夏目漱石 八十二夜
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夏目漱石
1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年12月9日(大正5年12月9日)
本名 夏目金之助
牛込馬場下横町(現新宿区喜久井町)出身
前スレ
夏目漱石 八十三夜
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1513649759/ >>97
どうしちゃったんだ?
とりあえず、差別の問題に関しては、差別する(といわれる)側も当事者だということは完全に認めたのか? >>99
主張の問題ではなく、差別者の精神のありかたの問題な。 >>103
いちいち説明しないとわからないのか疲れるな…>>90に対して>>96みたいな素っ頓狂なレスしといて「話を逸らしてない」と言い張るんですか?無敵な人なんですか? >>104
その企業が心から>>99が正しいことだと思ってたら許されるの? >>101
>>50をはじめとする僕のレスを追ってくれ。 >>105
差別してると言われた側の、差別意識一般の精神のありかたの問題だ、ということをまず、確認したいんだが?
それを前提として、漱石の精神に触れたのが僕だから。 >>107
だから足の話はもういから顔が
白人>その他
の根拠を「自分が好きだから」以外の理由で書いてくださいよ >>106
正しいと思っているか間違っていると思っているかではなく、その差別側の精神のありかただよ。 >>110
論点は>>17の「満漢が差別かどうか」って話だから
差別側の精神がどうだろうと、差別は差別ですから >>109
黄金比などのバランスとか、色とか、じゃないかな? >>107
白人の脚が黄色人種と比較して統計的にどれだけ長いか知らないけど、たとえいくらか長いとしても白人には人類普遍の美があるという説の根拠にはならないだろ。 >>111
差別なのか?
ただ、臭いと思った物を臭いと言ってただけではないのか? >>113
少なくとも、日本人もまた長い脚を美としているということだよ。 >>108
それは>>90に対して「話逸らしてる」事にならないんですか?他人を批判するくせに自分に対しては随分甘いんですね。 悪いがレスし続けたので、きょうはここまで。
また明日。 >>115
そもそも「小股が切れ上がった」白人の話を聞いた事がないんだが。 >>112
じゃないかな?
じゃなくて「白人は顔のバランス的にも、色彩的にもこんなに優れてる」
てデータなり根拠出してくださいな
>>114
薄汚いものは日本にもいるのに中国についてだけそう書いてるから差別的じゃねえの? >>114
差別者はみんなそう言うよ。「事実を指摘しただけだ」ってね。侮辱しといてそういう風に言うわけだ。 黒人の体臭について大江健三郎も「飼育」で書いていたけどね。しかし少なくとも「満韓ところどころ」のようなあからさまな差別ではない。 しかし、相手に「お前は逃げた!」と批判しといて自分はしれっと逃げるのすげえよな。ちょっと真似できないわ。 「吾輩は猫である」殺人事件を書いた人も
満漢は差別的で嫌いだって書いてたな うるせえ!
「満韓ところどころ」は名作なんだよ!
はい、終了!
てめえら、「きのこの山」食って寝ろ! 漱石と関係ないけど、アメリカの非白人人口の増大で、アメリカの白人は何年かしたら少数民族に転落する見通しだそうだ。
トランプの政策がうまくいっても、その逆転の時点を数年伸ばすことにしかならないとか。
あれだね、アメリカで白人をディスるのも、少数者差別という日が来るのかもしれないね。 >>118
「小股が切れ上がった」というのは脚の長い人に対する言葉。
主に江戸時代に使われていたようで、明治以降は落語などで出てくる。
江戸時代に白人に接した人はごく稀だから、白人に対してその言葉を使った人がいたとしても、記録に残らなかったのは当然だろう。 >>119
ダ・ビンチの図表でも見てみれば?
日本にいる薄汚いものにも、漱石は辛辣な言葉を投げかけてるよ?
「猫」の車屋への感想とか、自分の生家の前のぬかるんだ道の記述とか、友人とのお互いの奥さんに対する批評とか。
漱石は、白人女を含めて、美しいものを愛でる姿勢は生涯変わらなかった。 >>120
本人の言い分の問題ではなく、事実を指摘しただけなのか、侮辱をするつもりで言ったのかが問題だろ? >>122
僕は逃げたんじゃなくて、仕事をする時間になっただけw
普通の人には、仕事や家庭でやることがいろいろあるんだよ。 シナ人が臭かったという事実を認めずに
それを書いた心理だけみたらそりゃ差別になるわ
事実は重要ではないとか 笑
どこまでバカなんだ 美醜の問題はあると思うよ
三四郎でも乞食に対する批評が出てくる。
そこで「徳義上の観念」と「不愉快な感じ」を対立させて書いている。
漱石が臭いシナ人に「不愉快な感じ」を抱いたのは確実である。
しかしそのシナ人とはシナ人の乞食や苦力ではないんだよね。
シナ人の中でも高級ホテルたる公館に泊まるそれなりの階級だという事が読み取れてない人ばかりだね。
つまりあれは差別というより風刺と言うべきかな
ビゴーがちんちくりんで出っ歯の日本人を描くだろ
差別かねあれは >>132
日本に来た西欧人が、日本は黴臭いね、と囁くことがある。
事実かもしれないし、日本の社会に対する批判的な感覚が含まれているのかもしれない。
ちんちくりんで出っ歯で眼鏡をかけた日本人を描くのは、もちろん風刺であると同時に差別でもある。
一重のつり目で、日本人を含む朝鮮系を象徴させるのも、その両方だろう。
まあ、欧米人の多くの人には、日本人も韓国人も中国人も区別はないだろうが。
さて、漱石の感じた臭いは、ただ感じただけだったのか、ホテルのベッドメーキングを含めた中国人労働者の奴隷状態への痛みと回避だったのか。
あるいは、中国人がくさいと書くことで、日本人の優位性を誇示する差別感情を強調したかったのか。
漱石を丹念に読んでいけば、結論が見えてくるだろう。 暗号文や、暗喩の詩文とか、そんな才能がない人だね。 辞書に書いてある説明ではちょっと納得できないので
僭越ながら、「小股の切れ上がった」の意味を推測したい。
この表現は良く、江戸の女に対して使われるが、別に上方の女に比べて
江戸の女が脚が長いなんてことは全然ないはず。
あるいは江戸の男が特に脚の長い女が好きだったという話も聞かない。
と、すれば、この表現はむしろ着物の着こなし方や歩く時の足さばき、着物の
裾さばきの、切れ味の良さのことを言ってるのではないかと俺は推測する。
その反対として、上方女のねっとり、ほっこりした舞妓のような歩き方を
挙げられるかな。
現代の関西女はむしろ東京の女より若干速足で歩くと聞くが。
俺は長年の競馬ファンなので「切れ脚」には煩いw >>135
>と、すれば、この表現はむしろ着物の着こなし方や歩く時の足さばき、着物の
>裾さばきの、切れ味の良さのことを言ってるのではないかと俺は推測する。
着物の裾から見える素足の部分を大股ではなく小股といっただけだろうね
であるのなら足さばきの見事さに対する評価といえるし、
裾から見える足首の締まりのことだとも理解し得るが
おそらく両方のことだと思う
現代人ならスカートから見える太もも部分になまめかしさを感じるが
江戸人は着物裾から見える足首の締まりや歩き方で妄想逞しくしていた
たとえば江戸文化を現代にまで継承していた石川淳が
戦時中の当局が小うるさい時期に発表した作品では
妙齢の女性の手首を記述することによって
裸身を妄想させるような記述がある 江戸時代の銭湯の番台の親父が女達の裸を見たり、遊んだ客が遊女の裸を見て脚が長いので、あの女、この女が「小股が切れ上がった」と言ってる訳じゃないと思うんだよなw >>136
ネットの辞書では、小股とは膝から上の脚の付け根までを指すみたいなのもあるが、
そんなとこを簡単に見れる訳がないんだよなw >>136
「足首の締まった」はあるだろうね。
人類学者の金関丈男は戦前の中国人の纏足で全身の骨が細くなることを書いてる。
それと似た江戸時代男の脚フェチ表現の一種が「小股の切れ上がった」かも。 「小股」の意味は、言語学的に解明済み。
小腹が空いたなどと同じで、「小」は少しという意味で、逆語順ともいえる用法。
お腹が少し空いた −> 小腹が空いた
股が少し−> 小股
股が少し切れ上がってるというのは、尻が上がってその分足が長く見えるという意味で、職人の股引き姿などに使われた。
女に使う場合は、もちろん、遊女の体形を指すことがほとんど。 >>141
解説有難うございます。 よく分かりました。
しかしここまでぐじゃぐじゃ言ってたトンマはお笑いですね。 >>141
俺があんたに反論したい点は
1、「満韓ところどころ」は差別じゃない
2、日本人より白人の方が本質的に容姿が優れている
この二つだね 1については
当人がどういう精神だろうが意図だろうが相手を下に見ればそれは差別
日本の車夫や無教養な女に対する侮辱は差別
同様に中国人を臭い汚いと書くのも差別
日本についてはいいところも沢山書いてるが中国は国ごとこけにしてる感じがするので民族差別的
麻雀とあと少ししか褒めてなかったと思う
事実がそうだから何が悪いというが
汚かろうが馬鹿だろうがそんなこと思うまでならいいが文章にして売ってんじゃねえよと思う
メリメが
「イギリスがアヘン戦争やらかしましが、あいつらなんて所詮チンパンジーの亜種だから
同情するのは所詮動物愛護法ぐらいなものでしょう。
この前に中国の文学を読んだら恐ろしくつまらなくて腹が立ちました
あんな馬鹿なものを書く連中は素晴らしいギリシャローマからの遺産を受け継ぐ我々が支配するべきです」と書いてた
当時はアジアは弱国だったけど、俺からしたらどう見てもアジア差別で胸糞悪い
当人の精神なんか知るよボケと思う
中国人が満韓読んだら反感覚えるのは当たり前だし、日本人の俺から見ても失礼であんなもん漱石に書いて欲しくなかった 2、については小股の話はもういいから
>>112について具体的なデータなり根拠をだしてもらいたい
今日本人が「洋」服を着て外人みたいな格好をしているのは
それは白人文化が強いからであり
それと本能的に美しいといのを混同してはいけないと思う >>144
漱石は、知に対しては徹底的な差別者だ。
美に対しても、時として差別心が顔を出す。
漱石のDVの根源はそこにある。
民族、例えば中国人に対して「満韓」ではくさいと言っていても、他の著作では、中国の知識人は、むしろ尊敬の対象だ。
たまたま時に恵まれずに苦しい生活をしているからといって蔑んではいけない、といっようなことも書いている。
終生漢詩(中国知識人風の心の在り方)への憧憬も変わることはなかった。
中国人への民族差別云々を語る以前に、漱石には、民族あるいは国家という概念が乏しかった。
国家のために死ぬというのは、独り相撲で死んでしまうのと同じことだとまで言っている。
「満韓」でも時流の中で、虐げられる民族にならなくて良かったという意味で、日本人を見直したり、自分が日本人でまあ良かったと感想を書いているに過ぎない。
漱石の差別心の内実については、漱石の著作を追えばわかると言った所以だ。 >>145
「美」は民族(社会環境)によって違う。
一方で、どの社会環境から出た「美」でも、他の社会環境の中で「美」として受け入れられることも多い。
それを否定する人はいないだろう。
どの環境でも受け入れられる「美」があるなら、「美」には、なにか人類共通の基準があるということになる。
もちろん民族の強弱など関係なく、世界各地の弱小先住民族の「美」が、環境を超えた「美」っていることは、論ずるまでもないだろう。
ひとつ例をあげれば、アフリカの先住民のリズムは、先進国の音楽ファンをひきつけてやまない、ということをあげてもいい。
「美」には、たしかに本能的な要素がある。
人間が見て端正な顔立ちの猫は、やっぱり猫にもモテるw >>147
環境を超えた「美」っている
ー> 環境を超えた「美」になっている >>146
それには同感
前スレでも書いたが漱石は民族というより無教養・下流を見下してる
これは漱石だけでなく魯迅もしてるしチェーホフもトルストイも村上春樹も教養ある作家は大体馬鹿にしてる
でも普通はみんなそれを隠す、よくないことだと思って作中でそれが出ないようにする
しかし満韓はモロに出ちゃってて、作中そればかりで中国のいいとこを殆ど見ないので国家差別にも見えてしまう
「中国は弱国である。したがって中国人は当然、低脳児である。彼らがこう思ったのは無理なかったかもしれない」
これは魯迅の言葉だけど、漱石にもこの見方が感じられる
文学の要素は「真」「美」「善」「知」「荘厳」だけど
満韓は真のために善が損なわれてるし、その真も価値は低い
クーリーが臭くて汚いのは当たり前で、まさか仕事で汗かくたびに入浴するわけにいかないだろうに
そんなこと書くなよと思う >>149
漱石が中国の知識人に強い憧憬を持っていたことは、いくつもの著作に表れている。
その背景で、「満韓」を見ないと漱石の真意も差別感情も理解できない。 >>147
何度もいうが美の基準は環境で変わる
そしてアンタの言う「環境を超えた」という状態が今はない
グローバリズムだか言われてる今の世の中だと環境は一つ
昔みたいに分断されてなくて、世界中で英語が教育の必須科目になってる
アンタが今使ってるパーソナルコンピューターもスマートフォンも何語か考えれば
どれだけ今の環境というのは白人文化が強いかわかるはず
そんななかで本質的に白人が美しいというのはバイアスかかってるだけだと思ってしまう >>150
いやわかるよ
文学論でも春秋左氏伝の一文引いて「これすげえ好き」とか言ってた
でも満韓は差別だよな
満韓に差別ではない「真意」があるなら具体的に教えて欲しい
そもそも自身がイギリスで差別喰らって悲しい思いしたって書いてるのに
今度は自分が中国行って他人を見下すような真似してほしくなかった >>149
>クーリーが臭くて汚いのは当たり前で、まさか仕事で汗かくたびに入浴するわけにいかないだろうに
>そんなこと書くなよと思う
そうだね、書いてないんだよね
いい加減脳内情報だけで書くのやめろ
テキスト読め
むしろ城内全部臭いんだよ
下水の処理が出来ていないから
もう一回読んでから議論してくれ 漱石は満鉄総裁と大親友で
彼の招待で朝鮮と満州を旅し、
そこと比較して日本の良さを確認できた
漱石の人生行路の中でも割とエポックメイキングな経験だった
漱石に自分の左翼思想を投影させるのではなく、
そこら辺の事実を根本的に認める強さを持とうな >>153
満韓ところどころ39
それを囲んで三人の男が食事をしている。皿小鉢さらこばちから箸はし茶碗ちゃわんに至るまで汚きたない事はなはだしい。
卓に着いている男に至ってはなおさら汚なかった。
まるで大連の埠頭ふとうで見る苦力クーリーと同様である
ちょっと違うが汚ないってはっきり書いてるね 事実も言えないようにする左翼の言論形成は、
北朝鮮のハリボテ高層建築を作る精神と同じだよね それは一般の人が苦力と同様に汚い、という事を言ってるので
>「クーリーが臭くて汚い」
という事を言っているのではない
まさにあんたがいうように「それは当たり前」なので「書いていない」のですよ >>156
それ言う必要あるんですか?って話
誰かが女子サッカー選手をブスだって書いてブログ炎上したし
トヨタの期間工馬鹿にしたババアも炎上した
「河岸の上には人がたくさん並んでいる。けれどもその大部分は支那のクーリーで、一人見ても汚きたならしいが、二人寄るとなお見苦しい。
こうたくさん塊かたまるとさらに不体裁ふていさいである」
こんなこと書く必要ねえだろ 事実が言える言論空間じゃないと
悲惨な事実も改善しないですよね 左翼の言論封殺は見たくない事実を糊塗してハリボテにするだけだよ >>159
どんな悲惨んな事実なんだようすら馬鹿w
作業員が汚いのは当たり前だろ てゆうかいきなり湧いたID:evASgqddとID:4+lmNSP5は別人か
ID:4+lmNSP5とは議論する価値はあるけど
ID:evASgqddはどうせ>>22みたいな馬鹿だろ >>161
お前、苦力の労働条件、
苦力でもない一般の人でも不衛生な環境で暮らさざるを得ない当時のシナ人に対する憐憫は無いのか?
むしろ、あんたが差別だと弾劾する漱石にもその気持ちはあったと思うがな
もちろん不衛生だと忌避する気持ちもあれば、日本人に生まれて良かったという気持ちもある
で、漱石にはあんなものは書いて欲しくなかった、かい
ただの言論封殺パヨク薄らバカだな 要するに当時のシナ人の衛生状況も、
それを書いた漱石の文章も、
見たくない認めたくない抹殺したい
ってだけか
本当にしょーもない奴だな 当時のシナ人の知識人で漱石が憧憬を持っていたような人はいないね
だいたいで言えば遅くとも清国以降はいないんじゃないかね
何かつうと「中国人の知識人への尊敬・憧憬」と言い出す人がいるが、
それは漱石の時代の満州の状況と全くと言って良いほど関係がない
西欧人の知識人がギリシア文化への敬意をもってるのと変わらないんだよね、それは クーリーについては確かに最初は「汚らしい」という印象を率直に書いていた。
しかし漱石のクーリーに対する目は変わってくる。
>クーリーはおとなしくて、丈夫で、力があって、よく働いて、ただ見物するのでさえ心持が好い。
>赤銅のような肉の色が煙の間から、汗で光々(ぴかぴか)するのが勇ましく見える。
>この素裸なクーリーの体格を眺めたとき、余はふと漢楚軍談を思い出した。昔韓信に股を潜らした豪傑はきっとこんな連中に違いない。
>クーリーは実にみごとに働きますね、かつ非常に静粛だ。と出がけに感心すると、案内は、とても日本人には真似まねもできません。あれで一日五六銭で食っているんですからね。
>馬賊の来襲に備えるために雇われたればこそ番兵だが、その実は、日当三四十銭の苦力である。
番兵に雇われたクーリーは、一般のクーリーよりも高給のようである。
こういうクーリーの労働条件にも漱石は目を注いでいる。
はじめただ汚いと思われたクーリーは、その働きと肉体美によって漱石に顕彰されるに至っている。 書体が活版印刷でも読み込み書き込み余白にまで肉薄で、解決。 >>150
それいつまで言ってるの
漱石の差別感情とあまり関係ない
知識人は完成された古典文化を愛するもの
ただそれだけ >>169
ほんと、それな。
今の気の利いた日本人だって、杜甫や李白好きだもんね。 >>169
漱石の差別感情は、民族や国家とは関係がないということ。
だからs、漱石の作品を追ってみろと。 ひたすら文豪としてしか見てないから
そういう勘違いをする
そろそろ気付け >>173
でたね文豪君。ここでは漱石を文豪なんて言ってる奴いないよ。
ひたすら漱石憎しで、著書もまともに読めてないんだろね。
そして、ただ一人浮いてる事に永遠に気付けない。
漱石憎しなんてくだらない
植民地の支配側として当時普通の差別意識でしかない
特別でもなんでもないことを記しただけ
世代的に大した題材ではなかったんだろう
たとえば中島敦とはそこらへんが違うな
中島にとっては差し迫った題材だった >>174
問題は著作を読み込めば作者本人の
細かな意識まで同定できるという思い込みだよ
お気楽文学研究のワナだな 歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た事である。 国家が危機なら国家のために尽くすのは
当然といい、国際的な生き馬の目を抜くような
対立を低級な道徳と呼んでいるだけだから
実際長生きしなかったことがリベラル的な
評価につながっている
マルクス主義も狼藉がバレたら女性拡張論者と
一緒に軽蔑の対象になっただろう だから日本の英文学者の綿綿たる保守路線は
実は漱石から始まっていたのかもなあ
日本をイギリスにしたい 私が独立した一個の日本人であって、けっして英国人の奴婢でない以上はこれくらいの見識は国民の一員として具えていなければならない上に、世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです。 今の大作家が講演で、
嫁にいけない女がフェミニズムに走る
って話したら日本会議扱いされるだろうなw
ワハハ >>146
>中国人への民族差別云々を語る以前に、漱石には、民族あるいは国家という概念が乏しかった。
自分のイデオロギーに都合の良い読解、引用しかできない偏頗な脳しかお持ちでないようで
漱石は近代日本の傑物の一人で、国家の概念も確立してあるし、個人の概念も確固としてある。
「概念が乏しい」とかw
あんたらサヨクと違って、漱石は実に健全な国家観を持っているよ >>179
自衛隊が中東に派遣されるらしいから、自衛隊に応募しろよ。
こんなところでなにを書いても、国家のためになんかならないぞ?w >>183
その漱石の「健全な国家観」はどこに書いてあるの?
国家のために死ぬのは、独り相撲で死ぬのと同じこと、という国家観のこと? >>146
これは「差別」という言葉は仕方なく容認しつつ
漱石の差別感情を知をめぐる芸術家的葛藤として
特別視しているからタチが悪いな
なんとかこじつけようとひねり出したのだろうが屁理屈
知性がない者への軽蔑は植民地支配や黒人差別にも
ある代表的な差別意識であって、それがあるから
ほかの差別に当たらない、とはならないのは自明
そんな込み入った話じゃない >>184
漱石に対して自衛隊に応募しろって
アタマ大丈夫?www 漱石信者が、イギリスの自由主義を讃える
かのような国家観の漱石に向かって
自衛隊に入って中東に行け発言ww
面白いw >>187-188
いやあ、漱石氏がよみがえって5chに書き込むとは、まったく想定外だった。
病院行った方がいいんじゃない? >>179
ついに漱石がサヨクくんからネトウヨ扱いされるに至ったねw
老婆心ながら分からない人のために
「私の個人主義」の終わりの方とか読んでみそ? >>189
国家の危機に国家に尽くすには当然で平和な時には
個人主義でいきましょう、
という話な
これは漱石の意見で俺の意見ではない
狼藉働くフェミは嫁に行けないから、
これも同様w >>191
俺は東京在住の団塊左翼の漱石信者を
を時に漱石くんとも呼んでいるがなw
混乱は仕方ないねw イギリス帰りの漱石は民族や国家の概念が乏しい
→バカ
漱石は中国の古典が好きだったから中国人差別しない
→バカ 今の日本はそれほど安泰でもないでしょう。貧乏である上に、国が小さい。したがっていつどんな事が起ってくるかも知れない。そういう意味から見て吾々は国家の事を考えていなければならんのです。
これが国家の概念の乏しい人間の言らしいw >>195
学習院という支配者層を相手にした講演で、自分のことより社会のことを考えろと説教してる。
贅沢三昧の皇族、華族、貴族への嫌味だよ。
個人主義というタイトルをつけながら、官憲の監視をすり抜け、諧謔を駆使した漱石らしい講演だ。 第3章の手紙部分を読めば事足りるのに、ダラダラ先生と私について描写してる。所詮は新聞連載ありきで出来上がった冗漫な小説。
漱石の本領は、初期の丁寧かつ洒脱な文体にこそ発揮されている。夢十夜の第一夜の、ラストシーンこそ近代文学の最高傑作だ。
朝日新聞専属になった三四郎以降の文章は、無駄な修飾語や仕草の描写の連発で、バランスが崩れている 新聞小説は、行数が決められているので、無駄な事を書き足すしかなくなっている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています