小倉側、今の浅野のりばは、てっきり既設のRO-RO埠頭を転用したものだと思ってた(元SHKと言う、とんでもない思い違いをしてる人も居る模様)んだけど、当航路移転用にわざわざ造成整備したみたいね。
’既成施設の流用‘と思い込んだのは、東側にもうひとつバースが有り、ここには可動橋の施設が無い(撤去されたと思ってた)から。
前述通り、浅野の施設は当航路(当時は関西汽船が運行)の為に新規設置された物なので、車載施設は撤去されたのではなく元々取り付けられてなかったんだと思う。
にも関わらずフェリー埠頭として成形されている(可動橋取付準備のような形状)のは、何らかの航路を誘致しようとしていたのか?