南米の土俗的幻想譚をリアリズムの手法で描いたという説もありますが
たとえばルゴーネスのようにSF的手法による黙示録的小説を書いた人もいますし、
初期のリョサのように前衛的な手法のみで小説を書いた人もいます。

いわゆる土俗的幻想譚をリアリズム的手法で描いただけの作品なら
アフリカでも中東でも東南アジアにもあります。
そもそもあの手のホラ話はラテン文学の本家たるスペインのウナムーノだって書いていますから。

だいたい欧米人から見た辺境性をベースに構築された小説がマジックリアリズムの定義だとするのなら
我が邦の筒井康隆や平井和正といった文学的娯楽SF小説ですらマジックリアリズムになってしまいますね。
バラードの「溺れた巨人」は純然たる スペキュレイティブフィクションであるが
エスノな南米作家であるガボの「美しい水死人」マジックリアリズムであるというのは随分と驕った物の見方でしょう。

例えば英国作家J.バーンズはマジックリアリズムを評して出鱈目であると言っていますが
であるならば出鱈目ではない小説の王道とその定義が明らかにされなければならない。
しかし、仮にその定義が明示されたとしても
これに該当する小説の正統は近代小説発祥の地たる欧州でも少ないような気がしますけどね。
まあ、ドストやトルストイですら発表当初は邪道として退けていた文化地域ではありますが。