【2006年】トリノ五輪【イタリア】
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鮮烈だった15歳浅田真央の「くるみ割り人形」 87日不足で五輪出られず…
2005年12月17日。15歳のあどけない少女が舞う「くるみ割り人形」に観客はくぎ付けになった。
フィギュアスケートの浅田真央がグランプリ(GP)ファイナルに初出場した。ショートプログラム(SP)で首位の浅田はフリーでも高難度のトリプルアクセルを成功させ、合計189.62点で初優勝。
会場には地鳴りのような大歓声が響いた。世界女王のイリーナ・スルツカヤ(ロシア)を抑えての快挙だった。
シニア参戦初年度で、GPファイナルを制覇。しかし、直後の06年2月に行われたトリノ五輪には年齢制限のため出場できなかった。浅田は9月25日生まれ。
当時、五輪への出場は、国際スケート連盟(ISU)が「開催前年の6月30日までに15歳に達していること」と定めており、わずか87日足りなかった。
本人は「少しは出たいという気持ちもあるけど(2010年)バンクーバー(五輪)があるので、そこに気持ちを向けられればいい」と健気な“乙女心”をのぞかせたが、同情論が噴出した。 フィギュアの年齢制限は、子供の成長を妨げる過度な練習や精神的重圧を避けるため、医学的見地から設けられた。
若いスター選手のプロ転向に歯止めをかけたいという裏事情もあった。
4年後のバンクーバー五輪。浅田は、ライバルのキム・ヨナ(韓国)に敗れ、銀メダルに終わった。次のソチ五輪ではメダルに届かなかった。
それでも、フリーで最高の演技を披露し「4年間のすべてを出せた」と達成感をみなぎらせた。引退をちらつかせることもあったが、今季は休養宣言。
来季以降については「ハーフハーフ(半々)」「時の流れに任せればいいのかな」と明言を避ける。
8年前、トリノの銀盤に15歳の真央ちゃんが舞っていたら…。
かなわぬことと分かっていても、多くの日本人がそんな夢想を繰り返してきた。=敬称略 (神)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141206-00000512-san-spo >>34
みどりだけを見て言ってないか
トリプルはトゥループとサルコウだけの計3回で五輪金が取れるような時代だよ ■羽生結弦
http://tokai-tv.com/announcer/odashima/2014/04/081436.html
「トリノオリンピックはプルシェンコが4回転ジャンプを決めて優勝しました。
しかし、バンクーバーでは4回転への挑戦を避けて失敗しない策をとった
ライサチェックが優勝しました。フィギュアスケートの技術が後退しました。
アスリートである限り、より高みに挑戦し続けなければいけないと思います。
僕はオリンピックチャンピオンとして技術の進化に挑戦する義務があります!」
■伊藤みどり
4/15放送"村上信五とスポーツの神様たち"
(オリンピックの舞台でトリプルアクセルに失敗 その時…)
【わたしは勝利者になりたかったけど】
【それにもまして先駆者になりたかった】
「やっとこの前、女子のトゥクタミシェワ選手がトリプルアクセルを、
女子もトリプルアクセルの時代に入りましたので、その最先端にいさせてもらえたんだなっていうのは、
改めて頑張ってきて続けてきて、良かったなと思って…いま思いました」
■エリザべータ・トゥクタミシェワ
http://s.ameblo.jp/lm116416/entry-12006500481.html
「トリプルアクセル抜きでは世界選手権に出ないとすぐにコーチたちに言いました。
もしかしたらコーチたちは迷っていたかもしれませんが、私は違います。
フィギュアスケートは進化しなければいけません。
それに、今後女子選手たちはこのジャンプを跳ぶでしょう。
トリプルアクセルは夢ではなく、ありふれたものになります。
フィギュアスケートは前に進まなければなりません。
浅田真央選手や他の選手みたいに、
このジャンプを跳ぶ先人の一人にならなければならないと、私は決めたんです」 ■樋口新葉
4/16付"Number"875号
「来季は世界ジュニアでもちろん優勝したいけれど、一番の目標はトリプルアクセルを跳ぶこと。
トリプルアクセルは『跳びたい』ではなく、平昌五輪では『確実に跳べている』技です。
同じくトリプルアクセルを持つトゥクタミシェワと戦いたいんです」
「憧れは浅田真央ちゃん。でも最近は、宇野君の飛距離があるトリプルアクセルや、
伊藤みどりさんの映像も見て、空中に飛び出して行くような感じをイメージしてます」
■宮原知子
http://www.asahi.com/sp/articles/ASH495SQ3H49UTQP029.html
――平昌五輪までに、どんなジャンプを跳びたいですか。
こうなりたいと思い描いているイメージはありますか。
「具体的にはあまり考えていませんが、徐々にレベルアップしていけたらいいかなと。
3回転ルッツ―3回転トーループ、3回転フリップ―3回転トーループを入れられたらと思います。
トリプルアクセル(3回転半)ジャンプはすぐには試合には使えないけど、もっと練習して徐々に跳べるようにしたいです。
来季はちょっと無理です。平昌五輪までに? そうですね」
■キム・ヨナ
http://japanese.joins.com/article/801/126801.html?sectcode=670&servcode=600
キム・ヨナが2日、記者会見場で、ブライアン・オーサー・コーチが前日
「技術発展のためにトリプルアクセルに挑戦すべき」と述べたという話を聞いた後、
「初めて聞いた」と言いながら当惑する表情を見せた。
キム・ヨナは後ろの席に座っていたオーサー・コーチに向かって「本当か」と尋ねると、
オーサー・コーチは「昨日の韓国取材陣とのインタビューでそのような話をした」と答えた。
キム・ヨナは「今シーズン見せた技術的なレベルが自分ができる最高のものだったので、
世界選手権大会でもその演技をミスなくすることが目標」と答え、
トリプルアクセルに挑戦しない考えを表した。 当時無名だったゲデ子が最終グループ入りしたのはみんなびっくりしてたね。 タラソワの秘蔵っ子だったときね
ユーロではジャンプもクリーンに決まってショートで3位だったし、印象に残ってるわ クワドはトゥループとサルコウだけの計3回で五輪金が取れるような時代だよ
何十年か後にはそういう言われ方するんだろうな >>77
そんなの当たり前だろ
どんなスポーツも年月がたてばレベルはあがる。
こういうのかくやつって、ほんと頭のレベルが低すぎる 荒川さんはほんと感動した。いまでもユーチューブ見るときがある。 でも3-3成功者はいなかったんだっけ?
トリノ女子 エッジエラーが厳罰化したのって、
トリノ五輪シーズン後の2006-07年よね?
それまでは解説者が指摘することはあってもジャッジとして減点されることはなかったのよね
この煽りを一番喰ったのは浅田真央よね
逆に助かったのは荒川静香などよね >>82
厳格化は安藤が世界を取ったあとの2007-2008からだね
だから2007ワールドまでは真央のふんわりドフルッツでも加点盛り盛りもらってた >>84
個人的には真央のピークはやっぱりこれ
この時の衝撃は日本全国に激震が走った
新たな時代のスター誕生の瞬間! 浅田が出てたらと言う人は、
その年のジュニアで浅田が負けた
キムが出てたらとは考えないみたい。 真央がトリノに出ていたら間違いなく「金」城田元強化部長が激白
10日に引退を表明したフィギュアスケート女子の2010年バンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(26)=中京大=。
98年長野から06年トリノ五輪まで日本スケート連盟フィギュア強化部長を務めた城田憲子氏(70)=ANA監督=が
強烈な出会いの印象を明かし「トリノ五輪に出ていたら金メダルだった」と語った。
荒川静香が金メダルに輝いたトリノ五輪に、もしも真央ちゃんが15歳で出場していたら―。
間違いなく金メダルを取っていたと今でも思っている。
トリプルアクセルを跳べればという前提になるけど、真央ちゃんは、おそらく満点近い点数をジャッジから与えられる要素を持っていた。
氷上での美しさであり、ジャンプのダイナミックさ、そして演技力。
トリノには彼女を8歳から育成してきた強化の責任者であった私が、誰よりも出したかった【注1】。
初めて会ったのが彼女が8歳のとき。
これは私の長い強化の人生でも永遠の思い出。夏の長野・野辺山での有望新人合宿に山田満知子コーチが姉の舞さんと一緒に連れてきた。
一言も二言も注文の多い山田先生が「すごいのよ」と言う。
基礎を教えるのがうまい門奈(裕子)コーチの指導を経ての来訪とも聞いていたけど、ひと目見た瞬間、滑りすら見てないのに
「この子は将来、必ず世界チャンピオン、五輪で金メダルを取るな」と直感した。
エレガントさがあり、何といってもキュート。これって理屈じゃない。
合宿に入れる年齢は9歳からだったけど、私の独断で、ルールを取っ払って入れた。 フィギュアスケーターの育成は、花を咲かせることに似ている。
水をやりすぎると根腐れしちゃうし、日に当てなければ育ちが遅くなる。
02年全日本選手権は出場資格の年齢の壁をなくし、若年層にも幅広く門戸を広げた。
当時小学6年生、12歳だった真央ちゃんはトリプルアクセルは跳ばなかったけど、3―3―3回転を降りて7位。
ジャンプに確実性があり、ぶれない軸の強さがあった。
戦うことにちゅうちょしない子だったけど、全日本に出す前の経験と考え、海外のノービス(ジュニアの下のクラス)の大会に出した。
頼み込んで出させてもらった大会で、いつも真央ちゃんが表彰台の真ん中だから、欧州のジャッジたちに「ミセス・シロタ! メダル泥棒だよ」と言われたこともあったかな(笑い)。
荒川ら世代との交代後、最高のライバル安藤美姫らと黄金世代を築き、フィギュア界に多くの恩恵をもたらしてくれた【注2】。
広いアリーナでジャッジ、多くの観衆を魅了する演技をするフィギュアスケートは、類いまれなる能力がないとできない。
そのトップを突っ走って時代を築いた浅田真央には、今度は1人の社会人として、もう一つの大きな花を咲かせてほしい。 【注1】06年トリノ五輪の出場資格で、前年7月1日時点で15歳の条件があったが、
真央は15歳の誕生日が9月25日で、条件を満たすには87日足りなかった。
【注2】浅田の登場で日本スケート連盟はスポンサーやチケット収入が劇的に増えた。
シニアにデビューした05年度に約6400万円だった単年度黒字は13年度に11億円超まで膨らんだ。
◆城田 憲子(しろた・のりこ)1946年、東京都生まれ。70歳。立大卒。
選手時代はシングルとアイスダンスで活躍し、ダンス部門全日本選手権2連覇。
引退後は日本スケート連盟で選手強化を手掛け、98年長野五輪から、荒川静香が日本初の金メダルを獲得した2006年トリノ五輪まで日本スケート連盟フィギュア強化部長を務めた。
国際審判員とレフェリー資格を持ち、五輪などの国際試合でレフェリー、ジャッジも務める。現在は羽生結弦が所属するANAの監督。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170411-00000268-sph-spo
スポーツ報知 4/12(水) 5:04配信 失敗はあったけどサーシャのロミジュリの時の表情や振り付けが好きだ
ショートはスルツカヤがかっこよかった。
でも総合的にみるとやっぱ荒川さんよかったな 荒川さんは綺麗だった
しかしレジェンドにはなれなかったね レジェンドになるには世界選手権1回と五輪1回の金メダルで十分なんだけど、それ以外のGPSとかの成績がふるわないからね。
むしろ効率よくとってるな、という印象 2006 トリノ五輪(2006年2月21日〜23日)
1位 191.34 荒川静香
2位 183.36 コーエン
3位 181.44 スルツカヤ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
9位 153.50 コストナー
10位 151.46 ゲデヴァニシヴィリ
2006 世界ジュニア(2006年3月6日〜9日)
1位 177.54 キム・ヨナ
2位 153.35 浅田真央
浅田真央がトリノに出ていてもメダルすら無理 もし浅田が特例でトリノに出ていたら、全日本3位だった荒川静香はトリノに出られない >>99
あれ?順位は忘れたけど全日本は村主 浅田 荒川が表彰台でトリノは浅田が出れなかったから全日本4位以下の安藤が3番手で代表になったのでは? >>100
安藤はポイント数で前に前に内定していた >>102
トリノ代表発表は3番手で安藤が呼ばれてたから内定順位は村主 荒川 安藤 いずれにせよ真央ファンの願望たらればや城田のマオタ媚び発言なんて無意味。
トリノ直後の世界ジュニアでショートからミスしてフリーでもミス重ねて
シーズン集大成の大きな試合で、連覇出来ず惨敗してた真央が、
トリノに出ててもメダルは無理だったと思う メダルはともかく、日本スケ連は最初からISUに陳情までして真央を出す気はさらさらないことは分かってる。
スポンサー絡みとか、そこまで育てて売り込んできた3人以外を出すことはできなかったんだよ。 “皇帝”プルシェンコ、真央にエール!「次の夢をかなえて」
テレビ朝日が11日、浅田真央(26)=中京大=の引退をうけ、緊急スペシャル生放送「ありがとう!真央ちゃん」(後7時)を放送。
番組内で2006年トリノ冬季五輪男子金メダリストで「皇帝」の愛称で親しまれ、3月31日に引退を表明したばかりのエフゲニー・プルシェンコ氏(34)=ロシア=からのメッセージを紹介した。
プルシェンコ氏は「真央、みんな君のことを愛してるよ。真央、何と声をかければいいのか、君は素晴らしい選手だよ。
君はフィギュアスケートに大きな貢献をした。素晴らしいジャンプ、スピン、表現力でフィギュアスケートを前進させたんだ。君の決断は大変難しいものだったと思うけど、気を落とすことなく前へ進むんだ。
新しい目標を立て、次の夢をかなえて欲しい。新しい人生は始まったばかりだ」と引退を発表した浅田にエールを送った。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170411-00000214-sph-ent ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています