小説にしかできないこと
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とある時代小説にこんなシーンがあった。
数人のゴロツキが束になって剣豪に襲いかかる。
一瞬のうちに剣豪に打ち倒されて、地面に転がるゴロツキたち。
「安心せい、峰打ちじゃ」剣豪は去ってゆく。
やられたふりをして倒れていたゴロツキが起き上がって、剣豪の背中をぼんやりと見送っている。
この、「やられたふりをして倒れていた」ってところをさらっと書くのは、小説にしかできないね。
映像や漫画でやると、何カットか必要になるから、余計な意味が生まれてしまう。
「説明」こそが小説の持ち味かもしれない。 目で見ても美しい文章とか、声に出して読みたい日本語とか
こういうのも小説の役割の一つなんじゃないかと思う アゴタ・クリストフ『悪童日記』の語り手は一人称複数形式(「ぼくら」)で
双子がそれぞれ区別されることがなく、まるで一体のようであり
当然心理描写も「ぼくら」を単位に展開される
あの独特の緊張感は映像化されたりすると確実に薄くなるだろうな
映像では必ず二人はあくまで別々の存在としてに認識されてしまうだろうし
小説の読み手は、どうして視覚情報を求めるのか
作者の顔写真を見たがる(かどうかは知らないけど、漫画家と違って公開されるのが常だ)
のも含めて
同じように視覚情報を持たないオーディオドラマでは、
視覚的なイメージを喚起させることは目指さずに、音声から音声イメージを喚起させる方向に向かったのに 俺は映像が苦手
実写だからリアルなんだよね
例えば、キアヌリーブスが出てた『ディアボロス』で
頭おかしくなったシャーリーズセロンが自分で傷つけまくった裸体を晒すシーンとか、
いつまでも頭に残って消えない…
軽くトラウマだよ
小説だと自分が耐えれる範囲で想像力を駆動するから、多少のグロ描写でも、
あとあとまで残ることはないように思う
>>156
それは書く人が下手だからだろ
ゆったりした時間を感じさせたり、切迫感を与えたり…文体のコントロールで可能。
パッと例を出せないが… >>162
小説の中でどれだけ上手く時間の流れを書いたとしても結局は擬似的なものにすぎないけど、
映像の場合は実際に時間が流れてるわけで >>163
『24』なんかは、その"実際の時間"をうまく使ったドラマなんだろうけどね
好きなことやってるときは時間が経つのが早く感じるとか、
人間の感じる主観的時間は伸び縮みするから、
映像もその範囲で時間の流れをコントロールするって試みをしてると思うよ
>>164も言ってることと関係するけど、
小説の場合も、読み手の読むスピードをコントロールするような仕掛けを施すことで、
主観的時間の伸び縮みをコントロールできると思う。
もちろん映像の方がリアルだから、実際の時間への依存度は高いけど、俺的には、
本質的な違いはあまりない気がする。
どちらも「うまく端折って時間を縮める」操作はしてるわけで。 ハインリッヒ・フォン・クライスト「チリの地震」冒頭
チリ王国の首都サンチャゴで、何千という人間が落命した一六四七年のあの大地震のまさにその瞬間、
さる犯罪のために告訴された、その名もジェローニモ・ルグェーラという一人の若いスペイン人が、
監禁されていた牢獄の柱の下に立っていましもみずから首をくくろうとしていた。このときをさかの
ぼることほぼ一年前、[…以下略]
この冒頭の一文だけでの、スケール規模がかなり異なる共時的な偶然(あるいは必然?)の事象の結合。
その緊張を緩めないまま、改行もなしに一年前へ遡る異常な展開。遡って投獄され首つりに至る経緯が
語られ、2ページ後には早くも冒頭の一年後の地震/首つりの時点に到達し、冒頭からの続きになる。
こういうのを映像でやっても、時間およびスケールが異なる事象の異常な瞬間性を持つ結合感は、
同じようにはそうそう出せないんじゃないかと思う。 >>166
冒頭の物々しさが半端ないですね。
面白そう。 既出だったらすまん。
映像、映画に出来なくて、
小説でできることだけど、
映画だと時間が限られていて、
その時間内に登場人物の背景(必要な場合は生立ちなど)を伝える尺が限られる。
それにより、人間ドラマが薄っぺらくなってしまうのが難点。(もちろんれいがいもあるが)
小説は、物にもよるが、説明が必要とあらば、登場人物の背景をくまなく伝える紙幅がある。(特に世の中で成功している作家さん)なので感情移入に要する時間と情報を十分伝えることができる。
これが大きな違いじゃないかな?
登場人物に限らず、世界観にしてもそうなんだけど。
ってミステリ作家さんからの引用です。 >>156
既読冊数が絶対的に少ないからわかりやすい例を上げられないけれど、
ワクワクドキドキするスリリングな展開は小説でも可能だと思う。
読者が時間を忘れるほど小説にのめりこめる表現で描写出来れば、映画に匹敵すると個人的には思う。
文章のリズムとか、日常で使う言葉をまくし立てても読者が感じる時間は変わる。
夢野久作の短編全般の後半部分はそんな印象があったかな。 小説に描かれたときは強さを持っていたイメージでも、実際の映像にすると弱いってことがあるね。
「坊ちゃん」に、教師になった坊ちゃんが、同僚と喧嘩をして、
おごったか貸したかしたお金を片方が返そうとするんだけど、どちらも取ろうとしないってエピソードがあったでしょ。
和解するまでずっと、職員室で隣りあってる二人の机の境界に、その硬貨が置きっ放しになるっていう。
机の上に置きっ放しになった硬貨というのは映像的な表現だけど、
実際に映像にしてしまったら、どんなに上手く撮っても絵としては弱いと思う。映像としての力がない。
なんでだろう? んなこたーない。それは「映像作家の表現力」の問題で、「映像の表現力」の問題ではない。
詰まり、おまいの頭がバカだってことなだけだ。あはははは。 >>171
ほんとうにそうかな?簡単な結論に飛びつかずに、もっと考えてみたほうがいいんじゃない? トーシロの「そんなの無理だ」をやって見せるのがプロだ。そんだけだ。原理的に無理なら、勿論、仕方ないけどね。(笑笑笑) 漱石は、十七文字という制限のある俳句の描写が素晴らしいのは
『「美くしき人」「艶なる人」などと単純に云い放つのみにて決して細々しき科学的分解を含まざるに原因すること疑なし』
って書いてて、分解的、分析的描写は文学の描写ではないって言ってるね 意味のない言葉を美しく表現することで、読者が各々その器に意味を盛ることができる
そう言う美しく器が文学作品だと思うよ
平野啓一郎スレにツイートがコピペされてる文章なんかがまさにそう
あの文章には何の意味もないよ
でも読み手が各人想像力を働かせれば、その文章が指し示す無限のイメージの世界へと眼差しを向けることができる
少なくとも映像作品には絶対にできない
音楽からイメージを沸かせるのは難しい
やはり文学にしかできない 前にもどっかに書いたが筒井康隆の「虚構船団」。
あんな設定の作品は映像化できないよな?
役者全員にお面でも被らせるか?
忠実にアニメ化して鉛筆とか定規とか鼬にセリフ喋らせるか?
アホらしすぎてギャグにもならん たんもの【反物/段物】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
たんもの【反物/段物】とは。意味や解説。1 大人の和服などの一着分である一反に 仕上げられている布地 猫飛ニャン助 @suga94491396 3時間
沼野充義、向井豊昭の遺作評して「十分な声望得られないまま亡くなった」と
(東京新聞)。白々しい。向井が「声望」望んでいたか疑問だし、そもそも
沼野のごとき御用評論家や文壇編集者が、向井のヤバさを忌避していただけだ
ろう。最近若い書き手の向井論複数読む。沼野より遥にマシ。 読むのが大好きなんだけど、小説がすごいなあと思うのは
ただの文字から音が溢れ匂いが溢れ、つらつらと脳の中身も溢れ、
そういう溢れで自分の気持ちが全て追い出されること。 情景描写とか、自己(内面)の描写とかを面白く映すところかなあ。
作者と読者の関係が面白くなる。遠い国のことや
自分がなにをやってもたどり着けない
見たこともない世界を知れることとか。 >>182 本当にいい小説を読んでる時はたしかにそうなるな
自意識みたいなものが無くなって、作品世界の中をゴースト化して
夢中で眺めてるっていうか 恐らくラノベが低く見られがちなのって、「漫画でよくね」な話が多いからだろうな
作品ごとに見ていくと、やっぱり「小説ならでは」な表現が多いのだが 人物(作者)の思考をそのまま自分の頭に入れられることだろうな >191
例えば叙述トリックとか
あんまり文学的じゃないか てっきり若い姉ちゃんかと思ったらラストで汚えおっさんという正体を明かすというものすごい映画を見たことがあるよ・・・ スピードを損なわず場面転換に匂いの移動を組み込めるところ。石油ストーブのくすぶる部屋から冷たい外に出るあの感じが出せる。 / ̄ ̄ ̄ ̄ \
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/ \ 小説(というか本)の欠点は残りのページ数から
もうすぐ事態は収束すると推測できてしまうこと 死をもって世の中に何かを訴えることじゃね?
小説にしかできんよ。
いじめを許さない社会にしようぜ!!!!
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上松煌(うえまつあきら) 作
★「九月の葬奏」(1作目「友だちを〜」と共に、作者の出生の本懐です)★
https://slib.net/71188
『作品紹介から』
初作の『友だちを殺した』と共に、作者の出生の本懐といえるものです。
世間を震撼させた「多摩川・中学生虐殺事件」に衝撃を受け、日本社会に警鐘を鳴らし
たくて書きました。
時間のないかたは、後半〜末尾にかけての主人公の「独白」をごらんください。
社会のあり方、人間の人間たる倫理正義・矜持襟度・慈悲情愛の大切さを、死をもって
訴える場面です。 問題提起の性格上、過激・苛烈な表現があります。 2015年。
作順では5番目。
プロフィール ←作品けっこう意識高いぜ。命は大事にしろ。
http://slib.net/a/21610/
社会が傍観者ばかりになったら、コワイでぇ! 心理 にしろ 情景にしろ 描写といわれるものだろうな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています