発達と話す気は毛頭ないが
一応他の人が誤解するといけないから書いておく
ポイントはこいつらが良く言う「発達に悪気はない」
対して「自己愛は悪意がある」
しかしこれは詭弁
相手が傷つくことを知った上でそうしてるかで分岐してるように見えるが
しかし相手が傷つくことを知った上でそれでもあえてそうしているやつが
自分のやっていることの意味が本当に分かっていると言えるのか?

いじめ加害者の常套句
「そんな大袈裟な」「冗談のつもりだった」
つまり相手が傷つくことを彼らは知らなかった
これは結局相手の感じ方にまで考えが及ばず
「悪意なく」いじめが行われたということじゃないのか
故に彼らに罪はないか?
考えるまでもない

悪意の有無は本人の意識で決まるものじゃない
知ってしかるべき事を
配慮してしかるべき事を弁えているかにかかっている
その基準は個人の外にある
そしてそれができない事を悪意という

もし悪意の有無で発達が自己弁護するのなら
発達の特性である他人への無配慮は
それ自体が紛れもない悪意と言える
発達はそれ自体が悪だということになる