文学とは何か?
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文学を通じて、人の気持ちを理解する力を高めれば、長い人生のどこかで役立つ場面は来るだろう。 生きることにはあらゆる矛盾があり、不可欠、不可解、てんで先が知れないから 悪戦苦闘の武器だかオモチャだか、ともかくそこでフリ廻さずにいられなくなった棒キレみたいなものの一つが文学だ。 坂口安吾 >>2 の定義ってほとんど宗教と一緒だよね。悪い意味じゃなくて。 古典が読まれるのは、必ずしも古典が優れているということではなくて誰もがそれを読んで いるので議論のテーマに上げることができるということだろう。要するに思考のベースになり得る ものそれが古典だと思う。 では古典的文学の役割はなんなのか? その前に文学は何かというと絶対に外せないのは 面白いということだ。役に立つとかではなくて面白いことでなくては文学の価値はない。だから 古典的文学を読んで語り合い面白さを分かち合うとういうことが古典文学の果たす機能と いうことになる。だから「文学好き」のコミュニティの中に入っていこうとすれば最低限そういうもの を読んでおく必要がある。誰かが悪戦苦闘して振り回して捨てた棒切れを拾い上げてもう一度 振り回してみる。特に悪戦苦闘しているわけでもないし棒切れを振り回す必要もないのだが とにかくカッコよく振り回してみる。チャンバラのコスプレみたいなものかもしれない。 でも、現実って所詮自己啓発本の世界だよな。少なくとも日本では。 文学に関しては英語でしか読まない。英語学習の為にそういう規則にしている。 英語学習、あるいは一般的に言語学習という観点から文学を見ると、文学は最適だろうと思う。 一般的洋書に比べると文学は語彙量が半端なく多く難しい。一般書なら苦も無く読めるが小説となると 辞書がないととてもよめない。小説はそれだけ表現力を求められるし、読む側も大量の語彙を知っている 必要がある。 語彙が豊富にあれば言語力があがり当然思考力も豊になる。 言葉を喋ることができるというのが人間としての基本であると同時に、高度に言葉を操ることができるという ことは高度な人間であることの必須条件だろう。とすれば自ずから文学の価値は決まってくる。 高度だと高校教育の効果のあがりぐらいで大成功して大人物になれないぞ。 作家は表現力が豊かであり巧に言語を扱うことができる。しかし作家を知識人として扱うのは無理が ある。彼らはある意味「自在に嘘をつける人達」と言い換えてもよい。想像の世界でその能力を発揮するのは全く 問題ないがリアルな世界で嘘をまき散らすのは勘弁してほしい。 徐京植のような作家が知識人として大学の教職につき非常に感情的に反日を叫ぶのを見ると現実と虚構の 世界の区別がつかなくなっているのがよくわかる。アル中のような病気と何ら変わりない。 朝日は嘘つきだと批判されるが、あれは文芸新聞なのだ。文芸をやってる連中が自分を知識人だと勘ちがいして 政治を評論したりするからおかしなことになる。朝日は政治に関しては単なる無知の戯言だ。 作品の凡庸さはともかくとして作家は激しく狂ってることが多い。 文学とは狂った人間が辛うじて正常を保つための戦いなのではあるまいか? 狂った人を正気に戻す社会では狂人が才覚を失い生きにくい。やさしさロマンは気がふれると思う。 狂人は人波のリズムにあわないから狂人なんだけど、恋路はうまい。 狂気の社会歴史的な役割はあるだろう。 文学の多くは狂わずには書けないようなものばかりだ。創造の産物だと言い張っても、さらけ出した ものはすべて自分の中身だろう。普通の神経ではとても恥ずかしくて書けない。 ペンネームを使い公には顔をさらさないようにして書いていた時代もあったが、今では恥さらしが 逆に賞賛されたりもする。見ず知らずの酔っ払い客からやんやの喝さいを浴びて得意満面の 温泉町のストリッパーみたいなものか。 人間とか、人生とかを扱うのが文学だと先入観のある人はそう考えているかも知れないが、必ずしもそうではない。 原文は忘れたが、江藤淳が森茉莉をラッキーストライクの空箱とか、ラムネの瓶とか、そこらへんに転がっている物のことばかり書いていて文学じゃないと評した。それに対して、ある人は江藤は文学を何にも解っていない、と書いていた。 何故か。「異化」なんていわなくても、わかる人には分かるわな。森茉莉は文学には違いあるまい。 スレタイだが、いやしくも日本人の研究者で、これに触れないのなら、モグリだろう やまと歌は 人の心を種として よろづの言の葉とぞなれりける 世の中にある人 事 業しげきものなれば 心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひいだせるなり 花に鳴くうぐひす 水に住むかはづの声を聞けば 生きとし生けるもの いづれか歌をよまざりける 力をも入れずして天地を動かし 目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ 男女のなかをもやはらげ 猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり NLI(National Library of Ireland)が、 長年にわたって続けているイェイツ展の ヴァーチャル・ツアーをZoomを通じて行うとのことです。 イェイツの忌日である今月の1月28日に行われます。 Current Events (nli.ie) https://www.nli.ie/en/list/current-events.aspx?article=5eb47733-df6f-4ea0-9822-4c0faaad765a 書かれた言語だけでなく、雄弁も広い意味では文学だな 古代ギリシャローマでは現代の散文以上に重要だった ヒトラーは20世紀最大の雄弁家と言えるかもな 文学というのは、 こんな考え方もある、こんな生き方もある そういうことを押しつけがましくなく さりげなくわからせてくれる代物だ ぼくはそう思う >>29 傑作や古典のなかには、たった一行で世界観を変えてしまうものすらある。 一方、推理小説は何冊読んでも、世界観が変わることはない。 Jim Morrison "As long as there are people, they can remember words and combinations of words. Nothing else can survive a holocaust, but poetry and songs. No one can remember an entire novel. No one can describe a film, a piece of sculpture, a painting. But so long as there are human beings, songs and poetry con continue." 人類が滅びても詩は残るというのだが 歌も残りそうな気がするな まあ文学は残らないと思う ノーベル文学賞受賞された方残念でしたね(勿論棒読み) 訂正 人類が滅びちゃまずいなw 人類が存続する限りだ ああ歌も残るとちゃんと言ってるのか ダメだこりゃ jimごめん 紙なりメモリーステックなり人間の脳なり なんらかの媒体がなければ小説も歌も詩も言葉も残らない ジム・モリソンは紙媒体がなくても人間がいる限り歌と詩は残ると”文学的”に書いているが 広義の”レコード”がなければドアーズの演奏であれ残るわけがない ダメどころじゃない最悪だ。 最後の”songs and poetry con continue.” は勿論 "can"。ちゃんとチェックしないでRolling Stone誌から コピペしたおれが悪いんだけどこれは失態。終わりだ。 This is the end. My only friend, the end. Jim本当にごめん。ただ責任の半分はRolling Stone誌に あるのだから許して欲しい。それにおれは疲れていたんだ。 スレタイについて、日本語で書かれた最適の答えは石川淳の「夷斎筆談」だろう。 くだらない感想失礼いたします 石川淳って漢和辞典ないと読めなかったわ とにかく難しい漢字や熟語などが多くて辟易し へこたれそうになったものだが たまにユーモラスな表現があったりするから 辛うじて読めたような気がする あと森鴎外のフランス語もどきを指摘してるのは 面白かったな 創作され受容された場所と時代の精神を読み解く助けとなる文献が文学だよ だから漫画や映画も文学になり得る 文学の精髄といえば、ポエジーだろうが、クローデルによれば、 「偉大なフランスの詩人と呼ばれる人たちは、マレルブ、ボワロー、ラシーヌ、ヴォルテール、シェニエ、ボードレール、マラルメではなくて、ラブレー、パスカル、ボッシェ、サン・シモン、シャトーブリアン、バルザック、ミュシュレーである」 だそうである。 「フランスの散文を私は北斎の有名な波に例えよう。その波は巨大な、力強いうねりをあげて、岩に砕け、ぱっと白く泡沫と小さい群鳥をとばせる。この霊妙な鳥は、モーリス・ド・ゲランやランボーの章句だ。それは永久に尾韻や音数から逃れた何物かから生まれ、じかに襲われて接吻された魂のみによる何物かから生まれたものだ。」 文学とは何か。 私はそれを作品に即して出来る限り具体的に回答を試みようと思う。 その際に”私”というのは極限られた視点であることは言を俟たないであろう。 すなわち日本語を母語とし、廃れたSNSに書込みなどする、西暦2021年11月末日時点で いまだリアルの世界では生存している何者かである。 文学に限ったことではないが、主体の在り様こそ対象を対象化する決定的な要素である。 前置きはこれくらいにして、さて、文学である。 日本において、文学とは何かと問われ、 「これです」と差し出せる作品、それも唯一の作品は ずばり源氏物語である。 私はそう考える。 何故か、については今後ゆっくりと述べていきたいと思う。 文学とは芸術の一形式だろう 芸術とはそれ自体が美である鑑賞の対象だろう 「思へど、あやしう人に似ぬ心強さにても、ふり離れぬるかな」と思ひ続けたまふ。今日ぞ冬立つ日なりけるもしるく、うちしぐれて、空の気色、いとあはれなり。眺め暮らしたまひて、 過ぎにしも今日別るるも二道に行くかた知らぬ秋の暮かな 上掲は夕顔の終わり近くだが、ここで私が言いたいのは こころの在り様を言語によって表出する見事さである 形式化といってもいい もちろんそれが単純化であっては物足らないであろうし くだくだしければ退屈であろう その辺の案配の好悪は読み手の自由であることも付け加えておこう 文学は筆力が特殊能力のようなところ多分にある。 ところで死というエッセイを読んだけど、ある意味随筆ぐらいなら掲示板向きだね。いい作品もあったと思う。 哲学とは何か という哲学書があるから 文学は如何せんとか。 お札や小箱など以外に日本も昔からそうで呪いの木簡もあればね。 源氏物語の敬語文化がありながら、恋愛やセクハラ対策に敬語を使わないとはどうなの? 何をうつす(特殊効果)かと言うしるしを考えて何をどう込めて書くかという努力になる。 >>46 文学とは何かという 文学部唯野教授の元ネタになった本あるけど そうなんだでもマイナーじゃないかなあ。高橋源一郎より。 スーフリ名誉教授かいな。 イーグルトンを読んでから 実際にいろいろ読んでみるのも悪くないとは思うよ ただ、基本的に読書というのは自由なのだから 自分が面白いと思うものを見つけるというかんじでいいんじゃないか どうも文学は詰まらないということであれば それはそれでいいんだし そもそも本を読むというのが面白くないということであれば それもまた仕方ない 他にもいっぱい楽しいことはあるのだから ひとり本を読みながら時々 人間はひとりでは生きていられないのだなあ と思う 読んでいた本を置き この本を書いた人 この本を出版した人、売ってくれた人 いままさにこの本を読んでいる自分以外の人、既に読んだ人 のことなどを思う 文学なんてもう読まれないし、復活する事もないだろう。 文学作品それ自体に情報など無い。実体はただの記号の集まりいわば「リンク集」である。 アクセス先である読み手の脳に、教養という名のデータベースが無ければ意味が無いのだ。 読み手の脳にある情報同士を掛け合わせ、さらに付加価値の高い情報を生み出す。 これが「文学」である。 残念ながら、現代人は教養というデータベースがスカスカなのだ。 「まるでマクベスがバーナムの森を見つめるような眼差しで」と書かれても、 脳に教養がなければそこから得られる情報量はゼロだ。 シェイクスピアの知識が無い人には、 「まるでオニャララがウニャララを見つめるような眼差しで」と書いてあるようにしか 見えないのである。 現代人のスカスカのデータベースに合わせると、 「まるで子供が飴を見つめるような眼差しで」 など面白くも何ともない幼稚な表現しか出来ない。 作品それ自体にビジュアル情報を満載した映画や漫画に勝てるわけが無いのだ。 知と情 これは若島正説 問題はその割合だが そもそも知も情も人ぞれぞれだから やっぱり自分の趣味は自分で育んでいけばいいだけのはなしで 他人は他人、自分は自分 けれども他人にとって自分こそが他人だということを忘れないようにしたい 知とは、そういった自己・他者の関係性を正確に把握する能力だろうし 情とは、その分析作業を遂行していく際の違和感なり解放感なりの徴であるだろう そんな冴えないことのどこが面白いのかと言われても 面白いと思う者には面白いのだから仕方がない 面白くないと思う者には面白くないのだから、これも仕方がない 蓼食う虫というやつである たとえば若紫などを誤読しようと思えば思う程 ロリータのどこまでも誤読を拒む精緻な作りに感心してしまうのね 文学と出版業は別個のものだが 文学でお金が稼げる構造がどんどん崩れ去る状況は止めようがないなあ だいたいテレビと連動しなくなってきてるもの NHKの大河ドラマなんて 昔は原作があって それで本も売れたんだが 最近のは原作無しが増えてNHK出版の解説本みたいのしか売れないんじゃないかなあ 薄い物語しか受け入れられないエンタメ世界の中で 目を背けたくなるような深刻なものを題材にした、物語にならなそうな物語を どこまで読み手に受け入れさせることができるかを挑戦した、エンタメの拡張性を問うたものが文学 その昔、言葉に飢えて飢えて飢えたときにたどり着きたくなる場所 であって欲しかった 赤の他人が書いたものを物好きにも丁寧に読む そしてその書かれたものと書いた赤の他人と関係を結ぶこと 向こうはこっちのことなど全然知ったこっちゃないだろうが こっちにとっては事件であるようなこと そういう事件を起こしてくれる(あるいは起ってしまう)のが文学 人間の不思議さ、複雑さを教えてくれる愛しいもの 凹んでるときや不安なときに読むと気持ちに染みわたる 文学は地獄を描くべきである 天国を描くのは宗教や政治に任せておけばいい 世の中がどんどん痩せていって 金や名誉や性欲といった直截的なものに多くの人が殺到している それでも なんの役にも立たない ヒヨワで 面倒くさく ちっとも妥協というものをしてくれない詩や小説に 妙に愛着する人というのも ふしぎと無くならないのだから やはりこの世は面白い どの時代でもこの世というのはだいたいにおいてそんなものだ 感情的な言葉というのはある だが言葉が感情を持っているわけではないのだ ゆっくり時間を掛けて読むこと 効率無視(笑) 人生は短いというけれど 急げば長くなるというもんでもないだろう(笑) ほんのちょっと前に進めばそれでよし みんながみんな翼をもっているわけでもなし 蟻には蟻の歩幅があるのさ(笑) ちょこちょこ ちょこちょこ おっと また踏み外して後戻りだ みつを(笑) いろいろ辛いことはあるだろうけど 死にたいとか言っちゃいけないと思うよ あらしの過ぎるのをもうちょっとだけ待ってみよう まずは一息つくこと まあでも、それも難しいことではあるだろうけど やるだけやってみてはどうだろうか ここにもう一人の自分がいるって思えることは大きな救いになるって聞いたことがある 尾崎豊が言ってたんだっけかな それが文学 何太后じゃないが、何かでは哲学書にある。何ぞか(ありうむ)のほうが文と字韻でいい。何かも見直してね。 学自体三に関係ある。文心じゃないがね。文心書簡文通。哲というと折口じゃないが、 骨折痛手に関係ある。狂人は精神障害者。 障害者事務部がいかに出版に遠いとか近いとか。給料いいよ。働く理由もあるし。 殆どボツになるぐらいで、健常の自由は過度には抑制しないさ。 障害者の体感幻覚なんかが文学と哲学を虹蛇橋のようにつなぐだろう。 文学は決して純粋なものじゃない狂気にしても嘘や裏。ワンホストソーメニーホステステンション。 やまと歌は 人の心を種として よろづの言の葉とぞなれりける 世の中にある人 事 業しげきものなれば 心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひいだせるなり 花に鳴くうぐひす 水に住むかはづの声を聞けば 生きとし生けるもの いづれか歌をよまざりける 力をも入れずして天地を動かし 目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ 男女のなかをもやはらげ 猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり スレタイについてこれほど簡潔にやさしく高貴な言葉で解明した人が古今東西にいるだろうか? イーグルントンよりも貫之だな >>5 元々安吾は仏教の研究からスタートした作家だからな 「私にとって文学は宗教のようなもの」 と他でも書いている モンテーニュは文学、超一流の文学 デカルトはダメだこりゃ、科学とか理論学では金字塔かもしれんが文学としてはクソ 両者の違いは人間の生活に興味を持ったかどうか モンテーニュは人間の生活というよりも、人間そのものに関心を持ったのではないか。 シャム双生児をみて果たしてこれが人間なのか怪物なのかと考察している。 日本文学は情緒や情念を書くのは上手いが、モラリスト文学はないな。 まあ、キリスト教文化の下地がないから対立観念としての人間を意識しにくいんだろうけど。 倉橋由美子は「モラリスト坂口安吾」という安吾論を書いているな。 安吾と小林秀雄との対談では、小林が「一番道徳的な作家。戯作者というのは違う」と本人を前に評している。 みんな凄いな いろんなことをよく知ってるよね マジためになる 自分はもうちょっと本を読まんといかんな〜 ニュース速報板に書き込めたら、文学板には極たまにしか来るつもりはないw 亀吉には悪いが、他人の書いたことを問題にするのが主の文学板は大して面白くない。 スレタイについて近代日本文学のなかから答えてくれるものを一冊だけあげろといわれれば、石川淳の「森鴎外」だな。 >>100 対談「伝統と反逆」だな。 安吾「俺なんかが一番常識的なことを言ってるのに、みんなわかってくれないんだよね」 小林「うん、一番常識的な、一番道徳的な作家だよ。戯作者というのは当たらん」 >>94 これは日本文学のレッスンでいえばABCのAにあたるくらい基礎的な知識だ。 だだし、文学というよりもポエジーの本質をついている文章といった方が更に適切だろう。 文学と文学するの違い。読む書くじゃないけど、モンテーニュ デカルト というとその順だよな。あくまでタイプ論。 存在と 存在者 じゃないけど 哲学 と 哲学者 と哲学する の違い。文学者。 デカルトは純粋哲学純粋文学的で モンテーニュは策略が足らない。 互いに今一つ。悪霊に喰われるとか殺すたびの寓話だとか。 高校時代人間という詩を書いたが、阪急で個展シテトリビュートされた。 人はどこからきてどこへ行くのか、人間は様々な問いを立てそれに答えてきた お前人間か?俺は人間だ。のようなものだったと思う。 絵画音楽にもなったり連動して早熟の才能を見せたね。 ある意味詩の世界で成功しないとランボーばっかりありがたがる。 関西の田舎もんが銀座の一等地で名をはせて気分がよかったものだ。 受動性と能動性 性差というのが間違いない方がいいね。 でも文学といっても特殊な技能効果発揮するほうがまあ貴重にされるだろう。 そういう時に分裂するというか形而上学的敵出現する訳で。 いつものことだけど、平凡なことを持って回った言い方しなくていいよ 批判には構造があるからね つまんねーもんはつまらんで終わりだよ お前を個人がつまんねって話なのに観念的な先後に帰趨を求めても何にもならんよ ふるまいのつまらなさが批判に値すると思うのがおかしい、つまんねーじゃん 関西の田舎もんが銀座の一等地で名をはせて気分がよかったものだ。 おもろいこれ? 単独で見てつまらんものを無作為に寄せ集めてもそらつまらんだけでしょ ゴミはゴミだわ こんな自己愛の塊みたいなやつにゴミしか生み出せないことへの反省があるわけないしな 「ゴミたくさん排出できてすごいでしょ!」と言われても、そりゃあ本人は気持ちいいだろうけど、周りは汚いなとしか思わないよね 毎日迷惑なおじさんだけど病気だからしょうがないよねと周りが諦めているだけで その偏差値では東京医科天大は無理だな。ホコ天学リハビリ専攻も。 多方向にレスギャグするぐらいじゃないと東京オシャレじゃないね。 しかしシュールレアリスムみたいな文学運動が異化効果だが割とそういうとこ 出身の方が売れてると思う。みんなで勢いで突っ込んでいくみたいな闘争。 偏差値がイカ点大以下だと歩行者天国でリハビリ部働けとかわかんないじゃん。 読解力。 以下のような縦書きの掲示板じゃないとおしゃれな雰囲気でないとか。 小論文と全然別のもん書いてたとか。欧米かぶれの論理で。 ある意味文学は専門的な特殊な教育受けたがどうかが大事。 そういうプロに師事すると大学建築いくより、効果はある。相性あるから代えるのもいい。 例えばカントみたいな書体が書けないとかはそういうところにあらがある。 批判の抽象が立体的で帰納法では弁証できてないとか。 中傷とか弁償とか。わかるかな知能テストみたいな問題。抜き打ち。 一応全学部全学科通ってください。出来れば全校模試が早い。 それは俺が死刑になってもいいという意味ね。主体と存在。 立体というと宗教裁判とか。俺は麻原を死刑にした。 ↑ほらシンプルにつまらんじゃん 読み返してみなよ ゴミを並べてもゴミはゴミ 他人に甘えるのはやめましょう その偏差値では東京医科天大は無理だな。ホコ天学リハビリ専攻も。 ↑冴えないオヤジギャグじゃん 楽しいの自分だけだよ 律法 立法 とかだと戦争法規巣鴨プリズン病院シビアな話題だね。まあ君らはクズのような頭脳。 ソシュールとか、音楽批評に使えとかインテリジョークの笑うタイミングずれとか。 多浪するほどバカなのにプライドだけはなぜか人一倍高かったせいでコンプばかりが肥大して引きこもるしかなくなった一定数見かけるタイプの可哀想な人だよなあという素朴な感想 病人だけどじつは大して病んでもない、バカなだけで おれは試験不合格失敗一度もない。よって浪人ではない。論理学的に。 コンプを埋め合わせるために教養とされるものを詰め込んではみたものの使い道がないので持て余している暇人でしょ 恥より無駄の多い人生でしたね おれは連載持ちながらバイトして学費稼いでから大学行った。現役浪人の派閥は総崩れ でしたね。 書き込みがバカに浮かされてることに気付けよ策略耐性無いね。体制入りは夢のまた夢と。 インカレって何かな スレッドタイトルはインカレ優勝組にする? ちなみに留学生の私服の大会だ。 書き込みがバカに浮かされてることに気付けよ策略耐性無いね。体制入りは夢のまた夢と。 ↑どうこれ?他人にコピペされるとよく分かるでしょ 自己満レベルの言葉遊びなんだよね 面白くないってのがよくない インカレって何かな スレッドタイトルはインカレ優勝組にする? ちなみに留学生の私服の大会だ。 ↑ほらつまらん カッコつけてポイ捨てしてもカッコ悪いんですよ、わかりますか? まあ現役や浪人は丸暗記でそのまま言葉や計略を使います。 部落言語集に載せとく。 ↑ドヤ感が足りないんだよね 投げっぱなしだし だからつまらない 今から離婚裁判もうかるね。名誉棄損や偽証罪、慰謝料。医者領の方に投資しろ。法で縛れ負け自白、加害自白嫁子供にな。 フェイマーズスクールね 全員フィメール。 ↑オヤジギャグだよね、白けますよ ソクラテスも死刑 どうせ売春沙汰だね。 ↑いやあんた中卒で素人童貞じゃん あらゆる韻を踏むということは繁殖にいいから文学はダジャレのようでないと。 あらゆる韻を踏むということは繁殖にいいから文学はダジャレのようでないと。 ↑平凡ですな 低学歴多いなでも中学でも無敗じゃないと進路ないと知れ。 低学歴多いなでも中学でも無敗じゃないと進路ないと知れ。 ↑お前毎日学歴の話してんじゃん 後から自分の読み返してみたら?ハイレベルについてけてないんじゃほぼ全員。 日本は世界に先駆けて高1から 無期停学あけ、番長部屋で独りだけ高校卒業。 ハイレベルについてけてないんじゃほぼ全員。 ↑ゴミの垂れ流しでしかないよ レベルも何もない つまらんオヤジギャグで自己満に浸ってるひきこもりがいるだけ 第一高等学院も知らないのか高校後期で一高の遥か上。がり勉いない。 日本は世界に先駆けて高1から 無期停学あけ、番長部屋で独りだけ高校卒業。 ↑番長?おじいさんなの? ひきこもりって人を傷つけるけどねどこでそんなに鈍感になってるのか。 ある意味ストレイトか浪人すぎて御講のような対策しないと弱すぎて精神が持たないのか。 第一高等学院も知らないのか高校後期で一高の遥か上。がり勉いない。 ↑通信制?いじめられてたの?そんで結局中卒で障害に渡るコンプ人生か ある意味ストレイトか浪人すぎて御講のような対策しないと弱すぎて精神が持たないのか。 ↑中卒のひきこもりにはストレートも浪人も崇高にしか見えないだろうね 俺は亀はいじめ抜くべきだと思うよ。密教殺し密教耳剥ぎ。 俺は亀はいじめ抜くべきだと思うよ。密教殺し密教耳剥ぎ。 ↑おもしろくないよ 余計な組み合わせ多すぎ 空海は耳盗むし、キリストは意図的に断食してる。 ↑すぐに浅い教養に逃げるよね だからダメなんだよ 履歴書に非上場とか書けないのが阿保。 ↑コンプ持ちが無理してる感じがしんどい グラミーアカデミーノーベルインカレとか早慶上智院とか。履歴書に書くとたかられるよな。 グラミーアカデミーノーベルインカレとか早慶上智院とか。履歴書に書くとたかられるよな。 ↑バイトすら採用してもらったことないの? 深層心理。口だけで体験なしか。 ↑口すら上手くいってないよ? ばいとは塾と食品工場。 ↑本当なら、その頃はよかったね 今はただの迷惑な爺さんじゃん テレパシーで障害宗教芸術送れるけど。曲や絵。 ↑ハイ、面白くないでーす まあ慶應からも独立せんといけないし、若い雇用も心配男女、体格比セクハラ。 まあ慶應からも独立せんといけないし、若い雇用も心配男女、体格比セクハラ。 ↑まーたコンプかよ コンプと薄い教養とオヤジギャグのパターンしかないの? 一応それ以上の体験を筆記すると点数出ますよ。 ↑出ませんよ ある意味古豪みたいな低点のほうが明治学院。 ↑またコンプ 中卒の大学話もうええわ コンプ指数は上がるほうが特殊能力の開発になるけど。 コンプ指数は上がるほうが特殊能力の開発になるけど。 ↑なりませんよ お前みたいなおもんないハタ迷惑な自己満クンが増えるだけ 高校は宝塚音楽学校の教師とDJサークルにいたけど。まああまり公開してない。 高校は宝塚音楽学校の教師とDJサークルにいたけど。まああまり公開してない。 ↑ハイ自分に何もないから他人に自己を保証してもらおうとするベタなひきこもりトークね 明治大学付属明治高等学校ね。旧帝大グループというか六大学で大学大学院教授してる。 明治大学付属明治高等学校ね。旧帝大グループというか六大学で大学大学院教授してる。 ↑ハイまた他人の話ね 中卒のひきこもりのコンプ自慢はもうええわ それでもレコード一億枚は売れたし。 ↑ハイおもんないだけの妄想 ある意味学歴よりそっちのクラヴギャルの女友達多い。 サイファーとか ラジオ番組主催してたけど。 ↑また思い浮かんだだけの自分と縁のない浅い言葉並べてる ある意味学歴よりそっちのクラヴギャルの女友達多い。 ↑たまに性欲むき出しになる素人童貞カッコ悪い 研究職や 大学院名誉教授以上なんてコネあるけど。 ↑ハイおもんないだけの妄想 R&Bってジャンル世に出したのは僕だけど。 ↑いよいよ全く面白くないな どうしたん? まあ子供も孫もその先もいるし童貞というほどには下半身に自信はない。 まあ子供も孫もその先もいるし童貞というほどには下半身に自信はない。 ↑ショボい妄想ばっか やる気ねえの? でもある意味レスも上回ってないと印象に残らないと思うよ。 でもある意味レスも上回ってないと印象に残らないと思うよ。 ↑普通のレスw おもんねー たとえば論文試験がAだと俺のようだけどといった。 ↑もういいって、まーた学歴コンプの話かよ 朝廷である看護日誌に載るように頑張れよ。おれは一次元目だ。 ガキの発達はどこらへんがどこらへんまで進んでるか、テキストで心理分析できるが。 朝廷である看護日誌に載るように頑張れよ。おれは一次元目だ。 ↑冴えないねー、病んでもいない まあ精神障害だからな。医学あたりの格上のほうがこの時代世相には第一志望 いいんじゃないの。 ガキの発達はどこらへんがどこらへんまで進んでるか、テキストで心理分析できるが。 ↑精神科医に投影する精神病者ね つまらんつまらん まあ精神障害だからな。医学あたりの格上のほうがこの時代世相には第一志望 いいんじゃないの。 ↑まーたコンプの話題…第一志望とかもうええって 朝の歌会にでも行ってくるわ ↑つまらん、底辺が偉くなりたいというコンプの目線しか持ち合わせてない 精神オールドタウン三宮。しかし総理大臣のバイトもしてたが。 精神オールドタウン三宮。しかし総理大臣のバイトもしてたが。 ↑もうええって、総理とか おもんないなー ギャルノリの若い人が多いね。しかし文学科に来るなら連絡してね。近親が教授のほうが 女性はいいだろう。 今年も研究会学生来てくれるのか。学長は屋上階段付近でタバコと講義。 なつかしい。 ギャルノリの若い人が多いね。しかし文学科に来るなら連絡してね。近親が教授のほうが 女性はいいだろう。 ↑ハイまた女の話、素人童貞は女の話も薄い 今年も研究会学生来てくれるのか。学長は屋上階段付近でタバコと講義。 なつかしい。 ↑ハイコンプ全開、つまらん 異世界数ある宇宙全大学全学府まとめるなら大学病院の産婦人科生まれからの、 大学病院の女子老人精神 病棟勤務老女が向くね。認知表象精神と。退官の時は花束を。 中卒ひきこもりの話題 ・コンプ ・教養(薄い) ・女(薄い) ・オヤジギャグ(面白くない) ・精神科(医者に投影するだけ) メインはコンプ、あとは頭に浮かんだものを組み合わせるだけの退屈な流れ作業 付属の大学病院とか私学も生え抜きのそういう人材が向くんじゃないか。 異世界数ある宇宙全大学全学府まとめるなら大学病院の産婦人科生まれからの、 大学病院の女子老人精神 病棟勤務老女が向くね。認知表象精神と。退官の時は花束を。 ↑退屈、女の話したいだけ まあある程度の長さ書いてハイ点でたら給料もらっていってね。 付属の大学病院とか私学も生え抜きのそういう人材が向くんじゃないか。 ↑またコンプ話 学長選も教授選もまだなんか。花札みたいなもんだよ。 まあある程度の長さ書いてハイ点でたら給料もらっていってね。 ↑また試験の話 多浪中卒…高認(大検)を取得したかも怪しいが 学長選も教授選もまだなんか。花札みたいなもんだよ。 ↑コンプ 資本主義と分裂病 アンチオイディプス は駄作 とわかれば。 資本主義と分裂病 アンチオイディプス は駄作 とわかれば。 ↑ハイ薄い教養 一応試験放棄でもアッパーな点数だと何割とかで卒業できる。出席日数は 病院で稼いだ。 一応試験放棄でもアッパーな点数だと何割とかで卒業できる。出席日数は 病院で稼いだ。 ↑ハイコンプ、ジジイになっても学校の話 ケアとかいうじゃん。その時代の先鞭行ってた、神経症らしい。 慈恵医大のほうが慶應早稲田よりいいよ。 ↑ハイコンプ ケアとかいうじゃん。その時代の先鞭行ってた、神経症らしい。 ↑ハイ普通のレス 三大精神病だけじゃなくそれ以上精神大変なことになってるから 退官は神戸大学医学部だなあ。 三大精神病だけじゃなくそれ以上精神大変なことになってるから 退官は神戸大学医学部だなあ。 ↑ハイコンプと精神病の話 おもんな それより介護の社会問題解決しろ。 ↑ハイ普通のレス 男性には尊厳というものがあって廃止、女子は後期高齢者病棟以降も制度として。 男性には尊厳というものがあって廃止、女子は後期高齢者病棟以降も制度として。 ↑ハイ女の話したいだけ まあ高校ぐらいからユーモアが隠喩暗喩とかに富んでるね。 ちんちん小さいとか。 新井は議論もちんちんも粗い。洗ってなさそうみたいな。 だからブラックジョークで飯田がいかんかったらあかんみたいな。そういう抗争だよな。 挙げたらきりがないが帝王切開とかじゃないの相性は大事。シモの。 まあ高校の友達さ、三年二学期からはSFCに秋入でした。 汁男優という最底辺の職業も経験した。(障碍者ポルノ男優。) 永遠に汁男優のほうがカテゴリー童貞だよ。カントの悟性による。恣意的な。 文学ってたぶんていうかそういうものじゃないかしら。あるいはまたにおいての。どこミル? まあ高校ぐらいからユーモアが隠喩暗喩とかに富んでるね。 ちんちん小さいとか ↑ハイ幼稚な下ネタに逃げた 安藤のちんちんはでかいとか。 飯田は小さめで宇留野が普通だよちんちんは。 俺はカリ高だけども。高級な。 山本さんは長いが浅井が短いな。 そういう議論で押し広げられたりしない様に。 新井は議論もちんちんも粗い。洗ってなさそうみたいな。 加藤は風俗ではくがついたちんちん。 ↑ハイ特徴のない男子校生のノリ だからブラックジョークで飯田がいかんかったらあかんみたいな。そういう抗争だよな。 グロテスクなちんちん村上。 挙げたらきりがないが帝王切開とかじゃないの相性は大事。シモの。 ↑ハイ本当は女の話したいのにできなくて下ネタに逃げただけー まあ高校の友達さ、三年二学期からはSFCに秋入でした。 ↑ハイコンプ 有汁の汁 汁男優という最底辺の職業も経験した。(障碍者ポルノ男優。) 永遠に汁男優のほうがカテゴリー童貞だよ。カントの悟性による。恣意的な。 文学ってたぶんていうかそういうものじゃないかしら。あるいはまたにおいての。どこミル? ↑ハイ素人童貞の妄想+薄い教養 ワンパターン コンプ指数狂気の馬に精神分析してもらったら生物血統表塗り替わるなあ。 ナスルーラがいいんじゃないか。気性難 スピードダブルアップ。 植島けいしの精神寄生体ニーチェって馬だろ、一部の天才。 ある意味逃げると後続の心肺機能を廃すような鍛えこみ、激しい気性の乗り味の難しい血統。 俺は六十一戦無敗の元騎手看護師の成績じゃないかな、ボールドルーラー、フランス名。 文学に調教師の免許要らない? 競馬の勝ちクラは610戦全勝内訳G1310勝。61戦績は戦争、騎乗の君主トップの首。 ギネスに載ってる クラテスにスタウトを。 後悔もあれど相棒も懐かしい。ロケットランチャー バズーカ の残り玉一つ。 人間だという詩の問題ね。人間の繁殖の優先順位は障碍者は最後方で。 名馬贈る 1111はソウコウヒデンだね武将文学に日本は向くが軍師は少ない。 書を読むと知力99まで行くという可能性は人間社会見て絶望的。 傑出したいくつかの能力とバランス 三国志×女神転生でどう だ。速さ 魔力 知力がいいと思うが。サラブレも考えて。 速さはどんな現実でも有効で拘束されてもね、魔力知力というのは兵隊の相手味方の 減りが違う。 妖術は設営 戦術は救済力漏れがシビアでない 幻舞。 ボードリヤールの消費品の老化商品介した強姦。幻術だよなあ。幻。幻。幻。 事実とフィクションの間の皮膜のようなものかな。文芸評論家は全てを率直に語ろうとはしないが、 文学研究家は自分の考えたことや知っていることの全てを語り尽くそうと努力する。文芸評論家には いわゆる企業秘密というものがある。 そういうところに疑問を呈した作品が、最近出てきた石田夏穂の「ケチル貴方」かもしれないね。 というか文芸評論家って表に出る編集者みたいなもんだからね 思惑はあるわなそりゃ、ザコも多いけど 散文は最も人間的な芸術の形式であるとのアランの言はAIの発達によってますます重要になってきた すでにアランは新聞には文体がないといった。 chatgdpの登場によって文学では作品よりも文体が注目されるようになるだろう。 文体模写は人間よりも得意だろうが、生きた人間の気配、個性を感じさせるものがAIにはない。 文体については次の例で考察を深めるとよい。 例) ①コンプレッサーで吹き付けられた壁 ②左官が刷毛で塗った壁 問) ②は何か「人間的なもの」を感じさせるが、なぜか? 左官が刷毛を使って壁を塗る作業は、職人の技術や手作業によって行われることが一般的です。この手作業の痕跡は、均一ではなく、微妙なニュアンスや個性が残ることがあります。刷毛の動きや塗り方、塗料の厚みや表情など、さまざまな要素が人間の手によって制御されています。 そのため、左官が刷毛で塗った壁は、一定のパターンや完璧な均一さではなく、個別の特徴や微妙なばらつきがあります。このばらつきや個性が、人間的なものとして感じられる要素です。人間の手で行われた手作業の痕跡が、壁に生命や温かみを与え、無機的な素材であるはずの壁に人間的な魅力を与えるのです。 また、左官の技術や経験によって、刷毛で塗られた壁の仕上がりも異なることがあります。職人の個性やスキルが反映されるため、それぞれの壁には一種の個性や表現が感じられることもあります。このような個別性や表現力も、人間的なものとして感じさせる要素となります。 したがって、左官が刷毛で塗った壁は、その手作業の痕跡や個別性、表現力によって「人間的なもの」を感じさせるのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる