自己カウンセリングで統失が20年で治った?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
最近医者を替えたら「あなたは明朗で開放的だ。人当りもいい。とても統合失調症患者とは思えない。軽い躁鬱なのでは?」と診断された。
5回くらい通ったが「あなたは統失とは思えない。今まで誤診だったのかもよ。」と。
確かに幻聴はあったし、強い被害妄想があった時期もあった。
でも、自分としては治った、勝負に勝ったと考えたい。
自己カウンセリングについてはまた後で書きます。とりあえずスレ立て。 統失歴 20代半ば、資格試験のストレスと夜遊び(?)のストレスで統失発症。
但し病識は35まで無かった。「人につけられてる」と警察に飛び込んだり(被害妄想)、
幻聴に脅されてアパートの窓際に立って、外に向かって早朝大声で演説したりした。
30過ぎまで大学院に行ったが、窓からワンワン自分の悪口が聞こえてくる中、
同級生とも馴染めずハブられ状態。が気の強いオレは机を蹴ったり喧嘩を売ったりして
むちゃくちゃだった。 以上本日のキチガイ統失独り言をお送りいたしました
―糸冬― あ、忘れてた。
20代で一番ストレスだったのは、彼女とのお付き合い。
悪気はないがとにかく振り回すタイプで、こちらはものすごい振り回されて、
最後は向こうの母親に説教されるようになり、大きな心の傷を負ったまま
振られた。
そのころ、大学のカウンセリングに行ったり、臨床心理学の本を買ったり、
ユングにはまったりした。フロイトも読んだ。 映画「ビューティフルマインド」で統失と闘った数学者の話があるが、
私は彼と全く同じ症状だった。つまり、赤い物が全部「共産党」からの暗示に
見えたり、周囲から悪口を言う人が、みんな横のつながりを持っているかのように
錯覚した。
ちなみに私は、共産党に入党してみた。幻聴が「共産党」「共産党」というからだ。
1年半で全然効果ないことを知って止めたが。 30代後半から40代前半にかけて、自分は近くの大学図書館に通った。
生きる意味を探して必死だった。
働けない自分が生きている価値あるのかとか、
親が死んだらどうして生きていこうとか、
まず心を鍛えるところから始めた。 とにかく、自分は何者だ、何様だ。と、自己の成育歴の分析から始まり、
どの宗教にすがればいいのか(結局ぴったりくるのはみつからなかった)、
どの哲学者の思想についていけばいいのか、そんなことばかり
考えていた。 40歳時、ちょっと頑張って福祉の資格を取ってみた。
福祉はとにかく横の連携を重視し、コミュニケーションが不可欠の手段。
私はずっと口下手だったが、ちょっと福祉の仕事を始めてみて
どんどん自分のコミュ力が上がってくるのに気付いた。
嫌われること、ハブられることには何の怖さも無く、
それこそ自分が死ぬことも全く怖くなく、
そういう失うものの無さが覚悟になり、「嫌われる前に笑顔をふりまけ」みたいな
明るい性格になってきた。 自分のコンプを全部自己カウンセリングで取り払うこともした。
容姿・・・ハゲてきたが、顔はまあまあ。【この年になったら禿げてもくるで。と
自己暗示かけまくった)
貧乏・・・親の実家に住んで20年。独身。でも、統失なら働けるわけないし、
働けない哀れな人間を誰が責めることができる?と割り切った。
雰囲気・・・福祉は女性が多いけど、逆に「どの女性も俺なんか気にしないよ」と割り切った。
その他もろもろ そうしているうちにだれとでも気軽に話せるようになってきた。
自分を観察しすぎて、自分の弱点短所(と少しの長所)も大体分析し終わった。
すると、全てを受け入れる覚悟ができてきた。
ますます社交的になっていた。、 そしてとうとう、医者を替えたこの前、その医者をして「君は統失じゃないね」と言わしめたのだ。
さあ、みんな語れ 腐らず前向きな性格そうだし
なおったんだろう
おめでとう 1です。
実は、完全に治ってはないと思うのです。
一番の理由は、集中力(特に机の前に座って読書するとき)が30分程度しか
もたないのです。以前は3時間くらい余裕だったのに。
それから、仕事で複数のことをやらされると軽いパニックになります。
これらが、統失から来るのか鬱から来るのか、わかりません。 野菜果物がいいんですか?
ちょうど今ダイエット中なので、野菜は増やしています。 自己カウンセリングについて書いていきたい。
つまり、幻聴をいかに乗り越えるかということ。
自分には、「共産党」がどうちゃらと聞こえた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています