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名翻訳家を挙げるスレ
0001吾輩は名無しである
垢版 |
2012/06/04(月) 14:44:19.29
神西清(ロシア文学)
0424吾輩は名無しである
垢版 |
2024/04/27(土) 18:26:59.84ID:qEiq3WLU
傅雷(1908年4月7日—1966年9月3日)
ダイ・シージエ(1954年3月2日 - )

アジア・文化・歴史/12 巻 (2021)
中国の『ゴリオ爺さん』
中国を代表するフランス文学の翻訳者・傅雷をめぐって
山本 幸正(1972年 - )

傅雷の文業は文学の翻訳から美術や音楽に及び、膨大である。それらの多くは現在、『傅
雷訳文集』全 15 巻(安徽文芸出版社、1998 年)や『傅雷全集』全 20 巻(遼寧教育出版社、
2002 年)などにまとめられており、中国語圏の読者に幅広く支持され続けている。また、
中国の翻訳研究などの分野においても重要な研究対象となっており、中国における学術論
文のデータベース「中国知網」で検索すると、2020 年末の時点で学術論文は 850、学位論文
は 215 に及んでいる。

訳業、それもフランス文学の翻訳で知られ、かつ傅雷と
ほぼ同世代の存在として想起されるのは、たとえば 1901 年生まれの伊吹武彦、1902 年生ま
れの水野亮や川口篤、1904 年生まれの生島遼一や新庄嘉章や淀野隆三、1905 年生まれの佐
藤朔や佐藤正彰、1909 年生まれの井上究一郎、1911 年生まれの小林正や鈴木力衛などであ
ろうか。いずれもフランス文学の名うての翻訳者であり、その訳業は現在においても親しま
れている。戦後の日本に与えた影響は計り知れない。しかし、こうした翻訳者の業績が、そ
の死後において、たとえば全集という形で刊行され、折に触れて見直され検討されるという
ことが行われてきたであろうか。

「僕」は「羅ル オが唯一夢中になっていたバルザッ
クには手を付けず、十九歳なりの軽さと誠実さで、フローベール、ゴーゴリ、メルヴィル、
あるいはロマン・ロランと代わる代わる恋に落ちた」

ダイ・シージエは、傅雷の読者に
焦点を合わせ、傅雷を読むことの物語をフランス語で綴った。『バルザックと小さな中国の
お針子』が描き出したのは、文化大革命を生き抜いた傅雷の若き読者である。
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