僕の思うこと

僕は世間でいうところの精神障害者だ

赤ん坊の頃には環境の変化があると寝れなくなる、デリケートと当時の保母さんがノートに残していた。

人生の大半を精神障害者として生きている。

僕は時々、思う。

右手の無い人がいて

それを世間の人が右手が無いと笑ったら、それは小さな事では無く、大問題にもなってそれは大変な事でしょう

だけど

僕ら精神のないところは見えない

だけど僕らの欠けた部分を世間の人が笑うどころか、えぐろうが

それは大問題にもなることはなく

僕らは調子を崩して終わりのない精神的に苦しい時間の中に落ちていく、どれだけ手を伸ばしても

世間はただ、これだから弱い、病気やねこの子

キツイ、つらい、泣きわめいても

傷はだんだん深くなる

身体の人達も一括りにできるわけでなく

様々な環境とその中の自己と生きている

僕らも強くありたい

だけれども弱いのが僕らなのだ

痛みの連続の上にある日折れるのだ

身体の人に対して大きく配慮に欠けた言葉であったろう