美文家と言えば誰?
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悪文家ならすぐに上げられるが、美文家はなかなか・・・
悪文書く人は大江健三郎。 美文と名文ってのは、ほとんど同じ意味だろうな。
小林秀雄は現代文における美文と名文の問題についても
よく書いていたね。現代では名文というモデルがなくなり、名文と
いうバリエーションだけがあると。 つまり各人が銘々勝手に
名文のモデルを祭り上げるだけのことであると。
小林は綴り方運動なんかにもそんなにシンパシーもってなくて
モデルなしに子供に自由に作文かかせようという教育に
ついては一貫して批判的だったな。山下清の絵を認めない
フランソワーズ・サガンも認めない、みんな同じ姿勢の反映と
いえるね。 小林がこういう結論にたどりついたのは、大学で教えてたから
学生の論文を読む機会が多くて、それらの学生の文章があまりに
奇怪で稚拙だったからという実体験にもとづいてたんだな。
まあ、いまどきの学生は、小林が教えてたときよりは、ましな
文章書いてると思うんだけど、名文のモデルなどなくても
ましな文章は書けると言うことか。 自分は文章が下手だから、思ってることの三分の一も文章で
表現できていないが、文章だけで判断しないでほしい。実は
もっと難しいことを頭の中で考えているのだから。
当時の学生はそんなこといってたそうな。そんなのは全然
論外と小林は切って捨てたね。 表現が稚拙なら、頭の中で
どんなに難しいこと考えていようと文学的にはアウトである。
そこにはまったく妥協の余地はない。 商品の取り扱い説明書とか、掲示板の注意書きとか、社内
広報などはいくらわかりやすく書いてあっても、美文とは
よばないね。そういうのは実用的文章という。
実用文というのは、相手に意味が伝わればそれで役目は
終わるが、美文というのはそうではない、いくら読んでも
意味がくみつくせない、実用的、道具的な文の理解に
抵抗するものが美文であるという、小林はそういう意見を
もってたね。こういう考え方自体はロマン派芸術なるものが
初めから内包していたもので、小林はそれを借りて自己の
批評において展開しただけともいえる。
結局、美文とそうでない文の違いについては、美という
カテゴリーが存在することへの信仰表明しか、ひとに
できることはないというのが、誰も逃れられない目下の
歴史的制約ではなかろうか。 >>91-94
小林が「美文」という言い方でそういう議論を展開しているのを私は寡聞にして
しりません。小林の何という文章の中での言説を取り上げてのご発言か、出典をご教示願いたい。
念のため、名文と美文はまったく別のものを指す言葉ですよ。それを同じと万が一考えているとしたら
こんなに奇怪で稚拙なものの考え方はない。 >>97
>>1でいう美文なるものは、名文とほとんど変わらない概念だと
おもうがね。 違うというなら、どういう風に違うのかちょっと
説明してみてw
小林の文章の主な出典は、昭和三十年七月二十七日に世にでた
「民主主義教育」というエッセイだな。 角川文庫の「常識について」というエッセイ集に収録されてるね。 美文と名文は違う
どう違うかは自分で考えて
美文についての引用はいいんで、美文家の名前あげてね >>100
美文と名文の違いは、はっきりあるんだけど教えられない
自分で考えろって?
なら、こっちも美文家の名前は自分で調べろとしかいえないねw 美文っていう言葉の響きがよくないってこともあるなあ。
美文だって言われるとなんかこうひとつ貶したくなる文章になるなあ、それを。^^;
さらには三島・太宰とかさらにさらにで古井だの平野なんかのそれを「美しい」なんつわれるともう、
ったくもうこのアホが、で滅茶苦茶バカコケでそいつの言うことを全否定しちゃうし。^^;
普通に名文は読んで美しいよ。松尾芭蕉が一番いい例。
だけど読んで美しいからって必ずしも名文とは限らない。例は揚げないけど。
もひとつ。名文ってお子様からお年寄りまで、
高い教養を持つ人は勿論、無知な人もそれなりに解る文章になってるものだからね。
難しい文章だってことは決してない。
難しい文章ってのは、ただのバカが書いた「穢いだけ文」。念のため。 文章って思想(広義)表現だからね。
その思想が趣き深くそしてそれを巧みに書き表しているものが名文(美しい)。
その思想が趣き深くなければ巧みに書き表していても美文(きれい)。
そういうことかなあ、と。 あとねえ、物語文ってのは、いかに自分の頭に作り上げてる世界と同じに近い世界を相手の脳内に作って貰えるか?なんでねえ。
お子様からお年寄りまで、読む人は誰でもその脳内再構築作業をルンルンで面白く楽しく出来るようにと、
そりゃサービス精神発揮でくだらないジョークで表現をするってこともあるんだよ。^^ >>102
皮肉が通じなかったみたいで、済まん
美文家は誰かというスレにダラダラ引用文を載せるなと言いたかっただけ
別に貴方が誰を美文家と思ってるかに興味はない >>106
じゃあ、最初からそういえばいいんじゃね? おめーのは皮肉にも
何にもなってないと思うけどw 婉曲表現がまともにできないなら
ストレートにいうほうが誤解を与えなくてすむよw 川上弘美さんは日本語がおかしすぎて読めない。
美文家とは程遠い。 志賀直哉(「暗夜行路」ラスト近くの大山登山の夜明けシーン) 美文っていうのは日本文学史上ではっきりペジョラティフな呼称だよね。
荷風、谷崎、志賀など名文とは言えても、美文と貶されるようなものじゃない。
現代でいうと美文というのは谷沢永一なんかが典型的。
三島を美文家と決め付けて三島文学を低く評価するという姿勢はありえるでしょうな。 美文というのは内容よりも見かけを美しく飾ることを主眼としてつづられた文章。
これに対して名文のほうは普遍的な定義を簡単にしめすのは難しい。ひとにより、
なにをもって名文とするかも違ってくるだろう。 >>70
自分も神西清推しだな。いいか悪いかはさておいて、この人は筋金入りの美文家。
美文にこだわりすぎて小品と翻訳(それもせいぜい中編まで)をほんの少ししか残せなかった人。
なんかペン先のついでに寿命削って推敲している感じがする。 >>122
美文という呼称はペジョラティフだというのがわからんか?
どうしてこう物知らずがウロウロするんだか信じられんよ、まったく。
神西に対して美文家だなどと言ったら最大の侮辱ですよ。 美文調とは言うが名文調とは言わない。
すなわち美文はテクニカルな問題でテクニックさえあればいつでも書ける一種のスタイル。
いっぽう名文はたんなるテクニックで書けるものではなく、一言でこれと定義しがたいもの。 >>127
でも泉鏡花みたいな文章はテクニックだけでは書けないな
外科室の文章読んでみ?あれを努力やテクニック如何で書けと言われれば、自分には無理
テクニカルとテクニックは別物だと思う
名文調といわないのは、名文が美文みたいに尖ったものでないからじゃないかな
わかりやすくゲームの能力で言えば、美文は一点強化のテクニカル(基礎を踏まえた上で)だけど、名文は何でも卒なくこなすいろんな人が触れやすいオールラウンダーなイメージ
個人的に谷崎は美文寄りなイメージだけど、谷崎にしろ泉鏡花にしろあまり読みなれてない人にはキツいと思う。
一方で個人的に夏目漱石や志賀直哉が名文かなと思う。
名文は太宰とか芥川など読みやすい作家に含まれるかな。個人的には太宰は美文より名文
もちろん読みやすいから芸術性がないかというとそうではない
芥川の蜜柑の描写とか太宰の走れメロスの文の勢いとか
まぁ名文にしろ美文にしろ付け焼き刃じゃ無理だろうね
ここまですべてがあくまで個人的な解釈 美文家は分からぬが悪文家なら 国木田独歩
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