【旦那トンネル】第48宮脇俊三スレ【勇敢マダム】
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そんなここは、第48宮脇俊三スレッド。
過去スレ関連スレは>>2-7くらい。
前スレ
【京都の】第47宮脇俊三スレ【うどんが解毒】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1575924314/l50 FAQ
Q.最長片道切符の旅、志布志で寝坊しなければどうなった?
A.初出はここ。7スレ目、2001年12月
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/train/1005998570/452-453
志布志 0624 快速大隅
国分 0909
15' 0924 556D
都城 1035
1:32 1207 625D
吉松 1345
20' 1405 836レ
人吉 1514
57' 1611 840レ
八代 1739
45' 1824 有明15号
川内 2039
と、川内で継続乗車となる。 >>1
乙
>>12
決まり語句を・・・
こは宮脇スレです。種村スレはもっとあっちです! 白沢でなぜ30分以上も停車するのかと思っていたが、「むつ2号」の他に、運転されていれば「いなほ4号」にもまとめて抜かれるようだ。
であれば、白沢で「いなほ4号」、そして大館で「むつ2号」に抜かれるダイヤであったなら、朦朧としていたかもしれないが、大館から「よねしろ2年」乗れただろうに。 スレタイ批判をする奴は何もしてないからしょうがない 何もできないやつに限って、「批判ができる俺って偉い」と思っていたりする。
対案なき批判は不毛なだけだ。 つまり>>19と>>20はただのバカということだな。 スレチだけどさ・・・。
すごい話があるんだよね・・・。
あのね、眞子様が実は出会い系サイトのヘビーユーザーだった件。
プロフィールの写真も流出。
さすがの週刊誌でもダンマリにならざるえない深刻さ。
やっぱり小室さんと気が合うのには理由があったということ・・・。
【暴露サイト⇒ http://www.tedawakou.com/13 】 十和田南、中軽井沢、阿蘇
こう書くと「南セントレア市」「東かがわ市」「伊豆市」「伊豆の国市」と大して変わらんなぁ。 神足を長岡京、西大津を大津京
加茂は恭仁京がいいかもしれない
西大津はともかく、もう少し駅のある場所の地名を使えないものか。
であれば西大津なら京阪にならって皇子山か? 国鉄のダイヤは急行同士が接続していれば問題はないのだろう。 >>41
日本人の苗字には存在していないようだ>居能 伊能忠敬以外にイノウさんは聞いたことないなぁ。エノウもそうだけど。 花咲駅がなくなったのなんて4年以上も前だぞ。
この調子で行くと、宗谷本線や石北本線は殆ど駅がなくなってしまいそう。今や本家の白滝駅ですら1日乗降者数はヒトケタらしい。 >>53
「韓国・サハリン鉄道紀行」以外に韓国のこと書いたのってあったっけ? >>55
あぁ、そうか。確かに。
あの辺りの歴史紀行、軒並み絶版だから手に入れづらい。 >>58
宿泊は車中泊か駅ネ、名物特産には見向きもせず、食事はマクドか吉野家、これでは確かに効果なさそう。
昼は土地の名物を食べ、そこそこの旅館でおいしく夕食、翌日にはお土産買ったり。ヲタの軽蔑する旅行の方が経済効果はあるってことだ。 >>59
>食事はマクドか吉野家
さすがにそれはないわ
閉店間際のイオンとか行って、半額シールの張られた惣菜類を漁るのはよくするけど 最長旅行できっぷがスタンプで見えなくなって
も駅員は信用してくれるんだね。
まあ、疑っても水掛け論だしな。 >>60
安くなった刺身と酒を買ってホテルで飲む。
楽でいいんだよな。
シャワー浴びてれば酔っ払ったまま寝られるし。
何より、地方都市では旅行者がふらりとひとりで入れる飲食店が殆どなかったりする。会話が途切れたりあからさまに不審な顔をされたり。一見客には質の悪いものを出す店が今でもあるのかは知らないが、そもそも当たり外れも大きいだろうし。
59ではあぁ書いたが、止むを得ずチェーン店で食事を済ませて、コンビニで酒を買い込んだことも数知れず。
都会資本の流入を嘆くのもよく分かるが、田舎の店にひとりで入るのも相当な人生経験が要ると思う。 あと、地方都市であってもホテルのレストランは入りやすいことが多いが、益田のスパゲティのようなこともなきにしもあらずだ。 昔には寝台特急が走っていた。
遠くへ行く必要を感じないが >>64
それ、一円電車の生野かどっかだっけ?
幌延で牛乳2本のようなこともある。
止むを得ず手軽なもので済まさねばならない事態も多い。主義主張で貧乏旅行しているのでなければ、それもまた思い出に残る味のひとつ。 コンビニも無い当時じゃ仕方が無い事じゃないの?
ネットもスマホもコンビニも何も無い時代背景は読み解くべきだよ。 どこに行ってもコンビニ増えちゃって味気なく感じる今日このごろ 思い切って地元の個人店に入ってアウェー感を満喫するのも楽しみの一つだと考えてよくやります。
ホテルの1階に入ってた居酒屋では「若い時は女房子供に迷惑かけましてね…」
なんていう演歌の世界から抜け出したような板さんに会ったし、
とある町の居酒屋に入ったときは鶏肉料理がめっちゃ美味くて二日続けて通ったら
同業者が偵察に来たものと思われたこともあった。
そうした地元の人気店なんてのも地元の人口そのものが減ってるから
店をたたまざるを得ないこともあるんだろうな。ましてこのコロナ禍だし。 今は酒場ブームだしネット情報もあるから、一見旅行者でも多少は入りやすくなったね。
酒好きで食いしん坊を自称する宮脇さんも、旅先では毎回のように一献傾けてたようだけど、
「バア」(スナックのことかな)に飛び込みで入るのはなかなかの猛者。 >>68
でも田舎の駅前にはコンビニはまずない
幹線道路沿いにはいくらでもあるのに >>68
昔ならいざ知らず、今だと個人商店も駅前食堂も激減しているし、駅の売店もなくなってるところが多いから、コンビニがなかったら飲食物、雑貨、雑誌、手に入れるのがかなり難しくなるだろう。早朝夜間は尚更。
どこへ行ってもイオンがあると嘆きたくなるのも分かるが、地元民のみならず旅行者にとっても便利。不便で高い個人商店と、無個性な大型スーパーのどちらがいいかと言われると、後者を選んでしまう。 >>71
駅で売っている酒はヒドイものですよ。”醸造用糖類”添加のニセ酒です。あんなものは飲めない。 >>74
地場のスーパーが両方兼ね備えてて良い
北海道ならセイコーマートも良い >>78
セコマはいいね。北海道らしさが凝縮されてる。駅弁に恵まれなくなった昨今、セコマで仕入れた飲食物が僅かな救いになる。 その恒雄が主筆の読売新聞社が、
宮脇翁が専務を務めた中央公論を傘下に収めたというのも不思議な因縁 ナベツネと宮脇センセは同じ1926年生まれ、同じ東大文学部出身なんだ
ナベツネは中央公論と朝日新聞に落ちて、読売に入った
宮脇センセは国鉄に落ちて交通公社と中央公論に合格
皮肉なもんだ 今更だが、もう海部にはJRの列車は来ないんだってな。阿佐海岸鉄道が廃止になるどころか営業区間を広げるのだから驚きだ。 >>85
御大は理学部から文学部に
再入学してるから、ナベツネよりも
東大卒業が1年遅いらしい。
でも、ナベツネと同年生まれとは
気づかなかった。
ナベツネは先日のNHK特番で
元気そうだった。 宮脇氏は植物の知識がないことを残念がっていたけど、最近は草花の写真をスマホで撮影したら、
何という種類か教えてくれるアプリがあるそうですな。氏がご健在だったらどんなに喜ぶか……。 ちなみに昔の案内放送でも「参ります」って謙譲語を使ってたのだろうか。
「誰それ閣下がご乗車しておられます」とかの放送はあったと書いてあった。 そんなことをわざわざ知らせるから東京駅で暗殺されるんだろとも書いてたな。 >>94
「鉄道法では猿は乗せないことになっております」の総理だね 小荷物としてなら犬、猿、ひよこに活鰻も乗ったけどね >>68
台湾とか東南アジア行くと今でも駅前食堂とか屋台があって食には不自由しなくておすすめ
今は渡航無理だがな この前、埼玉の寄居で乗り換えたけど、駅の周り、本当に何もないのな。東武東上線と八高線、秩父鉄道が交わる交通の要衝だから、何か食べ物でも売ってるかと思っていたが、売店すらない。
駅の南側にはショッピングセンターの廃墟のようなものしかないし、北側も役場がある以外何もない。
国道まで出て、ようやくコンビニが一軒あって事なきを得たけど、食べ物探すなら、地方では駅よりロードサイドというのを改めて認識した。 河出文庫「時刻表2万キロ」に解説代わりに収録された山崎氏による書評は感動的 >>104
昔(10年前)はスーパーライフ寄居店が駅の横にあったなあ。 >>110
入口に立て掛けてあった棍棒を手にする…、ようなことはなかったが、廃墟は無気味だ。国道沿いに温泉施設の廃墟もあった。。
夜になるとゴトリと… 温泉施設の廃虚といえば、「汽車旅12ヵ月」の4月の章で、どこに泊まるか迷いながら通った
久大本線の恵良〜夜明のあたりが、えらく寂しくなってるなあ。 >>112
同じく久大本線の天ヶ瀬は
現存する「駅前温泉街「の最高峰だと個人的に思う >>113
昔の急行「あきよし」とか「あさぎり」は天ヶ瀬行きだったように思う。それだけ栄えていたのだろう。
県境区間の線路がなくなろうとする日田彦山線に日に4本も5本も急行が走っていたというのには隔世の感を禁じ得ない。 >>114
釈迦ヶ岳トンネルの手前の、畳一枚あるかないかの小さな棚田も、
もう列車から眺めることはできないのか……。 >>115
もう3年も列車が走ってないからなぁ。
高千穂鉄道、日高本線、災害で廃止になる路線は後を絶たないだろう。只見線は相当にまれなケースか。 法律では公共交通の維持は市町村に責任があるそうだから、
財源でも無ければ廃線の嵐だろうね。 千葉市にある元気球隊の倉庫が近々解体される。
去年の台風で各所に被害が及び、使用していた倉庫会社が修復を断念。
歴史的建築物として保存することも叶わず、住宅デベロッパーに売却され、
まもなく取り壊しがはじまるようだ。
かつて所沢の気球隊長を歴任された宮脇長吉氏はここを訪れたことがあったのだろうか。 気球といえば、長崎本線と唐津線が分岐する久保田駅のあたりでは、有名なバルーンフェスタの
期間中でなくても、運がよければ大空を舞う熱気球を拝むことができる。
去年の正月に唐津線に乗りに行った時に何機か飛んでいて、まさに「思いがけない眼福」でした。 逆に気球からは鉄路が見下ろせるわけか。
そっちもやってみたいな。 「あれはファウルだと思う」とかほざいといて、
その舌の根も乾かねえうちに「上田は思い上がっている」だもんな。
こんな性根の腐った作家が死後に評価されるワケねーだろ草 高千穂線は短絡していた。
維持するかは地方任せである。 >>120
自己レス。
気球聯隊は所沢から昭和2年に千葉市へ移転したのですね。
その頃はすでに長吉氏は予備役に編入されている(翌3年2月に衆院選挙に当選)でしょうから、
ここには来なかったと見るべきでしょうね。 没後15年以上経つ宮脇先生が
国鉄時代の新豊田駅や高架の内子駅などを
それも処女作の2万キロで訪れてるってなんか不思議 地元の待ち望んだ気仙沼線があっけなく廃止されたことの方が諸行無常やで 芸人のヒロシが世界各地を旅する「迷宮グルメ 異郷の駅前食堂」という番組を観ていたら、
ヒロシ氏がこんなことを言っていた。
「(外国の)路地裏などを歩いてると、ふと『ここへはもう二度と来ることはないんだろうなあ』
などと思って、切なくなることがある」
宮脇氏を連想せずにはいられなかった。 >>137
時刻表2万キロに何ヵ所か。
探せば他の著作にもあるかも。 >>138
そんなこと書いてたっけ?
同じ景勝地に何十年も経ってから再び来ると
人生のはかなさを感じてしまう
というのはよく憶えてるが 二度目のきょうは、時間の経過の速さが身に沁みるようで憮然としている。三度目はどうなるのだろうか。しかし、もう一度この白鳥を訪れることは、おそらくないだろう。
(「時刻表2万キロ」第1章) 「線路のない時刻表」で土佐くろしお鉄道宿毛線の取材して開通後には実際に乗ってもいるわけだけど、
その時になんで阿佐海岸鉄道に乗りにいかなかったのかは未だに気になっている
開通後の乗車については旅費自己負担じゃなかったのかなあ、そういう時に寄り道ない人だし、
自己負担の旅行だったらなんぼ不便でも効率よく両方乗るルートを見つけるのに楽しみを見出す人だろうから
>>131
信号やらバス停やらで加速と減速を繰り返すバスは乗ってて乗り心地が良いとは言いにくいというか
学生が移動中に読書や勉強をするには向かないと思うんだけど、俺だけかなあ そもそも同じ高知県にあるという理由で宿毛線と阿佐東線をひとまとめに片付けようという発想が単純なのかもしれない。
こんな感じになるんじゃないか。
奈半利線なら室戸岬を回って乗りに行くだろうが、宿毛から牟岐まで行くのは一苦労では済まないだろう。
宿毛まで行って、高知まで同じ道を引き返すよりはバスで宇和島に抜ける方が面白そうだ。
まさか、高知発高知行きの、宿毛、宇和島、松山高松、徳島、海部、室戸岬とまわる四国外周の旅というわけにもいくまい。 >>141
高知を端から端に移動するのは難行だよ。
宿毛から高知まで特急で2時間、そこから甲浦まで鉄道とバスを乗り継いで2時間半以上。
新幹線なら東京〜小倉間に匹敵する。
気軽に行けるものじゃない。 ただひたすら乗れば、松山を6時前に出れば、宇和島、宿毛、高知、奈半利、室戸岬と回って18時ごろに甲浦に着く。
東京からなら、朝一の飛行機で松山、宇和島でカマボコの前の…の昼食、バスで宿毛泊。翌日は高知経由で室戸岬泊。3日目に甲浦から牟岐、、徳島、明石海峡大橋経由で東京に戻る、というのはどうだろう。
「サンライズ瀬戸」での出発もいい。 時刻表おくの細道で
宮脇先生が乗った
鹿児島交通キハ102
最期の姿
https://youtu.be/6PnWxYxlBi4 「男はつらいよ」シリーズで寅さんが枕崎を訪ねた時も、駅構内に放置された
鹿児島交通の赤い車輌が画面に出てたな。 >>142,143
高知県が横に広い上に交通の便も良くなく難行苦行なのはこのスレに来るくらいだからわかりきってるけど、
それこそ時刻表2万キロの最後の方は阿波と能登・越中をひとまとめに旅行した作家だったのだから
そこを酌んで欲しかったと思う >>147
あぁ、そういうことか。
意図を斟酌できなくてごめんよ。
実際問題、四国の未乗線が、宿毛線と阿佐東線のみだったら、四国に天涯孤独な一線を残すよりは、辿り着くのが大変でも一回の遠出で片付けるようにするわな。
私だって、東京や自分の家にいるのがいやで出歩いているわけではない >>147
いや、それを言うなら当時の宮脇先生の年齢と病状を考えて欲しいんだが。
既に古稀で同じ月に20日間も入院してたような状態でそんな難行苦行をできるわけがない。 宿毛線が1997年開通
ごめんなはり線は2002年開通って意外に遅いんだな
バブル期くらいからあるイメージだったけど >>151
阿佐海岸鉄道は1992年。バブル末期だったから開業にこぎつけられたのか。
これ以上、四国で未成線が開業することはないだろうな。せっかく開業した宿毛線も、今では特急は1日1本か2本あるだけになっているからな。
近鉄に見放されるどころの話ではなくなっているのだろうか。
阿佐海岸鉄道も牟岐線との直通はなくなったが、DMVで室戸岬まで行けるようになったのは大きな目玉。 宿毛の特急云々と書いたが、今は中村でさえも殆どが高知発着で、高松と結ぶのは1往復しかないんだな。岡山まで行くのはなくなって久しいのか。
確かに東京や大阪から中村や宿毛に行くならば高知までは飛行機を使うのが普通だろうし、それ以外の都市から高知県西部に行く需要がそんなにあるとは思えないから、高知からの便が確保されていれば十分なんだろう。 氏も書いていたように
宿毛周辺は鉄道や道路の便が悪いからと言って
決して人口密度が低いわけではない
これは三陸あたりにも言えること
舟は人類最古の交通機関であり
鉄道や自動車の十倍以上の歴史がある 宿毛市は、人口こそ2万人台前半だが、土地の大半が人の住んでいない山中と見受けられるので、居住しやすいところに集中しているのだろう。だから、数値よりも実感としての密度が上回る。 同じ四国の都市では宇和島や池田も、人口に比べて商店街が立派だなと思ったけど、
そういう事情があったのか。 >>120
司馬遼太郎らが作り上げたノモンハンの 「定説」を180度ひっくり返す本が最近出て
ベストセラーになっている。ソ連軍の軍神がノモンハンは独ソ戦よりはるかに
地獄の戦いだったと米軍に証言したと書いてある。長吉先生も喜ぶだろう。 叔父様は鐵道大臣・大蔵大臣・内務大臣などを歴任だそうだな
そんなすごい家系なのに、たぶん熱望してただろう国鉄を落ちたというのは、
気の毒すぎるなあと世間は思わざるを得ないだろうが
其処が文学者・人間として魅力になり、作品に役だったのかもしれない あんなフワフワしているのを旧国鉄が本社採用する訳がない
いくらコネや教授の推薦があっても文藝春秋同様に無理 成蹊學園だから無試験で東大にはいれたんだろうが
太宰を読みながら汽車旅をしたであろう東大生・俊三にはよい時代だったよな < 2階建て新幹線に乗って(鉄道ジャーナル1986年所載) >
略)そういうわけで、2階建てより平屋のほうが上等との考えを私は抱いている。
鉄道の場合も1段式?の個室寝台が最上だ。略)
何はともあれ、乗ってみたい。
之が俊三スタイルか?
いろいろ文句を言い賢者ぶってはみるものの 汽車を前にすると
作り上げた理性やら教養やらがガラガラ崩れ去る >>163
俊三流でいけばよかったのにな
盂蘭盆や年末年始にはカッきり発車の一流列車の指定券はねらわないで
よろよろの車両を集めた臨時列車の指定券をねらったんだから
就活も本社でなくそのような臨時列車的なのをねらえば >>164
東大に推薦入試なんぞないぞ何言ってんだ >>167
昔は高校生のレベルが高すぎたから 高校を出れば東大には事実上無試験で入れて
推薦状もいらなかったらしい。芥川は高校での成績が良すぎたから一高(今の東大教養課程)すら無試験入学だった
まあ応募者のおおい法学部はドイツ語和訳の試験があったらしいが
良き時代の独逸とほぼ同じだったんだな。大東亜戦争から終戦直後にかけて形式的な入試すらやらんかったという。
総理の母校成蹊で育った俊三も今の東大生よりははるかに教養があるから共通一次なんていらない。同世代の三島由紀夫はあまりにも学業抜群だから
学習院高校を出て推薦すらなく東大法学部に入ってる >>168
戦後、文学部に一般入試で入り直したのはスゴイ。 >>165
>いろいろ文句を言い賢者ぶってはみるものの
それはむしろ某氏でしょ このジジイ、戦中派なのを鼻にかけていて、何かにつけて「近頃の若いモンは…」ってほざいてるのに、
台湾に行った時は食い物を残してばっかりだよな。
駅弁を残す、阿里山のホテルの夕食を残す、パクチーを残す、フカヒレを残す…。
こんな性根の腐ったジジイが死後に評価なんかされるワケがねえだろwww アンチってなんで嫌いな相手をディスるのに命縣けてんだろ
それより推しを推すことに命懸けろよ アンチ種もそうだが、アンチなのに(だからこそ?)やたら詳しく読み込んでるよな。
どこでどれだけ食べ残したかなんて、さすがに覚えてないや。
キライキライは好きのうち、か。 >>171
ばりばりの特権階級の家だからな。終戦直後に東大を二度入りなおしたり
結核を直したんだから俺ら下々のものとちがうのはもちろん
今のIT長者や人気ユーチューバ―のような偽物お坊ちゃまでは全くなく
本物のお坊ちゃまだよ。昔は白洲次郎とか本物のおぼっちゃまがいたんだよな >>174
基本的に食べることは大好きだったよな
昭和61年のジャーナルの100系デビューの総力特集でも
京城帝國大學出の竹島御大をさしおいて、二階食堂車で和定食を食している大胆不敵ぶりだ。
それにしてもこの当時は今では全く考えられない豪華な時代だったよな 宮脇、竹島って、共に大正15年生まれ(宮脇氏が12月、竹島氏が2月)なんだな。そんなに年が近いとは知らなかった。何となく、竹島氏の方が上だと思っていた。 >>175
宮脇俊三がいいとこのお坊ちゃんだからといって、
出された食べ物を残していい理由にはならないぞ ジャーナル全盛期は分割民営化前後か。登場者は宮脇を始め
国鉄幕府最後の最高官僚の須田・石井・山之内(江戸幕府では老中・陸海軍奉行にあたるか)や
斎藤・曽根など派手なメンバーで、山之内VS曾根の派手な鉄道技術喧嘩も
忘れられない。喧嘩の大好きな竹島の仕掛けによるものだろう。
ファン誌(交友社)から石井を引き抜いたのもおきて破りの博多暴れ太鼓だった。
竹島とキャラがやや似てる京谷を呼べれば最高だったのではないか。
リニアで角本あたりと超激論をするもよし、「言ってしまった!リニアおきて破り話」
を連載させ単行本化するもよし
引き込めばなおよかったのではないか >>178
まだ明るいので食べる気になれないという理由で
毛ガニを一杯丸々残すのはどうかと思った 種村との関係は良好だったんじゃないか。最長片道切符でも種村を先生にしている。
ライバル視・意識していたのは 須田だろう。「顔がピンクに染まる」と「おつむが薄い」とか
今なら間違いなく炎上物の過激ぶりだ。これは須田にくらべ自らを劣等視していたからだろう。
軍人・政治家の家に生まれてしまった自分を不幸だと思っている俊三は、一流の芸術家・須田国太郎画伯の息子である
須田に対し深い羨望・劣等感を持っていたに違いない。その上、格下と思っている京大のくせに国鉄本社のスーパースターに
までなり、憎しみにまでなったのではないか。 戦中派だのお坊ちゃんだの食い物残しただのどうでもいいことに粘着する情熱を他に向けろよw たまにフランクリン式作文の稽古をしてる 教材は勿論宮脇作品だ
○×で買った1000円の「うにめし弁当」を開く。ウニだから高いのは当然だろうけれど、
天ぷらやカマボコばかりで、肝心の「ウニ」がない。どうしたことかと箸でかきまわしてるうちに、
さつま揚げの蔭から、小さなアルミホイルに収まった、ほんの一口の粒ウニを発見した。
之をよく読んで一週間後に自分の言葉で同じような文を書いて、原文と比べるんだ。
えっ?巻頭の○×は何かって? これは現代では不適切表現と思われるので削除した
日本交通公社出版の原文では具体的な地名が平然と公的に書かれている
種村はビールを飲み竹島はウヰスキーを飲みながら取材するし、
今とはまるで違うOH!モーレツな時代だったんだよな >>185
あの「うにめし弁当」って、ご飯にもウニが炊き込んであるというのを、
全国の駅弁を紹介したムックで読んだ記憶があるんだが。 >>186
補足。駅弁の内容は時代によって変化するから、宮脇氏が食べた時は
そうではなかったのかも。 >>183
というかね。そもそも作家を作品じゃなくて言動で評価しようってのが愚かこの上ないんだよ。
作家の価値はあくまでも作品。
どれだけ善行を積もうとも作品が面白くなければ意味がない。 >>188
人間的には最低でも作品は超一流というのは間々あるよな。中には作品を一流にするために人間的に最低になろうとしている莫迦もいるが。
かつての私小説の影響なのか、作品と作者を同一視する風潮が未だにあるな。むしろ、歌なんかそっちの方向に還りつつある気がする。 自分も食べ残しをすると親から惨く怒られおかげで酷い肥満児だった。
自分が動くw宮脇翁を見た最後はNHKのニュースでリニアについてコメントしてる映像だった。
長髪は流行らなくなっていたころでツーブロックの上を短くしたような若々しい髪型にしてはいたが
が弱弱しく痩せこけていて「大丈夫かな」と思った。
加齢と衰弱でたべものを残さざるをえなかったこともひょっとしたらあるんではないか?と、
食べ残しをする國民學校出の母を見て思う。 >>186
その通りだろう。某駅のうにめし駅弁(伝統の味と称する)の画像を拝見する限り
ご飯にウニが炊き込んであり外見上ウニを感じない。別に小さなアルミホイルにあ
るつぶウニも宮脇翁が食した当時のままと思われる。値段も当時に近いのも流石だろう。
つまり翁の頭脳には、「漁港で揚げたてのぷりんぷりんの生ウニが弁当の半分を占拠して
ご飯にはカリッカリの梅干しに黒ごましかない之図」が固まっていたんだろう。 >>196
駅弁に生ウニが入っていると思うほどバカじゃなかろう >>198
漁港で揚げたてとかプリンプリンとか
そもそも生ウニはプリンプリンした食感じゃないし
宮脇アンチ(≒種の取り巻き)の頭の程度が知れてる
種本人が生協で買った食パンに筋子を挟んで食うような奴だからなw 理学に行ったり史学に行ったり東大を食べ散らかし、やれモオツアルトだ歴史だと
教養の塊のような宮脇が、うにめしの何たるかも知らなかったとはな。
まあだから世の中は面白いのかもしれないよな 種村と宮脇は少なくとも本人同士はいい関係(いい意味で)だったんじゃないか
種村もなにかで宮脇の文書を絶賛し文章の稽古にも最適だといっていた。 どちらの本も持っているけど、わざわざ比較したり対立させたがりする人の意味がわからない。 >>203
対立というより種派の一方的な嫉妬だろw >>196
「ウニだから高いのは当然だろうけど」って書いてあるのにそんなイメージしてるわけないだろ うにに「もちもち」なんて形容詞を使うのはありえないな。 ウニは鮮度が高いとしても歯応えはないから
ぷりっぷりという表現も変だ
トロットロとかならわかるが 来宮のストリップショーは知ってるぞ
生板もやったからな えっ、来宮のトルコなんか行ってた? どの著作ソース? >>214
やってるよ。「山中温泉 女体盛り」でググると出てくる。
この状況下でもやってるのかどうかまではわからんが。 >>215
○○○風呂はエコノミックアニマルやノーキョー連中が
特定の国家を侮辱するということで今不適切用語
ソープランドかマッサージパーラーということになっている ノーキョーは何かと?イメージしたければ
なつかしの客レイベントなどに出没する撮り鉄ヲタを見に行けばいい
出陣の前に自分の傷病保険の期限が切れていないか、指さし確認してな サハリン鉄道視察旅行の時は残さず食べたんじゃないの?
何せ食堂車ではバリバリの戦中派斎藤稚男と食事してる。
本人曰く南米でひったくりの歯を折って撃退したという。 斎藤や竹島と言う猛獣をうまく手懐けてたようだな
後輩の元総理と言い成蹊出は猛獣使いが多いんだろう。、 さて、今年も「最長片道切符の旅」を追う季節になりましたな。
夜行でついて広尾駅に立つなんてことがもう歴史の彼方に‥‥。
昭和53年(1978)10月13日 利尻富士にふさわしい雄渾な名前の抜海駅も、今や廃駅寸前……。 信号場としては残りそうだから
朝は2人の通学生しか見てないし、それも集落から車で送迎
バスなら送迎も不要 抜海ー南稚内間のニコニコポイントも
撮り鉄が暴れて立入禁止になったらしい
もっとも春から秋にかけて到達は至難だし
冬は寒すぎて危ないからかえってよかったか。 また出まかせを 暴れるも何も他の人を見る事すら稀
除雪スレでウヤとか暴れていた人と違いますか? _,_,_,_,_,_,_,_,_,_
/(((///ノ/ンヽ,, _______________________
f ミ"""'''''''"""ヘ ニヽ /
ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ| | 「宮脇氏が廃線めぐりで何を失ったというのですか?」
ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_ ;ミミ| | とのご質問だが、鉄道旅行の楽しみを失った。
f|.-=・=H-=・=~iー6)リ < その結果宮脇クンは、酒に心を預けるようになり、
'ヒ______.ハ、_____ノ !!| | アル中に陥ってしまったと苦言を呈しておく。
f' __,-ムー、_ ` ノ |
ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人 |
\,____,// /~丶_ \
人,_____/ / \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/|_/又 \ / | _,_,_,_,_,_,_,_,_,_
/(((///ノ/ンヽ,, _______________________
f ミ"""'''''''"""ヘ ニヽ /
ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ| | 宮脇クンから、「私はとっくに鶴見線の旅で実践して
ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_ ;ミミ| | ますぞ。」と書き込みがあるが、
f|.-=・=H-=・=~iー6)リ < 宮脇クンはお金も時間もかからない旅として、
'ヒ______.ハ、_____ノ !!| | 鶴見線を推奨していたけど、鶴見線は一般人が
f' __,-ムー、_ ` ノ | 楽しめる路線ではない。だからこの分野においては、
ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人 | 僕の都バス一日乗車券の旅の方が優れていると
\,____,// /~丶_ \ 自負しておく。
人,_____/ / \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/|_/又 \ / | _,_,_,_,_,_,_,_,_,_
/(((///ノ/ンヽ,, _______________________
f ミ"""'''''''"""ヘ ニヽ /
ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ| | 宮脇クンから、「新潮社と契約している作家は宮脇俊三の
ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_ ;ミミ| | 名を知らないと失礼にあたる」と書き込みがあるが、
f|.-=・=H-=・=~iー6)リ < それと同じことで、角川と契約している作家が
'ヒ______.ハ、_____ノ !!| | 原田知世を知らないのは、無礼だったのだ。
f' __,-ムー、_ ` ノ | 宮脇クンがなぜ角川から仕事を依頼されなくなったか、
ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人 | その理由が改めて分かったのではないかと
\,____,// /~丶_ \ 申し上げておく。
人,_____/ / \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/|_/又 \ / | _,_,_,_,_,_,_,_,_,_
/(((///ノ/ンヽ,, _______________________
f ミ"""'''''''"""ヘ ニヽ /
ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ| | おやおや、宮脇クンが、「新幹線で越前ガニなんて、
ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_ ;ミミ| | 贅沢の二乗じゃありませんか。」とは、
f|.-=・=H-=・=~iー6)リ < 由々しき発言でありぞっとしない。
'ヒ______.ハ、_____ノ !!| | 今の時代、新幹線は贅沢のうちに入らない。
f' __,-ムー、_ ` ノ | 宮脇クンはそういう旧態な考えをしているから、
ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人 | 宮脇流は現代に継承されないのだと
\,____,// /~丶_ \ 苦言を呈しておく。
人,_____/ / \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/|_/又 \ / | _,_,_,_,_,_,_,_,_,_
/(((///ノ/ンヽ,, _______________________
f ミ"""'''''''"""ヘ ニヽ /
ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ| | 宮脇クンから、「毎回ワンパターンの取り巻きばかり」と
ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_ ;ミミ| | 書き込みがあるが、確かに取り巻き旅はいけなかったが、
f|.-=・=H-=・=~iー6)リ < 僕の旅のノウハウは間違ってはいなかった。
'ヒ______.ハ、_____ノ !!| | だから種村流鉄道旅行は現代に継承されている。
f' __,-ムー、_ ` ノ | それに対し宮脇クンの旅は、ノウハウ自体に欠陥が
ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人 | あったので、宮脇流は捨てられてしまったと
\,____,// /~丶_ \ コメントしておく。
人,_____/ / \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/|_/又 \ / | リニアの議論が激化しているが宮脇が生きてたらこれに参戦しただろう
と言うのもこの議論の技術面でのコアは電気工学でも超電導工学でもなんでもなく
地質だからである。
東大地質学科出身で文書の名人の宮脇は引っ張りだこになっただろう。 南アルプスの地質資料は専門的過ぎてメディアも県庁役人も読めなくて
それもあって全然リニアがすすまない。
宮脇先生ならバッタバッタとこれを読みこなし普通の人間にもわかる言葉で
説明できるから、リニアも進みいまごろ南ア隧道静岡工区完工だったんではないか
先生は確かリニアが待ち遠しいとNHKニュースでも語っていた 著作で地質に通じる表現なんかあったかな ペルー山岳鉄道のサミットでも酸素
読んだ事が無いけど殺意の風景? >>237
「殺意の風景」大井川の巻。
三葉虫の化石を持って、バックする車に「オーライ、オーライ」
後輪がゴトリ、その瞬間、強烈な下向きの重力を感じ… さっき五能線終焉間近のキハ40で不老ふ死温泉行ってきた
風強くて下半身とうもろこしになるかと思ってたら
意外にも札幌からの女子大生二人と混浴
もちろん向こうはレンタル着衣だが
女湯露天は宿泊のおばちゃんたちでいっぱいだから
こっちに来たらしい
こちらはタオル一枚で恥ずかしいが
久しぶりの混浴も悪くはない
とうもろこしにはならずに済んだ 今月の中央公論で反リニアの頭目が反JRリニア放言で暴れているが
宮脇編集長だったらこの似非教養人インテリヤクザに書き直しを命じるか
ホンモノの教養で論破し、さっさと追い出しただろうな この知事、「すずおかにのぞみさ停めろ、んでなぎゃ税金さ課すぞ」って言ってたんだっけ? 「わかったよ静岡県内も全駅止めてやるよ。
そのかわりと言っちゃなんだが、こだまは全駅通過にするからな」 中央公論も堕ちたもんだよ こんな反リニアの駄文を載せるようになって。
宮脇が生きてたら激怒だぞ。
宮脇はなんと昭和40年代中頃に超高速新幹線というリニア本を企画して
恐らく文章も徹底指導して出版し出版後10年で9版というベストセラー本を作った およそ専門的な事項はちんぷんかんぷんなんだよな
リニアについての電気工学や土木・地質はその最たるものだ
JR東海がホムペで示唆するように、専門的な資料をみんな公表しても
ちんぷんかんぷんなのをいいことに国労の残党連中が都合のいいように
「解釈」して水枯れとかいいだすから、公表しないほうがいいわけ。
リニアの超高度な事項を(電気工学分野に限定しても)民衆にもわかることばで
正確に書いた人は超少ない。
宮脇氏を除いては西洋史学科の後輩の草壁氏(読売出身)くらいか 有給消化のため
本日17時過ぎに羽田を発ち
新千歳から南千歳乗り換えで
最終釧路行き特急おおぞら11号へ
釧路駅前の安ホテルで仮眠して
翌朝始発で納沙布岬に立とうと思う
夜行列車が無いので今やこうするしか無いのだが
宮脇氏ならずいぶんキセルだな
とか言いそう
驚いたのは自由席2両に
自分含めて4人しか乗っていない
3両ある指定席も覗いたが
全員足しても30人もいない
もちろんグリーンはゼロ
前回買っておいたLove北海道6日間パスがあるから
乗りに来たが
JR北海道、本当にヤバイ状況だな 東京から北海道への飛行機利用で「キセル」の記述って有ったっけ? 250の書いてる行程がどうしてキセルなのかわからない。 >>250
宮脇氏が最も北海道らしい区間と言った釧路〜根室の旅は如何でしたか >>253
運悪く大雨と霧だらけでした!
危うく帰りのおおぞらがウヤになる手前でした
午後は実際にウヤったみたいで! 今日は261新車はまなす編成
オホーツクと大雪に乗ります
全席コンセント付きはありがたいけど
隣席との仕切りのアームは固定で
デブ鉄が何人も窮屈そうに座ってます
販売カウンターは深川からで
あっという間に完売
営業初日とあって指定席満席で
1号車ラウンジは
自由席からあふれたオタが貸し切り状態
そこへ白滝から網走までは団体貸し切りで
それを知らない(事前アナウンスを聞いてない)YouTuberとのトラブルも発生し
阿鼻叫喚
宮脇氏なら
顔をしかめる事態に 今年の北海道の紅葉は
今がピークなのか
峠を越える度に
息を飲むような絶景 網走駅では地元観光協会やJRグループ指定旅館組合などが
歓迎横断幕などで盛り上げて
大雪出発式をやってるが
春には臨時化されてしまうんだよね
宮脇氏ならどう思うだろうか?
仕方ないんですよ
乗らないんだから!
ってなるかな? それにしてもキハ150の二重窓の汚れは何とかならんものか?
全く洗浄していないから
外側のガラスが黄ばんで何も見えないようになっている
亀の子タワシを持ってくれば良かったと
私は後悔した >>264
宮脇氏はシベリア鉄道の窓を駅で拭いていたな
編集者の肩車に乗って 北海道だと札幌着いたら歯が痛くなって、歯医者で緊急に診てもらった旅行が印象的。
私でも歯が痛くなると汽車に乗るより歯医者に行きたくなると。そりゃそうだよなって思った。 今夜の上野23時05分発「ゆうづる13号」青森行きで出発の予定。 瀬戸大橋線は複線を想定して「時刻表」を作ったみたいだけど、まだ単線のところもあるのか。
あまり詳しくないので最近知りました。複線化は難しいのかな。 難しいというか、単線部分を管轄する西日本があんまり重視して無いから投資して複線化しようとしない このジジイ、夕張市長の中田鉄治のことを「猛獣」と評して称賛していたが、
中田鉄治のせいで結果的に夕張が破滅へと向かっていったのを知らんのかこのバカは?
こんなアホなジジイが死後に全く評価されないのは当然だなw わざわざスレ探して書き込んでくるあんたが一番評価してるやないか。
レイルウェイターのスレなんか、AAスレになってるのに比べたら十分評価されてるよ >>281
一般人が見ても面白くないところは、確かに種村そっくり ユーモラスな文章と、誰かが書いていた鉄道のことしか知ってませんみたいな風してそうではないところが、自分も含めた他の鉄道好きとは違うと思う。 >>283
前半の主語は宮脇氏だよな?
鉄道のことしか云々は「旅の終わりは個室寝台車」の阿川弘之氏の解説かな。 >>284
もちろん宮脇氏のことです。
紛らわしかったらすいません。 >>171
猛暑の中原では熱い缶ビールを「燗ビールですね」と
めずらしくつまんないギャグを飛ばしながら
北京大学生の分まで完飲して、埋め合わせている >>282
顔は宮脇に似てるから、もし宮脇を知ったら「宮脇のコスプレしてみた」動画で
いいねを10万上げることを企画しそうで怖い なんにもすることがないので、家でユー・チューブに接続し、スーツ君の動画を見る。
私の扮装をしているので「おや?」と思う。
孫が漫画本を手にして画面を見て「くすっ」と笑う。
「何だ」と言うと、「面白い漫画だよ」と言い、戊辰戦争の藩兵のような格好の少年少女が
大暴れする活劇ものの漫画を見せる。題名は鬼滅のなんとかというらしい。 のらくらや
冒険ダン吉の要領でこういう漫画が書かれたら、なお面白かったのでは、と思う。 >>274
中国火車旅行する時にタモリのじいさんが熊岳城の駅長をしていたのを知ってたら
大連からの火車旅行で熊岳城駅で途中下車して温泉に浸かったりしたかもな。
もっともタモリは当時は鉄ヲタであることを自白していなかったし、知る術もなかった
自分はタモリとは全く関係なくこの駅に降り線路際をウオッチングしたことがあるが、
レールの太さやバラストの分厚さにびっくりした思い出がある。 俊三は我々が見過ごすものを泉に変える才能がある
そういう意味ではニーチェに似ているのかもしれない 野坂「しぇ・しぇ・シェークスピアか西鶴か」
宮脇「ひゃ・ひゃ百閧ゥ弘之か」
野坂「……」 https://goethe.jp/Q_and_A/q_hitogatabiwosurunoha.html
>カロリーネは、「ゲーテが、あるとき、さりげなく
『ひとは到着するために旅するのではなく、旅するために旅するのだ』と言いました。
俊三が散々言ってきたことだな
ギョ、ギョ、ギョエテか俊三か https://www.asahi.com/articles/ASNCG65X4NCFPTIL01V.html
>鳥飼車両基地へは、新大阪駅から専用の回送列車で入場する。
乗り鉄の世界で、こういうのにも乗らないとJR全線完乗とならないの? >>303
そんなことない。
乗りたいけどカウントしない参考記録
俺はね 営業キロ・実際の乗車キロ・軌道延長キロについて正確に知りたくて
宮脇氏はわざわざ国鉄本社まで質問しに行った。 >>304
そもそも完乗の定義をどうするかから始まるよな。ロープウェイは入れるがリフトやロープトゥは除外するのではご都合主義という主張は理解できる。だから、ケーブルカーやモノレール、トロリーバスまでが範囲というのはよくわかる。
鹿島神宮〜鹿島サッカースタジアムの扱いなどは未だに明確に出来ないのではないか。 https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1605898611/l50
速報】JTB、6500人削減 ★7
宮脇の強力なサボーターだった、実質国営企業が壊滅的状態
宮脇の歴史の高度な教養をもってしても 、こんなにも悲惨な自体は
予測できなかっただろうな >>306
正確にしても意味がないって言われたんだっけ。 貨物線は参考記録みたいなものかな。乗れたら嬉しいけど、乗れなくても構わない感じ。 宮脇は先生になってからタダでTGVの試運転列車にのったり樺太の鉄道乗りまくりをしたり
する大名身分になったが、
作品としては飢えたハングリードッグだった頃に書いた時刻表二万キロや最長片道切符のほうが
上だと思う。 >>315
「飢えた」は言い過ぎかもしれないが、氏自身、アパート(テルミニ宮脇)を建てて以降の作品はつまらないと言っていた。「中国火車紀行」。あたりが境目になるようだ。 長吉「樺太の半分だけしか取れなかったのは不満だった」 こういう重さ・痛恨・怒りと
新人類鉄ヲタ「デー・トゥ(Д2)だ !」こういう鉄ヲタの天然・屈託のなさとを織り込みながら
進行させる手法は宮脇ならではで、マンション以降の作は最長片道切符と比べたら…というだけであって,
世間にあふれる紀行文学からは、抜きんでているのは確かだろう >>317
世間にあふれているものを「紀行『文学』」と称していいかはまた別問題だな。 紀行文学など存在しない。駄文が存在するだけである。 中国火車旅行も、ご本人は不満なのかもしれないがいい作品だと思う
ポラロイドでマウントを取ったという今では全く信じられない歴史の記録としても
貴重だろう 文字通り万里の高速鉄道を築き354km/hの車内で五角硬貨を立てても倒れない現代中国は
緑皮火車(日本でいう国鉄形)全盛の当時では、流石に想像できなかったろう。
ただ宮脇氏は繰り返し火車の安定した乗り心地を書いており、
簡潔を貴ぶ氏としては異例のことだとおもう。
これはやっぱり当時の一部のL特急の凄い揺れを念頭に置いたんではないか
自分は高崎線や常磐線などで体験したが、地震のようだったw
そんな時代に生まれた185系も間もなく引退でファンが大騒ぎだという 「最長片道切符の旅」はこの日は片町から出発して京橋からルートに入り高山までだったね。「さあ行くぞ 飛騨の高山まで」は実感がこもった一文だ。
片町の風情も何もかもすっかり変わってしまったなあ。関西本線の風景、車内検札や車掌とのやりとり‥‥色々な当時の情景を表す貴重な文章だと思う。
もう42年前か。 >>329
町も鉄道も変わったけど、人が変わったのが大きいと思う。 苦み走った車掌「ほほう……」こういう応対が、いちばんいい。 穏やかな物腰の老車掌「ウワーーー!生まれてはじめてですわ!」 >>335
マターまたー、ご冗談を。
種村氏にしても宮脇氏にしてもどっちかというとアメリカ嫌いなんだから
宮脇氏に至っては「SL」と書くのすら非常に苦痛を感じられたくらいです 2万キロと最長片道だけ残して、他の宮脇の本を全て捨てた。
全部読んでみると分かるが、この2冊以外は全て駄作だろ?
ブックオフに持っちいけば1冊10円で買い取ってくれたかもしれないけど面倒臭かった。 https://www.sankei.com/economy/news/201201/ecn2012010039-n1.html
富士登山鉄道構想。来年ユネスコに説明に行くとこまでは進んだようだ
宮脇氏には珍しい?未来ものの”夢の山岳鉄道„は、
この鉄道の構想者たちに影響を与えてるらしい
この本ちょっと探そうかと思う。JTBの雑誌”旅„だっかで立ち読みで読んだだけなので。
構想が具体化しないと再版されないかな。 >>337
ポポンなどでは買い取ってくれたんじゃないか
そうすりゃオレが買えたのだが
物苦悪負は毀滅など旬のマンガくらいしか買い取ってくれない
文学古典はもちろんおことわりだ(店によっては引き取ってくれる)
死んだ親父の蔵書を処分せざるを得ず、山ほどあった司馬遼も買い取ってくれないので
みんな市のコンテナに入れついでに自分の蔵書もいれたが、あまりの重労働で
宮脇翁のように歯が痛くなってしまった。 でもなぜか宮脇が残ってしまい阿川や百閧ェ
どっか逝っちゃったのには少し参ったよな 歯の痛さに紛れてコンテナに放り投げたのだろうか? 全部は読んでないや。とりあえず思い出した時とかに読み返したら面白い。 二万キロの最後は明るい終わり方だからいいな
読むたびにチェコ人の園芸本買おうと思って
いつも忘れてしまう https://www.tetsudo.com/event/30598/
もしこういう列車があったら、
全線完乗で時刻表を読む気力すらなくなった翁は
「乗りたい!」と
チェコの園芸家のように喜び勇んだろうな >>346
「旅の計画を練る楽しさは、しばしば旅そのものの楽しさを凌駕する」みたいなものか。 宮脇氏は「汽車旅12ヶ月」の模範にしたほどこのチェコの作家に傾倒したが
チェコ紀行はやらなかった(チャンスがなかった?)ようだな。
もしも自分が5ちゃん公論の変酋長なら「時刻表2万キロ」の後編のような形で
チェコ鉄道紀行を企画したんだが
もうコロナで無理になったが、プラハの建築作品を鑑賞しチェコの機関車列車
を思う存分乗り鉄し、ねじ式連結器の乗り心地を味わいたかったものだ その時代に東側諸国を旅行するというのはどんな感じだったのだろう。まさかでっちあげで連行されたりはしないだろうが、西側とは違う独特の緊張感とかがあったのか。 シベリア鉄道からヨーロッパに抜けるのに、ポーランドが政情不安で入れるけど出られないと心配していたっけ。 戦中派なので、万が一連行されたら 役人に
音吐朗々「須ラク比スへシ蘇武歳寒ノ操」
と吟じ大気概を示したのではないか 国鉄バスまでは乗るつもりはないと最長片道切符の時には書いていたが、気仙沼線や大船渡線のBRTがある今だったらどうするかな?
自分なら乗るかな。 ユーチューバースーツのライバル・がみ
大船渡BRT訪問
https://youtu.be/U1-rp2_nRCI >>356
十勝三股への代行バスにも乗っているから、BRTは乗らないなんて言わないと思う。
名古屋ガイドウェイバスにももちろん乗っていそう。 自動車線も含めた最長片道切符って計算した人いるのかな >>359
光畑さんじゃなくて?
JRバス全線完乗を目指している人はたまに見かけるが、1日1本のバイパス経由便とかバリエーションがとてつもなく多くて大変そうだ。 >>360
たしかお医者さんだったよね
バス含む版も作ってたとは知らなかった
ひたすら乗り続けても有効期間内にゴールできなかったかも 目医者さんだった。
国鉄バスを含めた最長片道切符をやる人がいるようなことを書いていたから、計算した人はいるんだろうなあ。 だって、禾重が光畑計算をもとにやって1985年に本を出してるじゃん。
もっとも、やむを得ずタクシー使ったりとかあると聞いたけど。 宮脇時代には東京鉄道病院の医師だった(いまも?
飯田線を乗り通して欠伸一つしないようなら
光畑医師に診てもらうべきだろう ここは宮脇スレです。種村スレは、もっとあっち。
国鉄バスを含めた最長片道切符のルートやその実行については、
つ 種村直樹『さよなら国鉄 最長片道きっぷの旅』(実業之日本社) 「ほほう」
と、体ごと、椅子から乗り出してきた。
わたしは、医師に向かい合った患者の気分になった。 飯田線ならまだ一部しか乗ってないから乗り通しても欠伸しないと思う。
用があっても乗りたくない国電と書いていたけど、山手線や京浜東北線はあまり乗りたくない。 電車でGOの新作はまたまた山手線
どうして世間は山手線に飽きないのだろう。
自分は山手線はおなかいっぱい 同じく黒字の国電だった横浜線にいたっては
時刻表2万キロはひどい仕打ちをしたよな
これ、横浜線事件として宮脇マニア間では有名?
「昭和50年9月現在の未乗線区一覧表」では横浜線は乗車済みにされながら
すぐ後のページで「青梅線の(略)…横浜線の橋本−八王子間に乗りに出かけた」
と書いている。こう省略して書くと横浜線が目立つが、実際は横浜線がまるで
あってなきがごとく書かれている。ジモティ―かよほどの変態でなければ
横浜線を認識することはむずかしい。
宮脇先生!貴殿はハマ線がお嫌いなのですか!?
あの腸に染み入る73系の全力走行吊り掛け音のハマ線を! >>372
橋本八王子間は相模線も乗り入れてるし
路線図はあたかも八王子茅ヶ崎間が相模線の如くだがな 横浜線といえば、岩日線の御庄駅が新幹線との接続駅にならなかった件を思い出す。 国鉄時代の黒字路線で高崎線と中央線はどこかの本で読んだことはある。中央線は高尾までの国電区間だけだろうけど。(何も注釈は無かった記憶) >>376
こんな時間にいても今日中に東京へ帰ることができる。 国鉄時代の黒字は新幹線、山手線、高崎線が常連? あとは横浜線とか。
1986年には、国鉄全体で旅客営業においては黒字になったんだっけ? >>379
長期債務を除いた営業収支は貨物・自動車も含めて全体で黒字
今より10万人多い職員と3,000km長い路線を抱えながら >>374
アメリカ軍上陸を想定して国鉄(我軍)は相鉄線の橋本ー茅ヶ崎間を買収して
高崎―八王子―橋本―厚木−茅ヶ崎の本土決戦線を構築した。
その必要性はないものとおもわれる今、東日本は相模鉄道に当該区間を
返却すべきだろう 夢の山岳鉄道で唯一実現しそうだな
あの本はまだバブル期の残り香が残ってた時代の徒花だけど
https://trafficnews.jp/post/102724/3 今はとくに東海道新幹線は旧国鉄と比べ物にならないほど大赤字だしな
リニアが出来るかどうか心配なほどで想像もつかなかった 確か最長片道では横浜線を取り上げてくれて橋本駅ホーム売店でワンカップ飲ったとか
書いてたが、確かに嘗ての橋本はそんな 雰囲気だった。
宮脇の大好きなDD51やキハ20がブルンブルン言いながら佇んでいて、
宮脇はあんまり好きくない?荷物車連結の旧国はと言えば
グワーンと何とも言えない音をたてていたよな。
でも今の橋本は全く違ってしまったよな。リニア駅の工事をやっている。
さすがの宮脇も想像できなかったろう まあ宮脇は作品では汽車ばかり乗って家庭を顧みない変人中高年に描かれているが
リアルでは超リア充で子煩悩の満点パパという「星の王子さま」だったらしい。
そんな宮脇が唯一少年少女のために書いた本がスイスの鉄道だ
夢の登山鉄道もその延長線上にあるんだろう 松本清張読んでると色々地理や駅名とか出てて最近ハマってるけど
宮脇も結構好きで読んでたのかな?「殺意の風景」は清張の影響?
清張はあまりにも通俗小説で敬遠してたんだけど、三島も谷崎もどうも
最近面白くなくなって、吉村昭ぐらいしか読んでるの無いから手を出したけど
鉄道ファンで好きな人多そう。みんな大好き原武史も清張本出してるし。 きょう放送されたブラタモリで豊岡を訪ねてたけど、ここは昔から水害の多い地域だと
紹介されていて、「弁当忘れても傘忘れるな」を思い出した。 >>376
あれは「接続駅にするコストに見合うだけの、乗り換え客の需要が見込めない」からだそうだ。
まあ、宮脇氏も薄々わかってたんだろうけど。 タモリの祖父は30代で満鉄の熊岳城の駅長をしたらしいが、
満鉄の社員名簿を閲覧してもいまのところ熊岳城の駅長に森田という名は
見つかんないんだが別の名前なのかな。
何もタモリ家をウオッチングする気はなく自分の祖父と叔父を見つける
ついでに軽く調べただけだが。 そりゃ、どちら方の祖父かでも変わるだろう。
もし養子とかそういうのあれば尚更。 幻冬舎大学@GentoshaDaigaku
ついに鉄道講座開講します!
講師は現代の宮脇俊三、杉山淳一さんをお迎えいたしました。
いよいよリニアの時代、その先にはさらなる繁栄が待っています。
午前2:16 · 2020年12月13日
Twitter大荒れ >>392
このたびは小生が関係する案件の広告文について、宮脇俊三ファンの皆様にたいへん不愉快な思いをさせてしまいました。申し訳なく思います。
小生もFBで広告を見たときは困惑いたしました。先ほど担当者からお詫びと広告取り下げのメールが届きましたことをご報告申し上げます。
ズ・ギヤマ・ダ 杉山淳一(書き鉄)
@Skywave_JP 現代の宮脇俊三はユーチュバースーツ
異論は一切認めない 限りある命なのに人には待ちどおしいことがやたらと多く、まるで死に急いでいるかのようだ。
鼻の先にニンジンをぶら下げられたロバたちの死の大行進だ
私の鼻さきにあるのは東北・上越新幹線、四国への鉄道併用橋などである。
東京−大阪1時間の浮上式鉄道もある。
こういう計画は50歳以上の男の子に聞かしてはならぬことだ
18歳未満お断りばかりが能ではない。 わし横浜線じゃぃ。明治生まれじゃ。時刻表二万キロでは未乗なのに
路線図を塗りつぶし、国鉄全線大集会では発言させてくれんかった。
リアル番付でいえば西の大関くらいじゃのに扱いはふんどし担ぎ以下じゃのう
今もどこまで行っても座れない嫌な爺じゃがのう、
黒字のクロウを語る集会はいつやるんかのう かったるくて、わりぃが>>399の「路線図」を「わし」に代えさせてくれるべか? 宮脇はニンジンをたっぷり味わい、良い時代に死ねたよな。
東海道新幹線が大赤字でGOTOが全国一律禁止になった今の時代に
脱サラして物書きしたら売れずに極貧地獄だったろう。それはそれで
芸術家宮脇俊三の爆発が拝めたかもしれないが。
どちらにせよスーツ的現代処世術で世渡りする宮脇を見なくてよかったとは思う。 「平成の原節子」ならいっぱいいるのに炎上したことはないのになぜだろう?
鈴木京香、吉田かおる、香椎由宇、綾瀬はるか 作品では原節子や高峰秀子など、この人の世代の女神さまをちっとも出さなかったし
海外乗りまくりでも女子に乗るのは頑なに断っている。そんで
ひょっとしたら女性不感症?と疑う香具師も出てくる始末だったけれど、
なんかリアル宮脇は超リア充だったらしく銀幕スタア顔負けの恋愛生活だったらしい >>403
原を女神と仰いだ精鋭世代は戦中派でネットとは無縁だからじゃないの?
もしこの世界を相手に鬼神をも哭かしむる闘いをした精鋭達が、
スーツ並みにネットを使いこなせれば、
スーツへの炎上レベルどころじゃないと思う。 >>405 一瞬女装した教授を創造してしまったではないか 宮脇クンから書き込みがあるが
>>801
>ものの数分で快晴から雪景色へ。上越新幹線の魅力ある季節の到来ですな。
宮脇クンは上越新幹線列車名選定委員を務めた時、【こしじ】なんてダサいアイデアしか出せず、もちろん不採用。
阿川佐和子が【のぞみ】の名付け親になれたのとは、対照的な結果となった。
宮脇クンの鉄道作家としての評価がガタ落ちになったのには、
そんな理由もあったと回想しておく。 >>407
群れるのが好きな鉄ヲタなんて現代には皆無 のぞみは、ひかりとともに満鉄・鮮鉄の優等列車から来ているから、最初から決まっていたと思う
阿川の娘さんはそのインパクトをやわらげるためにかつがれたんだろう。厳に左翼からの
クレームはないw。竹島さんは速攻でRJにその由来の記事を執筆していた。
大陸優等列車の名前で永久欠番がひとつあるが、それは中央リニアの速達列車に引き継がれるのだろうか >大陸優等列車の名前で永久欠番がひとつあるが
「興亜」だったらさすがにもう使われることはないでしょう 「とき」は最早既定だったろうけれど、あとひとつでもめたんだろう。
結局明るいイメージがある満洲帝國の急行「あさひ」が選ばれた
越路も味わいがある名前ではあるがやや暗い語感だし有名人物の名を連想するからボツになったんだろう
しかし流石に驚きなのは「ごうせつ」「なだれ」が候補になったということで、いまだったら大炎上だろうな。
宮脇も種村も自由奔放な時代の子だなとしみじみ思う。 >>412
ったくもぅ、知ってるのに言わせる気ですかw
永久欠番はこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=rXIegkXLs3Y
やまと言葉ではないから新幹線の伝統からはどうかと思われるが
超リニアにピッタシな気がしてならない https://www.youtube.com/watch?v=KXdvYmdC5P8
【かわいそう】破壊・放棄されたトンネル
可哀相なトンネル―――宮脇氏の影響?
「可哀そう?」
「御殿場線に乗ってみますとね、線路をはずされて使われなくなったトンネルが
古いトンネルが、怨めしそうに暗い口を開けています」 (時刻表ひとり旅) >>413
「ごうせつ」「なだれ」は「論外です」と書かれてあるが、「候補になった」とは書かれてなくないか?
さすがに昭和の時代でもそれはないだろう。
「越路」はカナにすると意味不明というので却下されたようだ。確かに「こしじ1号」ではどこへ行くのかわからない。 萩で最長鈍行の824列車とすれ違う。
わが急行は敬意を表するかのように先に着いてお待ちする。
8時39分、824列車ご到着。
DD51にひかれた六両(茶,茶,青,茶,青郵,茶郵)で、後から来て先に出発した。
私はダイヤ改正のたびに、この824列車が消えはしまいかとヒヤヒヤしている
【時刻表ひとり旅】 6時24分発に乗り損ねて最後に見せ場が増えたし目覚まし時計いい仕事しましたな 6時24分発に乗り損ねて最後に見せ場が増えたし目覚まし時計いい仕事しましたな
(都合により二重カキコ) ねぇ、スーツ氏が最長片道切符だと。
かわいそうなトンネルといい
このところ、宮脇路線濃厚じゃね? 残念無念にもデデゴイチは3月で定期運用はなくなるけど
山口線などでピンチヒッター運用はあるみたいね カレル・チャペックの「園芸家12ヶ月」を古書店で見つけた
地味なマニア本かと勝手に想像していたがとんでもない間違いで
2017年の時点で改版17刷の凄い人気 "旅の終わりは個室寝台車"を読んだ。大阪まで国鉄抜きで行くとか今のユーチューバーがやりそうなことを40年も前にやってたんだね。同行者の藍氏も今は70近いのかな >>431
2010年前後の「小説新潮」だかで、「定年で自分への褒美として車を買った」とあったから、70前後なのかな。 宮脇はどうしてクルマを運転しようとしなかったんだろうか。
人との付き合いが嫌いな性格だから鉄道好きなのは頷けるが、
鉄道マニアにしてクルマを乗り回している人が多いのは我々が日々見聞しているところ。
成蹊學園で将来何になりたいのかと聞かれたら安倍元の先輩たちは
総理とか陸軍大将とか溌剌意気盛んとして答えた中で一人だけ
電車の運転手と答え本来はかなり運転好きであったことがうかがえるし
また実は相当なリア充、プレイ・ボーイであったともいうが、こういう方にとって
クルマは欠かせないはず。
また、上流階級だから望めば花形満の様に豪勢な最高級車をいくらでも
乗り回せたはずである。 >>433
「線路に縛られる」という究極のマゾヒズムが、自由度の高い車の運転では満たされないからではないか。 宮脇氏が存命だった頃は、鉄道は時刻通り通り動くのは当たり前だったし、台風や大雪でも道路がダメでも、最後まで動いて真っ先に動くのが鉄道だった
今みたいに、人身事故のたびに、1時間も2時間もバカみたいに止まることはなかったし、計画運休なんて考えられない時代だった それだけ鉄道のウエイトが下がったのだとも言えるし、災害時には無理して移動しないようにしようという考え方が広まってきたのだとも言える。 そういう時代のスーツ氏だが、宮脇先生と同じく国立大学で大学入試は受けていない(推薦・面接)らしい。
宮脇先生は成蹊学園だから高校まではエスカレーターで高校入試(今の大学入試に相当)は受験しなかったが
大学入試は(今の大学院入試に相当)受験した。
スーツ氏の声の質はバイクの代表的ユーチューバ―二宮氏にそっくりで
いいねを集めやすい声の質と思われるから国立大学の面接で抜群のポイントを稼いだと思われる。
高校は岩倉で体育を除いてオール5だというので鉄道の基礎知識はあるとおもわれる。
しかし無試験入学で文学部と経営学部を選べたが文学は金にならないから
経営学部を選び金がたまったら文学をやるというのは現代っ子気質か。 「文学は、金がないから文学なのであってだね云々」
と宮脇先生は青函連絡船で若者に説教してたような気がする。 宮脇先生は無職コドおじ時代の作品は現代まで読み継がれる古典に
なっているがスーツ氏の様にカリスマになってからの作品は
今のところそうはなっていないのは偶然だろうか? スーツスーツって、バカの一つ覚えかよ
鉄道系youtuber他に知らんのk 自分には、おしゃべりが過ぎる動画は長々と見ていると疲れるな
BGMも、時には字幕も入れずに、風景の中を走行したり駅の発着を淡々と映しているのが見やすい >>447
やっとようやく何とかしてスーツ様を覚えたら
もう時代はX様になっていたというのが
鉄道マニアの大勢でしょう。 今年の年末で、Flash Playerが終了とのニュースを見て、
「時刻表2万キロ」のMAD動画があったのを思い出した。
ネットで検索しても見つからない。
また見てみたかったのに スレ違いということもわからぬバカはNGに入れて終わり
ゴミに触ればゴミがつくばかり >>455
表紙、別府鉄道じゃないの?
国鉄完乗記にこれはねえだろw >>456
鉄ヲタがどう思おうが関係ない、
普通の人々にインパクトを与える表紙を、
ということだろうね。
先生のファンとしては、先生が一眼レフ?
とは思うが。 宮脇先生に合うカメラは50年代のM2クロームか
SUMMICRON-M f2/35mm ASPHを装着したらたまらない
というか自分が欲しい。 スレ違い的書き込みをしているのはむしろ453ではないか ローカル線より幹線に目がいく。その結果、地方線は廃線になる。 そういう意味で別府鉄道などに乗った時刻表奥の細道は
えてして官尊民卑と見られがちな宮脇の、もう一つの面に
光を当てた知られざる名作と言えるだろう。 それにしても本当に別府鉄道は完璧だな。乗らなかったのは年々後悔の度が増しこそ
すれちっとも減らない。歌登町営軌道は出生時間的に乗れないから諦めもつくが
別府鉄道は自分の努力次第例えば算数や英語の成績が2から3になれば乗れないことも
なかっただけにあきらめがつかないな この程度の雪の予報で、計画運休するJR西日本は弛んでおる!! 鉄道が止まるということは道路は既に止まっているんですね。わかります。 きょう(12月30日)は、奇々怪々な筑豊線群を乗り回る日ですね。 C62が泣くような独特の汽笛で宮脇先生を泣かせたDD51が牽く「津和野稲成」号は元日は運休? 完乗を目指す者にとって年末年始はボーナスタイムなので時刻表2万キロでは宮脇先生もかなり奮闘してましたな。
つくづくあの年にこんな病気が流行らなくて良かったですよ。 自分は関東地区のリニア完乗すらできてないが、大江戸線に乗ろうか乗るまいか
まるで沙翁のように思案している始末。
宮脇先生の富山港線と同じような理由で光が丘の盲腸部分を乗り残して仕舞っている。
いずれ乗らなくちゃいかんと思う。 >>466
おじいちゃん、いつの時代の話をしてるの?
JR西日本が止まっても、高速道路は速度制限すらかからないことも珍しくないんだよ >>467
きょうは福岡でも暴風雪が吹き荒れて、鹿児島本線の普通列車も、ダヤン将軍とまでは行かないけど
粉雪まみれの迫力ある風貌で走ってました。 鉄道旅行の楽しみとか駅は見ているなんてどこが面白いねん 「ヒャッケンマワリ」という内田百閧ノまつわることを描いたマンガがあるけど
阿房列車と関連して先生が結構出てくる
おそらくマンガのキャラクターとして描かれるのは最初で最後だな
Kindleで今なら半額セール中(ダイレクトマーケティング) 山陰地方JR全滅
山陰道は通行止め箇所なし(松江付近は)速度規制すらなし)
高齢ドライバーは免許返納しろって言っても返すわけない
「死んでも嫌だね」って言われるのがオチ
宮脇先生がご存命の頃のように鉄道が信頼できる時代ならもっと免許の返納が進んだだろう
JRの安易な計画運休は、高齢ドライバーの交通事故で「倍返しだ!!」 あけましておめでとうございます。今年こそ良い一年になりますように。 あけましておめでとうございます。
もし宮脇先生がご存命なら今年で95歳。 あけましておめでとうございます。
阿川氏は存命なら100歳になったばかりか。
阿川、安岡、小島、三浦、庄野、みんな90前後まで長生きしたな。 お隣のまんぼう「おめでとうございます。あの、すれ違うかどうか、
僕にはどうでもよいんですが。兄貴のモタに言ってください」 古語に曰く「万巻の書を読むは万里の路を行くに如かず」と。直訳先生は
「これすなわち 紀行文学を読むは乗り鉄するに敵わんということで、宮脇や阿川、内田らに
とっては耳が痛い」とかのたまうが、何ということはない。ただ乗り鉄するだけでは何も得られないと
解釈すればいいのである。さあ紀行文学を読んで汽車に乗ろう、と言っても時節柄不幸にも
当分汽車には乗れない。しかしながら塞の国の爺さんのように不幸を幸いとして沢山の書を読破すればいい。 かつて永六輔氏は、
「自分の家の近所でも、まだ一度も通ったことのない路地の一本や二本は誰にでもあるはず、
そんな道にふっと足を踏み入れてみるのも、立派な『旅』だ」
みたいなことを書いていた。
宮脇氏が「鉄道で通勤している人は、たまに途中駅で下車して駅周辺を歩いてみると面白い」
と言ってたのと通じるな。 アンクル・トリスなぞちびちび飲りながら
「汽車との散歩」などに収められている柳原良平画伯の独特なイラストを
鑑賞するのも佳かろう。 >>488
若い頃トリスを愛飲していた北杜夫氏に「ウイスキーはもう少し上等なのを呑んだ方が……」
と勧めたのが宮脇氏だった。 リニア実験線の展望台からガイドウエイの直下をくぐり見学センターに行く通路
もすごかった(圧力で耳がツーンとした)が、いまは対策されてすんなり通れる。 >>490
トリス嫌いの宮脇が画伯にマンボウの本の装丁を依頼するほど
画伯の実力があったということだろう。
絵描きには相当コンプレックスがあったんでないか。
JR東海初代社長須田氏を何かにつけいじり倒していた
のも自分がなれなかった国鉄営業のスーパースターへの劣等感とともに
厳父が高名な洋画家須田国太郎画伯であることもあったんだろう。 >>491
相模川鉄橋にて
モタさん「ウム、N700とやらなかなかいい走りよのう。あとは島さんの零系のように
重厚感のあるしっかりした造りをお願いしたいな。僕はコンコルドも戦闘機も乗ったしあとは
リニアモーターカーだけでリニアに乗って死にたいな(笑)」
俊三さん「なるほど。私は、少し思い上がってるぞ、という感じなんですが。
しかしながら、乗ってみれば、それほどもないですな」 柿右衛門とか早岐とか出て来て、特にユーチューバーにはシンドイかもしれないが
時間を置いて読み返すとおもむろに面白くなってくると思う https://www.youtube.com/watch?v=z-mnWhtqeV0&pbjreload=101
スーツより怖い(視聴注意)
まるでスぺクタクルホラー映画のオープニングテーマ曲みたい 正月休みで宮脇先生の著書をあれこれ読み返していて、ひとつ気づいたことがある。
風景描写等のセンスは溢れているのに、命名のセンスはあんまり……だな。
松山行き特急「坊っちゃん」とか特に。 漱石は過大評価されている。
俊三は過小評価されている。 >>498
お気に入りの「いなば」は過去にも使われていたものでもあるしなあ。
>>500
「ほたて」はなかなかのセンス。
宮古-青森というのも今では浮かびにくい区間。
急行「とうや」は上野発の常磐函館山線経由の札幌行きの座席車。よく想定したと思う。 >>504
それが一番謎だった。高松と虹にどんな関係が?と。
今もってわからんままだ。 宮脇の時代は、現代と全く違い、汽車に自由に乗れて恵まれた時代だったな
俊三 俊三――ッ アンタの時代はよかった
鉄ヲタが ピカピカの 乗り鉄でいられた >>506
>>507
いやいや。
あの橋をそう呼んでいる人いるか?
やはりネーミングセンスだけは解せんねぇ…。 >>502
とうや はよく考えたら山線経由だから
洞爺は通らないんだよな。
誤乗されそうだな。 カタカナ表記の「サッポロ」はビールを連想させる。ビール飲めないけど。 宮脇はリアルではピュアな満点パパで従って虹が好きなんだと思う
虹は確かキハが虹を追うスト―リィで作品にも登場している。
そういうメルヘンなところが買われて
少年少女のための向けスイス鉄道絵本の執筆も
依頼されたのだろう >>511
洞爺には行かない急行「とうや」ってクレームが来そうだな。蔵王山に行けない蔵王駅のように。
(注) この列車は洞爺、東室蘭、苫小牧方面には参りません ヤマケイ文庫で「夢の山岳列車」が発売。
バス旅行に続きまた復刊。
この調子で海外紀行も復刊してほしい。
ブックオフでたまに見かけても汚くて買いたくない。 >>498
>>500 他
「線路のない時刻表」大好きだから話題になってて嬉しいわ
2万キロや最長片道に比べれば地味な作品のせいなんだろうが 中国火車旅行は復刊厳しいんじゃないの
これは遥か昔の緑皮車時代にポラロイドでマウントを取ったお話しで、
日本より遥かに列車が速く遥かにIT・ICTが猛烈な現代中国が嫌でも
あからさまになる現代では、現代人には判ってもらえないと思う >>518
国鉄時代の時刻表2万キロは復刊したし、別に気にする必要はないかと。 宿毛まで行く特急がずいぶん減っているのに気付く。今や下り1本、上り2本しかなく、岡山まで行くのは大分前になくなったという。
宿毛まで、高知からでも2時間以上、岡山からのがまだあったとしても5時間近くかかったに違いない。
宿毛に行くひとはそもそも少ないだろうが、その中でも岡山まで新幹線を使うのはもっと少ないのだろう。殆どは高知まで飛行機利用と考えて一向に差し支えないような状況なのだろう。 >>517
『線路のない時刻表』は他の作品と異なってドキュメンタリー色強い異色の作品ですよね。学生時代、授業で青函と英仏トンネルの比較てテーマ取り上げたとき、だいぶ参考にさせてもらいました。 8年前のGWに高知に泊まって宿毛まで特急に乗った
駅は街はずれで何もなかったな
JR四国も経営厳しいみたいだが頑張って欲しい https://tetsudo-ch.com/11062526.html
<2021年春に開業! 横浜 貨物線跡の上空に“新たな鉄道” 泉陽興業がつくる国内初 世界最新 都市型循環式ロープウェイ>
宮脇「これは運輸省鉄道監督局監修の民鉄要覧によりますれば鉄道に該当するが・・・乗りに行きます?」
名取君「黙々と汽車に乗るだけの人だと思っていましたが」 ロープウェイといえば、「殺意の風景」の、廃駅に住んでいる人相の悪い男が怖い。 ついさっき放送された「遠くへ行きたい」で、三朝温泉にあった「鳥取県内最後のストリップ小屋」
を紹介してた。来週は徳島のかずら橋が登場するぞ。 >>525
確か涙の海亀ではじまったような
それと全く関係ないけど須田国太郎画伯の「海亀」を思い出した
海亀の優しさや悲しさ等すべて描き切っているように感じた。 山岳は、女性が同行する唯一の作品だからコレクターアイテムになるんだろう
いや、まてよ、サハリンやヨーロッパ鉄道紀行もかな。おーっと,中国火車もそうだな >>535
涙の海亀と書かれると、桑田か何かの歌みたいだw _,_,_,_,_,_,_,_,_,_
/(((///ノ/ンヽ,, _______________________
f ミ"""'''''''"""ヘ ニヽ /
ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ| | 「【夢の山岳鉄道】のどこがイメージ悪いのですか?」
ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_ ;ミミ| | とのご質問だが、この作品の本質は、宮脇クンの
f|.-=・=H-=・=~iー6)リ < 十八番、モータリゼーション批判に過ぎない。
'ヒ______.ハ、_____ノ !!| | 山岳を車が走るのはダメだが、鉄道ならいいなんて、
f' __,-ムー、_ ` ノ | そんな主張をしたら、鉄道ファンのイメージが
ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人 | 悪くなるのは当然で、宮脇クンの罪は大きいと
\,____,// /~丶_ \ 苦言を呈しておく。
人,_____/ / \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/|_/又 \ / | お言葉ですが、サボ窃盗とモータリゼーション批判ではどちらが罪が重いですかな。 >>537
「日本探見二泊三日」の五島の回でも、児玉クンが一緒だったような。 リアルではあれだけリア充な宮脇先生がリア充に欠かせないクルマが大嫌いなのは、少し解せない。
こんな自分ですら大型バイク免許と準中型免許は持ってる。勿論マイカーはない。 山岳の単行本版の惹句
鉄建私団ってw
>日本の山岳景勝地に次々と鉄道が敷かれる。
>仕掛人は鉄建私団宮脇組。
>現地踏査に基づく鉄道愛好家究極の本。 確か知り合いの警察官だかに相談して京大停学は無しにしてくれたんだっけ?
今なら「エリート乗り鉄また脱線」とかでワイドショーのネタになるだろうが
昔はのんびりしていましたな >>489
○○ファクで柿右衛門展示されてたが湯吞みが二万円近くと驚異的な安値だった。
迷ったなあ(爆笑)。
川越の陶器店で 柿右衛門を見分ける講義を聞いたがもちろん丸で消化できず、
エゾ松とトド松を見分けるよりも、難しいようだな 旅装を解いたら必ず飲み屋に行く無類の呑み助の宮脇は
一発で新型コロナにかかり(または感染させ)そうだな
自責心が強そうだから断筆宣言してたかもしれない。
新型コロナもVVVFもない酒飲み放題旧型客車乗り放題の
佳き時代に作家人生が過ごせてよい人生だったな >>543
日本にマイカーが普及した頃はもう50近かっただろ >>552
地位とか考えると、昭和30年代から車を持っててもおかしくなさそう。北杜夫氏のコンテッサで愚連隊に囲まれたのもその頃ではないか。 >>553
常務取締役でも私事ではビジネスホテルを愛用する人だから なんかあるんだろ、クルマ運転しない理由。鉄ヲタだからと言う理由で片付けるのは少し荒っぽいだろう。
司馬遼太郎もクルマ全然運転しなかったが理由は
戦車兵時代にパワハラに遭ってトラウマで戦車(クルマ)を運転することが出来なくなったかららしい。 >>558
家の車は奥さんが運転していると書いてあったな。ご本人は免許の書き換えをしないでいるうちに失効したとか。
軽井沢の別荘に行くときとかは車で行っていたのだろうか。 いい意味で凡人ではないから、理由も何か深いものがあるのかと勘繰りたくはなる。 50過ぎてから書いた文章に「運転はしない」と書いてあるだけで
若い頃から運転しなかったとはどこにも書いてないからな 【グラサンかけて50年代の映画やテレヴイドラマに出てきそうなゴイスーなクルマを運転・隣にはハリウッド女優級の・・・】
という、宮脇ヲタをショックで鉄道病院に入院させる写真が発掘されたたりしてな(笑) >>562
30歳頃の写真(ノー眼鏡)はかなりャCケてるからな >>563
ゴジラやウルトラマンに出てる平田昭彦という俳優に似てると思った
あっちも東大卒 「シベリア鉄道9400キロ」では自宅から横浜港まで車で行ったと
書いてあるけど、誰が運転とかははっきり書いてない
読んだ時は曖昧な書き方だなとちょっと気になったのを覚えてる >>566
奥さんの運転する車じゃなかった?
>>565
ググってみた。
言いたいことよくわかる。
髪型と黒縁眼鏡と鼻の形じゃない? 一般の人のブログか何かだったと思うけど、アパート化してからの宮脇邸を見に行ったらガレージに高級車がずらりで(翁の印象変わった)みたいな記述を読んだ気がする
本人は知らんけど奥さんや娘さんはクルマ好きなんじゃね?w >>567
自分で書いておきながら出典は不明。
ヒルさんが何か言及していた気もする。
久々に2008年の「小説新潮」の「宮脇俊三と旅する」を読む。未発表の「夜の人」がいい。 この前、会社の女の子と喋っていたら、東京から親戚の住んでいる旧羽須美村の口羽に行かないといけないという話になった。
興味を持っていろいろ話したけど、「小頓別なんて知ってる女の子がいたら気味が悪いじゃないですか」を思い出した。
三江線なき今、広島から三次に出て備北交通に乗るか、大田市行きの高速バスに乗って田所で町営バスに乗りかえるかのどちらかしかないようだ。
東京から中国道・三次を経由して広島に行く夜行バスは既になく、広島空港から三次に行くリムジンバスも去年廃止されていた。 婿投げ弁当 600円
昨今の情勢により今年は関係者のみで開催らしい
せっかく雪たくさん降ったのに 駅弁の名前も考えていたんだっけ。
ダイヤを作り、優等列車の愛称を考えなどやっていたら、それは本文より手間がかかるか。 新人時代の慎太郎と並んでいる写真、恰好いいね。太宰を渋くしたような感じか
慎太郎も傲慢爺になる前で、なかなか格好よろし あの経歴と名門出版社記者の肩書きに加えてあのルックスだからな
そらそっちの方も、とはなるわな >>565
お隣の北杜夫氏は若い頃、池部良に似てると言われてたそうだな。
画像検索してみて、なるほどと思った。 2000年ごろの「旅」で、北・宮脇・阿川と並んで写っている写真があった。両隣はそもそも背が高いし姿勢もよかったけど、宮脇氏は小柄な上に背中も曲がっていて… https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1611369291/l50
鉄道】ムーンライトながら運転終了へ、「大垣夜行」から長い歴史★3 [生玉子★]
宮脇先生は東海道本線に乗り鉄されるときはもちろんブルトレ個室寝台だった。
豪華な汽車ブルトレがなくなった(味気ない電車寝台はある)今、
唯一残る汽車にして俺たちの友の大垣夜行がなくなる 「ムーンライト」系は18きっぷの使える期間は敬遠していた。「ながら」は話のタネに一回か二回乗っただけ。「高知」のグリーン車は快適だったが「山陽」の昔ながらの14系簡リクには閉口した。 「踊る阿呆に見る阿呆」、阿呆呼ばわりしてみても、ほんとうの阿呆とは自他ともども思っていないし、実事のお役に立たぬ世間の賑わいが阿呆とあらば、芸能芸術すべては阿呆のなせる業であろう。
阿川弘之 「線路のない時刻表 全線開通版」を図書館で借りた。
「線路のない時刻表」は持っているので、新しいのはわずかだったけど、巻末の年表は貴重な資料。 青函トンネルの開通後、北海道へは往復とも飛行機が多くなったと書かれてたのは、
無理ないんだろうけど少し寂しかった。 >>599
その少し前から、北海道の運行体制が本州への連絡から
札幌〜(新)千歳空港間中心に変わってきていたもんねえ
函館〜札幌間は北斗ばかりになって、おおとりがなくなり
おおぞらは函館まで行かなくなった
だから今となっては、青函トンネルができた後の20年余り
JRが北斗星・カシオペアやトワイライトの運行を続けて
くれたことを、単純に感謝したいと思う
自分自身は函館行き日本海にしか乗る機会がなかったが 先日亡くなられた半藤一利氏は、宮脇氏とは接点はあっただろうか。 >>601
聞いたことないなぁ。
向こうは文藝春秋だったから、仕事で深い付き合いがあったとも思えないし。 >>602
「昭和史」だったか、黙れ事件の際に宮脇俊三氏の父として長吉氏を紹介していたはず。 >>600
東京から西に向かうブルートレインには憧れたが
北斗星やカシオペアは交通機関というより旅行商品という感じであまりファン心をそそられなかったな 『プレジデント1995年2月号』で、
(鼎談)宮脇俊三・諸井薫・半藤一利「貴乃花が「名横綱」になる条件」
というのがある。単行本には、多分未収録 >>604
カシオペアはともかく北斗星は
結構交通機関として機能してたな。
東北地方と北海道の往来にも便利だった。 >>606
東北と北海道を行き来する人の絶対数って
近畿と九州とかに比べても圧倒的に少ないと思う
東北人はみな関東に向かうし
道民も東北を飛び越して関東に向かうからな >>607
近畿九州に比べれば確かに少ないが、
北斗星の数本分くらいの需要は
あったということで。 宮脇新刊発売決定
monokoto.jugem.jp/?eid=8095#gsc.tab=0 河出文庫の宮脇俊三の本は、添付された地図の印刷が粗雑で
書体や余白のサイズも、他社の既刊の文庫本と比べて、ちょっと読みづらい。 >>613
あの地図は経費を少しでも下げるために、著者自らが描いたそうだが、そういう点ではなくて?
ただ、確かに、新潮文庫に比べて何となく読みづらいというのはある気がする。 諸井も、おもろいオッサンだったな。「格闘技を学べ、名前は毛筆で書け、漢籍の素養を身につけろ。それが男の生き方」だと梶原一騎しながら
宮脇の後輩として女性誌リニューアルに成功した。 まあ梶原したとこは、当時はそういうのが受けたからそうしただけだろう。
相撲も今のGHQ占領状態と違って若者に人気があった最後の時代だったから宮脇との対談に参戦しただけだろうと思う。 >>606
ベイスターズの牛島監督(当時)が飛行機嫌いで、
交流戦の仙台から札幌までの移動に北斗星を使ったという逸話があったな。
他の選手やコーチは飛行機で札幌入りしたけど。 お種サンの竹ノ塚の事務所先月撤去されたそうね
北川クンがブログに書いていらっしゃった >>614
著者が自ら手作業で作成した地図なので見づらい、という意味ではなく
新潮文庫版や角川文庫版に掲載されていた地図と同じものを掲載しているのに
河出文庫の方は字がつぶれたりトーンがかすれたりしていて、質の悪いコピーのようになっているので、見づらい
という趣旨です。 >>604
当時は旅行・観光のために仕事をする観光主義時代だったから
北斗星があれだけ人気だったのだろう。
宮脇は、その時代形成に貢献をしたと思う 青函トンネルか瀬戸大橋開業の特番に出演していて時刻表も紹介されていた記憶がある。
ビデオに録画したはずだが、そんなに見なかったし今はどこいったか。
あっても見られないかもしれない。 宮脇は葬式鉄ではないが軽い誕生鉄の気がある。
金歯を剥き出しにして新線開業を喜ぶ地元のばあさんらと一緒に喜ぶ明るさもある。 1980年代ごろまでは「誕生鉄」の出番もたくさんあったな。特に第三セクターの再出発を含めると。
今や、新幹線を除くと都市近郊が殆どだし、新幹線の誕生は並行在来線の廃止とタイアップだから喜んでばかりもいられない。 完乗鉄のほとんどは誕生鉄に移行するでしょ。
タイトル保持のために。
宮脇さんもそれで気仙沼線に乗ったんじゃない? >>624
たしかNHKの番組の、瀬戸大橋をバックにした現地からの中継で、
リポーターの質問にボソボソっと答えていたのを見たことがある 音威子府駅そば常盤軒廃業
ご主人逝去
一昨年体調崩されて一度復活して食べに行ったのが最後になったか
かなり行列ができていたが
列車で来たのは自分含む3、4人で
ほぼクルマだったな
道の駅行けばいいのにと思った
合掌 宮脇先生は上流階級だから我々と違い駅そばには思い入れは何もなかっただろうが
チップスやハンバーガーの如きアメリカン・フードなぞよりは愛着を持っていたか? >>635
米原や塩尻、音威子府の駅そばには愛着を持っていた。
一昔前は、何でこんな小さな駅に、と思うようなところにも駅そばがあったけども、今は大きな駅ですら殆ど見ない。今時、鉄ヲタでも高齢貧乏な連中しか見向きもしないのだろうか。
もっとも、種の本に、最近の高校生はハンバーガーばかりでそばなんて誰も食べないから駅そばが潰れた云々の記載があった。駅そばに見向きもしなかったそのころのナウなヤング諸君が、今の高齢組というのも面白い。 >>635
読んでないのが丸分かりだな
駅そばは何度も作中に出てくるじゃないか >>636
今時の若者は日本スゲーで和食回帰してるけどな >>635
1990年5月
日本テレビぶらり日本名作の旅で
当時ホームにあった常盤軒に入り
そばを食べるというシーンがあったが
OAではカットされた >>640
UターンというよりJターン?
若者は中華そば等のアジア食に行列を作ってるような 何をもって和食とするかで変わるだろ。
もはやラーメンやカレーは日本食といってもいいものになっているが、だからといって和食ではないだろう。そばやうどんを和食というかといえば違和感が残る。
「若者の和食回帰」と言えるほどのものはないと思う。 主食は米飯=和食 と定義している
和食というより東アジア食かもしれない 韃靼そばやフォーもあるから
そばうどんも日本由来のものとは言えない
では和食とは何ぞや? 主食が米飯のものを和食と称するなら、生姜焼き定食からカレーライスまで和食になってしまう。そうすると、うどんすきは和食にならないのか?
和食と日本食はイコールではないし、和食とは一体何? てめえの和食観はいいから、このスレではスーツと種村を語れよ >>648
正統な大和民族なんてどこにもいないんだよネトウヨ >関東大震災の少し後になるが,
>東京─下関間の洋食堂車(東京早朝出発,下関に翌早朝着)と和食堂車(東京夜間出発,下関に翌日夜間着)
>を請け負っていた「みかど」の和食堂車,洋食堂車それぞれの売上皿数ベストファイブを挙げてみた。(飲み物を除く)
>洋食堂車では,1位から順に,ビーフステーキ(55銭),チキンカツレツ(50銭),ロースチキン(50銭),ハムサラダ(45銭),ローストビーフ(40銭)である。
>和食堂車では,チキンカツレツ,ビーフステーキ,ビーツカツレツ(40銭),カレーライス(30銭),ハムサラダである。
>なんのことはない,和食堂車,洋食堂車どちらでも「ビーフステーキ」と「チキンカツレツ」と「ハムサラダ」という3品が共通である。
https://asia-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=16693&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1 時刻表12カ月では2月が一番いいね。
寝台特急出雲の食堂車、温泉旅館の松葉ガニ。
そして当時未乗の824列車に想いを馳せて鳴門わかめで締める。
宮脇作品を知らない人に「何か入門編でいいのない?」と聞かれたら必ずこれを勧めている。 >>652の洋食堂車がいかにも似合うのは阿呆列車の内田百閧セが、
百閧ヘアリゾナキッチンをこよなく愛したくらいだからまずは洋食派のはずで
弟子の阿川弘之も海軍出身だから洋食派だろう。
宮脇先生は和食派だろう・・・少なくともアメリカ食は大嫌いなようだ 時刻表2万キロの最後は、完乗はおろかな行為と書いているが。 阿房と云ふのは、人の思はくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。 >>654
阿川弘之が内田百閧フ弟子だったなんて初耳だぞ。海軍出身といっても学徒動員だし、フランス料理のコースを食べていたのはごく一部の上層部だろ。うろこをロクに取らない魚の汁が出て、台湾名物うろこ汁とか称していたくらいだから、海軍出身が直ちに洋食派に結びつくとは限らないと思う。
宮脇氏は手の込んだ料理が好きでないと灯子さんが書いていた。煮込み料理とかよりは刺身やステーキとかが好きだったらしい。野菜はあまりお好きではなかったようだ。 阿川大尉、市ヶ谷デ買ッタ「元祖海軍カレー」ハ美味デアリマシタ。 >>658
> 海軍出身といっても学徒動員だし
昭和17年9月兵科予備学生として入隊、1943年8月海軍少尉任官軍令部勤務だよ
学徒動員が決まったのは1943年10月1日 >>653
ミヤワキスト歴35年超だが
時刻表12ヵ月は数年前初めて古本屋で見つけて読んだ
既読の宮脇文学と明らかに違うスタンスで新鮮だった
良い意味で「種村的スタンスで書かれた宮脇作品」だと思った
多くの鉄ヲタが望む「清廉潔白な宮脇像w」を裏切るのが痛快 >>635
三次駅前でハンバーガー 食欲が旅情を上回る。 チェコの文豪・カレルチャペックの「園芸家12ヶ月」からインスピレーションを得たようだよな
阿川の「やえもん」もイギリスの 鉄道ファン牧師作「トーマス」に誘発(少なくとも岩波の編集者が)されたんでないか。 表現がいろいろになっているが、「12『カ』月」な。「ケ」や「ヶ」ではなく。 東海道新幹線の倉見駅を想定した時刻表を本に載せたのは宮脇さんでしょうか?
もしそうでしたら、本の名前を教えていただけると助かります。 >>672
種村さんでしたか。ありがとうございます。そして失礼しました。 >>671
時刻表ひとり旅(講談社現代新書)昭和56年
まあ種村氏や川島氏も同じ事考えて書いてるだろうとは思う >>674
宮脇さんも書いていたのですか。
ありがとうございます。
どっちを見たのだろうか。見たのは一度だからたぶんどっちかなのだろうけど。
両方当たれるものなら当たってみて、自分が見たものはどちらか思い出したいと思います。 湘南台から慶大経由でLRTを引く構想もあるようだが
本尊のリニアが工事中止になっているから
FUJIスーパーそばに作るその新駅もこのLRTも全く見込みがない >>635
米原・塩尻など、概して街の規模に比して駅の構えの大きいところは立ち食いそばが似合うと書いておられる こんなに駅そばマニアが多いのに、ヨーロッパ鉄道紀行ではニースの朝食に矢鱈感動して
「パンはおいしいし生ハムやチーズは日本の比ではない」と気取るわ(奥様のお供のせいもあるか)、
最長片道切符の旅では音威子府に23分も滞在してるのに駅そばを食さないわ、
西洋万能だった当時では致し方ないとはいえ、現代の視点からするとすこし迂闊だったな。
名誉のためつけくわえれば、最長片道では音威子府の駅そばはスル―したが
最長片道経路のそば乗り(美幸線乗り)はして、美幸で手打ちそばは食してる 駅そばマニアなんて30年も40年も前にいたかねぇ。味にバリエーションなんて殆どなかったし、手っ取り早く空腹を満たすだけのものだったろ。
美深でソバ食って、更に音威子府でもというのはいくらなんでも酷だろう。 そんなにそば好きなら、678は「そばづくし汽車の旅」でも読んどけ その頃は宗谷上りのホーム上にあって、おばさんが供していたし
特段に美味しいというほどのものでも無かった。
美深のどの店かは知らないけど、そちらの方が美味しかったのでは。
この時期にこういう事を書くのは、申し訳ない気がしますけど。
本日 世界の車窓からは ナルビク編でーす 議員が国鉄に特急の停車駅させようとする良くない時代があった。 「途中下車の旅」で、「ソバは大好きだが、それだけのために出かけるほどではない」と書いていたな。 昔はホームにそばなんていくらでもあったが、今は本当に少なくなったのう。
今の人が食べる量は昔の人の半分もないのではないか?
特に若い人は一日1000キロカロリーかそこらで終戦直後よりカロリー摂取量が少ないという。
大丈夫か? 北海道最大の駅札幌ですら、ホーム上は駅そばどころか
売店すら消滅したからなぁ ホーム毎の売店や自販機は無駄
改札階に集約している今のスタイルが北欧流 我慢比べのようなものは感心しない
ただ、そんなにボロクソに言うほどのものかという気はする。「そばショでーす」とか、いい匂いだったと思えばマイルドセブンでしたとかはどうでもいいが。
長万部のもりそば弁当をおばさんの写真付きでこきおろすのは品がないと思うが、それを言い出せば全てがそうなるか… >>687
確か昔のRJに名古屋で味噌煮込みうどんを食べて中央西線10系寝台車にもぐりこみ
ペラ紙コップで何杯も冷水を飲んだとか書いてた >>620
角川の2万キロも地図などの活字がかすれてる。しょうがないのでは。
ヤマケイ文庫の地図が出来が良すぎるのサ。
自分はもう目が悪くなって久しいので紙の本は棟方先生が創作なさる感じで読んでいて
あまり活字のシャープさは気にならない。
ただし、既出だが40ページの地図で横浜線が完乗となっているのは訂正すべきだろう。
まだ、武陽堂発行200万分の1の日本白地図の横浜線を赤のマジック・ペンで塗りつぶしてない。
各線区・地域別・都道府県別・キロ数の多い順・の各未乗線区一覧表の該当欄を
或いは書き換え或いは消しゴムの滓とともに消す作業もしてない。
ましてや子持罫を書き蒙御免と書く「至高の快楽」をなさってない(まあこれはどうでもいいが)。 『そばづくし汽車の旅』 (徳間書店・1991年)
タイトルから、全国のうまいそばを選んで食べ歩く汽車旅のルポを想像させるが、そうではなく、駅の立ち食いそばでも何でもよいから、旅行中はそばしか食べない、という、乗り継ぎルポ。
旅程をそばに合わせてあるのではないので、ごはんどきになったら駅の立ち食いでも飲み屋のそばでも、そばでありさえすれば胃におさめてしまう。ゆえに、「旅なれたレイルウェイ・ライターが紹介する全国各地のうまいそばづくし」などというものを期待したら泣きを見る。(でも普通、期待すると思うが・・・)
ありていに言えば、「乗り継ぎ」が最優先で、そばの質は二の次、三の次という感じである。よって、うまいそばのガイドブックとしては明らかに中途半端になってしまっている。実情は、乗り継ぎの題材が尽きてきたT村先生が、「そば」をダシに無理やりルートを作って乗り継ぎ旅を実践、それを本にしただけのことなのではないか。
世の中には、もっとうまいそばが、山ほどあるのに・・・。これだけ旅費と時間を使って、この程度の「そばづくし」しか出来ないのであれば、企画自体が間違いだったような気がする。 ミツモ某だったか、そばを何本も口から垂らしている写真が掲載されていたと思うが、はっきり言って見るに耐えなかった。 そばうどんもそうだがラーメンや定食などのうまい店は、乗り鉄は所詮鉄バカ一代だから
まるでかぎつける能力がないと思う。
じゃどうするかというとタクシーやトラックが止まっている店を狙うのがいいだろう
いつも10トンダンプが窮屈そうに路駐してるラーメン屋にいってみたが
バカうまでまいったよ。 新潮文庫のヨーロッパ鉄道紀行119頁の地図にも間違いがあるよな。
ブッソレーノじゃなくバルドネッキアだよ。
こういうのはすぐ訂正しなければな。 24 :名無しでGO!:01/11/03 20:00 ID:gaV4YzjH
ミツモは、<そばづくし汽車の旅>の同行者です。
(1993年7月31日第3刷 徳間書店)
P.S. 僕はミツモではありません。 ガイドブックにあるのは若い女性向けのが多くて、タクシーの運ちゃんが勧めるのは安くてうまいが落ち着きに欠ける店が多いんだっけ。 >>694
加計駅も廃止されてしまったな。
森駅もいつまでもつか分からんし。 >>685
キヨスクは知らんけど、駅弁&立ち食いそばのスタンドは複数ホームに健在では? 可愛そうな横浜線の名誉のため沿線のうまい店を二店、挙げてみようか。
駅からは歩くが、音威子府の駅そばのように、旧型客車やキハ20が似合いそうな店
壱、八王子駅10分、うどんふたばや
甲州と縁が深い八王子うどんだけあり、吉田うどんの影響を受けた?どっしりとした麺。
壱、矢部駅15分、とんかつ赤城
乗り鉄には少しボリューミー過ぎか?隣のハーレー乗りは大盛を完食するが、見栄を張らずに少量頼むといいだろう 関東で、京都の淡白なうどんを食わせてくれる店はないものか。なか卯じゃないよ。 そういうあんたは一度でも京都の淡白なうどんとやらを食ったことがあるのかい?
関西風白だしのうどん屋は東京にいくつもあるが
それらと京都のうどんとの違いがわかるのかい? >>706
何を興奮しとるんか知らんが京都に行きゃいくらでも食えるようなもんをそんなご大層に言わんでも どのスレにも同じ傾向が見られるけど
生産性ゼロのマウント老害の揚げ足取りに辟易 ほんと森元同様に不要 アニメの「サザエさん」で、去年の暮れに「父さんからの年賀状」という作品があったのを、今頃になって知った。
もしかしたら……と思って調べてみたけど、宮脇氏の随筆と重なる内容ではなかった。 >>707
宮脇氏の文面だけで勝手に「京都の熱い淡白なうどん」のイメージ膨らませてる感じがしたからさ
多分京都というより西日本ならどこでも食えるようなうどんに過ぎないのに >>710
京都バーのママが案内してくれたんだから、その辺のうどんよりはだいぶ上等だったのではないかな。
とは言うものの、俺も京都でうどんを食べたことはない。
「せっかく京都に来たのだから」と、ついつい無駄遣いしてしまうからな。 >>710
705だが、こちとら、京都近傍在住たったもんで、文面だけでイメージ膨らませてるわけではないよ。
「京都というより西日本ならどこでも食える」、京都と大阪でさえ結構ちがうと思うんだけどなぁ。かすうどんは京都の街中では見かけなかった。東京に出てきて、河内のうどんが進出してきて、初めてその存在を知ったくらい。 >>710
大阪うどんと京うどんの区別もつかんで噛み付いとったとは呆れますわ。
去んどくれやす。 まち夫人はお元気でしょうか
元夫人は7年前にお亡くなりのようで そうかぁ、18年か。
世界も変わる。
三途の川に鉄道敷いたの誰だ!、乗りに行っちまっただねぇか、という書き込みがあったが、そのころの2chはウィットに富んでいたと思うのはこちらが年をとった証拠か。 限りある命なのに待ち遠しいことが多い。まるで死に急いでいるかのようだ。
鼻の先にニンジンをぶら下げられたロバたちの死の大行進だ
私の鼻先には東京−大阪一時間のリニアがぶら下げられて、発情してしまう。
こういうのは50歳以上の男の子には聞かせてはならぬ。18禁ばかりが能ではない。 終着駅は始発駅「都会のなかのローカル線」 もの書きは同じ内容のことを二度書いてはならない
汽車との散歩の「五〇歳以上お断り」と「待つ身」は同じ内容 「終着駅は始発駅」はたぶん新潮社の編集氏が歌のタイトルを拝借したんだろうが
サブちゃんの了解を得たのかな 不急不要?不要不急が正しいんジャマイカンブレンドコーヒー >>730
そういうのはどこまで許可が要るんだろう。
「終着駅は始発駅」くらいなら、格言みたいなものと言えなくもない。これは誰それさんの著作にあるフレーズだとか言い出すとキリがないようにも思える。 >>734
「風立ちぬ」でスタジオジブリが松田聖子や松本隆
さらにその元ネタである堀辰雄の親族の許可を取ったのかって話だからなw >>736
確かに。
同じタイトルの曲なんていろいろあるからな。
古い話で恐縮だが、「北ウイング」だって、中森明菜と寺尾聰にそれぞれある。
一般名詞や地名とかをタイトルにすることもあるから、いちいち考えてられないな。 宮脇作品で知ったもの。
仁堀航路、運転停車、アウフヘーベン…
他にも忘れてるだけでいろいろあるはず。 >>743
尾久問題とか ひなびた山陰本線とか 日本の国菜と国果とか
「最長片道」だけでもキリがないな。 俺は北杜夫から入っていったから、宮脇作品で初めて知ったもののひとつが種村直樹だった。 どの作品だったかは忘れたけど
華厳の滝を見て「ナイアガラの滝に比べれば大したことない」と大声で威張ってた男のことを
可哀想な人間だと書いてた文章。
中学時代に読んで、そういう大人にならぬように気をつけようと思った。 高き住居は児孫の和楽/
想(おも)へ惨禍の大津浪/
此処(ここ)より下に家を建てるな
「ローカルバスの終点へ」でこの文章に出逢ったときは衝撃だったが
この教えを守った集落が10年前に救われたのはほんとうに良かった。 三陸方面は氏にもとって縁があるところですね。
陸中鵜の巣断崖、気仙沼線開通の日、花輪線でタクシーで急行追いかけて思わぬ出費ながら陸中の路線に乗車…とか。 「いよいよ悲願八十年の志津川に着く」
この日がくると思い出す。 花とテロのパリでひったくり集団を退散させたり、戦闘力は意外にある
もっとも親友の斎藤氏はブラジルでひったくりの歯を正拳で粉砕して撃退してて
この大東亜戦争世代は流石にいざとなると強いな >>747
平安時代から明治の初めまで日本のこどもたちは
「山高きが故に貴からず」と学んできたんだがな
>>754
少し下の世代の種村なんて見境なくどこでも怒鳴りつける 余部はずいぶん変わったが、キハ40がしかも国鉄色で走ってるんだ タモリ倶楽部で海外の鉄道をオンラインで紹介してたけど、インドネシアにはフロントガラスに
投石対策で金網をはった車両があった。
フィリピンだけじゃないんだなあ。 アウフヘーベンは尾久問題で出てきたのか。
すっかり忘れていた。
久しぶりに読み直すかな。 >>749
バトントワリングのJKが・・・・orz 本場マフィアがたむろってるような危機一髪の状況で平然とビール飲もうとする先生を
一回り下の○野氏が止めて「もう帰りましょうよ」というパターンだな、ヨーロッパ鉄道紀行。
ただ南イタリアの鉄道は頗る素晴らしいようで
「山陰本線を時速140キロで走ったなら、こんな感じになるのかな」とのこと。 先生とヤスケンと接点はあったの?
国鉄全線完乗の宴会でこんなワルが先生の肩を組んで「線路は続くよ」を歌ったとしたら、
先生を汚すようで、嫌だな 隣人の北杜夫氏は、株でスッテンテンになったとき、自筆の原稿を古本屋に売って奥様と編集者に蔑まれていた。
世に出るや原稿を片っ端から燃やしていたのは阿川弘之氏だったか。 特急料金を節約するために今度の出張は鈍行で参ります >>770
仙台から上野へは、鈍行で乗り通したことがある。
それほど疲れた印象は無かったな。 上野発5時55分仙台着14時02分の旧客221レなら、疲れないよな
これは昭和55年の時刻表からだけど、山陰本線・福知山線など長距離雑型客車鈍行
がたっぷりで、楽しすぎる。 宮脇氏の愛読者は雑型客車などとは言わないのではないか。 国鉄時代は客車列車で通学する女子高校生とか普通にいたんだよな 子どものころ、JR発足直前の1986年に大阪駅で
旧型客車を使用した山陰方面ゆき普通列車が発着しているのを見て
とても驚いた。 >>770
仙台から上野なら特急で乗り通したことがある。
3日間乗り放題のフリーきっぷで。 651系の「スーパーひたち」で仙台から上野まで乗ったことがある。確か4時間半くらい。座席がいいから大して疲れなかったけど、昔の485系の狭い座席で4時間かけて行くのは考えただけでしんどい。
昔の人は、「はつかり」や「いなほ」、「白鳥」とか、よくあんな狭い座席で何時間も乗っていられたと思う。それしか手段がなかったからと言われればそれまでだが。 自分は上野から盛岡まで485系やまびこを乗り通したけれどかまるで疲れなかったな。厨房のせいもあるだろう。
しかし、返しは盛岡から大宮まで立ちんぼでしかも途中で日が暮れ、しかも
国鉄労組工夫連中が超手抜きした線路のため、たった120km/hでモーレツに揺れる(爆笑)車内で
さすがに通路に座り込んで、大宮で降りるヤング・カップルに「どうぞ」と席を譲られるという不名誉を喫した 東京−仙台90分だったころに仙台まで行ったが…時間を沢山買ったので仙山線に乗りニッカウヰスキーそばのポイントで撮り鉄までやらかせた。
ニッカウヰスキーには流石に行かなかった(爆笑)が、酒をこよなく愛する先生は行ったことがあるか? なぜニッカウヰスキーに行かなかったことが「爆笑」なのだろう?? オーソン・ウエルズ 「(カラン…グビグビ)パーフェクション! ニッカ ウヰスキー」 >>783
サミー・デイビス・ジュニア 「サミーな・・・まあいいや。ウーーん、サントリー 」 先生は、酒が数少ないアキレス腱だったな
禁酒してたらまだ生きていて
静岡知事がいなけりゃ27年4月に中央リニアに乗れたかもしれない あくまで想像だが、酒も煙草もやらない、無駄排除一本槍だったとしたら、あんな味のある文章は書けただろうかとも思う。 タバコはやらないからわからないが、酒は人生には必要だと思う。 酒を呑まなかったらお金がたまってたでしょうな、というのが最近よくわかるようになった 下手したら年間何十万だもんな。
「人との付き合いに金を惜しむな。ケチケチして金を貯めるような奴は大成せん」、氏と同じように半分は当たっていると思う。 10代の頃酒も呑まずにあんなに元気だったことが信じられない 今は酒・タバコはオン・ライン・ゲーム・マニアックスなどに完全に変わったから
良い子はみんな酒タバコを完全に断ち乗り換えなければならないよな 新線ができた昭和の国鉄なら終着駅が新線始発駅になる。 >>799
「生まれて初めての酒を味わうのは舌ではなく上唇」というのは成る程と思った 陸軍将校が四五才の幼児に酒を飲ませた「事件」は、今だったらもう
ワイドショーの格好の餌食になるわ5チャンで20スレッド立ち上がるわで
この将校はクビじゃすまなかっただろうな。 今から100年近く前のことを、今の価値観で断罪してどうなるんだよw
今の40歳以上なら、ハタチになるまで一滴も酒を口にしたことありませんという方が少ないとまでは言わないけど、圧倒的な多数派でもないように思う。
高校の運動会や文化祭の打ち上げで酒飲んだなんて決して珍しくなかった。 >>805
こういうこと書く奴はリアルな社会を知らないヒキニートと相場が決まっている きのう放送されたNHKの「日本人のおなまえ!」で、砂鉄製鉄の話が出てたね。
斐伊川という名前は、製鉄にちなんだ「火の川」から来てたのか。 このホテルは多目的に利用されてるらしい、ってのが最初意味わからなかったな。中学生だったから
でも本当にそんな利用法あったのだろうか? きょうのブラタモリで、松を満載した軍艦みたいな見附島が出てきたね 90年〜93年辺りが一番働いてるイメージだな。
取材で本当に海外含めて出かけてるな。 「線路の果てに旅がある」「途中下車の味」みたいな
特に観光地でもなく大きな目的もなく出かける文章は面白いな。
宮脇関連だと最近だと蟹を食べにいった香住駅や餘部鉄橋に行った。
あそこは兵庫県だったのか。城崎温泉辺りから鳥取かと思い込んでた。 宮脇氏以外に好きな作家とかいる?
自分は柳田国男と講談社学術文庫の日本の歴史と興亡の世界史シリーズだな。
日本の歴史なら中公文庫のほうだろという突っ込みがありそうだが昔読んでる。
宮脇が好きだった内田百閧ヘ色々読んだけどなにも印象に残らない。 >>817
北杜夫氏の「どくとるマンボウ追想記」は、「時刻表昭和史」と併読すると面白い。 レイルウェイライターの文章はツッコミどころを楽しむもの 今はマンボウとは緊急事態宣言を何とかしなくて済ませたい苦肉の策と言うニュアンスになってしまったが
酒タバコ飲み放題だった「良き」時代は宮脇先生のマブダチの意味だったんだね 柳田の文章は現国の授業でやったな
遠野の盆踊りで歌う「なにヤとやーれ なにヤとなされのう」の意味は女の男への恋の歌だという
中央エリート官僚離れしたつやっぽい文と現国の先生がこのあたりを踏ん張って講義したことで
未だに覚えてる。 昨日、松阪のすき焼きがテレビに出ていた。
「あまりに値段が高いのでノドに詰まりそうであった」を思い出す、1人前19723円。
ただ調べたら、宮脇さんが行った店とは住所が違っていた。 プラットホームでの駅弁売りって何年あたりまであったの?
平成時代にはもうほぼ無かったよね?
上野駅でも見た記憶が無いんだが。 自分は昨日イオンのアジア料理を売るテナントでインドのチャーハン?かやく御飯?のようなものを
タイムサービスで300円で買って食べたがこれが途方もなく美味で次の日大便するのが残念無念なほどだった
宮脇先生とは便秘気味なところだけは似ているが。
それはともかくぼったくり松坂牛より満足度は高いとおもう。 飲み込むのがもったいないとはよく耳にするが、大便するのが残念というのは初めて聞いた >>826
立売の小南さん所用の為明日28日までお休みなので注意な >>830-832
現状を逃避してそんな呑気節を唸ってる場合じゃないだろ。
今は松坂牛を喰い酒・タバコに溺れ温泉にサブンしてる場合じゃない。
東海は2000億を追える赤字だぞ。国鉄よりさらにさらに酷い。
宮脇先生を墓場から引っ張り出してどうしたらいいか考えさせたいくらい。 そんなもんは経営陣が考えているし、現状が変わらなければ考えたところで焼け石に水
非常時ではパニック起こす素人が一番邪魔になるから黙っていることが何より大事 そう言えば、御大は中公時代給与の
3割を小遣いとしていたと言っていた
記事を読んだことがある。
額面か手取りか分からないが、
20〜30万円毎月貰っていたことになる。
その位資金がないと全線完乗は無理か。 >>835
やっぱり、持ち家で家賃やローンの支払いがないのが大きいよな。 この状態が数年つづいたら、国鉄時代の様に関西本線名古屋口や福知山線なぞは
べんがら色のディーゼル機関車牽引の荷物車連結長距離鈍行客車列車が一時間に一本という
時代に戻るか? 昭和五十二三年頃天王寺発紀勢本線経由名古屋行924レにまだまだ給水設備が残る亀山から乗ったが
牽引機はDF50ズルツアー重連だった。その気品・その豪快・そしてその音…未だこれを超える車両が無いことも当たり前だろう。
さあ!どんな酒もどんな牛肉もどんなカニも到底及ばない人生の至福をたっぷり味わおうと覚悟を固めたらなんと、
DF50重連は解放され代わりにDD51が牽引機関車として連結されたこれで人生においてDF50に牽引されるチャンスを永遠に失った。
といっても、こんな話をしてももちろん誰も共感してくれない。DD51旧客に乗れただけでも恐ろしい贅沢ものだと十字砲火を浴びるのみ。
まあそのころの亀山驛には撮り鉄は数人しかいなかったし今考えたらたしかに本当に贅沢だった
鉄道ファンが年を取ったらこうなる見本が
九州の急行であったな 「出発進行!」じいさんよりもこまめにメモ取ってたばあさんの方が印象深い 今は海芝浦くらいでも密集状態だからな。人は確かにブチ切れやすくなった。
まあ鶴見線末端区間はいい雰囲気ではあるが
これで、デフゴマル旧客が現れたらどんな嵐になるか想像もつかない
ロックバンド嵐のコンサートの百倍以上の熱気か。
宮脇翁も墓場から飛び出してくるだろうよ 墓場から出たらついでに下総に乗って完乗記録を更新するよな 鶴見線を評価したのは先生が最初だろう。
当時は日本史上唯一空前絶後の「遠くに行かなければ旅じゃない」とされた時代だったから
誰も相手にしなかった。
が、今の時節になり遅咲きした。何も欧州に行かなくても近所にヨーロッパがあるじゃないか。
「ロッテルダムのよう」の文章を読み、鶴見線に行った人は多いと思う 宮脇氏が書いたのと同じような年代に、西村京太郎氏が「黄金番組殺人事件」で鶴見線を舞台にしている。 デフゴマルは瑞西國ズルツァ―會社のも無論いいのだが、独逸國エム・アーエヌ會社のも見落とせない
うUボートと同系統のエンジンということで必然的にUボートと同じエンジン音だったんではないか
帝國陸軍出身の長吉翁はこちらを悦ばれただろう。 10ヶ月近く過ぎても1000まで行かないんですね。
でも何を語ったらいいんだろう。
「何月何日は、何に乗ってた」とか、もうやっちゃいましたしね。 別に義務感に駆られて書き込みをする必要はないと思いますよ。
宮脇翁と関わりのある事象があれば、また身近に著書の内容と関連するような出来事があれば
引き合いに出すなどして都度書き込めば十分かと。
そのほうが無関係な内容でスレが埋まっていくよりは余程良いと思いますよ。 GW明けから6月にかけては、宮脇氏が最も頻繁に旅に出かけた時期ですね >>850
江東区南部の風景を見慣れて育った私は
初めて鶴見線に乗った時何の感慨もなかった
大川支線の茶色い電車が健在だったこと以外は 海芝浦から見る景色も、当時とはだいぶ変わったんでしょうか 鶴見線は海芝浦ばかりTVで取り上げられてるが末端区間付近の木の枕木にぺんぺん草&土に鉄さびに埋もれた線路といい駅舎といい昔の典型的なローカル私鉄そのもので
しかも工場の引き込み線と区別しにくいシーナリーと言い、故プロフェッサー吉岡氏やB滝氏達も満足せられるであろう。
車両も、リニアモータ&PMSMの現代鉄道では貴重な直流モータに抵抗制御の電氣車205系が健在であり令和の御代では佳き意味で旧型電車といえる。
一方で、来年にも世界でも最先端の水素燃料電車の実証実験をここ鶴見線で行うのである。
誰も注目しない海外旅行バブル時代にいち早く鶴見線を乗り鉄路線として絶賛せられた宮脇先生はもう50年遅く生まれるべき逸材だったか 氏の時刻表2万キロで化物屋敷と評された、旧・日中線の熱塩駅に先月行ってきたよ
地元の方によりきれいに維持管理されていた
駅舎内の資料展示や、構内保存の旧客も、古を偲ぶのに十分だった
ちょうど桜の時期で最高だったよ
喜多方駅からサイクリングだったが往きはだらだら上り勾配でキツかったわ >>857
宮脇翁は東京西郊在住だったからな
自分も、他区より畑や緑地が多い土地住まいなので、運河や海は非日常の風景だな >>859
吉岡氏が亡くなっていたとは知らなかった。
スレ違いだが合掌。 >>862
江東区から出たことのない私にとっては
東京西郊の武蔵野の面影を残した住宅街こそが非日常
用もないのに電車に乗って散歩しに行ったりする 市内で扇町や安善に貨物を撮りに行くけど
薬品の臭いで頭が痛くなる時がある
海芝浦までは行かないけど、あんな所へわざわざよく行くなあと思う 先生が京葉線に乗った記述を見たことがないけど
どんな感想をお持ちだったんだろう
特に新浦安〜南船橋は鶴見線を思わせる景色が多いが 雰囲気のある住宅街を歩くというのは今静かなブーム?
日本においては、山道だとかよき自然の中にかぎって団塊だらけで山手線並みの混雑で
何の癒しにもならんし非日常にもならないしな >>865
扇町は鶴見線でも行ったしトラックに至っては何十回といったが
そんな臭くはなかったがな。嗅覚は岳南で鍛えられたせい? >>868
都心近郊の住宅地は遠い郊外のニュータウンや
観光地でもない田舎と違って
用もないのにブラブラしてもあまり怪しまれないのもいい
この前荻窪駅すぐ南側の大田黒公園や近衛文麿別邸跡付近を歩いて改めて度肝を抜かれた >>866
開業から1ヶ月くらいしてようやく乗ったみたいな短い記述がどっかにあったはず >>866
『旅は自由席』の「予讃新線の開通日」の末尾で、西船橋〜千葉みなと間が
開業してから一か月後に乗った、とある。
乗った、と書いてあるだけで、どんな景色かの記述は無い。
「旅2003年8月臨時増刊号」の地図への書き込みによれば、それ以降に開業した
京葉線の区間にも載っているようなのだけど、作品では触れられて無かったと思う。 >>872
予讃新線の開通が、内子を人気観光地としてブレイクさせた 開業の頃は103系4両もしくは6両だったし、
武蔵野線と似た様な感じしかしない 文豪になってからは自分のお金で汽車に乗らなくなり、TGV超高速列車を試乗する費用すら全額文春持ちの御身分におなりになり
どうしても汽車に乗ること自体おっくうになったんでないか?勿論加齢もその原因の一つだろう。 やっぱり京葉線の鉄道としてのシーナリーや沿線の雰囲気が先生の琴線に触れなかったのが大きいんだろう
先生をして積極的に乗らしむるには、「新幹線の様な」負のシーナリーを埋めるだけの何か、例えば金歯を剥き出しにして笑い転げる婆さんだとか
干し柿をぶら下げている農家などだとか先生を萌えさせるものが必要なんだろう。 開業当初の海浜幕張なんてまわりに建物がほとんどなくて非日常感はあったけどそれだけだとも言える 編集部が販促のため先生をキャラ立てするに際し、B滝氏のような「ヘロヘロローカル線萌えキャラ」にしたということもあり
「新しき鉄道にはあまり乗りたがらない」というキャラを演じたという面もあったんではないか
例えば先生の実力なら国鉄宮崎リニアに無料で乗りまくることは簡単すぎるのにとうとう乗らなかった
これは編集部や出版社など先生でめしを喰らう側が先生のキャラ立てが壊れるのを恐れたんでないか? 同僚が濃厚接触者の疑いでPCR検査の対象となり、その結果が出るまで在宅となりました。
久しぶりに2万キロを拾い読みして、日中線や能登線のくだりを読みました。
自分は7章の章の北海道と9章の九州完乗が好きで、そこばかり読んでいました。 南船橋駅が昭和61年できたから、線路のない時刻表のころ。 googleマップで宮田のバスターミナルを見ると、向かいにタクシー会社が2社あります。
九州完乗の際、少々物足りぬ運転手のおかけで知ったタクシー会社が今も健在だと思っていいですか?
翁が見たのはどちらの会社でしょう?当時から2社あったのでしょうか?
地元の方がいたら、教えて欲しいです。 宮田のバスターミナルに9時56分に着いて、室木発10時05分の鈍行に乗ろうとするなんて、なかなかチャレンジングだと思う。ダメなら3時間待てばよい、というのは確かだが、自分ならここまでギリギリの計画は立てないなぁ。
やるとすれば、黒崎辺りに泊まり朝の筑豊電鉄で中間まで行って、
中間601(123)611香月621(124)631中間645(729)
710勝野714(425D)723筑前宮田736(426D)
751直方822(528D)843折尾908(241M)
915遠賀川930(825)953室木
か。「行って帰ってくるみたいに遠回り」だが、宮田からタクシーで室木まで数分で行けるという確信がなければこうするかな。或いは、7時23分に宮田に着いてから、3時間弱かけて何とかして鉄道を使わずに室木に行こうとするか… 自分は先生とは正反対で朽ちかけた駅舎や線路を眺めてるうちにあっという間に三時間たってしまうクチなのでまるで完乗にはむかない輩だ
でも昼休みに読むのは宮脇だけ。
我ながら変態だがリニアや東京地下鉄すら完乗できていないのはなんとかしないと、な。 先生がウミガメに泣き廃ゴンドラに住む老人に「殺意の風景」を感じた地に、世界初のDMVが走るという
もし生きていたら「何はともあれ、乗ってみる」と言っただろう。 >>890
宮田のバスターミナルに連れていかれた。 >>890
チャレンジングといえば、可部線と岩日線に乗った日の前夜、広島や岩国ではなく小倉に泊まったのも。 鉄オタじゃない人と話してたら第三セクターが通じなかったけど
通じないのはおかしくない?
スイッチバックとかも鉄オタ以外には通じないのかな? >>897
その鉄ヲタじゃない人が一般常識に疎い。
3セクって鉄道だけじゃないし。 スイッチバックとループ線とアプト式は社会科の教科書に載ってたと思うけど興味が無いと覚えないだろうね 鉄ヲタでも、第三セクターの何たるかを説明せよと言われたら厳しそう。きちんと言葉で、と言われると自分でも心許ない。
鉄道や政治経済に造詣が深くない一般人にはまず難しいのでは。 第一セクター第二セクターは知る人が多いが第三セクターは少ないのだろう。
あたかも小説は知る人が多いが大説(四書五経など)は少ないように。
「中説」ジャンルはない様だがもしあったら宮脇先生にチャレンジングしてもらいたかった 自分は>>900さんの認識に近い。
赤字ローカル線から第3セクターができた頃は、よく説明を聞いていた記憶がある。 「第一セクター」「第二セクター」という言葉は恥ずかしながら初めて聞いた。それぞれ大まかに言って公企業、私企業のことのようだ。言われてみれば当然のことだが、門外漢にとってはなかなか耳にすることがない。 蟹食うために香住に行った文章あるけど、
この前行ったら駅に大きな蟹のオブジェは
あったが街中はそんなに蟹のイメージが
無かった。
今は時期じゃないのか?
それとも過去の話なのか? さすがに5月は松葉蟹のシーズンじゃないからなぁ。とっていいのはせいぜい3月まででしょ。 >>904
宮脇先生の作品にも「冬は蟹の季節」という表現はしばしば出てたと思うが。
11月解禁で規定数到達次第終了だよ。
あとは冷凍物か輸入物。 本場こそシーズンじゃなければ食べられないってどっかの文章になかったっけ? 「汽車との散歩」あたり? >>904
西日本はカニシーズンになるとツアー売りまくりよ 蟹って美味いか?
あんま食べたことないけどなんか水っぽくて実が少なくて美味い記憶がない。
自分で出してないけど値段も高いだろうし。
美味い蟹を食べてないだけなんだろうか? 好みは人それぞれだろうけど「水っぽい」と感じたのであれば安い冷凍物を食べた可能性が高いので
もし良ければ一度ちゃんと現地で獲れたてを食べてみるのをお勧めするよ
あれはいいものだ 魚介類系を好まないひとの中に、質の悪い生臭いものしか食べたことがないから嫌いになるというのもいる。蟹や雲丹を食べなくてもデメリットはないだろうし、むしろ家計にはいいのだろうが、もったいない気もする。 また、宮田の話。2014年に平筑に乗りに行きました。博多に泊まって
筑豊本線ではなく、黒崎に出て筑豊電鉄に乗って直方へ行きました。
筑豊直方駅からJR直方駅まで歩いたのですが、筑豊直方の次の
須崎町というバス停の行き先に「宮田役場」と「宮田駅」がありました。
宮田駅の文字に1人で歓喜したのですが、よく考えれば宮田のバスターミナルのことでしょうね。 >>910
他の人の書かれているが、蟹は余程鮮度が大事な食べ物のようなので
910さんが普通の蟹しか食べたこと無いのなら、「美味い記憶がない」 というのは
正しい感覚かもしれない。
礼文島や利尻島の旅館などで、旬の季節(ちょうど今頃)に出される蟹を
一度でも味わった日には、東京はもちろん、北海道本土の各地で
出される蟹でさえ腐敗臭が鼻について食べられなくなるらしい。 カニやすしのような上級なものは宮脇の様な上流階級でなければ諦めたほうがいいな
諦めるというのは無限の喜びになる。自分もそうしたから毎日が充実している 最上級品の8割くらいの品質のものが
最上級品の5割以下の値段で買える時代でもある 鉄道動画は前面展望か走行風景を淡々と撮ったものだけでお腹いっぱい
古い映像をデジタル化したやつもいいな 今スーツスーツ言ってる奴って、前の種村バカ? まじで精神障害やんなぁ >>890
文章では「9分はかからないだろうから」とかなり確信があったようですが、
実際は結構チャレンジだったと思います。
googleマップで宮田のバスターミナルから室木駅跡をルート検索すると
3.6 km、6分と出ます。確かに9分はかかることはないと思いますが、、
直方から宮田までのバスが遅れる可能性を考え合わせると、早めに着いたのは
ラッキーです。九州完乗を天もお祝いしてくれたのかも。 >>921
国鉄バスはダイヤに相当な余裕を持たせていた事も経験的に判っていたはずですしね。 今のダイヤで直方駅から宮田(おそらく宮田町駅)までJRバスで22分。当時の9時56分が発時刻としても52分から55分ごろの到着。室木を10分余り後に出る列車に乗ろうとするのはかなりの賭けだと思う。乗り遅れてもひとりしょんぼりすればいいだけだが。 >>889
昭和45年から昭和48年まで宮田町に住んでいました。
国鉄バスの宮田町駅前には当時からタクシー会社が2社並んでいたことは憶えています。
松川タクシーと宮田タクシーだったと思います。
Google Mapを見ると宮田タクシーはMGタクシーとなっていますね。
居抜きで入居した別の会社なのか、同じ会社が単に改名しただけなのかはわかりません。
自分は松川タクシーの左隣の歯科医院に通院しました。
ちなみにリリー・フランキー氏の「東京タワー」には宮田町の描写がたくさんあります。
氏は同じ小学校の1学年上の人でした。
住んでいた頃、宮田線も室木線も一度も乗ったことはありませんでした。
国鉄バスには数えきれないほど乗りました。
30分から1時間ヘッドで博多〜宮田町〜直方間に特急バス、急行バスも走っていましたし、
福丸〜宮田町〜直方間に至っては普通バスが10分ヘッドで運行していました。
町内は、貝島炭鉱のコッペルなどの蒸気機関車牽引の石炭運搬列車もひっきりなしに走っていました。 >>924
889です。貴重なお話をありがとうございます。
タクシー会社は2社あったのですね、今回初めて知りました。
他の方も書いておられましたが、バスターミナルのことを「宮田町駅」と
普通に呼ぶのですね。私はそのことを福岡県のバスのことを書いた本(書名失念)で
見て、いつか確認したいと思っていました。
914も私ですが、直方の須崎町のバス停でみた表記は「宮田町駅」でした。
914は間違っています。多くの炭鉱が昭和40年頃には廃坑になるなか、
貝島は昭和50年頃まで続いていたと聞いています。45〜48年頃だとまだ
石炭車が動いていたのですね。本当にありがとうございました。 925です。
ちなみに今年になってgoogle mapで確認した須崎町のバス停は
新しい表示板に変わっています。きれいになっています。
もう宮田町駅という表示はありません。 当時の国鉄バスは、主要な有人の発着所をたしかに「駅」と表記し、職員もそう呼称しておりました。
「宮田町駅」もその一つです。
直方や宮田の住民も倣って同じく呼びならわしていました。
「宮田の駅まで」と言って乗り込んだ客をタクシー運転手が宮田町駅へ連れていくのは極めて妥当なことなのに「けしからぬ」「少々物足りぬ運転手」などと一方的に書かれてしまったわけです(笑)。
昭和53年にこのくだりを読んだ中学生だった自分は、お互い様じゃないのかな、などと思ったものです。なつかしい!
余談ですが、平成20年に土佐山田駅からジェイアール四国バスに乗ったら、途中の発着所で「美良布駅」という表記がまだ現役でした。 かつての国鉄バス陰陽連絡線では、「大朝駅」「矢上駅」「赤名駅」「三刀屋駅」といろいろあった。駅舎があってトイレ休憩に使われることもあり、その辺のバス停とは明らかに区別されていた。今では町営バスのターミナルになっているのも多いと聞く。 >>927
>>928
925です。ありがとうございました。
国鉄バス(今ならジェーアールバスでしょうか)ならではでしょうか。
私はリリーさんや924さんの2、3歳上の同年代ですが、
群馬県の出身で地元は東武バスの王国でした。大きな発着所は普通に営業所という
呼び方だったと思います。2万キロを初めて読んだ高校生の時の私の感想は
「少々どころか、かなり物足りぬ運転手」でした。 自動車線の「駅」は鉄道航路にわたる乗車券類(指定券も)の発売や手小荷物の取り扱いも行う、鉄道の駅と同格のものでした
鉄道の先行、代行、短絡、培養、補完という原則のために、ローカル輸送にとどまらない役割も持っていたということですね
あの時代にバス完乗した人はいたのでしょうか 国鉄バスの役割がそうであるからこそ、昔はバス連絡の乗車券が普通に買えたんだよな。ただ、○○駅までのは買えたとしても、その辺のバス停までのはさすがに無理か?
今でもJRバスは、並行する他社路線と違って、停まらないバス停があったり停留所名が異なっていたりして、いささか使いづらい。広浜線の安芸今津とか、京北線の山城高雄とか。後者は高雄になるかなったかしたらしいが。 >>932
>その辺のバス停までのはさすがに無理か?
車掌は車内でどんなに小さな停留所間の乗車券でも売っていたわけです。
「駅」なら、当然、同等以上の機能を有していました。
そういえば、昔は無人の停留所でもその前にあるタバコ屋などがかなり乗車券の販売を受託していましたね。
昔はバスに乗る前に乗車券を買うことは鉄道に準じてわりと普通のことでした。 >>933
村所駅を確認しました。落ち着いた木造の建物に変わっていますね。 >>934
言葉足らず失礼。
バス完結の乗車券でなくて、鉄道連絡の。
例えば東京都区内から、どこかで国鉄バスに乗り換えて××三丁目までの切符とかは発券出来たのだろうか、ということ。
でも、禾重があんなきっぷ作ったから、そういうのも出来たのかな。 >>921
九州完乗の最終日の3線の乗り方ですが、先生が十分検討された上で
あの形になったことをとりあえず置いておいて、921さんの言われるように
「黒崎に泊まる」「筑豊電鉄を使う」を前提とするならば、
自分は室木線、宮田線、香月線の順に乗るのがいいと思っていました。
40年以上前の高校生の時にも検討したのですが、921さんの書き込みを見て
改めて1977年の時刻表を使って再検討した結果、黒崎駅6:17発(熊本行・127M)で
室木線を最初に乗っても、昼前に小倉駅に到着できると思います。
この乗り方なら直方駅−宮田町駅−室木駅のチャレンジを行わずに済みます。
まあ、ドラマ性は薄れてしまいますが。ちなみに自分の案でも直方駅までは
先生が乗った8:14着(実際は16分遅れ)に乗るので、「少々物足りぬ」運転手さんの
タクシーに乗って宮田へ向かうことになります。 すみません、937は
>>890
さん宛てのレスでした。申し訳ありません。 「どこから来たのか」はまだいいにして、目的地によっては「何しに行くのか」となる。うまく答えられないことの方が多いから、不審な感じになってしまう。
こちらの言うことを何も聞かずに「天祥へ行きますね」も困るが、「なぜまた××へ?」と聞かれるのも困る。
大館から「よねしろ」を大更まで追いかけるときはどんな会話したんだろう。しかし、客乗せてガソリンスタンドに寄るのもどうかと思うが。 76年前の昭和20年5月25日は
2回目の東京大空襲があった日だそうな
当時の渋谷区の7割程度が灰になったそうだけど
宮脇邸は燃えなかったんだっけな 山の手大空襲と言われてるやつか
とうとう「順番」が来たと思ったけど、宮脇邸は、不発になった焼夷弾が庭に落ちていただけで済んだという話
そう言えば3月10日に比べるとあまり話題にならないな 「何々だそうな」は最近は使う人がいないが、昔慎太郎なんかが少しふざけて相手を小バカにするニュアンスで使っていた言葉で
戦争犯罪である東京大虐殺を言うのには不適切な言葉ではないか 「こういう使い方をしていた奴がいたから〜」
そんなこと言ったら何にも言えず何にもできなくなる。
本来がそういう意味でない以上なんら問題はない。
あなたの好みや主義主張を押しつけないでいただきたい。 「そうな」だとか「だそうな」だとかは、まじめな文脈で使った例は自分は知らない
これは擬古文とも言えない崩れ用法らしいがそれはともかく慎太郎だけじゃなくもっぱらふざけた文脈で使われたんじゃないか
そうならば天道人道に反逆し戦時国際法違反ですらある大犯罪を述べる文脈で使うのは,不適切だろう.
東京大虐殺だが三月十日のはこれは周知のとおり陸軍の記念日にあてつけておこなわれた
五月二十五日のは恐らく海軍の記念日(五月二十七日)にあてつけて行われたのだろう。
両方とも第0次世界大戦で当時の欧米代表国家の国軍を撃破した記念日だ
長文で己の物知らずを誇るなど失笑の極み
ggrks そろそろ次スレ
【駅があるとは】第49宮脇俊三スレ【知らなかった】
【二条市場でも】第49宮脇俊三スレ【いいですか?】
【ヒドイ寿司屋】第49宮脇俊三スレ【サロベツ原野】 >>948
もうそんなタイミングか。
駅があるとは知らなかった、いいね 小職からも
【六月は】第49宮脇俊三スレ【旅の閑散期】
【金曜日は】第49宮脇俊三スレ【落ち着かない】 ヒドい寿司屋がいいかな。
あの旅のアンラッキーぶりがすごい。 「金曜日は落ち着かない」が、ワクワク感があって良いな。 >>931
今でもそういう駅機能を最後まで残してるのは草津温泉駅くらいかな
草津温泉と先生とは夢の山岳鉄道くらいでしか縁がないけど >>956
948で書いた自分も実はそう思う。
何かウィットの効いたのないかい。
あとは字数がね… 【お客さん】第49宮脇俊三スレ【いったいどこへ行きたいの】 時勢を鑑みて
【遠くへ行くばかりが】第49宮脇俊三スレ【旅ではない】 半角カタカナを使っていいのなら
【スレがあるとは】第49宮脇俊三スレ【知らなかった】
【】内を合わせて全角12文字以内だからなぁ。 「まるで○○に来たようだ」
この○○に外国を入れるパターンが多いな。 九州完乗好きとしては【駅があるとは】【知らなかった】 >>967
取締役経験者が言うからこそ説得力がある
ニートこどおじが言ってもなんの説得力もない >>972
自分がそうだからといって相手もそうだと決めつけるのはやめたまえ 決定ですか?なかなか次のスレにたどり着く感じはないですけど。 948です。
いろいろ何度もやってみても規制に引っかかるので、どなたか新スレを立てて下さいませんか… このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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