>>942
羽生の時代でも人間が研究するならその研究材料となる棋譜があり、
終盤力を磨くための詰将棋の問題集があり、将棋を勉強するための出版物があった。
それは、羽生でない誰かが問題を作ってくれて、それを編集、出版してくれる出版社の
誰かが居て、お金を出せば出版物として購入できる社会のインフラが整っていたからだろ。
大山の時代はそれすら無い。棋譜が見たければ自分の手で書き写すしかない。