民主主義に生きる健常者は、民主主義のゆがんだ暴走の産物である「弱者救済社会」を守るために、
道徳を建前に親に育児を強制させている。
親に育児を放置したり、ましてや処分など許さない。
じゃないと、弱者救済の美しい社会が崩壊してしまう。と思っている。
実際は、いじめだなんだの、その手の事件が世間を騒がせている現在、
弱者救済の美しい社会はすでに崩壊、というよりも最初から無かったわけだが。
しかし、言い方はどうにでもできるわけで、そういう事件を起こした人間を逸脱者とすることで、
社会より叩き出し、美しい社会を必死で守ろうとする。

池沼を殺したいと思う親などいない、
などというのはこういうゆがんだ社会から生み出された滑稽な思考だが、
その思考の本質は、
「この社会は弱者救済によってなりたっているのだから、
それに反するような行動をとる親は排除する、認めない」
ということになる。

まあ、
弱者救済の理想ばっかり先行して、実際と理想のギャップから生ずる負担は全て当の弱者に行ってるおもしろい社会ですよ。
民衆は二度と搾取されないように、強いものがのさばらない社会=弱者救済の社会を生み出そうとしてきたが、無理がありすぎた。
現在の相互補助制度財政事情を見て分かるように、弱者救済を社会全体でやるのには想像以上に負担がかかりすぎる。

封建制度が民主主義に変わり問題が吹き溜まりだした。
そろそろ次の時代がくると思っている。
おそらく救済制度が弱まった社会が。

そのときには、弱者救済を叫ぶ弱者の皆さんは覚悟しておいてください。
全社会の池沼を、一般人並の生活をさせる余裕はいくら効率がよくなっても絶対にでてきません。
人類が「やはり弱者救済の社会には無理があった」と気付くのはもうまもなくです。
1のような社会になる可能性もありでしょう。