「体験」が足りないやつは文学をまともに理解できない [無断転載禁止]©2ch.net
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体験の定義が欲しいかな
例えば銀河鉄道の夜は体験可能なのだろうか 俺もこれは疑問に思ってた
某SNSで童貞くんが文学の恋愛について云々してたけどお前に何が分かるんだよって言いたくなった
しかも大体「やっぱ女は糞、愛なんてない」的な話に帰着してるし突っ込みたくて仕方ないんだが その理屈はおかしいだろ
理解できるかできないかの話なんだから
でもやっぱり名エッセイストはアクティブな人が多いよね
椎名誠とか開高健とか 性体験は極端に貧しくとも、喧嘩で半殺しにされたり、交通事故で死にかけたり、リンチニ会いそうになったり、刺されかけたり、酔っ払ってホームから落ちたり、酔っ払って大通りのど真ん中で大の字になったり、病気で一度は医者に見放されたり、etc.などの経験は豊富だが。 体験=読者の共感性が高まる話なのか?
野球をした事がない人は野球の小説を見ても判らない?
例えば週刊文春で囲碁の小説が連載されているが
囲碁の神髄が判らないと楽しめませんと言い出すとキリが無い 結局のところ自分の体験に基づいて読むからな
自分の記憶の底あたりで断片化されている体験や感覚
そういうものを元にすることでしか物語は組みあがらないようなきはする
物語を脳内再生するときに必要な部品としての経験や感覚はあるのだろう
でも、だからこそ作家は非日常的な事柄でも日常的な事柄にたとえたりして
誰の頭の中でも再現可能なものとして文学作品を提示してくれているわけで
「体験が足りない」なんて理由で理解できない文学作品は少ないとおもうわ
(流石に外出したことないし仕事したことないし猫すら見たことないし……、
みたいな読者は想定していないだろうから一般的な経験は最低限必要だがな) 「”文学を理解する”ってそもそもなんなの?」みたいなはなしもあるからな
例えば個人的には文学作品の理解の仕方って性格に左右されるとおもうわけ
絶妙な心象や人物を描いていても大雑把な捉えかたしかしないひともいるし
大袈裟にいえば赤と青のあいだの微妙な紫色みたいなものを描いても
赤か青のどちらかでしか捉えられないようなひともいるといえばいる
でもこういう人達が”文学を理解できていない”といえばそうともいいきれないのよ
こういうひとはこういうひとで物語を大雑把に捉えるのには向いてたりするからね
人物を類型化して理解したり物語全体を構造的に捉えたり要約するのが案外上手い
心情の機微などは理解していないかもしれないがこれも理解の仕方のひとつではある
飽くまでこれもひとつの例示に過ぎないし文学に対する理解の仕方は本当に様々だから
「”文学を理解する”ってそもそもなんなの?」みたいなところから考えるべきにおもう シュールな文学があるとする絵画でも良い。
理解しがたい設定の上で成り立っている
これは体験が無いと理解できないのだろうか?
例えば昔話で浦島が竜宮城から帰ってきて鶴になりました
どう解釈するかは体験とは関係は無い
なぜなら人は竜宮城にも行けないし鶴にもなれない。
しかし鶴になる老人の悲しみは判る筈だ?
これは体験には基づいていない>>1の理屈は通らない。 >>12
華やかな場所へ行ったことがあれば竜宮城へ行ったことは少しは想像出来る
過去を後悔したことがあれば老人になった悲しみも多少は想像出来る
でもこれらの経験さえなければ想像することさえ出来ない
要はその想像力を膨らませるための種としての経験と、それを正しく認識して考える能力が必要なのでは 体験が多いほど文学を深く愛せると体験を自慢したいだけ
この話は「共感」に関係している
人は苦しみを知るから相手への憐憫も生まれる
それは普通に日常生活を送るだけで十分だよ
破天荒な人生を過ごせば文学を楽しめるなんて理屈は存在しない 性体験にしても、自分と異質な異化できるものほど楽しみやすいんじゃないか。
年取って性体験だけじゃなくても体験が少ないと言い訳にならないし
やはりそういう傾向はあるでしょう。 なんかDTにこだわり過ぎなのでは?そこがちょっと気になる 太宰治の評価が分かれるのとか正にこれのせいだろうな >>3
経験と体験の違いに徹底的にこだわったのがムージルだろうな
何でもできてしまい登場するほとんどの 女性と性関係を持つ「特性のない男」主人公は体験を追い求める
彼は経験の蓄積によって「特性のある」もの(数学者や技術者、政治家、スパイ)になることに満足できない
その体験は合一の体験であって対象は双子のような妹との性交渉を伴わない近親相姦
小説が未完に終わると同様、合一は果たされず、どこまでも経験の外にある
たとえばモディアノは経験することのない出来事の体験について書き続けている
プルーストも経験ではなくて体験の作家だな
何百個マドレーヌ食べてもプルーストは体験できないけれど彼の小説や出てくる絵画、音楽によって体験へ近づくことができる 体験不可能な事は描写できない話になりそうだけど>>21 シリアスであり、かつ内容的に異なる葛藤を経た体験を次々と我が物にしていった者でなければ、1のようなことは言えないことだけは確かだろ? >>22
描写というのは代表であり表象であり、depictでありdastellenでありabstractという操作を経る
抽象によって失われるもの出来事を言説に還元することによっては体験は描写されない
経験は抽象して描写することができるし、反復することができる 同じ出来事でなくとも同じ経験に抽象することができるから
女性経験とは違う女性との性交渉という出来事を同じものとして抽象して初めて蓄積する
しかし女性体験は反復できない 女性という自分とことなる物にである出来事は、性交渉という形である必要はない
女性体験を抽象してしまえば「思いがけない一面に出会った」などに還元されるが、そうでない小説はいくらでもある
上に上げた3人は全小説をこの体験を描くことに費やし、ときに「外国語に見える言語」で小説を書き続けた
「全的経験」は経験する主体の状態を含まない、体験の一部でしかないが、それを書くには全体小説という形式がとられやすい 体験って、体験の欠落含めて体験だし
理解とは不理解を含めて理解では >>25
さっぱり判らんけど
作品を仕上げる人は「体験をしろ」はまぁ判る
でも
作品を読む方が体験をしろは?
例えば作者がSEXの経験が豊富で表現力が高いのは判る
が
読者も同じだけ経験をしたとして作者の好みと合致するわけでもない。 >>27
>例えば作者がSEXの経験が豊富で表現力が高いのは判る
団鬼六の生涯経験人数は5人だそうだけど セックスみたいにみんなが体験していることを作者が体験していない場合
下手にリアルに書こうとするとバレバレになるかもね
でも童貞の妄想力はリアルを超えたところに発揮されるから
リアルにこだわらなければむしろ強味にすらなるでしょう セックスよりも恋愛の方が想像しづらい
恋したことない人間がバルトの恋愛のディスクールを読んで楽しめるか
絶対に無理だな 虚構でも共感を得られれば問題は無い
共感は相手の解釈次第と言えるなら、妄想が激しい奴の方が共感しやすい
つまり体験は不要
体験してないからこそ想像が勝手に出来る 小説って、むしろ"経験"がないことのを"体験"することじゃないの?
それと、読むときに理解する必要もないと思うわ
読んでから、理解できないから(けど憧れるから)同じこと経験してみようって思ったり
偶然、小説と同じ現象を後になって経験したりして、何年か後でやっと意味に気付けたり
そういうのが文学の面白さだと思うな 子供の頃に読んだ未知の体験
確かに楽しかったね
知らないからこそ楽しい 未知の体験に遭遇したあとに響くものもある
俺は1派 本を多く読むほどパターンが見えて
人生経験を増やと更に何を描いてるのか見えて
新鮮さが失われる
本を読まない方が楽しめるよw 小説と人生・生きるということは全く別物
小説を読めば生きるということが分かるということはない
逆に人生体験がないから小説が分からないなんてこともない
小説は音楽などと同様、生きる中での楽しみのひとつであって、
それ以上でもそれ以下でもない。 教員(指導者)の理想通りの感想を書かないと評価されない読書感想文は最悪ではないだろうか。
ふと思った。 だからエロ小説を読むのに女性体験が豊富でなければいけない理由を書くのだ 女性体験が豊富なら馬鹿らしくて読めないエロ小説があるでしょ Hは個人の体験だからなぁ
書き手側の体験と合致するとは限らない 果たしてこのスレタイさえ観念に過ぎず、と思うわ
体験が足りなくても他者の意見を多く取り込める器量があればそれで十分な気がする
要は他人の体験でもOKでしょ、ってとこ 谷崎が、文章讀本で、鯛の味、を語っていたけれど、
鯛の味は、どんなに言を尽くしても、食つたことがないやつにはわからないだろう。
しかし、淡白な魚の味、などと言われれば、魚を食ったことがあれば、ある程度の類推はできる。
逆に、そこまでだ。
童貞に男女間の恋愛がわかるか?
これは、恋愛は、愛の部分集合、と考えれば説明できるだろう。
童貞でも、たとえば、親子の間の愛を経験しているのなら、ある程度までは類推できる可能性はある。
鯛の味、と同じように。
それは >47 の言う器量ってことだね。
わかるか?って問いは、はいかいいえか、の二択ではなく、
どの程度わかるか、という程度の問題、になるわけだ。
文学の理解には、差異と言うか、ズレの問題がある。
解釈は読み手に任されているので、
単なる娯楽として読む分には、聖書を淫行の書として読もうが、戦記として読もうが、どうでもいいわけだ。
解釈は、細部にまでわたれば、讀み手の数だけ存在する、と考えたほうが納得できる。
理解できない、とか、間違った解釈だ、ってのは、上述を考慮すれば、程度問題かも知れないと思える。
解釈の表現自体の巧拙や個人的な体験に基づいた色眼鏡の可能性もあるから、一般には
簡単に正誤判断はできないだろう。
試験やクイズで採用されるものは、むしろわかりやすい部類に属するもの、と考えるべきだと思う。 鯛の味と言いながらも料理人や素材によって無限の味付けがある
食した体験があったとしても文学のエピソードと合致するとは限らない 自分がどんな体験をしているかどうかで文学作品にたいするかんじかたは違うだろうね 個人の体験の違いで解釈が異なるのは良い事だよ
体験なんていらない 批評感覚の鈍い者は体験を生かせない。
実際の西洋美術史に残る名作の数々に普段から触れる機会の決定的に乏しい日本人が美学を学ぶことの障害に無自覚な例が多いのは、彼等の「鈍さ」が理由。
鈍い者には体験も理論も生かせない。
体験をすぐに性体験のことと勘違いするのも「鈍さ」が原因。
彼等に文学は馬の耳に念仏と同じ。 ほんとに体験の話かな
問うているのはデカルトのいう「良識」みたいなことではないのかな スレ主じゃなくて54の方の意見に対して言ったつもりだったけど、 まあいいや 他の文化知らないから駄目って話は?
初めて知って感動するでいいと思うが まずは足元。日本の美術の知識と理解。
それが無しに、無定見に外来を受け入れるのは感心しない。 全ての事を知らないと文学を味わえないなら
大変な作業にしか見え無いけど 夏目漱石の「坊っちゃん」なんか宮使いをしたことがない学生等は
本当の意味で理解できないと思う。 春琴抄なんかも近くに盲目の美少女がいて三味線の経験がないと理解できないとおもー 罪と罰なんかも人を殺したことがないと理解できないとおもー 山月記は虎になったことがないと理解できないとおもー ↑「宮仕え」が正しい。
まあ恋愛経験のない思春期の少年に不倫小説なんか本当に理解できるわけがないしな。 ラノベってそういうのおおくないか?
アニメ、ゲームの体験や予備知識がないとわかりにくい作品とか >>71
○○の体験が無いと文学が理解できないとか言い出すと
幻想文学とか無理って話になるからね
まぁ>>1は単に想像力が足りないだけ たいていの人が経験しているようなことすら経験していない人のことだから・・・ 虎になったことある奴が山月記を読んだらまた理解も違うだろうな 狭い範囲の趣味に生きている人ならまぁ判る
鉄オタとか
アイドルオタとか
生態を知らないと深く理解できない?
深く理解できなくていいと思うけど 三味線の経験があれば三味線の描写の理解もまた違うだろうね 専門制が高くてぴったりハマル場合もあるだろうが
贅沢すぎる楽しみ方 三味線良く知らないで書いてるなあとか思ったら萎えるでしょ それを言い出したら作家も全てを体験しないと文学をまともに書けない カンガルー・ノートなんかは死んだことがないと理解できんせん 死は永遠の眠り、という。だから眠ったことがあれば理解できるだろう(笑 臨死体験とかあるが脳内が混乱して支離滅裂になるのだろう
あれこそ他人には判らない世界 >>87
あと貝割れ大根が脛から生えた経験もないとなw 共感できるできないでその人にとっての価値は変わりそうだけど
カタルシス効果の有無って小説の読書では重要じゃないかな? 娯楽の読書に何かを求める?
読みたいから読む。
それだけ。 と思うだろ?(笑
よく考えて見るんだ。
面白いかどうかは、読んでみなければわからない。
じゃあどうやって読む本を決めるのか?
作家を絞る⇒こいつはその作家の作品に、自分にとってばらつきが少なければあたり。
書評を読む⇒その書評を誰が書いているか、にもよるだろうが、趣味が自分と同じでなければ、期待はずれになる。
本屋の宣伝を利用する⇒村上春樹が面白い、と思えるやつなら、大いに利用したらいい(笑
まあ、俺は本屋に行って少なくとも1ページくらいは読んでみるね。
それで面白ければ買う。それでも、最初はいいけど、あんまりおもしろくない、ってのもある。それもかなり。
資金が乏しいころは、絶対に全部読もうと努力したけど、大人買いできるようになったら墮落した。
嫌なもんを最後まで読むのは、時間のムダ。俺にとって読書は娯楽だから。
その意味では、>94 に反対はしない。 作家を決めるのは短編集とかがいいよ
味見できる感じ
長編w
それしか書けない奴は無能 人を殺したこともない人間が人殺しの本を書いてもリアル感が全然ない。 SEXの経験ないと艶美な描写が出来ない
殺人の経験がないと被害者と加害者の心情を理解できない
ありがちだけど違うと思うね
空想と現実は違う
文学は所詮はフィクション 現実とフィクションってそんなはっきり分けられるか
まったく現実要素なしにフィクションを作れるのか、そりゃリアリティーがまったくないなら無価値だと覆う思うよ
何らかの現実からの材料が無いと空想なんてできないよ だから銀河鉄道の夜を例に出した。最初の方で
体験できないものにも共感をして理解できる
沈没するタイタニック号に乗り組んだ子供達に同情できる 死ぬのはいつも他人ばかり。という言葉があったが、登場人物が死ぬ間際の主観的な心理描写で秀逸な作品ってなにかあります?
それこそ、死を経験したことのある奴は文学を書けないのだが。
臨死体験は別として。いや、別にしなくてもいいけど。 民進党旧維新グループ分裂 松野頼久氏、新生クラブ設立へ
松野頼久が反執行部を掲げ
小沢一郎や共産党と親しい松野頼久氏
新しいグループの名は「新生クラブ」
民進党で旧維新の党グループに属する松野頼久元官房副長官が2月1日、新たな党内グループ「新生クラブ」を設立することが分かった。関係者が24日明らかにした。
党内最大の旧維新グループが事実上、分裂することになる。新生クラブは執行部に批判的な勢力として活動するとみられる。
グループ名の「新生」は自由党の小沢一郎共同代表が自民党を離党して結成した新生党と重なる。
松野氏らは小沢氏に近く、小沢氏の別動隊になるとの憶測
旧維新グループは民進党結党時に26人で発足。昨年9月の党代表選で、
松野氏と江田憲司代表代行の路線対立が表面化
http://mainichi.jp/articles/20170125/k00/00m/010/141000c オワコン北野武「あああん、日本会議&安倍ガイジ晋三さまあんっ、らめえええええええ!ひぎぃ!あああ、アナルが裂けちゃううううううっ!」 いじめを許さない社会にしようぜ!!!!
↓
上松煌(うえまつあきら) 作
★「九月の葬奏」(1作目「友だちを〜」と共に、作者の出生の本懐です)★
https://slib.net/71188
『作品紹介から』
初作の『友だちを殺した』と共に、作者の出生の本懐といえるものです。
世間を震撼させた「多摩川・中学生虐殺事件」に衝撃を受け、日本社会に警鐘を鳴らし
たくて書きました。
時間のないかたは、後半〜末尾にかけての主人公の「独白」をごらんください。
社会のあり方、人間の人間たる倫理正義・矜持襟度・慈悲情愛の大切さを、死をもって
訴える場面です。 問題提起の性格上、過激・苛烈な表現があります。 2015年。
作順では5番目。
プロフィール ←作品けっこう意識高いぜ。命は大事にしろ。
http://slib.net/a/21610/
社会が傍観者ばかりになったら、コワイでぇ! 無論 無力 さもわかるが。筆力銘もいいかもね。
理論派は。 だけど経営とかやったこともないのに
働いた実績もろくなもんじゃないのに
日本、海外、古典、学者、ベンチャー
あらゆる経営者の本がなぜか
すんなりと読めるし
ふに落ちるんだよな
なんだろなあれ
もしかしたら根っから労働者の思考はあわなくて、
経営者のほうが向いてるんじゃないかと思ったりしてる 書く人はどうなのよ
どうみても経験なさそうだけど
忙しい作家なんか
売れてからなに体験しないつまらない人生のはず 一神教で、二つのオマージュが取れないことが大事だろう。 >>1
夏目漱石の「坊っちゃん」なんかまさにそうだね。
会社勤めをして人間関係のドロドロが初めて理解できた。 ナボコフっていたじゃん。全世代の兵士が点在しながら集結しないと
治水はよくならないわけ。精液でもLOVEジュースでも。 性は奥深いわね。
決壊を起こさない様に愛情を込めてのダム建設........ ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
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