輸入がお辛い中、肥料を作るのもまた骨なようで

ブルーベリー ぼかし肥料
https://farm-fujisaki.com/?p=4629
> ぼかし作りは重労働だ、ネットで騒いているほど発酵熱でやられるということはない、ネットは騒ぎ過ぎかもね、ウチは直撒きでも毎年問題ない、という事を言っており、
>同様にぼかし作りが重労働に感じていた私は、じゃあウチも真似しようと思っていました。
> が、、、やはり心のどこかで懸念が払拭できませんでした。発酵熱の他にも猪などの獣害の可能性、
>ご近所さんへの臭いの被害ということも考えると、なかなか気持ちがスッキリせず、結局仕込むことにしました。
> ちなみにそのお客様はチップを株元に撒いて、その上に米糠を撒くらしく、発酵熱があったとしても直接根まで行かない、という事を仰っていました。
>結果チップの分解を促進し米糠の効果を出せたら確かに合理的ですね!ただ雨に濡れてダマになって腐食したりしないのかなぁ、という心配も少しあります。
> ん~、少量ならやってみても良いかもしれません。
>やるとしても趣味で植えているブルーベリーで試してからだな、という事でメインのブルーベリーには例年通りぼかし肥料を使うことにしました。

文安の麹騒動
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%AE%89%E3%81%AE%E9%BA%B9%E9%A8%92%E5%8B%95
> 当時の酒屋は、まだ麹造りまでは職業範囲ではなく、「麹屋」という麹の製造から販売までを担う専門業界が別個に存在していた。
>麹屋は北野社(現在の北野天満宮)の神人(じにん)身分を得て「麹座」と呼ばれる同業者組合(座)を結成しており、
>北野社(本所)の権威を背景に京都西部の麹の製造・販売の独占権を有していた。当然ながら北野麹座は、酒屋の麹造りに強く反発した。
(転機) この情勢に目をつけた北野麹座は、運上金の供出を持ちかけて幕府に接近すると応永26年(1419年)には、京都全域における麹の製造販売の権利一切を幕府から獲得した。
>そのため京都の全ての酒屋は自前での麹造りを禁じられ、北野麹座から麹を購入せざるを得ない事態となった。
>当然ながら反発した酒屋側だったが、兵を動員した幕府により「麹室」と呼ばれる酒屋付属の麹工房を悉く打ち壊された。
> ところが、応永32年(1425年)に幕府が酒屋の麹造の摘発と名簿の作成による統制を強化すると、
>応永33年(1426年)には延暦寺の影響下にあった近江国坂本の馬借も酒屋が麹を造れなくなったことで米余りが生じ、
>その結果米価が暴落して米を輸送する仕事が無くなったとして北野社の襲撃を計画する事件も発生している。
>その後、正長元年(1428年)になって延暦寺と北野社は独占の是非を巡って訴訟を起こしており、
>清水克行は正長の徳政一揆は敗訴した延暦寺と馬借たちの本来の意図は北野社を襲って麹の独占を解体させることにあったがこちらは幕府軍に阻止されて、
>派生的な行動である酒屋や土倉の襲撃のみが成功したとしている(馬借も酒屋も延暦寺の傘下にありながら、逸脱・暴走した一揆の流れを止めることができなかった)。
(結末) 麹座と酒屋、そして背後の北野社と延暦寺の対立はエスカレートし、文安元年4月7日(1444年5月8日)延暦寺は西塔釈迦堂に立てこもり、次いで京都に向けて強訴を行った。
>その3年前の嘉吉の乱以後、政治的影響力を衰退させていた幕府はこれに屈して、北野麹座の独占権の廃止を認めてしまう。
>この決定に今度は北野麹座に属する神人らが北野社に立てこもった為、管領畠山持国は同月13日(1444年5月14日)に鎮圧の兵を北野社に差し向けた。
>このため武力衝突に発展して死者も出した上、北野社を含む一帯が炎上したものの幕府側が付近を鎮圧した。

続きは代引き先とする↓
リリー 広島胡町
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/shar/1593888376/99