【旦那トンネル】第48宮脇俊三スレ【勇敢マダム】
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| / `j ゚' ヾ、 i ,,j <私の事よりも、もっと汽車ポッポの話をしませんか。
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そんなここは、第48宮脇俊三スレッド。
過去スレ関連スレは>>2-7くらい。
前スレ
【京都の】第47宮脇俊三スレ【うどんが解毒】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1575924314/l50 宮脇氏が書いたのと同じような年代に、西村京太郎氏が「黄金番組殺人事件」で鶴見線を舞台にしている。 デフゴマルは瑞西國ズルツァ―會社のも無論いいのだが、独逸國エム・アーエヌ會社のも見落とせない
うUボートと同系統のエンジンということで必然的にUボートと同じエンジン音だったんではないか
帝國陸軍出身の長吉翁はこちらを悦ばれただろう。 10ヶ月近く過ぎても1000まで行かないんですね。
でも何を語ったらいいんだろう。
「何月何日は、何に乗ってた」とか、もうやっちゃいましたしね。 別に義務感に駆られて書き込みをする必要はないと思いますよ。
宮脇翁と関わりのある事象があれば、また身近に著書の内容と関連するような出来事があれば
引き合いに出すなどして都度書き込めば十分かと。
そのほうが無関係な内容でスレが埋まっていくよりは余程良いと思いますよ。 GW明けから6月にかけては、宮脇氏が最も頻繁に旅に出かけた時期ですね >>850
江東区南部の風景を見慣れて育った私は
初めて鶴見線に乗った時何の感慨もなかった
大川支線の茶色い電車が健在だったこと以外は 海芝浦から見る景色も、当時とはだいぶ変わったんでしょうか 鶴見線は海芝浦ばかりTVで取り上げられてるが末端区間付近の木の枕木にぺんぺん草&土に鉄さびに埋もれた線路といい駅舎といい昔の典型的なローカル私鉄そのもので
しかも工場の引き込み線と区別しにくいシーナリーと言い、故プロフェッサー吉岡氏やB滝氏達も満足せられるであろう。
車両も、リニアモータ&PMSMの現代鉄道では貴重な直流モータに抵抗制御の電氣車205系が健在であり令和の御代では佳き意味で旧型電車といえる。
一方で、来年にも世界でも最先端の水素燃料電車の実証実験をここ鶴見線で行うのである。
誰も注目しない海外旅行バブル時代にいち早く鶴見線を乗り鉄路線として絶賛せられた宮脇先生はもう50年遅く生まれるべき逸材だったか 氏の時刻表2万キロで化物屋敷と評された、旧・日中線の熱塩駅に先月行ってきたよ
地元の方によりきれいに維持管理されていた
駅舎内の資料展示や、構内保存の旧客も、古を偲ぶのに十分だった
ちょうど桜の時期で最高だったよ
喜多方駅からサイクリングだったが往きはだらだら上り勾配でキツかったわ >>857
宮脇翁は東京西郊在住だったからな
自分も、他区より畑や緑地が多い土地住まいなので、運河や海は非日常の風景だな >>859
吉岡氏が亡くなっていたとは知らなかった。
スレ違いだが合掌。 >>862
江東区から出たことのない私にとっては
東京西郊の武蔵野の面影を残した住宅街こそが非日常
用もないのに電車に乗って散歩しに行ったりする 市内で扇町や安善に貨物を撮りに行くけど
薬品の臭いで頭が痛くなる時がある
海芝浦までは行かないけど、あんな所へわざわざよく行くなあと思う 先生が京葉線に乗った記述を見たことがないけど
どんな感想をお持ちだったんだろう
特に新浦安〜南船橋は鶴見線を思わせる景色が多いが 雰囲気のある住宅街を歩くというのは今静かなブーム?
日本においては、山道だとかよき自然の中にかぎって団塊だらけで山手線並みの混雑で
何の癒しにもならんし非日常にもならないしな >>865
扇町は鶴見線でも行ったしトラックに至っては何十回といったが
そんな臭くはなかったがな。嗅覚は岳南で鍛えられたせい? >>868
都心近郊の住宅地は遠い郊外のニュータウンや
観光地でもない田舎と違って
用もないのにブラブラしてもあまり怪しまれないのもいい
この前荻窪駅すぐ南側の大田黒公園や近衛文麿別邸跡付近を歩いて改めて度肝を抜かれた >>866
開業から1ヶ月くらいしてようやく乗ったみたいな短い記述がどっかにあったはず >>866
『旅は自由席』の「予讃新線の開通日」の末尾で、西船橋〜千葉みなと間が
開業してから一か月後に乗った、とある。
乗った、と書いてあるだけで、どんな景色かの記述は無い。
「旅2003年8月臨時増刊号」の地図への書き込みによれば、それ以降に開業した
京葉線の区間にも載っているようなのだけど、作品では触れられて無かったと思う。 >>872
予讃新線の開通が、内子を人気観光地としてブレイクさせた 開業の頃は103系4両もしくは6両だったし、
武蔵野線と似た様な感じしかしない 文豪になってからは自分のお金で汽車に乗らなくなり、TGV超高速列車を試乗する費用すら全額文春持ちの御身分におなりになり
どうしても汽車に乗ること自体おっくうになったんでないか?勿論加齢もその原因の一つだろう。 やっぱり京葉線の鉄道としてのシーナリーや沿線の雰囲気が先生の琴線に触れなかったのが大きいんだろう
先生をして積極的に乗らしむるには、「新幹線の様な」負のシーナリーを埋めるだけの何か、例えば金歯を剥き出しにして笑い転げる婆さんだとか
干し柿をぶら下げている農家などだとか先生を萌えさせるものが必要なんだろう。 開業当初の海浜幕張なんてまわりに建物がほとんどなくて非日常感はあったけどそれだけだとも言える 編集部が販促のため先生をキャラ立てするに際し、B滝氏のような「ヘロヘロローカル線萌えキャラ」にしたということもあり
「新しき鉄道にはあまり乗りたがらない」というキャラを演じたという面もあったんではないか
例えば先生の実力なら国鉄宮崎リニアに無料で乗りまくることは簡単すぎるのにとうとう乗らなかった
これは編集部や出版社など先生でめしを喰らう側が先生のキャラ立てが壊れるのを恐れたんでないか? 同僚が濃厚接触者の疑いでPCR検査の対象となり、その結果が出るまで在宅となりました。
久しぶりに2万キロを拾い読みして、日中線や能登線のくだりを読みました。
自分は7章の章の北海道と9章の九州完乗が好きで、そこばかり読んでいました。 南船橋駅が昭和61年できたから、線路のない時刻表のころ。 googleマップで宮田のバスターミナルを見ると、向かいにタクシー会社が2社あります。
九州完乗の際、少々物足りぬ運転手のおかけで知ったタクシー会社が今も健在だと思っていいですか?
翁が見たのはどちらの会社でしょう?当時から2社あったのでしょうか?
地元の方がいたら、教えて欲しいです。 宮田のバスターミナルに9時56分に着いて、室木発10時05分の鈍行に乗ろうとするなんて、なかなかチャレンジングだと思う。ダメなら3時間待てばよい、というのは確かだが、自分ならここまでギリギリの計画は立てないなぁ。
やるとすれば、黒崎辺りに泊まり朝の筑豊電鉄で中間まで行って、
中間601(123)611香月621(124)631中間645(729)
710勝野714(425D)723筑前宮田736(426D)
751直方822(528D)843折尾908(241M)
915遠賀川930(825)953室木
か。「行って帰ってくるみたいに遠回り」だが、宮田からタクシーで室木まで数分で行けるという確信がなければこうするかな。或いは、7時23分に宮田に着いてから、3時間弱かけて何とかして鉄道を使わずに室木に行こうとするか… 自分は先生とは正反対で朽ちかけた駅舎や線路を眺めてるうちにあっという間に三時間たってしまうクチなのでまるで完乗にはむかない輩だ
でも昼休みに読むのは宮脇だけ。
我ながら変態だがリニアや東京地下鉄すら完乗できていないのはなんとかしないと、な。 先生がウミガメに泣き廃ゴンドラに住む老人に「殺意の風景」を感じた地に、世界初のDMVが走るという
もし生きていたら「何はともあれ、乗ってみる」と言っただろう。 >>890
宮田のバスターミナルに連れていかれた。 >>890
チャレンジングといえば、可部線と岩日線に乗った日の前夜、広島や岩国ではなく小倉に泊まったのも。 鉄オタじゃない人と話してたら第三セクターが通じなかったけど
通じないのはおかしくない?
スイッチバックとかも鉄オタ以外には通じないのかな? >>897
その鉄ヲタじゃない人が一般常識に疎い。
3セクって鉄道だけじゃないし。 スイッチバックとループ線とアプト式は社会科の教科書に載ってたと思うけど興味が無いと覚えないだろうね 鉄ヲタでも、第三セクターの何たるかを説明せよと言われたら厳しそう。きちんと言葉で、と言われると自分でも心許ない。
鉄道や政治経済に造詣が深くない一般人にはまず難しいのでは。 第一セクター第二セクターは知る人が多いが第三セクターは少ないのだろう。
あたかも小説は知る人が多いが大説(四書五経など)は少ないように。
「中説」ジャンルはない様だがもしあったら宮脇先生にチャレンジングしてもらいたかった 自分は>>900さんの認識に近い。
赤字ローカル線から第3セクターができた頃は、よく説明を聞いていた記憶がある。 「第一セクター」「第二セクター」という言葉は恥ずかしながら初めて聞いた。それぞれ大まかに言って公企業、私企業のことのようだ。言われてみれば当然のことだが、門外漢にとってはなかなか耳にすることがない。 蟹食うために香住に行った文章あるけど、
この前行ったら駅に大きな蟹のオブジェは
あったが街中はそんなに蟹のイメージが
無かった。
今は時期じゃないのか?
それとも過去の話なのか? さすがに5月は松葉蟹のシーズンじゃないからなぁ。とっていいのはせいぜい3月まででしょ。 >>904
宮脇先生の作品にも「冬は蟹の季節」という表現はしばしば出てたと思うが。
11月解禁で規定数到達次第終了だよ。
あとは冷凍物か輸入物。 本場こそシーズンじゃなければ食べられないってどっかの文章になかったっけ? 「汽車との散歩」あたり? >>904
西日本はカニシーズンになるとツアー売りまくりよ 蟹って美味いか?
あんま食べたことないけどなんか水っぽくて実が少なくて美味い記憶がない。
自分で出してないけど値段も高いだろうし。
美味い蟹を食べてないだけなんだろうか? 好みは人それぞれだろうけど「水っぽい」と感じたのであれば安い冷凍物を食べた可能性が高いので
もし良ければ一度ちゃんと現地で獲れたてを食べてみるのをお勧めするよ
あれはいいものだ 魚介類系を好まないひとの中に、質の悪い生臭いものしか食べたことがないから嫌いになるというのもいる。蟹や雲丹を食べなくてもデメリットはないだろうし、むしろ家計にはいいのだろうが、もったいない気もする。 また、宮田の話。2014年に平筑に乗りに行きました。博多に泊まって
筑豊本線ではなく、黒崎に出て筑豊電鉄に乗って直方へ行きました。
筑豊直方駅からJR直方駅まで歩いたのですが、筑豊直方の次の
須崎町というバス停の行き先に「宮田役場」と「宮田駅」がありました。
宮田駅の文字に1人で歓喜したのですが、よく考えれば宮田のバスターミナルのことでしょうね。 >>910
他の人の書かれているが、蟹は余程鮮度が大事な食べ物のようなので
910さんが普通の蟹しか食べたこと無いのなら、「美味い記憶がない」 というのは
正しい感覚かもしれない。
礼文島や利尻島の旅館などで、旬の季節(ちょうど今頃)に出される蟹を
一度でも味わった日には、東京はもちろん、北海道本土の各地で
出される蟹でさえ腐敗臭が鼻について食べられなくなるらしい。 カニやすしのような上級なものは宮脇の様な上流階級でなければ諦めたほうがいいな
諦めるというのは無限の喜びになる。自分もそうしたから毎日が充実している 最上級品の8割くらいの品質のものが
最上級品の5割以下の値段で買える時代でもある 鉄道動画は前面展望か走行風景を淡々と撮ったものだけでお腹いっぱい
古い映像をデジタル化したやつもいいな 今スーツスーツ言ってる奴って、前の種村バカ? まじで精神障害やんなぁ >>890
文章では「9分はかからないだろうから」とかなり確信があったようですが、
実際は結構チャレンジだったと思います。
googleマップで宮田のバスターミナルから室木駅跡をルート検索すると
3.6 km、6分と出ます。確かに9分はかかることはないと思いますが、、
直方から宮田までのバスが遅れる可能性を考え合わせると、早めに着いたのは
ラッキーです。九州完乗を天もお祝いしてくれたのかも。 >>921
国鉄バスはダイヤに相当な余裕を持たせていた事も経験的に判っていたはずですしね。 今のダイヤで直方駅から宮田(おそらく宮田町駅)までJRバスで22分。当時の9時56分が発時刻としても52分から55分ごろの到着。室木を10分余り後に出る列車に乗ろうとするのはかなりの賭けだと思う。乗り遅れてもひとりしょんぼりすればいいだけだが。 >>889
昭和45年から昭和48年まで宮田町に住んでいました。
国鉄バスの宮田町駅前には当時からタクシー会社が2社並んでいたことは憶えています。
松川タクシーと宮田タクシーだったと思います。
Google Mapを見ると宮田タクシーはMGタクシーとなっていますね。
居抜きで入居した別の会社なのか、同じ会社が単に改名しただけなのかはわかりません。
自分は松川タクシーの左隣の歯科医院に通院しました。
ちなみにリリー・フランキー氏の「東京タワー」には宮田町の描写がたくさんあります。
氏は同じ小学校の1学年上の人でした。
住んでいた頃、宮田線も室木線も一度も乗ったことはありませんでした。
国鉄バスには数えきれないほど乗りました。
30分から1時間ヘッドで博多〜宮田町〜直方間に特急バス、急行バスも走っていましたし、
福丸〜宮田町〜直方間に至っては普通バスが10分ヘッドで運行していました。
町内は、貝島炭鉱のコッペルなどの蒸気機関車牽引の石炭運搬列車もひっきりなしに走っていました。 >>924
889です。貴重なお話をありがとうございます。
タクシー会社は2社あったのですね、今回初めて知りました。
他の方も書いておられましたが、バスターミナルのことを「宮田町駅」と
普通に呼ぶのですね。私はそのことを福岡県のバスのことを書いた本(書名失念)で
見て、いつか確認したいと思っていました。
914も私ですが、直方の須崎町のバス停でみた表記は「宮田町駅」でした。
914は間違っています。多くの炭鉱が昭和40年頃には廃坑になるなか、
貝島は昭和50年頃まで続いていたと聞いています。45〜48年頃だとまだ
石炭車が動いていたのですね。本当にありがとうございました。 925です。
ちなみに今年になってgoogle mapで確認した須崎町のバス停は
新しい表示板に変わっています。きれいになっています。
もう宮田町駅という表示はありません。 当時の国鉄バスは、主要な有人の発着所をたしかに「駅」と表記し、職員もそう呼称しておりました。
「宮田町駅」もその一つです。
直方や宮田の住民も倣って同じく呼びならわしていました。
「宮田の駅まで」と言って乗り込んだ客をタクシー運転手が宮田町駅へ連れていくのは極めて妥当なことなのに「けしからぬ」「少々物足りぬ運転手」などと一方的に書かれてしまったわけです(笑)。
昭和53年にこのくだりを読んだ中学生だった自分は、お互い様じゃないのかな、などと思ったものです。なつかしい!
余談ですが、平成20年に土佐山田駅からジェイアール四国バスに乗ったら、途中の発着所で「美良布駅」という表記がまだ現役でした。 かつての国鉄バス陰陽連絡線では、「大朝駅」「矢上駅」「赤名駅」「三刀屋駅」といろいろあった。駅舎があってトイレ休憩に使われることもあり、その辺のバス停とは明らかに区別されていた。今では町営バスのターミナルになっているのも多いと聞く。 >>927
>>928
925です。ありがとうございました。
国鉄バス(今ならジェーアールバスでしょうか)ならではでしょうか。
私はリリーさんや924さんの2、3歳上の同年代ですが、
群馬県の出身で地元は東武バスの王国でした。大きな発着所は普通に営業所という
呼び方だったと思います。2万キロを初めて読んだ高校生の時の私の感想は
「少々どころか、かなり物足りぬ運転手」でした。 自動車線の「駅」は鉄道航路にわたる乗車券類(指定券も)の発売や手小荷物の取り扱いも行う、鉄道の駅と同格のものでした
鉄道の先行、代行、短絡、培養、補完という原則のために、ローカル輸送にとどまらない役割も持っていたということですね
あの時代にバス完乗した人はいたのでしょうか 国鉄バスの役割がそうであるからこそ、昔はバス連絡の乗車券が普通に買えたんだよな。ただ、○○駅までのは買えたとしても、その辺のバス停までのはさすがに無理か?
今でもJRバスは、並行する他社路線と違って、停まらないバス停があったり停留所名が異なっていたりして、いささか使いづらい。広浜線の安芸今津とか、京北線の山城高雄とか。後者は高雄になるかなったかしたらしいが。 >>932
>その辺のバス停までのはさすがに無理か?
車掌は車内でどんなに小さな停留所間の乗車券でも売っていたわけです。
「駅」なら、当然、同等以上の機能を有していました。
そういえば、昔は無人の停留所でもその前にあるタバコ屋などがかなり乗車券の販売を受託していましたね。
昔はバスに乗る前に乗車券を買うことは鉄道に準じてわりと普通のことでした。 >>933
村所駅を確認しました。落ち着いた木造の建物に変わっていますね。 >>934
言葉足らず失礼。
バス完結の乗車券でなくて、鉄道連絡の。
例えば東京都区内から、どこかで国鉄バスに乗り換えて××三丁目までの切符とかは発券出来たのだろうか、ということ。
でも、禾重があんなきっぷ作ったから、そういうのも出来たのかな。 >>921
九州完乗の最終日の3線の乗り方ですが、先生が十分検討された上で
あの形になったことをとりあえず置いておいて、921さんの言われるように
「黒崎に泊まる」「筑豊電鉄を使う」を前提とするならば、
自分は室木線、宮田線、香月線の順に乗るのがいいと思っていました。
40年以上前の高校生の時にも検討したのですが、921さんの書き込みを見て
改めて1977年の時刻表を使って再検討した結果、黒崎駅6:17発(熊本行・127M)で
室木線を最初に乗っても、昼前に小倉駅に到着できると思います。
この乗り方なら直方駅−宮田町駅−室木駅のチャレンジを行わずに済みます。
まあ、ドラマ性は薄れてしまいますが。ちなみに自分の案でも直方駅までは
先生が乗った8:14着(実際は16分遅れ)に乗るので、「少々物足りぬ」運転手さんの
タクシーに乗って宮田へ向かうことになります。 すみません、937は
>>890
さん宛てのレスでした。申し訳ありません。 「どこから来たのか」はまだいいにして、目的地によっては「何しに行くのか」となる。うまく答えられないことの方が多いから、不審な感じになってしまう。
こちらの言うことを何も聞かずに「天祥へ行きますね」も困るが、「なぜまた××へ?」と聞かれるのも困る。
大館から「よねしろ」を大更まで追いかけるときはどんな会話したんだろう。しかし、客乗せてガソリンスタンドに寄るのもどうかと思うが。 76年前の昭和20年5月25日は
2回目の東京大空襲があった日だそうな
当時の渋谷区の7割程度が灰になったそうだけど
宮脇邸は燃えなかったんだっけな 山の手大空襲と言われてるやつか
とうとう「順番」が来たと思ったけど、宮脇邸は、不発になった焼夷弾が庭に落ちていただけで済んだという話
そう言えば3月10日に比べるとあまり話題にならないな 「何々だそうな」は最近は使う人がいないが、昔慎太郎なんかが少しふざけて相手を小バカにするニュアンスで使っていた言葉で
戦争犯罪である東京大虐殺を言うのには不適切な言葉ではないか 「こういう使い方をしていた奴がいたから〜」
そんなこと言ったら何にも言えず何にもできなくなる。
本来がそういう意味でない以上なんら問題はない。
あなたの好みや主義主張を押しつけないでいただきたい。 「そうな」だとか「だそうな」だとかは、まじめな文脈で使った例は自分は知らない
これは擬古文とも言えない崩れ用法らしいがそれはともかく慎太郎だけじゃなくもっぱらふざけた文脈で使われたんじゃないか
そうならば天道人道に反逆し戦時国際法違反ですらある大犯罪を述べる文脈で使うのは,不適切だろう.
東京大虐殺だが三月十日のはこれは周知のとおり陸軍の記念日にあてつけておこなわれた
五月二十五日のは恐らく海軍の記念日(五月二十七日)にあてつけて行われたのだろう。
両方とも第0次世界大戦で当時の欧米代表国家の国軍を撃破した記念日だ
長文で己の物知らずを誇るなど失笑の極み
ggrks そろそろ次スレ
【駅があるとは】第49宮脇俊三スレ【知らなかった】
【二条市場でも】第49宮脇俊三スレ【いいですか?】
【ヒドイ寿司屋】第49宮脇俊三スレ【サロベツ原野】 >>948
もうそんなタイミングか。
駅があるとは知らなかった、いいね 小職からも
【六月は】第49宮脇俊三スレ【旅の閑散期】
【金曜日は】第49宮脇俊三スレ【落ち着かない】 ヒドい寿司屋がいいかな。
あの旅のアンラッキーぶりがすごい。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。