>>867

>ただ、ちょっと観点を変えていただいて、そのパフォーマンスは閲覧メインのライトユーザーという
ウィキプロジェクトの評価・信頼性を左右する重要な層に
「この記述は信頼に足ることが“推定される”」と判断してもらえる重要な要素足りうる、とは考えられないでしょうか。

無理だ
真偽が結局分からないのだから、脚注が付いていることは何も利点とならない
むしろ偽を真に見せる負もあるかもしれない
誰が書いたかの方が重要で、これはGR形式の働けと脚注形式の目蒲を考慮すれば理解できるだろう

jawpで長年にわたり正しく有意義な執筆を繰り返し続けて知識と貢献を示すことが、信頼性の担保につながるだけだ
推定ではなく、確認による信頼
よく読まれる記事を正しく有意義に書き続けることが記事と利用者の信頼性につながるのであり、
脚注を付けて書く、または脚注を他人に強いる行動を繰り返す利用者やそれらによる記事の信頼性が向上しないことが、脚注は重要な要素足りうると言えない証左であるよ

槙島が鉄で信頼されているのは東武西武で長年正しく有意義な執筆を続けてきたことが主因で、各人が記事を読み、間違いがまず無いことを知っているからだと思う
それは主語と分野を変えた他の利用者にも当てはまることであって、jawpで記事が信頼されるのは形式が脚注だからではなく、長年にわたり正しく有意義な執筆によって、専門の体系的な知識を蔵していることを繰り返し証明し続けたことにあるのだ