大山康晴名人は本当に盤外戦術を使ってたのか?
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△大山と対戦した棋士の証言
中原 「ほとんどない。タイトル戦で着物や振る舞いについて丁寧に教えていただいた」
羽生 「ありません」
森内・佐藤康 「ない」
谷川 「ありません。離席して長考してたのでどうしたのかと思ったら
来客と話をしていた。しかもその対局で敗けた」
△大山が会長をしていた頃
将棋会館の資金集めのため、毎日のように企業周りしていたり、
対局日も来客の接待をしていた。
△結論
大山は盤外戦術など使っておらず、
むしろ他の人間がやるべき資金集めや接客をやらされていた。
盤外戦術をぬかしているのは、負け犬の遠吠えではないか? 結局は盤上の勝負で勝てばいいだけの話
中原が大山にそうしたように
若手何名もが羽生にそうしているように
盤外で何かされたら勝てなくなるのか?
違うなあ
盤上の実力が足りないから勝てなかっただけだ
一連の話はそこを完全にごまかしている
雰囲気と勢いだけの話でしかない
加藤一二三が大山に道を譲らなかったとしても将棋で勝てるようにはならない
当たり前の話だな なぜ増田康宏は中学生棋士になれなかったのか?
https://originalnews.nico/139868
増田は、2012年の2月19日に開かれた例会で三段となった。14歳。
そして斎藤慎太郎三段や八代弥三段(共に当時18歳)と入れ替わるように三段リーグへと参戦した。
ちょうど、中学3年生に進級するのと同時に、三段リーグに入ったのだ。中学生棋士になれるチャンスは2回。
なお、初参戦となった第51回三段リーグの開幕時平均年齢は22歳だった。
──言ってみれば、鉄火場に子供が一人だけ来てるわけですもんね。
増田六段: そうです。特に以前は、開幕とか最終局とか、三段だけで奨励会が開かれてたんで。
──その2局は、関西も関東も三段はみんな東京の将棋会館に集められてたんですよね。
増田六段: 話せる人、いないですよ。
──関東でやってるのにアウェー。
増田六段: そうですね。そんな感じで……。
──それは……やはりキツいものですか? 我々凡人のイメージでは、天才というのは孤独なものだと。
孤独に慣れているものだと。そうじゃないんですね。
増田六段: いやー……キツいですね。
──何かされるわけではないんですよね?
増田六段: それはないです(笑)。ただ……独りだと、どうしても厳しいですね。あの頃、中学生だったんで。
──それで高校生になって比較的すぐに四段になれた。そこはやっぱり、仲の良い三段が現れて、
話せるようになって、リラックスできるようになったから?
増田六段: あと、あの時はニーヨン(将棋倶楽部24)をすごくやってましたね。あとウォーズ(将棋ウォーズ)とか。 1 羽生善治 99
2 大山康晴 80
3 中原誠 64
4 谷川浩司 27
5 渡辺明 23(文春にタレコミして防衛した分を含め)
6 米長邦雄 19
7 佐藤康光 13
8 森内俊之 12
9 加藤一二三 8
9 木村義雄 8
升田
名人に香を引いて勝つ
将棋ソフト
名人に飛車を引いて勝つ
渡辺明
文春に垂れ込みして勝つ
一致率40%でも要所でつこうたら勝てる
三浦を告発したのは後悔してねえわ
大山なんか文春使って余裕だろ
3連勝する人間をカンニングで除去するんだから
豊島が四人目の竜王・名人になるか話題だが
渡辺だけが唯一無二の竜王・文春王なのに話題にならないね 米長、内藤の対談本で大山の番外戦術については語られている 大山康晴のような気持ち悪い顔が目の前にあるというだけで
普通の人はびびるよ 人間的背景も武器にして戦う前時代の棋士とは違い
羽生世代は、正解手を指せるかどうかの競技性のみに特化したと聞いた
でも若手のときはそれでいいけど、ベテランになったら人間的背景も必要だと思う
羽生さん太ったおじさんになってしまってこれだと相手に舐められてしまう
本来なら、「うわ!羽生さんと向かい合ってる、あの羽生さんがむっちゃ真剣に考えてる」
「ちょっと網が破れてそうな手だけど羽生さんの手だから・・・」みたいに
相手が萎縮するのが普通なんだけど、見た目がだらしないから若手はそう思ってくれない 今に始まったこととちゃう
とっくに見切られていたよ
「羽生さんだから他の人とは違うんだ」という考え方は、もうほとんどなくなりました。他の人と指すときと同じように普通に指せるようになった。羽生さんへの信用よりも、自分に対する信用のほうが大きくなったというんですかね。
2010年 渡辺明 弱く見せて油断を誘うのは強い者のみが使える手だから話自体が戦術の可能性はあるな 大山の牛乳瓶メガネは実はスカウターになっており
電子計算機(当時)からの候補手が浮かぶようになっていた
だから大山は年とっても研究時間なくてもずっと強かったんだ >>192
中原(誠十六世名人)先生や加藤(一二三九段)先生と始めて対局をした時にも緊張をしましたが、
特別に印象に残っているのは大山(十五世名人)先生との対局です。
大山先生の晩年の時期ではあるのですが、盤の前に座った時の貫禄と威圧感は半端ではありませんでした。
また、いつも細かい工夫をされていて毎局、とても勉強になりました。
第1図は平成元年12月22日の第15期棋王戦の序盤戦の局面です。
5筋の歩を保留しているのがミソで、すでに術中に嵌っています。この後も終始、手厚く指されて第2図で私の投了となりました。
駒損ですし、指せばまだ40手くらいは続きそうですがチャンスは無いと判断しました。
終局後、感想戦が始まったのですが隣で対局をしていた米長先生は
私が早く投げたのに釈然としなかったのか私の方の指し手を色々と指摘して下さいました。
こうなると大山―米長戦の感想戦という感じで私は駒操作係に徹したのですが、
感想戦でもガチンコ勝負という感じでかなり怖かったです。
https://www.shogi.or.jp/column/2019/03/post_509.html 大山がタイトル戦で家族的雰囲気云々という話があるが、十年以上連続で全タイトル戦登場するような大棋士なんだから、自然にそうなったと見る方が自然。たかが数回の登場ではそんなことできない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています