サディズム・マゾヒズムと純文学
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
みなさん、いろいろと教えて下さい
とりあえず↓を題材にそれぞれの卓見をお示しいただければ幸い
SM作家・美咲凌介による「SMを描いた純文学」10選
https://pdmagazine.jp/works/sm-selection/ >>3
なるほど
でもSMの専門家から見ると文学はどう見えるのか、という視点も興味深いのでは?
選ばれている作品もほぼ納得
ただ『湖畔』(久生十蘭)はどうかな? って思いますが…… 興味深いけど、
あくまでもジャンル小説としてのSMという視点からみた純文学、という限界がつきまとうよね 採り上げられている作品は以下の通り
1 サディストの語源となった男の「反キリスト」的思想
『新ジュスチーヌ』 マルキ・ド・サド
2 サディストを調教・育成するマゾヒスト
『毛皮を着たヴィーナス』 L・ザッヘル=マゾッホ
3 乾いた笑いの中に横たわる幾つもの死体
『一万一千本の鞭』 ギヨーム・アポリネール
4 精緻な支配と被支配の論理の中で輝くマゾヒストの欲望
『O嬢の物語』 ポーリーヌ・レア―ジュ
5 陰影に彩られたSとMの転換
『少年』 谷崎潤一郎
6 仮面としてのサディスト
『湖畔』 久生十蘭
7 サディストのいないM小説
『家畜人ヤプー』 沼正三
8 性風俗産業となったSM、その中で生きる女の子の純情
『トパーズ』 村上龍
9 SMの女王様が繰り広げる現代社会批判
『ひざまずいて足をお舐め』 山田詠美
最後に本人、美咲凌介の作品が挙げられているが、これはまあ無視してもよいとしてw
私としては
「新ジュスチーヌ」で
「サディズムは、キリスト教的道徳に対する反抗あるいは批判から始まった。このことは、心に留めておくべき点でしょう。」
とあるのは納得
しかし「一万一千本の鞭」で
「この作品には、サドに見られたキリスト教への反発などは存在しません。ただ、数々の異様な性愛の光景と、その結果である幾つもの死が、あっけらかんと存在しているのです。」
としているのには納得できません。
直接的な批判はなくとも、「一万一千本の鞭」の存在自体が批判となっているのではないでしょうか 上に挙げてある作品以外にも、「これは名作」というものがありますでしょうか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています