【お客さん】第44宮脇俊三スレ【どこへ行きたいの】
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そんなここは、第44宮脇俊三スレッド。
過去スレ関連スレは>>2-6くらい。
前スレ
【鯉が名物】第43宮脇俊三スレ【は何もない】
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1497822958/ 宮脇氏の残したたくさんの文章は70〜80年代の鉄道を通した情景や文化、風俗の貴重な記録になってるよね。いまとなってはほとんど見られない鉄道の姿が多いのは驚かされる。
なにより乗るべき鉄道、訪ねるべき駅、そして乗客の風俗などがこれほど変わるとは思わなかったなあ。 車窓から見える地形や陰陽の移り変わりは昔とさほど変わってないのが救い >>311
かつて東京が騒がしかった日と同じ日に。
先生は何を思われたことか
まさか、スレが続くよどこまでもとは思いもよらず。と言ったところか。 案外売れるかも知れませんよ。
旅、宮脇俊三特集号のコメントが、ご自身の追悼号になるかもというブラックユーモアだったとか
B29の末裔に乗って、私は日本を飛んでるだっけ?
飛行機の搭乗時の寄稿がこんな視点で描かれていたり
とにかく、宮脇俊三の発想がたまらなく好き
連投ご容赦 巻頭特集にひかれて、JRではなくJTBの時刻表改正号を買ってしまった
先生もこの頃鉄道が楽しくなった、と言ってましたね
今思うと、いい時代だった WE LOVE TANEMURA!
WE LOVE TRAIN TRAVEL! ゴールの地に続きスタートの地の駅舎も消えるのか・・・
広尾の駅舎は建て直されていて
駅前から眺めるとドライブ・インのようであった
旧国鉄広尾駅、老朽化で解体 廃線から31年
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/166903 >>321
枕崎は駅舎はなくなったが駅はあるんだな >>321
それなりに使い込んだ建物だったし
まあ、30年よく残ったろ 先生の命日は2月26日だけれど
個人的には訃報を知った3月3日が命日のような気がしている
あれからもう15年も経ったのか・・・ アメトークで鉄道ファンクラブ芸人やってるけど、鉄オタが近年市民権を得た風潮を、センセならどう思うだろうか?
(正確には時刻表オタか)
先駆者はやはりセンセだが、近年ならタモリ倶楽部かな。 連投スマソ
みなさんが好きな路線は何ですか?
あたしは香椎線。
センセの著作では、ラブホと鹿児島本線と九州男児の性に合わぬ切符の路線だったが。
和白駅はいい 鉄子もこのスレにいるのか
好きなのは根室本線の通称花咲線区間かなあ
厚岸湖、別寒辺牛湿原、落石岬・・・ >>336
先生はお喜びになるとは思うが
芸人のは芸人の力量によるものでそれ以上でも以下でもないと俺は思ってる >>347
台湾かどこかの特急にありそうだな。
ただ、新日鉄並みに鉄道病院行きをお勧めしたい。
もっとも、米原発を、米原がどうかしたのかと思ったことがあると自白しておく。 北朝鮮のミサイル(ロケット)の名前は寝台特急の愛称のようだ。 Eテレといえば、来週の知恵泉は「日本の鉄道の父」井上勝を取りあげるぞ。 お客さん、宮脇さんでしょ?これ読んで下さい。
電話して下さい。待ってますから。電話してもらう様言われてるんです。 >>353
そういえば、いつの間にか萩駅前に井上勝の銅像が出来てるね。
スコップに足をかけた例のポーズの。 センセの著作は時々不意打ちの様に、一生で何回かしか見聞きしない言葉が出てきます。
今終着駅に行ってきます
を読んでたら出てきた
蟠踞 「センセ」と書かれると、「センセの駅作りましたで」が思い起こされて困る。 センセもこの時期の確定申告は、窓口氏と一悶着あったのでしょうか? >>360
衝立の向こうで、私がやればいいんでしょと(笑) >>360-361
「いいですよ、やりますよ、どうせ誰かがやらなきゃならないんですから。」
もう40年も前の話だから、この若い係員さんも定年を迎えているのか。 三江線に乗るのは一二年ぶりだが、その眺めは変わっていない。あれから一○年以上も経ってしまったかと思う。 >>364
編集長が「宮脇先生にもっといい物を食べさせた方が……」と言うぐらいだから、たぶんOKでは。 きょう放送の「世界ふしぎ発見!」、テーマは「昭和ノスタルジー・鉄道で巡る台湾の旅」だって。 台湾の旅の著作は読んだことないけど、台湾の鉄道の旅特集は、テレビで時々見かけるよね。たしか、素朴だけど美味そうな駅弁が出てくるイメージ。 南国の食物は日本人に馴染みのないスパイスとか入ってそう 大好きなフカヒレスープなのに半分も食べられなかった。 台湾鉄路千公里ではあまり台湾固有の食文化は評価してなかったな
麺に入れたミツバのようなもの←今一部で人気のパクチー
骨つき肉の入った駅弁はまずくて途中で残した←今人気の台鐡便當 時代や育った環境、当時の年齢が大きいと思うが宮脇氏は食に関しては保守的というか
海外の食べ物を好む感じは無かったけどこれは仕方ないかもなあ >>372
西洋料理や中華料理、韓国料理は結構貪欲に食べてたけどエスニックはあんまりな感じ >>371
アスパラガスのジュースだけは絶賛してたね >>377
あれ飲んだことあるけど独特のクセがあって美味いとは思えなかったよ。
逆に駅弁やパクチーは美味かったんで御大とは味覚が真逆らしい。 先生は、サプリなどない時代から旅先に葉緑素やビタミンCを持ち歩くなど、
食生活のバランスに気を使っていたはずなのに、
灯子さんの本を読むと「父は高齢になっても肉など脂っこいものを好んだ」とある。
どっちが真の姿なんだ? 肉や脂っこいものが好きで野菜は好きではない、しかしそれは体に良いわけではない、そこを自覚しているからこそ、「白鳥」の食堂車で意識してハムサラダを食べるわけだし、旅先には葉緑素を持参していたのだろう。
宮脇家では、健康のために奥様が白米から玄米に変えたことで、「白米食わせろ」という貼り紙が氏と娘さんの手によって家の中に貼られたらしい。確か北杜夫氏の著作にあった。 確かプロ野球の広岡監督が選手に玄米食を食わせたのがきっかけで玄米ブームが起こったと思うが、
玄米って炊くのが面倒臭いんだよな。
炊く前に2〜3日水につけて発芽させてから炊かないといけないが、
夏場は腐るので水をこまめに替えないといけない。
しかも昔の炊飯器には玄米モードなどなく、苦労して炊いた割りにはボソボソしてまずい。
特に先生は戦中戦後の体験から「まずい物=貧しい物」という公式が頭の中に出来上がっていたので、
いっそう抵抗は強かったんだろうな。 戦中戦後の食糧難を体験した世代の精白米信仰の強さは
その後の世代の想像の及ばないところにあるようだ。 >>382
その食わせた本人が通風にかかっちゃ説得力なかったというオチ。 >>382
それは発芽玄米の炊き方だろ?
普通に玄米食いたいなら普通に炊けばいい
水と時間の調節は必要だが 普通に米屋やスーパーで売ってる玄米は発芽してないから、
2〜3日水につけて発芽させてから炊かないといけないんだよ。
そうしないと猛毒のアブシジン酸が玄米に残っていて、食べるとかえって体に悪い。 玄米の話になると狂信者が必ず湧いてきて、
>>390みたいなことを念仏のようにほざいてるんだよな。
お前は玄米からアブシジン酸をたっぷり補給してとっとと早死にしてろよwww 種村マニアに米マニアとは、宮脇ファンは趣味が広いな 食べ物のコメにもマニアがいる。
本来ならマニアの対象となるものではないがとにかくいる。
わたしはそのひとりではない。 コメマニアの人は全国全銘柄食べつくしはもちろん、全農協制覇とかやっているのだろうか。 ヒストリアで原敬を取り上げてるぞ。
我田引鉄のエピソードも出るみたい。 >>396
ワラタw
全農協制覇って、何を以て制覇とするんだよw
全銘柄食べ尽くしは面白い発想だ。
昔、煙草の銘柄を出来るだけ制覇しようとしていたのを思い出した。 最初に宮脇俊三の著作を読んだのきっかけは、大学入学した年の夏休みに、どこか行くときの参考になるかと、時刻表ひとり旅 (講談社現代新書) を読んだときから。
同時に、同じ講談社現代新書の、本城 靖久 (著)「海外ひとり旅」、それ以外にも何冊かの本を買ったひとつだった。 今日、センセが酷評なさった立川に行ってきた。
山手育ちのセンセは東京の郊外を差別するのか、他にお気に召さない衛星都市はあるのでしょうか。 宮脇さんは姫路駅乗り換えの際「駅そば」を食べたのだろうか。 >>188
前に出てきた「綾」のことですが、むかし福田宏年氏の本のタイトルにひかれて買って読んだのですが
『時刻表地図から消えた町』というものを集めた文だと思ったら、タイトルは収められた「綾」への旅だけだったいう。まあ旅のエッセイとしては面白く、宮脇氏が関係しているのはあと「熱塩」が載っていたし満足だった。
原文は雑誌「旅」に昭和52年1〜12月に連載されたものなのでその後単行本化されたのを購入したのだと思う。福田氏の旅もちょうど宮脇氏が鉄道紀行をはじめる前後とかぶってるようですね。
単行本「時刻表おくのほそ道」の福田氏の書評を読み返してまた件の本をひっぱりだしてきました。
この本の行き先は、生野・綾・広尾・水海道・城辺・矢島・大聖寺・大竹・遠江森・登米・比田勝・熱塩だった。 >>401
昔の立川は基地の街というイメージでもちろん売春も多くて治安のいいところじゃなかったからじゃないか?
今は昭和記念公園ができたり再開発されたりしてすっかり面目を一新して多摩の中心を八王子から奪っちゃった >>401
「みんな立川から都心に通勤している」
と考えてるのが浅いなと思う
後に平日の朝に八王子から八高線に乗ったら
意外なほど混んでいたとは書いているが >>408
氏からすれば、住んでいた代田(だったかな?)自体が郊外だったから、その感覚はわかると言えばわかる 住所は世田谷区松原ね。
地図で見たときは井の頭線東松原より、小田急線梅が丘の方が近いのではないかと思った。
東京駅に出るのは新宿経由の方が楽な気がする。 東松原が著作内によく登場する割には梅ヶ丘の駅名は出てこないけど
小田急利用新宿経由と思える行程の時もそこそこある
渋谷育ちで中央公論社時代は東松原→渋谷→銀座線通勤だったようなので
井の頭線の方に愛着があったのだろうけど梅ヶ丘の名は意図的に出していないのではと思えるほど。
意図的なものだったのだろうか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています