人生に文学など要らない、必要なのは金とセックス
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こう言ってくるDQNがいたとして、お前らならどう反論するか? 何ふざけたこと言ってやがる、バカヤロ!(怒)
オレは生まれてから今の今まで、金もセックスも無く生きて来たっっっ! (T_T) 「金とセックス」も既存イメージの反復という点では文学の亜種に過ぎない。 人生なんか要らない、生まれてこないに越したことはないんだよ ■大阪弁護士会所属の韓国籍弁護士逮捕 業務上横領:依頼人の2000万円着服容疑[5/9]
弁護士業務で依頼者から預かっていた相続財産のうち現金2000万円を着服したとして、
大阪府警南署は8日、業務上横領の疑いで、大阪弁護士会に所属する弁護士で
韓国籍の梁英哲容疑者(40)=大阪市西区=を逮捕した。
逮捕容疑は2012年11月、大阪府八尾市の男性(59)と
その親族から預かった相続財産約2300万円のうち2000万円を着服した疑い。
男性らから財産を預かった直後に自分の口座に移し替えたとみられる。
13年9月、財産の分割作業が進まないことを不審に思った男性らが南署に相談した。
http://mainichi.jp/select/news/20140509k0000m040146000c.html
http://mainichi.jp/ 毎日新聞 2014年05月09日 01時20分
ま ー た チ ョ ン 文学において重要なものの1つは金とセックスの描写の仕方 >>1
DQNと違って、人生なんてもの自体がどうでもいい
人生なんてものに自分を矮小化することの方がくだらない
ので、人生と文学の関係なんてどうでもいい では文学とは、何だろう。それは感受性で言葉を書くということだ。江藤の生涯をつらぬくのは、政治や経済、国際関係から日常生活
にいたるまで、人間が演じるすべての劇を、感受性で批評した点にあった。
一例を挙げよう。私たちにとって「生きる」とは、他人と出会うということに他ならない。難しい話ではない、日常生活を想像してほしい。
私たちは来る日も来る日も、気のあわない人間とともに生活し、気にかけ、比較し、悪口を言いながら過ごしている。つまり「生きている」
わけだ。
この「私」からみて異様な存在、それが他者だ。江藤の漱石論は、この日常生活で誰もが感じる違和感から、出発した。漱石の前には、
西洋文明という普遍的価値観が、襲いかかってきた。それはみずからの考えを正義=普遍的であると信じて疑わない他人と同じである。
漱石は、その他人=西洋文明を前にして、激しく傷ついた。他人のすべてを受け入れれば、自分は壊れてしまう。でも、他人を拒絶する
ことはもはやできない。では、どうすればよいのか−。
こうした他人との齟齬(そご)を、私たちはどこにでも見いだせるではないか。だがそれを、国家同士のかかわり、あるいは文明論に
作品化できる人間はマレなのだ。それが漱石であり、他ならぬ江藤淳その人であった。経験は、誰の前にでも転がっているが、
ただそれを後世に残る言葉にできるのは、感受性にめぐまれた人間だけなのだ。 何かにつけて暇があったら本を読めと言う人がいるが
文学に書物という形では全く触れなくても充実した人生は成立する
だから反論など不可能だよ 3万円がたった1ヶ月で260万円に増えたw
http://goo.gl/kQ7khC
機嫌がいいから今日だけ特別にその方法を教えちゃる!! 種の保存は動物としての本能でありある意味義務だ
だからそのDQNを褒め称える
そのとーり!ごもっとも!w 文学は剣より強いのか??
いじめ殺しを許さない社会にしようぜ!!!!
↓
上松煌(うえまつあきら) 作
★「九月の葬奏」(1作目「友だちを〜」と共に、作者の出生の本懐です)★
https://slib.net/71188
『作品紹介から』
初作の『友だちを殺した』と共に、作者の出生の本懐といえるものです。
世間を震撼させた「多摩川・中学生虐殺事件」に衝撃を受け、日本社会に警鐘を鳴らし
たくて書きました。
時間のないかたは、後半〜末尾にかけての主人公の「独白」をごらんください。
社会のあり方、人間の人間たる倫理正義・矜持襟度・慈悲情愛の大切さを、死をもって
訴える場面です。 問題提起の性格上、過激・苛烈な表現があります。 2015年。
作順では5番目。
プロフィール ←作品けっこう意識高いぜ。命は大事にしろ。
http://slib.net/a/21610/
社会が傍観者ばかりになったら、コワイでぇ! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています