>>293の概要

神奈川・川崎市にある日本理化学工業。社員85人の中小企業
ある時期から知的障害者を雇うようになっていた。
社長の息子隆久さんが入社した時は社員の7割、63名が知的障害者だった。彼らは主力商品であるチョークの製造に関わる重要な仕事を任されており、隆久さんは少しでも利益を上げるため健常者の雇用を増やし、生産効率を上げるべきだと考えた。
知的障害者を多く雇う理由。それを説くために、前社長泰弘さんは隆久さんに会社の過去を語った。

泰弘さんが会社を任されてまもない1959年のこと、近くにある養護学校の教諭が、知的障害を持つ生徒たちの就職相談に来た。
責任を持てないと思った泰弘さんは依頼を断ったが、教諭は諦めず何度もやって来た。泰弘さんはおよそ2週間という期間を設け、15歳の知的障害者2人を体験実習という形で預かった。
知的障害者は、一般的に読み書きや計算などに支障のある場合が多い。そこで、ラベル貼りを任せることになった。

ラベル貼りを任された知的障害を持つ2人の少女。2人は真剣な眼差しで集中力を切らさず、一心不乱に働き続けた。
さらに2人は褒めると満面の笑みを見せ、見ているだけで社員は癒やされた。

体験実習の最終日、社員たちは「自分たちが面倒を見るから」と、社長の泰弘さんに2人を雇うよう直談判した。
社員となってからも、2人は休まずに働いた。当時の泰弘さんには、障害者を働かせている罪悪感があった。
同情心で雇っていたものの、彼女たちにとって本当に幸せなのかと悩んでいた時、たまたま知り合いの住職と話す機会があった。
その時住職は、「人間の究極の幸せは、愛されること、褒められること、役に立つこと、必要とされることの4つ。障害者の方たちが企業で働きたいと願うのは、社会で必要とされて本当の幸せを求める人間の証し」と話した。
泰弘さんはその後、知的障害者の雇用を毎年増やしていった。