将棋史の豆知識を書くスレッド
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千日手が引き分けになったのは1927年からで
それまでは千日手は攻めている側の反則負けだった 王将と玉将
今は下位が玉将、上位が王将だが
昔は逆だった 徳川家康が考案した金屏風囲いに相性の良い兜銀戦法を編み出したのは徳川家治である >>1
なるほど、そうだったのか。
一昨年くらいに、勝新太郎の王将、初めて見たけど、なんで阪田三吉が負けになったのか
謎だったけど。攻めてる方が負けなのか。 木村義雄は通算勝率8割超えと言われていたが、
記録が残っているもののみだと7割1分から2分とされている。
十分凄いが。 雁木戦法というのは元々こういう対振り飛車の引き角戦法のことだった
雁木というのは階段という意味
角が6九から2五まで駒の階段を登っていくように見えるのが命名の由来
https://i.imgur.com/wDK2fg3.png
ところが昭和初期に雁木戦法創始者の檜垣是安が指してた全く別の無関係な棋譜が雁木の棋譜と取り違えられてそこで使われていた駒組を雁木と呼ぶようになった
雪国の雁木造に見えるとかは後付で作られたこじつけ 俺の実家が広島なんだが爺ちゃんは階段のことを「ガンギダン」と呼んでいた
広島の方言だと思ってたけど今考えると古い言葉で「雁木段」が階段と言う意味だったのかな? 実は王位戦を作ったのは産経新聞
産経新聞と三社連合の共同開催になったあとで産経新聞が新しく棋聖戦を思いついたので王位戦は三社連合にあげちゃった 大集合NEOというサイトにあったネオ将棋といふものに
千葉千夏、銀爺、からくり竜之介という三大名物がいたそうな 「三桂あって詰まぬことなし」
この格言はあまり信頼できないが、
本来は「計算あって詰まぬことなし」が正しい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています