世界的な名作ではあるが読んでいてつまらない作品
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「ノートルダム・ド・パリ」「戦争と平和」 ノートルダム・ド・パリ読んでるけど つまんねー これ、何で世界的な名作になっているのかわからん ノートルダム・ド・パリは読んでても進まね ここまでつまらんとは 検索したらノートルダム・ド・パリは読みにくいと書かれてた記事を発見 パリの街並みとかどうでもいいことばかり書いてあって読んでる人間としては退屈極まりない https://www.excite.co.jp/news/article/NHKtextview_32020/?period=1 ドストエフスキーは罪と罰だけは面白かった 逆に古い古典で面白かったのがドン・キホーテ これ、マジで面白い バルザックとゾラはきついな ユーゴーは視覚的な作家で 延々書き連ねるからそこが辛いのは分かる 逆に映画等で出来ることは全部排除して 言葉の世界でしか出来ないことだけで書きあげるという野心を持って作られたジイドの作品もただ報告を読むだけみたいになっちゃってた 同じユゴーの小説だけど「レ・ミゼラブル」も途中で挫折した 名作=面白いって言う考えは間違いなのがわかる 世界的名作なら、ナニコレつまんねーと読んでても、読み終わったら胸に重く残るものあるよね まぁ、ただつまらんものもあるけど 岩波文庫の古典は殆どが面白くないと思う サロメは面白かったけど 殆どの作品は辞書読んでるみたいに感じると思う 特に、ロシア文学を読むのはキツイ 大まかな内容だけ知りたいなら河出書房から出てる池澤夏樹監修の 文学全集がいい感じ(ただし意訳多し スレタイだが、こういうのは読み手に問題があるのであって、教養がないか、読解力がないか、知らない世界に理解がないかだろう。 名無しさんが、名作を読んでつまらないというのは、名無しさんが名作についていけてないだけのこと。 文豪のほとんどの長篇はつまらない だから短編しか読み通せないよ ドストエフスキー 大学時代にほとんど全部読んだけど どれも面白かったなあ 強いて言えば罪と罰がわりとしんどかった 戦争と平和も面白かったなあ もう一度読みたい トルストイは復活も読んだが面白かった ドストエフスキーはみんな高尚に考えてるけど 松本清張とか横溝正史みたいなもんだろ 戦争と平和も吉川英治みたいなもん 難しく考えるから読めないんじゃないの ついでに書くと トーマス・マン 「魔の山」「ブッデンブローク」「ファウスト博士」 ロラン「ジャンクストフ」 切がないから全部書かないけど 有名な長編は結構読んできたが 大体面白いよ 「収容所群島」まで読んだ 長ければ長いほど楽しくなる オデッセイア ラノベなみに主人候補正が強くて嫌い ブリキの太鼓 主人公が糞で文章も糞、読んで「何が起こってるか理解する」ということを早々に放棄した作品 息子と恋人 作者が恋人を捨てるまでを小説化したらしが、そんなもん読んでも何も面白くない 誘惑者の日記 同上。そのうえ小説の体裁すらとれてないマジもんのゴミ 若きウェルテル 自意識過剰すぎてきつい、途中で入るオシアンもうざい 嫉妬 風景描写のみの実験小説。作るのは自由だが読む方としてはたまったもんじゃない 5大サガの3つ 「エギル」「グレティル」「ラックサー」の主人公が糞すぎてつまらん トリスタンとイズー 同じことの繰り返し、冗長 スティーブンヒアロー 文学かぶれの大学生が周りを見下すだけで最初から最後まで終わった マルテの手記 世の中になんの興味もなくただ詞を作りたいってだけの人が書いた作品 デカメロン 好きな作品だけど、画家いじめシリーズが可哀想でつまらなかった タンホイザー ど素人の作品 みんなもつまらないものはつまらないとはっきり言おう >>16 みたいな考えは最悪 時間を経て残っている作品はことごとくが傑作だよ 自分の理解が及ばなかったり、感性が合わなかったりするだけ、「つまらない」なんて思わないな 『魔の山』は「ハンス・カストロプは」の連呼 これほど主人公の名前をフルネームで繰り返す本は非常に珍しい 読んでいてイライラする 白鯨は物語性がないからな 詩情もない しかし映画にしたものはよかった >>29 「物語性」というところが問題なんだ。 一般の読者、小説を謳歌する消費者を対象に したものは売れるけど、ダメなんだ。 やっぱり今の読者は、スマホや携帯でレベルが低くなっているからなぁ 物語を求める消費者ってwww まぁどーでもいいけど、物語を超えないと >>30 逆にそんなこと言ってるから文学はダメなんだ そりゃアニメに負けるわ つまり小説「物語」、芸術、アニメ(漫画)でどれがいい?ってことでしょ w w w 古典は全般つまらんやろ もうとっくに使い古されてて刺激にならん 想像力がなくて書いてある字面通りにしか読めないのか? >>28 同じ傾向の本としては「老人と海」の方が良い メルヴィルの作品としては「ビリーバッド」の方が良い >>30 物語を超えてる文学作品をまず屏風から出してから言ってくれよ どうせ50年前のヌーヴォーロマンかその眷族出してくるだけ 相手にしても無駄 白鯨は脱線というか細かい知識の開陳を楽しむもんじゃないの 失われた時を求めて 巻数が多いわりに小説の主題が意外と若い ヒゲをはやしたお坊っちゃん フランス語でツラツラと感覚を綴れるのは稀有なんだろうが、優先的にヒトに勧めたりはしないな >>40 白鯨は旅行記 旅行記でデビューして成功した作者が意気込んで小説を書いたら大爆死した それでまた旅行記を書き始めたけどどうしても小説が書きたかったので 半分小説・半分旅行記で書いたのが白鯨 そういえば旅行記は物語ではないけど 面白いものいくらでもあるな マンガが文学作品より優れてる って書いてるやついるけど 旅行記とかは退屈なのかね? ガリバー旅行記はみんな読んだと思っているけれども、スウィフトという男を近代と絡めて考えると、壮大なテーマになるだろう 漱石があの時代に既に問題性をつかんでいたところは凄い 映画やテレビ、漫画やアニメやゲームがなかったころが全盛期のメディアだからな ひと昔まえまではインテリや上流階級になるためにはやたら読まなきゃいけない古典があったけど もうアニオタはファーストガンダムを見なきゃいけないとか漫画好きは手塚読まなきゃいけないレベルで あうあわないの問題になりつつある ヨーロッパ中心主義の見直しやポリコレのおかげで世界文学の見直しも進んでるしな 手塚治虫を天才として持ち上げる風潮 漫画業界が自分らの権威付けのために祭り上げてるとしか 思えないな いかに話がうまくできていても、アニメやマンガにつきまとう幼稚さには我慢できない 手塚治虫や水木しげるだったらO.K.する人がいるが、あれだって幼稚の極みだ まぁ古典とか神話って読んでなくても作家はみんな自作で利用するからある程度の量を読んでると、 シェイクスピアでもギリシャ神話でも北欧神話でも古典的な哲学だろうとある程度自然に詳しくなってしまう、 その都度何やかやと調べるから、 しかし別にそんなもんをわざわざ原典で読もうとは思わんな、時間の無駄、 もちろん翻訳者、批評家には専門に必須の教養があるだろうし作家はアイデアのネタを探していくらでも読み漁るだろうが。 ごく若い時に無理して全著作を読んでおいてよかったと思ったのはプラトンくらい。 西洋人の哲学思考は基本全部これの発展だから。 古代ギリシャ、ローマからキリスト教をバックボーンにルネサンスをへて近代へというのが欧米の覇権の歴史の自画像だからな 哲学、文学、芸術は基本その線にそって作品が配置されてる 最近はその根幹を維持しながら女性やマイノリティ、欧米外の作品をくっつけてなんとか延命中だけどもう無理かな 日本は明治維新以来その価値観も一緒に輸入したからやたら欧米の作品が翻訳されて文庫で読めるけど江戸時代の文芸とかまず読まないしな 基本的にその時代の価値、空気感を共有してないと何も面白くないぞ、古典なんて 小谷野敦の「『こころ』は本当に名作か 正直者の名作案内」新潮社より 小谷野 「あれは発表当時は失敗作とみなされていて、(中略)こういうものを 漱石の代表作扱いしたのでは、漱石だって迷惑するだろう」 小谷野は谷崎潤一郎と武田泰淳の対談を紹介している ・谷崎 『こころ』なんぞというやつも、このごろだいぶ言われるんだけれども、 あれ、半分くらいでいいんで、実に長ったらしく延ばしているように思うんだけどね。 ぼくは読んでて実に退屈で、たまらなくなっちゃう。 武田 それは『明暗』に比べたら、『こころ』は実に落ちますよ、ね。ほんとの習作だものね。 ↑↑↑ 本当に退屈。 後半の遺書の部分だけで良いだろう 小谷野敦 ・『舞姫』・・・女を妊娠させて捨てる色男の話で、これといって工夫はなく、 ↑↑↑ その通り ・羅生門について 原作は単に羅生門の上で下人が老婆の衣服を奪ったという、 何のモラルもない話なのを、芥川がおかしなモラルをつけたために失敗作になっているだけなのだ。 ・有名なのは、国語の教科書に載っているから(中略)教師と生徒とで話し合うことができるからで、 単に授業をするのに都合がいいからに過ぎないのである。 ↑↑↑ その通り そういう人は大衆小説でも読んで、面白がっていればいいだけの話 ノートルダム・ド・パリは日本語で読んでも面白くないらしい フランス人がフランス語の朗読を聴くと迫力があるライブを聴くような感覚らしい https://textview.jp/post/top/32020 https://www.excite.co.jp/news/article/NHKtextview_32020/ >>『ノートル=ダム・ド・パリ』の作者はユゴー一人で、複数の作者の共作によるのではないから、口承文芸的とか民族叙事詩・神話というのはおかしいではないかという反論が出てくるかもしれません。 これに対しては、ユゴーは一人であって一人ではないと答えておきましょう。 それは次のような譬(たと)えで説明できるのではないでしょうか? あらゆる電子的再生装置が普及した現代においても、歌手のライブというものが盛んなのはどうしてでしょう。それは人間の生の声というものが、他では置き換えできない、いわく言い難い感動を呼び覚ますからです。 ノートルダム・ド・パリは日本で言うと平家物語とかに近いのかな? 時代はかなり離れてるけど https://youtu.be/ZBqeUt-39sI 平家物語の朗読だけど フランス人がノートルダム・ド・パリを聴くとこんな感じに聞こえるのかな? 外国語に翻訳したものだとノートルダムダム・ド・パリの面白さがわからないのかもしれない >>16 ,26,30,48,55 自分の趣味が高尚だと言いたいだけの俗物 こういう差別意識の否定が文学の目指すところだと思うけど 文学を読むと逆に差別主義者になる不思議 否定の仕方も「読めてない」「低俗」「幼稚」のレッテルばりのみでまともな否定を見たことがない 橋本の「窯変源氏」は 面白かった 途中でやめちったけど 名作=面白いとは限らないし 文学で金は稼げないし女にももてないしバカにされる 大学で昔の男性文豪作品が好きとか言えばヨーロッパ中心主義とかフェミにもぶったたかれる 人格陶冶とか教養とかいっても実際は心はねじまがってるし 今はこんなにいいことないのに隠れキリシタンのように読んでる >>62 年配の作家志望者を馬鹿にしてるくせにフェミが聞いて呆れるな 最近のノーベル賞や欧米の大学の文学部のチョイスを見てれば これから半分は女性とマイノリティとポストコロニアル文学になるよ 聖書やシェイクスピアはさすがにはずさないだろうけど19世紀の作家は3分の1とかになるよ 源氏物語が日本代表に選ばれることが多いのもヨーロッパの影響うけてない女性作者の作品ってのが効いてるし 名作とは言い難いがセリーヌだな とにかくグダグダでしかも長い ちなみにホンヤクやってる有名なあいつは ところどころ誤訳してるし、理解できないのか 何行かすっ飛ばしてる箇所もある セリーヌ読みたい人は英訳よんだほうがいいよ わかりにくいところには丁寧な解説もついてるから >>58 「こういう差別意識の否定が文学の目指すところ」 そういうのを文学が目指しているというのなら、何を読んでも面白くないだろうな >>65 これ書名書くの忘れたけどくだらない本だと思ってるし 面倒くさいから書く必要もないな 大体わかるだろう あと英訳本については ちゃんと明記したいんだけどもうどっかにいっちゃって 探すにも一苦労なんで画像検索に頼るしかなかった 結果おれの持ってるのと同じ装丁のがあって訳者は Ralph Manheim そのためこの人の訳したものでほぼ間違いないと思う 世界的ではないが「こころ」は 手紙が現実ではあり得ないほど 長過ぎする 3行でたのむ、とは言わないまでも つまりリアリティがなさすぎて 一気に読む気なくなった ノートルダム・ド・パリが世界的な名作って評価が間違いか単なる宣伝文句 19世紀フランスのローカル作品を21世紀の日本人が読んで単純に面白いわけないだろう スタンダールがすごい嫌いだったんだろユゴー? 今「アルマンス」読んでるがこれもかなり詰まらんが 昔の人は長文の手紙を書いたことにも想像が至らないのか これだからゆとりは 全く同じ書物でも、今現在の興味に一致すると面白くなることがある 巡り合わせのようなものか 漱石の書簡集読んだことある?長文のものなんか全然ないよ 明治という時代に近代にぶち当たった知識人として、漱石は重要であり、漱石が書いたからこそ、小説として欠点だらけの「こころ」にも価値がある。 懊悩する内容は違うが、「先生」に投影された漱石を読み取るべきである。 中上健次の岬 ながったらしくてごちゃごちゃしていやになる オレも中紙は何冊か読んだが 確かその「岬」で躓いたままだな 何も知らずにそれだけ読んで面白いと言える作品のほうが珍しい >>71 リアリティの有無で文学とか芸術を評価するのは最も愚かな事なんだよ てか、漱石とか中上健次がいつ世界的な名作を書いたというんだい 日本文学で世界的な名作はないな。 源氏物語がそれに相応しいんだろうけど、世界的な名作といわれるほど知られてないだろうな。 読んだことないし、知らんけど。 >>67 一作目か? 二作目のなしくずしの死は面白いよ 夜の果てが面白くてなしくずしでクセになるというのはあるだろうが 夜の果てがつまらなかった人がなしくずしは面白いとなるだろうか? 生田訳夜の果てがつまらなくて、滝田訳なしくずしが面白かったな セリーヌは名作を書いたとは思わないが本物の人という気がする。 嵐が丘つまんねええ さすがメロドラマの開祖 読んでも読んでも「それがどーした」という感想しか出ない >>33 では現代文学や現代漫画?が面白いかというとそうでもない、説得力にかけてしまう やはり古典は、その時代や場所を超える何かを持ってるものが多いしその作品固有のものがある 現代文学を信用しないというわけじゃないよ ただ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費したくない 岩波文庫の訳のノートルダム・ド・パリは本当につまらん >>95 いやどう考えても漫画の方が面白いよ 趣味が現代の日本人の若者に合ってるから ジジイが時代小説を読んでラノベを読まないのと一緒 漫画はいい作品も多いが玉石混交すぎる そもそも漫画は巻数が多すぎて揃えるには高くつくし文学との単純比較はできないからな ユゴーのやつは別に世界的な名作じゃないだろう 面白いから世界的な名作になるわけでもないが ノートルダム・ド・パリ以外にもレ・ミゼラブルは途中で挫折した つまらんかった つまらんと思うんだったら無理せずに漫画やラノベでも読めばいいと思うよ テレビや映画、ネット、たかだか世に出て数十年程度の創作物ばかり相手にしている人に付きまとうのは、ある人の言う通り「今、ここにあることが全てであるという雰囲気の蔓延」だな 欧米の本物の教養層は最低限古代ギリシア語でホメロス、ラテン語でウェルギリウスぐらい暗唱できるからな 小説なんて明らかに近代ブルジョワ=成金の下品な趣味が大衆化した俗悪の源で サブカル的に摂取されてるものなのにそれがわからず翻訳で読んでこれが世界の名作とかいう悲喜劇 >>106 ホメロスやウェルギリウスがサブカルじゃないみたいな言い方 語学、歴史、政治、科学、音楽、美術の教養と社交の場があってはじめて古典がいきる そこから一部切り取ってブルジョワ国家の狭い枠組みに生きる大衆向けにパッケージされて大量生産されたのが近代小説 まあアホのジョンソン英首相ですらイーリアスの暗唱してるから最近は教養の意味が変わってるのは認めるがw 俺はホメロスぐらいなら、ラテン語で暗唱できる。かといって、俺はそんなにすごい上流層だとは思わないのだが ある教養の一つとして、古典の詩をいくらか原語で暗唱できるようにはなってほしい >>109 なんでそんなことする必要がある 現代時はそこまで暇じゃねーぞ 古典を読んで一番役に立った事は >>104 や>>106 みたいな奴に「お前はアホだ」と言えるようになったって事だわ ホメロスをギリシア語で読めるなら当然ギリシア民主政の歴史やギリシア悲劇、プラトン、アリストテレス他も読んでる ただ読んでるだけじゃなく現代の事象と照らし合わせる参照項として考えられるようになり他人と議論できるようになって読んでると言える まあ現代の日本でホメロスをギリシア語で読めとは言わないが、古典は一人で黙読してもほぼ意味はない リアルな場で他人と話あったり母国語とは違う世界、現代と歴史との対比で考えないと単なる消費財でおわる 古代ギリシャの芸術もある意味ブルジョワの産物じゃないか それに詩ならともかく散文なら翻訳で十分かと >>104 自分が「今ここ」にいるのはどういう歴史的経緯を経てここにいるのか、こういう思考が0なんだよな時間の感覚が限りなく無に近づいていってる そうなると未来についても何も考えられなくなる >>109 俺は漢詩の訓読なら30くらい暗唱できるかなー 短い古典は結構おすすめ 大学教員は皆感じてるけど結構偏差値高い学校でも 学生の世界史、古典、漢文、英語、理系科目の高校までの習得知識に 基礎的な部分で穴が空いてて高校(下手すると中学)レベルの補講をしてからじゃないとまともな授業ができない 世界文学や古典読むのもいいんだけど社会人でも仕事とは別に学習したいと思ったら 高校までの科目全般で自分の知識の欠落がどこにあるのか確認して補填してから積み上げないと意味がない ナポレオン戦争知らずに戦争と平和読むとかドスト読んでても旧約、新約の知識がまったくないとか日常レベル 文学部でもそんな学生に迎合して原書講義やらず読書感想文サークル化してたとこもあるから学生の責任ではないけど 古代ギリシャの文物をブルジョワの産物とまとめるやつに優れた歴史観があるとは思えない 自己啓発みたいな書き込みが多すぎる >>113 ギリシャの作品を原文で読んで他人と話し合ってそれから一体どうなるんだ? 漫画やゲームをやってスレで盛り上がるのと何が違うのか説明してみ >>118 ブルジョアかどうかは知らんが暇つぶしの娯楽だろ? >>117 そもそも世界史なんて範囲広すぎて大学院レベルまで行かないとカバーできないからね 英語もそうだが まずは高校まで義務教育化するのが良いかと (研究者として2流以下の)大学の先生なんて、せっせと先行研究関連を読むのに忙しく、源流となった大古典を読んでいないことがよくある。 ま、素人から「え、そんなことも知らないの?」っていわれないように気をつけてよね。 翻訳文学について確認しておくと 漱石の吾輩は猫であるはI Am a Catに英訳されるけど 私は猫、我は猫なり、わたくしは猫ですのニュアンスは日本語だとそれぞれ違うが英訳だと一緒 逆に日本語訳になって原文の良さが消えてるものもいくらでもある 原書で読めは権威主義で嫌われるし読まないよりは読んだほうがいいからみな言わないけど 翻訳文学なんてマンガで読む世界の名作とかとそんなに離れてないものだという意識はないとな 日本文化は多くが中華文明からの翻訳や翻案でできてるし 明治期に西洋文明とりいれる時に同じようなことやってる 西洋の文化の中核もギリシア・ローマ、キリスト教的なものの翻訳、翻案でできてる 多少なりともものを考えようと思えば原典を読むことが必要になるのは研究者だけじゃない 逆に外国語学習や歴史やその国への興味もないのに海外文学読む動機がよくわからない 岩波から光文社まで商売でやってるのはわかるけど >>124 >逆に外国語学習や歴史やその国への興味もないのに海外文学読む動機がよくわからない いろんな面白い物語を読みたいからに決まってるだろ そんな当たり前のこともわからんか まぁ、正直、翻訳でも日本の本よりレベル高いからね。読みたくなるのはしかたないね 恩田陸の小説とノートルダム・ド・パリを同時進行で読んでるけど 現代小説ってこんなに読みやすいのかと驚くな 自分は「ハムレット」、「罪と罰」、「若きウエルテルの悩み」が世界三大文学 だと思ってるんだが、つまらないと思う者もいるだろう。それはそれで仕方ない。 >>130 なにがショボいんだ? いまだに世界中に研究者がたくさんいるような作品だぞ 平家物語の魅力は石母田の平家物語を読むのが 一番なんだけど、 歴史性と対立の構図が抜きん出てる 歴史性というのは律令制から封建制つうことで 民衆が表舞台に登場する 構図というのは朝廷と武士と寺社勢力の 絡み合いの複雑さが見事に描かれているってこと この芸術的な均整美は中国文学の古典にも なかなか見つからない 物語の面白さだけなら東洋では水滸伝だが 橋本治の双調平家物語なら全部読みました。なぜか中国から話が始まるという 「宇治十帖」は大嫌いだ 「夜半の寝覚」の方がはるかに上 つまらない=低俗で矮小な知性の持ち主を確実に満足させる娯楽性を持たない 、のはまったくもって古典に限った話じゃないですね。 みたらい @46wtcFjxWqXmCbi 2月19日 ある大学教授の韻文。身体感覚を旨として作っているらしいが、客観性を持つがあくまで主観的な観点から発せられる言葉をもって、その感覚が読み手に伝わるとは思えないケド。難解好きなインテリがはまる陥穽じゃないかなあ。 むしゃくしゃしたんで、庭に立った霜柱を踏みつけた。はあ、スッキリ。 何様やねんこいつ 平家物語を読むと、当時の神社の床下に祭壇があって人が住んでいたのがわかる。 というような細部に興味を持つ人でないと、古典の原典を読むのはつまらんのかも。 「赤と黒」「デヴィットコパフィールド」 「嵐ヶ丘」「ボヴァリー夫人」 「カラマーゾフの兄弟」 ノートルダム・ド・パリのつまらなさは異常 いくら読んでもつまらなすぎてページが進まない 世界的な名作を読んで理解できないのは、その作品より読み手の頭の悪さに 原因がある。 「理解できた」と思っているほうが、実は危ない。 鹿島茂「ドーダの人 小林秀雄」を読んでみよう。 誤解、思い込み、語学力不足、地道な探究の手抜きによる誤読のオンパレードである。 >>145 「理解」と「面白い面白くない」を混同してはいけません 面白いかは別にして古典の文学なんてどんな馬鹿でも読めるだろw特に日本のは。谷崎とかあの程度のが近代文学の最高峰だとか言われてる国だもん。たかが文学如きで人より頭いいと思って悦に浸ってる奴って本当に頭悪いんだろうなぁ。 正に「世界の十大小説」というモームの著作があるし、うんざりするほど多いこの手の本のなかでは長く生き延びている。しかし、これにこだわる必要は全くない。 まあ、文庫本でずっと生き続けているようなのは悉く名作、傑作といっていいんじゃないの。読み手個人の感性、理解力が合わないだけだろう。 ジョイスの若い芸術家の肖像。ユリシーズのためだけに読んだけど糞つまらなかった。 嵐が丘も構成が斬新過ぎてつまらなかった。ずーと同じことを700ページも続けてるだけだし 姉の書いたジェーン・エアのが10倍おもしろ(ご都合主義展開は糞だと思ったが…)かった。 >>148 最高だとは思わんが谷崎はわかりやすくて面白いだろ? 文学なんてどれも面白くないなんてのは当たり前で批評家や学者も普通にそう言ってるだろ 分からないものが理解できた時に感じるパズルや難問解いた時のアハ体験みたいなもんだよ 面白いなんて言ってるのは主観的な感想に過ぎない訳で他人にマウントとって自慢してるだけだよ 読んでいけばいずれ理解できるようになるが、それは読んで面白いのではなく理解できた事に対する満足・喜び 筋トレと一緒でベンチプレス/読書は辛いが、100kg/名作が持ち上がれば/理解出来れば、持ち上がった/理解できた自分に自信が持てる それを自慢してマウント取るためにこの作品は面白いと嘯く訳だw >>151 間違い 「肖像」と「ユリシーズ」は別物。先ず、主人公が違う。目的も違う。 「肖像」は「ユリシーズ」のために読んでも余り意味がない。 それぞれ別々に独立して読むこと。 >>154 違う。それでは読みが浅い。 先ず、満足や喜びを求めてやるものなら他の小説や文学で自分に合うものを 探せばいい。「世界的な名作と詰まらんもの」については別の視点になる。 「世界的な名作と詰まらんもの」が満足や喜びに到達するようなら まだまだだと思った方がいい。その程度なら他のものを読むべきだな。 >>156 w わかってるってw 無理すんな 肩の力抜いて読めよ^_^ >>155 肖像のためにスティーブンヒアロー読んだけど おもろくなかった >>151 『嵐が丘』は本当に退屈だし、胃もたれ感の様なものに堪え切れず 途中で投げ出した、数少ない本(あとは、島尾の死の棘)のひとつだった。 >>159 嵐が丘はお姉ちゃんが書いた序文を読めばある程度許して読めるようになる >>158 >肖像のためにスティーブンヒアロー読んだけど これも間違い。今度は主人公は同じだが、目的が違う。 「スティーブンヒアロー」は、エピファニーが目的で未完の作品だが、 「肖像」は違う。 >>161 作品は作者自身も他作品とも切り離してそれ単体で評価すべきなのは同意だが 大作・名作に取り組む前に、前作を読んで『作者に慣れておく』のは良い事だと思うぞ 特にユリシーズみたいな飛び道具系なんかはそれが大事 フォークナーを『アブサロムアブサロム』から読んでクソつまらなかったし 虫太郎を『黒死館』の前に『完全犯罪』や『失楽園殺人事件』を読んでいたおかげで楽しく読めた >>162 慣れておく、大事などの視点の話ではなく おもしろいという話で進んでいたと思うが。 作家の処女作がそれい以降、次作、三作と同じようで余り変化のない作品群なら 面白いとは別の意見で、「重要とか慣れる」という事もあるだろう。 しかしジョイスは、違う。重要でも慣れもないと言える。そこがまた凄い。 「重要とか慣れる」については、人気作家の作品、 ベストセラー作家の小説群にはあるだろう。 こいつら(ベストセラー作家)の脳内には次も売れ行きの いいものを書くという意識と目的があるからね。 特に最近は売れることを意識した商売の為の作家、 小説ばかりなのではないかな。 >>163 だから作者について『こういう人なんだ』ってあらかじめ慣れて理解しとかないと 奇作を読んだときにチンプンカンプンで面白くないよって話だけど >>163 ジョイスでいうなら評論を読んで 「熱烈なアイルランド愛」「その祖国への不満(被害者意識)」みたいなものは分かった >>164 ID:LE7IkwbQは無理やなw 若い芸術家の肖像の読者どまりってことなんじゃなw ちんぷんかんぷん? 奇作w 評論はいらない(/-\*) やっぱり若い芸術家の肖像まで読んで終わりにしといてください(*´∀`)♪ ID:xGxK1TW7( >>163 )の言ってる事を理解できていない(/。\) ID:xGxK1TW7は、アイルランドに20年、毎年通っていたらしいし アイルランドに最低でも5回は行った経験がないと「ユリシーズ」は無理♪ あのリアリズムを楽しめない♪ 全くアイルランドに行かずに分かるのは、若い芸術家の肖像までです(´Д` ) ID:xGxK1TW7と同じく研究があるので失礼するよ♪ 今、ジョイス後だけど最近のではない小説に注目しているんだな(*´∀`)♪ ジョイス研究は1980年頃には終わった。今頃やってるヤツはアホw >>166 だな。もうジョイスは終わった。次、いこかだな。 それにコロナ禍で暫くは旅行もできない。 これからはヒロシのぼっちキャンプみたいなものがいいだろう。 でもユリシーズもヒロシのぼっちキャンプみたいに楽しむものなんだろうなぁ 誰かにユリシーズを語ってもムダ、 アイルランドに何回も行った人だっていないんだからねぇ >>166 >>163 の言っている事は理解できるが お前が言ってることはさっぱり理解できんわ >>170 ヘミングウェイといえば誰がために鐘はなるの新潮文庫の旧訳は酷かったな。 武器よさらばと老人と海は面白かった もうすぐノートルダム・ド・パリを読み終えるが もう二度と読みたくない いやー読み切るのがしんどかった そんなことはレ・ミゼラブルを全部読み終わってから言ってくれ 逆に面白い面白くない問わずこれだけは死ぬまで読んどけっていう小説あるか? 医師になるのは、めちゃくちゃ簡単だよ。 どんな馬鹿医大でも国家試験の合格率7割以上はあるし、自治医大以上ならほぼ100%。 弁護士の場合は難関ロースクールを卒業しても、国家試験を通るのは10%程度。 医師になるには金と時間がかかるが、試験自体は簡単。 うちは従兄弟三人医師になったが、英検二級すら落ちるレベルの頭だからね。 医師国家試験の合格率ランキング見てみ。 一番低い帝京大学ですら、79.4%。 奈良県立大以上の偏差値の25校は95.0%超え。 これのどこが難関試験なの? 医学部に学費を支払える財力のハードルが高いだけで、医師にはバカでもなれる。 弁護士、司法書士、会計士、英検1級あたりは、バカには絶対に無理。 まとめると 医師国家試験→バカでも受かる。しかし、医学部6年間で1,000万以上かかる学費のハードルが高い。 司法試験→ロースクール卒業しても、合格できるのはごく一部。非常に難関な試験。 司法書士→ロースクールに行かなくても受験できるが、難易度は司法試験並み。 英検1級→英語がずば抜けて優秀でないと合格できない。英語の偏差値100必要。(実際にはそんな偏差値はないが) 会計士→おそらく、最難関試験か。会計大学院修了者の合格率は7.6%しかない。 不動産鑑定士→鑑定理論が地獄。単体の科目としては最難関の一つ。経済学などは公務員試験より簡単か。 >>179 試験が難しいは関係ない。 乞食外人になってもバカ。英検はムダw カネになる資格は医師免許! 英語がすきならそれでいいだろう。オレは嫌い! オレが知ってる東大教授も言っていたが英語で論じても日本語で論じても同じ。 内容がないことを英語で言ってもバカな事は同じ。しかし英語だから凄いとか思うバカな日本人が多い。もう目を醒ますべきw 英語は低脳だとねw 子ども4人全員を東大理三に入れた母親が教える「公文式で国語と算数だけ続けさせたワケ」佐藤亮子 3男1女全員を国内最難関の東京大学理科三類(医学部)に合格させた 『東大に入るお金と時間の使い方』の著者・佐藤亮子ママは、 0歳から18歳の大学入学までを全力でサポートするため、 「お金」も「時間」も惜しまなかった。 長男を妊娠中、小学校全学年・全教科の教科書を買い込んで熟読。 子どもは全員、1歳前後から公文式に通わせ、 「絵本1万冊、童謡1万曲」を3歳まで読み(歌い)聞かせ。 専用の本棚を手作りして本300冊をまとめ買い。 家族で図書館に出かけて一度に30冊以上借りてもいた。 公文式だけでなく、スイミング・バイオリン・ピアノのお稽古にも通わせ、 習い事だけでも1人あたり月5〜6万円。 小学生になると早々に中学受験塾へ通わせ、全員を中高一貫校に進学させた。 参考書を買うときも、いい参考書が10冊あったら、とりあえず10冊買う。 そのうち1冊しか使わなかったとしても、 「10冊あったから優れた1冊を選べた」と思うようにしていた。 いいものは使ってみなくてはわからない。その点、選択肢は多いほうがいい。 なにより貴重なのは「時間」。 時間を最大限有効活用するためには「お金」を惜しまない。 子どもの将来を決めるのは、親の「お金」と「時間」の使い方と断言する。 英語より国語と算数を優先 公文式では入塾した当初、国語と算数の2教科を受講させました。 その後、幼稚園の年中になってから英語を追加しましたが、 3教科になったら通塾や宿題などで余裕がなくなってしまったので、 国語と算数の2教科に戻しました。 英語も習わせたかったのですが、優先順位としては国語と算数のほうが重要です。 >>181 やべーな、超人過ぎる、お母さんの経歴も気になるな 嵐が丘は読んでいて本当に退屈だった。 途中で放り投げた。 >>176 ドン・キホーテ スターンもディケンズもドストエフスキーもフローベールもフォークナーもナボコフもボルヘスもガルシア=マルケスも皆影響を受けている >>186 前編はあんまり面白くなかった 構成がド下手 ドン・キホーテとか昔のラノベみたいなもんだろw 古いから残ってる的なやつ >>179 医師へのコンプが凄いということしか読み取れないな ドン・キホーテはあれでいいんだよ 挿話のパートが長いとかいうよくある意見は読み書きの経験が少ないかエンタメ好きの人によるもんだろう ドンキホーテが書かれた頃はデカメロンやカンタベリー物語みたいは枠物語の影響がまだあった時代だしな もっとも読者からも「脱線多過ぎ」と指摘されて後編はほとんどなくなる 近代小説への移行の過程がそのまま形式に表れている しかしよく読めば後編にも脱線はそれなりにあるんだよ 脱線しないようにするわ、と前置きしながらもね 脱線の多い小説といえばすぐ上で名前が出ているピンチョンもそうだね なんで岩波文庫では正編続編じゃなく前編後編と呼ばれるようになったんだろうね 元々後編が書かれる予定はなかったのだから正編続編の方が呼び名にふさわしい >>189 いや、ありゃ単純にセルバンテスが下手くそなだけだわ ラ・ガラテア読んでよく分かった ガラテーアは韻文散文混合形式だから上手いも下手もないけどな しかも処女作だし 脱線ということで言や白鯨やユリシーズも脱線だらけだが それを後世のバカがヘタクソとドヤ顔で言うとしたら痛々しくて見てられないよね 日本なら神聖喜劇や燃えあがる緑の木だって奇異な脱線だらけだしなw よく「造形された」小説というのは、普通の読者としては読みやすいけれども、何十年も前から、文芸批評の先端にはなり得ていないらしい。 たぶん、現代人が合理主義に洗礼されすぎたせいだろう。今となっては、作家が当初は意図しなかった脱線や、フオークロア的なもの、憑依などがむしろ文学読者の玄人筋には珍重されているようだな。 >>193 >ガラテーアは韻文散文混合形式だから上手いも下手もないけどな 意味がまったくわからねえ 混合形式ならなんで上手いも下手もないんですか? ラガラテアは三角関係が4つ5つ出てきて その一部の人間がどんどん集まり10人ぐらいであっちへいったいこっちへ行ったり整理がおいつかない いつのまにか時間が経ってて別れたてたりとか、見せ方が下手 ドンキ前編は最後に物語の主人公たちが集結して なんか意味あるのかと思ったけどガラテア見る限りなんもねえわ 物語の流れが一本調子でちょと歩いてはボコられ、またちょっと歩いてはボコられの繰り返しで飽きやすい いわゆる隔靴掻痒な感じで面白くない >>193 白鯨は上でも書いたが旅行記 あれもメルヴィルは単純にああいう書き方しかできなかった 脱線のみのレッドバーンやホワイトジャケットは普通に面白かったわ ユリシーズは語りを変えて書いてるだろ読者をあれで飽きないようにさせてんじゃね >それを後世のバカがヘタクソとドヤ顔で言うとしたら痛々しくて見てられないよね 『古いものはなんでも素晴らしい教』の信者も痛いわ、お前みてーな馬鹿 誰も古いものはなんでも素晴らしいなんて言ってないしおまえが馬鹿だろ 古いものはなんでも素晴らしいなんて思ってる奴はどこにいるんだ >>198 >>19 ,26みたいな奴と >それを後世のバカがヘタクソとドヤ顔で言うとしたら痛々しくて見てられないよね とか『古典様に現代人が文句を言うなんておこがましい』と言ってるようにしか見えんな >>199 全然反論できてないじゃん はい敗者は退場してどうぞ >>200 じゃああなたの主張はなんですか? 分かりにくいので『』で囲って書いてください そらこんなスレですら言われてもいないことを勝手に拡大解釈する奴に長編小説なんかまともに読めるわけがねえw ノートルダムに関しては最初から最後まで面白く読めた 「ギュデュール! ギュデュール! 捕まえたぞ!」(うろ覚え)のところなんか血が沸く思いがした ゴランゴワールみたいな選択をするキャラも初めて見たし(空前絶後じゃないか?) つまらないというならレミゼラブルのコゼットかなあ 子どもの頃は可愛かったのにあんま面白くない大人になったよね 揚げ句ジャンに居心地悪い思いをさせるし…まあそれが作品内での役割なんだろうけども… >>204 ユゴーの愛情が第四部ではコゼットからエポニーヌに移ったと分析されてるね アルチュール・ランボーは大いに「レミゼラミブル」に影響されてるね。 弁護士だから合理的に解決すると思ってみていたが 感情だけに突っ走って長期化させて泥沼にしたなあ ヨーロッパの近代文学を早送りで概観しようと思えば、ランボーの「地獄での一季節」になるかな。 19世紀あたりから考えて日本人作家最高の文豪ってだれ? 夏目?三島?谷崎? >>212 三島はミラー、カポーティ、ユルスナールなど同時代の一流の作家たちに意識されていた。 文豪とはいえないだろうが、大した才能だな。俺は好きじゃないが。 漱石は小説家というよりも、西洋の近代に衝突した非西洋の知性として重要なんだろう。 ユゴーは国葬されたし、ゲーテはその時代のヨーロッパを代表するような知性人格だった。二人とも文豪らしい文豪といえるのじゃないかな。 翻って、そういった意味での文豪は三人とも当てはまらないのでは? 因みに、一生懸命に文豪になろうと努力したのは、トーマス・マンだな。 文豪に当たる諸外国語は何か?一般的に文豪と言ったら日本の作家だろ あえて外国の作家を文豪と呼ぶときには「世界の文豪」「海外の文豪」のように冠がつけられる 最高の文豪が誰かは同じ世代ではということなら言えるかもしれないが、漱石、谷崎、三島を比べてもしょうがない >>41 レオニ叔母と料理人フランソワーズの関係やルグランダンの俗物さ加減の観察は面白いと思うけど女性的かもね (渡鬼みたいw) コンブレーは読むのに忍耐がいる いきなり「スワンの恋」からでもいいかもだけどそれだとジルベルトとの出会いがわからなくなるし 光文社のは高遠さんの脚注で19世紀の勉強になる 19世紀って大事じゃない?特に後半から ファブリス(パルムの僧院)も知った 光文社の失われた時を求めては6巻まで出版されて次がなかなか出ませんが、どうしたのですかね 光文社古典新訳スレでも時々話題になってますが特に情報がないようです >>16 逆 古典的名作というものは作られた当時だがら斬新さがあり持て囃されただけで長い時間を経てありとあらゆる娯楽が生み尽くされた現代の人にとっては大して面白くないものが多いんだよ。 不幸なことにね… 古典が悪いわけでも現代人が優れてるわけでもないのにね 現代において凡ゆる楽しみが生み尽くされたとは到底思えないが、古典の多くが時代背景があった上で評価された作品に過ぎないという側面はある。 しかし古典を読む事で過去の時代の社会や倫理観を知る事は出来るので読む事が無駄という事はない。 古今東西の人の感性の移り変わりや普遍的な側面も伺い知れる。 古典古典というけれど読み継がれてきたのが古典であって、古典だから読まれるわけじゃない、当時斬新なものなら他にすでに埋もれた作品の中にもあっただろう 娯楽一般と文学作品を比較する根拠も希薄 議論としては非常に下らない 世界的な名作じゃないけど、「土佐日記」の内容はつまらんし、感傷的すぎる。 しかし、この作品の出現は日本文学史上の大事件だった。まあ、いまさら俺がいっても仕方ないが。 トルストイやツルゲーネフみたいな描写力に長ける作家は映像が普及してから読まれなくなった ドストエフスキーみたいな内面描写の作家は映像で表現できないので今の時代でも人気がある そんなことはないんじゃないか。どちらも今も読まれているでしょう ドストエフスキーやトルストイの時代と比べて、読み手の環境や芸術作品の選択の幅は全くといっていいほど変わったな。 複製芸術も含めると、音楽や絵画などの知識は、今の普通の読者の方がご両人よりも上回っているかも知れない。 これはこういうことだ。 われわれはドストエフスキーやトルストイの作品を多くの傑作のうちの一つとして扱う。 そして、現代の読者はベートーヴェン以来、音楽も思想を表現できることを知っている。 ぜんぜん衒学じゃない 俺の勝手な思いつき、オリジナルだ >>224 プルースト・ジョイス・フォークナー・ナボコフ・クンデラ・リョサといった20世紀文学の作家に技法面で影響を与えたのはトルストイの方 ナボコフによると「意識の流れ」もアンナ・カレーニナで先取りしているらしい >>228 こいつみたいな事書きこんでも何の意味も無い。 こいつ、虐げられてんのかね?ある意味、ウケる。 >>231 じゃーNGなり無視すればええやんw 俺に返信してる時点でお前も同レベルだしそれこそ時間の無駄だと思うぞ 海外の文学について、原文で読めというのはごもっともだし、語義の精度をあげる努力はずっと必要だろう。 しかし、そうはいってもその努力は日本語圏の出来事にしかならない。 「世界文学」という語が近年いわれてきた。源氏物語は日本文学であるが、世界の文学でもあるということだろうか。 もしそうならば、源氏の研究は何百年も前からあるが、世界最先端のことをしていることになる。 このスレの中にいる奴は今までどれほどの本を読んで来たかは知らないがこんなスレにいる時点で賢くはないんだろうなーと思うわ俺も含め ウルフなんかは源氏物語は世界文学としては2流だって言ってたね そういう時代だったにせよ女たちの典雅な世界を描きすぎていると 源氏物語は世界ではあんまり評価されてない。太古の小説だからって感じ 嵐が丘でヒースクリフが金持ちになって戻ってくる バルザックより後に書かれた作品でこれは無いだろうって思うがな どう金持ちになるのかを精緻に描くのが近代小説じゃないのかね そんなんどうでもええねん 嵐が丘の半径1、2マイル以内で起こる物語にヒースクリフが金持ちになった経緯が必要とされたかが全てやねん そして答えは"必要とされなかった" お終い バルザックはなんでもかんでも詳細に書こうとした悪文家 ドストエフスキーってバルザックの文体パクってるよな パスティーシュ?数々の後輩作家から尊敬されていたバルザック ランボーの10代の頃のエピソード 修辞学の授業で文体変換の課題があったが、先生がよそ見をしている間に、クラスの皆に成り代わって人数分の文体を作ってやって人気者になっていた それぞれの文は全て違っていて、とても一人の作者によるものとは思えない出来だったとか 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」と「ハリーポッター」はいま読んでるけどつまんねえ 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」はブレードランナーの原作だろ つまんねー これなら、星新一の方が100倍面白い ランボーは新刊の発注をわざと間違えて、読んだ後で返却して一冊分の本代を浮かしていたことがわかっているよ 10代で多くの古典、ヴィヨン、モンテーニュ、デカルト、パスカル、バルザック、ユゴー、ミシュレ、ボードレールを読んでることは容易にわかる サドは読んでなかったかも >>235 ウルフのような雑な感性に日本の王朝文学がわかってたまるか 因みにコクトーは源氏について、ハッとするような鋭い指摘をしている 翻訳で抜粋を読んだんだろうが、さすがに詩人である 漱石も鴎外も興味を示さず小林秀雄はつまらんと言ってる源氏物語には好き嫌いがはっきり出るだろ むしろあれくらい好みが反映される文学もめずらしいわ。俺もあんななよなよした女々しい文学は大嫌いだ 男らしい鴎外の文章とスタンダール、トーマス・マンあたりの作家が好き >>251 もちろんヴァージニアよ トマスなわけねー 今19歳なんだけどとりあえず読んどけって本家あります? 若い人は ゴリオ爺さん→幻滅 処世術というか世の中がどれほど利害で動いてるのかよくわかる 社会に出るまえに読んでおいて損はないだろう >>256 ありがとうございます! バルザックですよね〜 難しそう〜笑 読んでみます! 「阿片常用者の告白」を田部重治訳で途中まで読んだが、訳が固すぎる。 後で知ったが、なんと同じ岩波文庫で新訳が出ているではないか。納得。買い直し。 教訓。古書ばっかり漁ると、こういうことがたまに起こる。 >>253 源氏を好き嫌いの観点から切り捨てるのはもったいないと思う。 実は源氏は読んでないのだが、宣長のモノノアハレは日本文学のオリジナリティとしての指摘だろ。 これが読めるのは日本語を母語とする者の特権だ。(もちろん容易には読めないが勉強次第。外国人よりかはマシなハズ) 確かにベストセラーや娯楽小説などは元々読みやすく書かれているせいもあって、何冊もどんどん読了していく快感がある。 しかし何年も前に書かれたいわゆる名作や古典などを同じように読めるかというと、そうはいかないことのほうがむしろ普通である。 小説に限らず過去の傑作というのは、たいていは批評史とからまっていて、ただその作品だけを読んだからといって済んでしまうほどは浅くはない。 信じられないような多様な読み方ができるし、自分は読めたと思っていた小説でも、別の読者ではこういう読み方もできるのかと驚くものだ。但し、奇をてらった深読みには注意を要する。 >>260 具体的に多様な読み方ができる作品ってなんだ? 古典を思い返してみても一つも思い浮かばない たぶん、ある作品に対する感想や解釈は人それぞれに違うということだろ。 例えばスレ主がつまらないと思ったという戦争と平和という小説でも面白い と思う者もきっといるだろう。 ユリシーズと失われた時を求めて読破した人はガチ尊敬するわ。内容の難しさも去ることながらひたすらに長い。 例えばカントや古代哲学者の書物を読破することも充分凄いと思うが上の二つはラスボス感ある。 ユリシーズはそんなでもないよ、苦行とは感じなかったな ハリー・ポッター全巻読むとかの方がよっぽどキツいと思う ジョイスだったらユリシーズよりもフィネガンズウェイクだろうな ユリシーズの場合本文より訳注との闘いみたいな所がある 予めダブリンの市民と若い芸術家の肖像を読んでおいて世界観や予備知識に触れておけば大したことない プルーストはちょっとずつでいいからとにかく毎日読む >>264 クラリッサを読め その二つを平気で数回も読んだモームが『とてもなじゃないが読めたもんじゃない』と匙をなげた伝説級の糞 >>255 世界中、どこでも話題が通じるやつは読んでたほうが良いよ。よく比喩とか例えで出てくるので知ってると得をするし。 例 ロビンソー・クルーソー(第一部)、ガリヴァー旅行記 不思議な国のアリス、鏡の国のアリス 若草物語、高慢と偏見、小公子、小公女 アガサ・クリスティー(そして誰もいなくなった、アクロイド殺し、ABC殺人事件、オリエント急行殺人事件)、 コナン・ドイル(ホームズもの)、シェイクスピア(有名なの5〜10作ぐらい)、 失楽園、ファウスト、イリアス、オディッセイア この辺読んどくと、海外文学含めよく色んなのに例えとかで出てくるのでおすすめ。 もちろん他にももっと読んだいた方がいいのあるけど、読みやすそうなのだけ記述しました。 >>256 映画、テレビはハッピーエンドが多い。歴史名を残すような文学作品は 人間関係の厳しい部分描いてる作品が多い カフカも変身で描いていた 多くのファンがいることが大事か?特定の一人に恋文を打つ方が大事じゃないか。恋性がすごいと女は有頂天だろうな。 世界で最も評価されてる小説は「失われた時を求めて」と「ドン・キホーテ」という説がある。 だったらこの二つを死ぬまでに読んでやろう思ってるが、実は「ドン・キホーテ」は最初の30 ページだけ読んで放置、以来20有余年の年月が経っている。 子供時代に児童向きのドンキホーテ読んだという人は一杯いるけどね >>283 児童向けと一般のドンキホーテは全然違うよ笑 少しは勉強してからコメントしようね >>284 > >>283 > 児童向けと一般のドンキホーテは全然違うよ笑 > 少しは勉強してからコメントしようね この話の流れの中で、わざわざ283のような書き込みをするということは、お前さんの言いたそうなことなどは百も承知の上だということくらい読みとれないのだろう。 コンラッドの「闇の奥」は文学好きが一度はイカれる小説では? 稀有な作品には違いないのだが、何度か読み返してると作為的なあざとさが鼻をつくようになってくる。 コンラッドがドストエフスキー嫌いだったのは意味深であって、たぶん越えられないのを自覚してたのだろう。 1Q84かな 世界では傑作扱いされてるんだが 俺としてはどうもね… 題名が駄洒落(だよね?)だって 海外の読者にはわかってるのかな? おれは日本人だけど、題名が駄洒落かどうかわからんわ まあ、読む気はないからどーでもいいが この20年くらいで文学いっぱい読んでることが教養人の資格にならなくなっちゃったね 狭い業界の年寄りむけコンテンツみたいな扱い でも日本ではドストが強いね、ディケンズやバルザックをもっと布教したい 20世紀以降のやつはジャンル批判やメタ意識をとりこんだのが名作扱いになちゃったし 松岡正剛みたいな偽者はやたら持ち上げられてるけどな 大きい本屋行くと「知の巨人」とかポップで紹介されてるよ 自分で止めないのかねw 恥の巨人か知の虚人のほうがしっくりくる 80年代くらいまでじゃないの 文系のいい大学いったら漫画読んでるの恥ずかしい 世界文学のメジャーどころくらい読んだふりしなきゃいけないって意識残ってたの 今は大学の教員だってそんなこと言わないもの ドストエフスキー トルストイ 以外の「外国文学」を読む人じたいが この国では希少生物になってしまった そして残されたそれらも、寿命によって あと14年ほどで消滅するだろう 今はダンテの神曲煉獄編を読んでいるが、やっぱり平川祐弘訳の平易かつ力強い文体 の方がすっと頭に入ってきてすごく読み応えあるね。 こうした格調高い文学を変に文語体にすると全体の大意が読み取れにくくなるので、 次は旧約聖書を文語体でない訳で読みたい。 語学と西洋の社会や歴史をある程度理解してる前提が結構昔に失われて単なるコンテンツになったな そりゃ面白い、面白くないでわけられちゃうわな >>298 なお誤訳満載 神曲の幾何学的構成に気づかないと理解できないという世界水準の研究を唯一やっている藤谷道夫先生によると 通読可能な唯一の訳とは言っているが、寿岳と山川を含めた3者のなかで一番誤訳が多いらしい 最近翻訳がでた最新のものも幾何学的な構成には言及少ない 人の世の道なかばという書き出しからして、従来の解釈とは違う説得力ある研究してるからciniiで論文読むといいよ 神曲がいかにすごい小技に満ちているかが分からう。とくに主要な語ははじめから何回使うか決めているという衝撃的なデータとか。 その数字にも語にもキリスト教的な意味が込められている >>300 そうなんだ 俺も平川訳自体は好みなんで誤訳のリストでもあればありがたい よろしく なんで俺に聞くんだ?研究者に直接聞け 平川のブログに神曲の注釈みたいなのがシリーズ化されてくそほど載ってるが、神曲研究者じゃないから壽岳文章の解釈と変わらない部分がある 藤谷の論文ではダンテが地獄入りした日時にしても平川らの従来の解釈と違う そういう意味で誤訳が多いというのは説得力がある 気になって調べてみたら今年本を出してた 「ダンテの『神曲』を読み解く」 ciniiにある「Nel mezzo del cammin di nostra vitaを読み解く」を読めば従来見落とされていた神曲の数的厳密さが体験できる もうひとつ「ダンテ『神曲』の数的構成について」を読めばもっと神曲に興味がでるよ。こんなとこまで考えつくされてたのかと驚愕する パソコンによる原典分析ができるまでは見逃されてきた隠された意図。フィレンツェを追われてイタリアを放浪しながらこれを書いたのさ >>113 > ホメロスをギリシア語で読めるなら当然ギリシア民主政の歴史やギリシア悲劇、プラトン、アリストテレス他も読んでる > ただ読んでるだけじゃなく現代の事象と照らし合わせる参照項として考えられるようになり他人と議論できるようになって読んでると言える > まあ現代の日本でホメロスをギリシア語で読めとは言わないが、古典は一人で黙読してもほぼ意味はない > リアルな場で他人と話あったり母国語とは違う世界、現代と歴史との対比で考えないと単なる消費財でおわる 通りすがりで たまたま この板の このスレを覗いた ほんにん独自の見解ではないだろうが、極めて重要な視点について ゆってると思う > ただ読んでるだけじゃなく現代の事象と照らし合わせる参照項として考えられるようになり他人と議論できるようになって読んでると言える > 古典は一人で黙読してもほぼ意味はない > リアルな場で他人と話あったり母国語とは違う世界、現代と歴史との対比で考えないと単なる消費財でおわる おおかたの読書好きは、ここに書いてある意味すら到底思い及ばない。 なんとなれば「そんな世界は体験したことがないからだ」 >>148 > 面白いかは別にして古典の文学なんてどんな馬鹿でも読めるだろw特に日本のは。谷崎とかあの程度のが近代文学の最高峰だとか言われてる国だもん。たかが文学如きで人より頭いいと思って悦に浸ってる奴って本当に頭悪いんだろうなぁ。 2ちゃんには こういうたぐいの かわいそうなやつが、たくさんいるなw バカだとか、頭悪いとか、そんなのどうでもいいわw > 谷崎とかあの程度のが近代文学の最高峰 最高峰かどうか知らんが、オメーに谷崎のまねが できるんか?www 「芳香としての教養主義」は、学問や文化への尊敬の気持ちを残した。教養主義は、自ら作品をつくり、独創を誇るのではなく、傑作に接し、人類の文化の重みを知ることによる人格形成だった。そうした教養主義は、受動的といえば受動的、知の権威主義といえば権威主義ではあるが、生涯にわたる学問や文化への畏敬心を生んだ[5] ゲーテのファウストにしても一生涯描き続けたみたいに言われてるけど実際は晩年ちょこっと書き足しただけだし 偉大な芸術家はひとつの作品に人生を使い果たすようなことはしないんだよね。そんな不器用な生き方してないんだなって思ったわ もっとエネルギッシュで人生を謳歌しながら傑作を、常人では一生掛かっても書けないものを簡単に書きやがる ステレオタイプの芸術家像にずっとだまされてた >>307 > ゲーテのファウスト 読みたいけど、やっぱり翻訳でしか 読めないからなあ。そこが引っかかる 2019/08/09(金) 在日を軽蔑し小バカにし、そんな人間にいかなる宗教を語る資格もない。 だから言っ ただろう? これが邪宗キリスト教を信じることによる、例外なき共通の性 質「偽 善 者」ということなんだ。 くっだらねー... w !! おらあイチイチ仏壇なんか気 に し たこともねえwwww なぜ、在日だー、障害者だー、とお前らが他人を軽蔑するか 教えて やる。 理由は簡単で、そもそも我々のように信仰と理想を持ち、それを現実 の周囲 の ひとにど うやったら、教えられるのか? どうやったら身近な人を救える のか?と日 夜 悩み、組織の中で相談し、死にものぐるい になってないからです。 無慈悲でバカな 自 分を、どうやったら乗り越えられるか? それを信仰の尊敬すべ き友 や先輩と切磋琢 磨して、お互いに励まし合い、ときにはキツく怒られながら、 追究し、 なによりも祈 りきってないからです。 ああ、わかった!おまえはスメル ジャコフだな!! A君ご め んww。おまえが そこまでクズのわけないよな? おれは 勝った。 大勝利だ!! スレ の 始まりの冒頭からすでに悪人共が泣いておる わ!!! 創価学会バンザ〜〜イ! 永遠 の世界平和へ向けて、今夜も飛翔していき ます! 世界の同志と仲良く手を携えて、不 幸な邪信の友に、御本尊の絶対性を説い ていきま しょう。 いまぼくたちは悩みで いっ ぱいかもしれない。心配事だらけか もしんない。 それでもいいんだ! この地球には 哀 れな、狂った教えに悩まされ不 幸のどん底に落ちている、善良なメン バーがたくさん いる。 たとえば、ゾシマ長老 やアリョーシャ君なんかも、そのひとりだ。 ゾシマは も う死んじゃったけど「人間 の魂は死んだ後でも救えるんだよ!!」御本尊に お願いし て 回向していこう。 在日を軽蔑し小バカにし、そんな人間にいかなる宗教を語る資格もない。だか ら言っただろう? これが邪宗キリスト教を信じることによる、例外なき共通 の性質「偽善者」ということなんだ。くっだらねー...w !! おらあイチイ チ仏壇なんか気にしたこともねえwwwwなぜ、在日だー、障害者だー、とお前ら が他人を軽蔑するか教えてやる。理由は簡単で、そもそも我々のように信仰と 理想を持ち、それを現実の周囲のひとにどうやったら、教えられるのか?どう やったら身近な人を救えるのか?と日夜悩み、組織の中で相談し、死にものぐ るいになってないからです。無慈悲でバカな自分を、どうやったら乗り越えら れるか? それを信仰の尊敬すべき友や先輩と切磋琢磨して、お互いに励まし 合い、ときにはキツく怒られながら、追究し、なによりも祈りきってないから です。ああ、わかった!おまえはスメルジャコフだな!!A君ごめんww。おま えがそこまでクズのわけないよな?おれは勝った。大勝利だ!!スレの始まり の冒頭からすでに悪人共が泣いておるわ!!!創価学会バンザ〜〜イ! 永遠 の世界平和へ向けて、今夜も飛翔していきます!世界の同志と仲良く手を携え て、不幸な邪信の友に、御本尊の絶対性を説いていきましょう。いまぼくたち は悩みでいっぱいかもしれない。心配事だらけかもしんない。それでもいいん だ!この地球には哀れな、狂った教えに悩まされ不幸のどん底に落ちている、 善良なメンバーがたくさんいる。たとえば、ゾシマ長老やアリョーシャ君なん かも、そのひとりだ。ゾシマはもう死んじゃったけど「人間の魂は死んだ後で も救えるんだよ!!」御本尊にお願いして回向していこう。 ああ、わかった!おまえはスメルジャコフだな!!A君ごめんww。おまえがそ こまでクズのわけないよな?おれは勝った。大勝利だ!!スレの始まりの冒頭 からすでに悪人共が泣いておるわ!!!創価学会バンザ〜〜イ! 永遠の世界 平和へ向けて、今夜も飛翔していきます!世界の同志と仲良く手を携えて、不 幸な邪信の友に、御本尊の絶対性を説いていきましょう。いまぼくたちは悩み でいっぱいかもしれない。心配事だらけかもしんない。それでもいいんだ!こ の地球には哀れな、狂った教えに悩まされ不幸のどん底に落ちている、善良な メンバーがたくさんいる。たとえば、ゾシマ長老やアリョーシャ君なんかも、 そのひとりだ。ゾシマはもう死んじゃったけど「人間の魂は死んだ後でも救え るんだよ!!」御本尊にお願いして回向していこう。もし池田先生が在日だと してもそれどころか極悪人だったと仮定してもわたしたちは先生を尊敬します。 なぜなら広宣流布の永遠の師匠であり「死身弘法」(ししんぐほう)「身を殺 して法を広める」の先生だからです。またわたしたちは、草創以来のいっさい の先輩方を尊敬し、愛します。牧口先生・戸田先生・池田先生となんら変わり なき「死身弘法」の先輩方を。そしてその一端を担う「自分自身」を猛烈に尊 敬します! このスレだけではないんです。2ちゃんのいっさいのスレが創価スレなんです よ。ほんらいは!絶対服従というのは人間にぜったい服従ではありません。そ こをカン違いしてる。法にたいしてです。おまえたちは無知だからわからない。 学ぶことです!自分の身を殺しながら、ボロボロになりながら、友のために尽 くすのですよ。法を広めるために殺していいのは、おまえのような悪人だけで す。アンチというのは大謗法者です。アンチは私たちに殺されることによって、 来世において大幸福境涯となる。すなわち学会員として生まれてくることがで きる。もうこんなみじめな人生は今世で終わりだ。しかし善人はぜったいに殺 してはならぬ。 >(偉大な)目的が(卑劣な)手段を正当化する のではないんですよ。この仏法が偉大であるがゆえに、いっさいをすくい取る 力があるゆえに(卑劣な存在であるおまえ)やわたしが、その卑劣な姿のまま に救われるのですよ。これは仏法の根幹です。わたしの言うことを100%そ のまま文字通り信じなさい。仏法の世界というのは、おまえら無信仰の俗人に はいっけんして絶対理解不可能の世界だ。ヤルのだ。ヤレばわかる。 >(偉大な)目的が(卑劣な)手段を正当化する などと「意識して」考える世界ではない。(卑劣な)自分を恥じながら、(卑 劣さ)を捨てずして、そのままにだれよりも真っ直ぐで清々しい存在となる。 まさにおれではないかっ! 2019/08/17(土) 学会歌100連発...行くぞおーーーーッ https://www.youtube.com/watch?v=BSrcNZatMJ0& ;t=99s おれは創価大学生ではない。目指したことはある。偏差値も足りないし、第一 にカネがなくて断念した。そうしておれは高卒で終わった。だがな。まったく 嫉妬しておらず、創価大学は世界最高の大学であると断言する。なぜか? 池 田先生いわく「創価大学を目指したものは、落ちたひとも全員わたしの弟子で ある!」と断言された。英知を求めるは何のためか? 現代の人間でこういう 問をしているやつは、ひとりもいない。バカだから、大学や学歴というものは 自己を飾るアクセサリーと思っている。高卒の学会員のおれこそ、我が国最高 の宝であると、断言できる。 >今どき高卒の阿呆が神様仏様を笠に大卒に威張る ギヒヒ...w見ろや。これがリアルなドストエフスキースレ民よ。キチガイだな wやっぱり「大学や学歴というものは自己を飾るアクセサリーと思っている」 じゃねーカッ?ww>それが可能なのも日蓮大聖人の唱える大乗仏教すなわち賤 民仏法のおかげだ日蓮大聖人は尊敬しとんのか...? 大乗仏教すなわち賤民 仏法だとすると、その反対はなんだ?貴族仏法か?wそんなもんがなんの役に 立つんだ? >おまえらも劣等感の塊なら入信しろ >創価学会はそんな片端者ばかりの肥溜めだ! アリョーシャは中卒なんだけどな? おまえはアリョーシャより優れた人間 か...w?眠いからねるぞ。オメーのカキコはドストとぜんぜん関係ねーんだわ w なんにも書く能力がねーんだろ?ドストについてwwあー、あと、創価学会 員の三分の1はセレヴだわ。オメーはセレブタか?ちげーだろ?www底辺を這い つくばる虫だろーが!! まずセレベになれやWWWWWおれのカキコはぜ〜〜〜 んぶ いっけん創価学会のことを書いているように見えてことごとくドストエ フスキーとカラマーゾフについて書いてる!!!なじぇならドストエフスキー はカラマーゾフの兄弟において「創価学会とは何か」を解き明かしたそれがカ ラマーゾフのテーマです夏休みで青少年の諸君が このスレを見ている。1000 人が1000人とも 「おれを尊敬し、クズを軽蔑することはまちがいない!!」 「育ての親のグリゴリイが小さいときから読み聞かされてきた」というような 愛情深い記述は見当たらないような気がするが。どうだろう? きみはカラ マーゾフ本文中どの箇所で、そういうふうに想像した? >なら読み直すが良い信心があれば想像できる そういう敵意あるヤツと対話しても無駄だ。自分のちっぽけな自尊心が大事な んだ。カラマーゾフを理解することよりも。真善美を追求することよりも。誤 解があるようだから、ひとこと書いておく。おまえのカキコの >スメルジャコフを理解するポイントは、死ぬ最後まで聖者イサク・シーリン の本を手元に持っていたこと >育ての親のグリゴリイから小さいときから読み聞かされてきたのだろう という推測はおそらくは 当たっていると思う。しかし翻訳のせいもあるのか、 おれの脳内にある米川訳カラマーゾフでは、虐待的接し方しかできてなかった ような気がするんだ。グリゴーリイは。もしおまえが、カラマーゾフの電子テ キストを所持してるなら、出してほしかった。 創価化はよくないね。創価であるおれ自らが改革する。純然たる文学板カラ マーゾフスレとする。 兄マルケールのこと >そのうちに四旬斎が始まったが、マルケールは精進をしようとせず、口汚く 罵って冷笑するのであった。『そんなことはみんな寝言だ、神なんてものは決 してありゃしない』などと言って、母や召使の者ばかりか、年少の私までも死 ぬほど驚かせた。私も十やそこらの少年ではあったけれども、こういう言葉を 聞いてひどく驚いたものである。 >『そんなことはみんな寝言だ、神なんてものは決してありゃしない』 どこかで聞いたことがあるね。このスレでよく見かけるセリフだね。マ ルケールは疑った。神・信仰・来世・正義。いっさいを疑った。母・召使・弟 ガキゾシマはなぜ死ぬほど驚いたんだい? それは「信仰が常識」の世界では、 常識に反する発言だから驚いたんです。おまえたちは「信仰が非常識」の世界 に生まれ育ったから、永遠の生命、絶対的正義、祈り、服従― という観念に キチガイじみた反発をする。 > 私の家の召使は四人いたが、みな農奴ばかりで あった。彼らはことごとく知り合いの地主の名義で買われたのである。今でも 覚えているが、母はこの四人のうち、下働きのアフィーミヤというびっこの老 婆を六十ルーブリで売り払って、その代わりに普通の小間使いを傭ったことが ある。 豊かな家庭。信仰深き家庭。しかし同時に、いまでいえば「人身売買」をし、 自分の利益のためなら同じ人間を平気で踏み台にするのみならず「それがなに か悪いことである」という自覚すらない。当時のロシヤ貴族においてはとうぜ んだったからである。 あす以降に書いていく。おれのカキコは他人のモノマネではない。なん かの書籍に書いてあったたわごとを発表してるのではない。自分で感じたこと、 自分の己心をカラマーゾフの文に寄せて発表している。たとえウィトゲンシュ タインだろうが、なんたらだろうが、書籍で読んだ他人の解釈など関係がない。 彼らの境界などドストエフスキーにくらべればはるかに小者なんです。いや、 ドストエフスキーにより活写されたところの、じっさいの信仰者の内面世界と いうことですね。 >>319 話題の鴻巣さんの訳で読んだが 読めなかった いわゆる文豪と呼ばれる人々は市民社会を背景にして「貧困」が一つのテーマだったし、これに対する彼らの洞察、告発はもっともである。 しかし個人が貧困を脱却することについてはどうも無頓着というか、そうなりたいという要求について答えてくれるような名作はどうもないような気がする。 >>322 欧米人は誰でも自分が金持ちになるには他人を貧乏にするしか方法はないと知っているらしい 文豪はそんなみっともない真似は推奨しないんだろ チェスターフィールドの手紙とか自助論とか「自分を有能な人間に育てろ」本は総じて糞 翻訳も良くないよ、岩波文庫は。 新訳では画期的に改善されたが、旧訳(斎藤訳)の「リア王」はひどかった。 あんな奴がICUの教授で英文学の泰斗だったんだから、恐れ入った話だ。 原著で読まないと意味不明じゃね シナリオ糞でも文体が美しいかもしれないじゃん ノートルダム・ド・パリはフランス人が朗読を聞くと舞台みたいで躍動感があるように感じるみたいだね ・失われた時を求めて ・資本論 ・死霊 読んだことはなく読みたいとも思わない有名な作品 ガルシア・マルケス 百年の孤独 夏目漱石 こころ ナボコフ 淡い焔 >>297 カミュのペストは話題になってるとかなってないとか ミラン・クンデラの存在の耐えられない軽さとか良かった テリーギリアムの映画の前にドンキホーテ読もうとしたけどつまらなくてやめた >>336 実際面白い本じゃないよなドンキホーテの前半 CANONの退屈さは避け得ぬ宿命。 挑戦を重ねるごとにます理解と面白み チャレンジを恐れないこと。 ドンキ前編つまらんと言ってるやつは信用しないことにしてる >>1 ダラダラと長いよな。不要な描写も多い。 昔はテレビもネットもなかったから 小説読むしかなかったんだろう。 今の時代には合わないよな 教養主義が没落して上流階級が備えなきゃいけないとされた教養なんてなくなったし 大学教員や知識人層が当然知ってるべきものという共通感覚すら怪しい そのなかでも文学の地位がだいぶ低下して理系知識の比重がどんどん高まっている ひと昔前の欧米人の書くものはやたらシェイクスピアや聖書や文豪の引用が多かったけど最近はそうでもない 個人的には世界史や高校くらいまでの数学、物理、化学、生物をしっかり身につけるほうが重要 国語関係は文学作品鑑賞もいいけど日本語の文法学習や言い回しや諺などの前提である中国古典の学習でいいと思ってる 死霊は津田夫人と首猛夫が出てくると話がわかりやすくなる 矢場徹吾はわけわかんなくて飛ばし読み >>343 自然科学を大事にする事は大事ではあるだからといって人文科学を無価値と貶めてる時点で日本社会はゴミ 人文科学も社会科学も自然科学も等しく価値のある学問だと思うよ 教養主義は形を変えて残すべきものだから没落はまずい 近代小説はそもそも必須教養でもなんでもないしな 最近の享受者研究でもブルジョワの男は仕事や社交に忙しくて読んでなかったし その妻や娘の暇してる階級が読んでただけで高級ハーレークインみたいなもん その作成者たちがやがて経済的に自立して知識人の役目をになったので何か高踏的なもののように思われてるけど 今の作家や知識人の体たらくを見てればわかるように妄想書いてるだけだから糞の役にもたたない オリラジの中田敦彦の山椒大夫の解説を聞いて成程と思った カラマーゾフの兄弟と戦争と平和の面白さがわからない フリーメイソン作家が書いたものはことごとくつまらん というかページを開く気すら、しない 18世紀じゃなかったか なんにしろ地獄落ち悪魔崇拝組織だから近寄らんがええよ ダッジャールについてググってみれば まんまダッジャール崇拝だから カラマーゾフの兄弟と戦争と平和はよくわからなかった >>357 戦争と平和は面白いよ。ピエールが666の数字の魔力に取り憑かれて、 自分の使命がナポレオン暗殺にあると確信していく挿話はスタンダール のパルムの僧院の影響があると思う。どっちも戦場の描写が圧巻だ。 >>362 そうか、無茶苦茶面白いじゃないか。『盲目物語』とか、『少将滋幹の母』とか。逆に誰が面白いと思うの? >>362 そうか、無茶苦茶面白いじゃないか。『盲目物語』とか、『少将滋幹の母』とか。逆に誰が面白いと思うの? >>366 俺もだ 主人公が気持ち悪くて楽しめなかった >366 普通に面白かったな。俺は司馬遼太郎の面白さが、さっぱり分からない。 >>372 読もうとするだけ、すごい。何を読んでいるのだ? つまらないと一蹴する前に、自分がちゃんと読めているかどうか疑おうよ 名作になってるからには、ちゃんと理由があるんだよ… いわゆる名作として評論の定まっている作品を名無しさんがいくらつまらないといったところで読めていないのが露呈しているだけ >>375 確かに面白くない、分からないと安易に結論を出す前に、作品に問題があるのか自分に問題があるのかを考えないといけないな。多くの場合は自分に問題があるのだが。 でも役割を終えるってことはあると思うけどね 時代も確実に変化してるし >>378 そうだね。でもそんな作品は役割を終えた時点で消えていき、名作としては残っていないよ。役目を終えても名作として残っていると思う本には例えばどんな本がある? この二十年くらいでもう無効になった文学作品は結構あるんじゃない?惰性で名作扱いされているものも多いだけで 人間のコミュニケーションのあり方がはっきりと変わったので、たとえば手の届くところだけで起こる物語はかえって嘘くさく感じられるようになったとか かつての人間の生活をいくら讃えたくてももうその暮らしはリアルじゃないとか その世界観を理想として受け止めてしまうと自分の現在の生活に矛盾しか見えてこなくなるとか そんなものはいくら名作であっても長い目で見ると害にしかならないと思うようになりましたね、最近ですけどね たとえば上記のニーチェの思想が自分を力づけてくれるものであるかどうか 形而上学的な思想が尊重されていた時代には大いに有効でしたし、ニーチェ自身は自分が生きる時代の状況に対してアクチュアルな姿勢を取っていたと思いますが、われわれにはほとんど必要ないでしょう なぞったところで口先だけの真似事にしかならない 美学的にはそれでも結構でしょうが、それにのめり込むことで失うものも大きいのではないでしょうか >>380 その通りだと思いますよ。役目を終えた作品は「名作」の名前を外されて、歴史から消えていくでしょう。ただ上の方で名前が挙がっている作品はまだまだ生きていると思います。(すみません、もちろん全部読んわけではありません)、つまらないと言っている理由が分からないからと言うのであれば、読み手の方にも理由があると考えています。映画に対してのコメントにも、分からなかったので面白くありませんでしたと言うのが散見されます。分からないからで終わらせないで、分かろうと取り組む姿勢も必要なのではないでしょうか。 チボー家の人々、ジャン・クリストフあたりはほとんど取り上げられることがなくなったな >>382 ざっと見た感じ、大半はわからないから面白くなかった、ではなくて、面白さがわからなかった、なので感想としては大きく異なると思いますよ 面白さが分からない、というのは共通認識とされる土台にズレがあるということでしょう それが教養か知識か経験かによっても議論の水準は変わってくるでしょうけど、多くの人は自身の経験に結びつけて判断するのではないでしょうか もちろん経験には小説を読む経験というものも含まれるのですが、「名作」と呼ばれるものは一般的にそれらの不足さえも超越してくるものではないでしょうか 面白さがわからなかった、という感想を批判することは難しいように思います むしろなんだかよくわからないのに面白いというものが「名作」が持つ力でしょう >>384 面白さが分からなかったと、分からなかったから面白くないと言うのは、結局は同じことだと思いますよ。面白くなかったという個人の感想を否定することはできませんし、読み方が足りないと非難することはもっとできません。ただし風雪にさらされて生き残ってきた、人類の宝とも言うべき遺産に対しては読む方もそれなりの姿勢が必要です。私のスタンドポイントはここですので、おそらくはあなたとは話は平行になるのではと思います。 そうですね 私は文学作品を人類の宝などとは思いません それ自体人類に対して傲岸不遜な態度のように思えるからです トルストイだろうがドストエフスキーだろうが谷崎だろうが、彼らの小説は所詮文学作品です と思う私のような人間の立場からすると人類の宝などと崇拝してみせるさまは何か嫌な執着めいたものを感じずにいられません たとえば、マンや三島はそういうことを言う人でしたね 話は平行線をたどるたろうということですので、ここで打ち切りましょう それでは 「楽しみとは能力の表れである」とギリシャの哲人が言ったとか。 何百年も残っている作品には相応の理由があるのだが、それに今さら驚いたり感動するのはとても難しい。教養も必要である。 単に字面を追ったからといって一冊の本を読み終えたということにはならない。 「楽しみとは能力の表れである」この手のアフォリズムを慈しむ時代は終わったんじゃないかな。 自意識の強い中高生のツイートと大差ない。それらしき言葉はどこにでも転がっている。 有象無象の言葉が溢れ返っている現代では一冊の本を特権視することも難しい。 この一世紀程の間に書物が教養を得る唯一の手段だった時代ではなくなった。 それ以前と以後で作品が残るか残らないかといった評価基準も変化するのは当然であろう。 映像や音声を誰もが容易に記録できるのだし、 これまでに一般教養と見なされてきたような百科事典レベルのデータベースでは取りこぼしが必ず出て来る。 世界的な名作などというものは近代までの中央集権型の文化ヒエラルキーでのみ有効だったに過ぎないだろう。 >>373 『ツァラトゥストラ』『悲劇の誕生』『生に対する歴史の利害』『人間的な、あまりに人間的な』 筑摩世界文学大系のやつ >>374-5 クソなものはクソだ ニーチェのいいところは『王様は裸だ』と言ったところらしいが俺も言うわ ニーチェの作品は中身ゼロ、それを褒めてる奴はバカ >>390 すごいな。面白くないと思いながらよくそれだけ読めたものだ。どんどん思った事を言ってくれ。それは悪口ではなく、もう立派な評論だ。 >>392 ここは>>390 さんの再登場を待とうではないか。 >>391 じゃあ言ってやる こいつの一番悪いところは何一つはっきりと物を言わないところ、何から何まで仄めかし 『悲劇の誕生』では「ディオニソス的」と「アポロ的」という二つの謎の概念をもとにギリシャ悲劇を語っていくけど その二つがどういう区分けなのか明らかにしないから全く要領を得ないで最後まで読んでもチンプンカンプン 「アポロ的とはこう言う意味であって、この作品のここのところなんかはそれがよく出てると思います」と言えばいいのに絶対にしない つっこまれるのが嫌で曖昧にして逃げてるだけだと思うけど一時が万事そんな感じ これが詩ならそれでもいいけど、評論ならただの逃げだわ >>394 ありがとう。まさか呼び方に応じて本当に再登場してくれるとは思っていなかったので、感謝。どうしようもない理由はよく分かった。ただ皮肉なんかじゃなくて、この本読みたくなった。買ってみるよ。 「生に立ち向かうものだけが知覚する恍惚と絶望を伴うあの感情」とか 「ギリシャ的感覚に凝縮されるあの肯定感」みたいな説明をしょちゅうするけど 「どの」感情なのかまったくわからん そんなもの人によって受け取り方が違うので説明として情報不足にもほどがある あげくに「私の本は理解するのではなく体験しなければならない」みたいな事を言い 「ディオニソス的という言葉によって己を理解するものはキリスト教の腐敗を嗅ぐ」 とか、まるでディオニソス的という言葉がわからない方がバカだみたいな言い方で逃げる そんなんだったらどんな本でも持ち上げられる >>395 時間の無駄だから読まないほうがいい 『ツラストラ』や『歴史』では徹底的に世の中の人間に向かってダメ出ししていくが そのダメ出しが抽象だから何がダメなのかまったくわからん というよりコイツの本の中では生きて生活してる人間の姿がまるでない 食って、寝て、働いて、盗んで、妬んで、エロして、助けて、励ましてみたいな人間お日常がまるで感じられない 世間知らずで人間嫌いの学者の頭の中でこしらえた世間を前提に話されていて共感できない こいつがよく名前を出すレオパルディは同じように厭世家だけど彼はたしかに人間をよく見てる 「本当によい著作を書いても誰かが大声で褒めないと絶対に世に認めれず、その誰かは大抵作者である」とか 「女は憂鬱を装うとモテるのでよくやるしそれは成功するが、本当に憂鬱に取り憑かれるとそいつは社会から弾き出される」 とか見方がかなりひねくれてるけど確かに彼は社会をよく見てる でもこいつの著作にはそういった社会の実例が一ミリもない 超人だの権威の否定だのいうくせに非常に衒学的なのも気に入らない やたらに「ゲーテはこういった」「ゲーテはこうした」と連呼してて ゲーテが言ったから何なんだって思うわ それってキリストがゲーテにすげ変わっただけちゃうんかと ギリシャ悲劇を語っても出てくる単語はプロメテウス的巨大さだのソクラテス的だの 著名な単語を持ち出してこけおどししてくるだけで気に入らない 「エウリピュデスはホメロスを独自に変形させて悪女だったヘレネを聖女にしました これは二次創作というやつですね アリストパネスはそれを使ってオカマのヘレネとじじいのエウリピュデスのロマンスを描きました これはパロディーですね」 みたいな分析の仕方の方が100倍正しいと思うが、そういう普通の言葉は書くと死ぬんだろこいつ なんでこんなものが持てはやされたのかと言えば当時の時代の流れだろうな 意味不明で難しい論が持て囃されて、難解であればあるほど深遠みたいな傾向があったらしい 昭和のあたりの文庫の解説を読んでもちんぷんかんぷんで何の説明にもなってなのをよく見たが昔はそれが人気だったんだろ よく言う「その論が理解できないのはそれが深遠だからではなく、中身がからっぽだからだ」という奴 何一つはっきり物を言わず、それでいて長々と論をたれながす「話芸」という意味でなら素晴らしいが それ以外では全く無価値だと思う >>397 そうか、時間の無駄か。『悲劇の誕生』を読んでみようと思ったのは、ヴァーグナーをどう書いてあるかに関心があったせいもある。本読む時間が有れば、ヴァーグナーの楽劇聴く方がいいか。 ニーチェはセクハラ廃人。ゲーテの方が名家。 しかし津波と原発じゃどっちが死んでんのかね。高校野球。 俺はソフトボール二打数二安打一ホームラン打点4守備捕殺一で完全な人。 ヴァグナーは召喚魔法だな。しかしドイツ語圏は文学がない文学圏。 ギリシャ神話はセクハラ。人間が後なのに婦女に神の子やどる。大分駆逐したが。 哲学者自体被害者なわけ。ソクラテス以降ソクラテスは大丈夫だがセクハラひどい。 一番大きい試合はインカレかな留学生の体育大会。ユニヴァーシアードは余裕だった。 被害文献を女性の代わりにとって被害を抜いて討つのも仕事だ。セクハラ源氏物語じゃないが。 シュートミスやらドリブルミスパスミスもない。天の父は完全。 サッカージョッキーも負けなし。 女子大体育会の超越女神とか体育会の哲人超人ってそういう意味じゃないの。 マラソン競歩の世界記録はやぶった。ノーマルバカでもない。 オリンピックや世界選手権の上のカテゴリーもあるよ。そこで世代トップ。 パラリンピックは注意が必要。障碍者だけのスタッフとか。 >>399 理解出来ないから面白くないではなく、理解した上で面白くないということで、感服いたしました。 >>389 確かに「映像や音声を誰もが容易に記録」できる時代になったが、まだ大した作品は生まれていない。 あと数百年待てば状況は変わるかもしれないが。 現代人は漢字や日本語で書かれた文学をただ読むだけで、数千年の歴史の延長線上にいることになる。 しかし、せいぜい百年に満たない映像や音声の記録のやりとりだけでは、 今あること、ここにあることがすべてであるという感情の蔓延を助長するだけである。 君の言い分によるとつまり「今あること、ここにあることがすべてである」という時代は今後数百年は続きそうってわけだね ならその「延長線」ってやつには何の価値もない、各々がテキトーに見出す程度の意味はあるでしょうけど 自分で何を言ってるのか分かってんのかいな 『星を継ぐもの』もうすぐ読み終わるけど つまらな過ぎ >>421 そもそも世界的名作とは言えないような。俺もこれ一冊切りで、続編とか読んでいない。 >>399 トロツキーが25歳のときに書いたニーチェ評だがよく分析されている 最後の最後で詩篇の誤用というオチがついてしまったのはご愛嬌だ https://www.marxists.org/nihon/trotsky/1900/nietzsche.htm 哲学者の芸術論というのは大抵は役立たずだが、「悲劇の誕生」は芸術家の創造の推進力になりえたという点では例外的だ 岡本太郎以外でもこの書に影響を受けた芸術家は多いだろう 近代以前に近代人的な自我を自覚し近代を準備した例としてモンテーニュ、デカルトの名が真っ先に思い浮かぶ。 時代は下り、近代の真っ只中において反近代人としての自我を自覚した例はたくさんあるが、早い時期の典型はニーチェ、ボードレールあたりだろうな。 とりわけニーチェはキリスト教文化の中心地にいながら非キリスト教的価値観や仏教理解がある程度あったという点で外せないな。 カラマーゾフ全然面白くなかった レミゼラブルより評価高い理由がよくわからない It depends upon a man's knowledge and experience of life whether the book will unfold new meanings to him. ドストエフスキーは評価が分かれる。 何回読んでも挫折するという人もいれば、自分のようにあれほど面白い小説はないという人もいる。 逆はジェイン・オースティンで、漱石は「次に何が起こるのかとついついページをめくってしまう」と書いているが自分にとってはくだらない女のお喋りとしか思えない。 反人種差別、反植民地主義、LGBTQ、フェミで世界文学の基準は様がわり 西欧の男性作家は必須教養からだいぶ落とされた >>389 この言は千年来、相変わらず書かれた文字によって伝達されているのから、さっぱり説得力がありませんな。 カラマーゾフの兄弟は史上最高の小説だろう 複数の登場人物の思考が交錯するシミュレーションゲームに近い それまでの小説が車窓の様に景色が通りすぎる構造だとすると カラマーゾフでは読者がプレイヤーとして小説に参加して視点が移動 埴谷雄高の死霊はこの形式を踏襲している ただの、あほトルストイが全人類救済して漏れてるの利用されてる割に ドストエフスキーはシビア系。 狂人日記がいいんじゃないか。宇宙漢文なら中国から手に入れるべき。 マラルメか ヘルダーリン リルケ、カフカ、プルースト、ブランショ、というとこだろうな。 悪魔もののゲーテのほうがよく人間モノのシェイクスピアではない。 冷静と情熱の間はタワーの中で戦ってなくてつまらない。 つまらないか。むしろおすすめのあげといた。退屈するのがつまらなく次のページめくりたいけど 怖い恥ずかしいみたいなのが面白いと思う。 本を読むことが義務ではつまらない、自発的に読み進めることができるものがいい文学。 そういう意味で名作だから読んどかなきゃいけないということでない。しかし 谷間の百合バルザックに退屈する人はいないが、パルムの僧院スタンダールならたいくつ するだろうね。だから面白ければいいと思うとしてしてちゃん。つまらないものから盛り上げる ということも大事。 修道院というのは退屈で厳しいところだよ。病院とか。 退屈を感じるということは文字通りでも本質的にも天才に多い。 神の行動や知性を上回ってる証拠だからな。だからつまらない文学でも読むもんだ。 読み進めるのが面白い代表が 嵐が丘、退屈になる代表がアンナカレニーナ。 としても若いうちは敷居に届いていないからテキストが退屈に感じるが そのあとに文学が化ける時があって、つまらなくても読み進めるもん。古典は。 つまらないと思うならゲームの原作になってる全部とおもって調べたり 感情移入するといい。 段落ごとに読むよりは通して読み切る方がいいよ。つまらなくても。 俺は世界文学全集受験生の時に読んて母国語が世界トップだった。 そういう正確な読解も大事。 まあでも美女ぞろいってもんでは共通するんじゃないんの。ア(ン)ナもマザー系。 ある意味見かけも本質も優れているとわかるまでは付き合うといい系。 まあフランスは田舎が多いな。ドイツ語圏は都会。住む地方で相性悪くて あきらめるのは二度つまらない。 おれにもメフィストフェレスみたいな魔界の先導役がいるんだよ。 まあでもテレヴィ学校職場などのお笑いが退屈な人にはウチのダンテ神曲なんかがおすすめ。 色々女性も用意しますよ。読了したら皆。 キャスティング間違えた神の気まぐれなミスキャストはアウトキャストしろみたいな。ユニコーンとX それとうちの奴隷。高1以降が大事みたいな。 学校小六法みても中二のことは何も書いていない。がヒント。削除編集されてるでしょ。 負けてるのに世界中の美女が手に入ると勘違いな性の発達し始める時期が中二。 日本は今世界一中2短い軽視だから成功してる。しかも体育会もさほど重要視してない 世界一高1から。 もう一度言う It depends upon a man's knowledge and experience of life whether the book will unfold new meanings to him. その本が新たな意味を明らかにするかどうかは、その人の人生の知識と経験に依存する。 まず、人類の文字の発明以来、今この瞬間にも世界中に続々と綴られていてる 「書かれた文字」の信じられない膨大な氾濫にめまいを感じなければならない。 それらの圧倒的多数はゴミとして捨てられ、他の誰かが読み直すなどということはほとんどない。 ところが、何百年も何千年も前に書かれたにもかかわらず現在に至るまで残るべき理由があるために残り、 人々に読まれ続けているテキストがあるとうことに改めて驚かなければならない。 世界的名作といわれている作品は人によっては 出会ったことによってその後の人生を変えてしまうくらいの効果があるものだ。 何百年も前に書かれた作品を未だに世界中の人が朝から晩まで研究の対象としているものも多い。 古典や傑作と呼ばれるものはそれくらいの価値があるが、 教養や感性が追いつかないからその人にとってはつまらないだけなのだ。 傑作の山を前にして人生で一つでも刺さるものがあればその人にとって意味がある。 つまらないと思うのは今は縁がないか、一生縁がないのだろう。 ジャズ・アンビエントから、、じょじょにSF的な流れが なかなかオモシロくないですか? //youtu.be/f0og1UrDFy0 >>474 少しづつ読もうかと思っていましたが、どこが 聖書と違いますか? 教徒だったら読むべき本ですけど。 >>474 教養として読むのであれば、つまらないことは我慢すべきと思うが。 >>479 ディケンズは確かに退屈。つまらん。 ヨーロッパ文学ではフランス、ロシア、ドイツがやっぱり一番いい。 It depends upon a man's knowledge and experience of life whether the book will unfold new meanings to him. 483 >>482 は俺だが、自演って何だ。上の人とは別人だ。まさか、世の中に ディケンズ嫌いは俺しかいないと思ってんのか。俺に言わせればディケンズ など19世紀のベスト10にも入らないが、お前もみたいなクズ野郎しか日本に 読者がいないらしいのが、その証左だ。 英米の著明な作家125人が選んだ史上最高の小説ベスト10 125人の中にはスティーブン、キングも含まれている 1. 『アンナ・カレーニナ』レフ・トルストイ 2. 『ボヴァリー夫人』ギュスターヴ・フローベール 3. 『戦争と平和』レフ・トルストイ 4. 『ロリータ』ウラジミール・ナボコフ 5. 『ハックルベリー・フィンの冒険』マーク・トウェイン 6. 『ハムレット』ウィリアム・シェイクスピア 7. 『グレイト・ギャッツビー』スコット・フィッツジェラルド 8. 『失われた時を求めて』マルセル・プルースト 9. 『チェーホフ短編集』アントン・チェーホフ 10. 『ミドルマーチ』ジョージ・エリオット ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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