かなり突っ込んだ議論が続いて有難かった
なるほど回避型と不安型の人とはまるで別人種なんだね
ただ生まれながらの故郷喪失者だから同じ村人なんだろけど
回避型は受け入れないで見てるだけだけど、その生き方はかなりよく分かる
>>615
>回避型の人は見た感じ自分というものを確りと持っているみたいだから
ハハ、もってない、もってない、他人と距離保ってないと危機だから
超然としてるだけ、その超然とした態度が、確然とした自分がある様に見えるらしい
そう、みた感じ、中には何もない、ただ自分は曹洞禅の偽自我と真我というのが
あって、偽自我(親との対応を続けてる内に出来上がった対応人格、長い間これが自分
だと思ってた、思わされてた親に都合の良い自分の偽イメージの集合)
この偽自我のカサブタ状のものを引っ剥がす事ができて、真我が剥き出す経験を
得る事ができた、日本の伝統スゴイ(笑)
言葉で表すのは難しい次元だけど、そこは、確かに何もない場所だったが、
自分がいて良いところで、他人と共通の場所、もっと言えば生きてる樹々さえも
自分と等価で、あらゆるものが生きてる、肯定も否定もなくただ「在る」のですよ
自分、他人も全く等価でおなじく生きて「在る」のですよ
ね、こういう文章になってきて、お前はスピリチュアルに入れ込んでるバカかと思われるだろから
止めるけど、これも今の自分にはアリなんです。
>他者への貢献を必死になって繰り返してきた不安型
これは自分でも呆れるほど、心の中どこを探してもない、見事にない、ようするに傍観者
傍観者だから、誰かを自分の良い様に動かして利用しようというのも全くないけど
最近、脳科学なんかでオキシトシンが幸福ホルモンではあるが仲間内が何より大事だが
同時に徹底して異分子は徹底排除、変わり者には何してもいいというホルモンでもある
なんか凄くよく分かるなあ