自分の怒りを抑圧してるんじゃないかと思って検索してみたら以前誰かが書いていた加藤諦三さんの本の紹介に突き当たった
軽く扱われることに対しては元々不満に感じていたことだけれど
「元々分かってもらえない人から、分かってもらおうとする。そのことで感情が揺れ動いてしまう。悔しい気持ちになる。」
の部分になるほど、と納得。

自分でそういう人を選んでしまっている〜というのは色々な本やサイトでも言われているけれど
「元々分かってもらえない人」と断言されているかどうかでここまで気付きが違うものなのだなと


http://www.katotaizo.com/books/stable
> 今のかき乱される感情は、小さい頃に闘うべき時に闘わなかったツケのようなものである。
> 闘わないで我慢して、怒りを抑圧して生きて来た「つけ」である。
>
> 小さい頃から軽く扱われてきた。悔しかった。その悔しさを抑圧して、「良い子」を演じてきた。
> 周囲の人にとって苛めやすい人になった。幼児の頃から欲求不満な人の感情の掃きだめになった。
> 小さい頃苛められた子は、苛められやすい子になって、会社に入っても苛められている。
> 余りの屈辱に、心は屈辱に麻痺していながら、大人になるまで孤独の中で怯えて生きて来た。
> その悔しさを誰も理解してくれなかった。
> そうして大人になって、怒りで心をかき乱されるほどのことでもない事柄に、心はかき乱される。
>
> 感情的に振り回されるようになったのは、それだけ解放されてきたと言う事でもある。
> 無意識にあるものが、火山の噴火のように動き出したのである。
> しかし孤独だから、怒りながらも恐れも大きい。
> 怒りながらも、何か大変な事になるのではないかと怯えている。