【お客さん】第44宮脇俊三スレ【どこへ行きたいの】
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そんなここは、第44宮脇俊三スレッド。
過去スレ関連スレは>>2-6くらい。
前スレ
【鯉が名物】第43宮脇俊三スレ【は何もない】
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1497822958/ 明日はまた今泉駅で迎える人はいるのだろうか。
73年前の今日、氏は鉱山の宿だっけ >>849-850
2013/3/16だそうです。 赤湯着9時44分、 11:02→今泉11:30だった あの列車は実は遅れていた
という考察が、
鉄道の文学紀行
という本にあったな。 >>850
中央東線の鈍行が殆どロングシート化してから
鉄道の旅の意欲が大きく減退した きのう放送された「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」の秘境駅のコーナーで、
かつて宮脇氏も利用した釜石線の上有住駅を訪ねてた。
列車が来ない時間帯にはホームのすぐ脇をサルが歩き回っていて、原敬首相を思い出した。 あす放送の「帰れマンデー見っけ隊」はわたらせ渓谷鉄道が舞台。楽しみ。 >>861
「出発!ローカル線聞き込み発見旅」を見ている。 >>865
むしろ、藤井フミヤが国鉄職員だったということを今知った。
当時はみんな知っていることだったのか? どこだかわからない「はいき」駅で働いてたんだよね。 徳田耕一の本を読んでいたら、
「昭和55年11月、名鉄で行われたイベントに宮脇俊三氏が参加した」との記述が。
先生は名鉄に関してほとんど書いていないと思うのだが、
別に名鉄が嫌いだったわけじゃないんだな。 >>870
特にキライな鉄道はなかったと思うがな
ダイヤが複雑で読みごたえがあるから、時刻表愛読者として国鉄に惹かれていただけだったかと 徳田=20歳以上も年下の鉄ヲタの結婚式に、
先生がわざわざ名古屋まで行って参加したのはどうしてだろうか。
先生は徳田のことを鉄道作家の後輩として可愛がってたのかな?
徳田の書いた本を読むと、作風は宮脇よりもむしろ種村に近いと思うのだが。 結婚式にまで参列したってことはそこそこ繋がりがあったのかね? 昔は親しくても遠くに住んでれば結婚式には出なかった
今は近くに住んでてもよほど親しくないと結婚式には呼ばれない
そもそも結婚式の件数が少ない
新幹線開通から20年くらいが
もっとも結婚式参列者が多かったと思う >>879
俺も寝ぼけ眼で見出し見たとき、タンシンと読んであとで恥ずかしくなった。
地図で見て、石勝線が楓の先でちょっぴり旧胆振支庁をかすめることを初めて知った。 しかし、胆振線では、胆振地方のどこから出てどこへ向かうのかさっぱりわからない。せめて伊達紋別と倶知安を結ぶ、或いは胆振と後志を結ぶという点から路線名をつけられなかったのか。
胆後線では丹後と紛らわしい。
後胆線も今ひとつ。
伊倶線や倶伊線もなぁ…
倶知伊達線… クチダテ線? 長過ぎる。
伊倶知線… イクチ線?
という議論が国鉄内部でもなされたのかもしれない。 鉄道って、ある程度の地理の知識を利用者に要求しているところがあるよな。
それがクルマとの大きな違いだ。 昔は車で遠出しようと思ったら地図を読み込んで自分でルート決める必要があったから鉄道より難しかったくらいでは?
今ナビで行けるようになったのは、鉄道が乗換検索アプリ頼みで行動できるようになったのと同じようなものだし カーナビで何も考えずに運転するのを他の移動手段と較べるのかぁ ナビなしで初めてのところに行くのはかなり大変だぞ。どこの出口で出る、どこで曲がる、どの車線にいる、今でこそナビが細かく案内するが、それなしで例えば首都高走るとしたら、それなりの道路に関する知識がないと厳しい。
逆に鉄道なんかは、乗ってしまえばあとは勝手に連れて行ってくれる。もちろん乗り換えの手間とかいろいろあるが、車と比べてそんなに大変とは思わないな。
車を運転したことあるかないかで印象はだいぶ変わるだろうが。 残念だけど、これで日高線は全線廃止かもしれない。夕張支線もこのまま復旧することなく廃止かも。 >>889
来年の春には廃止されるから、工事が必要な箇所があってもバス代行だろうな。
個人的には富良野〜新得は復活してほしいのだが。 毎回書いてる
【はるかクナシリに】第45宮脇俊三スレ【白夜は明けるウゥー】
「明ける」のあとの「ウゥー」がえも言われぬ味を出している。 おおぞら2号 東室蘭まで、と記入した三枚目をそっと出した。 ちょっと前の本だが、文春文庫「明治大正昭和史 話のタネ100」というのの中に、
第21章「なぜ『黙れ!』だったのか」というう一文があり、佐藤賢了と宮脇長吉の話が出ていた。
もちろん「この宮脇の息子があの宮脇俊三である」ということも書いてあったが、それより佐藤中佐と宮脇長吉の関係が意外なところにあったというのが面白かった。「黙れ!」の件も親愛の情から出たものか?という意見も。 【若い係員が】第45宮脇俊三スレ【衝立ての蔭に】
やがてやや大きな声で「いいですよ、立てますよ、どうせ誰かが次スレ立てなきゃならないんですから」 衝立の陰にいた若い係員のインタビューを撮れたメディアはまだない、
ってこと? 衝立の陰にいた若い係員は、このスレに来てない、
ってこと? >>902
誉めていただいてありがとうございます。 【いろいろ】第45宮脇俊三スレ【行きたいところがあるんで】 >>906
【お客さん】第44宮脇俊三スレ【どこへ行きたいの】の次スレにぴったりだな >>907
じゃあその次スレはそのあとの窓口氏の挙動ってことで‥‥。 【これはないですよ】第46宮脇俊三スレ【それはいらない】 そういえば宮脇さんの時代って、まだSuicaなんてなかったっけ。
行き先を決めずに改札を通れる時代になったらどんな旅と文を書いただろうね。 >>912
そうか、18きっぷがあったね(笑)
随筆は覚えてないなあ。久しぶりに読み返すかな。
あるいは電子版を買い直すか。 立体って、片道は飛行機だから立体って、気付いた時ネーミングセンスに呆れたわ ニューワイド周遊券は便利だった。
往復の経路を自由に選べる点で。
もっとも、自由過ぎて旅行会社でないと発券できないし、何日もかかるのが欠点ではあったが。 【旦那トンネル】【勇敢マダム】なんてどうでしょう? >>912
新快速利用で姫路乗り換えの写真見たことある 新潮社の騒動見たら元編集者としてなんというだろうか
新潮45にも書いてたよな >>917
ニューワイド周遊券で九州乗りつくしたことある >>923
俺は北海道。
帰りに大船渡線や磐越東線に寄り道することが出来たのはニューワイドのおかげ。
係員にもよるが、藍君が言われたような面倒そうな対応はされなかった。どんな応対されるのか、当時中学生だったからヒヤヒヤしながら、申し込み用紙をそっと出した。 多分藍君が宮脇俊三名義で申し込んだから
「いますぐでなくていいんだろう」
なんて皮肉を言われたのだと推察する >>911
オレンジカードは
行く先決めずに通れたで >>927
オレンジカードは切符に引き換えないと改札通れないけど… >>927
それはむしろJスルーカードとかだろ。西日本でいうところの。
オレンジカードからすればずいぶん便利になったと思った。今でこそSuicaやICOCAが当たり前だけど、当時は画期的だった。 宮脇作品で、三島のうなぎを食べたくなって伊豆急の駅からタクシーで修善寺まで出て
伊豆箱根で三島に出た、と言うのがあったよね。
電車を降りるとホームにうなぎのにおいがした、と書いてあったんだけど
本には駅名もうなぎ屋の名前も出て来なかったんだっけ? >>930
懐かしのJスルーカード
伊丹市交通局や明石市交通局も使えた。 ホームに出たら警備が物々しくて御召し列車が来たじゃなかった? ウナギ屋に眼鏡を置き忘れた、と思ったら……は川越だったか >>933
それ、伊豆急行だな。
確か修善寺から河津に抜けたんじゃなかったか? >>929
懐かしのイオカード。
スイカも10年くらい前はスイカイオカードなんて言ってたっけ。 鹿島線の潮来あたりを歩いた時も、鰻屋の匂いが云々てあったね。 >>937
そういう店では利根川の天然鰻を頂けたのかもしれない。 浜名湖や霞ヶ浦は汽水湖だからわかるが
三島が鰻が名物というのがわからん 山形などをうろついてから、ついでに俺に乗って、その日のうちに東京へ帰ろうたって、そうはさせんぞ 10月3日(水)21:30〜21:55にNHK・Eテレで放送される「趣味どきっ!おとなの歩き旅・秋」
宮脇氏も訪ねた備中松山城を取り上げるぞ。このおしろもすっかり有名になったな。 作家に転身してからクリーニング代の出費が減って奥さんは喜んでた レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。