ホラーFlashについて。
時事ネタの多くにも当てはまるのだが、旬が過ぎた流行ネタって資料的価値はあるけれど、怖さは大きく目減りする。
何でかと考えてみたけど、「驚き→恐怖」「現実との親和性→見ているこちらにまで降りかかるのではないかという恐れ」みたいなのがあって。
つまり殺人とか幽霊とか非現実のものを怖がるのだけど、怖がる媒体としての日常、現実がしっかり土台にあるのが前提となっている。

>>109
の赤い部屋。
当時は氾濫していたポップアップ広告。ネットで見るたびにウザいと思っていたそれを、閲覧後に出くわしたときにすっと寒い予感がよぎった。
海賊版では実際に「赤い部屋」のポップアップ広告を出す、的なメタな演出を取り入れていた。
けど、今だと、あ、一昔前にあったなこういうこと、って他人事になってしまい、恐怖感は薄い。

映画「リング」が爆発的に流行ったのも、呪いのビデオというアイテムがあって、その映画を実際にビデオで見るからこそメタ的な恐怖を身近に起こし……
今じゃあ、DVD、ネット動画、そういう魔力は薄れた。

じゃあ、そういうノスタルジーと恐怖は、相いれない水と油なのかと言うと、トラウマという言葉もあるように一概には言えない。
廃校になった校舎が、魔力を待つように。
かごめかごめの歌が、怪しく響くように。(人面犬はギャグになっちゃったすね)
スティーブン・キングの小説「IT」が大人から振り返った少年時代の記憶に、生々しい引力があるように。
時代によって古びていくもの、普遍性を持っていくもの、その境界線はわからない。
何なんだろう。

今の恐怖物語の最先端はVR? スマホで取れたり、インスタやtwitterなどから、心霊写真や心霊ビデオが流行るんじゃないかと予想。