サマセット・モームはどうでしょう part4
金持ちには子供はいない
相続人がいるだけだ
ユダヤの格言 一日幸福でいたかったら、床屋に行きなさい
旅は男の船であり、港である。
そして男は自殺するかわりに旅にでる 「「文学」へのリスペクトが感じられ、かつとてもていねいに書かれていて好感を持ったが、積極的に推すことができなかった。」「「長すぎる」と思ったからだ。」
「新人作家だけが持つ「手がつけられない恐さ」「不思議な魅力を持つ過剰や欠落」がない。だが、それは、必然性のあるモチーフを発見し物語に織り込んでいくことが非常に困難なこの時代状況にあって、「致命的な欠点」とは言えないだろう。」 ウェブサイト「ユニクロ―LifeWear magazine―村上春樹に26の質問」に掲載された同氏のインタビュー内容が発端で「SNSはいっさい見ないそうですが、その理由は?」という質問に対し、以下のように答えている。
「大体において文章があまり上等じゃないですよね。いい文章を読んでいい音楽を聴くってことは、人生にとってものすごく大事なことなんです。だから、逆の言い方をすれば、まずい音楽、まずい文章っていうのは聴かない、読まないに越したことはない」 月と六ペンスはサマセット・モーム版の、グレート・ギャツビーに思えた。
理解し難い画家の人生と肖像に、作者がいろいろ仮託している 司馬遼太郎は、長い間日本から遥かに遠い僻陬(へきすう)の海に位置するアイルランドに強い関心を持ち続けてきた。
その国はかつてシーザーも征服欲を
刺激されないといわれるほど厳しい風土の国であった。しかし司馬遼太郎はアイルランド人が
古代ケルト民族から受け継いできた比類ない「想像力」と、孤高の精神を見つめようとする
ヴィエルの<青春の痕跡>を追う。やはりスペイン・バスク出身のロヨラはパリでザヴィエルと出会い、
二人はやがてイエズス会を結成する。司馬さんは二人のバスク人キリスト者のなかに対照的な精神性を感じとった いま情報テクノロジーの支配する社会で、もっとも痩せているのが、「文学の言葉」です。「ケータイ」とインターネットの表現が、この国の人間の表現をおおいつくす時代が遠からず来る、
それが老作家のペシミズムです。しかも、そこに大逆転の時がありうる−世界的にその徴候が見えている−という思いも棄てられません。
そうなれば、若い層から実力ある働き手の層にまで、知的で柔軟な、言葉の革新をなしとげる新種族が登場するはず、と私は信じます。その革新の手がかりとなるのが、
この国の近代化でつねにそうであったように「文学の言葉」だと続けると、我田引水にすぎるといわれるかも知れません。
しかし、漱石のみならず、諭吉も、まず「文学の言葉」の人だったと考えて、かれらのもたらした流れを辿り直してはどうでしょうか? 私は永く「文学の言葉」で生きてきました。そしていま、社会の表現と認識の言葉をリードしてゆく層の人たちが、「文学の言葉」と無縁になっているのを実感します。また外国の知識人が、日本の知識人の言葉をどこに見出せばいいか、戸惑っているのにも気付きます。
私は自分の晩年の仕事をやりながら、T・S・エリオットの「老人の愚行(フオリー)」という言葉に挑発されていました。生きている内に自分の名の文学賞を作るなど、
その一種ですが、死んでからではやることができないと思いきって引受けました。私は、いまも注意深く見れば創られている、
力にみちた「文学の言葉」を、知的な共通の広場に推し立てたいのです。上質の翻訳にして世界に向けても押し出します。
そして、この国でも海外でも、あの「文学の言葉」に共感した、ということが相互理解のきっかけだった、善き時代をよみがえらせたいとねがいます。 電子計算機を使ふ人間が、ともすると忘れてゐることは、電子計算機の命令に従つて
動くのはよいが、人間は疲れるのに、電子計算機は決して疲れない、といふことである。
人間にとつて、疲労は又、生命力の逆の証明なのだ。
三島由紀夫「クールな日本人(桜井・ローズ戦観戦記)」より
278名無しさん@公演中2010/10/22(金) 21:13:43ID:oVnvVEjg
テレビによつて、いくらでも雑多な知識がひろく浅く供給されるから、暇のある人は
テレビにしがみついてゐれば、いくらでも知識が得られる代りに、「中国核実験」と
「こんにちは赤ちゃん」をつなぐことは誰にもできず、知識の綜合力は誰の手からも
失はれてゐる。無用の知識はいくらでもふえるが、有用な知識をよりわけることはますます
むづかしくなり、しかも忘却が次から次へとその知識を消し去つてゆく。 電子書籍は、グーテンベルク以来の文字文化の革命であり、大きな可能性を持つフロンティアです。電子書籍の波を黒船にたとえて既得権益に閉じこもったりせずに、
さまざまな利害関係者がともに積極的に関与し、読者に対し、紙書籍では不可能な付加価値の高い作品
を提供することを目指したほうが合理的であり、出版、ひいては経済の活性化につながると考えます まったく新しい視点でクラシック映画を観る方法を教えてくれるのがローラン・デュリューの作品だ。
―ボブ・ゲイル (『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ脚本家/プロデューサー)
『ジョーズ』『シャイニング』『ゴッドファーザー』『E.T』『.パルプ・フィクション』
『ティファニーで朝食を』など数々の名作が、MONDO、そして世界中の映画製作者に認められたアーティストの手により、ここに蘇る。
映画のオルタナティブ・ポスター制作で知られ、世界中にファンとコレクターをもつベルギーのイラストレーター、ローラン・デュリュー初の作品集。 佐藤優「彼(菅)は凄腕官房長官のように言われているかもしれませんが、基本はゴリ押し一本ですから。
バッターボックスに立てれば三振でもいいと言う、そういう感じ。沖縄問題を見れば分かりますよ。
引くことが出来ない人なんです」 初めてビジネス書籍のライティングをしたとき、編集さんから「形容詞はいっさい使わないで書いてください」と言われて、驚いたことがあります。
というのも、それまで私が原稿を執筆していた女性ファッション誌では、「美しい」「かわいい」「甘い」「若々しい」「優しい」……などの形容詞のオンパレードで、いかにキャッチーな形容詞を使うかがライターの腕の見せどころだったからです。
■なぜ形容詞を使ってはいけないのか
しかし、これら「美しい」「かわいい」などの形容詞は、人によって受け取り方がまちまちになる、あいまいな言葉です。
ファッション誌であれば、夢やあこがれを提案する媒体なので、それぞれの読者が思い思いにイメージをふくらませてもいいのですが、ビジネス文章では、
受け取る相手によって解釈が変わる文章はトラブルのもと。形容詞はビジネス文書にはご法度なのです。
形容詞だけではなく、「静かな」「親切な」などの形容動詞や、「速く」「上手に」などの副詞も、人によって解釈が変わるあいまいな言葉が多いので、できるだけ避けましょう。
メールや企画書の中で「『すぐに』提出します」「『強い』インパクトが期待できます」などの言葉を使っていませんか?
「すぐ」も「強い」も主観的な言葉で、人によってとらえ方が変わります。ですから、これらの言葉を、誰が読んでも誤解がない文章に変えていきます 『すぐに』提出します」→「今週金曜日の正午までに提出します」
「『強い』インパクトが期待できます」→「昨年比3割増の収益を見込んでいます」
などの数値に置き換えて、誰が読んでも同じとらえ方ができる文章にします。
同様に、「人気のレストラン」であれば、「2017年上半期のA社の口コミランキングで、エリア2位の人気レストラン」とか、
「3カ月以内の予約は100パーセント取れない人気のレストラン」などと数値を交えて書きます。このように数値で説明することで、
書き手と読み手の間にある「人気」という言葉に対する受け取り方のズレを防ぎます。
必ずしも数字に置き換えられない感覚的な言葉を扱わなくてはならないときも、できるかぎり「具体化」します。
具体化するときは、5W1Hを意識します。いつ、どこで、だれが、どれくらい、なんのために、どんなふうに、のいずれかを明確にすることで、読む人が理解しやすくなります。
私の場合、ライター人生の前半は、ずっと美容関係の原稿執筆をしていたので、美容師さんやヘアメイクさんの
「もうちょっとふんわりさせて」とか「この空気感がかわいい」などの感覚的な言葉を、読者に対して「翻訳」するのに苦労した経験があります。
このような場合も、5W1Hを意識して、できるだけ具体化します。
たとえば、あるヘアメイクさんが「髪にワックスをつけてふんわりさせて」と言った言葉を、「髪を乾かしたあと(When)、耳の付け根よりも上の部分の髪に(Where)、
マット系のワックス(What)をあずき1粒ぶん(How much)のばしてつけます。根元を起こすために(Why)ドライヤーをあて(How)、空気を入れて(How)立ち上げて」と書いたこともあります。 1.井上ひさし氏との対談
@司馬:関西人から見ると東京は東北人が作ったと考えるところがある。A井上:東北人から見ると東京は長州人(と薩摩人)が作ったと考えるところがある。B司馬:合理主義というのは哲学者が生んだものではなく、貨幣経済が密度高く行われることにより生まれた。京都で室町時代から貨幣経済が稠密に行われ、
その余波を受けたのは大坂ぐらい。それ以外は明治以後。C井上:奥羽山脈とつながりの少ない福島県と宮城県は東北ではなく準東北で、東北は山形、秋田、岩手、青森という感じ。
2.大野晋学習院大学名誉教授との対談
@司馬:日本語にはラリルレロから始まる言葉がない。ろうそく、ラッパ、らっきょうとかは漢語。江戸時代にロシアをオロシャとしか言えなかった。AB司馬/大野:母音をたっぷり発音するのは関西式発音で必ず聞き手にわかる。関東では荒っぽく母音を落とすことがあり聞いて非常にわかりにくい。大阪の漫才は日本語の正統な流れ。
C大野:漢字が日本に入ってから1500年。その間に漢字を日本語の造語要素として採り入れながら使いこなしてきた。あまり漢字制限するのは文化的に不得策。
3.徳川宗賢学習院大学教授との対談
@徳川:関西風の言葉の調子(母音を融合させない)も西の方へ行くとあるところで止まってしまう。中国地方は上方と違っても、海を隔てた四国が上方に近い。A司馬:広島、岡山が関西からみれば標準語に近く聞こえる。阿波、伊予へ行くと私らが失った上方弁をまだしゃべっている感じ。
B徳川:北のほうでは越前、加賀、能登、越中…、その辺までは上方風の感じ、そのはずれが佐渡。C司馬:若狭は上方ですけど、越前に行くと違うような感じで東国のにおいがやっぱりする。 4.多田道太郎京都大学名誉教授との対談
@A司馬/多田:美人は動きの中で見出される。静止したり写真に撮ったりすると美人じゃない人が多い。われわれが女性にひかれる場合の
一番のポイントというのは女性のしぐさである。B多田:ではどのような身振りをしたら一番魅力的に見えるか、
昔は人の目を見なかったとか、笑う時に口に手を当てるとかだったが今は必ずしもそうはいかない。
C多田/司馬:名は体をあらわすというのは、名前が人生に対するしぐさというか親の希望を表すわけで、名前はむしろ、親を判断する手がかりになる。
5.赤尾兜子氏(俳人)との対談
@ABC赤尾/司馬:(俳句というものは日本化された漢語イメージから成立する文芸かとの司馬の問いから始まって)俳句の原型になる基礎的な
構築の言葉の根は、漢語、漢文的系列によってこのわずか17音の詩を構築したということ。芭蕉自身が若いころ漢語まじりの作品をいっぱい書いている。
芭蕉はそれで自分の骨格をつかみ、その上で和語だけの(例えば)「さみだれを集めてはやし最上川」とか「何の木の花とは知らずにほひかな」となる。
6.松原正毅民俗学博物館センター長との対談
@松原:万葉仮名ができる6世紀後半くらいまで500年以上にわたり中国に営々と行っては漢籍を持ち帰り、漢文を習った連中が上層部に相当蓄積された。後に空海のような天才が出てくるが、
それを生むだけの厚い土壌が形成されたということだろう。A司馬:関東には百済から入植者が大量に入り、子音をうまくしゃべれる連中が沢山いた。東京の人が比較的うまく子音を言えるのは、
その残映と思う。私ら関西人はそれに劣等感も持ち、しまいには開き直り、我々の方が縄文の正統と思うところがある。 「団塊の世代が大きな担い手だったというのもノンフィクション史の大きな特徴です。政治の季節を知る彼らにとってノンフィクションは一種の自己表現の『物語』でもあった。ところが時代が下るとファクトと
読者が直に結びつくことを理想とするジャーナリズム観がノンフィクションにも及び、本来その間をつなぐはずの書き手の透明化が求められているように感じています」
そんな現代の気分を吹き飛ばすような、大宅壮一と沢木耕太郎が放つ強烈な個性が印象的だ。
「大宅はノンフィクションの時代を用意した人物として重要です。書き始めるときはそれほど意識していなかったんですが、大宅に触れる分量が自然と多くなっていって評伝的な性格も多少ある本になりましたね。
一方の沢木は方法としてのノンフィクションというものにかなり意識的。ノンフィクションが包含する『物語性』をよく分かっている人だけに読者を獲得できている。2人の存在があったからこそ、この本が書けたという指摘は当たっているかもしれません」 日本ノンフィクション史 - ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで (中公新書)
武田 徹
アンドレ・ジイドの『ソヴィエト旅行記』から、海外の影響を受けて、ルポルタージュという表現形式を自覚した日本は、出来事の推移を追って報告する物語性や統一性のある文学に気づきます。
火野葦平『土と兵隊』や石川達三『生きている兵隊』など従軍報告として、まずルポルタージュは出現しますが、そこは軍の影響による物語性の強いルポルタージュでした。
その後、戦後民主化革命のルポ、マルクス主義の下のルポ、米軍批判的なルポと、価値観の強い見方からの深く鋭いリアリズム追求が強くなります。
またジャーナリズム系の週刊誌のルポルタージュも増えますが、物語性の強い商業主義的ルポとなります。
同時期、1960年、『世界ノンフィクション全集』が筑摩書房から刊行。ノンフィクションという自伝・伝記・旅行記・探検記・手記・日記・人類学的作品
をも含む雑多ジャンル集合のノンフィクション概念が形成されていきます。
ここでは記録性が重視されていましたが、徐々に物語性の重要性も強調され出します。
その後、1970年、大宅壮一ノンフィクション賞ができ、1979年沢木耕太郎『テロルの決算』で日本におけるニュージャーナリズムの作品が確立。ノンフィクションが一つの創作カテゴリとして自立します。
日本のノンフィクションは、その後、社会学というより、文学として構築され、海外のリテラシージャーナリズムやアカデミック・ジャーナリズムという記録の高い形態から乖離します。 夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
https://kaiyoboken.com/ ロードジム 河出文庫 柴田元幸
帯
丸谷才一
コンラッドは男の名誉という小説にふさわしくらなぬ主題を選び
それについて男同士が語り合うという凝った手法で書いた。
長編小説の魅力を十分に味わわせてくれる名編である
翻訳も上出来 「諸君の今日まで捧げてきた偉功は決して消えるものではない。
いま日本は戦いに敗れたりといえども、日本国民は……諸君の勲功をたたえ、
諸君の霊に涙して黙祷を捧げる日がいつか来るであろう。安んじて諸君は国に殉ずべし」 派手なアクションを避け、地道にスパイの心理を追うスパイ小説の王道を切り開いたアンブラーの初期の代表作。
「探偵小説味のある作品を書いている現役の作家で、文学者として最も優れた人は誰かと考えてみると、
英のグレアム・グリーン、仏のジョルジュ・シムノン、それから英のエリック・アンブラー、この三人が特別に際立っている」
江戸川乱歩はこう書いた ブーラ氏は「両親はホロコーストの話をする時、怒りや報復ではなく、生を祝福し前を向いて生きることの大切さを説いた。それが私の世界観を形成した」と語った 池澤夏樹(いけざわ・なつき)
1945年、北海道帯広市生まれ。作家、詩人。ギリシャや沖縄、フランスに住み、2009年から札幌市在住。芥川賞を受賞した「スティル・ライフ」のほか、「静かな大地」や「カデナ」など作品多数。朝日新聞朝刊で小説「また会う日まで」を連載中。
招致段階で、当時の安倍晋三首相は、東京電力福島第一原発事故について「状況はコントロールされている」と発言しました。原子炉建屋内にはメルトダウンした核燃料が取り出せないままで汚染水も日々たまっているなど、事故が今も収束していないのは周知の事実です。
当初盛んに言われていた「復興五輪」もウソ。結果として、東北復興とは何の関係もない五輪でした。
招致委員会が提出した立候補ファイルでは、開催時期の東京の気候が「温暖でアスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」とうたっていました。
池澤さんはインタビューの後半で、1964年の東京大会と今回の大会との違いを語ります。そして、自らが住む札幌市が2030年冬季五輪の招致を目指していることにも異議をとなえます。
8月の日本は、北海道も含め、どこも暑いことを、僕たちは知っています。大会開催中、テニスのジョコビッチら、選手からは異常な暑さに怒りの声が上がりました。
最大のウソは、日本政府が、「国民の命と安全を最優先する」と言い張り、五輪開催に伴う新型コロナ感染拡大のリスクを無視し、開催を強行したことです。 >>64
一番重要な情報が書かれていない
福永武彦の七光り Conquer yourself, not the world. 世界ではなく、己を征服しろ。(デカルト さしえの50年 単行本 – 1987/5/1
尾崎 秀樹 (著) 宮脇俊三
時刻表好きで国鉄の複雑なダイヤを愛好し、私鉄は国鉄に比べてダイヤが複雑ではないためあまり食指が動かないと言っていた。
巧みな乗り継ぎによる旅行案を考えるのが楽しみであり、うまい案ができたら旅行に出たという。
『線路のない時刻表』では未開通路線の仮想の時刻表を作成したりもしている。
紀行作家としては、地理や歴史の深い教養に裏打ちされた簡潔かつ格調高く、軽妙なユーモアにあふれた文章を書くことで知られる。
また熱心な鉄道ファンでありながら、専門用語などを殊更に羅列したり、評論家ぶったりするなどの、
ごく一部の趣味者に見られる嫌味さが作品内にはほとんどなく、飄々とした文体が多くの人々に受け入れられ、鉄道ファンにとどまらない多くの愛読者を惹きつける。
このため、典型的な鉄道ファンであるにもかかわらず、「鉄道ファンとは違って…」と鉄道趣味への誤解と相まって評されることも多い。
処女作『時刻表2万キロ』で「鉄道に乗る」ことを趣味とする者の存在を世間に認知させ
鉄道の次に好きな乗り物は路線バスであり、飛行機はその逆で乗るたびに早く着陸して欲しいという気になったという 宮脇俊三
山岳景勝地には、道路ではなく、鉄道を。
鉄道紀行の第一人者だからこそ描ける、壮大で優しい夢の列車たち。
登山者も鉄道ファンも、誰もが心暖かくなる名著、ヤマケイ文庫で復刻。
「自然保護と交通渋滞の解消のためには、観光道路からクルマを排除し、代わりに鉄道を敷くべきだ」
1991年、月刊誌『旅』に掲載された「夢の上高地鉄道」はクルマ横行社会への反省と鉄道復権の追い風で大きな反響を呼び、その好評にこたえて著者は全国各地の山岳鉄道を考察した。
鉄道旅行の第一人者が、日本の山岳地帯の環境保全と観光を両立させるために鉄道を走らせる「夢」を描いた名著。
長らく入手困難な状況だったが、黒岩保美による表紙カバー絵もそのままに、ヤマケイ文庫で復刻。本文挿画も黒岩保美の作品を忠実に収録している。
■収録タイトル
「上高地鉄道」「富士山鉄道・五合目線」「伊勢志摩スカイ鉄道」「屋久島自然林保存鉄道」「比叡山鉄道」「奥日光鉄道」「志賀高原鉄道・草津白根線/奥志賀線」
「蔵王鉄道」「菅平鉄道・根子岳ラック線」「奥多摩湖観光鉄道」「立山砂防工事専用軌道」「粗谷渓鉄道スリル線」
「スノウドン登山鉄道(イギリス)」「ブリエンツ・ロートホルン鉄道(スイス)」「シーニゲプラッテ鉄道(スイス)」「シンプロン峠鉄道(スイス・イタリア)」 「善に対して真剣になれず、美しき悪業に対してのみ真剣になれるような、奇態な性癖を己に生みつけたのは誰なのだ」―対象の善悪を問わず美しいものへの惑溺に情熱を燃やし尽くした谷崎 誰が己を、天に逆らって生きなければならないような人間に生んだのだ。善に対して真剣になれず、
美しき悪業に対してのみ真剣になれるような、奇態な性癖を己に生みつけたのは誰なのだ。己は己の背徳について、天罰を受ける覚えはない!
ー異端者の悲しみ 世の多くの人達は日常を退屈と見なし、さまざまな形でロマンティックな世界に憧憬を抱く。ところがここにロマン主義の弱点を見抜き、持前の機智とユーモアと皮肉
と諷刺で平凡な日常を非凡な喜劇的世界に転じた作家がいる。漱石が「平凡の大功徳」を心得た写実の大家と絶讃し、
山本健吉が「世界で一番平凡な大作家の一人」と評した、英国の天才女流ユーモリスト、ジェイン・オースティンである
ジェーン・オースティンの描いた世界は、言うまでもなく後の女流作家の描いた
世界にくらべれば無限に狭い。しかしそれを言うなら、小国はいつでも大国に敗れる
ものとは限らない。私自身はたえず小国の勝利を信じつづけてきた者であることを
この際申し添えておく。」 「ジェーン・オースティンの描いた世界は、言うまでもなく後の女流作家の描いた
世界にくらべれば無限に狭い。しかしそれを言うなら、小国はいつでも大国に敗れる
ものとは限らない。私自身はたえず小国の勝利を信じつづけてきた者であることを
この際申し添えておく。」
『ヴィクトリア朝の英文学』(G・K・チェスタトン) 制作者である黄はこの騒動について「音楽には翼がある。私が作ったこの曲は自身で世界各地へと飛んでいった」とし、 戯曲が意外とシェイクスピアの次くらいにはかかってんだよな 『老人と海』は現代アメリカ文学の「弱点」を「長所」に転換したものとして福田は了解したのです。それまでのアメリカ文学はヨーロッパ文学と比べ、「人間の捉え方が浅い」と感じられたのです。イギリス、フランス、ドイツといった文学には
「時間の累積」があります。その差は国の成り立ちからいって埋められるべきものではありません。ヨーロッパの文化を一斉に取り込んだためで「人間の捉え方」にもその差は歴然としています。
ただそれは同時に19世紀ヨーロッパ文学の行き詰まりが明確になってきた時でもあったのです。「第一次大戦後、
イギリスに『意識の流れ』を描こうという流派が出現しました。フランスには『自意識の文学』とでも名づくものが出現した」のですが、
そのために個性を追求する余り、行き詰ってしまったというのです。
それは絵画の方でもいえることで、「対象を正確に観察し、それぞれのちがいを描きわけえるリアリズムが完成してしまったあとでは、画家の関心は、対象の個性というものから
離れて対象を眺める眺めかたに個性を賭けるよりほか手がなくなった」それが「シュールリアリズムやアブストラクト」の絵画なのです。
この行き詰まりは「個人主義」の限界にもなりました。ヘミングウェイやフォークナーはフランス文学の影響下に成長した作家ですが、彼らの作品ははじめてジードやサルトルに認められ、行き詰っていた現代ヨーロッパ文学は彼らに
学ぼうとしていたのでが、やはりフランス文学とアメリカ文学の間には根本的に違ったものがありました。 現代に絶望を抱き、「社会的連帯感」とか「人間の善意」に対して否定的な態度を示しても、フォークナーの小説のように、「いままでアメリカ文学には見られなかった個人の内部にひそむ暗欝な情念が追求されており、
そういうものは社会性という公約数で割り切れない」のですが、それは「社会的善意にたいする反動ではないか」と思われ、「なんでもかんでも割り切れる透明で平面的なアメリカ社会と、
その空間の原理によって造りあげられた人間像とにたいし、なんとか文学らしい深みと陰翳とを与えようとして、
無意識の情念が追求されだしたのではないか」という「わざわざ隙を見つけた」感があり、「それは絶望ではない」のいうのです。
だがヘミングウェイの『海と老人』には彼の手法として「ハードボイルド・リアリズム」(非情の写実主義)があり、「肉体や行動への無意識な信頼」に
よってそれを否定しています。そこには「理想に裏切られたことについてのいささかのセンチメンタリズイム」も見られないのです。ヨーロッパ文学のように、
「精神は精神によって、あるいは自意識は自意識によって否定するとすれば、そこに意識が意識をうたう抒情がでてくるのでしょうが、肉体的行動という外面的なものによって否定すれば、どうしても
ハードボイルド・リアリズムにならざるおえない」のです。それがまたヘミングウェイの作品がアメリカ文学の伝統たる通俗性をもっている理由でもある、と福田は言っています。
そして『日はまた昇る』『武器よさらば』『持つと持たざると』『誰がために鐘はなる』といった長編は「精力の濫費」「徒労のエンタテイメント」といった弱点を免れない。
「ヘミングウェイのうちに、なんらかの意味で思想的なもの、倫理的なものがあるとすれば、それは一種のストイシズム」であり、それを『老人の海』のサンチャゴは体現しているのです。 いままで、かれの作品では、否定のあとに開けられた空洞を、もっぱら肉体的情念で埋めていたのですが、この作品ではそれが
精神的に肯定されることによって、倫理への通路が開かれているようにおもわれます。
しかも、そこにはなんの感傷的な抒情もなく、ハードボイルド・リアリズムは手堅く守られており、
眼に見える外面的なもの以外はなにも描くまいと決心しているようです。
心のなかに立ちいって、ひとの眼にふれぬものを引きだしてやろうとする主観的な同情はぜんぜんありません。なるほどサンチャゴの独白や心理描写はありますが、それらはつねに外面的行動に直結しております。心理描写といっても、
ひとつの行動にはひとつの心理しかないと断定しうるような心理描写であり、ひとつの行動からいくとおりもの心理を憶測しうるというような、そういう複雑であいまいな、いいかえると弁解がましい心理描写ではありません。
すべてが単純明快です。老人が実際におこなったこと、そしてその周囲にたしかに存在した事物、それ以外はなにも描かれておらず、またそれだけはひとつ残らず描かれているようなたしかさを感じます。 ヘミングウェイに関して、福田氏は本論に入る前にアメリカ文学の歴史を俯瞰し、社会主義的、文明批評的な小説が多く、欧州のような文学伝統の土壌がないところでアメリカ文学が育っていたが、と前置きしている。
だからパリのカフェで「あなたたちはロスト・ジェネレーションね」と有名な女流作家にヘミングウェイは揶揄された。それもまた有名な話であろう。
だが福田氏は『老人と海』を読んで、おなじ虚無主義の多いアメリカ人作家のなかで、ヘミングウェイに一種のストイシズム、イギリス清教徒の子孫としての倫理的なものを直感的に発見され、次のように言う。
「その虚無的な否定と冷酷な突き放しとにもかかわらず、むしろその反対の旺盛な現実肯定ないし現実謳歌を感じとる」
以前のヘミングウェイは「敗北者に同情を抱かない」。「勝ち抜き、生き抜く」男の冷酷と、思想のなさ、倫理のなさを描いてきたが、『老人と海』でトーンが変調していることを直感的に福田氏は感得したのだ。
つまり「否定を肯定に転換する」のが『老人と海』である。
過去のヘミングウェイの作品は「否定のあとに開けられた空洞を、もっぱら肉体的情念で埋めていた」けれども、『老人と海』も確かに「肉体的行動にたよってはおりますが、それが精神的に肯定されることによって、
倫理への通路が開かれている」として、福田氏個人も読後感は「心身の爽快さをおもえる」「剛気の文章」であると昭和28年に自ら翻訳した『老人と海』の解説を書いている福田恆存 読まれなくなったのか。
おもろいのに。
たった100年前の本なのに、もう廃れてなくなっていくのか。 「目的」「目標」「手段」の違い
目的⇒あなたが最終的に実現したいこと。
目標⇒あなたの目的を実現するために、やらなくてはいけないこと。
手段⇒あなたの目標を実現するために、おこなうこと。 「雨」
意味がわかった瞬間落ち込んだ
俺も男だからな… 「雨」はモンスーンという風土に呑み込まれていくキリスト教徒の白人をペン1本で描いているのが素晴らしい。
太平洋のジメジメ感がこれでもかというくらい描かれている。
文章の描写力という奴だが、近年では評価しにくいんだろうな。 雨はいいね
あらすじだけ見ればありきたりっぽいけど
描写を追っていくと衝撃的 長崎で見た、踏み絵の木枠についた指の跡のことを、東京へ帰ってからも私は忘れられませんでした。夕べに散歩する時、夜に酒を飲む時、黒い指跡が目に浮かびました。
そして三つのことを考え続けたのです。ひとつは、踏み絵を踏んだ時の気持ち。次に、踏んだのはどんな人だったろうか。そして、私がその立場にたたされたら踏むかどうか。
強い信念を貫き通すより、踏む可能性の方がはるかに高いと思ったな。拷問は苦しいだろうし、やはり家族まで殺されるのは可哀そうです。
私は弱虫なのです。これは、今日会場にいらっしゃるみなさんの三分の二は私と同じだろうと思う。
小説というのは、やみくもに書くのではなく、自分の視点から書くものです。そして『沈黙』は、〈迫害があっても信念を決して捨てない〉という強虫の視点ではなくて、
私のような弱虫の視点で書こうと決めました。弱虫が強虫と同じように、人生を生きる意味があるのなら、それはどういうことか――。
これが『沈黙』の主題の一つでした。 メルヴィルを評価できなかった見る目のない通俗作家。 通俗作家ってのは一般的にその時代においてもてはやされ
作者が亡くなると信じられないぐらい綺麗さっぱり消えるものだが
モームは残り続けてるのが不思議ではある
面白いし
1874年生まれ 通俗だろうが何だろうが、すごく優秀で透明なレンズで景色を見ているかのような文章が素晴らしい
まだ子供の頃に養父からフランス語学習のために新聞を朗読させられたのが関係あるのかもしれない >>87
モームは世界十大小説に『白鯨』を選んでいる タラス・ブーリバは、ロシアの小説家ニコライ・ゴーゴリが1835年に発表した中編小説。
『隊長ブーリバ』とも。ウクライナの歴史を題材としており、コサックの連隊長タラス・ブーリバと2人の息子たちの戦いと死を描く
南ロシアの勇猛なコサック隊長ブーリバと、二人の息子たちの情愛や、次男アンドリイと敵方ポーランド貴族の令嬢との、死を賭した恋を描く勇壮なロマン。
タラス・ブーリバ:レオシュ・ヤナーチェクが1918年に作曲した管弦楽曲。
1962年製作/アメリカ。J・リー・トンプソンが監督した文芸スペクタクル
多くの種族が大草原ウクライナを手に入れようとして4千年にわたって戦い、きえていった16世紀。ポーランド軍とトルコ軍の戦いの時
、優勢なトルコ軍は突如側面攻撃したコサック軍のため全滅した。
ポーランド軍司令官グリゴリー王子はコサックの隊長ブーリバ(ユル・ブリンナー)や首領たちに「ウクライナ平原に住ませる」と約束したのを破り、計略にかけようとした
「暴れ豪右衛門」1966年日本映画 監督・稲垣浩
隊長ブーリバ”を原案
単純な悲恋に人海戦術の戦闘場面を交えるのが主眼だったハリウッド版より原作の主題に近いが、些か観念的に過ぎて感極まるというところまでは行かない。
主人公は「七人の侍」の菊千代が年を食ってそのまま郷士になったような人物で、彼らの生活描写や台詞も黒澤明風で時々苦笑してしまう 壊滅 (1960年) (岩波文庫) 文庫 1960/1/1
アレクサンドル・ファデーエフ (著)蔵原惟人. 訳
七人の侍」で島田勘兵衛が、拗ねて身勝手な行動を取ろうとする農民たちにキレて抜刀して叱咤するシーンの元ネタである 男は目で恋をし、女は耳で恋に落ちる
サマセット・モーム >>94
こういうところがモームが二流といわれる所以だろう
月並み、陳腐 ググったらウッドロー・ワイヤットの言葉らしいが
モームなの? もちろんモームじゃないよ
バカが一本釣りされただけ 月と六ペンス・・・主人公の友達で鈍感な絵師とゴーギャンのやり取り面白くて
笑ってしまった
ゴーギャン、無言で鈍感な絵師の絵を見た後に一言
「金かしてくれ」
絵師「不思議そうな顔して無言」 >>98
絵師めちゃくちゃ良い人だよな
俺も絵師みたいな友達ほしいわ 画家なんてなあ。月と六ベンツにしときゃ、爆音。
しかもパーフェクトが破られてゲームセットになったテニスサマーキャンプぐらい昔の話だ。 明日、光文社古典新訳文庫で『人間のしがらみ』上下巻で発売だよ。人間の絆の新訳 月と6ペンス、とはどういう意味なのか、いまだに分からない モームは長編より短編の方が好き。
岩波の短編集が気に入った 今は戦争で揉めてるからスパイ時代の経験書いた本も良いかも スパイの本の印象は薄いなあ
去年読んだ雨の印象は強いなあ
平凡な結末の予想できる退屈な内容に、
また神父の狂信ぶりがジトーッとした肌感をさらに鬱陶しくさせたが、
予想した延長線上の結末だったのに、神父の狂信というのが伏線になっていて、
彼の絶望が一度に迫ってくるようだった
人間の絆はあのウエイトレスの女の子の印象の変化だなあ
モームは同性愛者だったそうだけど
こういう男女の関係の記述を頭の中でどのようにしたのか
ちょっと不思議な気がするな ちくま文庫の「片隅の人生」を期待せずに読んだら意外に良かった ちくま文庫で『かみそりの刃』と『アシェンデン』を読んだな 三島由紀夫、カフカ、ゴリおじいさん、読んでみたけどブラックユーモアと皮肉
が有って、文章も読みやすいサムセットモーム 片隅の人生に日本人登場してるんだが・・・モームは薄汚い日本人って言葉
使ってる
白人から見たアジア人は薄汚いんだろうな 「マッキントッシュ」のウォーカーの俗物ぶりとその部下の(何て名前だったっけ?)堅物ぶりの描き分け方、太平洋の風物描写はすばらしい。
しかし作品としてはたいしたものではないな。 最高傑作、モームが本気で書いた人間の絆
大して感動しなかった モームの書架にあった「欠けたカップ」の逸話
全文読みたい
著者名忘れた 高級名馬と人間のほうが人間モノじゃないけど。そのまんまにしておく? 形而上学的であってよい馬もそんなもん。シェイクスピアの狂気が詰まらぬ人間狂い。 ニューヨークタイムズの町がどう構造してるかで採点もいい。 モームは文学者というよりはコラムニスト。無意識で触れている。 だから月と六ペンスなんかはあまり面白くない魔ペットとか。 シェイクスピアもモームもパロディーから真贋の値打ちが出るなら9.11以後や
女王の死から。 おれは魔飛竜宇宙人八百万の神々東京事変喚起世代。東京タワー。 後に成功した方が召喚に、その以前のテクストの評価が上がるだろう。 昔読んだモームの短編をもう一度読みたくて探してるんだが、タイトルが分からなくて困ってる
二つあるんだが、知ってる人が居たら教えて欲しい
一個目
自堕落な男と堅物女が伝染病の治療のために船で向かう途中、なりゆきで二人きりの一夜を過ごすことになる
男の方は女に全く魅力を感じなかったので手を出さなかったのだが
女の方は我慢するなんて紳士的な人だわ!と男を見直し、好意をもつ
男の方は最初女を嫌っていたが、なんだかんだ絆されたうえ、女の影響で真人間になるオチ
二個目
白人夫婦が南洋の島に赴任して、現地の責任者夫婦(妻は現地人)と仲良くなる
夫婦は互いを尊敬しあって楽しく暮らしてきたが、地元で暴動が起きて状況が一変
妻は危機に際した夫の情けない姿に失望し、離婚を決意
一緒に本国に帰る途中、復縁を懇願する夫に、もう貴方と一緒の部屋にいるのも嫌だと言い放つ 「人間を見てきて、私が最も感銘を受けたのは、首尾一貫性の欠如だと思う。
首尾一貫した人など一人も見たことがない。
同じ人間の中にとうてい調和できぬ諸性質が存在していて、それにもかかわらず、
もっともらしい調和を生みだしている事実に私は驚いてきた。」
モーム(「サミング・アップ」より) コスモポリタンはアリとキリギリスの話が最高に良かった。 >>134
矛盾した実存の謎
大江健三郎が描き続けたテーマだね >>1
月と六ペンス
ストリックランド=ゴーギャンだったか モームの言葉としてこんな自己主張をしている。
「働いているあいだは自分を忘れることができるので、労働は賛美されるのである。
愚かな人間は何も仕事がないと退屈する。
労働は、大多数にとっては、アンニュイ(倦怠)から逃れる唯一の道だ。
で、だからといってそれを神聖と呼ぶのは笑止千万。
怠惰でいるためには、多くの才能と豊かな教養が必要である。
あるいは特別製の頭がいるのだ マザーテレサ
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。 >>2023極悪でも強ければ生き残り、善人でも弱ければ早死に・・・そんな矛盾は普通に生活してれば見えてくる
お天道様が見ている→だから何?
マザーテレサも変人だった >>138
島田洋七のがばいばあちゃんも言っていた
人生は死ぬまでの暇つぶし、暇つぶしには仕事が一番いい