>>252
自分で異常だと感じているかどうかの違いだと思うね
危険を予測して避けるのは当然のことでそこに葛藤はなく神経症ともならない

具体的に乗り物恐怖で見ると
いるかどうかは別にして乗り物に乗れない生活に満足しているのなら
そこに葛藤はなく強迫観念にもならない
しかしたとえば会社に行くのに電車に乗る必要があるのに乗れないとなると
他の人は、また以前は普通に電車に乗れたのにおかしいとなる
そこで神経症者は電車を恐れる自分を治すことに力を尽くすことになる
つまり症状を治そうとすること自体が神経症の症状であるという逆説的状態に陥る
さっぱり治ったのちに電車に乗ろうと考える

高良氏が言ってるのをここで考えると、逃げるとはこの場合、電車も会社もあきらめて
家に閉じこもることだけではなく、むしろ逆説的に症状を治したのちに電車に乗って会社に行こうと
『努力』することをさしていて、そうではなく電車を恐れるままにそれに乗って会社に行くこととなるね