【お客さん】第44宮脇俊三スレ【どこへ行きたいの】
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FAQ
Q.最長片道切符の旅、志布志で寝坊しなければどうなった?
A.初出はここ。2001年12月
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/train/1005998570/452-453
志布志 0624 快速大隅
国分 0909
15' 0924 556D
都城 1035
1:32 1207 625D
吉松 1345
20' 1405 836レ
人吉 1514
57' 1611 840レ
八代 1739
45' 1824 有明15号
川内 2039
と、川内で継続乗車となる。 乙
明日は『殺意の風景』第12話が一応原作?の
↓が放映されるのでお見逃し無く
BS日テレ
サスペンス名作選 弁護士高林鮎子 寝台特急「あさかぜ4号」殺人風景
https://tv.yahoo.co.jp/s/program/38653567/ >>1
老年期のAAが、いつ見ても痛々しい。
誰か、中年期の作って。 けさNHKで放送してた「特集・小さな旅 2017彩りの四季」という番組で、象潟を紹介してたな。 東海道はつまらんから大阪発北陸廻りの上野行き白鳥に乗るです。
そんな酔狂が今も居たら今度は東海道新幹線が嫌で将来全通見込みの北陸新幹線に乗る事になるのか ところで、4日の「ひばり」で帰ってきたりしているが、昔は仕事始めが5日だったのか?
それともたまたまその年の4日が日曜日だったのか。
でも、書き方からすると、その年だけの話ではなくて比較的一般的な話としているようにもみえるが。 完全週休2日ではなかった分
正月休みが長めだったのでは >>23, 24
なるほど。サンクス。
いや、自分の周りは4日仕事始めが多かったもので。
調べてみたら、週休2日が当たり前の今でも5日仕事始めというのも多いみたいだな。
ウチは29日仕事納め、4日仕事始めだ。 昔は日曜日が絡んでない限りは5日スタートではなかったかな 流石ラジダーニ特急ですな!
次々と美味い物が出てくる!
今時、〇〇ですな!と言う人は、見かない。 >>29
50歳のウチの上司はよく言ってる。
確かに高校のときの昭和ヒト桁の教師は○○ですな!を連発していた。 >>32
チャペックの「園芸家12カ月」は北杜夫さんも作品中に引用してるね >>35
園芸家12カ月の中に「園芸家は花の香りよりも土の香りを愛する」みたいなことが書かれてた。
鉄道そのものよりも時刻表を愛する人、のようなものか。 うろ覚えだけど、
備後は広島県にかかってますな!
っていうのもあったっけ。
発言が間違ってたら、
次回訂正させて頂きます。 ついきょうも、会議の席での雑談で、「備後はだいたい岡山県だが、多少は広島県にかかってますな」
などと言った。ちょっと気にかかったので帰ってから地図を見ると、備後は全部広島県であった。
雑談のなかでのことで、次回の会議で「前回の私の発言を訂正します」と事改まることではないから、かえって汗がでる。
…時刻表2万キロ、第11章 紀伊はだいたい和歌山県だが
多少は三重県にかかってますな
豊前はだいたい福岡県だが
多少は大分県にかかってますな 紀伊長島が三重県だから、「多少」と言われると何だか違和感があるな。
人口比にしてみれば多少だろうが。 >>38-39
アキビンゴって馬がいた。安芸備後? >>42
ホリスキーが勝った菊花賞の5着馬で、その年のラジオたんぱ賞の勝ち馬ですね。 競馬といえば先生は、どの本だか忘れたけど、
「昔の野球場は今の競馬場(競輪場だったかも)に雰囲気が似ていた。
そんなに昔から俺は国鉄スワローズのファンをやってたんだ」
と言って、自らのスワローズ愛を誇示してましたね。 表現方法と言えば
腹がくちくなる
ってのも、氏の作品で始めて見たな。 小海線に乗ってきた。
ワンマンなんで「2が抜けております」等なはし。
八ヶ岳は予想通りやけど、
最初の富士山、最後に浅間山が印象的。 しかし新潟で列車立往生とかやってるが、北越雪譜を書いた鈴木牧之は嘆いてるだろうな。
越後人が雪を前にしてうろたえてどうする、情けないぞってな。 >>53
いや、騒いでいたのは周りだけで
十数時間も閉じ込められながら、目立った騒ぎも起こさなかったらしい乗客は
その“雪に狼狽えない越後人”だったように見えるけど
東京なら暴動が起きてるかもな さすがに「今回は三八豪雪ならぬ一八豪雪です」とかいうコメントを言う人はいなかったな。 >>54
誰も非常用ドアコック捻って車外に脱出しようとしなかったってあり得ないわ
トイレ40分待ちとかなら、男ならドアこじ開けて用足すだろ やっぱり雪国の人々だと思ったけどな
雪の怖さを知ってるから夜間に安易に何もないようなところを歩こうとしない
田園地帯で用水路も定かでないような状態だったらしいし >>41
梅ヶ谷〜紀伊長島の車窓を氏は絶賛してたけど
何度通ってもいつも天候が悪い
紀伊半島全般がそうだけど特に尾鷲も近いし >>58
そんな呼び方して
罵倒されてた人、いなかった? 第一は、乗り物の混雑
第二は、旅館とホテル
第三は、食べ物屋が開いていない
第四は、タクシーの払底
第五は、日が短い
第六は、寒い 青春18きっぷが使える
ムーンライトながらが走っている
終夜運転で大回りができる 先生って青春18きっぷで旅したことあったんでしたっけか?
どこかで読んだ気もするけど、忘れちゃったよ。 >>69
「旅」か何かで18きっぷで姫路まで行ったように思う。 >>69-70
姫路駅で新快速から降車していた写真、見覚えがある。その後は姫新線に?? >>71
自分なら播但線でうらにしの世界に行きたいな。
姫新線より変化がありそう。 先生は「冬に陰陽連絡線に乗れば、どの線に乗ってもドラマチック。西は山口県までそうだ」
って書いてなかったっけか? >>73
中国地方を横断する路線では三江線だけが陰陽の境がはっきりしないと書いてたね >>80
全部たいらげたカスだけが残った座席の周り‥‥。 横川ー可部間は昭和一一年に広浜鉄道を買収した線なので、電化ではあるが駅間距離が短く、一四・○キロの間に九駅もある。 しかし宮脇先生って(特に若い頃は)イケメンだったから、駅や車内で鉄ヲタならではの奇行に走っても、
「なんでも結構です。とにかくお客さんですから」と言われて人間扱いしてもらえたが、
俺みたいなキモヲタはどうすりゃいいんだ?
駅員やレチに「何か気に入らんと?」と言われて人間扱いしてもらえないよ。 きょうじゅうに東京まで行けるのはこのひかりが最終である。 >>86
今なら錦町17時47分のに乗れば、かつての御庄から新岩国、広島と行って、東京には23時11分に着くんだからなぁ。
それどころか、岩国から空港に行けば21時15分には羽田に着いてしまう。
便利になったものだ。
そう考えると、田舎のローカル線にとっては、飛行機の客を如何に呼び込むかが重要なのがわかる。
東京から新幹線で広島に降りた人を錦川鉄道が呼び込むのはなかなか難しい。東京から新幹線で新岩国に行くのはそもそも少なそうだ。
となれば、岩国空港に降り立った人を呼び込むのが客引きには重要なのかもしれない。 宮脇翁と種村氏といえば、夜行明けの早朝にミスタードーナツを見つけたときの反応が対照的で面白かった
宮脇「いくら空腹でもドーナツを食べる気にはならない」
種村「もちろん、すぐ飛び込んでモーニングコーヒーを頼んだことである」 . ィ
.._ .......、._ _ /:/l! またまた、ご冗談を
:~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、| _
゙、'、::::::ノ:::::::_,.-=. _〜:、 /_.}'':,
``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ
,.--l‐''"~..-_'.x-='"゙ー 、`'-、 ,:' ノ゙ノブ
" .!-'",/ `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
.-''~ >'゙:: ‐'"゙./ ヽ.,' ~ /
//::::: ', / ,:' >>87
千葉のいすみ鉄道だって、東京よりも羽田空港からの需要を見込んでるしな。
大多喜を経由して鴨川までの高速バスや、大多喜直通のバス路線もアピールしてる。 >>89 三次駅にて
空腹が旅情を上回り、ハンバーガーを食べる。 >>82
清掃スタッフ「ゴミは散らかしたままお降り下さい」 >>93
翁が食べた三次駅のハンバーガーって、今は風前の灯火のドムドムバーガーなんだよな。 種村さんはハードな取材を旨とする行動派の作家だったので、翁のイメージに合わない というか、気に入らないことがあれば誰彼なく怒鳴ったり殴ったりするのは、翁のイメージとはかけ離れている。
もっとも、宮脇氏も、よく活躍したのはせいぜい65歳までだから、翁という感じではない。そんなジイさんではないだろう。 翁=老人と厳密に考えなくともよいのでは?
五十そこそこで亡くなった西郷隆盛も「南洲翁」と呼ばれることがあるし。 台湾で乗り鉄してローカル支線にも乗ってきた。
今回は著書を先に読んでおく暇がなかったので、
帰国後にもう一度台湾鉄路千公里を読み直してみたいと思います。 宮脇氏は時刻表2万キロで角館へ行ったときに、「日本における洋画の始祖とも言うべき秋田藩士小田野直武の屋敷」
があるのに気づかなかったのでがっかりしたと書いてるけど、この小田野直武は「解体新書」の挿絵を描いた人だね。
正月にNHKで放送された時代劇「風雲児たち〜蘭学革命篇〜」にも登場してた(加藤諒が演じてました)。 >>65-66
飲み屋やバアが閉まっている。
風景
裏通りは普段よりおもしろい
三段式B寝台車が座席車となっている 昨日ブラタモリの田園調布の回に多摩川園の大山すべりが出てきたな
先生の子どものころ休日の行楽地として人気あったみたいだけど、親はそんな危ないもののある多摩川園にはあまり連れていってもらえず、二子玉川園の方によく連れて行かれたらしい。
なお今人気の井の頭公園はジメジメしていてあまり気持ちのよいところではないと一刀両断 >>107
駅から遠い目の所にある武家屋敷(青柳家)
に行ったら小田野直武の展示があった
駅からの通り道に小田野家もあったみたいなんだが、
私もスルーしてしまっていたようだ 東京が雪で交通は大混乱、スリップ事故も多発してるみたいだが、鈴木牧之は今頃笑っているだろうな。
「暖地の人花の散に比て美賞する雪吹と其異こと、潮干に遊びて楽と洪濤に溺て苦との如し。
雪国の難儀暖地の人おもひはかるべし」とか言って。 >>112
それってあちこちのスレにコピペされてるんだけど、元は何という本に書いてあったエピソードなの?
旅館の番頭を、いつもの取り巻きにするみたいにブン殴ったのかな? 「バス旅春夏秋冬」の中の「琵琶湖一周路線バスの旅」
須賀谷温泉で「いろいろあってついに爆発」だったか。仲居を怒鳴りつけたとかそういうのじゃない?
さすがに番頭殴ったら警察沙汰でしょ。 ググって調べると、須賀谷温泉って一軒宿みたいだな。
種村さんの作品を読むと「あの駅弁がまずい」「あの旅館がダメだ」などと、
歯に衣着せずに容赦なくブッタ斬っているけど、訴えられたりとか無かったのかな。
場合によっちゃ路頭で刺し殺されても文句言えないレベルだろ。 種村氏の行動と宮脇氏のものを混同する人が
少しづつ蓄積されていくんですね。 >>117
北川だってブログで名指し写真付きで店をこき下ろしているよな。わざわざ喫煙可の店で食事をして、店を出るときに「ケムイ」と捨て台詞吐いたっての読んで、アホらしくなって、師が師なら弟子も弟子だと思った。
要はペンの暴力を地で行っている連中なんだよな。 それは北川クンは悪くないだろ。
この21世紀に喫煙可の店なんてDQNかジジイしか入らないぞ。
宮脇、種村といった喫煙世代の作家はみんな死んだんだから、
喫煙可というだけで店主のモラルが最悪だと宣伝してるようなもの。
こういう書き込みをすると、決まってニコチン中毒患者が逆ギレして
「嫌煙クソガキ死ねや」とか煽って来るんだけど、
タバコ吸ってるだけで私はDQNですって宣伝してるようなものだからな。 宮脇俊三というヘビースモーカーで肺悪くして死んだ人のスレで嫌煙論語んなよ 宮脇俊三って、結局死ぬまでタバコをやめられなかったんだっけか?
灯子さんの本を読むと、死ぬ寸前の末期に、
酒についてはやめるだやめないだとあれこれ書いてあったんだが、
タバコに関しては特に記述がなかった。 2食つき16,000円の宿にしては、玄関が粗末だ。はいるとすぐ左手に銭湯のような履物入れがずらりと並び、雰囲気などあったものではない。
日帰り入浴客用の設備なのだが、出入口を別にしないと品位に関わる。”24時間はいれる”と、フロント、お手伝いさんが口をそろえる浴場が、
朝は8時までにあがって食堂へ行くことと何度も注意されたのも腹立たしい。8時からは清掃で、朝食後は入浴できないそうだ。
それならば”24時間入浴可”は偽りである。夕食に温かい汁ものが一品もなかったのも解せない。メインの”戦国焼”は、肉や野菜を自分が焼いて食べる鉄板焼きで、
汁を催促しても運ばれず、あげくの果てに「戦国焼に吸いものはつきません」と。その他いろいろあって、ついに爆発。 >>123
止めなかったんだろうね
書斎のデスクにあった、海苔缶を使った巨大な灰皿を写真で見たときは驚いた
若いころに結核を患ったせいで、それ以後片肺だという話だったけど 二十世紀末鉄道文学界の二大巨匠が
タバコの害を理解してなかった
ってこと? また雪が降ってきた。香住に通っていた民宿があるのだが、もう3年ご無沙汰。
カニが食べたくなってきた。 止める あなた 駅に残し
動き始めた汽車に ひとり飛び乗った >>124
2食つき16,000円なんて中途半端な宿はそんなもの。
泊まるなら高級旅館か民宿。 調べてみたら、喝采が1972年、絶体絶命が1978年の曲なのな。
後にカバーされたりもしてるが、お前らいくつだよっていう。 1泊3万円以上の高級旅館か5000円程度の民宿だな。 >>134
それを今ここで言って何になるというのだ >>135
活動期間が1978年 から1999年までだという人を肴に
語り合える世代などというものは
自ずと一定範囲に限られるよね。 それも全盛期は1978年〜JRスタートの1987年までという作家だからな。
1987年生まれの人がもう31歳だぜ。どんだけ古いんだよ。 内田百 1889-1971
阿房列車 1950〜1955
宮脇俊三 1926-2004
時刻表2万キロ 1978
宮脇氏デビュー時は、内田百阮v後7年、
阿房列車開始後28年
現在、宮脇氏没後13年
2万キロ刊行後40年 >>143
知ってるよ
本持ってるし
元ネタ知ってたら逆にここで>>134みたいなこと書いても意味ないのわからんか? >>144
意味があるとかないとか、君はこのスレに何を求めてるの? >>146
何も求めてないなら、他人のレスに意味がないなんてケチつけるなよ たびたびスマソ >>149
東京ー大阪 国鉄のない旅 百閧燗S道もので読まれてるのは
シリーズ三作くらいやし、
宮脇氏も三作くらい残りそう? なぜこの流れで「上は可、下も可、中間は不可」が出てこない? 宮脇ファンなら読んでおいた方がいい関連図書(鉄道もの以外で)
「園芸家12ヵ月」「北越雪譜」の他には? >>147
実際意味がないんだから
当然のこと言われたからって熱くなるなよw 意味のない鉄道旅行をやたらにしてきたから
変な奴だと珍しがられて編集者と注文がくる
意味のないことを書き込むスレです >>155
チェーホフ。
「シベリアの旅」「サハリン島」 >>155
北杜夫「どくとるマンボウ追想記」
時刻表昭和史と併読がオススメ やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが、創価学会はその緩さに目をつけ
住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ、防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず、私服警官を偽装させて
管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り、防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた
(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官) ※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ >>167
いや、高校生用の方が詳しくてよりいいんじゃないか。 間を取って中学生用でヨロシ
今でも俺は12歳年下の妹から貰った帝国書院発行の中学校地図帳からヒントを貰う事がある。
おなじ辰年ながら、私の持つ地図帳とは中身がまるで異なっていて面白い。
俺は1976生、妹は1988生だ、俗に言うゆとり教育世代のど真ん中というのが不憫ではある。
かく言う俺はあらゆる面で冷遇の極みを体験した就職氷河期世代ではあるが。
そして両親は日本史上最悪の世代とも云われる団塊世代の真っ只中の世代、
もう何処へも逃げられないくらいの役満状態である。
とりあえずはヤケクソ借金しまくって自己破産ぐらいの足掻きはする。 いや何だよ12歳下の妹って
お前が25歳ぐらいなら妹ものラノベのモデルになりそうじゃねえか 高校用より中学用の方が鉄道予定線が黒い点線できちんと描かれていてよかった
もう30数年前の国鉄時代の話だが >>165
「どくとるマンボウ途中下車」には宮脇氏本人が登場するね。 >>171
いんや?俺が41で妹が29、もはや別に萌える年齢でもあるまい。
ここまで歳いけば些細な事はどうでもよくなるんだなと実感する。
団塊前後の世代が極度にイカレているだけで 芭蕉のおくのほそ道も純粋な旅行記ではなく
多くの創作が盛られている 「おくのほそ道」に種村的旅行日記の要素を求める人はまずいないだろう。
創作だと目くじら立ててもヤボなだけ。 >>179
それ自体はわかりやすい例えだな
なぜ>>178に出て来るのかはわからんけど
ただでさえ創作の要素は種村にはないし >>155
最近宮崎市定にはまってる
「科挙」はまさに宮脇先生が担当編集者だった >>183
無知をさらけ出すようだが、宮崎に定という地名があるのかと思ってしまった。
そんな、はまるような素晴らしい場所なのかと… 宮崎の綾をつい連想してしまった。
時刻表の地図にも載っていたので、ローカルバスの終点へに出てきたように思っていたが記憶違いだった。 >>185
それは「時刻表おくのほそ道」の解説じゃないか。福田宏年氏が宮崎空港からタクシーに乗って綾に行くように言ったら、「綾などに何しに行くのですか」と言われたという。 おぉ、先生ご本人ではないが、やはり綾は出てきてましたか。
タクシー運転手氏の台詞は先生の作品中にありそうですね。
しかし187氏はお詳しいですなぁ。 おれ、綾町にふるさと納税した。
旨い豚肉と日向夏ジュースもらった。 >>189
それ言ったの、同行のM君、即ち村松友視氏だっけ。 >>191
本気で書いてるのかな
だったらもうかわいそうでしかないよ、自分の好きな作家も覚えられないんだから それに今日は2月7日ですから
2月7日?
北方領土の日ですよ 80年の訪問時に『10階建ての新しいホテル』と書いてるね〜統帥大飯店
とすると70年代後半開業と考えると築40年ぐらい?花蓮の統帥大飯店でググ
ると1軒しか出てこないから、多分泊まったホテルだろうね。 あれだけ全国〜世界を回ったから、大きな出来事ともいくつか因縁があるな。
パッと思い出したのが
・阪神大震災直前の神戸へ
・天安門事件の前に中国へ (この2つはどちらも歴史紀行)
東日本大震災で壊滅したエリアと文章に残した旅行場所(訪問〜被災はかなり時間
が開いているけど)はどれだけ重なっているのか。 東日本大震災の被災区間で、印象に残っているのはやはり気仙沼線かな。 震災後に新聞等で紹介された宮古の石碑も思い出される
「此処より下に家を建てるな」 >>155
やっぱり、何度も書いてるけど作家で言えば松家君かなぁ。描写の美しさは「火山のふもとで」。自然に人の生き様を加えた「沈むフランシス」、そして、もっと人に焦点を当てた「光の穴」。「優雅なのかどうか、わからない」は少しポップな感じで。
吉村順三「小さな森の家」を買って、今から読むのが楽しみ。 描写のきれいな作家はやはり阿川弘之氏。
ミヤワキストなら読むべき作家と私は思う。
特に私小説系。「水の上の会話」とか「青葉の翳り」とか。
もちろん「南蛮阿房列車」シリーズも。 >>201
この少女たち(短いスカート姿、顔立ちの整い、色も白い)が、どうしてあのおばさんたち(焦茶色に日焼けして海風に鍛え抜かれた)のようになるのかと思う。 >>191
俺は汽車旅相談室をよく読んでた。
あと周遊券の旅とか。 百閭tァンが百闢ヌめ読めと言ったわけじゃない
阿川ファンが阿川読め読めと言ったわけじゃない
宮脇ファンが宮脇読め読めと言ったわけじゃない
なのに種村ファンは種村読め読めとうるさい 宮脇氏がローカルバスの終点へで訪ねた「吹屋」の赤い街並みが、
サザエさんのオープニングで取り上げられてたね。 種村の作品を読みたいと思って近所の古本屋へ行ったが、店の主人は、
「種村はありませんなあ」
と憮然と答えた。そして、
「もしあっても、そんなの読んだら大変だあ」
とつけ加えた。 名実ともに種村スレになってきた。
誠にご同慶の至り。 >>225
なかなか手荒いな。
これで心臓麻痺でも起こしたらどうするんだという気もするが、無理矢理酒を飲ませるタイプの祝福に比べればまだいいか。
ま、死人が出たら炎上して終わりかな。 八代駅来月から建て替え工事開始。聖地がまた一つ消える… 種村本にも愛読者がいる。
種村本ほんらいの用途からすれば、愛読の対象となるべき書物ではないが、とにかくいる。しかもその数は少ないないという。 >>227
九州新幹線が出来て1年ほどして出水で1泊したけど、旧駅舎は殆ど廃墟のようになってたな。
もともと大きな街ではないから、中心が新駅舎に移れば旧はあっという間に廃れるのだろう。 以前も話題に上がったが、
先生の著作に登場した一般人で、
会いたい人は?
私は汽車旅12ケ月の、食堂車の怪のおっさん。
最長片道切符の、鳥取までのおばさん。
最長片道切符で、私の横をあられもない大股で追い抜くお姉さん。 >>232
初日か、2日目の、前掛けで手を拭きながら現れた中年おばはんも、マニアには垂涎ですな! 会いたいというか見てみたいのは、「ボクに水割り頂戴!」の女の子 みんなゆで卵みたいな顔をしている秋田の女子高生たち エガニに指を挟まれた大将のいる店でウツボを食べたい。 子どもとフトンで戯れたので、10:05にもでられず、
幼女とフトンで戯れるって、どの程度のプレイまで許されるんですか? 缶ビール、缶コーヒー、コカコーラ、ウイスキーの小瓶、茹で卵、煎餅、ちくわ、駅弁……
本を見ないで記憶だけで書いてるけど、これで合ってる? 最近ゾクゾクが足りないから北海道に行ってきたけど、特急もローカル列車も中国人だらけでゾクゾクどころじゃなかったわ。
流氷と花咲線と薄野のおねいさんは良かったけど。 昨日、センセが行きつけにしてたと思われる、近所の寿司屋を見てきた >>272
翌日から腹が膨れ始めたというあの店ですか。 藍くんいびりをやって数時間過ごし
近所の寿司屋で一献して別れた あくまでも思われるという推測。
もしかしたら、センセの娘さんがバイトしてた方の寿司屋かもしれない。
い◯ま寿司 >>267
網走-斜里で車窓から流氷見えたならラッキー
ゾクッとする線区が殆ど廃線になったからね センセなら、近年の冬季オリンピックの新競技にどんな苦言を呈しただろうか。 >>278
北見から「ハッカ」を超える名物が生まれましたね >>282
ハッカでチーズケーキを作るというのは? 常呂といえば湧網線ですなあ
もはや湧別網走と入力しないと変換できない そうかぁ。
もう15年になるのか。
知ったときはショックだったなぁ。
遥か昔のことではあるが。 >>290
これかな?
【発掘映像】@プロローグ 幻の宮脇俊三監修番組 「発見!新風景 関東近郊懐かしの8路線」
https://www.youtube.com/watch?v=Gr9yuewMHCU 同行のM君こと村松友視氏の「俵屋の不思議」を読んでいる。
ちょっとクセのある文章で、阿川弘之氏のそれのようにすらすら読めるわけではないかもしれないが、ミヤワキストなら読んでおいてもよいかもしれない。
星の王子様は「ソバ屋で憩う」以外に文章書いてるのかな? 宮脇氏と村松氏は、二人とも比喩表現が抜群にうまい。 とても簡単なネットで稼げる情報とか
少しでも多くの方の役に立ちたいです
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
FOJYK テルミニ宮脇
寿司屋
今泉駅
他に、センセ所縁の場所はありますか? 現在鹿児島中央から旭川まで日着が可能だが
もし北海道新幹線が札幌まで開通したら
西大山から稚内まで日着できるかな?
それまで宗谷本線が持たないだろうがw 宮脇氏の残したたくさんの文章は70〜80年代の鉄道を通した情景や文化、風俗の貴重な記録になってるよね。いまとなってはほとんど見られない鉄道の姿が多いのは驚かされる。
なにより乗るべき鉄道、訪ねるべき駅、そして乗客の風俗などがこれほど変わるとは思わなかったなあ。 車窓から見える地形や陰陽の移り変わりは昔とさほど変わってないのが救い >>311
かつて東京が騒がしかった日と同じ日に。
先生は何を思われたことか
まさか、スレが続くよどこまでもとは思いもよらず。と言ったところか。 案外売れるかも知れませんよ。
旅、宮脇俊三特集号のコメントが、ご自身の追悼号になるかもというブラックユーモアだったとか
B29の末裔に乗って、私は日本を飛んでるだっけ?
飛行機の搭乗時の寄稿がこんな視点で描かれていたり
とにかく、宮脇俊三の発想がたまらなく好き
連投ご容赦 巻頭特集にひかれて、JRではなくJTBの時刻表改正号を買ってしまった
先生もこの頃鉄道が楽しくなった、と言ってましたね
今思うと、いい時代だった WE LOVE TANEMURA!
WE LOVE TRAIN TRAVEL! ゴールの地に続きスタートの地の駅舎も消えるのか・・・
広尾の駅舎は建て直されていて
駅前から眺めるとドライブ・インのようであった
旧国鉄広尾駅、老朽化で解体 廃線から31年
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/166903 >>321
枕崎は駅舎はなくなったが駅はあるんだな >>321
それなりに使い込んだ建物だったし
まあ、30年よく残ったろ 先生の命日は2月26日だけれど
個人的には訃報を知った3月3日が命日のような気がしている
あれからもう15年も経ったのか・・・ アメトークで鉄道ファンクラブ芸人やってるけど、鉄オタが近年市民権を得た風潮を、センセならどう思うだろうか?
(正確には時刻表オタか)
先駆者はやはりセンセだが、近年ならタモリ倶楽部かな。 連投スマソ
みなさんが好きな路線は何ですか?
あたしは香椎線。
センセの著作では、ラブホと鹿児島本線と九州男児の性に合わぬ切符の路線だったが。
和白駅はいい 鉄子もこのスレにいるのか
好きなのは根室本線の通称花咲線区間かなあ
厚岸湖、別寒辺牛湿原、落石岬・・・ >>336
先生はお喜びになるとは思うが
芸人のは芸人の力量によるものでそれ以上でも以下でもないと俺は思ってる >>347
台湾かどこかの特急にありそうだな。
ただ、新日鉄並みに鉄道病院行きをお勧めしたい。
もっとも、米原発を、米原がどうかしたのかと思ったことがあると自白しておく。 北朝鮮のミサイル(ロケット)の名前は寝台特急の愛称のようだ。 Eテレといえば、来週の知恵泉は「日本の鉄道の父」井上勝を取りあげるぞ。 お客さん、宮脇さんでしょ?これ読んで下さい。
電話して下さい。待ってますから。電話してもらう様言われてるんです。 >>353
そういえば、いつの間にか萩駅前に井上勝の銅像が出来てるね。
スコップに足をかけた例のポーズの。 センセの著作は時々不意打ちの様に、一生で何回かしか見聞きしない言葉が出てきます。
今終着駅に行ってきます
を読んでたら出てきた
蟠踞 「センセ」と書かれると、「センセの駅作りましたで」が思い起こされて困る。 センセもこの時期の確定申告は、窓口氏と一悶着あったのでしょうか? >>360
衝立の向こうで、私がやればいいんでしょと(笑) >>360-361
「いいですよ、やりますよ、どうせ誰かがやらなきゃならないんですから。」
もう40年も前の話だから、この若い係員さんも定年を迎えているのか。 三江線に乗るのは一二年ぶりだが、その眺めは変わっていない。あれから一○年以上も経ってしまったかと思う。 >>364
編集長が「宮脇先生にもっといい物を食べさせた方が……」と言うぐらいだから、たぶんOKでは。 きょう放送の「世界ふしぎ発見!」、テーマは「昭和ノスタルジー・鉄道で巡る台湾の旅」だって。 台湾の旅の著作は読んだことないけど、台湾の鉄道の旅特集は、テレビで時々見かけるよね。たしか、素朴だけど美味そうな駅弁が出てくるイメージ。 南国の食物は日本人に馴染みのないスパイスとか入ってそう 大好きなフカヒレスープなのに半分も食べられなかった。 台湾鉄路千公里ではあまり台湾固有の食文化は評価してなかったな
麺に入れたミツバのようなもの←今一部で人気のパクチー
骨つき肉の入った駅弁はまずくて途中で残した←今人気の台鐡便當 時代や育った環境、当時の年齢が大きいと思うが宮脇氏は食に関しては保守的というか
海外の食べ物を好む感じは無かったけどこれは仕方ないかもなあ >>372
西洋料理や中華料理、韓国料理は結構貪欲に食べてたけどエスニックはあんまりな感じ >>371
アスパラガスのジュースだけは絶賛してたね >>377
あれ飲んだことあるけど独特のクセがあって美味いとは思えなかったよ。
逆に駅弁やパクチーは美味かったんで御大とは味覚が真逆らしい。 先生は、サプリなどない時代から旅先に葉緑素やビタミンCを持ち歩くなど、
食生活のバランスに気を使っていたはずなのに、
灯子さんの本を読むと「父は高齢になっても肉など脂っこいものを好んだ」とある。
どっちが真の姿なんだ? 肉や脂っこいものが好きで野菜は好きではない、しかしそれは体に良いわけではない、そこを自覚しているからこそ、「白鳥」の食堂車で意識してハムサラダを食べるわけだし、旅先には葉緑素を持参していたのだろう。
宮脇家では、健康のために奥様が白米から玄米に変えたことで、「白米食わせろ」という貼り紙が氏と娘さんの手によって家の中に貼られたらしい。確か北杜夫氏の著作にあった。 確かプロ野球の広岡監督が選手に玄米食を食わせたのがきっかけで玄米ブームが起こったと思うが、
玄米って炊くのが面倒臭いんだよな。
炊く前に2〜3日水につけて発芽させてから炊かないといけないが、
夏場は腐るので水をこまめに替えないといけない。
しかも昔の炊飯器には玄米モードなどなく、苦労して炊いた割りにはボソボソしてまずい。
特に先生は戦中戦後の体験から「まずい物=貧しい物」という公式が頭の中に出来上がっていたので、
いっそう抵抗は強かったんだろうな。 戦中戦後の食糧難を体験した世代の精白米信仰の強さは
その後の世代の想像の及ばないところにあるようだ。 >>382
その食わせた本人が通風にかかっちゃ説得力なかったというオチ。 >>382
それは発芽玄米の炊き方だろ?
普通に玄米食いたいなら普通に炊けばいい
水と時間の調節は必要だが 普通に米屋やスーパーで売ってる玄米は発芽してないから、
2〜3日水につけて発芽させてから炊かないといけないんだよ。
そうしないと猛毒のアブシジン酸が玄米に残っていて、食べるとかえって体に悪い。 玄米の話になると狂信者が必ず湧いてきて、
>>390みたいなことを念仏のようにほざいてるんだよな。
お前は玄米からアブシジン酸をたっぷり補給してとっとと早死にしてろよwww 種村マニアに米マニアとは、宮脇ファンは趣味が広いな 食べ物のコメにもマニアがいる。
本来ならマニアの対象となるものではないがとにかくいる。
わたしはそのひとりではない。 コメマニアの人は全国全銘柄食べつくしはもちろん、全農協制覇とかやっているのだろうか。 ヒストリアで原敬を取り上げてるぞ。
我田引鉄のエピソードも出るみたい。 >>396
ワラタw
全農協制覇って、何を以て制覇とするんだよw
全銘柄食べ尽くしは面白い発想だ。
昔、煙草の銘柄を出来るだけ制覇しようとしていたのを思い出した。 最初に宮脇俊三の著作を読んだのきっかけは、大学入学した年の夏休みに、どこか行くときの参考になるかと、時刻表ひとり旅 (講談社現代新書) を読んだときから。
同時に、同じ講談社現代新書の、本城 靖久 (著)「海外ひとり旅」、それ以外にも何冊かの本を買ったひとつだった。 今日、センセが酷評なさった立川に行ってきた。
山手育ちのセンセは東京の郊外を差別するのか、他にお気に召さない衛星都市はあるのでしょうか。 宮脇さんは姫路駅乗り換えの際「駅そば」を食べたのだろうか。 >>188
前に出てきた「綾」のことですが、むかし福田宏年氏の本のタイトルにひかれて買って読んだのですが
『時刻表地図から消えた町』というものを集めた文だと思ったら、タイトルは収められた「綾」への旅だけだったいう。まあ旅のエッセイとしては面白く、宮脇氏が関係しているのはあと「熱塩」が載っていたし満足だった。
原文は雑誌「旅」に昭和52年1〜12月に連載されたものなのでその後単行本化されたのを購入したのだと思う。福田氏の旅もちょうど宮脇氏が鉄道紀行をはじめる前後とかぶってるようですね。
単行本「時刻表おくのほそ道」の福田氏の書評を読み返してまた件の本をひっぱりだしてきました。
この本の行き先は、生野・綾・広尾・水海道・城辺・矢島・大聖寺・大竹・遠江森・登米・比田勝・熱塩だった。 >>401
昔の立川は基地の街というイメージでもちろん売春も多くて治安のいいところじゃなかったからじゃないか?
今は昭和記念公園ができたり再開発されたりしてすっかり面目を一新して多摩の中心を八王子から奪っちゃった >>401
「みんな立川から都心に通勤している」
と考えてるのが浅いなと思う
後に平日の朝に八王子から八高線に乗ったら
意外なほど混んでいたとは書いているが >>408
氏からすれば、住んでいた代田(だったかな?)自体が郊外だったから、その感覚はわかると言えばわかる 住所は世田谷区松原ね。
地図で見たときは井の頭線東松原より、小田急線梅が丘の方が近いのではないかと思った。
東京駅に出るのは新宿経由の方が楽な気がする。 東松原が著作内によく登場する割には梅ヶ丘の駅名は出てこないけど
小田急利用新宿経由と思える行程の時もそこそこある
渋谷育ちで中央公論社時代は東松原→渋谷→銀座線通勤だったようなので
井の頭線の方に愛着があったのだろうけど梅ヶ丘の名は意図的に出していないのではと思えるほど。
意図的なものだったのだろうか? 今なら住所が細かく特定されないためという理由になるのだろうけど
単行本に番地まで住所載ってたからなあ 氏の場合、その土地のイメージに戦前の印象が残っている感じだね。
梅が丘は北杜夫=斎藤家ゆかりの青山脳病院が移転した場所だけど、
移転した頃(大正末〜昭和初期)は畑しかなく、住宅地化は戦後しばらく
経ってから。
このあたりの年代の東京の人だと、山手線の外は『郊外』、多摩地区
まで行くと『田舎』って感覚の人はけっこういる。 >>410
終着駅シリーズでは、小田急で東京駅に出る記述がある 小田急で東京駅に出る記述があったと思う。
それが最短だと思うけど、愛着のある路線を選ぶという気持ちも分かる。
あたしも練馬区から、実家の横浜に帰る時は品川から必ず京急。
これが、例えJRの方が速くても、京急に乗ります。学生の時に慣れ親しんだ路線だからかな。 先週のブラタモリは「宮崎」だったけど、全国の都道府県の中で平均気温と日照時間は
第3位、快晴日数は2位だそうだ。宮脇氏も言った通り、まさに「日向国」だな。 >>421
地理や歴史や地質の知識
時代を先取りし過ぎた 宮脇氏は「桜の花は年によって色が良いとか悪いとかいうことはない」と書いてたけど、
今年の桜はどうも例年より色がくすんでるように感じられてならない。
まあ気のせいなんだろうけど。 鶴見線にはその翌月の一○月二五日に乗った。まず小田急で登戸に行き、 よく、北海道でウミガラスとか書いてたけど
ウミガラスはオロロン鳥のことだよね
だとすると天売島にしかいない
何をウミガラスと言っていたんだろう >>438
何十年か前ならおでんうどんがあったな。 しかし、地図で見ると大船渡線に劣らないくらい三江線もナベヅル路線だな。
もちろん、三次と江津を直線で結んだところで人のいないところばかりを走り、「サルでも乗せるつもりか」となるのだろう。 >>443
ご存知のとおり三江線がナベヅルになったのは平地が少なく江川に沿うしかないからだからねぇ。
本気で陰陽連絡線として考えられていたのだとしたらちょっとどうかしているレベル。
そして高速道路はサルしかいないような地域をぶち抜いて通しても構わないのだから勝てるはずもない。 三江線廃止で、また最長片道ルート変わったね。どんどん短くなる。 >>447
実は当時のルートの本州部分は、第三セクター化された路線はあっても
一応これまで繋がってはいた
今回の三江線廃止で初めて途切れた 大相撲に「白鷹山(はくようざん)」という力士がいたんだな。
もちろん白鷹町の出身で、こんどの五月場所には新十両で出場。 >>449
ツツガムシの鮎貝出身だね
日本酒を想起させるから「しらたかやま」のほうがいいけど、上杉鷹山とも引っ掛けたらしい >>448
もしかして、本州で盲腸線以外で廃止になった路線って三江線が初めて?
(三セク化を除く) >>452
北陸新幹線は信越本線の線路増設ではないの? 新幹線が在来線の線増って国鉄時代の考え方だろ
今は新幹線は完全に別路線として計上されている >>454
じゃあ今は東海道山陽新幹線も
新幹線経由の距離で運賃計算してるの? >>455
その点はそのまま
別路線なのに在来線の距離で運賃計算しているのは矛盾しているとも言えるのだが
「営業キロ」ということで押し切っている
とにかく今は線増という扱いではない
各社の会社概要を見れば分かるが在来線と新幹線は別のものとして合算した距離を運営していることになっている
新幹線=線増って国鉄時代の考え方を引きずりすぎですよ 1年後には不満の多い人間も夕張に鉄道で行けなくなる 九州新幹線の新八代以北は在来線の営業キロ?
北陸新幹線高崎以北と東北北海道の盛岡以北は
だいぶ運賃が安くなったのかな? >>451
時期が古すぎて揚げ足取りでしかないけど白棚線が一応該当するw >>458
盛岡ー青森 在来線203.9km
盛岡ー新青森 新幹線178.4km
盛岡ー青森 新幹線182.3km 新青森経由
現行JR運賃で3670円→3350円に
高崎ー金沢 在来線368.1km 長野経由
高崎ー金沢 新幹線345.5km
現行JR運賃で6260円→5940円に
いずれも運賃1区分下がってる
九州新幹線新八代以北は在来線の営業キロを使用してる
宮脇氏に関係なくてスマン 気仙沼線の柳津〜気仙沼って廃線扱い?
いまいちあの区間の扱いが分からない。普通にJRのきっぷで乗れるが、実際はバスそのもの。まさか鉄道事業法上の路線ではないと思うが、だとしたらいったい何なの? >>449
大相撲はもう長いこと観てないけど、こういう名前の力士がいるとなると、ちょっと気になるな。
宮脇作品を連想させる四股名って、他にもいるかな? 大牟田出身の三池富士っていう
10代で殺人事件起こした力士がいたな >>456
>各社の会社概要を見れば分かるが在来線と新幹線は別のものとして合算した距離を運営していることになっている
それは昔からそうだよ
旅客営業上在来線と同一と見做すというのは東海道山陽上越新幹線全線と東北新幹線東京-盛岡間では変わっていないし
それ以降の新幹線は出来た時から在来線とは別線扱いだから
結局扱いが変わった路線はない >>459
柳ヶ瀬線、和歌山線田井ノ瀬-紀伊中ノ島-紀和
戦中とかでも良ければ五日市線立川-拝島
三国線は盲腸線扱いなのかな? 言うまでもなく、これらの未乗区間に乗るためには、その起点まで行くのに国鉄の幹線を利用せねばならない。 岡山から浜田まで5時間半かかる急行
あの時代ならまだ許される範囲だったか 昭和60年ごろに広島から浜田までバスで3時間はかかっていたから、三江線全通時はそれより更に道路事情が悪いであろうことと、岡山から広島までの移動時間と乗り換えの手間を考え合わせると、岡山〜浜田5時間半には勝算があると考えられたのだろう。
昭和の末期に広島〜浜田に臨時急行「江の川」が運転されたが、所要時間の点でバスとは勝負にならず、程なくして消えていった。 飯塚着18時42分。ここからは19時04分発篠栗線経由の快速列車があるから、わずか四七分で博多まで行ける。 >>468
当時と今では高速道路網が比較にならない
当時の中国地方は中国自動車道以外なかった >>471
千代田ICと鹿野ICの間が昭和58年に開通して、ようやく中国自動車道が全通したくらいだから、三江線が全通したころは、岡山から浜田に行くのに高速道路を利用することは出来なかっただろうな。
昭和60年ごろになって国鉄バス広浜線で、広島北ICから、千代田ICまで高速を使うのが出てきたはず。1区間だけだったが、飯室から鈴張を通って明神峠を越えるよりは大分時間短縮に繋がっていた。
平成になって浜田道が開通すると広島BCから浜田は2時間を切るようになり、鉄道の出る幕では全くなくなった。
昭和50年ごろの伯備線経由の「やくも」に1往復だけ益田まで足を伸ばすのがあったが、それだと岡山から浜田まで5時間20分。三江線経由でも所要時間は変わらないとはいえ、岡山と石見地方の間に2往復もの列車を走らせる需要があったかは疑問。 >>472
山陰と呼ばれるのがわかる位遠かったんだな >>461
あれはバスだよ。
JR東日本がバスとしての免許を申請してる。
昔あったJRや国鉄直営のバス路線と同じ。 なるほど。永久に代行バスなんですね。
ジャイアンのセリフ、「とったんじゃない。永久に借りておくだけ」を思い出した。 新幹線開業前は新潟や仙台まで4時間
盛岡6時間青森9時間もかかってたんだよなあ
新幹線があっても博多まで7時間弱だったし >>478
あの時代の食堂車付きひばりやはつかりに乗ってみたかったが
子供の時に上野駅で指咥えて見てるだけだった >>478
今では仙台から新潟へ鉄道で一番速く行く方法は大宮まで出てくることだもんな。
「あさひ」、後の「べにばな」だとどのくらいかかったんだっけな。 自分で調べてみた。
昭和53年10月の時刻だと、「あさひ」で5時間から5時間半、磐越西線経由の「あがの」だと途中各駅停車になったりするから6時間から6時間半はかかっていたみたいだ。
今ではバスでも4時間余りだしな。
今でも「WEライナー」に夜行があることにも驚きだが、その昔は新潟と仙台の間に飛行機が飛んでいたことにはもっと驚いた。 東京〜仙台も昭和60年まで定期航空路線あったんだね。 >>481
親の実家に遊びに行くのに「はつかり」や寝台特急に乗れる友達が羨ましかった
逆に、急行に乗って数時間のところに親の実家がある自分の境遇が恨めしかったことがある
・・・って、どこかに似たような話があったなw 今でも国際線からの連絡便としての成田〜新潟や成田〜仙台便があるな。
これがないと、成田で降ろされて東京駅まで行ってそこから新幹線乗って…というウンザリするような行程を辿らねばならない。羽田や成田を結ぶ飛行機があるのは世界に繋がっていることだというのを実感する。 だからこそ地方空港から、乗り継ぎ需要を見込んで仁川行があるんだけど、スレチ&荒れるもとか・・・ >>473
>山陰と呼ばれるのがわかる位
山の南側が陽
山の北側が陰
川の南側が陰
川の北側が陽
という中国式の名付け方なだけで距離とか関係ないぞ 22 名無しさん@1周年 ▼ 2018/04/11(水) 18:53:12.60 ID:v01/HAIQ0
梅ヶ枝餅は、もっとあっちです。
23 名無しさん@1周年 sage ▼ New! 2018/04/11(水) 18:54:12.70 ID:av1gMmG10
あっちてどっち? 今の根室中心部にはキャバレーもキャバクラもないだろうね
スナックが関の山
宮脇氏の考えるスナック(軽食店)ではない 根室にイオンが出来てて驚いた
小規模だけど繁盛してるみたいだった 1978年か。
宮脇や種村の本などに耽らず学業に励んでいればよかった。
・・・・・と書けばいいのかな? >>496
詳しく知らないけどどういう状況なの?
フリーで好きなことして生活できてるなら羨ましいけど
本は読みたいと思うものが無いがw 純粋な趣味なら自由気ままでも
仕事にするとなると、いろいろなしがらみが絡んできて、好きなようには行かないよ
最悪、趣味が趣味として楽しめなくなるかもしれない
そのあたりを割り切ったり、きっちり切り替えができる人ならいいんだけど 汽車に乗っている間は楽しいけど、帰ってきて原稿を書くのは地獄の苦しみ >>500
旅行の帰りは、アルコールがモチベーション。 若いころは旅行から帰ってくるの嫌だったけど、今ではひとりのときも家族と一緒のときも、帰ってきたー、と日常に戻っていくぶんホッとする気持ちになる。
東京へ向かう客がみんな機嫌が悪いというのは、たとえ帰省のUターンラッシュであってもいささか極端に思える。 鉄道系のブログで宮脇好きが好きそうなやつってある?
探したけどどれもイマイチ。 旅行にしろ鉄道にしろそれ以外にしろ、基本的に素人の日記+αのものばかりで、情報としてなら役に立つものはあるが、読める文章のものは滅多にお目にかかれない。
「余談ですが」といきなり自分の好きなアニメの話を繰り広げたり、カップルやディズニーランドに矢鱈と敵意を向けたりするのを見るとウンザリしてしまう。
あと、「◯◯ではないでしょうか」を連発して押し付けがましく同意を求められるのも嫌だ。
そういうときは種作品でも一服の清涼剤になる。 宮脇は離婚してるのね。で、社内結婚か。
不倫だったのかな? >>508
違います
お互いの仕事の関係ですれ違いとなり離婚
その後、上司の仲立ちもあり職場結婚 宮脇長吉=小西ひろゆき
佐藤賢了=統合幕僚監部の30代幹部自衛官 豊前川崎着19時16分。19時17分発の日田彦山線門司港行の列車がすでに入っている。これに乗換えて二つ目の後藤寺まで行く。 「ちかごろの軍人は増長しとる」だろ。
昭和17年の軍人も平成30年の自衛官も。 「黙れ!長吉」長吉という言葉はさすがに飲み込んだ。 >>521
電電公社、専売公社、国鉄、郵便局、次の民営化対象は自衛隊かも。 >>525
大昔に「アイドル防衛隊ハミングバード」っていうラノベがあったな 末っ子で後に鉄道紀行で知られる元中央公論編集長、宮脇俊三さんが「増補版 時刻表昭和史」(角川書店)などで父の思い出を書いている。
例えば、落選後の父と旧制中学生の自分とで汽車旅をした。特別室でゆったり座っている陸軍将校2人に、父は少し詰めて我々も座れるようにと求めた。言い合いになり、父は「近ごろの (略 増補版はいまだに買ってない
俺の場合、「昭和史」が宮脇作品の最高傑作
その後買って読んだ作品は、みんな「あれ?」ていう感じ GWになると毎年思い出すのが、汽車旅12ケ月の5月。
毎年GWの内、必ず最低1日は天気が崩れて、
寒い中家に帰ってきた、
みたいな記述がありますね。
今年も3日が崩れそうですね 弟子と息子じゃ、天と地ほどとは言わないまでも、だいぶ開きがあるのではないか。 >>533
今日は遠足で弁当も用意されているのだが・・・・天気が微妙。 豊橋で在来線に乗換え、岡崎に着いたのは11時45分、岡多線の新豊田行は12時13分発である。 押入れを整理していたら御大の文芸本の初版がかなり出てきた _,_,_,_,_,_,_,_,_,_
/(((///ノ/ンヽ,, _______________________
f ミ"""'''''''"""ヘ ニヽ /
ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ| | 「中の人も山口元メンバーレベルのアル中なん
ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_ ;ミミ| | ですか?」とのご質問だが、
f|.-=・=H-=・=~iー6)リ < 中の人はオナニー中毒であって、アル中ではない。
'ヒ______.ハ、_____ノ !!| | アル中と言えば、宮脇クンが晩年そうだったが、
f' __,-ムー、_ ` ノ | 宮脇クンは山口元メンバーと違い、家族がいた。
ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人 | なので孤独の寂しさがアル中になるとの見解は、
\,____,// /~丶_ \ 間違っているとコメントしておく。
人,_____/ / \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/|_/又 \ / | この人のおかげで青春18きっぷが出来たの?
あとこれは今の話だけど18きっぷで東京から下関とかまで
東海道線、山陰本線とかで行くのは鉄オタは一回ぐらいはみんなやるの? 18切符専スレがあるから、そちらで聞いた方がいいと思うよ 何をもって鉄オタか、一般人か。
線引きが難しいが。
少なくとも、九州とか北海道は18切符に限らず、鉄オタには年中射程距離だと思う。 >>554
自宅の庭に転がっていた不発の焼夷弾を見つけた話が「時刻表昭和史」にあったな
そんな体験があってこその表現なんだろうな
知らない世代にはとても思いつかない 確か別の話で、俊ちゃんの姉さんが空襲の夜にセックスしてたら、焼夷弾が布団の上に落ちてきて、命からがら実家に逃げ出してきたんだっけ? 時刻表昭和史の戦争時代のくだりは、興味深い。
この時代、悲惨で悲劇の一色なのに、俊ちゃんはどこか他人事みたいで、俯瞰的な文章。
残ったな
焼けたほうがさっぱりしたのに
バカ言うな
と言って父は笑った。 時刻表昭和史読んでるけど記憶にないなあ
ありがとうございます
今から読み直します >>562
日本探見二泊三日と、
どっちがつまらない? 百閧フ阿房列車以外の鉄道ものって
まとまって本になってないの? >>567
鉄道に限らず乗物全般の随筆集なら、
昔、今のベネッセが福武文庫から『出船の記』って
アンソロジーを出してた。(俺の手元にあるのは1993年7月発行の初版)
個人的にはこの中に収録の「乗物雑記」って随筆、初出は昭和17年の報知新聞らしいが、現代を予言してるみたいで面白い。 >>449
5月16日(水)の大相撲中継(夏場所四日目)の新十両紹介のコーナーに白鷹山が出る。 寝台で横になったら、もう大宮到着を知らせる車内放送で眼をさました。 鮭フライはたまに見るけど、鮭フライ定食って見かけないな。
時刻表昭和史 昔の列車って深夜はやっぱり本数少なかったの?
地方路線も走ってた?
線路や車両の整備は深夜にやってると思うけど昔はどうしてたんだろ?? 1980年廃止の夜行ちどりは沿線の深夜業務の廃止と運命を共にしたんやで
逆に言えばその頃まではローカル駅でも深夜に列車が走れば夜勤する中の人がいた >>573
画像検索してみたら、鉄道ファン的には親近感の持てる風貌だった。 昔は道路整備状況も悪かったから、郵便や手荷物も扱っていたし、新聞配送の国鉄の仕事だったからじゃないか
ローカル夜行列車に郵便荷物車が連結されるのはデフォだったと思うが このあいだ予土線乗ってきたんだが、一番列車に新聞の束が3つどさっと積まれてたよ。
人手不足がひどくなる一方だし、これから国鉄時代の多種多様な輸送業務に回帰する傾向が強くなるかもな。 最近、運送会社と地方の私鉄が業務提携して、
そんなことしているって、ニュースで見たな。
確かヤマトと、中部地方の私鉄。 >>583
ああ、それだ
先週、実家近くの図書館に行ってきた
宮脇本0 種村本1(題名忘れた)
今、自宅近くの図書館に行ってきた
宮脇本1、種村本0
失われた鉄道を求めて、を借りてきた 時刻表2万キロが発売した当時でも鉄道ファンで
同じようなことしてたのは結構いたんだよね? >>588
参考までに
宮脇氏の足尾線完乗が1977年5月、『時刻表2万キロ』初版が1978年7月。
コロタン文庫『国鉄駅名全百科』のコラムと奥付
https://i.imgur.com/4ItiKv5.jpg
https://i.imgur.com/mg1JkgQ.jpg
このコロタン文庫の初版が1979年8月、コラムのHT氏の美幸線完乗が1978年11月。
ちなみにいい旅チャレンジ20000kmは1980年3月開始。 種氏が完乗したのが1979年
前年に先生の時刻表2万キロを読んで相当焦っていたらしい
それでも先生の口添えで中公新書から出してもらった本が結構売れた 昨夜放送された九州のローカル番組で、宮脇氏も訪問した大畑駅のスイッチバックを、ドローンで
上空から撮影した映像を紹介してた。いい時代になったなあ。 >>597
ガラスに正拳パンチして、救急車で運ばれる NHKで岩国の清流鉄道ってやってたけど、昔の岩日線なんだな
景色は40年前と変わってないんだろうな >>603
去春乗ったけど、行きは喧しいおばちゃん集団、
帰りはさらに喧しい米軍の酔っ払い集団がいて最悪だった >>598
新線の開業を待ってる人のことかも
でもそれは「人生の貴重な残り時間が早く過ぎ去ってほしいと願うのと同じこと」なんだよな。 >>585
少ないなぁ。168件ヒットした。編も含むけど。 >>597
便所に行くにも、尻浮かす居酒屋に部下を連れ込み、
線路は続くよ♪どこまでも〜、
の熱唱強いり、
本人は駅員よろしく、とばかりに
鋏を入れて、一人ご満悦! 五月二一日というのに待合室のストーブには薪が焚かれている。駅前広場の閑散としただだっ広さは、これもたしかに北海道のものである。 木次線八川駅でもストーブに当たっていた客が乗車してきた。 そういう淋しい気分を一層助長させるのが六月号の時刻表である 百關謳カはねこ好きだったが、宮脇センセは犬にほえられるばかりだったな。
灯子さんのねこエッセイ
https://sippo.asahi.com/article/11547284 【今日は何の日?】中央公論社の取締役が国鉄全線に完乗
1977(昭和52)年の5月28日。中央公論社の取締役が国鉄の全線およそ2万キロに「完乗」しました。
https://trafficnews.jp/post/40442 寝台はとれないし、夜行だからいくらかでも楽をしようとグリーン車にしたけれど、あれは私には扱いにくい。 >>620
隣のオサーンは、ワンカップをグイっと飲んでそのまま寝る。 >>621
いつも思うのだが、どのくらいの時間をかけて飲んだのだろう?
まさか一気飲みではあるまい。
煙草1本くらい吸いながらだろうか。 >>623
氏の表現通りだと想像します。ワンカップなら一気に飲むだろう・・・・と思う。 長時間電車に乗ってるときなにしてる?
宮脇先生は読書とか地図見てたりかな?
睡眠もしてるか? 車窓ずっと眺めてても飽きない人なのかと思ってたけど… >>629
昨日、浜松から鈍行で新宿まで乗り通した
いつも思うけどスマホ、携帯が普及するまでは、みんな電車に乗っている時は何していたんだろう?
熱海を出てからの相模湾の水平線は、やはり白眉でしたね 全国紙の新聞全くどこも飛ばさず読み尽くしたら4時間ぐらい潰せるだろ。 >>630
基本的にそれだな。
用があっても乗りたくないのは山手線と京浜東北線くらい。
宮脇さんほど乗ってないから、まだ飽きてないのかもしれない。 すごいな。
自分は行きはいいけど帰りは結構うんざり・・
熱海や高崎からはグリーン車に乗ります。
夜は景色が見れないってのもあるかな。 >>639
景色が見えなくなればお酒をお供に。
「僕に水割りちょうだい!」 逆に高崎や熱海から東京方面なら
ボックスシートを一人で占領できないか? >>641
小田原辺りでおばちゃん軍団に相席されるからヤダ 文庫本片手に旅に出よう。
先日は「汽車旅12カ月」だった。 >>642
駅弁など開こうものなら会話が途切れて……。 庶民派ぶってるけどこのおっさん本人も家系も
スーパーエリートだからな。 >>647
家系って…父が大佐→陣笠政治家どまりだし、祖父は普通の農家。
と思ったら叔父と伯父が大物なのな。初めて知ったわ。 北海道鉄道旅行したいけど範囲広すぎて迷う。
「最長片道切符」基準で行きたいかなと思うけどそんな時間無いし。
切符はフリーパスなんだろうけどなにがいいのかとか。
とりあえず釧路、根室、網走、音威子府、稚内とか有名所だけ攻めていくか・・ 北海道は今や珍しくフリーパスが充実してるだろ
全線乗り放題のもちゃんとあるしLCC利用とセットで買える廉価版もある ミヤワキスト的には、先生が好きだった花咲線からかな。 >>651
LCCセットはなぜ道南はないのだろう?
わざわざ不便な関空まで行ってLCC乗らないといけないのがマイナス
普段伊丹や神戸から青の特典で飛び慣れてるから、食指が動かない >>650
北海道フリーパス。
特急乗り放題じゃないと旅程成り立たないだろうから最初から制限なしの切符が使いやすい。 全線乗りつぶしなら、釧網線、花咲線、石北本線、札沼線、函館本線(山線)だけ18で先に潰しておく方法もある 路線数が激減したと同時に、列車本数も減っているけど
亜幹線やヒゲ線がごろごろしていたかつてより、乗りつぶしはし易いのかな 音威子府の駅そばは、俺も食いたい
確か黒いソバだっけかな
>>650
道東道南はくまなく回っていた方がいいよ。 北海道でいつでも乗れそうで後回しにしがちな区間
大沼付近の8の字の本数の少ない方
室蘭の支線
沼ノ端-岩見沢間 藤城線も新幹線開通後、旅客列車が激減して1日3本の普通のみ
うち1本は朝5時台だから、実質2本だけ 札沼線末端とかは札幌か旭川に泊まれば午前中にクリアできるから
本数のわりにやりやすいよな 関空が不便と言うのバカは大阪吹田辺りぐらい
どこからでもバスは出てるし、高速は渋滞知らずで定時性抜群
規模の割には扱い易いレイアウトだし、なんで今まで評価が低かったのか不思議 >>662
なことはない
不便なものは不便
とにかくアクセス費用が高い上、時間がかかる
鉄道アクセスは、一社はバスより定時性に難があるので使えないので、
実質一社な上、外国人で混雑して座れない
バスも、阪神高速湾岸線で事故があれば終わる
しかも、空港バスは東京成田のように安くない >>663
時間掛かるだけで不便っていうんか。アホやろ >>664
時間がかかる
アクセス費用が高い
アクセス鉄道、バスの時間が不安定
(LCC主体の関空は乗り遅れは致命傷)
これだけ揃って便利と言い張るとは草 関空のことになるとムキになって否定するバカがいるよな。 関空はマイカーで行くと高速料金と駐車料金と橋の通行料とすべてが高すぎるなあ
大阪市内までも遠いし、市内に入って関空まであと50キロという看板みると気が滅入る
阪高の最大料金も値上げされたし、ネクスコ系の早朝6時までに都市部を通過して
半額になる早朝夜間割引もなくなったし、駐車場の深夜入庫割引もなくなった
48時間までなら、会員カードの搭乗ポイント割引と空港内の店舗利用割引で
4110円が540円になるのは安いが、元の駐車料金が高すぎる
店舗利用割引は、コンビニでの収納代行や、エクスパック、切手の購入でもOKなので
ハードル低いけど 北海道か・・・・・
残っているのは
日高、富良野、留萌、札沼(教育大以北)+新幹線 >>657
きょう放送された「旅サンデー・183村秘境旅」で、篠山輝信が音威子府村を訪ねてた。
駅そば「常盤軒」の真っ黒いそばも紹介されてました。 松家君も今年還暦になるのね
ぜひ若い編集者と一緒に亀山を訪れてもらいたい また「光の犬」を読み返してみよう。
「火山のふもとで」もそうだが、いい作品は何度でも読みたくなる。
幾度となく「時刻表2万キロ」「最長片道切符の旅」「汽車旅12ヵ月」のフレーズが出てくるこのスレの住民なら分かってくれるだろう。
なぁ、兄弟。 断じて君たちとは兄弟なんかじゃないと宣言しておきたい。
なあ、兄弟? おまえらですら、
テルミニ宮脇に住んでない
ってこと? ほかのサイトでは掲載終了になってるから、借り手がついた物件がたまたま削除されてないだけかもしれんが
テルミニ宮脇 1B号室 世田谷区松原[マンション(居住用)]
ttp://rentnetshinwa.co.jp/es/rent/935000000006655912 おまえらですら、
竹ノ塚の団地に住んでない
ってこと? 京浜東北線・赤羽線・山手線と乗継いで
渋谷に0時40分に着き 、井の頭線の電車はもうないのて、タクシー乗場に並んだ 私だって東京や自分や家にいるのがいやで出歩いているわけではないし、日曜日くらいは家でゆっくりしたい。 テルミニ宮脇の住民って
全員ミヤワキストでも不思議はないな
あの戸数なら ミヤキストって、あんな額の家賃が払える奴はいないと思う
持ち家ありの奴は多いだろうけれど 広さはあるが築30年であの値段だから、結構強気だよな。世田谷区、駅から徒歩10分以内、2駅利用可ならそんなもんなのかもしれんが。 竹ノ塚の団地の住民って
全員ミヤワキストでも不思議はないな
あの戸数なら 俺も人生の終着駅が見えてきたことだし、今本棚を整理しているんだけど
繰り返し読む本、再読しない本と別れるなぁ
皆様的には最高傑作は何?
やはり初期の作品が多いと思うけど、
私は最長片道、汽車旅12ケ月、昭和史、2万キロ
ベタだけど、ここに落ち着きますよね? 娘さんの本に書いてた、
「ここまではいい本で、ここから後はダメ」
と本人が言ってた境目は
どの本でしたか? >>694
築30年てことはまさにバブル期の設計施工だから
作りはシッカリしてるんだろうな 台湾がいい本のラストですか
それとも
台湾が悪い本のスタートですか? 今、灯子さんの
父・宮脇俊三への旅
を読み返してみたけど、
(これも再読してない本)
中国火車旅行から以降がいまいちと、
先生本人が言ってる
灯子さんは、
父は60を越えたあたりから、筆力が落ちた
と言っているので、
歴史物3編を出したり、南米に行った86年あたりかな >>697
おいらはそれにプラスして、ローカルバスの終点へ、を。 >>704
要は、基本的に昭和の時代に書かれたものということになるな。 個人的には台湾千公里は実に良かった。台湾旅行する時は必ず読み返すくらい。
新幹線開通までご存命だったらぜひ乗車記を書いていただきたかった。たとえ筆力が衰えていたとしても。 え、有名やよ
じゃなくて、なんでどうやってここ来たん? バブル期って、
狭い部屋をいそいで建てまくったのとちゃうの? お笑いコンビ銀シャリの鰻さんに第一子
やはり鹿児島のひとなのだろうか。 >>713
本人は大阪出身だけどルーツはやっぱり鹿児島らしい 氏なら、今後も増枠傾向のW杯をどう思うか?
作家としての最盛期、82年スペインW杯をどう見たかな? テルミニ宮脇じゃないけど、
トキワ荘見に行って松葉でラーメン食べた人、いる?
いしいひさいちの仲野荘、見に行った人、いる? >>717スレ違い
竹の塚の団地にでも行ってもそもそとパンをかじってろ 富山港線に乗るためにタクシー飛ばした所の道じゃないか 世の中にひとの来るこそうれしけれ
とはいふもののお前ではなし
これを見て満足して帰るくらいでないといけないのだろう。
恐怖の狂人この家に住む
万人注意! >>716
ワールドカップといえば、あのオープニング映像で走ってる機関車は、シベリア鉄道をイメージしてるのかな。 濁河温泉で土砂崩れだそうだ。
脱衣所ごと露天風呂が流されたらしい。
30年前と違い、飛騨小坂からの路線バスは既になく、夏のわずかな期間のみ、木曽福島から運行されているという。あとは旅館の送迎バスが高山まで行くようだが、公共交通機関で訪れるのはえらく不便になったらしい。 金曜日に落ち着きがなくなるのは、来週の金曜日の指定券を買うか買うまいかと思案するからである。 前スレのタイトルが「鯉が名物」云々で
我が新潟県の村松がディスられてたが
こないだ米沢に行ったら彼処も鯉が名物で
お土産で鯉の切り身の甘辛煮も売ってたな 近所のスーパーで生ワカメ(天草産)を二割引で売ってたので、3パック(約300g)買ってきた。
ふだん乾燥ワカメを戻したのしか食べてないので、さすがにうまい(味はないけど)。 今日の鉄腕DASHで舞台となった東かがわ市は宮脇先生の父長吉氏の故郷。
時刻表昭和史第3章を初め、著作の中にも何度か登場している。 宮脇氏は鉄道ファンにとって(もちろん私にとっても)神様であり、「宮脇さんの紀行文にも、サハリン号なんて呼び名は出てこないじゃないか」と突っ込まれないとも限らない。
ttps://kadobun.jp/readings/291/e0652201 >>736
この筆者は中公新書から廃線の本を出してるんだね。 >>739
狩留家と白木山の間らしい。
広島に近いところで利用者もそこそこ多いから、頑張って復旧させるだろうな。
備後庄原以遠だとどうなることやら。
備後落合と備中神代の間ならかなりの確率でそのまま廃止になると思われる。 http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=446132&comment_sub_id=0&category_id=256
あと、呉線と山陽本線も被害に遭ってる。
まあ、こっちは芸備線以上に早急に復旧させるだろうけど。
特に山陽本線は、貨物輸送への影響も大きいし。 鉄道は貨物を運ぶためのものだ。人間なんかついでに乗せてもらってるだけなんだ。 そのJR貨物は、ついでなはずの旅客のみを扱うJRから線路を格安で間借りする身分
宮脇翁は国鉄改革について、あまり語っていないよね >>743
当初はマスコミからも意見を求められたが、愛好家としての立場と経営視点の板挟みになり、
煮え切らないコメントを続けていたら、マスコミがスルーするようになったみたいな事を書いてた記憶がある
著名人では、永六輔氏らがガチで先頭に立って反対していたけれど、
出版社常務という経営側の苦しみも知っていた氏は、考えはあったろうけど、軽々しく語らなかっただけだと思うよ 川本町も大水害と聞く。
仮に今年、三江線が廃止にならなかったとしても、この水害で長期運休→そのまま廃止となった気がする。 最長片道切符を読み返す
自らの成長とともに新たな発見があるのが凄い 阿川大尉のお早くご乗車ねがいますを今頃になって読んだけど
架空の座談会形式で書かれた「鉄道研修会」
宮脇先生の「国鉄全線大集会」のモチーフになったのかなあとニヤリとした
ミヤワキストの皆さんにとっては「わかりきったことをいうな」かも知れないが きのう放送されたテレビ東京系「昼めし旅」で、石田靖が佐田岬半島の三崎港へ行ってた。
鉄筋4階(一部6階)建ての立派な民宿を訪ねてたけど、もしかして宮脇氏と藍くんが泊まった所かな。 昨今の創作物は
その本体よりもそれについてのコメント方が面白い
というケースが多々ある
宮脇文学の少なくとも初期に関しては
本文の方が絶対的に面白く再読に堪える >>752
俺もそう思った。
クオリティの高い本だよな。 >>756
ここは、宮脇スレです。種村スレはもっとあっちです。 >>751
寿司屋で握り寿司を食べていたら、隣に座った女性が「鰻重」を注文。
しかし、売り切れとわかると出ていかれた。よほど食べたかったのでしょう。 宮脇氏「私はウナギは好きだが、あの匂いの中で寿司をつまみたくはない」 >>760
そうなんだよ。
寿司屋と鰻屋が同居しているという時点で、>>759はあんまり都会じゃないと分かる。 そういや最近種村スレの中の人、粘着してこなくなったね。 今時寿司屋鰻屋天ぷら屋兼業なんて限界集落にもないでしょ
それらが全部置いてある大きな食堂ならあるだろうけど
宮脇氏が言うのは個人経営のカウンターの店のことだろう 「岩日線など大雨で流されてしまえ」
現実には岩徳線がそうなってしまった訳ですが。 >>759
同居しているわけではない。
ちゃんとした寿司屋ですが、なぜか昼のサービスメニューで鰻があった。
一応、大阪市内ですが。 鰻の話は何の作品だったろうか
歳のせいかもう思い出せなくなってる >>764
名古屋市中区にもまだあったりする。東京にはもうないのかな。 JR完乗は、
国鉄時代より格段に簡単、
ってこと? 2万キロ切っちゃったもんなあ…。
一応自分は宮脇御大の影を慕おうと旧国鉄(松浦鉄道等)や旧国鉄計画線(井原鉄道等)なんかも含めて完乗を目指してる。 きっぷ類は昔のが充実していただろうけど
北海道や北九州などの路線図みただけでやる気が失せるようなところが
減ったのはでかいよね 天変地異で路線運休が続いているので国鉄時代よりも実は完乗は難しくなっているのかもしれない。
運休路線が全く無かったのは最後はいつだったのだろう。
休止のまま廃止となると完乗地点自宅ということになってしまう。
岩泉線が廃止されたときは実際そういう人かなりいたのではないか。 >>781
2010年7月31日に岩泉線が土砂崩れで運休になる前はしばらくの間、
災害長期運休区間は無かったのでは?
その前は高千穂鉄道が2005年9月から運休→廃止
越美北線が2004年7月から運休→2007年6月全線復旧 JR北海道未乗区間
・札沼線 あいの里公園ー新十津川
・日高本線
・留萌本線
・富良野線 名松線の運休が2009年10月からですね。
越美北線復旧から2年4ヶ月、高千穂鉄道廃止から10ヶ月の間に完乗できた人は運がよかったということか。 JR西日本のサイトによれば、新見〜備後落合は年内に運転再開予定らしい。
そのまま路線廃止も危ぶまれていたが、取り敢えず何とかなるということか。
狩留家〜備後落合と府中〜塩町の復旧にはかなり時間がかかるようなので、三次は当分、鉄道のない市になるな。 >>785
三線が合する駅で
一線が廃止された直後に残り二線が不通か >>785
三次では、みなさん猛然と「ハンバーガー」を食べて支援しましょう。 三次駅のハンバーガーはドムドムだったのだろうか。グリコアだったのだろうか。 現在の三次駅前はバスターミナルの2階の「たむ商店」でお好み焼きを食べるしかない。 あのお好み焼きは結構うまかったけど11時開店なのでそれ以前に到着すると
あとはコンビニまで歩くしかない。 三次駅は91年に立ち寄ったきり
たしか駅舎の隣にあった気がするお好み焼き屋で遅い昼食を摂って三江線に乗ったけど
そんな店も無くなって、すっかり変わってるんだろうな
バーガー屋もあったのか 三次駅は2015年に橋上駅舎に改築されたから、
宮脇翁が見た駅舎はもう無いんだよな。
Wikipedia見てみたら、先代駅舎は1978年完成だから、宮脇翁は先代駅舎の新築直後に訪れている事になる。
今改めて『最長片道切符の旅』の該当部分見てみたら、「新装成った三次の駅舎」ってちゃんと書いてあった。 >>794
東武春日部駅が未だに橋上でも高架でもないのに
全列車運休中の三次駅が橋上駅なのか
因みにドムドムバーガーのインパクトで
三次は昔から橋上駅と脳内変換されていた >>795
取材ノートには、三次駅での記載はないですね。 >>793
徒歩5分のサングリーンの「一休庵」なら9時半からお好み焼きが食べられるみたい。
https://tabelog.com/hiroshima/A3405/A340501/34022599/
(↑)食べログの口コミに鉄オタの書き込みがw 14年前に訪れたときは家が立ち並んでいた備後落合駅前
最新のGoogleマップで見たらスカスカになっていたのが寂しかった
元駅前旅館の建物は健在だったが >>799
備後落合なんて、今は駅以外人家はあるかなきかだろ。
おでんうどんは15分くらい歩いたドライブインで売られてるらしいが。
というか秘境駅認定されるくらいだから、実質的には芸備線と木次線が分かれるだけの信号場みたいなものになっているのだろう。 >>792 >>798
「たむ商店」が何だか気になる。
>>800
検索かけてみると、入っているのがどれも「玉子、スジ肉、厚揚げ、海苔」ですね。
リクエストできるらしいですが、どれも同じだった。 今日12時20分の「サラメシ」再放送のエンディングは、宮脇先生が愛した駅弁。 「たむ商店」は、意欲的に福岡市に支店を出したが、長続きしなかった。 >>802
社員食堂のテレビにいきなり氏の顔が映ったからびっくりした。 今年は「最長片道切符の旅」からちょうど40年なんだな。時代も変わり鉄道や旅を取り巻く
情勢も恐ろしいくらいに変わってしまったなあ。 >>810
40年も経てばねぇ。
昭和53年当時に、40年前の昭和13年を思い起こせば似たようなことを思うんじゃないか。
もっとも、昔と比べて変化のスピードが増しているから、同じ40年でも変化の度合いは違うだろうが、いずれにしても40年も経てば世の中大きく変わっているだろう。
そういう810は40年前、何してたんだ? これから先起こる大きな事って・・
リニアモーターカーの登場。
JR北海道の倒産。
青春18きっぷの廃止。 JR北は潰れはしないぞ。精算するだけ。
あとな、電車通学ってものがある限り、閑散期の普通電車専用の、マルスで印刷するだけで丸儲けのきっぷなんか廃止しないよ 大学生で集中講義出席の時、通学定期代わりに18使ったなあ 810ではないが40年前はブルートレインブームで鉄道に目覚めた小学生だった
40年も経てばブルートレインが完全消滅も仕方がないか
その当時からわずか9年で国鉄が消滅してしまったわけで 阿房列車が1950−55年だから
宮脇氏の「最長」まで20数年。
その間の変化の方が、
その後の40年より大きく感じる。 >>813
ムーンライト全廃以後
青春18のための投資って
大垣米原間の増結くらいだもんなw 40年前ってIT関連は比べ物にならないけど
生活基盤はさほど変わってないからな
郊外の住宅地から電車通勤のサラリーマン塾通いの子供
ファストフードやスーパーマーケットもあったし
飛行機や海外旅行もまあまあ一般的になってた頃
その頃の103系115系485系なんかも最近まで走ってたわけだし >>817
いや、相生-岡山もいつの間にか3両が7両が状態化 阿房列車では
踏切で待ってる人たちが
番傘に下駄と書いてたな >>818
西じゃ103も115もまだまだ健在だけどな。
奈良線なんかこないだようやく103の置き換えが始まったと思ったら国鉄型の205だぜ。
JR発足して30年以上経ってまだ国鉄型を国鉄型で置き換えるとは思わなかった。 あの205系、阪和線のお下がりだからな。
在阪の鉄道会社はステンレス車なら半永久的に使えると思ってるらしい。 昨日、朝日の夕刊(東京)に名前が出ていた石田穣一さんて、
沖縄にいたあの石田さんかな? >>824
石田さんの妹さんが長崎で被爆して、
その体験を昔本にした。
本は出版したけど、直接語ることは長年できないでいたが、最近になって後生のために語るようになった。
最初に執筆を勧めたのが、兄の穣一さんだったという。
穣一さんが元裁判官で現在90歳ということで、もしかしたらと思った。 >>825
ああそれなら本人で間違いないね
石田穣一氏本人は旧制成蹊高校の学生だったので長崎へは行かなかったんだよね 英雄俊傑と一二三四の組み合わせ(ただし4は生まれず)じゃなかったっけ >>828
ああ、いや成蹊かどこかの同級生で仲がよかった三人がいたってこと
JR東日本の住田さんだっけか >>828
息子にそんな名づけを予定していながら
奥さんが俊三君を身ごもったとき、「またか」
そりゃあないよ長吉さん・・・ 「傑四」ができたら「もういいよ」となったのか。
阿川家もひとりおろしていたっけ。 We were TTTT
We love Train Travel 私だって、五木ひろしの面相はいただけないが歌唱力は群を抜いている、といったぐらいの鑑賞力ならある。 ttp://portal.nifty.com/kiji/180801203558_1.htm
デイリーポータルZで中公新書の記事が出てる
>ビジネスマンが、出張に出たさい、東京―大阪間の6時間30分の車中で
>1冊読み通せる内容と分量を目安につくられたという
こんなところに鉄道趣味が反映されていたとは驚いた >>842
最近の新書は中身スカスカで2時間もあれば読めてしまうものも多いな。
読み応えのあるものもまだまだあるが。 >>842
推理作家の斎藤栄は「最近(*)は東京から大阪への移動時間を3〜4時間とみて、
その間に読み切れるようなボリュームにするのが主流となっています」とか言っていた。
*昭和61年の講演内容 >>840
中島みゆきは知らなかったが松山千春は知ってた宮脇氏 >>845
西村京太郎も以前、東京大阪の新幹線2時間半で読み終えて「面白かった」と思ってもらえるのが理想、と書いていた。
繰り返し読むことはもう想定されていないんだな。 書く方は書き捨て、読む方も読み捨て
文学の一つとしてこれはこれで有りだろね
じっくり読んでると、これは前のとほとんど同じ?
なんてよくあるし、書き手も読み手も気にしてないだろう >>845
千春はフォークだから?
さすがにかぐや姫や陽水は知ってるだろう 錦川鉄道の御庄駅、いつの間にか「清流新岩国」駅に改称されてたんだな。 >>849
俺も前にそう思った。
だけど、改称されたのは5年以上も前らしい。
最近、時刻表買うのも年に1、2回になってしまって、変化についていけなくなっている。
新線にも殆ど乗れていない。 明日はまた今泉駅で迎える人はいるのだろうか。
73年前の今日、氏は鉱山の宿だっけ >>849-850
2013/3/16だそうです。 赤湯着9時44分、 11:02→今泉11:30だった あの列車は実は遅れていた
という考察が、
鉄道の文学紀行
という本にあったな。 >>850
中央東線の鈍行が殆どロングシート化してから
鉄道の旅の意欲が大きく減退した きのう放送された「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」の秘境駅のコーナーで、
かつて宮脇氏も利用した釜石線の上有住駅を訪ねてた。
列車が来ない時間帯にはホームのすぐ脇をサルが歩き回っていて、原敬首相を思い出した。 あす放送の「帰れマンデー見っけ隊」はわたらせ渓谷鉄道が舞台。楽しみ。 >>861
「出発!ローカル線聞き込み発見旅」を見ている。 >>865
むしろ、藤井フミヤが国鉄職員だったということを今知った。
当時はみんな知っていることだったのか? どこだかわからない「はいき」駅で働いてたんだよね。 徳田耕一の本を読んでいたら、
「昭和55年11月、名鉄で行われたイベントに宮脇俊三氏が参加した」との記述が。
先生は名鉄に関してほとんど書いていないと思うのだが、
別に名鉄が嫌いだったわけじゃないんだな。 >>870
特にキライな鉄道はなかったと思うがな
ダイヤが複雑で読みごたえがあるから、時刻表愛読者として国鉄に惹かれていただけだったかと 徳田=20歳以上も年下の鉄ヲタの結婚式に、
先生がわざわざ名古屋まで行って参加したのはどうしてだろうか。
先生は徳田のことを鉄道作家の後輩として可愛がってたのかな?
徳田の書いた本を読むと、作風は宮脇よりもむしろ種村に近いと思うのだが。 結婚式にまで参列したってことはそこそこ繋がりがあったのかね? 昔は親しくても遠くに住んでれば結婚式には出なかった
今は近くに住んでてもよほど親しくないと結婚式には呼ばれない
そもそも結婚式の件数が少ない
新幹線開通から20年くらいが
もっとも結婚式参列者が多かったと思う >>879
俺も寝ぼけ眼で見出し見たとき、タンシンと読んであとで恥ずかしくなった。
地図で見て、石勝線が楓の先でちょっぴり旧胆振支庁をかすめることを初めて知った。 しかし、胆振線では、胆振地方のどこから出てどこへ向かうのかさっぱりわからない。せめて伊達紋別と倶知安を結ぶ、或いは胆振と後志を結ぶという点から路線名をつけられなかったのか。
胆後線では丹後と紛らわしい。
後胆線も今ひとつ。
伊倶線や倶伊線もなぁ…
倶知伊達線… クチダテ線? 長過ぎる。
伊倶知線… イクチ線?
という議論が国鉄内部でもなされたのかもしれない。 鉄道って、ある程度の地理の知識を利用者に要求しているところがあるよな。
それがクルマとの大きな違いだ。 昔は車で遠出しようと思ったら地図を読み込んで自分でルート決める必要があったから鉄道より難しかったくらいでは?
今ナビで行けるようになったのは、鉄道が乗換検索アプリ頼みで行動できるようになったのと同じようなものだし カーナビで何も考えずに運転するのを他の移動手段と較べるのかぁ ナビなしで初めてのところに行くのはかなり大変だぞ。どこの出口で出る、どこで曲がる、どの車線にいる、今でこそナビが細かく案内するが、それなしで例えば首都高走るとしたら、それなりの道路に関する知識がないと厳しい。
逆に鉄道なんかは、乗ってしまえばあとは勝手に連れて行ってくれる。もちろん乗り換えの手間とかいろいろあるが、車と比べてそんなに大変とは思わないな。
車を運転したことあるかないかで印象はだいぶ変わるだろうが。 残念だけど、これで日高線は全線廃止かもしれない。夕張支線もこのまま復旧することなく廃止かも。 >>889
来年の春には廃止されるから、工事が必要な箇所があってもバス代行だろうな。
個人的には富良野〜新得は復活してほしいのだが。 毎回書いてる
【はるかクナシリに】第45宮脇俊三スレ【白夜は明けるウゥー】
「明ける」のあとの「ウゥー」がえも言われぬ味を出している。 おおぞら2号 東室蘭まで、と記入した三枚目をそっと出した。 ちょっと前の本だが、文春文庫「明治大正昭和史 話のタネ100」というのの中に、
第21章「なぜ『黙れ!』だったのか」というう一文があり、佐藤賢了と宮脇長吉の話が出ていた。
もちろん「この宮脇の息子があの宮脇俊三である」ということも書いてあったが、それより佐藤中佐と宮脇長吉の関係が意外なところにあったというのが面白かった。「黙れ!」の件も親愛の情から出たものか?という意見も。 【若い係員が】第45宮脇俊三スレ【衝立ての蔭に】
やがてやや大きな声で「いいですよ、立てますよ、どうせ誰かが次スレ立てなきゃならないんですから」 衝立の陰にいた若い係員のインタビューを撮れたメディアはまだない、
ってこと? 衝立の陰にいた若い係員は、このスレに来てない、
ってこと? >>902
誉めていただいてありがとうございます。 【いろいろ】第45宮脇俊三スレ【行きたいところがあるんで】 >>906
【お客さん】第44宮脇俊三スレ【どこへ行きたいの】の次スレにぴったりだな >>907
じゃあその次スレはそのあとの窓口氏の挙動ってことで‥‥。 【これはないですよ】第46宮脇俊三スレ【それはいらない】 そういえば宮脇さんの時代って、まだSuicaなんてなかったっけ。
行き先を決めずに改札を通れる時代になったらどんな旅と文を書いただろうね。 >>912
そうか、18きっぷがあったね(笑)
随筆は覚えてないなあ。久しぶりに読み返すかな。
あるいは電子版を買い直すか。 立体って、片道は飛行機だから立体って、気付いた時ネーミングセンスに呆れたわ ニューワイド周遊券は便利だった。
往復の経路を自由に選べる点で。
もっとも、自由過ぎて旅行会社でないと発券できないし、何日もかかるのが欠点ではあったが。 【旦那トンネル】【勇敢マダム】なんてどうでしょう? >>912
新快速利用で姫路乗り換えの写真見たことある 新潮社の騒動見たら元編集者としてなんというだろうか
新潮45にも書いてたよな >>917
ニューワイド周遊券で九州乗りつくしたことある >>923
俺は北海道。
帰りに大船渡線や磐越東線に寄り道することが出来たのはニューワイドのおかげ。
係員にもよるが、藍君が言われたような面倒そうな対応はされなかった。どんな応対されるのか、当時中学生だったからヒヤヒヤしながら、申し込み用紙をそっと出した。 多分藍君が宮脇俊三名義で申し込んだから
「いますぐでなくていいんだろう」
なんて皮肉を言われたのだと推察する >>911
オレンジカードは
行く先決めずに通れたで >>927
オレンジカードは切符に引き換えないと改札通れないけど… >>927
それはむしろJスルーカードとかだろ。西日本でいうところの。
オレンジカードからすればずいぶん便利になったと思った。今でこそSuicaやICOCAが当たり前だけど、当時は画期的だった。 宮脇作品で、三島のうなぎを食べたくなって伊豆急の駅からタクシーで修善寺まで出て
伊豆箱根で三島に出た、と言うのがあったよね。
電車を降りるとホームにうなぎのにおいがした、と書いてあったんだけど
本には駅名もうなぎ屋の名前も出て来なかったんだっけ? >>930
懐かしのJスルーカード
伊丹市交通局や明石市交通局も使えた。 ホームに出たら警備が物々しくて御召し列車が来たじゃなかった? ウナギ屋に眼鏡を置き忘れた、と思ったら……は川越だったか >>933
それ、伊豆急行だな。
確か修善寺から河津に抜けたんじゃなかったか? >>929
懐かしのイオカード。
スイカも10年くらい前はスイカイオカードなんて言ってたっけ。 鹿島線の潮来あたりを歩いた時も、鰻屋の匂いが云々てあったね。 >>937
そういう店では利根川の天然鰻を頂けたのかもしれない。 浜名湖や霞ヶ浦は汽水湖だからわかるが
三島が鰻が名物というのがわからん 山形などをうろついてから、ついでに俺に乗って、その日のうちに東京へ帰ろうたって、そうはさせんぞ 10月3日(水)21:30〜21:55にNHK・Eテレで放送される「趣味どきっ!おとなの歩き旅・秋」
宮脇氏も訪ねた備中松山城を取り上げるぞ。このおしろもすっかり有名になったな。 作家に転身してからクリーニング代の出費が減って奥さんは喜んでた 北海道でも九州でも全国一律におっさんの語尾は「・・・ですわ」 >>912
「駅は見ている」に収録されてる「行方定めぬ『阿房列車』〜青春18きっぷの旅」 北見あたりだと旭川・札幌への移動は既にシェアのほとんどが高速バスで、
JRなんか完全に見捨てられてるけどな >>958
今は在来線だとホーム上はおろか
改札内で駅弁を買える駅すら少ない このスレ 平均年齢どのくらいなんだろう?
周遊券使った自慢が話題になるから
40代くらい?それとも50代行ってるかな? 先生の全盛期(1978〜1987)に思春期以上の年齢であることが必須だと思う。
つまり一番若い住人で1974生ぐらいか。 自分は39
確か小4で「終着駅へ行ってきます」を読んだのが始まり。
上でニューワイド云々と書き込んだのも自分。 >>963
周遊券使った話ししてる奴はそれが自慢であるなんて全く思ってないと思うぞ 盛岡ー宮古とか
郡山ー平とか
ずいぶん文数少ないとオモタら、
バスが普通やんやな >>965
早熟だね。
鉄ヲタは、子供の頃にまず種村から入って、長じて宮脇に転向するって話をよく聞くけどな。 自分は44だけど、何がきっかけだったのかは思い出せないな。 俺50。高校の頃図書館で最長片道借りたのが出会いだな >>968
自分は「最長片道切符の旅」で初めて種村を知ったクチ。 52歳丙午です。
12歳で「鉄道旅行術」
15最で「二万キロ」
でした。 53.10改正の時刻表を買ってきたので
最長片道切符の旅を対照しながら読んだら、最高に面白かった
「今日の予定ははっきりしていない」とか何気ない文が実感として伝わってくる
列車を追いかけるだけでも楽しいし、どの駅弁を買ったのだろうか、
巻末ので見つけた旅館はどこだったのか、とかいろいろ想像できる
文中に列車の時刻をしつこいくらい記したのはこのためだったのか、と思った
スレ住人にはわかりきったこと言うなと思われそうではあるけど きかんしゃやえもん
ケイブンシャ
西村京太郎
種村直樹
竹島紀元
宮脇俊三
(再度)阿川弘之
内田百
てな順番かな。 >>968
965だが、それより前に北杜夫を知っていたから新潮文庫つながりで入っていったと思う。
或いは「マンボウ交友録」あたりを読んでいたからかもしれない。
種村直樹を知るのはもっと後だった。
阿川弘之の方が先。
種村へはジャーナルか何かから入っていったと思う。中高生のときはそれなりには読んだが。 俺は鉄ヲタじゃなかったのに40過ぎて読み始めてからニワカヲタになった >>965
俺は最初に11歳で読んだのが藍君シリーズで
次に終着駅に行ってきますと世界の果てへ
(いずれも親父の買って来たハードカバー)
後から自分の小遣いで文庫の2万キロと最長片道切符を買って読んだから印象がかなり変わった 1969年生まれ49歳。
高三くらいの頃、古本屋の店頭で100円で売られていた「最長片道切符」を手に取ったのが最初。
中学生くらいから乗り鉄を始めたが、
時間も金もままならず、
未乗のローカル線が廃止されるのを指をくわえて見てた。
執筆された昭和50年代は自分にも記憶があるほんの一昔前。
乗りたかった路線、これから乗りたい路線が記されていて、本当に興奮した。 また今年も「最長片道切符」の時期になりました。昭和53年(1978)の旅からちょうど四十年経つわけだ。
当時の開始日は10月13日の金曜日。
このスレも同時進行でいくのかな‥‥。現在の違いなども感じながら このスレッドは1000を超えました。
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