トリプルコロン先生の人生相談室 4部屋目 [無断転載禁止]©2ch.net
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このスレは、双極性障害や薬害問題などを中心とした人生の悩みや、
今日の気分はどうかとか、薬何飲んでるとか、そのような様々な相談に
トリプルコロン先生とお弟子さんがズバリお答え下さる人生相談室です。
前スレ
トリプルコロン先生の人生相談室 3部屋目
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/utu/1468243382/
過去スレ
【躁】双極性障害【鬱】総合スレ(実質1部屋目)
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/utu/1448592187/
トリプルコロン先生の人生相談室 2部屋目
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/utu/1451919535/ この自分を含め、地球上に存在するすべての人が生きる目的は、自分の内面、すなわち精神性を進歩させるためだ。
それ以外のことはすべて二次的なことににすぎない。
自分が君に個性的で才能がありそうだと言ったのは、現在の社会システムにおける仕事ととは、ある意味 隷属的な関係性があるからで、それを感覚的に察知したその君の感性に、大衆意識に飲み込まれない「意志」を察知したからである。
だから、世間の価値観に無理やり君自身を押し込めようとしているように感じた自分は、君に「世間の価値観に自分を合わせる必要は無い」と示唆したのである。
多くの人々は、現代社会のシステムの隷属的な関係性など意識すらしておらず、世間の価値観に漂流するクラゲのように生きている。
世間の価値観とは、いい学校へ行き…、いい会社に就職して…、結婚して…、子どもを作って…、家を建てて…、老後は退職金や年金で隠居する。まぁ大体こんな感じだ。
しかし退職金や年金とは、社会奴隷として犠牲にしてきた自らの人生を忘れさせるためのエサではないのか…?
もちろんそうしたストーリーを否定したり拒絶しているのではない。
肝心なことは、自らの「意志」によって現実を選択していくことだ。
昨今では時代は変化しつつあり、そうした社会奴隷に対する俯瞰的な視点を主張する人々が増えてきているのも事実である
いまはまだ、隷属的な関係性が強い傾向にある社会だからといって、社会や人々を敵対視したり被害者意識を抱く必要はない。
たとえそうした社会環境であっても、いかに自分自身の生き方を見つけていくのかが大切なのである。
逆にいえば、君のような視点のセンスがあればこそ、君が君として、君らしく歩む人生のスタイルを見つけやすいのである。 以前にも言ったが、職安に登録しているような会社は“お堅い”会社が大半である。
もちろん君が望むのであれば職安に登録されている会社に就職するのもいいだろう。
しかし、あまり正社員や安定などという世間の価値観に囚われず、バイトでも派遣でも正社員でも、とにかく君が好きなジャンル、君の興味のある方向を重視したほうがいいと思う。
たとえ働き始めた場所が君のイメージと違って、すぐに職を替えたとしても、そうして自分自身が興味を持てることや好きなことを重視していれば、おのずと道は見えてくる。
一番マズイのが、大して興味も無いしおもしろくもない仕事だけど、正社員として就職できたので我慢して一生働き続けよう、といった考え方である。
職安に登録されている会社だけでなく、場合によっては、飲食店やホームセンターの入り口にあるフリーペーパーの求人誌や、市販のバイト情報誌などに、君らしい行き方を見つける切っ掛けが潜んでいる場合もあるだろう。
また、英語が得意など、君の能力をアピールして派遣会社に登録しておくのも、君の存在価値を生かす切っ掛けになるかもしれない。
逆にいえば、少子化の影響で、職さえ選ばなければバイトなどの働き口は沢山あるだろう。
そして、そうした仕事は、君らしい生き方を見つけるための「通過点」と捉えることだ。
そうして生きていれば、必ず君の生き方が見つかるはずだ。 前科のことなど気にする必要はない。
薬物系の罪はなど、罪というより単なるルールー違反だ。
すなわち、いわゆる被害者のいない罪というやつだ。
とはいえ、覚せい剤の影響で凶暴になり、彼女や奥さんなど、他者を畏怖させたり傷つけたりしたならそうともいえないが…。
まぁともかく、地球上に存在するすべての人が生きる目的は、自分の内面、すなわち精神性を進歩させるたであり、それ以外のことはすべて二次的なことににすぎないことを、肝に銘じておくことだろう。
そうすれば、たとえどのような試練が訪れようとも、その経験を生かし、きり抜ける術を手に入れることができる。
話は替わるが、米国領はキビシイかもしれないが、前科があっても5年経てば住めるんじゃなかったかな…?
『前科あり 海外移住』
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14113792924
すでにいろいろ調べているかもしれないが、『前科 海外 移住』や『前科 海外 渡航』などで検索してみるといいだろう。
環境を替えるのもいい方法だよな。
自然はいい。
ある意味自然から切り離されていること、そして自然に意識を向けなくなったことが、現代人の精神を荒廃させているひとつの要因だと思うよ。
奥さんの実家へ移住するのもいいと思うが、視点を広く持てば国内で田舎に引っ越す手もあるよな… あ、そういえば…
早期覚醒はメジャーを抜いた離脱症状だろう。
日中は日光を浴びたり、多少疲労感を感じることをしたり、夜間は電球色の間接照明にするなど、工夫をしてみるのもいいだろう。
本来であれば、いきなりメジャーを抜いたりせずに、漸減方法で、時間をかけて少しずつ段階的に減らした方がよかったかもしれないな… ★★★最強の薬物は果物(柑橘類)です★★★
柑橘類を1日10個以上の食べると統合失調症、うつ病が治ります。
音に敏感な統合失調症の人は柑橘類を1日10個以上食べてみてください。
炭水化物(米、小麦=砂糖)、砂糖を食べないで柑橘類だけ食べてください。
「フルーツだけ生活」の意外すぎる健康効果
2009年9月から6年半、フルーツに代表される「果実」だけを食べて生活している人物がいる。
フルーツマニア、いやフルーツ研究家の中野瑞樹さんだ。
http://t■oyokeizai.net/articles/-/115076
みかん
みかんの「スジ」は実の100倍栄養がある
血はもちろん、血管そのものを丈夫にする働きがある
心臓や筋肉の機能を正常に戻す
目の病気になったら、みかんを食べると改善への近道となることが分かっている
体のあらゆる傷の治りを早める
https://m■atome.naver.jp/odai/2134979074539618901
断糖と高濃度ビタミンCで癌と闘え 西脇俊二(ハタイクリニックの医師)
統合失調症、うつ病、パニック障害は糖を抜くと3日で治った。
U型糖尿病、通風、高血圧は2週間で治る。
糖は腎臓の塩分や尿酸の排出機能を阻害する。
タレは糖が入ってるからダメ。
葉野菜の葉っぱの部分だけならOK。
もっとも老化を引き起こすのは糖とタンパク質をともに加熱したもの。
http://i.imgur.com/MmLHog5.jpg
http://i.imgur.com/hm0OLR0.jpg
Q 音が気になる人はどんな人?
A 炭水化物(砂糖)、砂糖を食べて統合失調症、うつ病、身体障害者になった人です
Q 炭水化物(砂糖)を食べるとどうなる?
A 統合失調症、うつ病、身体障害者になります
Q 解決策は?
A 柑橘類(果物)を1日10個ほど食べて、炭水化物は食べない・・・で治ります
Q 米、小麦を食べてる人は統合失調症、うつ病、身体障害者なんですか
A そうです ↑
柑橘類をたくさん食べると深い睡眠ができます
トイレに行く回数も減ります
腎臓もよくなります
柑橘類をたくさんたべると水をあまり飲まないようになります(水分は柑橘類からとるので)
昼間、柑橘類を食べて眠くなることはないです >>88-89
自らを知るために、精神医療そして向精神薬に救いを求めることに比べれば、その他いかなる方法であっても百万倍マシだろう。
言い換えれば、その他いかなる方法よりも、精神医療そして向精神薬に救いを求めることは、百万倍劣るということである。 こんばんは。相談させて頂いても構いませんか?
色々あったからか、「自分が悪い」と素直に態度に出せなくて困っています
軽いノリでごめんねって言うときは大丈夫なのだけど、旦那と喧嘩したときとかにごめんなさいっていうと声が冷たいというかぶっきらぼうというか誠意が伝わらないと言われてしまいます。
実際そういうとき、私は正直罪悪感を感じていないんです。
謝ったほうがいいと判断して言っているだけで…
ちょっとこれは病的だし無意識に自分を守っている気がすると旦那に言われ。
思い当たることとしては、昔とても大事な人が自分の言動のあと自死してしまい、ずっと罪悪感を感じているうちに病んでしまって。
いまはもうかなりましになっているのですが、逆に、自分が悪いという感情がよくわからなくなってしまいました
事情は旦那にも相談はしていますが、だから許してほしいというとは甘えだし実際許してももらえないし
上手くバランスをとってやっていきたいのに、うまくできません。どう考えていったらいいんでしょう? あ、双極性障害や薬害問題と関係ないからスレだったかもですみません…! >>91
なるほど…
というか、素朴な感想なのだが、わるいと思ってないのに誤る必要なくないか?笑
それはわるいと思ってないのに誤っても気持ちは入らないよ。
それが当然。君はいたって正常。
女優なら、“まるで気持ちがこもっているかのように”演技はできるだろう。でもそれは所詮演技だ。
もし君が演技がうまくなりたいと思っているのなら、劇団にでも入団して演技の訓練をすればいいだろう(笑
まぁ冗談はともかく、そもそも、わるいと思っていないのに誤る癖がついたのは、君が内観してたどり着いたように、
昔、君がとても大事に想っていた人が自死したことが原因かもな。
すこし論点が異なるが、もうひとつ考えられるのが薬の影響。
なぜなら、リーマスやデパケンなどのスタビライザーや、ベンゾ、れからメジャートランキライザーなどは、感情を鈍化させてしまうからである。 話が逸れたが、結論から先にいえば、君が大事に想っていた人は「君のせいで自死したのではない」ぞ。
自死だろうがその他いかなる行動であろうが、その行為に至った最終的な決断は各人が選択している。
これは言い換えれば、君も、そしてこの自分も、その他すべての人も同様である。
たとえば、ある人がある人に対して、「おまえなんか豆腐の角に頭をぶつけて氏んでしまえ!」と言ったとする。
それを言われた人の中には本当に自死する人もいるかもしれないが、
「なに?! 氏ねだと! そういうおまえこそ氏んでしまえ!」などと応戦する人もいるだろうし、
反省して行動を改める人や、「人に平気で氏ねなどと言うのはイカレテイる」と受け流す人などなど…、
まさに十人十色の反応を示すことが想定できるだろう。
つまり、他者の言動や環境など、外界のすべての刺激に対してどう反応し行動するかは、最終的に各人の選択にかかっているのである。
なので、前述したように、君が大事に想っていた人は「君のせいで自死したのではない」のだ。
すなわち、大事に想っていた人の自死を切っ掛けに君の中に構築された信念体系を手放せばいいのであり、また、新たな認識に置き換えればいいのである。 とはいえ、「あのとき…ああ言えばよかった…こう言えばよかった……」と悔やまれる気持ちは痛いほどわかる。
しかし、君がとても大事に想っていた人は、本当は君に何をもたらしたのだろうか…?
罪悪感だろうか…?
いや、違うはずだ。
君がとても大事に想っていた人は、君に愛について気づかせ、そして愛を探求する機会を与えたはずだ…。
本当は「愛」という言葉を使いたくない。
なぜなら、愛という言葉は、現代社会ではあまりにも人々の様々な概念が付着し、まるで風化して穴だらけになった看板のようになってしまっているからである。
それでも自分の語彙の中には、それ以外に相応しい言葉が見つからない…。
だから、たとえそれが風化した看板のようになっていてもそれを使うしかない……。
自分はよく、人間はこの地球上に自らの精神性、すなわち魂を進化させるために生まれて来たと言う。
では、魂を進化させるとはどこへ向かうのだろうか…?
それはまさに愛について学ぶことであり…、そして愛について知ることであり…、さらに、自分自身が愛そのものになるためではないのか…?
君に、愛について気づかせ、そして愛について探求させる機会を与えた君の大事な人には、ゴメンだけではなく、本当は「ありがとう…」という想いが相応しいのではないのだろうか…? もしも君の旦那との関係において、すべて「君が悪い」と結論付けることで出来事を収束しようとする固着した関係性が出来上がっているのであれば、旦那との関係を見直す必要がでてくるかもしれない。
しかし、君の内面の変化に君の旦那がついて来れるのであればその必要はないだろう…。
バランスとは…、「お互いに」バランスをとろうとする「意志」があればこそ成り立つものであり、片方だけがバランスをとろうとしてもブレが生じてしまうのである… コロン先生、長いレスをどうもありがとうございます!雑談で恐縮ですが…
やはり自分は就職には決定的に向いていません、
家内の稼ぎと、自分の持っているレアなCDや本を処分しながら食いつないでいこうと思います。
自分には企業、というものがとても恐ろしく感じられます。
私はフィリップ・K・ディックをとても若いころから読んでいる大ファンでかなり影響を受けました。
今年の10月には「ブレードランナー2049」が封切られるのでとても楽しみで、というか観るのが恐ろしくもあります。
絶対に幸福な気分になる映画でないことは明らかだからであります。
いずれ社会の奴隷たちが反逆を繰り返すようなことになり世の中が少しでも変わってくれれば、
自分の病気も少しは寛解へ向かうようになるかなあ、とも考えております。
現在のところは、主治医の居ない田舎へ転居するには不安も大きくありますので。
いろいろとどうもありがとうございます! >>98
まぁ仕事については、ごく自然に“なんとなく”やる気が芽生えてきてから動き出せばいいのではないか…? と個人的には思う。
そして肝心なことは、自らが望む人生全体のビジョンをイメージすることである。
なぜなら、人生全体からみれば、仕事というものは人生のほんのひとつの側面にすぎない、ともいえるからである。
ある意味、現代社会の人々は「仕事」というものにウエイト置きすぎている、ともいえる。
そのため現代社会の人々は、自らが望む人生全体のビジョンをイメージすることを忘れてしまっている、ともいえるのである。 自分にとって「フィリップ・K・ディック」は初見であり、「ブレードナンナー」はタイトルとしては聞いたことはあるが、その中身までは知らなかったのでググッてみた。
なるほど君は、そうした視点に影響を受け、なおかつそうした視点を持ち合わせているのだと、僅かながら理解が深まった。
現代社会のシステムは、言い換えれば隷属的なシステムの下に成り立っている、と気づき始めた人々は、現在その数を急速に増やしている傾向にある。
こうした傾向は、いわゆる「宇宙的な流れ」の必然によるもの、ともいえるのかもしれない。
この宇宙的な流れとは、フォトンベルトの影響や、3次元世界から4次元世界への移行、第3密度から第4密度への移行、地球の地軸の際差運動による獅子座の時代から水瓶座の時代への移行、などと言われている概念のことである。
こうした概念は、いわばオカルト的な発想とも受け取られるかもしれないが、ひとつの可能性として留意していてもいいだろう。
この宇宙的な流れによる変革を大まかにいえば、既存の権力構造や支配力が衰退し、物質的な3次元領域を越えた次元から人間を支配統制してきたその呪縛が解放される、ということである。
余談だが、ヨーロッパの各国やアメリカの各州などで、いわゆるマリファナが続々と解禁されている背景にも、実はこうした宇宙的な流れがあるのではないか? と個人的に推察している。 自分がそうしたフォトンベルトなどの概念に触れたのは今から20年以上も前のことであるが、その当時は「精神」という言葉を発することすらタブー視されていたような風潮が社会にあったように思う。
つまり昔は、「人間の内面には目を向けてはならない」という、一種の恐れにも似た感覚が人々の信念にすぐっていた時代ともいえる。
しかし現代では、ちょっとネットで検索すれば「精神」や「こころ」、「愛」など…、物質的な3次元領域を越えた領域に意識を向けるブログやサイトが無数に存在している。
これは20数年前では考えられないような変化であり、実際に人々の意識に変化が起きている証ともいえるだろう。
とはいえ、地球上に存在するすべての人々の意識にそうした変化が起きているかといえばそうではなく、比率からいえば変化が起きている人々はまだ少数といえるだろう。
こうした領域の話は長くなりそうなのでこの辺にしておくが、君のような人には以下のような作品がスッと腑に落ちるだろう…
↓
『スライヴ (THRIVE Japanese)』
https://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI トリプルコロンさんは、ネットでたまに見かける、
「毒親からの絶え間ない人格攻撃とコントロールによって、後々爆発と抑圧を繰り返すため、まるで躁鬱的な感情の不安定さを露呈し、結果人生に汚点を残しやすい」
って話はどう思いますか?マユツバですか?
甘んじてその言い分を受け入れたとして、ビョーキでは無いヒト、虐待を受けてきていつまでもそれを引きずっているヒト、ですか?
例えば自分なら、毎日何もせず死を待つばかりの死刑囚を見て居たら、
つい絵でもかけ、詩なんか詠んだらどうだ、軽作業でもして誰かの役に立て、なんて事を言ってしまうと思います
寄り添いではなく驕りと見下しを込めてです
ですがそもそもの自分らしさ、やりたい事なんかを見つけて向かうには最低限の若さと、心の健康というエネルギーが必要だと思ってますので、やる訳がないと思います
それを補填する為に薬はあるんでしょうか?
やる気って、薬で出てくるものなんでしょうか
親から存在自体を否定され続けると戦場カメラマン等ギリギリで生活をするのが目標になるというのは本当でしょうか
お前なんか死ねという親からのメッセージを、生きたいという願望を叶えながら「愛の獲得の為に」成せるのはそんな場所だからと読みました >>102
>「毒親からの絶え間ない人格攻撃とコントロールによって、後々爆発と抑圧を繰り返すため、まるで躁鬱的な感情の不安定さを露呈し、結果人生に汚点を残しやすい」
>って話はどう思いますか?マユツバですか?
人の人生に汚点というものがあるのかどうかはともかく、確かにそうした傾向があるのかもしれない、とは思うな。
しかし、たとえどのようなタイプの毒親に育てられようとも、その後子どもがどのような人になっていくのかは、結局「人により様々」というのが、ある意味最も正確な表現なのだと思う。
つまり、「これこれこういうタイプの毒親に育てられた子どもは、必ずこういうタイプの人間になる」というような、絶対的な定説は存在しないだろう、ということである。
人は、すべての子どもがみな同じように0(ゼロ)からのスタートだと思っているが、個人的にはそうは思わない。
すなわち、人はみな、生まれた瞬間から人それぞれの個性を持って生まれてきている、ということである。
なので生育環境は、生まれ持ったその独自の個性に、多少の信念体系や自己イメージが色づけされる程度なのではないか? と思う。
ただ、この「多少の信念体系や自己イメージ」というのがくせ者で、これがある人にとっては自分自身を苦しめたり、人生を辛いものと錯覚させる要因になっている場合もあるのだと思う。 >甘んじてその言い分を受け入れたとして、ビョーキでは無いヒト、虐待を受けてきていつまでもそれを引きずっているヒト、ですか?
これはある意味そうともいえる。
なぜなら前述のように、生育環境から何らかの不必要で歪んだ信念体系や自己イメージが形成されている場合、それを持ち続けていることを「いつまでもそれを引きずっているヒト」といえなくもないからである。
しかしだからといって、自分自身を責めたり、自分に重大な欠陥があるように思ったり、深刻に考える必要はない。
ただ単純に、生育環境から形成された、不必要な自己イメージや信念体系を見つけ、それを捨てればいいだけなのである。 どうやって見つけたら良いんだろう?真面目に宗教とかなのかな。
小さい頃からそうやって常に他人の顔色伺って、困ってる奴見つけたらやったとばかりに親身になったフリして取り入って生きてきたから、
本当の自分みたいなのが分からない
趣味は?と言われてもその時流行ってる何か
好きなものは?と言われても他人の目から見たときに羨ましいと言われる様なもの
セルフイメージは浅ましくて嘘つきのピエロ >>105
大抵の人は同じだから心配しなくていいよ
親はあなたに大変間違った関わり方をしてきたみたいだが、本当にどーでもいーなら無関心だったと思う
多分存在自体は無意識にでも認めていたんだろうね
そんなどーでもいー親は、もーどーでもいーや、と無視してみたら?
虐待はとても辛かったろうけど、そんな扱いをした親を未だに引きずらなくていいよ
親のことなんか忘れてしまえ
一緒に住んでいて不可抗力なら、となりのおっさんおばさんだと割り切ろう >>105
いや、宗教はあまりよろしくないな。
もちろん、君の「自由意志」に従って、君が宗教とよばれる組織に足を踏み入れることを選択したならば、それを止める権利は自分にはない。
遥か昔、当時の仏陀やイエス本人は、人々に純粋な叡智を伝えたのだと思う。
しかし、仏陀やイエスの没後、その教え継承した者たちは、時代が経つにつれて、その教えを人々を支配するために都合がいいように改ざんし、いわゆる宗教とよばれる権威構造を構築してしまった。
すなわち、現代社会で宗教とよばれるものは、人々を支配統制するための心理的な道具に墜落している、ともいえるのだ。
たしかに、聖書や経典の中には改ざんをまぬがれた、こく僅かな真実や叡智の「断片」は存在するだろう。
しかし、そのごく僅かな断片を探しだすために、最大限の洞察力を働かせて嘘と真実を見極める必要がある宗教という組織に足を踏み入れるのはあまりにもリスキーだろう。 そもそも君は、自らの内にあった信念体系や自己イメージをすでに見つけているではないか……。
そうやって見つければいいんだよ…。
難しく考える必要はない…。
君は自分自身と向き合う勇気と素直さ、そして強さを有している。
誰もが自分と向き合う勇気を持っているわけではない。
現代社会では、自己正当化や責任転嫁、自己保身などに躍起になり、自分自身から逃げている人が大半なのである。 >小さい頃からそうやって常に他人の顔色伺って、困ってる奴見つけたらやったとばかりに親身になったフリして取り入って生きてきた
>趣味は?と言われてもその時流行ってる何か
>好きなものは?と言われても他人の目から見たときに羨ましいと言われる様なもの
>セルフイメージは浅ましくて嘘つきのピエロ
これらをさらに客観的に見てみれば、どういう自己イメージが浮かび上がってくるだろうか…?
「自分はとるに足りない者…」、「陳腐で価値のない者…」など、そうした自己イメージが浮かび上がってくるのではないだろうか…?
しかし本当にそうだろうか…?
君なら、自分自身の存在をそのようにとらえる人になんと声をかけるだろうか…?
その声こそが、今まで自分自身に向けてこなかった自分自身への愛情である。
自己イメージとは他の誰かが作り上げるものではない。
たとえ他者の影響があったにせよ、根本的には他ならぬ自分自身が作り上げるものである。
たとえ動機はどうであれ、困っている人を察知する感性は、君の中に優しさがあればこそ、なのではないだろうか…?
他者の承認や注目を得られるような行動をとったのは、君こそが、君自身を受けれないがために、その心の空虚感を埋め合わせるための行動だったのではないだろうか…? >本当の自分みたいなのが分からない
本当の自分とは、すべての自分を生み出すその「源」である。
その意味において君は、君のすべてなのである。
そのすべてを生み出す「源」、それが本当の君である。
本当の自分に立ち返るために最も大切なことは、思考することをいったん止め、「今この瞬間」に立ち返ることである。
こうしてこの書き込みを読むと、様々な考えが浮かぶかもしれない。
しかし本当の自分に立ち返るためには、その思考するという行為をいったん止め、「今この瞬間」に立ち返るのである。
そうしてその時、そこに在る存在こそが、「本当の君」なのである。 難しく考える必要はない。
生まれてこのかた、「本当の君」は常に君と共にあり、そして常に君そのものなのだ。
「本当の君」を感じなくさせていたのは、自己イメージや信念体系、思考形態といった想念、すなわち思考であり、それを生み出す「源」こそが「本当の君」なのである。
風が演奏する精妙な音や小鳥のさえずりなど、自然が奏でる音に耳を傾けてみよう…。
その時… ふと気が付けば、思考は消え去り、「今この瞬間」に在ることに気づくだろう…。
そしてその時… そこに在る存在こそが、「本当の君」なのである…。
その時君は、大空を悠然とながれる雲を眺めながらこう思うかもしれない…
自分は長らく、自分が創造する思考の中に埋もれていたのだと……… カラスの声位しか聞こえないよ
あとはパトカーと救急車のサイレン、珍走団
滅多に開けない窓のサッシには真っ黒な排ガス汚れ、上下左右の他人の気配
雲?空なんかどれくらい見てないのか
他人の吐いた痰やガムは見るけど 愛ってなにか教えてくれ
真面目に聞いてる
色んな表現があると思うけど >>112
ある意味、君の環境が“突き抜けていて”ワロタw
でもな、いゆる健常者・障害者を問わず、たとえば田舎の自然な環境に恵まれていても、自然に意識を向ける心のゆとりがない人は、結局、自然に意識を向けることはないんだよな…。
それはたとえば、健常者が犬の散歩でもしながら外を歩いていたとしても、実はまったく自然には意識を向けておらず、自らの想念の世界に嵌まり込んでいる、ということでもある。
つまりな、現代人の大多数は、実はノイローゼ状態にある、ということでもあるんだよ。
これはホントに、人類の意識の危機的状態でもあるし、絶望的状況ともいえる。
言い換えればこれは、人間の意識領域におけるいわゆる健常者など存在するのか…? という、哲学的領域に踏み込む非常に重要な視点でもある。
逆に言えば、君たちは本当に障害者なのか…? という、根源的な問いに突き当たるのでもある。
とにかく、自然と共にある事実、宇宙と共にある事実、そうした感覚に気づいた人物こそが、現代という時代の真の勝者ともいえる。
金や地位、所有物など、そうしたものは真理においては二次的なものにすぎない… >>113
それはまさに、自らの人生をかけて探求する究極的な真理だ…
愛ゆえに慈しみを感じることもあるだろう…
愛ゆえに怒ることもあるだろう…
愛ゆえに哀れみを感じることもあるだろう…
愛ゆえに悲しむこともあるだろう…
愛ゆえに喜びに浸ることもあるだろう…
愛ゆえに後悔することもあるだろう…
愛ゆえに涙を流すこともあるだろう…
……………
………
…
愛は、すべてだ。
すべてを生み出すその根源、それが愛だ。
愛こそがこの世のすべてである。
宇宙それ自体が、愛なのである。
つまり、君自身も愛なのである。
宇宙…、すなわち自然を意識することなく、宇宙から切り離された多くの現代人が路頭に迷っているのは、愛の忘却ゆえなのである。
地位や学歴… プライドや肥大した自尊心… カネや所有物… 他者との比較や他者へのライバル心… 嫉妬や優越感…、こうした幻惑に翻弄され、人々は何が本当に大切なのかを忘れてしまった…
愛は、君の中にすでに存在している。
なぜなら、君の存在こそがすでに愛だからである。
愛とは、他者の言葉の中に見いだすものではない。
愛とは、君の中にあるすべてが自分自身であること、それが自分自身であること、それを受容すること、それに気づくこと、それこそが、愛の最も根源的な火種なのである… 難しすぎてそれらはまだ分からないけど、愛がなんたるかは自分の中でずっと課題なんだ
余りに分からないから、色んな人の表現を聞いては、自分との差異で自己の形を見出そうとしてる
まず愛とは?の問いで殆どの人は「自分から与えられる能動的な何か」の話をしてくれるけど、
自分にとっては「誰がどれだけどんな風に自分に何かをしてくれるのか」という問いをしてるつもりでしかなくて、
その立ち位置の違いにギョッとしたりする
与えられた分しか他人に渡せないというのが本当ならどうしようと不安になるし、
人間としてのステージの違いみたいなものに呆然となる
ただ、どこかの馬の骨な誰かに分かるだろうという表現で、膝を折ってくれてるのは愛だと思う
愛とは想像力なのかも?と今は思ってる、自分はそこまで気がいかないけど
人間が一番辛いのは46の壁だと常々言ってる人が居て、自分にはまだ遠いから、それがたたただ恐ろしいのだけど、
その時全てが取り返しのつかないレベルで折り返すのかな?
その時自分の中に愛がなんたるかがあれば乗り切れるんじゃないか?と思ってるんだ
空も、鳥も分からないけど、雨は好きだ
今日ばっかりは皆憂鬱なのだろうと思うと 最近普通に生活送れてます
2ちゃん板を覗くこともほとんどなくなりました
寛解?それとも治った? >>116
実は、この自分が「愛」について述べていいのだろうか…? という気持ちもある。
なぜなら、この地球上で到達しうる最高峰の愛の状態に、自分はまだ達していないと感じる部分もあるからである。
それを念頭に置いた上で、それでもなお、愛について述べたいと思う。
愛は、数学の問題を解くように頭で答えを出すものでも、知識として蓄積するような類のものでもない。
ある意味愛とは、人の「状態」ともいえる。
それは、恋愛感情や親子としての感情など、特定の個人に対してだけに抱く感情なのではなく、それさえも超越した慈悲のこころを、すべてに対して普遍的に抱き続ける「状態」といえるだろう。
すなわち愛とは、他者から受け取ることを期待する性質のものではなく、自らが与えることに焦点をあてる性質のものなのである。
まず初めに与える必要がある人、つまり、初めに愛する必要がある人、それは君自身だ。
たとえ君自身がどのような自己像を抱いていようとも、自分自身のすべてを受け入れ、自分自身を愛することだ。
「愛を理解してから自分自身を愛そう」などという、無意識的な考えは捨てる必要があるだろう。
そもそも先に述べたように、愛は頭で理解することではなく、感覚的な性質のものだ。
生まれた瞬間から君の中にはすでに愛が備わっている。
君という存在の本質は愛なのである。
その本質を覆い隠すもの、それが思考であり想念なのである。
なので、想念をいったん切り離し、「今この瞬間に在る」ことが大切だと、何度も伝えるのである。 46の壁…?
そんなものにこだわる必要はない。
そんな無意味な信念形態はさっさと捨ててしまえ。 >>117
かなり簡単にいえば…
精神医療の諸問題に気づき、向精神薬の減断薬が完了して、ある程度の期間が過ぎて離脱症状が落ち着き、その後普通に生活しているのであれば、それは「治った」といってもいいだろう。
これは正確にいえば、そもそも双極性障害ではなかったのだから、適切に精神医療と向精神薬から抜け出して体調が快復した、といったほうが適切だろう。
一方、向精神薬を服用しつつ普通の生活を送っているのであれば、それは「寛解」ということだろう。 真面目に、真面目に聞いてるんだけど、コロンは博識だし知的だ
だから自分には分からないような答えを知ってる気がする、しかも明確なやつだ
もう、どうしてもだめだと思った時に、どうしたら一番、弱い自分でも覚悟を決めて、
つまり痛く無いし楽なはずだと医師目線でも言えるような、信じるに値する方法があるのかな
それは一般人には手に入らないんだろうか?
知識だよ、知識として 知識欲なんだよ
知識欲
単にプロに聞いてみたいんだ
こうやったら人間怖くなるよ、しわわせな気持ちが持続するよって方あ法るはずた頼むから、知識欲として教えてくれないか? お流しします
できへば大切な人と可能夏やつ
その人と思い出探した何かして、そういつしわせがあるといいなんてそんな贅沢もいいたくなるけど個人として良い結果を押して欲しい
こんな事主治医にだっていい無いんだ
いの一度だかけどだけにたわせたら
そんなんなきもちになるだけとぇしょ
頑張ろうよもえと追えば頑張れるでしょってなよわねた、たてえないきがいをつみつからいいんぇすけ子どよ育てるとかシコドとさわ、そういぬセイ論モウ、シンドウ感じる
そつすな、いだてないだてにげちゃだて、
どうらしんといんだわ
みん大おおきめにおんだしき何言ってんのかな推古があずかし
良いよことんは博識だしかしこいきっと、いちぶでよんでくれるスピ✧︎ •̀.̫•́✧︎あるはやめてくれ今無理だ死ぬ方法おしえて もうけまんかいだ年刺さまいてσ(´・ε・`*)こまかすのはもうみにだら
ねつつけて何が変わる之まかかわむだになるかそままくがでてた食欲ないしんばいとしねはまあさいいの同時に歓喜悪ろうなにもかもそとのしけわきががめなんだ音もてれびも頼む頼むよコロンしかいないんたわ 薬はむ「だってくるしくて
ちりょくも苦しくてきすくいた首を知れたれんたんは?飛び起き怖 フルニトラゼパムのおかげで何言ってるのか自分でわからないごめん
スピリチュアリズム以外でなんとか、医師として楽な方法怖くない方法を教えて欲しい
出来れば心中できるやつかな
もしかしたら相手が望むかもしれんから
いや知識欲で、頼む お願いします
こんな事お医者さんにいえない
博識だし知性にあふれるころんにしかいえない
たのむよ >>26
お〜い
大丈夫か〜?
フルニトラゼパムでだいぶ酔っぱらってるな(笑)
楽に生きる方法は簡単
あまり考えすぎないことだ 覚めたつもり
それで、楽になる方法なんだけど
楽に死ねるやつ頼みます >>129
ふざけんなw
老衰でこの世を去るまで命を全うすることが一番楽な他界方法だろう。
ところで、君はなんで氏にたいと思っているんだ? めまい持病なんだ今日も、回転、1時から今まで吐いて吐く時の勢いでおしっこ漏らす
立てないし苦しい、3時間くらいなら我慢するけど今日はほんとに
ラミしか飲んでないし
耳鼻科も神経科も行ったけど理由なし
精神科ではストレスって
そうやって倒れたら周りの人が許すでしょ期待しなくなるだから体がやってるとか言われるまるでワザとやってるみたいな
そうだったとして数時間苦しむか?って聞いたら心次第だからだって
えらんで苦しんでるんだ自分が一番かわいいからだとよ
もうきつい一生これか?ストレスストレスって家で一人でいる時に起きんのにって言ったら
すぐ出るわけじゃなく心の蓄積でだつてよ
もう誰も助けてくれないんだろ
誰も聞いてくれないんだだからコロンお願い幇助にならない程度に可能性、知識欲でなんとか
情けないけどさもう疲れたんだ 何でかに答えてないなもうすぐ旦那が無職になる自分が支えろだろしょくれきなしのじぶんがパートでいくらだ
こどもいないしもういいよ人に嫌われて
精神科は知的に混ざれば自信つくだろだってよもういいよ >>132
なるほどな〜
それは状態的にもつらいし状況的にもつらいよなぁ…
まぁとにかく、君の状態では働くのはキビシイだろう。
バイトでもパートでもなんでもいいから、旦那に稼いできてもらえばいいだろう。
耳鼻科と神経科でめまいの原因はわからないと言われたのは、ある意味 良かったじゃないか。
なぜなら、身体的には問題ないといえるからであり、テキトーな病名を付けられ、医療ビジネスのカモにされなかったからでもある。。
精神科がなんでもかんでも「ストレス」や「気の持ちよう」などで片付けてしまうのは、
大多数の精神科医はテキトーにマニュアル化された向精神薬の出し方以外の病気のことは、ほとんどなにも知らないからである。
それゆえ、なんでもかんでも「心の問題」として切り捨ててしまうのである。
ただ、それも一理あるとはいえる。
なぜなら、昔から「病は気から」と言われているように、心の状態が身体的な不調として顕在化する場合もあるからである。
しかし精神科医の場合、本人の心の状態を洞察し、もつれた糸を解きほぐす術を身に付けた上で「心の問題」と言っているわけではない。
ただ単に、なにもわからないがゆえに「心の問題」というあやふやな領域に原因があるかのように逃避しているだけである。
そうした精神科医の言動は、精神科医自らの無知をごまかすと同時に、向精神薬による薬物療法に正当性を与え、精神医療を疑うことなく、末永く通院させるための画策ともいえる。
もちろん、すべての精神科医がそうした低俗な精神性を有しているわけではないが、大多数の精神科医の気持ちの裏には、自己正当化と利潤追求の心理が隠れているものである。 それはともかく…
めまいが持病ということだが、それは精神科へ通院し始める前からあるのか? それとも精神科へ通院し始めてから現れるようになったのか?
それから、「今日はほんとにラミしか飲んでないし」とういことだが、いつもは他にもいろいろ飲んでいるのか? めまいが始まったのは夫の風俗通いが発覚したころ
その頃同時に妊娠もしてて処理できなくて頭の中が熱を持ったみたいにおかしくなった
当時飼ってた猫が、突然の妊娠で動揺してた私のせいで、ドアの隙間から逃げ出してしまって、
婦人科から帰ってきたら居なくなってた
後々発覚するけど管理会社が猫嫌いでゴミ袋に入れて捨ててしまってた
そんな事知らないから真夏にチラシ配って必死で聞き込みして、猫探しと、妊娠とって状態が続いて、どんどん頭が変になっていったんだ
数週間後に何度目かの管理会社にいって、頭下げて必死で頼み込んで、絶対に問題にしない、警察にも言わない、
ただ埋葬してあげたいだけだと約束したら捨てた場所をボソボソ教えてくれて、
それは最初に聞いたところから10km以上離れた所だった
必死で探して探して、やっと、もう酷い状態だったその子を見つけた
妊娠は一度きり、あれは精神的なものなのかどうか分からないけど、立ちくらみみたいなものが始まったのはその頃
ズキズキ下腹部が痛くて、猫なんかにかまけるなよと怒られてる気分だったけど、
猫とは10年以上一緒だったから諦めがつかなかった
埋葬して、しばらく記憶がない
ある日出血があって、ああダメになったんだと直感があった
婦人科に電話をしたら、堕胎はきちんとしないといけない、流れたといっても残ってる可能性もあると凄く熱心に叱られたけど、
どうしてもどうしても外に出られなかった
毎日真っ暗な部屋で天井を見てた
その頃からめまいがはじまった
最初は病気だとおもってあちこち行った
意味のわからない、平衡感覚とか耳に水入れるとかグルグル回るスクリーン見るとか電極つけて簡単な計算やらされるとか
とにかく馬鹿馬鹿しい検査を1万くらいかけてうけて、
精神的な問題ですかねーだって だから精神科に行き始めた
私はそのころ頭がおかしいって言われて仕方ないくらい変だったからかな
でもね精神的な問題で昼の1時から夜の8時まで苦しむの?胆汁まで出して失禁してさ、そんな事繰り返すの?
自分を守るために?周りが期待しなくなるから?そうやって自分を守ってる?
自分が一番可愛いからだと?
ねぇ身体ってそんなにポンコツなの?
もう本当に苦しいよ、誰も助けてくれない、理解してくれない、夫も私を理解出来ない、めまい起きた後、脳が記憶するとかでしばらくどうしてもフラフラするでしょ?
あれ見て本当に軽蔑した顔で、「今の何?」だって
そうやって詐病扱いされて、私が仰向けで嘔吐して窒息しそうになって何度もバンバン跳ねてる時すらきたねーなって
もう本当に、助けてほしい、もう限界なんだよ
ああ忘れてた、薬はラミクタールとワイパックスだけだよ、他にも色々言われたけど、薬はまだ見ぬ子供に何かあったらって思って、飲みたくなかった フルニトラゼパムは怒られるだろうけどあれだ、その、ゴニョゴニョだよ
書けないけど 私ね夫しか経験無いの、夫としか付き合った事がない
だから男の人がどんなものか家族と夫しか知らない
大声出して恫喝するとか、1時間以上キレてハンマーであらゆる物を壊して回るとか、
精神病が原因らしいけど突然キレて髪の毛引っ張り回してくる兄とか、それ見て母親だけ逃げるとか
だから大声も出さないし殴らないし髪も引っ張らない人が理想の人で、そんな人と出会えて幸せだと本当に思ってた
でもこれって当たり前なんだってね、後で友達に言われたよ
理想の人は?って言われて、みんなお姫様みたいな事言うんだよね
優しくて面白くてかっこよくて思いやりがあって背が高くてお金持ちでみたいな
でもうちの夫は優しいんだよ、弱いところもあるけど優しい、多分かっこよくないけど私の角度からみたらまつ毛が長くてキリンみたいでかわいい
だから私があの優しいキリンを苛立たせたんだと思う
いっぱい迷惑かけて、不安定な精神状態の女と暮らして、そりゃキリンだって蹴り倒すよ
だから私が悪いんだね、冷静になってきた
だから二人で死ねたらいいな
よろこびのうた を知ってる?
円錐手術?っていうのをやったよ、子宮頸部異形成で
DNA検査したけど低リスクだった、定期検診、最後は確か1年後だったかな、
全部検診は一人でいった
それが何で、どうやって感染したのか知ってるけどタブーだった
夫はね、弱い人だから37度とかでたら死ぬ死ぬって騒ぐの、このまま熱下がらないんじゃないかって
弱い人でしょう、でも優しいんだよ >>135-138
なるほどな〜
こころに負担がかかる出来事が短期間にそれだけたくさん押し寄せれば、めまいが現れてもなんら不思議ではないだろう。
例えるなら、一度にたくさん食べ過ぎて、消化不良を起こしていたようなものだ。
ここでいう食べ物とは、直面した現実から湧き起こる「感情」のことである。
つまり当時、大量の感情エネルギーが君の中を占拠し、いったいどれから消化したらいいのか、もう訳がわからない、という状態になっていたのだと思う。
短期間に押し寄せた出来事を項目別に整理してみれば、そのどれもが消化に時間がかかる出来事ばかりである。
・予期あるいは予定していなかった突然の妊娠
・旦那の風俗通いの発覚
・かわいがっていた飼い猫の行方不明
・管理会社の非人道的行為の発覚
・飼い猫の喪失
・流産
人によっては、この項目の中のどれかひとつの現実に直面しただけでも、それから湧き起こる感情を消化できずに、心身の不調が現れる場合もあるだろう。
人それぞれ経験する現実は様々だが、よく「その人が乗り越えられない現実は起こらない」といわれる。
言い換えれば、たとえ試練としての現実が起きても「その人が乗り越えられるレベルの、適度な現実が現れている」ともいえるのだ。
すなわち、試練ともいえる現実が、短期間のうちにいくつも重なった君は、本質的にそれらを乗り越えるだけの強さが備わっているのだろう。
実際、君の書込みからは、どことなく芯の強さのようなものを感じるのである。
項目の一つひとつから湧き起こった未消化のままになっている感情があるのであれば、それらを消化することがめまいの解消につながるのだろう。
すなわち、許すなら許す、許さないなら許さない、受け入れるなら受け入れる、受け入れられないなら受け入れない、といった具合に、自分自身の中で納得のいく落としどころを見つけるのである。 妊娠に関しては、計画的に子作りしていたり、不妊に悩んでいた夫婦ならともかく、突然の妊娠は誰にとってもショッキングだろう。
人生の行路を突然変えることを迫られるわけだからな。
特に女性の場合は、それまで抱いていた夢や希望をすべて投げ打って子育てに専念しなければならない、という本能が働くだろうからなお更だろう。
旦那の風俗通いの発覚は、女性によって許す・許さないの選択が真っ二つに分かれるだろう。
許さない女性にとっては、もうとにかく絶対ダメ。ありえない。終了。といった感じだろう。
許さない女性に対し、たとえ旦那が言い訳や平謝りを駆使してその場を丸く治めたように見えても、女性の心の奥深いところでは火種がくすぶっており、違った形で様々な軋轢が生じ始めるだろう。
許せる女性は“あっけらかん”としたもので、「愛人よりもマシ」とか「気持ちが移ってなければいい」とか「風俗女は所詮性欲のはけ口で、旦那の気持ちは私にある」など、男以上にクールであったりする。 猫と管理会社の件については、当時、チラシを配って必死に猫を探す君の姿を思い浮かべると涙が出る思いである。
たしかにペットというものは、人間と動物の寿命を考えれば、いづれペットの死別を経験することとなる。
実際、自分も何度も飼い猫や飼い犬の別れを経験している。ペットを飼う以上、ペットとの死別はつきものである。これはペットを飼うときから覚悟しておかなければならない現実である。
しかし君の別れは特殊であった。
管理会社の人間は、君の飼い猫を殺したことに、いつの日か葛藤することになるだろう。
そして君の飼い猫は、10kmも離れた場所から亡骸を捜して埋葬してくれた君に感謝しているだろう。
君に飼われ、君と共に過ごした時間を、本当に幸せなひと時であったことをこころに刻んだことだろう。
君の飼い猫は、君との楽しい思い出、そして猫を想う君の情熱を胸に、こころ安らかに天国へ旅立った。
だから大丈夫だ。
流産については、子どもは、自らの魂を進化させるために相応しいと思われる親を選択して生まれてくるようだ。
しかし、君の家庭に生まれてくることを選択した魂は、当時の君の複雑なこころの内を察知し、君にそれ以上負担を掛けないよう、生まれてくることを延期したのかもしれない。
そうして見れば、流産は君の家庭に生まれてくることを選択した魂の愛の表現ともいえるだろう。 薬に関しては、飲んだり飲まなかったりすると離脱症状の関係から精神状態に混乱をもたらしやすい。
とくにベンゾ(ワイパックス)は、効いたときも抜けたときも、その感覚を感じやすい薬である。
なので、いつの日か、ベンゾを抜くなら抜くで意志を固めて、時間をかけて少しずつ段階的に減らしていく漸減方法で、離脱症状を覚悟の上で減断薬したほうがいいだろう。
まぁともかく君は、うつ病でも双極性障害ではないだろう。
当時、ヘビーな現実に直面して正常な反応を示しただけだ。 話は替わるが…
今までキリンのイメージといえば、ただ単に首の長い馬やロバくらいにしかイメージしていなかったが、グーグルで「キリン」の画像検索をして改めてよく見てみると、なかなかカワイイ顔をしているんだなw なんで辞めたのに仕事の話聞かないといけないの?ばか?
そんなこともわかんないの?いっぺん死んでくれ?
自己中もいいとこだよほんとばか
自分を省みてみろ、あほの極みだろ
なんであんな謝り方しかできない?謝ってないよな?ただの八つ当たりだよな?
言葉ヅラだけは謝罪で、中身はイラつきや私を分かってよ労わってよばっかり
あなただけが大変なんじゃないしあなただけが怒ってるんじゃないよ
私だって体調は悪いしやり場のない気持ちを伝えたかったし怒ってるよ
歩み寄ったってあれか
私はあの謝罪を許さないからな
はいはい私が全部悪かったです申し訳ありませんでしたとか
よくそんなに人を無下にして逆なで出来るなあって尊敬する
それで自己嫌悪にならないのかな
私なら無理よ 強くなんか無い、でもそれぞれを切り分けて考えるなんて思いつきもしなかった
いつまでも言うなとも当然言われてしまうし、時間薬もあるだろうと思っているし
でも、もしかしたら、これまでの事も全て未消化なのかも
あの子がいなくなって写真も食器も何もかも関連するもの全部一気に捨てかけて、夫に強く止められた
これまでもそうだけど、大きな喪失に耐えられないのか、何か起きると最初から全て無かったことだから辛くもなんとも無いみたいな方法をとる性格がある
ペットロスの相談した友人曰く、最初は辛いけど、段々と一番元気で可愛くお馬鹿だった頃の事が浮かんでくるよ、苦しんでるような姿は薄らいでいくよって言われたけど
私の中ではあの子はあの姿だし、元気だった頃の写真すら見られない、もう何年経ったろう、思い出したく無いし考えたく無い
結局どうしていいか分からなくて同期もしないで8000枚以上のあの子の写真を入れたまま、バッテリーが膨らんで変形してる古いiPhoneの充電を維持し続けてる
人間関係も電話番号を登録するなんて滅多にしない、必要があれば登録するだろうし、かかってくる
そうじゃなければそんなもんだし、メールアドレス変更のお知らせなんてのも送った事がない
当然友人は少ないし同窓会に行くと矢継ぎ早に色んなウワサの真偽を聞かれ、連絡先交換を迫られ、方法が分からないと言うとメモを渡され、
でもそれも結局捨ててしまうから、連絡すら来なくなって、もう行く場所も無くなった
もう若くないし前後不覚の中途半端なおばさんになっちゃった
生きてる理由を見つけるのが難しい、若く健康であればこんな事何でも無いんじゃ無いかと思う様な気もするし、そもそもそんな人間じゃ無かったのかとも思うし
人生は快楽の追求だ、なんて本にかぶれて信じてた自分も居たけど、本当はそうじゃ無いって知ってる気がする
死ぬのって苦しくて痛くて辛いんだろうから、怖いのが怖い
窒息しそうになって失禁してる時、こんなに何時間も苦しいのにまだ死なないんだなって変に感心する
細胞レベルで頑張ってるのを感じるっていうか、自分以外が自分を生かしたい?生きたい?何かがあるみたいな気持ち
私って感覚だけが意味消失出来たら、それらに何かを譲れるんだろうに
死にたいとか思ってる自分を殺したい
そしたら私のキリンを幸せにしてあげられる 助けてほしい時って誰に頼ったらいいのかな
病院で病気にされるなって言うのなら、家族もいないのなら メジャーで、1%萎縮の
もっと具体的なソースをください コロンまじでお願い
メジャーでいしゅくするの、話前してたじゃん
過去ログ見れないんだよ
それ、もう一回読みたい
主治医はネットの情報とかwって感じ ねぇ助けて、飲まない理由が欲しいんだよ、家族も医者も飲めって、飲みたくないって言ってんのに飲んだら良くなるってさ コロン絶対結婚してないよね、子供もいないはず
なんでしなかったの?してたとしてなんで今そうなの?
人間嫌いなの? >>150
良くなりたくない、一生キチガイがいい、だから飲まないでいいんじゃないの? >>145
ラクダ…じゃなくて…、キリンの幸せよりも、まずは君の幸せを第一にすることが肝心だ。
なぜなら、君が幸せな気持ちでいること、そして満ち足りた気持ちでいることが、結果的に君の周囲にいる人や関わる人すべてにその恩恵を与えることにつながるからである。
たとえば、スーパーのレジ打ちや飲食店の店員など、社会で関わる人々を思い浮かべてみよう…。
そうした人々との関わりの中で、幸せそうな人や満ち足りた感じがする店員というのは、客の立場からしても、どことなく気持ちのいいものである。
しかし、悲壮感や他者に対する敵意など、ネガティブな感情を内に秘めている店員というのは、どことなく居心地が悪く、あまりいい感じがしない。
これと同じように、君がの幸せでいることが、結果的に他者へ幸せを分け与えるのである
もしも他者を幸せにしたいと願うならば、まずはこの原理を肝に銘じておくことである。
つまり、他者に幸せを与えるとは、自分自身の幸せの「おこぼれ」しか与えられないのである。
それゆえ、まず第一に、「自分自身が幸せであること」、それが大切なのである。 うむ〜
>>150にレスしたいのだが、NGワードやホスト規制とやらで全然書き込めない。
どのキーワードが引っかかっているのかわからん…
なので、とりあえずURLを抜いてトライだ!
>>150
メジャートランキライザー(抗精神病薬)の影響による脳の萎縮は、DSMの編纂にも携わった経緯のある統合失調症の世界的権威、『ナンシー・C・アンドレアセン』氏によるMRIを用いた研究によって明らかにされた。
『確実に脳を破壊−統合失調症の薬剤治療』
(URL) OK〜、書き込めた。
とにかく、メジャーの影響による脳の萎縮の根拠は、
「DSMの編纂にも関わった経験のある統合失調症の世界的権威、ナンシー・アンドレアセン氏によるMRIを用いた研究によって明らかにされている!」
である。 先生、
ハローワーク提出書類に主治医の「そううつ」の記載。
現在の状況:睡眠リズムがバラバラ、時に疎外感を感じて逃げる、
これが病的なら何とかしたいです。
何に取り組んだら良いんだろう? >>159
睡眠リズムがバラバラなことも、疎外感を感じて逃げることも、べつに病的なことではない。
睡眠サイクルが不規則な傾向は、フリーランスで仕事をしていたり、自営業に区分されている人々の中では多い。
また、たとえば出版社の編集者など『フレックスタイム制』を導入している会社の社員なども不規則な生活をしている。
このフレックスタイム制とは、社員各自に割り当てられた仕事を結果的に達成できるのであれば、いつ出社していつ退社しようが基本的に自由、というスタイルのことである。
もちろんそうしたフレックスタイム制を導入している会社の場合、社員各自のスケジュール管理が大切なのだが、
やるときはやるが息を抜くところは抜く、という一般的な会社員などと比較してかなりアバウトで不規則な生活スタイルになやすい。
こうしてみれば、朝8時に出社して夕方5時に退社するという、いわゆる“ふつう”と思い込まれている生活リズムは、べつにふつうでも何でもなく、社会の中で限られた人々の生活リズムにすぎないことが浮き彫りになる。
なので、睡眠リズムがバラバラなことくらいで、それがまるで病気であるかのように心配するのは、まさに“とり越し苦労”ともいえるのである。 「時に疎外感を感じて逃げる」については、言い方や視点を変えれば「居心地の悪い場所から離れる」と言うこともできる。
これは自然なことである。
アパートやマンションを借りたり、住宅を購入する際にも、人それぞれの価値観から、自らの居心地が良さそうな場所を求める。
また、職場などの選択も、給料の額などよりも、どちらかといえば人間関係などの心理的な居心地のよさを重要視する人が多い。
こうしてみれば、居心地の悪い場所から離れ、居心地のよい場所を求めるというのは、人間、さらにいえば生物全てか有する極自然な基本的欲求ともいえるのではないだろうか…? 君が取り組むべきことがあるとしたら、まずは、今の君自身を君が受け入れてあげることだろう。
睡眠リズムがバラバラでもOK
時に疎外感を感じて逃げてもOK
それが今の自分。
だからそれでOK
ある意味、人とは変化し続けるものである。
「今」とは、その変化の過程のほんの一瞬にすぎない。
今を否定するということは、その変化のスタートラインにすら立っていないような状態である。
なので、まずは、今の君自身を君が受け入れてあげることが大切なのである… そのままだと誰かに迷惑をかける
迷惑をかける自分もok
きらわれて一人ぼっちになっていく自分もok? >>163
要するに、最近、友達との会話に溶け込めなくなった、ということかな?
で、そうした状況に寂しさを感じ、まるで自分が疎外されているかのような妄想を膨らませている…
ちがうだろうか…?
個人的な感覚なので当てはまらないのであればスルーしてほしいがと思うが、君がそうした状況になるにはいくつかの要因が考えられる。
・一つは、君自身が急激な精神的成長の過程にあり、友人たちの世俗的な話題に興味が薄れ始めているケース
・一つは、君に(いい意味で)悩みがあり、その悩みが顕在意識を圧迫し、友人たちの会話に集中していないケース
・一つは、自分ではない自分を演じようとしているケース
・一つは、(これは精神科などへ通院し、気分安定薬や抗精神病薬、ベンゾなど、いわゆるダウナー系の向精神薬を服用している人に限定されるが…)
薬の影響で思考力や認識力などが低下し、何事においても“うわの空”になっているケース
…などである。
誤解のないようにいえば、自分は君が友人たちに嫌われないようにするためにこうしたことをいっているのではない。
なぜなら人間関係において、あえて人に嫌われるような言動をする必要はないが、あえて好かれようとする必要もないからである。
どんなに人に好かれようとしても嫌われるときは嫌われるし、好かれようと思ってもいないのに好かれるときは好かれる、人間関係とはそういうものである。
であるならば、無駄な努力をやめて、あるがままの自分でいた方が気楽に生きられるではないか…
つまり、君が君として、「あるがままの自分でいいんだ」ということに、気づくことが大切なのである。
あっちの双極スレを見ればわかるように、この自分のことを嫌う人は嫌うし、好意を持ってくれる人は好意を持ってくれる。
自分ではない自分を演じようとすると疲れるし、不安にもなる。
大切なことは、自らが規定した型に自らをはめないことである。 ただ、君が本当に懸念しているのは、交友関係において「どうもいままでの感じとは違う」ということなのかもしれない。
その要因は上で述べた項目のそれぞれが関係しているのかもしれない。
肝心なことは、精神的な成長において、君がひとつの転機にさしかかっている可能性がある、ということである。
精神医療の問題点に気づくことも精神的な成長をうながすだろう…
悩みを通じて精神的な脱皮をすることもあるだろう…
人間関係を通じて精神的な成長をとげることもあるだろう…
本当に自分が望む生き方…
あるがままの自分であるということ…
つまり君は今、精神的、すなわちスピリチュアルな領域での成長をとげようとしているともいえるのである…。
精神科や向精神薬が問題なのは、せっかく精神的な成長の転機に差し掛かったのに、その機会に取り組む力を奪ってしまうからである。
生まれて初めて精神科などの門を叩いたとき、人それぞれ辛い状況や状態であったと思う。
しかしそれは本来、自分自身と自らの人生とに向き合う絶好の機会であったのである。
人間は、成功からは多くのことを学ばないが、失敗からは沢山のことを学ぶともいわれる。
だからこそ、現況から気づきを得て、君が望む人生のイメージを描く希望と力を思い出してほしいと思うのである。 先生の>>159の答えに対して、それを実行するとこうなるけどOK?と>>163は聞いてるんだと思うよ
ありのままを受け入れるって悩んでる人に許しのワードとして聞こえはいいけど、結局はそれを続けてたら何らかの形として生きるための負債が溜まっていくわけで
生きていく為に必要なこと、いづれはしなきゃダメなことを先伸ばしにしてるだけなんだよなぁ
努力はどこかでしなきゃそのままでは抜け出せない
例えば道に迷いました、どうしよう、どうしよう、そうか!道に迷ってるこの状況をありのまま受け入れたらいいんだ!って
確かにその場は状況を受け入れたことでホッとできるかもしれないけど、次の行動に移さなきゃゴールへは到達できないわけで
迷路でその先に出口が見えててもそこまで歩こうともしないなら結局は迷路にいるままになる、それでもOK?いいや違うよね、そのままが嫌だから悩んでる
悩みから抜け出せるか抜け出せないかは己の行動次第だよ
これに尽きる、実行に移せるか移さないだけ
そして実行しみてダメなら他の手を考える
それでもダメなら「生きるための術がないってことを受け入れる」
これが答えなんだとおもう
生活がかかってる悩みに対してだけど >>166
言いたいことはわかるし、ある意味その通りだろう。
しかし、「あるがままの自分」とは、ただ単に現状の自分自身を指すものではない。
「あるがままの自分」とは、社会に蔓延る通念や自分自身の内部に根ざす思い込みなど、「あるがままの自分」を覆う、目には見えないもろもろの信念体系をそぎ落としたときにこそ、その存在を自覚するに至るのである。
すなわち、「あるがままの自分」を自覚するためには、それなりの努力と意図が必要ということである。
特に現代社会のように様々な価値観が蔓延する社会においては、「あるがままの自分」を覆う目には見えない想念上の不純物を洗い出し、それを排除していくプロセスは、それ相応の忍耐と努力、そして「あるがままの自分」を切望する情熱が必要だろう。
「時に疎外感を感じて逃げる自分」でもOK。そうした自分も自分の一部である。
それで嫌われるのであれば、その程度の仲だった、とういうことである。
つまりそれは「友達」というよりも「知り合い」程度の仲であった、ということであろう。
友達の定義も人によって様々だが、たとえば、10年間、お互い一切なんの連絡をしなくても、こころが通じ合っているようなそんな関係… それが友達といえるだろう。
これは言い換えれば、相手の状況や状態、心理面などに配慮できる関係ともいえる。
とはいえ、向精神薬を服用していると意識の変容をきたすので、向精神薬の服用中の感覚や考えが、純粋にあるがままの自分自身から芽生えたものかのかが、あやふやになってしまうのである。
そうした感覚を、向精神薬を服用している人の中には「本当の自分がわからなくなった…」などと、嘆くケースも多い。
すなわち、向精神薬は現実を複雑化してしまう場合があるのである。
だからこそ、向精神薬に起因する心理的混乱を解消、あるいは最小限にするために、精神医療や向精神薬の問題点やインチキに気づくことが大切なのであ… >>167
おー、イイ感じじゃないか。
すでに気づいたからこそ薬をやめているのかもしれないが、薬の影響がない意識がクリアーな内に、精神医療や向精神薬の問題点やインチキをじっくりと認識することが大切だろう… >>170
>>>167
確かに病気ではあるような気はしてるが、かと言って精神医療は危険なのでもう受けない
かえって悪くなる
ってか薬の副作用で起きられなかったりすることが、鬱で起きられないのか?と勘違いしてどんどん抜け出せなくなる
波があることは自覚できているのでテンションが上がったら余り活動しないとか、落ちてきたら規則正しい生活に気をつけるとか
自覚があって対処できれば医療より身体に優しい
廃人になる覚悟あれば医療を受けてもいいだろうが、自分は廃人はごめんだ そうかな
今レクサプロってのを、飲み始めた所だけど、めちゃくちゃ楽になったよ
5年は続いてた毎夜の悪夢が止まって、夢は見るけど凡庸な内容になり、
寝言は増えたらしいけど中途覚醒がなくなった
自分にとっては悪夢と中途覚醒が本当に辛くて、しかも何年も続いてたからウンザリしてた
それがレクサプロに変えた途端ほんの2週間ちょいで消えたんだ
生まれて初めて頭痛薬飲んだ時みたいな感動がある
毒にも薬にもなるんだと思うわ
ただ副作用なのか異様に喉が乾く、2リットル以上は飲むから常温のお茶でないと身体が冷える
夜中乾燥と気道縮小のせいか咳き込んで目がさめるからマスクや枕元の水、加湿器が必要ってのが悩みといえば悩み
でも悪夢と巨大な不安に苛まれる中途覚醒よりよっっっぽどマシ 自分もそう、結論から言えば薬も精神医療も頼ってよい。
昔デパスの依存と向精神薬の離脱で苦しんだから精神医療を頑なに拒否ってたけど、厳しい状況になって心療内科を受診(カウンセリングを希望でわざと精神科には行かなかった)。
そこで医師に薬を勧められたが拒否って漢方を処方してもらってたけど全く改善に至らず悪化していくばかりで、本格的にこのままではヤバイとおもい仕方なく向精神薬を飲むことに。
最初の薬は副作用が酷くてたった1日だったがツラいことを医師に告げると即中止になった。
それをきっかけに、やはり、精神医療や薬のせいでなく、大事なのは医師なんじゃないかと考えた。
最初の問診で医師に、過去に酷い目に遭ったことで医療不信があること、信用できる人はいないことを告げていたので、医師からしたら患者のツラいという声、イコール、助けてという声を聞き入れてすぐに対応したのだとおもう。
治療で一番大切なことは医師との信頼関係。
自分は大きな病気をしたこともあるので実感してるんだけど、これ本当に大事で、過去に酷い目に遭った医師は全て患者の話を聞き入れない暴君だった。
なのに、どこかで医師に助けてもらおうという受け身であったことが原因でツラい闘病生活を余儀なくされてしまって今思えばバカだったなと。
転院でもすればいいのにそれもできず、いわば歪な関係なのに我慢し続けていた自分がいて、それは生育環境に起因してるだと勉強して後に気付くことになるんだけど。
そうしたことを省みていたから、最初の薬トラブルが発生したときに医師の対応を無意識にみていたんだと思う。
そこで医師が何の対応もしなければきっと自分は他の病院に行ってたし、こんなに元気を取り戻していないと思う。 →続き
もちろん薬の副作用がなかったわけじゃない、少しは苦労もした。
けどそれは何の治療でもある当然のことで、向精神薬が特別なわけじゃない。
髪が抜ける治療に比べたら楽なもんだよ。笑
副作用のことも含めて医師と何でも相談しながら自分自身でも身体のことを勉強したり運動したり対策を考えて復帰に励む。
すると医師も協力してくれるし、もっとよい関係ができてくる。
医師だって人間なんだよ、よい人間関係を作るのは自分、これも当たり前のこと。
何事も最後は自分自身、何が悪いのか、どうしたら上手くいくのか、抜け出すにはどうするのか、一度自分を省みてみたらいい、そうすると自ずと道は開けてくるから。
そしてそこに手助けとして精神医療や薬を使うのは何も悪いことではない。
なんでも自分でどうにかしようとする考えこそが危険であり大変なこと。
それに選択肢を狭めるような極端な考えは道を狭めることになるからね。
以前に辛いのに我慢してその病気に居続けた自分がまさにそれだったから。
ただ見えなくなってるだけ、いや、見ようとしてないだけかもしれない。
考えが変われば物事の見え方も変わってくる。
コロン先生の案がちょっと怖いカルトに感じたから書いた。 >>174-175
まあな。
>何事も最後は自分自身
これはズバリその通りだ。
自分自身の人生をデザインし、自分自身のとらえ方を決めているのは他ならぬ自分自身だ。
つまり、自分自身には自分の人生を変えることも自分のとらえ方を変えることもできる、その力が既に備わっている、ということを自覚できればいいんだよ。
そもそも「人間のあるべき正しい状態」などいう明確な規定が存在するわけではない。
そんなものがあるように錯覚しているとしたら、それこそ妄想だ。
要するに、自分自身が何を望むか? を意識することが大切なのである。 もう秋だなぁ…
冷んやりとした夜の空気に、虫たちの音色が心地いい… トリプルコロンさんに質問
●反社会性人格障害や境界性人格障害、自己愛性人格障害について
現代社会では、それぞれの障害を持つ人は社会生活になじみにくいと思うんですが、
ヒトの進化上、こうした障害(特性)を持つ人々はヒトという種の進化に
どう貢献してると思われますか?
僕は健常者で、親しいものに障害を持つものがいて、このフィールドに
少し興味を持っています。
即答を求めていませんので、なんとなく考えておいてもらえたらで結構です
僕もお答えにたいして即お礼をのべられるか自信がないので。 167だけど
薬を止める前は、色々と自分の病気についてや薬についてや主治医の言ってることや論文が出れば概要見たり
自分の病気に集中してたな
今じゃ、ほとんど考えなくなった
疲れて起きられないとか起きても一日中やる気なくて眠いとか反対にテンション高すぎるとか、それが病気のせいだと頭に浮かばなくなったよ
よくよく考えてみるとやっぱり病的だなとも思うんだが、気にしなくても生きていけるな、くらいの軽い気持ちでいれるようになった
決して自分の病気を侮ってはいないが、周りにドン引きされてない限りはこのまま行くよ >>178
〜〜こうした障害(特性)を持つ人々は、ヒトという種の進化にどう貢献してると思われますか?
ある意味、非常に抽象的な質問で答えにくいのだが、あえて一言に要約して答えるならば、
「真実と偽りを見極める洞察力を養う機会を与える」と言えるだろう… >>179
イイ感じだな。
向精神薬を減・断薬するだけでも離脱症状などの影響で四苦八苦し、一度精神医療に関わると薬から逃れなれない人が多い。
にもかかわらず、向精神薬や精神医療から脱出できた君は非常に幸運の持ち主と言える。
元々君は、他力本願に陥らない人間的なポテンシャルを持っているのだろう。
そうしたポテンシャルを持つ君の、最後の壁とも言える障壁は、精神医学が掲げる病名はすべて虚構である、という事実に気づくことだろう。
これはある意味、精神医療だけに限定されず、すべにおける医療信仰からの脱却を意味する。
その発想の転換が起きてこそ、精神医療、ひいては西洋医学という世界最大の宗教から、真の意味での脱出を果たしたと言える。
もちろん、場合によっては、医者にかかることも必要なときがあることは否定しないが、医療ビジネスのカモにならないよう、リテラシー能力を十分に発揮し、偽りと真実を見極めるアンテナをはっておく必要があるだろう。
【医療問題研究会】
いちどくをこの本『双極性障害の時代 〜 マニーからバイポーラーへ』
http://ebm-jp.com/2013/11/news-455-2013-7-p08/ >精神医学が掲げる病名はすべて虚構である、という事実
んなわけwww
恐ろしいな、ここに入り浸る人達こそカルトに騙されるタイプだよ、気を付けて パーソナル障害って言葉がある以上、
理想的なパーソナルがある訳で、
それから逸脱するものは障害とされるのであれば、
人に迷惑をかける、だとかって事を定義にするのかな?
確かに読んでみると、これかもと思うものはあるけど、
それって星占いを見て当たってると言うのとはどう違うんだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています