自分はビョーキなのだと夫は言う
先生はビョーキという言い方は好きじゃない、生き方の問題だと濁す
私はビョーキじゃない、少し生きづらいだけだというと、
ビョーキじゃないのにこんな事も出来ないの?と夫に言われて黙る
私の肉親は全員精神科通い
別に精神科が好きという訳ではなく、寧ろ偏見の塊だった家族が、父親の死亡とともにそれぞれ通い出し気がついたら全員に病名がついてた
つくのも仕方がないのかもという経験はあった、それぞれ近代とは思えない煮え湯を飲まされてきた
だから残った家族全員が「精神病」
先生は遺伝的要因と、家族の聞く限りの状況から大まかに推察すれば、
それぞれの「病名」はそれっぽいね、とだけいう
あなたは自分でどう思いますか?と何度聞かれても、
私は分からないと言うしかない
正直にいえば私は変わってて小心者なだけでマトモだと思うけど、
夫はビョーキだというから、ビョーキなのかな、
なら先生はなんで何度も何度もあなたは自分でどう思いますかと問うんだろうと合間に挟まれて頭がどうにかなってしまいそう
ピースが収まる様に、私の居るべき場所が欲しい、どんな形であれ、それが定まってこそ目的と目標が生まれるのでは?
私はマトモだと思ってるけど、お前はおかしいと15年以上一緒にいる人間が断言する
たかだか3年の付き合いの医者は私に何度もお前はなんだと問う
それを決めるのは誰なんだろう?