【夜戦と】佐々木中 3【永遠】
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気鋭の若手批評家・思想家・小説家佐々木中のスレッドです 1973年8月 青森県青森市に生まれる 1989年7月 茨城県立水戸第一高等学校中途退学 1990年10月 大学入学資格検定合格 1994年4月 東京大学文科二類入学 1996年4月 東京大学文学部思想文化学科宗教学宗教史学専修課程進学 1999年4月 東京大学大学院人文社会系研究科宗教学宗教史学専門分野修士課程入学 2001年4月 東京大学大学院人文社会系研究科宗教学宗教史学専門分野博士課程進学 2007年9月 博士論文「フーコー、ラカン、ルジャンドルにおける宗教と主体の形成をめぐる探究」で東京大学大学院人文社会系研究科から博士 (文学)取得 2007年4月 立教大学兼任講師(2011年3月迄) 2009年4月 慶應義塾大学非常勤講師(社会学洋書講読、2010年3月迄) 東京医科歯科大学教養部非常勤講師(2011年3月迄) 2011年 4月 法政大学非常勤講師(文学Iおよび文学II、現在に至る)。 前スレ ttp://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1288897264/ 公式 ttp://www.atarusasaki.net/ 文学者は学者というより音楽家に近いんじゃないか 痛さが問題にならない職業 ただ、痛くても頭悪いとは思わないけどな こんなのを先生と呼んでる学生なんだから… と世間から言われるだけなんだから、もう入学している学生さんは仕方ないけど、受験生は考えてね。揶揄じゃないよ。 だからこう発言する人は潜在的にレイシストなんですよ、ってツイートには驚愕だわ 普通の政治家ならば、元首相であるにもかかわらず連続して選挙区で敗退すれば 「自分は有権者の信を失ったのではないか」と落ち込むところだ。 だが、菅氏ともなるとそんな後ろ向きな発想とは無縁のようだ。 振り返ると菅氏の生命力はすさまじい。首相時代の平成23年3月11日には、参院決算委員会で 在日韓国人からの違法献金問題を追及されて万事休すかとみられていたその当日に、 東日本大震災が発生して問題はうやむやとなった。 同年6月には、菅内閣不信任決議案が採決される直前に退陣を約束し、 党内の根強い自身への反発を和らげ、決議案が否決されると あっさり前言を翻してそれから3カ月近く居座った。 選挙戦最終盤の12月12日には自身のツイッターでこうつぶやいた。 「山本太郎さん(参院議員)が応援に来てくれた。20時を過ぎていたがメガホンで肉声の演説。 待っていた人の心をつかむ訴えだった。党派を超えて脱原発派の輪が広がっている」 公職選挙法の164条は「何人も、午後8時から翌日午前8時までの間は、 選挙運動のため、街頭演説をすることはできない」と定めている。 総務省選挙課によると、「この条文に拡声器と肉声の区別はない」とのことである。 さすがは菅氏である。生き残るためならば、法に抵触する恐れがあろうと敢然とタブーに切り込み、 それを堂々とインターネット上で公表している。凡俗の身にはとてもまねができない。 (政治部編集委員) http://www.sankei.com/premium/news/141218/prm1412180010-n2.html http://www.sankei.com/premium/news/141218/prm1412180010-n3.html あとあと見つかるとヤバいツイートでもしてたんかね ポーズだけは大物なのにやることは小物なんだな 東批判のブログ記事いまさらながら知ったんだけど、 なぜ名指しでできないのかね。 「相対主義」理解もまったくダメだし。 何週遅れての自然法論かと。 近代以前への退行ですか。 >>458 >>459 あれはほら、仲良くつるんでた野間だのなんだのと東が絡む様になっていたたまれなくなったからですよ。 東から逃げる人生。 >>464 二丁目に行ったことない人が アドバイスするのやめてもらえますか? うらがき 國分さんの連ツイ、佐々木中さんも同じバルトの言葉を引いていたし、 同じ話を繰り返すことも恐れない(ヒップホップ好きだから)、というのも言っていたな。接点はあまりないだろうけど、二人とも好きだ。 2016年1月11日 twitte太郎 「芸術新潮」2015年4月号(大特集 オールアバウト若冲)。諏訪敦「周到と霊性のあいだ 鈴木理策の誘う写真」。 佐々木中「PICK UP book12偉大なる凡語、ひとつの言語の最初の本『バスク初文集』(平凡社)」。 2016年1月16日 文藝 2016年春季号 発売日:2016.01.07 【論考】 佐々木中「戦争と一人の作家――坂口安吾論」 私たちは果たして、「坂口安吾」の何を知っていたのだろうか?――俊傑・佐々木中が安吾の本質を抉る、衝撃論考! 戦争と一人の作家: 坂口安吾論 単行本 佐々木 中 (著) 出版社: 河出書房新社 (2016/2/23) http://ameblo.jp/philosophysells/entry-10755158123.html 國分功一郎 さて、 今年の最初の出版物は 1月6日発売の『文學界』に掲載される 佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』の書評。 短い文章ではありますが、 話題の書ですから、 気合いを入れて書きました。 ネット等々で 同書の書評や感想を読みましたが、 それらのほとんどは印象批評です。 ようするに 全然分析していない。 俺はいわば 「佐々木中の方法」を 一本の矢で射止めるように書評を書きました。 この本、 結構批判されているわけですが、 俺がやったぐらいの分析はしておかなければ、 何を言っても届かない気がします。 http://ameblo.jp/philosophysells/entry-10803688934.html 2011年02月16日 國分功一郎 旧テキスト——佐々木中『きりとれ』書評 テーマ:ブログ 『文學界』の1月号に いま話題の 佐々木中の本についての書評を 掲載しました。 もう雑誌も書店においていないので ここで公開します。 2015-06-17 今思い出したけど、佐々木中の文章は好きだ。41歳。 あまり「エッセイスト」という風ではないし、一世代上という感覚があるけど。 太田光の文章も好きなんだけど、もう50歳なんだよなあの人。 星野源は、音楽は好きだがあまり文章は好みではない。オーケン・菊池成孔の逆。 スポーツノンフィクションでいうと、木村浩嗣(フットボリスタ編集長)のエッセイなんかは最高に面白いけど、やっぱり50歳を超えている。 山際淳司が「スローカーブを、もう一球」を書いたのは30代前半だから、同世代にスターがいてほしいんだけど。 佐々木 中先生インタビュー 2015/12/08 http://www.kyoto-seika.ac.jp/humanities/2015/12/08/sasaki-interview/ Q.年数冊の著作を発表することも。佐々木さんはなぜ書き続けられるのですか? A.「なぜ、みんながこれほど書かないでいられるのかわからない人間だからですよ」 Q.SNSで「書く」ことと、文学として「書く」ことの違いは? A.「見せたい自分だけを書くことは、やがて自分自身を苦しめることになります」 Q.大学において「哲学をする」とはどういうことですか? A.「大学は未来を孕む場所。我々は処女懐胎をしにいかなければいけないんです。」 Q.「自分には才能があるのか、見つけることができるだろうか?」と問われたら? A.「きみひとりにできることは小さくても、それはやめる理由になりません」 Q.京都精華大学において、ご自身の役割をどう考えていますか? A.「言葉でしか表せないものを教え、サポートする役割があると考えています」 佐々木 中 私は、ドゥルーズを読むということは政治的であるということと同義だと考えるし、 ドゥルーズほどその美学において小説という形式を重要視した哲学者はいないと考える。 いまドゥルーズを論じさせたら江川隆男と廣瀬純の両氏の右に出るものは居ない。是非この二人の著作を。 2014-08-08 「平和・人権などの綺麗事が嫌い」な「普通の日本人」とかプロフィールに書いてしまう人は、 是非すべての人権を剥奪されて、日本人と判別されれば命が危うい戦地に赴くといいよ。 この世界は「それでも」何とか綺麗事で回そうとしてる人によって、お前の人生もギリギリ保ててることに気づけ。 佐々木 中 「約束ができないものについての約束だけが、本当の約束なのだ。だから 約束してほしい。次の五月にも、五月の日にも、次の次の夏にも、あの夏にもこの夏にも、来るはずがない 夏にも、夏がもう来なくなった遥かな日の、しかしそれでもそれを夏と呼ぼう、あの、あの夏の日にも。 行こう、君と一緒なら」 (『晰子の君の諸問題』文藝2012 夏号) 吉川浩満 エピクテートス『人生談義』(上・下)重版再開だって。岩波文庫メールニュースより。 2016年5月19日 安吾は、みずからの定義になるファルスを裏切るようにして、陰惨で「淫乱」で「退屈」な小説を書き募ってきた。 それは最晩年に至るまで変わらない。 ゆえに安吾は駄作を量産した作家であり、むしろエッセイにおいて読むべき作家という評価をあたえられてきた。その理由も説明されぬまま。 しかし、例外的に愛され「成功」した小説とされてきた作品はある。 それは「桜の森の満開の下」およびその原型たる「紫大納言」およびその後の「夜長姫と耳男」であるだろう。 われわれはここに共通の特徴を見出すことになる。無論それは小説以前の「説話」「物語」に属するものだと、まずは言うことができる。 佐々木 面白いですね。私は特に専門ではありませんが、ハイデガーの言語論をごく真っ当に読めば、 ハイデガーという人は、そのような鉛筆やインク、紙や糊、息や呼吸の匂いがする「手作業の場所」を見ないところがある。 他でもない吉増さんがそれを指摘するということが、ハイデガーの言語と言語論について新しい見方を提示している気がします。 ともあれ、そういう意味でも、今回の展覧会の吉増さんのルビや註、書き込みのたくさんある原稿を見て得る所は多くあるのではないでしょうか。 ベケットも登場人物やテーマによって色鉛筆で色分けして原稿を書き、後で黒に統一するという書き方をしたことがある。 あるいはテクストに他の紙を重ねたり、剥がしたり。あとロラン・バルトは原稿に吹き出しみたいな書き込みをするんですよ。 テクストの均質性を破壊する歓びがあると言って。手前味噌ながら、僕も「註マニア」って言われるぐらい大量に註をつける。 あれはやっぱり特殊な享楽なんです。言語の均質性というものは、手でものを作ったり書いたりする人間には実は端(はな)から存在しないんですね。 文学が生き延びる、藝術が生き延びる、革命が生き延びるということが、人類が生き延びるということだからです。それ以外ない。 何故書くのか、何故書き続けるのか。書き続けるしかないじゃないですか。他にすることでもあるんですか。 佐々木中『切り取れ、あの祈る手を』 やくみつゆ コノミヤさんの渡部直己に対する「机上の空論」という皮肉。 これを演繹してゆくと、渡部直己にこそウエメセという批判を投げるべきだろうと、唐突に思った。 こゆるぎ岬 あのカス、まだ生きてんだ? やくみつゆ 生きてますよ。さいきんゲンロン界隈と仲が良いですね。 こゆるぎ岬 へー。アホクサいなぁ。文壇政治。あんなんに比べたら、大澤信亮や佐々木中がマシに見えるわ 2016年6月10日 こゆるぎ岬 たくさんの本を読もうが、何を読もうが、そんなものは人物の価値と何にも関係がないんだよな。 豊富な知識を持ちながらネットで他人を無闇に攻撃してる人を見てみれ。 2016年6月12日 夏の葬列 「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んで「何度でも挑戦出来る、頑張ろう」みたいな気持ちが沸いてくるの、超人的なポジティブシンキングと言う他ない。 18 Jun 2016 masakazu 文学界に興味なくなっちゃったよ。政治的な見出しにげんなりする。 作品にそんなんあってもいいけど、佐々木中さんの焼身自殺の小説、スルーしたあたりから、どうもね。 20 Jun 2016 佐々木中「夜を吸って夜より昏い」文学界2012年11月号は芥川賞候補になるかと思ったくらい凄い小説だったのだが、スルーした。 体制よりなんですねって感じた。そんとき芥川賞とったのが、原発問題が一切関係ない「abさんご」だった。 俺はなんのために書いてるのか、と?が点灯している。 21 Jun 2016 第3回 後藤正文インタビュー 創作の源にあるもの http://www.webchikuma.jp/articles/-/183 後藤 僕はジャック・ケルアックが好きですね。他にも詩集は買ったりしますよ。パティ・スミスやボブ・ディラン、モリッシーの詩集とか。 スミスの音楽は好きじゃないけどモリッシーの詞はいいなと思うので。 日本の作家だったら、佐々木中さんの本には影響を受けています。 ラッパーデビュー30周年祝賀会開催!16年間のスランプからの復活と「想像ラジオ」に至るまで http://www.highflyers.nu/hf/seikoito1/ 16年の書かない時期があって、再び書くようになったきっかけは何ですか? 作家でフランス哲学者の佐々木中という面白い後輩がいるんだけど、佐々木君に焚きつけられたように書いたのが「BACK 2 BACK」という作品。 2011年3月くらいから始まったんですが、彼が書いて、それを僕が読んですぐ書いて、 それをまた佐々木君が読んでまた書いてっていうことを繰り返しやっていたら、数十枚の短編ものが書けちゃったんですよね。 それで火がついてまた違う短編を2つほど文芸誌に書いているうちに、「想像ラジオ」という作品に繋がっていったんです。 実際書けるようになったのは東日本大震災後ですけど。 選挙前だからもう一度考えたい! 【2日連続公開】民主主義ってなんだ?(高橋源一郎×SEALDs)試し読み http://web.kawade.co.jp/bungei/640/ 牛田 あ、今メモに「牛」って書きましたね(笑)。普段は勉強を毎日してます。 明治学院大学の社会学部社会学科四年生で、やってるのはルジャンドルのドグマ人類学です。 西谷修さんや佐々木中さんが専門にしている学問です。 松浦大悟 親鸞派=SEALDs、佐々木中 日蓮派=荻上チキ、西田亮介、大澤信亮 道鏡、破戒僧=古市憲寿 だそうです。。 18 Aug 2016 ブログで通行人とか自分と無関係の人の 顔のわかる写真を平気であげてるがいいのか? それがヒップホップ?w 【純文学界の自称の女王、川上未映子】 ・私、小説界を率いてますアピール ・飲み会に阿部和重がいない時は媚びて乳やパンツチラチラアピール ・すぐ飲み会に遅れて来る率が高く、文学知ってますアピールが大好きで、権力のある編集者や作家や教授に評論家やライターにはひたすらべったり ・化粧濃い、構ってアピール度の会話もいつも全開 ・天然ちゃんのフリして芸能人や権力者に媚びまくる計算女 (エレカシの宮本を最初落とそうとして大撃沈したので、×1の阿部を狙った) ・その前に朝日芸能の記事で不倫アピール記事を本人がわざわざ出て来てアピール等の話題作りも欠かさない ・自分の思い通りチヤホヤされないと気が済まない女王体質 ・創作意欲は「自己愛と自己アピール」 ・歌手として大失敗したけれど、有名人になりたくてホステスの手腕で成り上がり ・前の旦那を捨てて手のひら返しでW不倫再婚、初婚とは違って関係者呼びまくりの再婚式 ・大御所女流作家達には影で冷笑されてる嫌われ者 白江幸司 大学進学と独習で伸ばした二十代でしばしば佐々木中への強い嫌悪が見られるが、そうした自己形成と無縁ではないと思ってる。 私はセンス的に佐々木中とそれほど遠くないかもしれないと思うんで留保込みで叩くけど、 佐々木中的「20世紀教養のいやらしさ」(センスによるイージーな嘲笑、蔑視)は厄介だ 佐々木は右派の「差別する権利」要求と遠からぬセンス依拠言動をとってると考えているが、 こうした型では教養自己形成の対象化がなく一定の曖昧な教養崇拝(センスによる限定化調整になりやすい)と教養憎悪が同居しがちだ。 これはブルジョワ文化に対するマオ派的攻撃性と蓮實的擁護の同居にもなる 2016年11月25日 文藝2017年春季号に新作「私を海に投げてから」(140枚) 光嶋 裕介 大阪でひと仕事終え、事務所へ。車中の読書でニーチェが凄いこと言ってて、海の向こうのあの人の顔が浮かぶ… 「国家が何を語っても、それは嘘だ」(佐々木中訳『ツァラトゥストラかく語りき』河出文庫) http://pbs.twimg.com/media/C3JrClBUoAAK4u7.jpg 2017年1月26日 宇多丸 東日本大震災から6年後の3.11メッセージ これがいま、勘違いしている人が多いんだけど。表現っていうのは正しいことを言うためのツールじゃない。 表現っていうのは間違ったことを言う可能性を含んでいるのがフィクションとか表現のやることであって。 これは佐々木中くんっていう物書きの人に 「君が書いた小説と評論集みたいなのがあるけど、この2つは同じなのか? 違うのか?」と聞いたら、 「違う。小説は、間違ったことを書ける。 今回書いた小説の主人公が最後にとった行動は、僕は現実にこういう人がいたら非難するし、良くないと思う。 でも、小説ではこういう行動をとってしまう人の姿を通して、なにかそれでしか表現できないことが表現できる」と。 なんて上手い表現をするんだろう。それだ! 歌もそれだと思う。 時代の正体〈532〉誰にでも変えられる 不公正な政治を問う. 市民連合事務局担当・芝田万奈さん 2017衆院選. 神奈川新聞 〈好きな言葉がある。 思想家の佐々木中(あたる)さんによる「この熾(し)烈(れつ)なる無力を」(河出書房新社)の中にある一節。 「無力だ。けれども、無駄ではないんだ。無力だけれども、無意味ではない」〉 3・11以降、私自身が無力感のようなものを感じてきました。 ところがシールズの活動を通じて「無力かもしれないが無駄ではない。 いや実は仲間と力を合わせれば無力ですらないかもしれない」と思えるようになりました。 一つ一つの直近の選挙で結果を出すのは難しい。でも必ず次につながる。 さあや わたしのタマフルベストモーメントは震災翌週の推薦図書特集での佐々木中さんの発言でした。 「災害時に“日本人も悪くない、誇りをもとう”と安易に言っていると共同体幻想に傾倒しやすい。 プラスの方向に働けば秩序になるが、その裏にあるのは暴力の共犯化でもある」そのときはピンとこなかったけど→ 徐々にネットどころか身の回りでも人種差別や排外的な発言を耳にすることがふえてきて、 差別という暴力の敷居が低くなっているのを実感して、予言が的中してしまったとゾッとした。 あの日のタマフルからずっと佐々木中さんの言葉が頭に張り付いている。 2018年4月1日 もかみちゃん UC、バナージくんには全く共感できなかったけど 「NTの可能性を信じる」という憲章が残された石碑という箱の内容は本当に素晴らしかったと思う、 俺は佐々木中シンパなので条文や憲法の後ろには退けない以上それらはメチャアツである必要があると考えてるので… 2018年4月6日 さんにん New book in Korean edition 佐々木中「夜戦と永遠」の韓国語訳が刊行 「日本のニーチェ」と紹介されています 2016年2月3日 斎藤真理子 ファン・ジョンウンさんが佐々木中の本に励まされたと言ってたのでこれから読むのである。 2018年4月7日 m. DJブースを移動させ奥田愛基くんがコールをし始めた時、 路上がまるでクラブみたいになって今にも降り出しそうな雲の下で 佐々木中の『踊れわれわれの夜を、そして世界に朝を迎えよ』を思い出していた 「この世界に光をもたらすのは、われわれのダンスなのだと」#国会前大集合 2018年4月14日 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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