【お客さん】第44宮脇俊三スレ【どこへ行きたいの】
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そんなここは、第44宮脇俊三スレッド。
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前スレ
【鯉が名物】第43宮脇俊三スレ【は何もない】
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1497822958/ 時代や育った環境、当時の年齢が大きいと思うが宮脇氏は食に関しては保守的というか
海外の食べ物を好む感じは無かったけどこれは仕方ないかもなあ >>372
西洋料理や中華料理、韓国料理は結構貪欲に食べてたけどエスニックはあんまりな感じ >>371
アスパラガスのジュースだけは絶賛してたね >>377
あれ飲んだことあるけど独特のクセがあって美味いとは思えなかったよ。
逆に駅弁やパクチーは美味かったんで御大とは味覚が真逆らしい。 先生は、サプリなどない時代から旅先に葉緑素やビタミンCを持ち歩くなど、
食生活のバランスに気を使っていたはずなのに、
灯子さんの本を読むと「父は高齢になっても肉など脂っこいものを好んだ」とある。
どっちが真の姿なんだ? 肉や脂っこいものが好きで野菜は好きではない、しかしそれは体に良いわけではない、そこを自覚しているからこそ、「白鳥」の食堂車で意識してハムサラダを食べるわけだし、旅先には葉緑素を持参していたのだろう。
宮脇家では、健康のために奥様が白米から玄米に変えたことで、「白米食わせろ」という貼り紙が氏と娘さんの手によって家の中に貼られたらしい。確か北杜夫氏の著作にあった。 確かプロ野球の広岡監督が選手に玄米食を食わせたのがきっかけで玄米ブームが起こったと思うが、
玄米って炊くのが面倒臭いんだよな。
炊く前に2〜3日水につけて発芽させてから炊かないといけないが、
夏場は腐るので水をこまめに替えないといけない。
しかも昔の炊飯器には玄米モードなどなく、苦労して炊いた割りにはボソボソしてまずい。
特に先生は戦中戦後の体験から「まずい物=貧しい物」という公式が頭の中に出来上がっていたので、
いっそう抵抗は強かったんだろうな。 戦中戦後の食糧難を体験した世代の精白米信仰の強さは
その後の世代の想像の及ばないところにあるようだ。 >>382
その食わせた本人が通風にかかっちゃ説得力なかったというオチ。 >>382
それは発芽玄米の炊き方だろ?
普通に玄米食いたいなら普通に炊けばいい
水と時間の調節は必要だが 普通に米屋やスーパーで売ってる玄米は発芽してないから、
2〜3日水につけて発芽させてから炊かないといけないんだよ。
そうしないと猛毒のアブシジン酸が玄米に残っていて、食べるとかえって体に悪い。 玄米の話になると狂信者が必ず湧いてきて、
>>390みたいなことを念仏のようにほざいてるんだよな。
お前は玄米からアブシジン酸をたっぷり補給してとっとと早死にしてろよwww 種村マニアに米マニアとは、宮脇ファンは趣味が広いな 食べ物のコメにもマニアがいる。
本来ならマニアの対象となるものではないがとにかくいる。
わたしはそのひとりではない。 コメマニアの人は全国全銘柄食べつくしはもちろん、全農協制覇とかやっているのだろうか。 ヒストリアで原敬を取り上げてるぞ。
我田引鉄のエピソードも出るみたい。 >>396
ワラタw
全農協制覇って、何を以て制覇とするんだよw
全銘柄食べ尽くしは面白い発想だ。
昔、煙草の銘柄を出来るだけ制覇しようとしていたのを思い出した。 最初に宮脇俊三の著作を読んだのきっかけは、大学入学した年の夏休みに、どこか行くときの参考になるかと、時刻表ひとり旅 (講談社現代新書) を読んだときから。
同時に、同じ講談社現代新書の、本城 靖久 (著)「海外ひとり旅」、それ以外にも何冊かの本を買ったひとつだった。 今日、センセが酷評なさった立川に行ってきた。
山手育ちのセンセは東京の郊外を差別するのか、他にお気に召さない衛星都市はあるのでしょうか。 宮脇さんは姫路駅乗り換えの際「駅そば」を食べたのだろうか。 >>188
前に出てきた「綾」のことですが、むかし福田宏年氏の本のタイトルにひかれて買って読んだのですが
『時刻表地図から消えた町』というものを集めた文だと思ったら、タイトルは収められた「綾」への旅だけだったいう。まあ旅のエッセイとしては面白く、宮脇氏が関係しているのはあと「熱塩」が載っていたし満足だった。
原文は雑誌「旅」に昭和52年1〜12月に連載されたものなのでその後単行本化されたのを購入したのだと思う。福田氏の旅もちょうど宮脇氏が鉄道紀行をはじめる前後とかぶってるようですね。
単行本「時刻表おくのほそ道」の福田氏の書評を読み返してまた件の本をひっぱりだしてきました。
この本の行き先は、生野・綾・広尾・水海道・城辺・矢島・大聖寺・大竹・遠江森・登米・比田勝・熱塩だった。 >>401
昔の立川は基地の街というイメージでもちろん売春も多くて治安のいいところじゃなかったからじゃないか?
今は昭和記念公園ができたり再開発されたりしてすっかり面目を一新して多摩の中心を八王子から奪っちゃった >>401
「みんな立川から都心に通勤している」
と考えてるのが浅いなと思う
後に平日の朝に八王子から八高線に乗ったら
意外なほど混んでいたとは書いているが >>408
氏からすれば、住んでいた代田(だったかな?)自体が郊外だったから、その感覚はわかると言えばわかる 住所は世田谷区松原ね。
地図で見たときは井の頭線東松原より、小田急線梅が丘の方が近いのではないかと思った。
東京駅に出るのは新宿経由の方が楽な気がする。 東松原が著作内によく登場する割には梅ヶ丘の駅名は出てこないけど
小田急利用新宿経由と思える行程の時もそこそこある
渋谷育ちで中央公論社時代は東松原→渋谷→銀座線通勤だったようなので
井の頭線の方に愛着があったのだろうけど梅ヶ丘の名は意図的に出していないのではと思えるほど。
意図的なものだったのだろうか? 今なら住所が細かく特定されないためという理由になるのだろうけど
単行本に番地まで住所載ってたからなあ 氏の場合、その土地のイメージに戦前の印象が残っている感じだね。
梅が丘は北杜夫=斎藤家ゆかりの青山脳病院が移転した場所だけど、
移転した頃(大正末〜昭和初期)は畑しかなく、住宅地化は戦後しばらく
経ってから。
このあたりの年代の東京の人だと、山手線の外は『郊外』、多摩地区
まで行くと『田舎』って感覚の人はけっこういる。 >>410
終着駅シリーズでは、小田急で東京駅に出る記述がある 小田急で東京駅に出る記述があったと思う。
それが最短だと思うけど、愛着のある路線を選ぶという気持ちも分かる。
あたしも練馬区から、実家の横浜に帰る時は品川から必ず京急。
これが、例えJRの方が速くても、京急に乗ります。学生の時に慣れ親しんだ路線だからかな。 先週のブラタモリは「宮崎」だったけど、全国の都道府県の中で平均気温と日照時間は
第3位、快晴日数は2位だそうだ。宮脇氏も言った通り、まさに「日向国」だな。 >>421
地理や歴史や地質の知識
時代を先取りし過ぎた 宮脇氏は「桜の花は年によって色が良いとか悪いとかいうことはない」と書いてたけど、
今年の桜はどうも例年より色がくすんでるように感じられてならない。
まあ気のせいなんだろうけど。 鶴見線にはその翌月の一○月二五日に乗った。まず小田急で登戸に行き、 よく、北海道でウミガラスとか書いてたけど
ウミガラスはオロロン鳥のことだよね
だとすると天売島にしかいない
何をウミガラスと言っていたんだろう >>438
何十年か前ならおでんうどんがあったな。 しかし、地図で見ると大船渡線に劣らないくらい三江線もナベヅル路線だな。
もちろん、三次と江津を直線で結んだところで人のいないところばかりを走り、「サルでも乗せるつもりか」となるのだろう。 >>443
ご存知のとおり三江線がナベヅルになったのは平地が少なく江川に沿うしかないからだからねぇ。
本気で陰陽連絡線として考えられていたのだとしたらちょっとどうかしているレベル。
そして高速道路はサルしかいないような地域をぶち抜いて通しても構わないのだから勝てるはずもない。 三江線廃止で、また最長片道ルート変わったね。どんどん短くなる。 >>447
実は当時のルートの本州部分は、第三セクター化された路線はあっても
一応これまで繋がってはいた
今回の三江線廃止で初めて途切れた 大相撲に「白鷹山(はくようざん)」という力士がいたんだな。
もちろん白鷹町の出身で、こんどの五月場所には新十両で出場。 >>449
ツツガムシの鮎貝出身だね
日本酒を想起させるから「しらたかやま」のほうがいいけど、上杉鷹山とも引っ掛けたらしい >>448
もしかして、本州で盲腸線以外で廃止になった路線って三江線が初めて?
(三セク化を除く) >>452
北陸新幹線は信越本線の線路増設ではないの? 新幹線が在来線の線増って国鉄時代の考え方だろ
今は新幹線は完全に別路線として計上されている >>454
じゃあ今は東海道山陽新幹線も
新幹線経由の距離で運賃計算してるの? >>455
その点はそのまま
別路線なのに在来線の距離で運賃計算しているのは矛盾しているとも言えるのだが
「営業キロ」ということで押し切っている
とにかく今は線増という扱いではない
各社の会社概要を見れば分かるが在来線と新幹線は別のものとして合算した距離を運営していることになっている
新幹線=線増って国鉄時代の考え方を引きずりすぎですよ 1年後には不満の多い人間も夕張に鉄道で行けなくなる 九州新幹線の新八代以北は在来線の営業キロ?
北陸新幹線高崎以北と東北北海道の盛岡以北は
だいぶ運賃が安くなったのかな? >>451
時期が古すぎて揚げ足取りでしかないけど白棚線が一応該当するw >>458
盛岡ー青森 在来線203.9km
盛岡ー新青森 新幹線178.4km
盛岡ー青森 新幹線182.3km 新青森経由
現行JR運賃で3670円→3350円に
高崎ー金沢 在来線368.1km 長野経由
高崎ー金沢 新幹線345.5km
現行JR運賃で6260円→5940円に
いずれも運賃1区分下がってる
九州新幹線新八代以北は在来線の営業キロを使用してる
宮脇氏に関係なくてスマン 気仙沼線の柳津〜気仙沼って廃線扱い?
いまいちあの区間の扱いが分からない。普通にJRのきっぷで乗れるが、実際はバスそのもの。まさか鉄道事業法上の路線ではないと思うが、だとしたらいったい何なの? >>449
大相撲はもう長いこと観てないけど、こういう名前の力士がいるとなると、ちょっと気になるな。
宮脇作品を連想させる四股名って、他にもいるかな? 大牟田出身の三池富士っていう
10代で殺人事件起こした力士がいたな >>456
>各社の会社概要を見れば分かるが在来線と新幹線は別のものとして合算した距離を運営していることになっている
それは昔からそうだよ
旅客営業上在来線と同一と見做すというのは東海道山陽上越新幹線全線と東北新幹線東京-盛岡間では変わっていないし
それ以降の新幹線は出来た時から在来線とは別線扱いだから
結局扱いが変わった路線はない >>459
柳ヶ瀬線、和歌山線田井ノ瀬-紀伊中ノ島-紀和
戦中とかでも良ければ五日市線立川-拝島
三国線は盲腸線扱いなのかな? 言うまでもなく、これらの未乗区間に乗るためには、その起点まで行くのに国鉄の幹線を利用せねばならない。 岡山から浜田まで5時間半かかる急行
あの時代ならまだ許される範囲だったか 昭和60年ごろに広島から浜田までバスで3時間はかかっていたから、三江線全通時はそれより更に道路事情が悪いであろうことと、岡山から広島までの移動時間と乗り換えの手間を考え合わせると、岡山〜浜田5時間半には勝算があると考えられたのだろう。
昭和の末期に広島〜浜田に臨時急行「江の川」が運転されたが、所要時間の点でバスとは勝負にならず、程なくして消えていった。 飯塚着18時42分。ここからは19時04分発篠栗線経由の快速列車があるから、わずか四七分で博多まで行ける。 >>468
当時と今では高速道路網が比較にならない
当時の中国地方は中国自動車道以外なかった >>471
千代田ICと鹿野ICの間が昭和58年に開通して、ようやく中国自動車道が全通したくらいだから、三江線が全通したころは、岡山から浜田に行くのに高速道路を利用することは出来なかっただろうな。
昭和60年ごろになって国鉄バス広浜線で、広島北ICから、千代田ICまで高速を使うのが出てきたはず。1区間だけだったが、飯室から鈴張を通って明神峠を越えるよりは大分時間短縮に繋がっていた。
平成になって浜田道が開通すると広島BCから浜田は2時間を切るようになり、鉄道の出る幕では全くなくなった。
昭和50年ごろの伯備線経由の「やくも」に1往復だけ益田まで足を伸ばすのがあったが、それだと岡山から浜田まで5時間20分。三江線経由でも所要時間は変わらないとはいえ、岡山と石見地方の間に2往復もの列車を走らせる需要があったかは疑問。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています