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インパール作戦総合スレッドです
ワッチョイは御座いません >>465
何見たのか知らないが、ノモンハンの砲兵戦では3日間で約20900発だ。 >>466
一門につき1日1トンにしても。
ムッチーはそれさえ満たせないんだから
インパール作戦がバカの遠足な事に変わり無い。 >>460
まぁ陸自としても近接航空支援よりは揚陸艦攻撃に全力を投じて欲しいようだけどね。 空自による空爆なら事前に見つけた固定目標の精密爆撃が主流で
陸自部隊の前進に合わせたCASなら攻撃ヘリか常時滞空型の無人攻撃機だろう
戦闘爆撃機でCASってのは効率が悪い 日本陸軍の参謀連中って山越えで敵の後背を突くとかな作戦好きだけど、山越えの方が平地で道路がある場所を移動する
行動計画より地形の把握や補給なんかに綿密な計画がいるのに、大雑把な等高線しか引いて無いスカスカな地形図見ながら
「ここからここまで何日で進出」とか平気で線を引いて作戦立てる
モデルになる地形なら日本国内の山岳地でもあるだろうに、なんだったらそこへ行って自分で軍装身につけて携行食糧だけで
相当する距離を歩いてどんだけ大変か実体験してみればいいのに 八甲田山でそれやって数百人死んでるけど何も懲りてないのが日本陸軍 士官学校はまだまともなんだけどね
普通の指揮官を養成してる
陸大に上がるとくそみたいな司令官・参謀が多数輩出、いや排泄される(もちろん凄い司令官・参謀も多数いる) 牟田口や辻みたいなのもいるけど多くはまともなわけで
インパール作戦も兵站参謀は最初から「成功のめど無し」と反対してたし
そいつらを更迭してイエスマンに変えるとかそういうことやってるからあの大敗北になっただけで
軍レベルの参謀はそれなりの人物があてがわれてたんだよ
日本は指揮官じゃなく参謀の力が強いみたいな辻や服部のパターンばっか取り上げられるけど
実際はほとんどの場合司令官に変なのが就くと地獄を見る >>470
何も知らないぶんざいが何を言ってるのか?
進行経路に関しては、事前に徹底調査が実施されている。
それによって連合軍が極秘に作っていたジープ路が
すべて日本側にバレて、31師団はそれを利用して
迅速な奇襲に成功している。
なおこのことは過去、日本の書籍にはまったく書かれていない。
英第二師団参謀のアーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』に
そのことは書かれている。
(太田・インパール) >>475
デタラメ書くなボケが。
補給の問題から反対されたのはアッサム攻略作戦であり
インパール作戦ではない。 このようにインパール作戦批判は
嘘のオンパレードですw
反論があるやつは出て来い >>477
昭和18年6月のラングーン兵棋演習は無かったことにしたいらしい。 >>479
ラングーン兵棋演習では、補給に問題がある
なんて指摘は一切無いが? >>480
では具体的に書いてもらおう。
だれが補給に問題あると指摘したのか? >>482
こんなことも知らないでよく書き込めるな、恥というものを知らないのね。 >>476
戦争は道路上だけでするものではないよ、土足君w どうせアホは逃亡するからこっちで書くが
ラングーン兵棋演習では
インパール作戦は成功という結果が出ている。
しかし31師団の配備と投入に関しては
別案の異論も出た。
だが補給に問題があるなどという指摘は
まったく記録に無い。 >>484
だから具体的な反論はどうした?
だれが何と言ったのか? このようにインパール批判してるやつは
具体的に突っ込まれると
まるきり反論できませんwww >>480
もっと悪い。兵站の細部の研究はしていなかったのだよ、土足君w 平気で大嘘書くような奴なんか誰がまともに相手するんだよw
486なんか大嘘もいいところだ、どこにそんな都合のいいこと書いてあるんだよ。
インパールまで追撃したところで苦戦に陥って演習終了してんのにw 中参謀長や竹田少佐の宮に何と言われたのか全文書いてみろ >>491
ラングーン兵棋研究会に関しては
大田インパールに非常に詳細に書かれている。
15軍片倉参謀への取材もある。
作戦計画、攻め方に関しては異論もあるが、とりあえず
インパール攻略には成功するとした結論には異論は無い。
またこの作戦はやる必要があるとの結論にも異論は無い。 ラングーン兵棋研究会において激論となったのは
アッサム侵攻をやるかどうか。
しかしこれは補給が無理との結論で
15軍の案は退けられた。
しかしインパール攻略に関しては
まったく異論は無い。
この辺を日本の書籍では話をすり替えて
インパール攻略が否定されてたかのように
嘘の話が伝えられている。 しかしアッサム侵攻を反対した参謀らも皆
本来は国家方針としてインド侵攻は必要だと認めている。
結局のところ、やはりバカ海軍による対米決戦に
みんながだまされたということ。
あともう一息でアメリカ艦隊は撃滅させて
対米戦争に勝利できるのでは無いかとの海軍の妄想に
陸軍の多くもだまされた。 >>493
>作戦計画、攻め方に関しては異論もあるが、とりあえず
>インパール攻略には成功するとした結論には異論は無い。
ほう、南方軍、方面軍にも作戦計画があったのは認めるのかね、土足君w >>480
つまり、21号作戦は可能だったのにムッチーが日本の勝機を潰した、
で決定
なお、インパール前の半年有ればイギリス側の戦力積み増しは更に増大するので、
ラングーン将棋で上手く行くように見えてもインパール作戦の保証にはあんまりならないんだけどさ。 そもそもラングーン将棋ってインパールに日章旗立てる所までちゃんとやって無い。
インパール前で補給が届かないのは既にその時点で発覚してたから、世紀の珍作戦であるジンギスカン作戦なんかが必要になるわけで。 戦後牟田口が開いたステーキ店がジンギスカンって名前だったって言うのは
さすがにガセだよね? このように過去のインパール作戦批判は
全てデタラメ、嘘のオンパレードですw
真面目に 反論できるやつがもしいるなら
ちゃんと具体的に批判、反論して論戦に応じたらどうだ? 牟田口批判をしてる人物が
いかに人間性の劣化した下品な人間かが
このスレを見ればお解りであろう。
これが山本五十六信者の本質です。 土足ってもしかして坂井三郎スレで他全員が五十六信者に見えて仕方なくてひたすら五十六連呼して噛みつきまくっているあの基地外と同人物なのか? ●ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍はインパール作戦で勝利出来た。というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉(英第二師団参謀 ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 それって欧米人が大好きな「こんなに強い敵に勝った俺たち最高!」ってやつだよw
まさか「敵はアラカン山系を超えた時点で消耗しており補給も続かずすでに限界に達していた。
正に攻勢限界点に達していた敵を叩くのは造作もなかった。敵は大した抵抗も出来ず敗走した」
なんて言ったら勲章にありつけないじゃん 欧米の干渉から隔絶された亜細亜の然るべき地に
皇太子を擁して陸軍主導主体の第2日本国を設立し
大戦の帰鄒がいかなる結果を生じようとも
(仮に本国が消滅しようとも)帝国の存続を図る
ディマプール攻略が戦略的に是か非かを問うなら
第2帝国建設の要素も視野に論じることはやぶさかではない >>505
そのとおり。2010年から自分の意見に賛同しない者を五十六信者と断定して
わめきちらしている。しかし8年もwご苦労なことだ。 >>506
このように第31師団の任務は以下なのだよ、土足君w
ディマプールのデの字も無いのだ。
頭の良い土足君なら理解できると思うのだが?
三) 第31師団は主力を先ず「インドウ」「ウントウ」「ピンポン」「ピンレブ」の地区に集中す
ると共に一部を「タマンティ」「ホマリン」「パウンピン」等「チンドウィン」河に推進す
攻撃部署は主力を以って「ホマリン」及び同上流域地区に於いて「チンドウィン」河を渡河し
「レイシ」「フォートケアリ」を経て「コヒマ」に有力なる一部を以って「ホマリン」付近に於いて
「チンドウィン」河を渡河し「ウクルル」−「マラン」道に沿う地区を「コヒマ」に突進し同地の
要域を占領して「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
状況に依り一部を「インパール」に転進せしめ「インパール」会戦に参加せしむ >>511
その文章は何からの引用か知らんが、原文とは違ってるな。
三、「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
↓【原文】
第二 指導要領
三、「ディマプール」方面ヨリ予察セラレル敵増援兵力ヲ拒否シ・・・
五、(略)雨季に入ルニ先テ「ディマプール」「シルチアール」各東方山系及
「チン」高原ヲ確保シ・・・
大田インパール(P107) ということでバカの言い分によって、新たな発見があった。
現物の作戦計画の第二 「指導要領」が
一般に書籍で出回ってるものでは、「作戦骨子」として書き換えられ
なぜか「ディマプール」から「アッサム」に改ざんされている 太田のキチガイ本の方に原典を合わせろとか、
ただのキチガイだな、ムッチー教徒は。 で、土足は骨子が何だかわからないので、
大阪から部隊が来るんだってさ、
を関西の部隊が来るよーと言うと虚偽報告になるらしい。
そんなもん、ムッチー大隊長の
「部下を拉致られた」に比べたらどーでも良いこと。
男二人で闇夜に何やらかしてたんだか。 >>509
土足のアホは佐賀人だな。
なんにしろ孤軍奮闘で同じ事をコピペして哀れな奴だわ。 >>512
さて、↓の(略)は何故略したのかね?
五、(略)雨季に入ルニ先テ「ディマプール」「シルチアール」各東方山系及
「チン」高原ヲ確保シ・・・
大田インパール(P107)
(略)部分には 「インパール」攻略ハ四月中旬頃ニ之ヲ完成シ爾後
という文言が入っているようだが?
つまり、「ディマプール」をするのは「インパール」攻略後であることが
明記されている。この肝心な部分を略するとは、さすがに頭の良い土足君だw 任務分析をすると先ずインパール付近の野戦軍を撃滅後に
「ディマプール」「シルチアール」を占領するという作戦になっている。
しかも別に「ディマプール」を占領する部隊については第31師団と
規定していないのである。 >>516
何故、五十六を攻撃したいのか分からんのですよ。
別に牟田口と対立していたとか無いわけだし。 一応指摘しておく
三、「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
三、「ディマプール」方面ヨリ予察セラレル敵増援兵力ヲ拒否シ・・・
上は当初の作戦計画案
下は最終的に確定し昭和19年2月に発令された作戦計画 >>513
フム、陸戦史集は「アッサム」になっており、戦史叢書は「ディマプール」となっているようだ。
戦史叢書のほうが土足君には都合がいいようだからこれからはそちらを使おうw >>518
スリム中将は日本軍の特に佐藤に対し
最初の計画にこだわり応用力が無い愚鈍だと
批判している。 三、「ディマプール」方面ヨリ予察セラレル敵増援兵力ヲ拒否シ「インパール」攻略完成迄軍主力ノ側背ヲ掩護ス
このあとに状況によってはインパール攻略に一部直接参加させることがあると続く
命令発令後に久野村中将がやってきて佐藤師団長に口頭で、
コヒマ占領後ディマプールに突進してもらいたい、これは牟田口軍司令官の意図と伝えた。
佐藤師団長は黙殺し聞き流したとあるけど当然の対応。
正式な作戦計画を発令した以上、命令書で発令しなきゃダメ。 >>522
師団の任務とは何か?ということだよ。31師団の任務を分析すると、
まず
1 コヒマ周辺の敵を排除すること(コヒマ周辺での陣地構築を妨害されたくないため)
2 野戦築城を行い、防御力を積み増しすること(時間と労働力が必要)
3 英軍が攻撃してこなければ、インパールに援軍を出すこと(要請されれば)
であり、ディマプール攻撃は別途に命令が必要。
その際は現任務は解除されなければならない。
戦力の少ない31師団は2兎も3兎も追えないのだよ、土足君w 31師団に対するディマプール追撃(まだ1個大隊が死守しているのだから厳密には
追撃ではないが)の口頭命令は方面軍司令官によって却下されている。
方面軍司令官の命令を無視するのが柔軟性といえるのだろうか?土足君w 佐藤師団長の問題はディマプール追撃命令に従ったかどうかではなく(時期的に遅い)
それ以前の問題。
進軍があまりのも遅く肝心な所で停止している。
31師団主力の2個大隊は、一気に進めば遅くとも3月中にコヒマに到達していたはず。
この時コヒマもディマプールも、正規軍が配備されておらず陣地すら満足にない
まったくの無警戒同様の状態だったと言う事。
佐藤師団長は始めから作戦が中止になると見込んで、そうした指揮をしていたということ。
これは中央からそういう政治的な水面下の動きがあったと思われる。
もし佐藤が本気でやる気で指揮していれば
一気にディマプールまで突入できていただろうな。
結局は対米決戦と、インド独立支援の作戦と
どっちが重要なのか政治的に対立し、裏で策略だらけの状態だから
こんな状態でまともに作戦ができないのは当然。
結論はインパール作戦を妨害していた、海軍と対米決戦派が悪い。 ということで各師団が猛スピードで進軍していれば
3月中にインパール、コヒマ突入は可能だった。
4月中旬に作戦完了の計画は、ぜんぜん無謀では無い。
普通にやれていたはず。
(ラングーン兵棋研究で議論となったのは、その後どうするか)
補給の問題なんか、まったく無い。
むしろ過剰に補給を考えすぎたくらい。 しかし仮にインパール作戦に成功しても
その後最終的には、奪還されて敗退すると言えば、それはそうだろうな。
しかしこれは牟田口や陸軍の責任ではない。
海軍のバカ作戦と、それを支持していたアホが悪い。 >>527
492で指摘されなかったか?
>中参謀長や竹田少佐の宮に何と言われたのか全文書いてみろ >>526
では1日あたり何キロ前進すればよかったのかね?土足君w >>527
ラングーン兵棋では補給について研究されていないよ、土足君w >>528
海軍のバカ作戦というがどのみち1944年にはアメリカの大艦隊がやってくるので
どうしようもないのだよ、土足君w >>510
皇太子を拉致して潜水艦で印緬に送り
南方総軍の保護下におく計画があったことをしらないんだな >>533
陸助は潜水艦自前で作っちまった訳だが、
それって今の陛下だろ?確か小学生じゃん。
奸賊以外の何者でもないがな。
バレてたら将官の銃殺とか珍しい物が見られたね(笑)
まあ、無能土足が兵力を盛大に損なったので第二も第三も無意味ですけどね(笑) 海軍信者は、あらゆる者を悪党に仕立てて
海軍批判を誤魔化してかわそうとしている。
こいつらは追いつめられ、最近はついに天皇批判をさかんにやっている。
こういう人間性の劣化した海軍と山本五十六信者こそが
最低の人間のクズだわな。 陸助の屑っぷりを勝手に披露してるのは土足の方であってw
それがどういう意味を持つのか指摘されて逆切れが>>536 日本を壊滅させた国賊・山本五十六
岡田啓介、山本五十六ら艦隊派が海軍軍縮条約からの脱退を企て
予備交渉を意図的に破綻させる。
↓
海軍軍縮条約から脱退確定
↓
海軍、政友会、三菱財閥など利権勢力が青年将校らに襲撃される(2.26事件)
↓
山本五十六が海軍次官に就任。山本は米内を海相に推して米内が海相に。
↓
大山事件勃発(海軍の自作自演、謀略)(陸軍主導の船津和平工作が妨害され潰された)
↓
海軍が中国都市爆撃を独断で強行
↓
海軍による都市無差別爆撃が世界中から非難される
国際連盟は対日非難決議を採択。中国支援を決定。
国共合作が実現する。
日中戦争勃発。
↓
閑院宮・陸軍参謀総長は畑陸相に対し、日中戦争を拡大泥沼化させてる要因は
米内ら海軍だとして、日中停戦のため米内内閣に協力しないよう要請。
↓
井上成美は中国都市爆撃の強化を唱え重慶に対する
無差別爆撃を実施。
↓
陸軍は日米諒解案をベースに対米交渉を続けるが
それを妨害するため海軍が主導し南部仏印進駐を強行 >>513
これは驚き!
アッサムはディマプールの南のベンガル沿岸地方だよね。
ディマプールもアッサム地方なのかな?
宇都宮と関東地方みたいな関係? >>539
アッサム地方から陸路でディマプール以外のどこから湧けるというの?
佐藤がディマプールに突っ込めば勝てるという気違いは、ディマプールでアッサム地方から来る部隊に踏み殺されろと言ってるに過ぎない。 >>540
バーカー中佐がおかしな手紙をよこすからおかしなことになるんだね。
ディマプールを取られても別にインパールを放棄する必要性はまったく無いのに。 理想的な時期にディマプールを攻略できたならば
皇太子様を奉じた建国が現実味を帯びてくるわけである
もとよりディマプールを皇都することはなかったであろうが
産業・経済面で新皇土の策源地となったことは確かである
そして油田及び精製設備は、将来的には輸出原資として新皇国の財源となったであろう
因みにこの頃になると、既に軍は戦争指導において帝の信を失いつつあり
実際、戦争に勝つ見込みは皆無であることをわかっているので
避難皇土の名目で軍が生き残りを図ることは至極当然の流れであった
ただ、新皇土にも御標を要するので
理想的には皇子を仰ぎ、神器の一つを移管し本土皇国との一体を願いたいところであったが
それを説得することはおよそ不可能と考えられたので
潜水艦による拉致強奪という手段を想起せざるを得なかった
(正仁親王は病児ゆえ対案にならなかったが
私個人的には弟君を天子としてお迎えし、世嗣等は後々考えればよかったと思う) そこらへんにウンコが落ちているな。触らないように注意しよう。 >>542
要するに先帝(昭和帝)に見切りを付けられてたアホ陸助による謀叛である。
が、やっぱり第二帝国の戦力もバカの陸助なので、史実より長持ちするメドがないんだけどな。
工業力を本土に置き去りにして、戦車も戦闘機も手持ちを磨り潰すしか無い癖に石油を有り難がって何に使う気やら(笑) だいたい、第二帝国の領土が他人の靴の上にしか存在しないのに、
本土または史実より手加減して貰える訳がない。
もし、連中に存在意義があるとしたら
戦犯としての罪を全部引き受けて本土を講和させる位だから、殿下が連れ出せなくても東條とかは忘れずに吊れて行けよ(笑) >>546
そしてイタリア枠で連合軍入りした日本軍に
226のオチである、賊軍扱い&下士官以下は投降で免罪のビラで秒殺される第二帝国(笑)
陸助は学習能力が無いなぁ。 てか、英国の戦史研究家にも酷評されてるのに、インパール作戦
でも、一部の変な手紙しか見ないんだよね、擁護派って >>548
まだ擁護派なんているのかね?擁護しているのはもう土足くらいしかいないだろう。
大田嘉弘ももう死んでいるし。 Bunzo
‏ 11月4日
あるドキュメンタリー映画の取材を受けたインパール作戦から生還された方が取材者に
「これはよく調べています。」と歴史群像10月号特集記事のコピーを差し出したと聞く。
こうした話は素直に嬉しい。 >>301
皇軍はインド兵の捕虜を銃剣の練習台にしてなぶり殺しにしてたぞ
それがバレて後でインド兵に復讐される >>526
コヒマへの進撃が遅れたのはジェッサミとサンジャックでの戦闘のせい
ジェッサミはまだいいが、サンジャックは15師団の管轄でわざわざ攻撃したのがアホ
つまり宮崎繁三郎のせい。 >>539
アッサムはベンガル以東のかなり広い範囲
ディマプールもティディムもアッサム >>556
敵から奪う、は当作戦の大前提だから宮崎の機転は推奨される行為だし、
コヒマはちゃんと取って目標は達成している。
だいたい、空挺の処理を優先したのを非難するとムッチーにブーメランが刺さるぞ。 つまり、佐藤に補給をきちんと付けなかったムッチーがアホなせいで負けた!
補給が通ってれば言い訳のしようが無いし途中の寄り道も不要なので勝てたw
っと言いたいんだなw >>556
そもそも、コヒマを何日目に落とそうが、
究極無能ムッチーは残りの二個師団でインパールの前の二個大隊にさえ勝てないので全く無意味。
まあ、大隊と師団が撃ち合って大隊が撃つ方が多いとかアホな条件にしたのもムッチーだしな。 牟田口の事をムッチーなんて呼ぶのは
この世に一人くらいしかいないと思うがw
すべて一人の書き込みなのか?w ムッチーの正当性を主張するキチガイより多くても何の不思議もないけどなw >>558
>宮崎の機転は推奨される行為だし、
宮崎将軍を礼賛する人たちはそういうけど、
軍事作戦としてとしては作戦地境を調整も無く超えるのは問題じゃないかな?
場合によっては友軍相撃になりかねない。
>コヒマはちゃんと取って目標は達成している。
サンジャックの戦闘で七日を失っているね。
その間に161旅団がコヒマに到着してしまっている。
それをどう考えるのかな? >>563
挟撃さえ出来なかった15師団と相撃など有り得ない
そもそもが方や空挺方や山越えの為に大砲置いていた軽歩兵同士のド突き合い、
直接照準下の戦闘で敵味方の区別も出来ないボンクラしか連れて来れないんじゃ作戦自体が無意味だわw
コヒマを見捨てた161旅団にインパールに行かれるよりはコヒマで拘束の方が作戦に沿っているし、
英空挺師団の仕事は後方攪乱であり、始末した史実より酷い補給状況での前進など比較する意味もない あ、そういうボンクラに飛行機を幾ら廻しても少し前に陸助の馬鹿が欲しがった近接航空支援なんて完全に論外だな。
味方に機銃撃つって有様なんだから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています