余談だが、俺はそれまで「体罰肯定」の考え方だった。
中学校が荒れていて、しかし体罰が禁止されているあまり、
「とある1人の生徒(俺ではないよ)が、教師数人の前で、大人数にボコボコにされている」
という、イジメというか暴力というか、そういう光景を見たからだ。

教師数人は、ボコボコにしてる側(加害者側)の生徒を「取り押さえる」だけだった。
決して加害者を殴らなかった。
なぜなら、たとえこういう場合でも、加害生徒を殴れば体罰になるからだ。あと、教師の力で加害生徒を殴って、加害生徒が転んで頭を打ったらマズイとかの理由もあったのかもしれない。
この場合はむしろ「体罰」ではなく、「事情やむを得ない」「不可抗力」で、加害性者を殴って制圧するのは仕方ないだろう。

しかし、上記の「ノート事件」があり、
俺は「体罰」は絶対反対の考え方に変わった。

なぜならこの件は100%教師が悪くて1パーも俺は悪くないからだ。
教師が「分からないことは質問しろ」と言ってる以上、俺に落ち度は一切ない。

なのに周りの生徒は、
「俺が教師の立場だったらぶん殴ってるぜ」みたいに言っていた。
つまり体罰ということだ。

このとき俺が思ったのは、
「教師の側が間違っている場合でも『体罰』がまかり通ってしまう」ということ。
その危惧から、
それからは、体罰はいついかなる時でもやってはいけないと180度考え方が変わった。

最近、「体罰はいけないかもしれないが、最近のガキは調子に乗ってるから、ある程度体罰もいいんじゃないか」
という意見をヤフコメで見るが、
この意見に決定的に欠落しているのが、
「教師の側が誤っている場合がある」ということだ。