文学とは何なのか
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文法的に言うと、そうなら学文としないといけない。
単純に、非常に広義の名詞「学」を「文」という修飾語で狭義にした名詞。
それ以上の意味は無い。数学、化学、ナントカ学、皆同じ。 バカリズムのなんたらOL日記は、土佐日記には値しない。たとえ文学はすべて日記的であってもだ。 >>418
ぶんぶく=文分九
いわゆる後期水戸学に連なる儒学者、矢田毛湖の提唱した考え。
学者は、人生の九割までは、純粋に学問に費やすべきであり、
その他の世間的な事柄には最小限のエネルギーを割けばよいという考え方。
毛湖が水戸藩に籍を置いていた18世紀末から19世紀初頭にかけ、
水戸学派の学者たちは、当時の政治問題に積極的に口を出すようになっていた。
それが立原翠軒とその弟子幽谷との内部構想を引き起こし、
日本史編纂の事業は一時停滞した。
「文分九」は、毛湖がそうした状況を憂えた言葉である。
時に文武九と表記されるが、これは明治期に由来する誤記である。
乃木大将が祖母に宛てた私信から広まったという説があるが、
それを裏付ける資料は現在発見されていない。 文学とは、言葉を信じる者たちの飽くなき挑戦である。 文学がなかったら人生はどのくらい貧しくなることか。 用例:
柄谷行人「もうこうなったら俺が都知事になるしかない!」
金井美恵子「よしなさいって。学者はぶんぶくよ」 イタリアのソネットなしにシェイクスピアのソネットはありえなかった。フローベールなしにジョイスはありえないし、ジョイスなしにフォークナーはありえない。
ジョイス「わが究極の奥義…フォークナーに捧げる。フォークナー、継いでくれ、わしの意思をー!!ディーパス・オーバードライブ!!」
フォークナーなしにガルシア=マルケスはありえないし、ガルシア=マルケスなしにはトニ・モリスンはなかっただろう。
ガルシア=マルケス「し…死ぬのは…怖くねえ…ぜ。だが…俺は誇り高きガルシア家の男だ。その血統を受け継いでいる。俺が最期に見せるのは代々受け継いだ未来に託す文学の魂だ!人間の魂だ!モリスン!受け取ってくれーッ!」
みんなちがった国からきて、お互いに影響を受け、それを変化させてきた。文学とは人間賛歌なのだ!!! >>418
よくわからんがぶんぶく茶釜のぶんぶくの事なら漢字は「分福」じゃなかったけ?
福を分けるという意味らしい 正月休みもあとわずかだ
文学とは何かを考えるための一冊をあげるとすると?
それ読んですこしは実のある休みにしたいのだが
何でもいいから誰かあげてくれ >>433
あなたはいい人ですね!
ありがとうございます
ドグラ・マグラは以前いちど挫折してます
青空にあるのでこれから再挑戦、読んでみます
あと、もしよかったら、この本のおすすめポイント、
読みどころとかも教えてくれると、とてもうれしい
もちろん、そこまでお願いするのは図々しいとは思うけど 「キチガイ地獄外道祭文」を音読すると良い具合に疲れて眠れます。
主人公はいったい何をしたのか? そこに注目して読むと良いらしいです。 >>435
あなたは相当な読書家さんですね
ありがとうございます
ああア――アア――あああ。右や左の御方様おんかたさまへ。
旦那御新造ごしんぞ、紳士や淑女、お年寄がた、お若いお方。
お立ち会い衆の皆さん諸君。トントその後は御無沙汰ばっかり。
なぞと云うたらビックリなさる。なさる筈だよ三千世界が。
出来ぬ前から御無沙汰続きじゃ。
きょうが初めてこの道傍みちばたに。
まかり出いでたるキチガイ坊主……
スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ…… 作法が一定でないがゆえに評価が定まらない性質がある
これを克服するために失敗を文字に起こし正しい作法を外側から埋めるように決定していくといいよ
これの確立後方法や内容で細分化を認めよう 文学はリテラル学のことです
やはり元々の語義は大事でしょ 文学とは文から人生を学ぶことである。
また娯楽もかねている
娯楽のみを追求した読み物は >>444 の新堂冬樹 最近気づいたんだけど、文学って文化人類学に近いと思う。
あとは、宗教や神話というキーワードがあげられると思う。
よう分からんのは、文学と政治の関係。だれか教えてくださーい
なぜかこのスレでは修辞学って言葉でてないよね。 宗教から文学、歴史、政治経済まであらゆる情報の宝庫!
本日の講義は「大日本帝国は生きている 三島由紀夫」です。
天才・三島由紀夫は「ヒトラーは輪廻転生を信じている」と見抜いていた?
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/ 今、文化人類学の文献に当たってるが、的を得た感じ。
これから色々手をつけてみるか。 純文学には、作者が何か危険なものを扱っている、ふつうの奴なら怖気をふるって手も出さないような、
取扱のきわめて危険なものを作者が敢て扱っている、という感じがなければならない、と思います。
つまり純文学の作者には、原子力を扱う研究所員のようなところがなければならない 文学とはコピペである
小保方晴子
計算メイク&服装&涙www by東浩紀
小保方晴子うそつき会見ワロタ
研究者のくせに、科学的根拠ゼロ回答!!!!!w
w
法律に逃げた時点で、ペテン師確定w
妄想癖でstap細胞があるとかw200回見たとかww
ふざけんなブス
騙されている低学歴クズ多すぎ 生徒を親の職業や社会的地位で差別していた
元公立高校国語教師・村井正三は、もう地獄へ落ちただろう。 では文学とは、何だろう。それは感受性で言葉を書くということだ。江藤の生涯をつらぬくのは、政治や経済、国際関係から日常生活
にいたるまで、人間が演じるすべての劇を、感受性で批評した点にあった。
一例を挙げよう。私たちにとって「生きる」とは、他人と出会うということに他ならない。難しい話ではない、日常生活を想像してほしい。
私たちは来る日も来る日も、気のあわない人間とともに生活し、気にかけ、比較し、悪口を言いながら過ごしている。つまり「生きている」
わけだ。
この「私」からみて異様な存在、それが他者だ。江藤の漱石論は、この日常生活で誰もが感じる違和感から、出発した。漱石の前には、
西洋文明という普遍的価値観が、襲いかかってきた。それはみずからの考えを正義=普遍的であると信じて疑わない他人と同じである。
漱石は、その他人=西洋文明を前にして、激しく傷ついた。他人のすべてを受け入れれば、自分は壊れてしまう。でも、他人を拒絶する
ことはもはやできない。では、どうすればよいのか−。
こうした他人との齟齬(そご)を、私たちはどこにでも見いだせるではないか。だがそれを、国家同士のかかわり、あるいは文明論に
作品化できる人間はマレなのだ。それが漱石であり、他ならぬ江藤淳その人であった。経験は、誰の前にでも転がっているが、
ただそれを後世に残る言葉にできるのは、感受性にめぐまれた人間だけなのだ。 日本の推理小説の水準は、あがってきている。作家たちは、力をつけている。これはよろこばしい認識だったが、その力の質には、問題がある。腕力があって、筆力ではないのだ。
女性作家までが、腕力で書いている。男女ともに、無理なストーリーを、腕力でねじふせて、小説にしている場合が多い。
長編小説を書くには、もともと腕力も必要だが、それ以上にイメージがいる。長丁場を持ちこたえるだけのイメージを、
それぞれの作者は、いちおう持っているらしい。だが、自分の書いているイメージを、読者に適確につたえるには、筆力が必要だ。
それが乏しいから、過去の日本をえがいても、現在の日本と見わけがつかない。外国のある地方から、別の地方に移っても、おなじところにいるように思える。
せっかく、おもしろいアイディアをとらえながら、すぐに易につく傾向があるのも、筆力不足が原因だろう。異常心理の物語がたちまち、ありふれた犯罪小説になってしまったりして、とかく包装が新しいわりに中身が古い マー氏は学生に向け「人は、10日間水を飲まず、7日間食事をせず、2分間、息をしなくてもよいでしょう。
でも、たとえ1分間でも希望を失ったら終わりです。この時代、われわれは裕福になりました。
しかし『夢』からはだんだん遠くなっています」と、
人生の目標を持つことの大切さを強調した 文学とは何か――現代批評理論への招待(上) (岩波文庫) 文庫 - 2014/8/20
テリー・イーグルトン (著), 大橋 洋一 (翻訳) 文学とはこうだっていっても、それを書いてる人の文章が良くないと説得力ない 文学は剣より強いのか??
いじめ殺しを許さない社会にしようぜ!!!!
↓
上松煌(うえまつあきら) 作
★「九月の葬奏」(1作目「友だちを〜」と共に、作者の出生の本懐です)★
https://slib.net/71188
『作品紹介から』
初作の『友だちを殺した』と共に、作者の出生の本懐といえるものです。
世間を震撼させた「多摩川・中学生虐殺事件」に衝撃を受け、日本社会に警鐘を鳴らし
たくて書きました。
時間のないかたは、後半〜末尾にかけての主人公の「独白」をごらんください。
社会のあり方、人間の人間たる倫理正義・矜持襟度・慈悲情愛の大切さを、死をもって
訴える場面です。 問題提起の性格上、過激・苛烈な表現があります。 2015年。
作順では5番目。
プロフィール ←作品けっこう意識高いぜ。命は大事にしろ。
http://slib.net/a/21610/
社会が傍観者ばかりになったら、コワイでぇ! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています