テスト
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風濤よみおわった
傑作
あの何を考えてるかわからん世祖フビライが口を開く凄味
つぎに読む本買いにいこっと 呉智英にボロクソいわれていた井上靖の孔子をよむ前に
呉智英に絶賛されていた白川静の孔子伝をよむ 孔子伝よみおわった
邦無道則可巻而懐之
全共闘オヤジが喜ぶわけだ
狂者進取なんてのもね
つぎは井上靖の孔子 孔子よみおわった
呉智英が根本的に間違っていることを確認
改めて言うまでもなく井上靖のこれは小説
論語の解釈が通俗人生論だろうが最新の研究成果を盛り込んでなかろうが関係ない
仮にすぐれて今日的かつ学術的に最先端な解釈を盛り込んであったとしても
小説としてつまんなければ駄目だよね
そして小説の面白さという点で言うと
これは大江健三郎の後期作品群が好きな人は案外面白がれるんではないかとおもった
出来不出来で言うと、やはり歳のせいなのか冗長で完成度は低い(笑)
第1章と第5章をまとめた内容で、全体の長さを1章分にまで削れば
結構いい感じの作品になったのではないだろか
あしたは本屋に行こうとおもう
もう少し井上靖にするか
それとも軌道修正するか
そのとき考えよう 井上靖の孔子を冗長などと言っている自分のコメントが冗長だ(笑)
今日から短篇集の楼蘭をポツポツ読みはじめた
最初は表題作
良い
いつの時代でも小国はたいへんなのだなあ 野崎歓のネルヴァル「火の娘たち」
出たな。
野崎歓の著作もそろそろじっくり読みたいよ、新刊出してよ。 洪水つながりなら魚の女王だけど…
異域の人
仕事と故郷というのは意外と両立しないものなんだなあ 宦者中行説
能吏というのは敵とか味方とか関係なく在るのだなあ
別言すれば○○のためとか○益に資するためとかいうのは詰まらないものだなあ 補陀落渡海記
これはやっぱり凄い
清源の渡海の記述ので終わる不気味さ ここ最近短篇を読んでいたせいか
本屋に行ったらヘミングウェイの短篇で英文法を学ぶという本が目に入ってきた
つい買ってしまった
しばらくおとなしくお勉強しよ これは読みやすくていいわ
売れているのも納得
作品のチョイスもグッド teach yourself the marrow of english grammer through e.m.'s short stories
パート2に突入 少し長めに書く
まず、このスレの名称はテストとなっている
せっかくヘミングウェイの短篇で英文法を習ったのだから英語のテストを受けてみようと思う
テストというのは考えてみたらもう10年以上受けたことがない
英語のテストはむかし英検の準1級を受けて落ちたことがあってそれっきり受けていない
しかしコロナ非常事態の状況下で英検てやるんだろうか?
でも準備だけはしよう
準1級を目指す
ヘミングウェイ文法解説本で読んだ短篇は
雨の中の猫、一日待つこと、天変地異、白い象のような山並み、あるシンプルな尋問、世の光、インディアン・キャンプ、三つの銃声、スミルナ埠頭、清潔でよく照明された場所、パパは何にでも何かを思い出そうとするよね
の計11作品
このくらいの短篇が読むのが遅い僕のような人間にはちょうど良い
ただやっぱり英語は外国語だから読むのは大変だ
読んで楽しいのは日本の作品
これからも自分のペースで読んでいこうと思う
のであった笑 これは文学についての話ではないがどうしても言いたい
新型コロナ感染対策で週末外出の自粛要請とかなんとか政治家やマスコミが言っているが
全くの欺瞞だ
朝の電車は何なんだ
真剣に感染拡大を懸念するなら
んなもん全業種休業にして給与補償してくれればいいだけの話なのに
それだけは絶対に言わない
通勤電車に乗っている方が居酒屋で飲むより感染リスク高いに決まってるだろ
会社が休みにならないからみんな恐いのに会社行ってるんだよ
週末なんか言われなくても家にいるよ
土日って1週間7日の内の2日でしかないだろが 「そんなことで仕事休めないよ」
とか言う輩までいるしな。
ってなこと書くと、百田みたいのが出てきて
「あんたみたいに休める人ばかりじゃないのよ」
とか言う。
この閉塞感を破るような小説でも書けよ、お前。
キミだよ、キミ。 みんなコロナのこの状況にはモヤモヤしてるんだなあ
というわけでこの間かってきた橋川文三の黄禍物語をよむ 本筋から逸れたジョン・チャイナマンのくだりが一番面白かったりするんだな いままた日本人の支那人に対する幻想の様態が大きく変化しているときだなあ
吉川英治の三国志をよも 古今東西権威を笠に着る嫌なヤツというのはいるのである
つぎは群星の巻 曹操けっこう失敗してんだよなあ
ほいで草莽の巻へとすすむ 割股のところで読者へってきたときには司馬遼かよと思わず突っ込みを入れたくなった
というわけで臣道の巻へ 関羽にあんだけ恋々とされたんじゃあ曹操周辺は穏やかじゃなくなるよね
孔明の巻に突入 徐庶との出会いも出会いだが、別れもなんだか締まらないのが妙なのだ
諸葛孔明がようやく出てきて赤壁の巻へ 武将国家が日本だとすると有能な武将はたいがい日系たいして中国は軍師文化。陣比べ
や圧倒的な兵士数の陣の出現稲光オーラは中国人しか出せない。武将か軍師かで君主のタイプが決まり、世の中の流れはほとんどそれで決まる。
〜ゲーム三国志こそ囲碁〜 水軍は日本が得意大して山岳は中国、過去の日本軍の英雄は赤壁に結集した。
平地は東南アジアだろうな。 玄武や空海(ガメラ)は知力は先天的に苦手だったが努力してよく戦い高い境涯になられた。 ガチャポンガンダムのほうがリアルチェスか将棋だよねえ。そっちもオンにしようや。 三国志は奇数の乳房に関係ある。正史から入ると限界があるゆえん。 三国志の三は武将軍師君主が複雑に三にまつわり立ち替わる。 男が重なり合う三国時代の戦争よりは、女性上位の現代戦のほうがパラメータが女子は特に男子も上がるだろう。壮大な計画だなあ。 朝敵を討伐に朝から繰り出すといった、当たり前の時節がない時代になるなよ。
北伐も途中まで経験した。 自分が生まれたルーツがガンダムもアバオアクーや三国志だったわけだ。帝皇のような
貴女は双子の姉です。 地球神は46億だけどね。出生は地球じゃない人も多いわけだな。 三国志×ガンダムなんて一斉攻撃と射撃用意でもりあがらんか? 魔神転生というゲームは僕が出した。あれはリアルチェス×将棋×囲碁。 さすが三国志、スレ急伸笑
周瑜と孔明をちょろちょろ連絡する魯粛という構図・繰り返しが昔話めいていてほのぼの
いよいよ望蜀の巻 ホウ統にしろ張松にしろ見た目が悪いと不利だというのは昔も今もおんなじだわ
つぎは図南の巻 杜撰な本ばかり出しているので小谷野敦は信用ならないといつも思うているのだが
さっき彼のツイッターを見たら藤本由香里に噛みついていて
まあこれはたしかに小谷野の言う通りだとおもうた
しかし明治大学なんてのは昔からまともな大学ではないのは知れたことではないか 見た目がいいとかはしらないけど、戦ってみて美男子なんてうくとおもうけどね。
複雑な感じのみためがいいほうじゃないほうが繁殖速くて時間間隔早く目立つと思う。 このスレッドで私の文学作品を書いて行こうと思います。 小説「日系日本人」
平成生まれの山田清一は、大卒のフリーターである。
彼はどうもアスペルガー(現在では広汎性発達障害やら高機能自閉症やらと呼ばれており、アスペルガー症候群という呼び名は一昔前の呼び名であるが、
彼はアスペという言葉が流行る平成に学生時代を過ごした人間なので、アスペルガーという呼び名を使う。)のようで、子どもの頃からおバカな言動があり、そのことでしばしば劣等感を感じていた。 小説「日系日本人」
大卒でありながら就職にありつけなかったのは、おそらく自分がアスペルガーで、採用担当者たちから無能と見なされたのだ。無内定となった理由を、彼はそう考えていた。
彼の知っているうちで無内定となった同窓生はいない。それが、彼が大学の偏差値に自身の無内定の原因を求められない理由であった。
この大学でありながら無内定とは、俺は情けない。そう思うと、彼は自分がその大学を出たことを誇りに思うよりむしろ自分の無力さを感じた。 小説「日系日本人」
彼は、周りの人々は自分を実際よりバカだと思っていると考えていた。彼は思っているよりできると言われたことはあっても、思っているよりできないと言われたことはなかった。
できなさそうに見えて実際できないというのが彼の実際のところであろうが、実際よりももっとできないと思われているという思いが彼にはあった。無内定はあんまりだと彼は思っていた。
しかし、学生時代の就職活動を思い出すと、自分が採用担当なら自分より別の学生を選ぶだろうと感じたことは少なからずあった。 小説「日系日本人」
彼はもともとはあまり人間に興味を持たない子どもであったが、成長とともにそれなりに人間観察をするようになっていった。
彼はラノベ(ライトノベル)が嫌いだ。しかし、実際のところ彼はラノベをまともに読んだことがない。彼はラノベに対する偏見・先入観を持っていて、
いわゆる食わず嫌いなのだが、彼がラノベが嫌いな理由は、彼がラノベは非現実的だと考えていたからである。 小説「日系日本人」
非現実的だから嫌いだと言うのなら、魔法が出てくるおとぎ話や実現が難しそうなSFは全て嫌いなのかというとそういうわけではない。
ファンタジーやSFに関しては別段嫌いというわけではなく、むしろ好きな作品なら何個でも挙げられた。 小説「日系日本人」
彼が嫌う非現実とは、実際にないということを意味するのではなく、不自然であるということを意味する。
非現実世界を舞台にしていても、これは不自然でないと感じられたならば彼はそれを嫌いだとは思わないし、逆に、現実世界を舞台にしていても、これは不自然だと感じられたならば彼はそれを嫌いだと思うのである。 小説「日系日本人」
ではどういうのが自然で、どういうのが不自然なのか?彼にとっての自然・不自然とは何か?彼にとってのその基準は、ズバリ、生物学的合理性である。 小説「日系日本人」
生物学的合理性とは、簡単に言えば損得勘定のことである。人は、他者や全体の利益、法律や道徳・倫理的(宗教的)基準などと言った他の(自分にとっての損得以外の)条件が全く同じであれば、あえて損して得しないことをすることはない。これが彼の信念なのであった。 小説「日系日本人」
損得勘定とは、メリットとデメリットを比べるということである。例えば、この商品は値段が高いが身体にいいという場合、価格と健康という二つの損得の基準がここにはある。
損得勘定以外の基準とは、例えば、この商品は値段は高いがフェアトレード(不当な扱いを受けていない労働者が作った商品)であるとか、
あるいは間伐材を使って自然保護に協力しているとか、そういう人道ないし環境保護的観点に基づく価値判断のことだ。 小説「日系日本人」
損得勘定とは、メリットとデメリットを比べるということである。例えば、この商品は値段が高いが身体にいいという場合、価格と健康という二つの損得の基準がここにはある。
損得勘定以外の基準とは、例えば、この商品は値段は高いがフェアトレード(不当な扱いを受けていない労働者が作った商品)であるとか、
あるいは間伐材を使って自然保護に協力しているとか、そういう人道ないし環境保護的観点に基づく価値判断などのことだ。
最後の文を価値判断から価値判断などに訂正 小説「日系日本人」
彼は、損得勘定以外の基準が全く同一であれば、人は損得勘定で動くというふうに考えているのである。どちらも自然保護に協力的で、どちらも人権に配慮していて、どちらも健康的に問題ない。それでいて片方は安いが片方は高い。
その場合に、意味もなく高い方を選ぶ理由はない。損得勘定以外の基準でも損得勘定でもなく、何の意味もない選び方を人はしないと、彼は考えているのである。 小説「日系日本人」
彼がラノベを不自然と感じるというのは前述の通りだが、具体的にどう不自然だと言うのか?
彼は思春期に差し掛かると、同年代の他の子供たちと同じく異性に興味を持ち始めたわけだが、思春期に至るより前からの経験から、人にはモテる人とモテない人がいると気づいていた。
小学生だった当時の彼にはそれがどういうことなのか科学的に説明しようがなかったが、後に、それが子孫を残す本能によるものらしいと知った。 小説「日系日本人」
ラノベはモテる人がモテない人に恋をする。そういうのは彼にとって不自然で、他の条件が全く同じなのにあえて高い方を買うような印象を与えた。 >>120訂正
小説「日系日本人」
ラノベはモテる人がモテない人に恋をする。そういうのは彼にとって不自然で、他の条件が全く同じなのにあえて高い方を買うかのような印象を与えた。
買うようなを買うかのようなに訂正 小説「日系日本人」
例えば派遣切りにあった人に炊き出しをするボランティアならわかるが、魅力のある人が魅力のない人と意味もなく敢えて付き合うなど、現実にあり得ない。そんなあり得ない話を書くラノベは、彼にとってアダルトビデオよりも酷い内容だと思えたのだった。 創作とはすごいいな
実際に書いてみると読み方も深まるのだろうね
黄忠と厳顔の老将二人の活躍を高齢者へのエールとして読む人もいるんだろうな笑
9巻目は出師の巻だ 小谷野敦が「××は何がそんなに偉いんですかね」と呟くとき
「そりゃお前がアホだからだ」と呟いてしまうのは私だけではあるまい 本日も昨日に引き続き、小説「日系日本人」を書いて参ります。ご興味があればぜひお読みになり、ご意見・ご感想があれば、どしどしお書きになっていただければと思います。 小説「日系日本人」
彼の学生時代、主に中高生の頃であるが、おそらく多くの学校に、程度の差こそあれ存在するのではないだろうか?スクールカーストと呼ばれるものがあった。
彼はスクールカーストにおいて、下の方ではあっただろうが、虐げられているという感じとはやや違っていた。
弱肉強食の自然界で言えば、陸で言うとダンゴムシ、海で言うとナマコのような、捕食者でも被食者でもない存在であった。
陸であれば落ち葉を食べ石の下に住み、海で言えば死んだプランクトンを食べ砂の下に住む。そんな、スクールカーストの熾烈さからやや距離のあるところにいた。
彼にとってそこは居心地が良く、スクールカーストの激戦区に出陣するような冒険は決してしなかったし、したいとは絶対に思わなかったし、またその方法もあまりよくわからなかった。 小説「日系日本人」
彼はスクールカーストにおいて、男子生徒も女子生徒も同じスクールカースト同士で仲良くすることに気付いていた。彼自身もまたそうだったので、中学生になるより前からそれはごく自然のこととして彼の目に映っていた。
スクールカーストは、単に誰が上で誰が下というものだけではなく、こういう趣味の人たち、こういう部活の人たちという風に、上とも下ともつかない、強いて言えば横のスクールカーストもあると感じていた。
これを食物連鎖で例えるなら、鳥と鹿であろう。鳥と鹿は別ではあるが、どちらがどちらを食べるということはなく、ただ鳥と鹿が別であるというだけなのだ。 小説「日系日本人」
思春期に差し掛かって、彼もまた異性に興味を持ったわけだが、小学生のうちにはもう既に、恋愛という華やかな男女の交際は、自分にとって縁のないものと彼は感じていた。
大学を卒業してフリーターに至る今まで、彼には恋人がいたことがなかった。また、女友達もいなかった。
同じ部活の女子生徒たちとは仲良くやっていたが、それはあくまで部活が同じだからであり、クラスの女子生徒とも少なくとも仲が悪いということはなかったが、彼女たちはあくまて同じクラスの他人であった。 >>128訂正
小説「日系日本人」
思春期に差し掛かって、彼もまた異性に興味を持ったわけだが、小学生のうちにはもう既に、恋愛という華やかな男女の交際は、自分にとって縁のないものと彼は感じていた。
大学を卒業してフリーターに至る今まで、彼には恋人がいたことがなかった。また、女友達もいなかった。
同じ部活の女子生徒たちとは仲良くやっていたが、それはあくまで部活が同じだからであり、部活が違っていたら話す機会もないと彼は感じていた。
クラスの女子生徒とも少なくとも仲が悪いということはなかったが、彼女たちはあくまで同じクラスの他人であった。 小説「日系日本人」
大学では、中高の部活に比べて大学のサークルは人数の多さや日数の少なさから言って親密でなく、クラスはそれこそ誰がいるかを全員分把握していないので、これもやはり中高のクラスに比べて親密でなかった。
しかし、これが大学でも彼に恋人ができず、女友達もいなかった原因ではあるまい。恋人やら女友達やらができる人はいくらでもいたのだから。 小説「日系日本人」
彼は、男女で交際をする生徒は、スクールカーストにおいて上の方か少なくとも下の方ではないと漠然と感じていた。 小説「日系日本人」
カーストとは、インドにおける身分制度の通称である。古代、インドを征服したアーリア人が、先住のドラヴィダ人を下層カーストとし、自分たちを上層カーストとした。その選民意識と差別意識を端的に表した言葉が、スクールカーストという言葉なのである。 小説「日系日本人」
アメリカは、人種のサラダボールと呼ばれている。ヨーロッパ系同士、アフリカ系同士、アジア系同士で結婚することから、人種が混ざらないという意味でそう呼ばれているのだ。 小説「日系日本人」
中高生の頃くらいまでは、彼にとって世界とは自分の通う学校であった。
小学校にも中学校にも高校にも外国人やハーフの生徒はいたが、彼は自分が日本人であり、そしてアジア人であるという意識を特段持つことはなかった。
それは、彼にとって学校が自分の世界であり、学校の外はその周辺で、外国に至っては彼にとって別世界だったからだろう。
彼にとって外国とは地球外のように別世界で、外国人は宇宙人のように別世界の人間だったのだ。 小説「日系日本人」
彼にとっての世界が学校であった頃、つまり彼が中高生の頃、彼にとって学校の中での生活が人生であり、その外での出来事は自分とは関係がない出来事だという風に感じられた。
それは、彼が遠い外国のことなどどうでもいいという考え方の持ち主だったからではない。彼にとって、外国はそれこそパラレルワールドに等しく、外国での出来事はパラレルワールドでの出来事のように感じられたのだった。 小説「日系日本人」
彼が生まれ育ったのは、外国の情勢で自国の運命が極めて大きく左右される中東の国でもなく、また、外国と激戦を繰り広げた明治や昭和の日本でもなかった。
最後の戦争から数十年も経った、平成の日本なのである。 小説「日系日本人」
そんな彼にとって地球は広大で、日本での出来事だけで彼の人生は完結すると、無意識に確信していたのである。 小説「日系日本人」
彼が外国を意識するようになったのは、日本と外国とを比較することを始めてからである。
彼が大学生になり就活を始めて、外国の労働環境や社会保障についてのネット記事などを調べることが多くなった。そこから、物事は何事も国際的な視野で捉えなければダメだと思うようになったのだ。
人権問題や生活環境などといったことは、やはり比較がなければ良くも悪くも当たり前のことと捉えてしまうだろうし、
環境問題に至っては、空も海も繋がっている以上、どう考えても国ごとに分けて考えることなど不可能なのだから。 小説「日系日本人」
高校生のころまで、彼にとって社会とは日本社会を指す言葉であった。しかし、外国に関心を持つ中で、彼にとって社会とは国際社会を指す言葉となっていった。 小説「日系日本人」
彼の中で日本という自分の住む世界と外国という別世界という構図は消えて行き、いつしか彼の世界は地球であり日本はその世界の一部となっていた。 小説「日系日本人」
そこから彼は今まで意識してこなかった自分のある特徴に気づく。それは、彼が日本人であり、そしてアジア人であることである。
彼にとっての世界が学校であった中高生の頃、彼は華やかでない一人の生徒に過ぎず、彼の個性とは、勉強はある程度できるが冴えない男子生徒であるということだけであった。
しかし、彼の視野が国際的なものになると同時に、彼は自身が日本人であるということと、アジア人であるということの二つを意識するようになった。 小説「日系日本人」
これは何も、彼が民族主義ないし国家主義に目覚めたというわけではない。
彼は自身の国籍が日本国籍であるということと、自身の人種がアジア人であるということが、日本人だらけの日本では全く意識する必要のないこの特徴が、自分の住むこの世界で実はさほど無視できないことなのではないかと考えたのである。 小説「日系日本人」
彼の周りを見渡せば、誰もが東アジアの日本人の顔をしていて、漢字とかな文字の混じった日本語を使っている。
それは、彼が幼い頃からそうだったし、成人し、大学を卒業した今日に至るまでずっとそうだ。しかし、それは彼が日本に住んでいるからである。
新宿など外国人がたくさん歩いている場所もあるが、それでも多数派は日本人だ。
しかし、日本人は世界において多数派であろうか?国籍で言えば最大多数の中国人でさえ世界の五分の一なのである。
もし仮に世界中の人々をシャッフルして地球全土に散りばめたら、日本人はどれくらいの頻度で歩いているだろうか?アジア人は?
そう考えた時、彼は日本人であることやアジア人であることが、決して普遍的なことではないとハッキリ悟ったのである。
まさにこの時、彼は自身が日本国籍者で、アジア人であることを自身の個性ないし特徴だとはっきりと思ったのである。 小説「日系日本人」
彼は思春期の頃、自身の他の人との相違点について劣等感を感じることがあったが、自身が日本人でありアジア人であるということを意識してから、自分を好きになっていいと感じるようになった。
それは、日本人である自分、アジア人である自分を好きになっていいのと同様、自分である自分を好きになっていいと考えられたからだ。
人々の中にあって自分を嫌いになるのは、アジア人の中にあって日本人である自分を嫌いになったり、人類の中にあってアジア人である自分を嫌いになったり、
生物の中で人間である自分を嫌いになるのと同じことである。彼はそう思ったのだ。 小説「日系日本人」
彼が日本社会から国際社会に視野を広げた結果、彼の思春期に芽生えた劣等感はそれに反比例する形で小さくなった。
「自分は日系地球人だ。」学校で目立たぬように小さくなっていた猫背気味の山田清一は、今や地球のどこに行っても胸を張って歩ける気がしていた。 小説「日系日本人」
142と143の間に、133を。 なんかすごい大河小説になってるなあ
ところで大河と言えばいまやっているのは麒麟がくるだが
この水師の巻には臨シの市民が麒麟を檻に入れて城門へ献上したとあった
主要キャストがバタバタ死んでいよいよ最後の五丈原の巻へ 孔明と司馬懿、英雄英雄を知るってのは出来過ぎとは思うが
華のあるマッチングではある
吉川三国志、ようやく読了
講談が最近少し見直されてきたようだが
こういう口調で読みやすく聞きやすくしたものに触れることによって
大衆は大衆なりに教養を身につけていたのではある
さて、これから何を読もうか
英検の勉強で読みやすい原書をよんでもいいし
引き続き中国ものを探してみてもいい
大河ドラマの原作というのもおもしろそうだし
名作短篇を丁寧に読むのも悪くなさそうだ
読んだ本の感想を語り合ったり
不慣れな本を互いに励まし合って読んだりする人が現れてくれればありがたいのだが
なかなかそういう具合にはいかないものなのだなあ >>142
>日本人だらけの日本では全く意識する必要のないこの特徴が、
>自分の住むこの世界で実はさほど無視できないこと
>なのではないかと考えたのである。
『ワールズ・エンド・ガーデン』発表時のいとうせいこうは
そういう意識の平均的日本国籍保有者の事を
ガイジンとは反対の「内人」としていた
いとうは目の付け所は良いんだけど
作品がイマイチなんだよなあ
住民のほとんどが都市部に集住して
教育や法制&税そしてマスコミによって
たえず平準化圧力が加えられている島国だからそうなるのだろう
今回のコロナ騒動でも水際対策という
島国根性丸出しの防壁が突破されると
さらに閉鎖的な方向で対応しようとする
決して事態の根本的解決に向けての手段や
その仮定でのリスクマネージメントについて模索しないのね
ひたすら嵐が通り過ぎるのを待つのみ
多数派による異分子排除はあるが
深刻な対立やそこから派生する葛藤という視点がないから
文学など必要としないのかも知れない
せいぜい首相が「サベツ良くない」というくらいで ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています