を依頼した。 > ラフルさんは店で使っているターメリックやガラムマサラ、コリアンダーなどのスパイスを持参し、寺の厨房で調理。 >鶏肉のミンチやトマト、タマネギなどと一緒に4時間ほどかけて大鍋で煮込み、約30人分を作った。 > 施餓鬼法要には約20人が参列。 >法要が終わるとラフルさんが一人ひとりにパックに入れたカレーとライスを手渡した。 それはそれとして地球はいいところだしカレーは美味しい 遊牧民の定住に関しては未だに謎が多いんだとか(遊牧生活の終焉の方が早いかも?) 大都 tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%83%BD https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/be/Yuandadu_map.jpg > モンケ歿後のアリクブケとの後継者争いに勝利したクビライは、1267年に劉秉忠らに命じて燕京の城市の東北に接する土地に新たな都市を建設し始めた。 >大都の構造は、周礼の匠人営国の記載に則って構成され、南には宮殿と官庁街、北には市場が置かれる「面朝後市」など、 >中華帝国の帝都の理想形を模して作られた。 >こうした都城構成は、歴代中華王朝では一度も作られたことがなく、異邦人であるモンゴルが史上初めて実現させたものである。 >大都はこうした構成に見られる如く、純然たる計画都市として設計されたため、極めて整然とした構成美を持っていたとされる。 (中略) > 大都は、内陸の都市としては驚くべきことに、「積水潭」と呼ばれる海につながる都市内港を持つよう設計された。 >現在の天津にあたる直沽から通州を通る閘門式の運河(通恵河)が開削され、城内の積水潭に繋げられたため江南地方からの物資も水運により結ばれるようになった。 >このため、陸上輸送された時代に比べて物資の輸送量は飛躍的に増大し、 >海のシルクロードを通してさまざまな国際商品が大都にもたらされ、国際商業都市として空前の繁栄を極めた。 >大都には西方の旅行者・商人も多く訪れ、その繁栄ぶりは、イブン・バットゥータやマルコ・ポーロなどの旅行記でヨーロッパにまで伝わった。 (中略) > 1368年にトゴン・テムル・カアン(順帝)により放棄されると、明のもと大都は北平と改称され、 >規模を縮小されて、太祖洪武帝朱元璋の四男の燕王朱棣に与えられた。 >朱棣が靖難の変で帝位を奪い、永楽帝として即位すると対モンゴル政策の拠点として再び重視され、 >大都の3分の2程度の規模で北京が建設され、明の首都となった。 >永楽帝は元代の宮殿を徹底的に破壊し、その上に新たに紫禁城(現在の故宮博物院)を建設した。 >現在の故宮博物院の北にある景山は、このとき宮殿の堀を掘った際に出た余り土を積み上げて造られた、人工の山である。 オマケ 伎楽面 tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8E%E6%A5%BD%E9%9D%A2 > 伎楽は呉(中国の江南地方)から日本へ伝えられた仮面舞踊劇であり、滑稽な所作を伴うパントマイム(無言劇)であった。 >その起源については、使用される仮面の民族的特徴に中国人よりはアーリア系の要素が色濃くみられることから、 >西域(中央アジア)方面で発祥し、シルクロードを経て中国江南地方で完成されたものと推定されている。 (中略) > 伎楽は平安時代には衰退し、廃絶してしまったため、その所作やストーリーの詳細は不明である。 >天福元年(1233年)、興福寺の楽人であった狛近真が著した『教訓抄』によると、 >歯をむき出し、獣のような容貌の崑崙が卑猥な所作をしながら呉女に懸想するが、力士によって追い払われるといった、滑稽な筋のものであった。 万葉植物園 tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E6%A4%8D%E7%89%A9%E5%9C%92 > 多くの植物園では植物の和名の呼称と共に歌を掲示しており、観賞や観察し当時の詠み人を偲ぶことができる。 >万葉植物園は日本の各地にあり、宮城県黒川郡大衡村の「昭和万葉の森」のような総面積23ヘクタールにおよぶものもある。 >多くの場所は一般公開され100種から150種程度の草木を季節を問わず観ることができる。 >春日大社の「萬葉植物園」が日本で最初のものである。 宗教のモチーフなんか出てくると面白いかも 北京の箭扣長城で考古学的新発見 tps://news.yahoo.co.jp/articles/5d74ca14e39c9a6c22630fa5b2f4de87b73441ab > これまでに発掘が完了した約2530平方メートルの遺跡のうち、狼煙台の頂上部にある部屋の中から >明の時代の火炕(れんがなどの焼き物で築かれた台状の床暖房システム)や、かまどの跡などの生活施設の遺跡が初めて見つかりました。 >明代の国境を守る兵士たちの日常生活を復元する上でのよりどころとみられています。 > また、半円筒状や板状の瓦、瓦当(屋根の軒先を飾る円形の瓦)などの建築部材や弓矢などの武器、 >お皿や茶碗、はさみやシャベルなどの日用品といった貴重な文化財も数多く見つかりました。 >これらの文化財を通して、明の時代の兵士たちの生活の様子を知ることができます。 >残るエリアの発掘作業も進行中とのことです。 オマケ 祇園祭の見所~会所飾り tps://ameblo.jp/walovem/entry-12053591381.html > 祇園祭宵山期間中、各山鉾町の町会所では御神体や稚児人形、懸装品を公開する町会所飾りが行われる。 >長刀鉾の旧銅懸と稚児衣装 >稚児が稚児舞のときに使う鼓。 >鉦。 >金幣 >房 >御神体掛け軸 >長刀鉾油絵。 >歴代の稚児の写真。 >南観音山の金幣 >南観音山旧銅懸 >南観音山水引き >黒主山御神体 >鶏鉾稚児人形。 >鶏鉾見送り。 自然の在り方というものは... かつて大量に駆除されたバイソンが草原に戻ると植物種が86%も増える、30年かけて究明 https://news.yahoo.co.jp/articles/b9c92d879b31af10712f46cc12d9285f79038d19 > 暑くて、根気のいる、ダニだらけの仕事だが、とても重要な仕事だ。 >かつてトールグラス・プレーリーは南部のテキサス州の大部分から、さらにカナダ南部にまで広がっていた。 >それが今やかつての4%しか残っていない。 >腰から頭までの丈のイネ科植物、広葉草本、花を咲かせる草が支配するこの生態系は危機にひんしている。 (中略) > 草食動物がいない区画は、大部分がわずか4種の在来種の草に覆われていた。 >ビッグブルーステム、インディアングラス、スイッチグラス、リトルブルーステムの4種だ。 >しかし、バイソンやウシがこれらの種を刈り取ると、ほかの劣勢な植物が繁茂するようになった。 > 特に恩恵を受けたのはアキノキリンソウ属のリジッドゴールデンロッドだった。背が高く、花を咲かせる広葉草本だ。 >草食動物がいない区画では、この種を見かけることはほとんどなかったが、バイソンが放されている区画では、この種がたびたび現れた。 >同様に、バイソンの区画では、乾燥に適応した草がいくつか定着し、それまで見られなかった一年草も11種確認された。 > 1800年代半ば、米国には3000万〜6000万頭のバイソンが生息していたが、 >米国政府が先住民の重要な食料源を奪うためにバイソンを駆除し、1889年までに、わずか数百頭しか残されていない状況になった。 >今回の研究結果は、バイソンをかつての生息地に再導入するための継続的な取り組みが、先住民とその文化だけでなく、土地や自然環境にも多大な利益をもたらしていたことを示唆している。 (中略) > ラタジザック氏によれば、バイソンの草食は不均一な傾向にあるという。 >バイソンはある場所を踏みつぶし、根こそぎ食べる一方で、別の場所には手付かずの草原を残す。 >その結果、より多様な植物が繁茂する。一方、ウシはより整然と均一に食べる傾向がある。 >「また、バイソンはあちこちで土を掘り返し、沼田場(ぬたば)をつくります」とラタジザック氏は話す。 >泥浴びをして「地面を転げ回り、冬毛を落とす場所です。その結果、ほかの場所では見られない多彩な土壌特性を持つ、小さなホットスポットができあがります」 (中略) > バルデス氏によれば、バイソンは動物とその生存に必要な植物の生息地をつくることによって、 >チョウやサンショウウオ、爬虫類を育んでいるという。 >バイソンが分厚い冬毛を脱ぎ捨てると、その毛は鳥たちの巣づくりに使われる。 >「バイソンが放されている場所で、ミサゴが上空を飛ぶのを見たことがあります。 > ヘビを運んでいるように見えますが、実際はバイソンの毛の大きな塊を巣に持ち帰っているのです」 小道具を数点ピックアップ 行器(ほかい、シントコ) tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%99%A8 > 名称の「ほかい」は「ほかう」(祝う)の名詞形で、元来は神仏に食物を捧げる行為を意味し、 神饌を盛り付ける器だった。 > 時代が下るにつれて供物以外にも、野遊びなどハレの行事の折に食物を持ち運ぶ用途にも用いられ、「行楽の器」として「行器」の字が当てられた。 >さらに「ほかい」の音に「外に居る際の器」の意をかけて「外居」との当て字も生まれた。 >実際に持ち運ぶ場合は、脚に絡ませた紐で蓋を固定したうえ、天秤棒に結わえる。 (中略) イオマンテやイチャルパ(先祖供養)、チセイノミ(新築祝い)など重要な儀礼の際は >シントコを儀礼時の容器としてトノト(どぶろく)を醸造し、カムイに捧げた後に客人に振るまった。 >さらにシントコは宝物として贈答品、あるいはチャランケ(談判、裁判)で負けた者が賠償として払う品とされた。 >かつてアイヌの社会では、多くの漆器類を所有している家が >「猟運・商才に優れ、人望がある」富家と見なされ、特にシントコの数が家の格を示すものとされていた。 脇息(きょうそく) tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%84%87%E6%81%AF > 記紀では几(おしまずき)、奈良時代には挟軾(きょうしょく)と呼ばれた。 >正倉院に「紫檀木画挟軾」として伝わっているものが古形であり、 >使用法も身体の前面に置いてもたれかかるものだったが、平安時代以降は脇に置いて片肘をつくための天板光月型、 上部に綿を敷き布を張ったものも生まれた。材質には木製の他、紫檀や竹製が使われた。 >また平板には長方形のものの他、湾曲した形もあった。 >女性用として引き出しが付いた箱形の「寄懸(よりかかり)」もあった。 > 平板に四本脚を付けたものが典型的な形で、平板に綿を詰めビロードなどを張ったものがある。 >主に明治時代まで和室において使用された。 >時代劇などでは主に貴人(将軍、大名、貴族など)が上座にて使用する光景が見られるが、 >実際には私室で用いられ、公式の場に置かれることはなかった。 懸守(かけまもり) tps://kotobank.jp/word/%E6%87%B8%E5%AE%88-43937#:~:text=%E6%87%B8%E5%AE%88%E3%81%8B%E3%81%91%E3%81%BE%E3%82%82%E3%82%8A,%E7%9B%AE%E7%9A%84%E3%81%AF%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82 > 国内に仏教が行き渡って、女性の月水を穢(けがれ)と称して非常に忌み嫌う思想があった。 >その結果として女性にもまた周囲の人々にもさまざまなタブーができて、 >日常の生活が複雑になるにしたがってそのタブーが煩わしくなってくる。 > こんな際に寺社はその宗教を背景としてタブーの解説をし、その解決法として月水除(よ)けの御札を発行し、 >それさえ身につけていれば、従来タブーとされていた行為を免れると説いた。 >つまり、火をたいても、水をくんでも差し支えないというのである。 >女性はそれで解放されるのだから、進んで御守りを受け、小さな袋に入れて身の守りとして首にかけていた。 >寺院から出るものには血盆経(けつぼんきょう)などが印刷されていたので、 >安産の御守りを兼ねているものが多かったようである。 >この風習は明治時代に入ってからも続いていた。 諸行無常 森の中の「ロニ・ホーン」から。 tps://www.1101.com/n/s/josetu/pola/2022-07-25.html ガラスの鳥葬 オマケ 【探訪】仏様の姿に凝縮された信仰の移り変わり 悠久の歩みを感じる至福 「SHIBUYAで仏教美術」展 渋谷区立松濤美術館 小説家・永井紗耶子 tps://artexhibition.jp/topics/features/20220503-AEJ786699/ > 仏教が伝来したのが六世紀中頃。 >長い歳月を経て、日本の中で新たな解釈や表現がなされてきました。 >今回の展覧会では、その足跡がぎゅっと凝縮されていて、一歩、歩くごとに百年単位の時間と空間を渡っていくような面白さ。 > 密教は、修行を積んだ僧侶たちによって儀式が営まれます。その際に用いられたのが、曼荼羅。 >今回、展示されている大きな両界曼荼羅は、じっくりと眺めているうちに、その壮大な世界観に圧倒されるような迫力があります。 >ただ、密教の世界観は複雑で、分かりやすいか…と言われると、やや首を傾げてしまうところも…。 >当時の仏教が、極めて博識で身分の高い人々によって信仰されてきたのだろうな…と感じます。 (中略) そして同時に、「浄土」の逆に存在する「地獄」についての絵巻も見ごたえ十分。 >辟邪絵では、善神たちが鬼を退治する様が生々しく描かれています。 >密教の壮大な宇宙とは異なり、より身近な物語が、仏教の親しみやすさに繋がっているように思えます。 (中略) 仏像の姿も、長い時を経て変化を遂げています。 >飛鳥時代の観音菩薩立像は、エキゾチックな顔立ちで、体はしなやかな曲線を描いており、ほっそりとした佇まい。 >何処か「人」離れした雰囲気を持ち合わせ、私は、柔らかさや温かさよりも「畏れ」のようなものを感じました。 > でも、少し時代を経て平安時代になると、如意輪観音像に見るような柔らかいフォルムになり、ずっと傍らに寄り添っていたくなるような、癒しを感じます。 >更に鎌倉時代になると、地蔵菩薩立像のように骨格がしっかりとして動きまでも見えるような姿に。 「秘境ムスタン王国」の旅、新たな道路がもたらす変化 tps://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/122600762/?ST=m_news > ムスタン・アドベンチャー・トレック社の創立者、ツェワン・ビスタ氏によれば、ムスタンで観光業が始まったのは1992年のこと。 >「ムスタンは今とは全く違っていました。完全に外部と遮断され、孤立していました。 > ネパールの首都カトマンズの人々ですら、この土地を知らなかったのです」 > 観光業の発展は、トレッキング業者から料理人、商店の経営者まで、様々な住民に収入をもたらした。 >また外国人が訪れるようになり、地元の人々が伝統を復活させるようにもなった。 >「ムスタンにやって来た人々は、私たちの宗教に関心を持ちました。 > だから、これは守っていくべきと感じたのです」とビスタ氏は言う。 (中略) ムスタンをトレッキング中、私が最も印象を受けたのは音だ。 >馬に付けられた鈴、岩の上を吹きすさぶ風、小川を走り抜ける水。 >だが、歩き始めて6日目、他の全てを上回る音が耳に入ってきた。 >ブルドーザーの音だ。ムスタンと中国を結ぶ道路が建設中だった。「早く行こう」と、ノルゲイ氏は言った。 法難というのは身近ではないけど、こう各国の元首脳陣(というかリーダー)が相次いで亡くなると、不味いところに踏み込んだ感があるような 今年は、もうしばらく続くなぁ... 仏教遺跡を見る アフガンの大仏史料、複数盗難 バーミヤン遺跡、胎内経も tps://www.sakigake.jp/news/article/20220729CO0048/ > アフガニスタン中部の世界遺産バーミヤン遺跡でイスラム主義組織タリバンの旧政権が2001年に破壊した大仏立像2体のうち >東大仏から見つかった「胎内経」と「麻袋」が、昨年8月のタリバン復権直後に盗まれたことが29日、分かった。 >いずれも大仏建立の経緯解明につながる第一級史料。現在のタリバン暫定政権の情報文化省当局者ら、複数の関係者が共同通信に明らかにした。 バロックと仏教が融合したシベリアのもっとも美しい教会10選 tps://jp.rbth.com/arts/85345-siberia-barocco-mottomo-utsukushii-kyoukai-10/amp > イルクーツクは仏教国であるブリャーチヤと接しており、18世紀には中国との貿易が、この町を通過して盛んに行われた。 > 18世紀後半に建てられた豪華な赤レンガの教会(聖十字架大聖堂)はシベリア・バロック様式の顕著な一例と言え、この様式のすべての特徴を見てとることができる。 >中でも、仏塔の形を思わせる「炎のような」形がたくさん使われている。 > また、研究者らは、写真の右上端にあるようなテラコッタの丸い飾りは >ダルマ・ホイールのイメージが用いられているのは明らかだと指摘している。 一乗谷城 tps://jpcastles200.com/2022/05/12/037ichijodani01/ > 一乗谷は大いに繁栄しました。 >越前国はもともと豊かであった上に、朝倉氏は海運により大きな利益を得ていました。 >そして、朝倉氏は一族と家臣が団結し、一向宗といった敵からの攻撃を退けることができていました。これらにより、一乗谷の人たちは裕福になったのです。 >朝倉氏の館は、京都にあった管領の館にとても似通っており、そこには豪華な日本庭園がありました。 >そして、応仁の乱により荒廃した京都から多くの貴族、高僧、知識人たちを受け入れたのです。 >武士たちは屋敷の中で将棋を指し、僧たちは茶会を楽しんでいました。 >交易や生産がこの町の中で、盛んに行われていました。一乗谷の人口は、1万人に達したと言われています。 >この町は日本で有数の大都市となり、しばしば小京都とも呼ばれました。 tps://jpcastles200.com/2022/05/24/037ichijodani02/ > 諏訪館跡庭園はもともと、朝倉義景の妻(小少将)のために築造されたと言われています。 >巨石を使ったとても美しい池泉庭園です。この庭園で最も大きな石は、日本の池泉庭園の中でも最大のものと言われています。 tps://jpcastles200.com/2022/05/26/037ichijodani03/ > 朝倉氏の最初の当主であった朝倉孝景は、子孫に対して遺訓を残しました(「朝倉孝景条々」「英林壁書」として知られています)。 >その中で孝景は、 >・重臣は能力と忠誠心により採用しなければならない(朝倉家に於ては宿老を定むべからず。その身の器用忠節によりて申し付くべき事) >・理由もなく高価な武具、馬、鷹などを買い求めてはならない(名作之刀さのみ被好間敷候、等) >・高額な報酬を支払って、外部から芸能人を呼び寄せてはならない(京都より四座の猿楽細々呼下し、見物このまれまじく候) >と述べています。 >最後の当主であった朝倉義景が、これら先祖が残した教えを守っていたかはわかりません。 >しかし、一乗谷の繁栄がかえって義景の不幸を招いてしまったのではないかとも思うのです。 そのうち、素材に反乱されやしないだろうか() 世界初、人間のように考えて反応する素材を開発 tps://karapaia.com/archives/52315661.html > あなたが誰かに左肩を叩かれたとしよう。 >すると、皮膚にある感覚受容体がそれを検出して、脳に触られたというメッセージを送信。 >脳はこの情報を処理して、左を向くようあなたに指示を出す。 >米ペンシルベニア州立大学と米空軍が開発した新素材は、まさにそのような処理を内部で行うことができるのだ。 (中略) この発見をもとに開発された導電性のソフトマテリアルは、 >外部の刺激をとらえて電気情報に変換。これをさらに処理して出力シグナルにする。 >ライアン・ハーン氏は、 >「機械的な圧力がくわわると、それを感知し、思考して反応します。 > シグナルを処理する余計な回路なしでこれをやってのける工学材料の初の事例です」と説明する。 (中略) この考える材料は、自律化された捜索救助システムやインフラの修復などに応用できるとのこと。 >生体ハイブリッド材料に組み込み、空気にただよう病原菌を検出して除去するといった応用も期待されている。 オマケ ロボット義足で50m以上歩行 tps://youtu.be/GJGtiZaJwcM この精神力には敬服する 生きた皮膚を持つ指型ロボット tps://youtu.be/TBeLRSHdpns ソーシャルロボットというとハロの発展の先かな 武具とか装身具にも神仏は宿るのだろうか? 流蘇 tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E8%98%87 > 流蘇は色とりどりの羽毛、または絹糸を束ねて作られた房の飾りである(房のことを中国では穂子 スイズという)。 >よく中国の舞台衣装に使われるスカートの下についている。流蘇のデザインは流蘇樹の花の形から発想を得たとされる。 >流蘇樹とはモクセイ科に属するヒトツバタゴ (Chionanthus retusus)のことである。中国では他に流疏樹、茶葉樹、六月雪の別名を持つ。 >中国のほか日本、韓国にも分布し、細い花びらの白い花を咲かせる。 綾藺笠(あやいがさ) tps://kotobank.jp/word/%E7%B6%BE%E8%97%BA%E7%AC%A0-427577 > 藺草(いぐさ)を綾の組織にならって編み、裏に絹を張って作った笠。 >中央に突出部がありそこに髻(もとどり)を入れるようになっていて、 >その根元のところから、紫や紅の皮を細く裂いた風帯が、数本垂れている。 >武士が狩り、遠行、流鏑馬(やぶさめ)などの際に着用し、田楽法師なども使用した。あやがさ。 弭槍(はずやり) tps://mobile.twitter.com/emonok1/status/813769092351918080 > 戦国時代に矢を射つくした時や弓の弦が切れたとき、あるいは矢を使えないような近接戦になった時、 >弓の端(弭)に15cm程の袋穂式の槍穂を付けて簡易の槍として使ったもの。 >弓組足軽達の多くが携帯したが、あくまで非常用の武器のため、あまり威力は無かったと思われる。 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 仏教が強かった頃を振り返ろう モンゴル軍の巧妙な戦略と、北条時宗の偉大な功績 tps://youtu.be/PQvw3UoT1FQ 朝鮮の痩せた土地ではどのみち反乱が起こっていたと思われ 大覚寺義昭 tps://youtu.be/Fg1SXNz07TY 源氏の弟殺しは今更すぎる... 『ブータンの瘋狂(ふうきょう)聖 ドゥクパ・クンレー伝』 ゲンデュン・リンチェン編 > チベット、ブータンを物乞いをしながら、常軌を逸したふるまいによって民衆に仏教の真理を教えた。 >村に行くと、酒を所望するのみならず、「美女をくだされ」とのたまって、 >その男根を「智慧(ちえ)の金剛」となし、まぐわいにより女たちを清めては、悟りを開かせた。 >「女たらしのクソ坊主」と罵ののしられても、平気の平左。ために「瘋狂(ニョンパ)」と呼ばれた。 >「智慧の金剛」からは炎も発射して悪魔や魔女を調伏し、改宗させた。 >悪魔たちは「穏やかな顔つき」の誓約護法神となった。 >土着の神を、仏教への帰依を誓う守護神に変身させたのである。 >クンレーのトリックスターともいうべき奔放な振る舞いは、既成教団への痛烈な皮肉でもあった >(はとこのチョギェル師がドゥク派大僧正で、いびられ役)。 三 国 志 https://mobile.twitter.com/momak1020/status/1564248986416222209 (原文ママ) ・呉(孫権、周瑜) ○200年 孫呉の成り立ち 後の呉を建国するのは孫権だが父 孫堅、兄 孫策がいた。 だが父 孫堅は勢力を広げようとして劉表軍を攻めたが 流れ矢に当たり戦死。 兄 孫策は曹操の背後を突こうとした矢先に暗殺される。 ついに孫権が跡を継ぐ。 ○208年 対曹操同盟 赤壁の戦いが開戦する前、劉備と孫権が同盟を組む。 赤壁の戦いの前に曹操は手紙を書いていた。「80万で呉に向かう」と書かれていた。 その手紙で呉の民は二つの派に分かれ、抗戦派と降伏派に分かれる。 その抗戦派が周瑜、孔明、魯粛という軍師だ。ついに対曹操同盟ができる。 ○樊城(はんじょう)の戦い 孫権軍は劉備派だったが曹操と手を組む。 そして関羽軍を曹操軍と孫権軍にはさみ討ちにされ撤退。 だが孫権軍が退路をふさぎ、逃げきれず、関羽は処刑される。 ○夷陵(いりょう)の戦い 劉備は関羽の仇討ちをするため関羽、張飛(ちょうひ)の息子たちを連れて呉に攻めこむ。 そして荊州(けいしゅう)の奥深く夷陵まで攻める。 だが呉の軍師 陸遜(りくそん)の火計(ひばかり?)で劉備軍は混乱。劉備は白帝城へ撤退する。 しかし、孫権軍が追撃をするが、孔明のワナにより追撃できず、両軍撤退した。 ○合肥(がっぴ)の戦い(209~217年) 赤壁の戦いの後も曹操と孫権の戦いは激しく続く。 この戦いは本格的にぶつかったのは213年。曹操は魏(ぎ)の関中連合軍を破っており、南に戦力を集中させているからだ。 孫権はそれを食い止めようと出陣。だが互いに決め手がなく、215年には孫権軍が10万人で魏の合肥城へ出陣。 しかし、魏の張遼が800人で呉の本陣めがけて攻撃する。 そして孫権軍は撤退。217年に孫権が魏に降伏して戦は曹操の存命中に収まった。 ○234~280年 呉 滅亡 魏と蜀の北伐が終わると蜀は大黒柱 孔明を失い、混乱に落ちいっていた。 だが263年 蜀は劉禅の降伏により滅亡する。 魏は司馬懿(しばい)のクーデターにより曹一族から司馬一族になる。 司馬懿の息子 司馬昭の息子の司馬炎が魏を滅亡させる。そして晋が建国する。 一方、呉は長い間安定した。しかし孫権が死ぬと後継者問題が起こった。 でも孫家は明確に後継者を決めていなかったため、10歳の孫亮が皇帝となる。だが国を支える有能な人材がいなくなってしまった。 279年、ついに晋が20万人の大軍を呉に侵攻させ、孫亮は降伏し、中国は統一させられた。 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) (続き) ・蜀(劉備、孔明) ○184年 桃園の誓い 後に蜀を建国する劉備、関羽、張飛が兄弟の契りを結ぶ。 ○190年 泥水関・虎牢関の戦い 権力をほしいままにしている董卓(とうたく)を討伐するためできた反董卓連合軍。 だが洛陽に向かう連合軍は華雄に足止めされていた。 そして劉備軍の関羽が華雄を討つことに成功。連合軍は進軍したが次は呂布(りょふ)に足止めされていた。 でも劉備三兄弟が呂布を追い払い、洛陽を取りもどした。 ○201~207年 髀肉(ひにく)の嘆(たん) 200年の時は袁紹(えんしょう)派についていた劉備だが官渡りの戦いで袁紹が敗れ、劉表の元へ逃亡する。 だが劉備は204~207年まで戦さをせず、新野で休み、ふがいない自分を嘆く。 ○207年 三顧の礼 劉備は新野で徐庶と出合う。そして徐庶は後の劉備の軍師となる孔明を紹介。 劉備は三度訪ねた。ついに孔明は劉備に感激して劉備軍に所属した。 ○207~210年 天下三分の計 軍師となった孔明は他の国と肩並べすることが大事と見立てた。 そして孫権から借用した荊州を支配する。だが天下三分にするには西の益州を支配しなければならない。 でも劉備に益州の領主になってほしいという意見から益州に進軍、ついに益州を領地にした。 ○208年 赤壁の戦い 80万人の曹操軍と劉備軍、孫権軍が手を組んだ連合軍の戦い。 曹操軍は南に進軍するために呉を攻めてくるが連合軍の策に曹操軍は当たった。 まず曹操軍は呉を攻めるために中国最長の川 長江を渡らなければいけない。だが疫病が発生する。 でも曹操は船酔い対策のため蜀の龐統(ほうとう)の鎖で船をつなげれば対策になると進言。曹操はこれを採用する。 一方、呉の軍師 周瑜は曹操軍のスパイを逆手にとり、ニセ物の手紙を曹操に送る。 そして軍司令官がスパイだと思い、要の水攻めの戦略が立てにくくなる。 この作戦がかみ合い、連合軍の使者 黄蓋(こうがい)が船に火をつけたちまち燃え広がり、曹操軍は撤退し連合軍が勝利した。 ○219年 樊城の戦い 魏の都 樊城に関羽軍が攻めこむ。 まず「関羽軍が攻めこんでくる」と聞いた曹操は晋に龐統、于禁(うきん)を送った。 ところが関羽は龐統を斬り、于禁を降伏させる。破竹の勢いで進軍する関羽だが長くは続かない。 曹操と孫権のはさみ討ちにより関羽が処刑される。 ○228~234年 北伐 北伐とは最弱国 蜀が最強国 魏に五度戦いを挑むことである。 一次北伐は蜀にとって魏の守りが不十分だったので絶好のチャンスだった。だが馬謖(ばしょく)が命令違反をして大敗、全軍撤退する。 二次北伐は新兵器で攻撃する。でも食糧が尽きるとすぐに撤退する。 三次北伐は大雨により両軍撤退。 四次北伐は蜀はおしていたが、食料輸送の失敗により撤退。だが追撃してきた張郃(ちょうこう)を討つ。 五次北伐は長期戦となったが孔明が力尽きて、全軍撤退する。 (続き) ・魏(曹操、司馬懿) ○195年 曹操の台頭 董卓の死後、戦乱が激しくなっていく。 一方そんな時代に国力を一気に高めていったのが後の魏の建国する曹操だ。 まず曹操は国力を高めるために黄巾残党を話し合いで降伏させ、30万人が集まる。だが一気に人口が増えると食料不足になる。 しかし曹操は流民を保護し流民が食料を納付する屯田制を採用。 こうして曹操は一気に国力を伸ばしていった。 ○200年 官渡(かんと)の戦い この戦いは二大勢力 曹操軍と袁紹軍の戦い。 一回戦の白馬の戦いでは曹操軍は兵力の差で圧倒的に不利だった。 だが劉備の参謀 関羽たちの言葉により勝利を重ねる。そして袁紹軍は重要なところでミスを重ね大敗する。 二回戦の延津(えんしん)の戦いでは曹操の参謀の作戦「まき餌」をおとりに使う。 袁紹軍は曹操の食料で列が乱れると一気に攻撃して袁紹軍は負ける。 最終戦 官渡の決戦では兵力が不利と曹操は見て官渡に撤退。だが袁紹軍から降伏する者が続出。 その降伏した者の情報をうまく生かして袁紹軍の弱点をつきとめ奇襲すると寝返る者がまた続出する。 すると曹操は追撃を加え袁紹の主力を破滅させ、袁紹軍に勝つ。 ○208年 長阪(ちょうはん)の戦い まだ劉備が新野にいた頃、曹操は中国を支配するため本格的に南下を開始する。 その最初の的は荊州の北部にいる劉備だった。そのことを知った孔明は荊州を支配しましょうと案を出した。 だが劉備はその案を却下して東に逃げる。でも曹操軍はすぐ追いつき攻撃する。 しかし張飛が曹操軍を足止めして、劉備を逃がしてしまう。 ○208年 赤壁の戦い 劉備が長阪から逃げて呉と同盟を組むと、呉を支配するため呉へ攻め込む。 だが曹操軍は陸上戦は無敗だったが水上戦は全くちがかった。まず不慣れな水上戦をしなければならない。 それに連合軍の策にいくつも当たり、曹操軍はなす術なく連合軍に負ける。 ○217~219年 漢中争奪戦 劉備の目的は漢王朝復興のため 漢中はないといけなかった。 だが漢中は、すでに曹操軍の支配にあったため、今の時点は漢中を手に入れるのは難しかった。 だが漢中に攻め込むと夏侯惇(かこうとん)、徐晃が立ちはだかった。だが蜀の黄忠(こうちゅう)が夏侯惇を討つ。 ついに曹操はあきらめて撤退し、漢中は蜀のものになる。 ○227~234年 北伐 最弱の蜀が最強の魏に五度戦いをいどむこと。 一次北伐は魏にとってピンチだった。だが蜀の馬謖の命令違反のおかげで魏は大勝した。 二次北伐は蜀は新兵器で攻撃。だが魏の防衛は万全で蜀軍は食料が尽きると全軍撤退、魏が勝つ。 三次北伐は魏は攻める方だったが大雨により両軍撤退。 四次北伐は魏は敗北しかけたが、蜀の食料輸送の失敗により魏は攻める。だが追撃してきた張郃を蜀が討つ。 五次北伐は長期戦となり戦をくり返した。けど戦のと中で孔明がなくなり、蜀は不利になり魏は集中攻撃をしかけ、魏は大勝する。 好きですねぇ 美しき色、いにしへの裂―〈ぎをん齋藤〉と〈染司よしおか〉の挑戦 ― tps://artexhibition.jp/exhibitions/20220708-AEJ882492/ > 京都の呉服専門店「ぎをん齋藤」七代目当主 齋藤貞一郎氏(1948~2021)と、 >植物染の「染司 よしおか」五代目当主 吉岡幸雄氏(1946~2019)。 >江戸時代より代々続く染織の家に生まれた二人は、家業を継ぎながらも伝統の枠にとらわれることなく、それぞれのスタイルで美を追求してきた。 >細見美術館ではこれまでにも両者のコレクションや偉業を展観してきたが、 >本展では熟練の職人と共に試行錯誤を繰り返して創りあげた、 >いにしえの色の再現や憧れの技を昇華させた新たな表現と、その過程に焦点を当てていく。 オマケ キル(野田秀樹の劇作品) tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AB > ジンギスカンの戦いとファッション界の競争を重ね合わせ、 >モンゴルの草原の洋服屋に生まれて自らのファッションブランド「蒼き狼」で世界制服を目指すテムジンの一生と、 >現代のモンゴルを訪れた観光客たちの姿が交錯しながら描かれていく。 >タイトルの「キル」は、「着る」、「生きる」、「kill」など様々な言葉とかけられている。 >キャストを変えて1997年、2007~2008年にも再演された。 ロンジー tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%BC > ロンジーはミャンマーでの日常生活に適した衣服と言われている。 >山道を通ってのパゴダの参拝、高所への移動のために脚を掲げた場合など股を大きく開いた場面でも、 >布地に余裕があるロンジーは脚を簡単に隠すことができる。 >裾をたくし上げれば水浸しの場所でも布を汚さず、服を着たままの水浴びにも適している。 >実用面以外に伝統文化への愛着、長らく続いた輸出入の統制のために >外国製の衣服の入手が困難だったことが、ロンジーが日常的に着用される理由に挙げられている。 >ミャンマー政府は日常的に着用されるロンジーを国民が伝統文化に対して抱く敬意の象徴として強調し、 >2011年の民政移管以降も変わらず広く愛用されている。 (中略) > アチェイッと呼ばれる波模様はビルマ族の代表的なロンジーの柄であり、 >18世紀にはインドのマニプールから招いた織物職人によって、アチェイをあしらった絹織物がマンダレーの宮廷で流行した。 >緯絣のタメインは「チェンマイ」を意味するジンメーの名前で呼ばれており、タイ族がシャン州で広めたものだといわれている。 >鉤、菱形、斜めに走る縞模様が緯絣で表現されている点がジンメーの特徴で、タイ、カンボジアからの影響を受けていると考えられている。 >人気のある絵柄の一つに「キモノ」と呼ばれるものがあるが、 >これは東京の布団屋が在日ビルマ人の要望を受けて考案した、布団用の布地に金箔をちりばめたシングル幅の綿布である。 >インドネシアのバティックもロンジーの素材として人気を博している。 僧侶(そうりょ)袍裳(ほうも)七條(しちじょう)袈裟姿 tps://costume.iz2.or.jp/costume/4.html > 天台宗では探題たんだい職になると、白もしくは縹(はなだ、薄い青)の帽子(もうす)を頭からつけることが許される。 >袍裳の時には七条袈裟、横被(おうひ、右肩から左脇につける長方形の布)、修多羅(しゅたら、袈裟を固定する飾り紐)をつける。 >着装の袍裳は江戸後期のもので、東本願寺法主が依用されたもの。 そこそこコタツ出すことになるかも コロナ第3波で冬を迎える米国、シカゴの飲食店ではこたつが救世主に? tps://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/10/3-228_1.php > 夏の間は、これまでは欧州ほどなじみのなかった「テラス席」が、 >レストランやバーにとって「経済面でのライフラインになった」とブルームバーグは報じている。 >しかし本格的な冬の到来を前に、いかにして安全に屋外で、 >しかも暖を取りながら食事をしてもらえるか、というところに頭を悩ませている事業者も多いようだ。 > ブルームバーグによると、ニューヨークやワシントン特別区では、屋外で使用するためのヒーターの需要が高まり、購入が困難になっているという。 >しかし同紙はまた、すでに新型コロナで売り上げに打撃を受けている小規模事業者にとって、ヒーターのコストは無視できない負担だと指摘する。 > このような状況の中、冬はマイナスにまで気温が下がるイリノイ州シカゴでは、 >外食産業を新型コロナからなんとか守るため、「ウィンター・デザイン・チャレンジ」を開催した。 >冬のシカゴでいかにして、飲食店で屋外での食事を楽しむかというアイデアを募集したのだ。 (中略) こたつを提案したエリー・ヘンダーソンさんは、提案書によるとシカゴ在住のグラフィック・デザイナーだ。 >食べることが大好きなヘンダーソンさんは、新型コロナウイルスで苦しんでいる >地元の外食産業の支援をしたいと考えたのが、今回のデザイン・チャレンジに参加したきっかけだった。 >こたつのアイデアは、日本で暮らした経験からヒントを得たという。 (中略) 提案書ではさらに、日本での様子と思われる、屋外でこたつが使われている実際の画像を複数枚掲載し、使用例が示されている。 >また店舗の形態によって、コーヒー・テーブルや通常のダイニング・テーブルの形にするなどの選択肢も挙げている。 > ヘンダーソンさんは、「こたつは日本で簡単に購入できる」とした上で、レストランなどがコストを抑えるために >既存のテーブルをこたつに作り変えることも可能だとして、安全に作り変える方法を示す動画を作ることも提案している。 > 既存のテーブルなどを利用できることに加え、ヒートランプなどと違って >こたつの中に暖かさが密閉されるために、電気代の面でも経済的だと説明している。 >また、欧米ではほとんどしない「床に座っての食事」によって、他の文化を体験でき、好奇心をそそる新しい経験になるとしている。 (中略) 「Cozy Cabin」は、通常の駐車場に展開できる、モジュール組み立て式の小型キャビンで、穴釣りの際に使われる小屋をイメージしたという。 >「Block Party」は、四角い枠型をした2人用のブロック型モジュールを基本として、 >これをつなげることで対応人数を増やせるというものだ。 オマケ 空に浮かぶような建築 MAD Architectsによるアートホール「Cloud Center」 tps://www.axismag.jp/posts/2022/09/490844.html > 外観は雲の形状や軽やかな見た目に着想を得ており、 >メインボリュームのギャラリーは周囲のなだらかな風景の上に浮かんでいるように設計。 >白いガラスパネルのカーテンウォールで覆うことで、周囲の日光や青空、緑豊かな風景を反射する。 >そして、本物の雲のように一日を通じて空の色を帯びて、忙しい都市生活のなかの静かなオアシスになる。 > さらに、風を感じる道を進んでCloud Centerのメインエントランスに至ると、 >大きな池が映る白い建物の下部に出会う。 >反射する面の効果で、それはまるでたくさんの雲が空に浮かんでいるように見えるそうだ。 時代は小さな家を求めている…2021年に紹介した世界各地のタイニーホーム(狭小住宅) tps://www.businessinsider.jp/post-247443 シンガポール発のCube Two X、 フィンランド人設計のUFO型フトゥーロ、 ラトビアのブレットハウス(折り畳み可)、 ロサンゼルスのチャンドラー・ブルバード・ブリッジホーム・ビレッジ等を紹介 大河ドラマでこれから出てきそうな人たち 山田重忠 tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E9%87%8D%E5%BF%A0 > 京方は宇治川を頼りに京都の防衛を図り、重忠は比叡山の山法師と勢多に陣を置き、橋げたを落として楯を並べて幕府軍を迎え撃った。 >重忠と山法師は奮戦して熊谷直国(熊谷直実の孫)を討ち取るが、幕府軍の大軍には敵わず京方の防御陣は突破された。 >幕府軍が都へ乱入する中で、重忠は藤原秀康、三浦胤義らと最後の一戦をすべく御所へ駆けつけるが、 >御所の門は固く閉じられ、上皇は彼らを文字どおり門前払いした。 >重忠は「大臆病の主上に騙られて、無駄死ぞ!」と門を叩いて悲憤した。 来年の 九戸政実の乱 tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E6%88%B8%E6%94%BF%E5%AE%9F%E3%81%AE%E4%B9%B1 > 浅野長政が、九戸氏の菩提寺である鳳朝山長興寺の薩天和尚を使者に立て、 >「開城すれば残らず助命する」と九戸政実に城を明け渡すよう説得させた。 >九戸政実はこれを受け入れて、弟の九戸実親に後を託して >9月4日、七戸家国、櫛引清長、久慈直治、円子光種、大里親基、大湯昌次、一戸実富らと、 >揃って白装束姿に身を変えて、即ち出家姿で再仕置軍に降伏した。 > 浅野、蒲生、堀尾、井伊の連署で百姓などへ還住令を出して戦後処理を行った後、 >助命の約束は反故にされる形で、九戸実親以下の城内に居た者は全て二の丸に押し込められ、惨殺され火をかけられた。 >その光景は三日三晩夜空を焦がしたと言い伝えられている。 >九戸城の二ノ丸跡からは、当時のものと思われる、斬首された女の人骨などが発掘されている。 >政実ら主だった首謀者達は集められ、栗原郡三迫(宮城県栗原市)で処刑された。 犬伏新町薬師堂(真田父子「犬伏の別れ」の地) tps://www.tochigiji.or.jp/spot/s9091/ >薬師堂の脇を流れていた川に架かっていた橋は、真田父子の別れ橋として語り継がれています。 再来年に触れる? 花鳥余情 tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E9%B3%A5%E4%BD%99%E6%83%85 > 本書は1472年(文明4年)の兼良が71歳のときの成立とされる。 >兼良は1467年(応仁元年)の応仁の乱の勃発してまもなく一条室町にあった邸宅とその書庫「桃花坊文庫」が焼失したため、 >奈良興福寺大乗院で門跡を勤めていた息子の尋尊を頼って奈良に赴き、応仁の乱が治まるまでの本書執筆の前後約10年間奈良に居住していた。 >本書や本書と並んで兼良の代表的な著作とされる日本書紀の注釈書である『日本書紀纂疏』は >いずれもこの公職に就いていない閑居時代の著作である。 >なお、本書は1472年の成立後も何度か加筆訂正が行われていたため現存の写本には1472年(文明4年)の >成立後間もない時点で兼良の手元にあった本を写した写本を元にした「初稿本系統」、 >1476年(文明8年)時点で兼良の手元にあった本を写した写本を元にした「再稿本系統」、 >1478年(文明10年)時点で後土御門天皇に献上された写本を元にした「献上本系統」等が存在する。 >なお、その他に宗祇によって作られた『花鳥余情抄出』と題された本書の抄出本についても、 >本文が本書の抄出文のみで構成されており宗祇自身の説は一切加えられていないため、 >「抄本系統」ないし「抄出本系統」と呼び、『花鳥余情』の本文の一系統とすることもある。 (中略) 数多くの文献を引用しておりその中には現在は散逸してしまったものも多い。 >そのような散逸してしまった文献の存在や内容を探る上でも注目されている。 キリスト教では人のいるところが教会だというけど、そこはモンゴル仏教も変わらないらしい イヘ・フレー tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%98%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC > モンゴル仏教に見られる移動寺院「フレー(クリエン)」のうち、 >ハルハ(民族)でもっとも権威の高い化身ラマの名跡ジェプツンタンパに属するものをさす。 > イフ・フレーは18世紀後半にトーラ川のほとりに定着するが、 >その門前に発展した町が現在のモンゴル国の首都ウランバートルである。 >この町自体の名も、かつてはイフ・フレーと呼ばれた。 >また、この町の中国語の旧称「庫倫(クーロン)」は、「イェケ・クリエン」の後半部を漢字で音写した表記である。 オマケ プレループ tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97 > プレは変化、ループは体を意味し、かつて境内で行われたと伝わる火葬を名の由来とする。 >東バライに浮かぶ東メボンの真南にそびえる。 (中略) 境内に在る石槽では、死者を荼毘に付し、 >その灰で死者を描く儀式が行われたと伝わり、名の由来となっている。 Kesaria stupa tps://en.m.wikipedia.org/wiki/Kesaria_stupa > The stupa mound may even have been inaugurated during the Buddha's time, この仏塔の円丘は仏陀の時代に造成されたものかもしれません、 >as it corresponds in many respects to the description of the stupa erected by the Licchavis of Vaishali to house the alms bowl the Buddha has given them. さすれば、仏陀がヴァイシャリのリッシャリ王家に与えた応量器邸(?)の仏塔と多くの点が類似していることも説明がつきます。 >The local people call this stupa "Devala", meaning "house of god". コレ↓ビームフラッグの前身的な装備で出してみたい 母衣(ほろ) tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E8%A1%A3 > 兜や鎧の背に巾広の絹布をつけて風で膨らませるもので、後には旗指物の一種ともなった。 (中略) 古代の母衣は鎧の上から全身を覆う保呂衣(ほろぎぬ)という戦袍(せんぽう)であり、防寒のためだったとする説もある。 >それが平安時代末から鎌倉時代になると、母衣は懸保呂(かけぼろ)となった。 >縦に縫い合わせた長い絹布(5尺8寸、5幅ほど)を、首、冑、手の甲などに紐で結びつけて、 >それが風をはらんでふくらむことで、後方からの弓矢や石を防ぐ役割を果たした。 >また前方に対しても母衣を頭から被って矢を防いだとする説もある。 >日本においては古代から中世まで長らく弓を主武器とする戦闘法が用いられており、 >隙間の多い大鎧をまとって馬を駆る当時の武士には適していたのであろう。 > しかし(日本独自に様式化された)騎馬戦闘が廃れ、南北朝時代(室町時代)頃から集団戦に移行したことで、 >古式の母衣は実用性が低下し、見栄えが重視されるようになった。 >内部に鯨のひげや竹などで作った骨(母衣骨、母衣籠)を入れて常にふくらんだ形状を維持できるように変化して、 >前には「だし(山車)」というものを立て、串をもって鎧の後ろに挿して、 >敵味方に自分の存在を示す標識ともなる差物(さしもの)の一種となった。 >保呂指物(または提灯保呂)は、大きさも大型化し、10メートルを超えるような巨大な布が棚引くものもあった。 >戦国時代に鉄砲が伝来すると補助防具としての実用性は失われたが、大将側近の近習や使番だけが着用を許される名誉の装飾具となった。(母衣衆) オマケ 秀衡塗 tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%80%E8%A1%A1%E5%A1%97 > 秀衡塗は、平安時代末期に平泉で栄えた奥州藤原氏第3代当主・藤原秀衡が京より職人を招来し、 >この地方特産の漆と金をふんだんに使い、器を造らせたのが起源とされている。 >また、一説には延暦年代から安倍氏により、奥州市衣川増沢地区で仏具や武具などの漆製品の製造が行われていたとされている。 >中でも藤原氏の時代、漆の産地として、また漆工芸の里として平泉の黄金文化を支えたとも伝えられている。 (中略) 下地は、最も丈夫と言われる本堅地(ほんかたじ)を使っている。 >加飾は当地で昔から伝えられてきた漆器の「秀衡椀」を手本にしたもので、 >「源氏雲」という雲の形と、いくつかの菱形の組み合わせで作られる「有職菱文様(ゆうそくひしもんよう)」が描かれる。 SLOWTIGER(チベタンタイガーラグ専門店) tps://slowtiger.base.shop/?gclid=CjwKCAjwi8iXBhBeEiwAKbUofaa5hO2VDh322mUnzBYI0OYEm9R49Xr5oxVVuH98B85af_8_yCO_PRoCsjoQAvD_BwE 本物と模造品について https://base-ec2if.akamaized.net/c/f=jpg/images/user/blog/88c487681179d7232723789a148fae08488e970e/blog/69df0141f66e47813ba88ecd268aba15.jpg ご唱和ください!的なやつ 真言の威力が凄過ぎて取り調べられた tp://www.kaynotes.com/archives/9718385.html >観世音菩薩の真言も、日本では、 >「オン、アロリキャ、ソワカ」 >だが、サンスクリット語では、 >「オーン、アーローリク、スヴァーハー」 >である。 >ちなみに、「観世音菩薩」という菩薩の名は、中国語の意訳で、サンスクリット語では、「アヴァローキテーシュヴァラ」と、やや難しい。 >「アヴァローキテーシュヴァラ」には、「音を観る者」という意味があったので、中国の僧が、観世音菩薩と訳したのだそうだ。 >尚、やはり、観世音菩薩の真言、あるいは、念仏と言えるかもしれないが、一般的には、「南無観世音菩薩」と唱える。 マントラとは何か?言葉の意味や唱える効果 tps://soelu.com/articles/?p=16607 > ヨガや瞑想で唱えるマントラは、あくまでも気持ちを落ち着かせるためであり、宗派などを問わずに誰でも唱えることができます。 >「マントラはお経なのか?」といった質問も前述の質問と同じくらいよく耳にします。同じく答えは「いいえ」です。 >ただし、全くの別物かというとそういうわけではありません。 >マントラはお経の元になっている真言であるので、お経の中には古代インドのマントラの言葉が使用されているものもあります。 >オーム(全て) >シャンティ(平和) >ソーハム(私は宇宙) >アーハム(真の自分) >シンギングボウル(チベットの楽器) スヴァーハー(女性の名前) tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%BC > この言葉は本来、バラモン教の儀式において、天上の全ての神々に捧げられた供物の事を指していた。 >またそれ自体が神格化され、祭火の神アグニの妻の女神とも考えられている。 >儀式の際には、供物を祭火に投じる時の掛け声としてこの言葉が唱えられた。 >この為、後には「スヴァーハー」は、願いが神々に届く事を祈る聖句とされた。 鎌倉殿#38 「よく分からん」→「分からなくていい、俺に従え」→「ドケドケイ」 これも和田合戦フラグ? 書いちゃいなさいw 粗末に扱うと身体中から血を吹き出して死ぬ→そんな死に方した奴きいたことないですよ 今日までで一番坂東武士っぽい顔つきになっている時政 りくが畳の上、時政が板の間かぁ 「頭を丸めて手ぇ着いて謝ったら、きっと許してくれるさ」 宮沢りえ久々に美少女っぽい、こういうところが憎めん 「館の外で待っていてくれ」実朝暗殺時とは真逆のシチュか かつての「武衛」、今はそれより上の「羽林」 ここで昇級を示すための広常ネタか 懺悔するりく 今回はきちんと攻め込むと言及する小四郎 「許す気持ち」「信じようとする」今年の頼朝は大泉にて最適、妻だから分かるところもあるのか 頼朝様を越える鎌倉殿(右大臣) 「北条を、鎌倉を引っ張っていくのはお前だ」忘れるなw 「娘として父の命乞いをしているのです」やめてくれ尼御台、その術は草燃えるファンに効く 「息子でなくて、悪かったな」片手で自害を止めるセクシィ八田 そこは抱きしめてあげようや... 泰時こうやって(はつと並ぶと)デカイな、「こうなってほしくないと思って」一番の乙嫁よ 三善の発言権は最終盤でカンストするので必見 ようやく本音を話せる小四郎「感謝します」「父の手を、握ってやることすら出来ません...貴方がその機会を奪った、お恨み申し上げます」 彼が戻ってくることは二度とない 仕事が終わったら仕置だぜ! 「あの人のみすぼらしい姿なんて見たくない」義母上ファッションショー、最初で最後の女子会 「お世話になりました」 のえさんグッジョブw 合戦がなかった分を補填する平六&トウ 扇を差すのは出世の証 「鎌倉殿になろうと思ったことなど一度もない」コレ本心なんだよなぁ そうか義仲以来の軍事行動だったか 江間義時→執権・北条義時 ほぼ穏やかなところのない予告 飾り物について アショーカの獅子柱頭 tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%81%AE%E7%8D%85%E5%AD%90%E6%9F%B1%E9%A0%AD > この柱頭は一塊の砂岩から削りだされたもので、柱そのものとは別のピースとなっている。 >背中合わせの4頭のインドライオンがモチーフになり、それが頂板に乗っている。 >フリーズ (建築)には象、馬、牡牛のレリーフが刻まれ、それぞれの動物の間は車輪のようなもので区切られている。さらにその下は蓮の台座となっている。 >アショーカの獅子柱頭はもともとはその上にダルマチャクラ(法輪、あるいはアショーカ・チャクラ)を戴いていたものと推測されている。 >というのも、現地にてそれらしい破片が見つかっており、さらには13世紀に作られたレプリカにもダルマ・チャクラが確認できる。 >このレプリカはマンラーイ王によって作られたワット・ウモン(タイ王国、テーサバーンナコーン・チエンマイ)に現存している。 >アショーカ・チャクラは現在インド国旗のデザインの真ん中に使用されている。 水煙(すいえん) tps://kotobank.jp/word/%E6%B0%B4%E7%85%99-539534 > 塔の九輪くりんの上にある火炎状の装飾金具。 >火事の連想を避け、同時に水難をおさえる意味もこめて名づけたといわれる。 葱花輦(そうかれん) tps://kotobank.jp/word/%E8%91%B1%E8%8A%B1%E8%BC%A6-551941#:~:text=%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%8B%E2%80%90%E3%82%8C%E3%82%93%E3%80%94%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%AF%E2%80%90,%E3%81%AA%E3%81%8E%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%BF%E3%81%93%E3%81%97%E3%80%82 > 屋根の上に金色の葱ねぎの花の形の飾りをつけた輿(こし)。 >天皇の略儀の行幸に用い、皇后・東宮の行啓にも用いた。 >なぎのはなのみこし。葱輦。 異国を感じる 鴻臚館(こうろかん) tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%BB%E8%87%9A%E9%A4%A8 > その名称は北斉からあった九寺のうちの外交施設「鴻臚寺」に由来し、唐の時代にその名称が日本に導入された。 >「鴻」は大きな鳥の意から転じて大きいの意。「臚」は腹の意から転じて伝え告げるの意。 >「鴻臚」という言葉は外交使節の来訪を告げる声を意味していた。 (中略) 平安京の鴻臚館はおもに渤海使を迎賓していた。 >「北路」にて来訪した渤海使は能登客院(石川県羽咋郡志賀町か)や >松原客館(福井県敦賀市)に滞在して都からの使者を迎え、使者に伴われて都に上り、鴻臚館に入った。 >都の鴻臚館で入朝の儀を行ったのち、内蔵寮と交易し、次に都の者と、その次に都外の者と交易をした。 >しかし渤海王大仁秀治世に日本との関係に変化が生じて交易が減退。 >日本側では824年に右大臣藤原緒嗣により「渤海使は国賓ではなく貿易商人である」と判断されて、以降12年に一度とされる(のちに6年に一度に緩和)。 >東鴻臚館は承和6年(839年)に典薬寮所管の御薬園へと改められた。 >さらに渤海国が契丹(東丹国、遼)によって滅亡(926年)させられたのちは当然だが渤海使の来朝は無くなり、施設は衰え、鎌倉時代の頃に消失した。 >一説には延喜20年(920年)の頃に廃止されたともされる。 石鐘の庭 tps://www.faretart.jp/art/653/ > ブンマーはシルバコーン大学で学んだ後、パリで2年間美術を学ぶ。 >帰国後、アクリルやキャンヴァスなどの高価で伝統的な西洋画材を放棄し、土・砂・灰・焼き粘土・蝋など田舎の生活様式に密着した素材を使った表現を試みる。 >素材自体が持つ地域文化の中で育まれた内的意味合いと、 >アーティストによって形作られた二次的な形象によって、タイの宗教的、文化的、社会的な状況を作品に投影する、 >90年のシドニー・ビエンナーレ、92年リオ・デ・ジャネイロの「アルテ・アマゾナス」、 >93年「アジア・パシフィック・トリエンナーレ」などアジアの作家の中でも国際的な活躍が目立つ。 史書評 現役チベット人作家10人の幻想的な短編13作=加藤 徹 tps://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20220621/se1/00m/020/014000c > いずれも「人々の現実社会に対する不安やそれに端を発する狂気に独特のまなざしを向けた作品」であり、 >「本書に収録された多様な作品をきっかけに、チベットの歴史や文化、そして彼らがくぐり抜けてきた激動の現代史に思いをはせていただければ幸いです」。 > 例えば「三代の夢」は、日本や欧米各国でも翻訳が出ているタクブンジャの初期の代表作だ。近現代のチベット人一家3世代の運命を描く。 >初代のグルゴン・ラヤクは、山村に住む人妻が山の神と交わって生まれた民話的な英雄だ。 こういうのを見ると、仏教に政治力のあったことが分かる 法会(ほうえ) tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E4%BC%9A > 法会は、古くからインド・中国でも降誕会や成道会は行われており、日本では、蘇我馬子がすでに法会を行っていた。 >奈良時代には宮中の御斎会・興福寺の維摩会・薬師寺の最勝会の3つの法会が重要視され >(これらを「南京三会」:なんきょうさんえ と言う)、 >この3つの法会の講師を務めた僧は三会已講師(さんえいこうじ、略して三会已講、已講ともいう)と称された。 >この講師を務めることが僧綱(律師・僧都・僧正)に昇進するルートであった。 (中略) その後、法会は追善供養などで行われる法要(法事)などと同じ意味で使われるようになった。 >なお、宗祖や高僧の忌日にその画像(御影)を掲げて供養する法会のことを御影供(みえいく、みえく)と称するが、 >特に真言宗において日本真言宗の祖である空海の月命日である21日に行われる御影供(3月21日に行われる御影供は正御影供という)は有名である。 > 源氏物語が流行した平安時代には、読者が紫式部の霊を慰め、 >自らの罪障を消すためとして『源氏供養』と称した法会を開いていた。 勧請開山 : 本来その寺の開山でない僧を開山として信仰すること。 勅願寺 tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%85%E9%A1%98%E5%AF%BA > 時の天皇・上皇の発願により、国家鎮護・皇室繁栄などを祈願して創建された祈願寺のことで、寺格の一つ。 >実際には、寺が創建されてから、勅許によって「勅願寺になった」寺も数多い。 >また勅願寺になれば寺領が得られることもあり、戦国時代頃からは寺の側から働きかけて勅許をもらうという例もあった。 >明治時代初期まで勅願寺の指定が行われていたが、神仏分離令によって指定が廃止された。 キーワードっぽいのを数点 回向(えこう、パリナーマナー) tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9E%E5%90%91 > 自分の修めた善行の結果が他に向って回(めぐ)らされて所期の期待を満足することをいう。 >寺院や僧侶に読経をたのむときに、「廻向料」などと表書きするのは、この理由による。 (中略) 「回向文」は、「回向偈(えこうげ)」ともいい、勤行・法要などの終わりに称える偈文(仏を称える韻文)をいう。 >仏事を行った功徳を己だけのものにすることなく、広く有縁の人々あるいは一切有情(生き物すべて)に回向するために読誦される。 >この意味で、寺や各家々で行われる仏事は、その故人のためだけではなく、縁ある者すべて、あるいは一切有情に向けて回向する。 >この回向は、「普廻向」(ふえこう)と称する場合もある。 思ひ差し(おもいざし) tps://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%80%9D%E3%81%B2%E5%B7%AE%E3%81%97/ >この人と思う人に杯を差すこと。相手を指定して酒をつぐこと。また、その杯。 ネパールのお祭り ティハールのバイティカ tps://dalbhat-shokudo.com/archives/2023 > バイティカ(bhai tika)は自分の兄弟の健康や長生きを願ってする儀式です。 >伝説ではこの日に閻魔(Yamraj)から弟を守る為にする儀式で、 >makhamarikoful(千日紅)の首飾りをかけて、この花が枯れてしまう前には、あの世に連れていかないでとお願いし、 >約束して、その後長生きできたというお話しです。 >この花自体がなかなか枯れないのでお姉さんはしてやったりなのです。 火の鳥(手塚治虫)にはいなかったような... 八百比丘尼(やおびくに) tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%99%BE%E6%AF%94%E4%B8%98%E5%B0%BC > 日本の伝説上の人物。特別なもの(人魚の肉など)を食べたことで不老長寿を獲得した比丘尼である。 >福井県小浜市と福島県会津地方でははっぴゃくびくに、栃木県栃木市西方町真名子ではおびくに、その他の地域ではやおびくにと呼ばれることが多い。 (中略、インスト) ある男が、見知らぬ男などに誘われて家に招待され供応を受ける。 >その日は庚申講などの講の夜が多く、場所は竜宮や島などの異界であることが多い。 >そこで男は偶然、人魚の肉が料理されているのを見てしまう。 >その後、ご馳走として人魚の肉が出されるが、男は気味悪がって食べず、土産として持ち帰るなどする。 >その人魚の肉を、男の娘または妻が知らずに食べてしまう。それ以来その女は不老長寿を得る。 >その後娘は村で暮らすが、夫に何度も死に別れたり、知り合いもみな死んでしまったので、 >出家して比丘尼となって村を出て全国をめぐり、各地に木(杉・椿・松など)を植えたりする。 >やがて最後は若狭にたどり着き、入定する。その場所は小浜の空印寺と伝えることが多く、齢は八百歳であったといわれる。 オマケ 安珍・清姫伝説 tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%8F%8D%E3%83%BB%E6%B8%85%E5%A7%AB%E4%BC%9D%E8%AA%AC > 原型とされる平安時代の『大日本国法華験記』(『法華験記』)・『今昔物語集』所収の説話には、熊野参詣の僧と、宿の寡婦とだけ記され、名は言及されていない。 >安珍の僧名は『元亨釈書』(1322年)が初出で、清姫の名は1742年初演の浄瑠璃に初めて見える。 >よって安珍清姫の名を冠した作品や絵巻物等の稿本は、おおむね江戸時代以降ということになる。 (中略、インスト) 奥州白河(現福島県白河市)より安珍という僧(山伏)が熊野に参詣に来た。この僧は大変な美形であった。 >紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県田辺市中辺路、熊野街道沿い)真砂(まなご、まさご)の >庄司清治/清次の娘、清姫は宿を借りた安珍を見て一目惚れし、女だてらに夜這いをかけて迫る。 >安珍は僧の身ゆえに当惑し、必ず帰りには立ち寄ると口約束だけをしてそのまま去っていった。 > 欺かれたと知った清姫は怒って追跡をはじめるが、安珍は神仏(熊野権現・観音)を念じて逃げのびる。 >安珍は日高川を渡るが、清姫も河川に身を投じて追いかける大場面となる。 >蛇体となりかわり日高川を泳ぎ渡った清姫は、日高郡の道成寺に逃げ込んだ安珍に迫る。 >梵鐘を下ろしてもらいその中に逃げ込む安珍。しかし清姫は許さず鐘に巻き付く。因果応報、哀れ安珍は鐘の中で焼き殺されてしまうのであった。 >安珍を滅ぼした後、本望を遂げた清姫はもとの方へ帰っていき、道成寺と八幡山の間の入江のあるあたりで入水自殺したといわれる。 > 畜生道に落ち蛇に転生した二人はその後、道成寺の住持のもとに現れて供養を頼む。住持の唱える法華経の功徳により二人は成仏し、天人の姿で住持の夢に現れた。 >実はこの二人はそれぞれ熊野権現と観世音菩薩の化身であったのである、と法華経の有り難さを讃えて終わる。 無生老母 tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%94%9F%E8%80%81%E6%AF%8D > 羅教、白蓮教、天理教、一貫道では最高神の地位を占める。「無生父母」として男女一対の神とみられることもある。 >一貫道では明明上帝、日本における別名団体・天道総天壇ではラウムとも呼ぶ。 (中略) 聖人を導き五教(儒教、仏教、道教、キリスト教、イスラム教)を創設したのもこの神であり、 >この後に続く衆生救済のための使者が路中一や張天然といった一貫道の祖師たちであるとされる。 >また、無始・無形の超越者とされ、神像・画像は存在しない。 >その代わり「老母灯」(「母」の部分は神名の表記に用いられる文字)と呼ばれる照明や神名表記用の文字を配置して象徴とする。 豪華絢爛だなぁ https://www.travel.co.jp/guide/article/43646/ > 長慶寺は、泉南市を一望できる小高い丘に位置しています。 >寺号は、慶長年間(1600年頃)に、豊臣秀頼によって再興された際の年号「慶長」を逆さにしたものといわれています。 >江戸時代には、岸和田城主・岡部公歴代の祈願所となり寺運は隆盛を極めました。 > 長慶寺の仁王門に続く石段は、100段あり、いにしえより「厄除けの石段」と伝わります。 >女性は33段目、男性は42段目を上ったところで厄除けを念ずれば、ご利益があるとされています。 > 紫陽花の時期には、参道石段の両脇に、目にも鮮やかなあじさいが咲き誇ります。 >仁王門は、入母屋造の八脚重層楼門で、両脇の花頭格子窓の中に金剛力士が安置されています。門の内側には、大きな「厄除け草履」が掛けられています。 (中略) 長慶寺の伽藍で最大の特徴は、2つの三重塔です。 >写真左側は、2004年(平成16年)に建立された塔高21mの「三宝塔」。 >右側の2015年(平成27年)に建立された「孔雀宝塔」は、一見、六重塔に見えますが、裳階(もこし)創りの三重塔です。 > 裳階とは、仏堂や塔などで、軒下壁面に付いた庇状構造物のこと。 >主屋根の下に、もう一重屋根をかける形で付けられたもので、良く知られた構造のものとしては、奈良・薬師寺の三重塔があります。 > 塔では、本堂横に建つ多宝塔の「開山堂」も必見です。 >高さ13.8m、1991年(平成3年)の建立で、石段前には、破顔一笑といった風情の布袋さんがお座りになられていて思わず笑みがこぼれます。 >堂内には、長慶寺を創建した行基菩薩像をお祀りしています。 > また長慶寺では、色々な種類の紫陽花を見ることができます。 >ガクアジサイ(額紫陽花)は、中心の花を飾る“額縁”のように、周りにだけ花を咲かせる紫陽花。八重咲きや一重咲きなどのバリエーションがあり、花の色も様々です。 >カシワバアジサイ(柏葉紫陽花)は、葉の形がカシワに似ていることが、和名の由来です。 >花の色は白で、枝先に円錐形の花序を出し多数の花を咲かせるのが特徴です。 >ガクアジサイの一種であるスミダノハナビ(墨田の花火)は、 >花火を打ち上げたように広がり、八重の花をつけることからこの名前があります。 >花びらは、花火のように星形をしているのが特徴です。 オマケ 花戦さ(映画) tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E6%88%A6%E3%81%95 (岐阜城での花生け) 天正元年。京・頂法寺の花僧・池坊専好は執行や兄弟子・専伯の勧めで、時の権力者・織田信長のために花を生けることになる。 >自分の好きな松を使って良いと言われて喜んで岐阜城に向かう専好だったが、 >実際は気性の荒い信長の依頼を誰も引き受けたがらず、変わり者として評判だった専好にお鉢が回ってきただけだった。 >専好は本当の理由を知らずに岐阜城に到着し、弟弟子の専武から「信長様は昇り龍のような人」と聞かされたことに刺激を受け、巨大な松を使った生け花を披露する。 >信長の家臣たちからは酷評されるが、信長は専好の松を気に入り彼を称賛する。その時、松の重さに耐えられずに継ぎ目が折れてしまう。 >専好や家臣たちは信長の怒りを買うことを恐れて言葉を失うが、秀吉の機転で事なきを得て、専好は褒美の品を受け取り京に戻った。 続き 布袋 tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E8%A2%8B > 唐代末から五代時代にかけて明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧。 >水墨画の好画題とされ、大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。日本では七福神の一神として信仰されている。 (中略) 図像に描かれるような太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩いたという。 >また、そのトレードマークである大きな袋を常に背負っており、生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたという。 >その姿は風変りであったが素直な気持ちの持ち主で、人々を満ち足りた気持ちにさせる不思議な力を持っていたという。 (中略、中国での信仰) この像は、中国において「布袋和尚(Bùdài héshàng)」の呼称では、理解されづらく、 >一般には「弥勒(Mílè)」と呼ばれている。 >それを受け、西欧人にマイトレーヤ(Maitreya 弥勒)と呼ばれる。 (中略、日本での信仰) 庶民には福の神の一種として信仰を集め、室町時代後期には七福神に組み入れられるようになった。 >真言三宝宗大本山清荒神清澄寺では三宝荒神の眷属とされる。 >肥満体の布袋は広い度量や円満な人格、また富貴繁栄をつかさどるものと考えられ、所持品である袋は「堪忍袋」とも見なされるようになった。 マイトレーヤ (神智学) tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A4_(%E7%A5%9E%E6%99%BA%E5%AD%A6) > 近代神智学の教義において、霊的指導者マハートマーの一人、古代の知恵の大師である。弥勒菩薩を近代神智学が取り込んだものである。 >神智学協会のリードビーターがインドで見い出したとするジッドゥ・クリシュナムルティや、 >神智学系の団体であるシェア・インターナショナルがロンドンで1977年から接触を持ち、 >1988年にはケニアのナイロビで公衆の前に姿を見せたとするヒマラヤ山中出身の人物が知られる。 >ただし、クリシュナムルティはマイトレーヤ(世界教師)ではないと宣説して神智学協会を離脱した。 頭陀袋(ずだぶくろ) tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%AD%E9%99%80%E8%A2%8B > “頭陀”(ずだ)とは、梵語のDhūta(ドゥータ、意味:払い落とす、棄捨)の漢訳音写であり、仏教の僧侶が行う修行(頭陀行、乞食の行)のことである。 >したがって、頭陀袋とは、本来この頭陀行を行う僧侶が、携行用に用いた袋のことであった。 >「頭陀」の梵語の発音はドゥータであり、「杜多」とも音写されるが、辞書では、「頭陀袋」は「ずだ袋」と濁ったもののみが立項されている(日本国語大辞典、例文仏教語大辞典)。 > 唐代末から五代時代にかけての中国の僧である契此は、背負った布製の頭陀袋がトレードマークであったことから布袋と呼ばれるようになった。 > 別名として三衣袋(さんえぶくろ)、衣嚢(えのう)、打包(だほう)ともいわれる。 >これらは、もと比丘が山野を行脚する時に、僧伽梨(そうぎゃり)・鬱多羅僧(うったらそう)・安陀会(あんだえ)という >3つの衣(三衣)が塵や埃、土で汚れないように入れたものである。したがって本来の用途はこれらの僧衣を入れるための袋であった。 > しかし時代を経ると、これらの衣だけでなく行乞で供養してもらった物などや仏具なども入れるようになった。 >したがって、今日、運搬用で雑多な物を入れる袋を“ズタ袋”などというのはここに由来する。 > また後世になって、仏式葬儀の際、死者の首から提げる袋も“頭陀袋”というようになった。 >これは、これから仏教修行の旅に出るという意味合いであり、白い布製の頭陀袋の中には、紙に描いた六文銭を入れる。 鎌倉殿ウラ話 テーブルにしゃれこうべ置いてるw 撮影は雪の鶴岡八幡宮...もう実朝が... 大体りくのせい ここで「北条を許さない御家人の会代表」比企能員、この4人(時政・政子・義時・泰時)を討ち取りにw 佐藤二朗が夢に出てくるくらい覚えてる、比企を倒した時の直垂 三谷さんめんどくさいw < 作品を比べられたりすると凹む 「なんてことしてくれるんだ」「ひどいですね」 昔から梶原善に殺し屋をさせたかった(僕しか知らない適性) 代表作になったね! 平三景時は善人、義経を分かっているから許せない人 人はすぐに変わらない、じわじわ行ったり来たりする(人間の揺れ) そうかテストはマスク着けてるから表情が読めない、その場のセッションになるのか カラフルな小栗旬のマスク一覧(ことよろ、二郎さらば等) 「生き返るんかーい」で尼御台が笑うなw 大泉ネタ多め 「俺たちの泰時」健太郎はそれで馴染めた模様 成長著しい金剛 物語の辛さから逃れるためにどれだけぶつかっても優しく受け止めてくれる大泉w 「でも僕は大丈夫、倒れないから」「(二朗)ほざいてたね~」 THE ALL UP FOR THE SHOGUN 鎌倉殿の取り切り 「なんで野添さんとハグして泣かにゃいけないの」 「本当に来られるとは...」※大泉は体調不良で欠席、比奈のいる狩宿をひょこひょこ覗きに行ったのは小栗旬w 大泉洋と佐藤二朗以外は重いとも痛いとも言わなかった プライベートでは栄子ちゃん呼びか < オグリー 千葉の爺さん死亡確認(もうタヒにました) 亀も死んだんかい、み、み、御館ィ!!!(迸る無量光) 比企尼も九条も中原も逝った 辻さん...(浅野さん自身もコレ辻さんへの当て書きです、と明言してたんだよなぁ) やっぱり九郎はキレキレに動いてていいなぁ! おじさん助監督で膝枕の練習w 舞を見に言ってたのね、足を払う所作が綺麗 北条政子はその都度その都度必死だっただけ、きっとそうだったろう 悪女にはならない、結構 泰時は救い(全ての登場人物の夢を叶える、願望器かな?) 義時は幸せに亡くなっていいのか...大河ではあまりないラスト、この終わり方しかない (尊氏の金閣寺オチみたいなのはダメ...? ヤバい、でも凄く幸せ) 終盤の台本を貰ってない彌十郎さん二朗さん、そりゃそうなるか コレイイバンセンダナァ 悲しいニュースを見ると悲しくなるね(小泉構文) キノコ採りで不明の77歳男性 奥州市の山林で発見 死亡確認 tps://www3.nhk.or.jp/lnews/morioka/20221008/6040015738.html 福島県沖地震で国の重文2点が破損…奥州藤原氏の政庁跡から出土の「漆器椀」と「漆器皿」 tps://www.yomiuri.co.jp/culture/20220412-OYT1T50231/ 伊勢神宮は外宮・内宮より先に風宮で世俗の諸々を吹き飛ばしてもらうのが良いのだとか https://youtu.be/Wh7az2fX6bc 鎌倉殿♯39 出ナレーター「一日に凝縮してお送りいたします」粛清はないので...? トメは平六 大海の 磯もとどろによする浪 割れて砕けて 裂けて散るかも ナレ天然痘、泰時も直垂が変わった 転歌でやり取り、往年のTwitterよ 朝時、母の面影ゼロw 実衣も老けてきた「男子が生まれなかったら?」 「正しき道は茨の道、悪く言うものもおりましょうが、私は貴方の御味方」なお最期 書状出演・藤原定家「(和歌の)最後を逆にするように」、三善殿さぁ 「羽林!!! 遊びに来てしまいましたぁ!」和田っち基準なら顔の痕は勲章だろうね 「鎌倉殿はどんな女子がお好みで?」「俺はぁ、声がデカい女子がいいと思いますなぁ」www「声のデカい女子で」w 先端が折れる、意外と柔らかいのね < 立烏帽子 朝時てめぇw 「いつまでも鶴丸では具合が悪い、諱をつけてやろう」ノリで決めんなw < 内管領の系譜 ついでに御家人へ、代わりに目立つ仕事しろよと 羽林禁止「あの頃とは違うのだ」「変わっちまったよなぁ、鎌倉も、お前も」 絵に描いたような坂東武者、何れ居なくなる... つつじさん久々、善哉も大きくなった 蹴鞠、弓の大会、いやこの世代 治承・寿永の乱より強くなってない?w いきなり主張が通ると困惑しちゃうよね 「伊豆へ引き下がらせていただきます」 止めて引く(鎌倉時代) し、白々しい...いや真っ黒だな 「これは...恋する気持ちを読んだものだ」率直だな仲章w いや作者を知らなかったのか 間違えとは?(哲学) ここだけ山賊系レストランの和田別邸「思い知らせてやろうぜ!」 公・暁・出・家 消えてもらう......か... 義経チンギス・ハーン説 https://youtu.be/-mGJxAy6TMM 苗字が風呂、黒森神社は九郎から... ハンガンカムイてゴールデンカムイには出てこないだろうか 澤田源内による足利尊氏や武田信玄の花押の模倣...まるで源氏博士だな() 金史別本、出てくる日は来るのやら この辺を混ぜてしっちゃかめっちゃかしたい 木牛(ぼくぎゅう、もくぎゅう) tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E7%89%9B 1, 中国・三国時代に蜀の丞相・諸葛亮が発明したとされる輸送道具(手押し車)。 >木牛流馬(ぼくぎゅうりゅうば)とも称する。 >魏への北伐に際して食糧輸送に用いられたとされる。 >西晋の陳寿が著した『三国志』や『諸葛亮集』にも登場するが、その仕組みについては明らかにはされていない。 >北宋の高承は「木牛は即ち今の小車の前轅有るものなり。」と小車(単輪の手押し車)の一種であると主張する。 >また「流馬は今の独推(手押しソリの類か。未詳)なり」とする。(『事物紀原』) 2, 中国・明から清にかけて用いられた、人力で犂を動かすために使われた代耕機械。 >当時は牛に犂を曳かせていたからだという。 >明の天啓年間に、イエズス会のヨハン・テレンツ(Johann Terrenz、中国名・鄧玉函)の説明を基に、王徴が「代耕(架)」という名称で中国に紹介した。 >木製の轆轤(ろくろ)に犂本体と紐を取り付けて、紐を曳くことで轆轤を回転させて犂を前進させたという。 ヤクーチアの寒さにもっとも強い馬(写真特集) tps://jp.rbth.com/lifestyle/84419-yakutia-samusa-mottomo-tsuyoi-uma > 現在、ヤクーチアでは、この品種には3つの亜種がある。 >1つは北方のオリジナル(地球で最も寒い場所の名をとって、ヴェルホヤンスク馬と呼ばれる)、 >やや小さめの南方の馬、そしてもう1つは、他の品種との掛け合わせである南方タイプの大きめの馬である。 (中略) しかし、ヤクートの馬にとって、寒い気候はまったく問題ではない。 >豊かな下毛のおかげで、馬は過酷な冬でも戸外に立っていることができる。 >寒い日には、上着をかけてやれば凍えることもなく、仔馬でさえも夜でも外にいることができる。 >これらの馬はすぐに皮下脂肪を蓄えることができ、蹄のある毛皮のボールのようである。 > ヤクートの馬は飼育場でも飼われているが、非常に独立している。 >たとえば、彼らは1メートルもの積雪の下から、蹄を使って草を集め、自分の食べ物を得ることができる。雪がどれほど深いか想像できるだろうか? (中略) ヤクートのトナカイ飼育者もこの品種の馬を使っている。体は大きいが、この品種は深い雪の中でも、道無き道でも、かなり早く走ることができる。 >しかしながら、ヤクートの馬は作業用として使われていることもある。日中、これらの馬は最大100キロほど歩くことができ、300キロの荷物を運ぶことができる。 >伝統的に、ツンドラを長く旅する前には、馬は丸1日食事を摂らない。脂肪を落とし、早く走れるようにするためだ。 (中略) この品種はこの地域にしか生息しないとされている。南方の暖かい気候はこの馬には合わない。 >この品種はヤクーチアまたは極東でしか見ることができない。 一方日本では、人が乗れるヤギ型ロボットが開発されていた。川崎重工「Bex」 tps://karapaia.com/archives/52311074.html > ちなみにBexの上半身は、用途に応じて色々なタイプに換装される予定だそうだ。 >建築現場用なら建築会社、プラント視察用ならプラント会社と提携して、それぞれの現場で使いやすい上半身を開発してもらう。 >川崎重工はあくまで脚がある下半身の開発に注力し、オープンイノベーション・プラットフォームとして提供していく予定であるとのことだ。 >なお四足歩行ロボットを開発したのは川崎重工が最初ではないし、ハイブリッド移動システムも前例がある。 >それでもきっとBexはそうした先駆者に追いつくことだろう。なにせ四足歩行運搬システムというアイデアがいい。 >ほとんどの四足歩行ロボットは、積載可能重力から何を載せるかが決められ、大抵の場合、せいぜいセンサーの類が搭載されるだけだ。 >はたしてBexの登場によって、ボストン・ダイナミクスが輸送四足歩行ロボット(BigDogやLS3)を開発していた古き良き時代は戻ってくるだろうか? >実現するのは大変なことだろうが、なんでも運べるツノ付きロボットが実現すればクールなんじゃないだろうか。 発見が続く 貴人埋葬の証し? 大阪・藤井寺の唐櫃山古墳に祭祀場 23日説明会 tps://news.yahoo.co.jp/articles/975039b83de0a4fb66851ef9b3ad4a30dc638286 > 今回の調査は整備事業に伴い実施された。遺物は全国的にも珍しい椅子形埴輪(はにわ)の他、円筒埴輪や大型の家形埴輪などが出土した。 >市教委文化財保護課は「巨大古墳に注目が集まりがちだが、周辺の古墳の意義が徐々に分かってきた。引き続き調査をしていきたい」と話す。 "現代にない形状" 400年前の大工工具が「国宝の屋根裏」で見つかる tps://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000272333.html?display=full 1636年当時のものとのこと 世界遺産薬師寺の発掘で近代の陶製品 「オーパーツ」の謎に挑む tps://www.asahi.com/sp/articles/ASQBG413HQ9PPOMB015.html 法雲寺だけでも何ヶ所もある 岐阜県揖斐川町 tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9B%B2%E5%AF%BA_(%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%E6%8F%96%E6%96%90%E5%B7%9D%E7%94%BA) > 天正10年(1582年)に揖斐の領主であった稲葉良通が没落していた旧主の土岐頼芸を招いて館を設けたのが起源である。 >土岐頼芸はこの地に移ってから間もなく没したため、その居館を草庵に改め、その名を法名の東春院殿左京兆文官宗芸大居士に因み東春庵とした。 >その後、正徳年間に現在の位置に寺基を移して東春山法雲寺と寺号を改めた。 >昭和49年(1974年)、別の位置にあった土岐頼芸の墓を寺の敷地内に移した。その際、墓が岐阜県指定の史跡となった。 秩父市荒川白久 tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9B%B2%E5%AF%BA_(%E7%A7%A9%E7%88%B6%E5%B8%82%E8%8D%92%E5%B7%9D%E7%99%BD%E4%B9%85) > 当寺には、何故か楊貴妃に係わる寺宝がある。 >本尊の如意輪観世音菩薩は、唐の第6代皇帝玄宗が楊貴妃の菩提を弔うため、自ら彫ったもので、不空三蔵が開眼したと伝えられる。 >1319年(元応元年)に建長寺の道隠が日本に持ち込んだという。現在は秘仏で、毎年4月18日に開帳することになっている。 >また「楊貴妃の鏡」というものもある。 土浦市 tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9B%B2%E5%AF%BA_(%E5%9C%9F%E6%B5%A6%E5%B8%82) > 城郭造りの境内で知られ、国の重要文化財や県指定文化財が数多く残されている。 (中略) 復庵は延慶3年(1310年)に元(中国)に渡り、中国の高僧高峰原妙の弟子である中峰明本のもと13年間修行を積んで学んだ後に >帰国して高岡に戻り、中峰を開山第一の祖、自らが二世となって法雲寺を興した。 >復庵の禅の教えは多くの崇敬者を生んで、佐竹氏・結城氏からも招かれて寺院を建立しており、法雲時は当時の中国最先端の禅と文化を北関東にもたらした。 >以来、中世には武将らに信仰されて小田氏に庇護され、最盛期には末寺300余か寺を抱える大寺として隆盛を極めた。 >戦国時代末期になると小田氏は佐竹氏や北条氏などに攻められ急速に衰退すると、天正2年(1573年)兵火により焼失した。 >その後一時衰退はしたが、江戸時代に入り寛応宗守により再興され、元禄2年(1689年)勅願所となり再び隆盛し、紫衣の着用を許された。 鎌倉殿#40 後鳥羽院の描く閑院内裏の修理予想図、壁穴から下々を覗きたい 「誰かを覗くということは、誰かに覗かれるということ」「HAHAHA、忘れておったぁ」 決意の硬さは怯えの裏返しなのか? 言われた仕事はこなす ※但し坂東に限る 「泉親衡、聞かぬ名だなぁ」「そもそも誰なんだ、この泉の何とかは」クッソ胡散臭い折笠 調べても何も出てこないw 西からの雅な匂い 「相撲で決めようじゃねぇか!」戦か相撲か 「...いきり立ってもらっては困ります」 「眉毛剃らせようか? 俺も剃るよ両方」そこに価値はあるんか...? 「...こぉんなにお子さんがおられたんですね」「これだけの髭面が頭を下げれば、小四郎も分かってくれるはずだ」 最も頼りになる者が、最も恐ろしい 無 数 の 和 田 義 盛 草燃えると比べて圧倒的に丁寧になったな... < 和田一族の前で胤長を晒してグッバイ 一方の実朝夫婦は仲むずまじくなった、噛まない 「蔵の中でよぉ、黙って木簡をいじっていたあの次男坊は何処いっちまったんだ?」 和田は自業自得と思ってたが、流石にこれは哀れよ 「読めました......読めました!! 父上はハナからそのつもりだったのですね」 10年20年先の脅威を今摘み取る 「父上は間違っている!」「...太郎、謹慎を申し渡す」否定はしなかった 北条の味方、故あれば和田に転じる、九郎胤義も分かってきた 尼御台は良心であってもブレーキじゃないんだよ... 「...姉上に叱られたのは、いつ以来でしょう」承知しました(承知したとは言ってない) 流石に今回は政子も分かってた 「私は小四郎と、固い絆で結ばれています」三浦を繋いでパワー差で和田を止めようとする 朝時マン帰還、二郎は戦闘力はあるんだよね 花見のついでに歩き巫女を呼ぶ趣向 幸せ三、寂しさ七、寂しさ十よりはマシ この鎌倉が火の海になる、由比ヶ浜に髭面の首が列ぶぅ 「いつものように、ここでごゆるりとお過ごしなさいませ」 我が家の秘策、一勝一敗、いや和田の方かよw(髭リボン) 「俺は死にません」「...いつまでも、そばにいてくれ」小四郎も鎌倉を思ってのこと、二度とないように羽林が目を光らせる 「久々に会えたのだ、双六でもどうだ?」上総介と仁田で完全アウトぉ... 今の鎌倉殿は賢いし度胸があるし、何よりここが暖かい、望みの鎌倉殿... あちゃあ、巴御前は指揮を取ったこともあるからなぁ 「先に言っておくが、この乱は失敗する」蝙蝠平六そこで言うか 刀を突きつけられて「いいだろう、(起請文)書こう」この野郎w 「御所の守りを解くように言ってきます」一方のトウは平六との連絡役に 三浦、八田、長沼、ルビコン川を渡る...渡ったのか?() 頑駄無Thunderbolt鬼蓮 ~ 真空遠雷 ~ 第5弾 狩衣で勝負 ~ 敵は乳兄弟 ~ ~ U.C.0100 サイド3 7バンチ/クィズィル 岩の溜 ~ OPテーマ Okna Tsahan Zam - Eejin Duun tps://youtu.be/3rPtuCvbUtw 「四つくれ!」 「二つで十分ですよ」 天然石の牢屋敷では食事量が制限されており そこで音を上げる禿童や衆徒は少なくない。 定住先もなく体力の大量消費が見込まれる遊牧民には、尚更のことだった。 「足りないんだったら1コ譲ろうか?」 「よせよンガッパ、俺はガリから恵まれるほど乞食じゃない」 ナムバートルは紙カップで湯気立つポンテギ(蚕の塩ゆで)を、口に放り込んで忌々しげに噛み潰した。 「そういや、兎狩りは週末だっけ?」(ンガッパ) 「ハフッ そうだよ」(ナム) 「誰か溜の外に、出られるのかな」 ンガッパは体格の割に骨が浮いていた。 「他人の施しなんかアテにするな、モスクワは涙を」 「信じない」 「そうさ。渡る世間は何とやら、じゃないか。 神仏なんざアテにした時から負けてんだ。 お前こそ、1コどうだ?」 「いいよ、せっかく胃が小さくなってきたんだし」 ~ 貴族連合 郡王の別業(旧農業プラント・ヘトゥアラ) ~ BGM Huun Huur Tu - Mountain Story tps://youtu.be/jXL5tCU6HEw 「相も変わらず、壮麗なる見晴らし。 造園が薫りますな」 別業(なりどころ)は貴族の別荘で、狩猟や花見の基地にも使われていた。 屋上のテラスからは対する山城が見え、光の道モニュメントも立てられている。 「狩宿の設営も順調。 今年はどれほどの兎が、獲れるものか」 「兎を逃がしたことなどあったか?」 「これはしたり!」 岩の溜が手狭になると、ダルバール広場の蘇鉄の開花に合わせて「兎狩り」が行われる。 囚人たちには魔羅坊殿で回収した旧式の機体が宛てがわれ バルク旗の戦士や各宗派の僧兵、神官から選ばれた勢子・射手が彼らを狙う。 山城の大松明が上がってから3時間生き残るか、指定の火除地まで逃れれば囚人の勝ち、 それまでに彼らを掃討できれば勢子・射手の勝ち。 尤も、過去10年の実施で囚人側が逃げ延びた記録は残されていない... ~ 7バンチ/クィズィル バルク旗 首長のユルタ ~ 「兎狩りの射手には、スフ、お前を出す」 ナラギリ・バガテュルは言い放った。 「乳父上、私にナムを処せとの仰せですか?」(スフバートル) 「お前は判断が遅いと言われがちだが、それだけよく考えている。 自分で決めるんだ、弟を生かすか、斬るか」 スフバートルは日課の薪割りを終えると 自身のユルタに戻り、炉の奥の仏壇に手を合わせて逡巡する。 「私が、ナムを...」 ーーーーー 「ナラギリ首長は、スフバートルを出すと言われたか」 紫冠の郡王が反応する。 「先日に続いてブレッダ改も出るようです」(青冠) 「あれならコロニー内での機動力、申し分なし。 手抜きということでもなさそうですな」 赤冠は確信を得た、と扇を音を立てて閉じた。 「魔羅坊本山、操虫神党とも然と示し合わせよ。 手抜かりがないようにな」(紫冠の郡王) 「はッ!」(赤冠・青冠) ~ 岩の溜 ~ 水琴窟の音は、囚人たちの雑談に消え入る。 「あんたぁ、くじに当たったんだって?」 メトク・ブシュカンはナムバートルの元同房で、親しい仲だった。 「お前もか、ブッシュ。 新たな友との船出とは、よく当たる富くじ売り場かな」 「おいおい、シャーリィ・ジャクスンじゃなくても当たらなくていいくじはあるさな」 「? これって間引きなのか」 「トホホ...おめでたい奴だなぁ。あんたぁ」 「ま、何にだって抜け穴はある。 一矢報いてみようじゃないか」 ナムバートルは強気に言ってみた。 ーーーーー ~ 郡王の別業(ヘトゥアラ、通常よりやや大きい農業プラント) ~ 「火除地は基礎を抜き、崩れやすいようにしておけ」(黄冠) 「今、なんと...?」(青冠) 「一網打尽にするのだ、たまにはこんな趣向があってもよい」(黄冠) 「ハッ! 直ちに」(赤冠) 「こんなことをして、テングリに祟られでもしたら...」(青冠) 「神官に見させたが、神意には背かないようだぞ? それにな、あの辺りはジオン独立戦争の頃から改修もされてない宇宙の化石よ。 供養塔でも立て、手早く復旧すれば我らの普請技術が示されもしよう」 黄冠(赤冠より高く紫冠より低い)は畳んだ扇を掌に当てた。 ーーーーー 「あんたぁ、ドムなんかでいいのか?」 ブシュカンはナムバートルの機体に目を止める。 彼ら囚人はジャンクヤードから機体を見繕い、自身で改修して乗り込む流れだ。 「よく見ろ。これはドムIII、見た目より上玉なんだ」 右にはブシュカンのグフ(サンダーボルト版)、左にはンガッパのザクII-F2型(連邦カラー)が並ぶ。 「懐古趣味って、そんなにいいものかねぇ」(ンガッパ) 「俺にも分からん」 ーーーーー BGM Altai Kai - ОЙНО, ОЙНО, Алταй(甦れ、甦れ、アルタイ) tps://youtu.be/3encA6KYQUI 「夏は終わり」 「天高く馬肥ゆる秋!」 香炉峰で解体した破れ寺を燃やす大松明に火が灯り M.S.E.(ミノフスキー・サウンド・エフェクト)で増幅された ヒキメ(大型の鏑矢)と法螺貝の音が大きく響くと、クィズィルの兎狩りが始まる。 「一番射手は、拙僧よっ!」 クーラル・モスムのゴブリンAが第一射を放つ。 「やられたっ!」 (禿童で編成された)勢子のズサ隊に追い立てられていたンガッパは、 ザクマシンガン改と右前腕を破壊されてしまった。 「ブシュカン、ンガッパを援護して下がってろ! こっちは俺が対応する」 ホバリングで突撃するナムバートル。 「グーパンなぞっ!」 ゴブリンAに向かった握り拳は、そのまま前腕部ビームカノンとなってモスム機の頭を抉る。 「邪魔だッ!」 ゴブリンAは味方陣営へ投げ飛ばされる、飛火槍(ミサイルランチャー)を構えていたズサとゴブリン・タイプの勢子隊は将棋倒しになった。 ーーーーー 「勢子が活発だ、こっちに来るぞ」 スフバートル陣営が動き出す。 彼らは陸戦強襲型ガンタンク、ブレッダ改、シダーロゼット(ロゼット・ホバー強化型)の構成だ。 「スフ、あんたナムの首を獲る覚悟は出来たのか?」 バルク旗の狩人の一人、ガーダー・メイリンが尋ねる。 「やってみなきゃ分からん、正直怖い」 「俺だってそうさ」 ーーーーー 狩人たちを返り討ちにしていったナムバートル一行が次の陣地に突撃をかける。 「見えた、バルク旗!」 すかさずビームカノンを放つナムバートル。 「来たな...」(スフバートル) ドムIIIは弓を模した上下対称のヒートソードを構えている。 (ブレッダ改はあるが...違うな)ヒートソードの複合弓はシダー・ロゼットに向けられる。 「行くぜ、スフ!」 「ナム、覚悟!!」 シダー・ロゼットはヒートパタを伸長して熱核ジェットエンジンを蒸かす、そしてホバー! やはりホバリングしているドムIIIは複合弓から自己鍛造弾を発射、 ロゼットはロング・スカート・ユニットで受け流しながら ヒートパタに励起させたビーム刃を発射、ドムIIIは横にした弓でビーム刃を引き裂き突撃、 大型ビームライフルを掻い潜って胸部にビームカノンを向ける。 が、ロゼットもヒートパタを捨ててビームサーベル(非励起)を胸部に当てていた。 「勝負あったな」(スフ) 「どっちが?」(ナム) ドムIIIは岩の溜から集めた郎党たちに向き直る。 「紹介する、俺の兄弟たちだ!」 ~ 郡王の別業、ヘトゥアラ ~ BGM Altai Kai - Τуулу Алταй(アルタイの山) tps://youtu.be/vPXP5uE39bs 「バルク旗が反旗を翻しただと?禿童は何をしていた」(黄冠) 「丸ごと寝返ったよあで...旗は狩人・勢子を次々に殲滅してコチラに向かってます」(青冠) 「魔羅坊のホジャ・ギジェット大司馬、操虫のアチャル・ファフライ大司空、我ら連合からはドフチャク・セメンチノ大司徒を派遣しています!」(赤冠) 「大事になった、折角の三日厨がこれで台無しぞ...」(紫冠の郡王) ~ バルク旗・囚人チーム、ヘトゥアラ ~ 「火除け地に寄ったンガッパが落とし穴にハマった!」(ブシュカン) 「そこまでやるか...」(ナム) 「我々は桟橋のランチとシャトルを奪い脱出する、機体に不具合のある者は捨て他とタンデムせよ!」(スフ) 「何とかなるのか?」(ガーダー) 「心配するなよガディ、スフがこうすると決めたら大抵何とかなる」(ナム) ~ ドムIII(アーヴァネゲン・ナムバートル) VS ガブール・カメンカ式3型(ホジャ・ギジェット) ~ 「一っっっ番めんどくさいオッサンじゃないかよ!」 「生きて帰れると思うな、小僧ッ!」 ヒートグレイブを振り回すカメンカ式に一か八か複合弓で突撃をかけるドムIII。 「ムッ」「おろっ」 互いの機体にサーベルの柄が触れ、励起した。 カメンカ式は左腕が吹き飛び、ドムIIIは胴から盛大に火を噴く。 「...小癪な」 ホジャはサーベル越しに手応えの無さを実感した。 全天周モニターの端にはイジェクション・ポッドから猛ダッシュで逃れるナムバートル、追う気も失せる。 「その甘さを後悔するぜ~!」 ナムバートルは舌を出してアッカンベーしながら走ってコケかけた。 「放っておけ、生身の人間は勢子と禿童の連中に任せる」 ホジャは追撃しようとするアッグジン隊を制止した。 ~ シダー・ロゼット(ホリネク・スフバートル) VS バイアラン"クズロルダ"(アチャル・ファフライ) ~ スフバートルとファフライは発着場から宇宙空間へ飛び出していた。 「機動力はこっちの方が出せる」 シダー・ロゼットは推進システムをロケットエンジンに切り換えて対応している。 「クズロルダの敵ではない!」 ファフライは止まらない、加速し翻弄するように舞う。 腕部、胸部、背部追加バインダーからビームを吹く。 スフバートルはコンソールを操作し、ロング・スカート・ユニットからIフィールドを発生させ受け流す。 「そんな微弱な力場で!」 サーベルを励起し迫るファフライ。 触れる刹那、カラリとヒートパタが蛇腹に別れ、クズロルダを絡め取る。 「何ぃ!」 「フンっ」 スイングで艦の残骸にぶつけられるクズロルダ。 「ごは...っ」 「ファフライ宮司!」 「皆で旅立て」 急変に支援に来た祝部たちのガザC改は、大型ビームライフルで一直線に、そして長射の広がりで掃討された。 ~ ブレッダ(ガーダー・メイリン) VS バウbis(ドフチャク・セメンチノ) ~ メイリンのブレッダは脚部ホバーユニットをパージし、 その裏からガーディアン・シールドを展開、構えてヘトゥアラの発着場にいた。 「プラントには入れん、この機体は 借り物、宇宙にも出すものか!」 バルカンショットマシンガンと盾バルカンでバウbisの動きを牽制する。 「効かぬ効かぬ効かぬ効かぬ!!!!」 ビームライフルから刃を形成し、全弾を紙一重に躱していくドフチャク、距離が詰まっていく。 「セイハーッ!!」 「!?」 刃の届く範囲に入った瞬間、ブレッダのスカートから2本のサーベルが展開されバウbisの両腕を奪い切った! 「隠し腕か! 小癪なぁ!」 バウbisは胸部バルカンで牽制しながら撤退しようとするが、機体パフォーマンスが崩れたところに弾幕で機体にダメージが広がる。 「覚えておれっ!」 ドフチャクはイジェクションポッドで脱出、残った機体が特攻をかけてくる。 「不味い、こっちの火力じゃ受けきれないぞ!」 迫るバウ。マシンガン、盾バルカン、胸部バルカンだけでは防ぎようがない。 「悪い、遅くなった!!」 そこに奪ったズサのナムバートル、そしてロゼットのスフバートルが合流する。 「これを使え!」 スフバートルは拾ったビームバズーカをブレッダに投げ渡す。 「一斉射でバウを仕留める...せーのッ!」(スフバートル) ロゼットの大型ビームライフル、ブレッダのビームバズーカ、ズサの拡散ビーム砲が一点を目掛けて放たれ、辺りは光に包まれた... EDテーマ Alash - For My Son tps://youtu.be/lcK0SksqurA 第5弾、脱稿。 巻狩りを介してナムバートル脱出の巻 貴族連合の冠は琉球王国の位階に即したものを使っています https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/%E4%BD%8D%E9%9A%8E%E5%88%A5%E5%86%A0%28%EF%BE%8A%EF%BE%81%EF%BE%8F%EF%BE%81%29.JPG 阿衡(連合の最上位)が浮織冠を使うかは未定 M.S.E.(ミノフスキー・サウンド・エフェクト)は本作オリジナルです、他で見かけたら教えてください。 本作では新興宗教が積極的にミノ粉の特性を発見し、滅亡に合わせてオーパーツ化していく路線となります バルク旗のガーダー・メイリンは「末子防衛隊長」という意味で、20世紀初頭の内モンゴルの戦士に由来します。 この名前なので盾がメイン武器、ナムバートル→弓の英雄、スフバートル→斧の英雄に符合させてます 今回スフバートルが乗ったシダー・ロゼットは実質的に強化陸戦形態で ロングスカートユニットに実験段階のIフィールド発生装置を追加、角度が良ければノーダメージってところです。 メイン武器がヒート・パタで、有り体に言えば細長いジャマダハルです。 「シダー」というのはバラ状に広がるヒマラヤスギの松ぼっくり、シダーローズに由来しています tps://lovegreen.net/lifestyle-interior/p69577/ 各勢力の戦士が登場(ファフライは死にましたが...)、ナムとスフのそれぞれの話をやったところで 容量的なこともあるので、このスレのSS投稿は終わろうと思います。 おって次スレを用意、引き続き投稿予定です! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる